カテゴリー「ノンフィクション・ドキュメンタリー」の61件の記事

2009年12月14日 (月)

ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命1956』

ヴィクター・セベスチェン(吉村弘訳)『ハンガリー革命1956』(白水社、2008年)

 1956年、ソ連軍によって鎮圧されたハンガリー革命。一連の政治動向を前史としての第二次世界大戦から説き起こして時系列的に描き出したノンフィクションである。人物群像をこまめに拾い上げて描かれているので内容は興味深いのだが、訳文がちょっと不自然なのが残念。

 ソ連からのきびしい締め付け、常にソ連中央指導部の鼻息をうかがわねばならないラーコシは“小スターリン”として振る舞い、秘密警察による暴力と一体化した体制で恐怖政治を展開して、市民の間に不満がくすぶっていた。1956年のスターリン批判と共にラーコシは失脚して、鬱積していた不満が爆発、市民の自発的なデモが盛り上がる中、誠実な人柄で共産党幹部の中では唯一人気のあったナジ・イムレが新指導者として浮上する。ナジ自身はソ連と妥協する必要を理解していたが、民衆運動はもう抑えがきかない。結局、ソ連の軍事介入を招いてしまった(ただし、ソ連指導部内でも議論があり、ミコヤンは反対したが、強硬派に押し切られた)。アメリカは冷静構造のロジックで無視、スエズ動乱に忙殺される国連も関心を示さない。ナジ政権の閣僚だったがソ連側に寝返ったカーダールを傀儡として新政権が樹立され、ナジをはじめとした指導者たちは処刑された。

 本書でもカーダールに対しては裏切り者として評価は少々からい。本書の趣旨からははずれるが、カーダール政権の時代は依然として共産党支配が続き、とりわけ1956年の悲劇が傷としてひきずられたマイナスがある一方で、社会的・経済的には比較的安定し、ラーコシ時代との比較に過ぎないにしても秘密警察は控えめで、個人崇拝もなかったと言われる。後知恵的な言い方になってしまうが、当時の地政学的条件からしてソ連による“帝国支配”から脱け出せる見通しはほとんどなく、それにもかかわらずコントロールを失った民衆運動に引きずられて、それをまとめあげる力のなかったところにナジの悲劇があった。妥協によってソ連支配下でも一定の自立を目指した点では、ナジの果たせなかった役割をカーダールが担ったという見方も可能なのだろうか?

 なお、1956年のハンガリー革命については、以前に「君の涙 ドナウに流れ──ハンガリー1956」という映画を観たことがある(→こちら)。その時に併せてビル・ローマックス(南塚信吾訳)『終わりなき革命 ハンガリー1956』(彩流社、2006年)という本も読んだ。

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2009年12月13日 (日)

「チャイナ・パワー 第3回 膨張する中国マネー」

NHKスペシャル「チャイナ・パワー 第3回 膨張する中国マネー」

 急速な経済発展で金余りの中国。海外に投資先を探すファンドとして漢能投資集団が取り上げられる。アメリカに本拠を置く中国人投資家と某社をめぐって買収合戦、中国政府による案件審査が必要で時間遅れ、タッチの差で敗れたが、海外に広がる中国人人脈を使って巻き返しを図るところが興味深い。アメリカ企業とパートナーシップを結ぶなど活発な投資活動を繰り広げるチャイナ・マネー、しかしその威力には海外で反発もある。理由の一つとしては、中国ファンドはグローバル資本主義のロジックに則って行動しつつも、その背後に政府系企業・金融機関がついており、資源戦略という中国政府の方針が見え隠れするところが警戒心を招いているようだ。

 そういえば、先週、香港誌『亞洲週刊』12月6日号をパラパラ眺めていたら、中国国内経済についても「国進民退」か、「国進民也進」か、つまり国営企業主導で民間セクターは沈滞してしまうのか、それとも民間セクターも一緒に発展できるのか?という論点がメインになっていた。

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2009年12月12日 (土)

「泣きながら生きて」

「泣きながら生きて」

 東京で不法就労という形ながらも懸命に働いて娘の学資のため仕送りを続ける丁尚彪さん、上海に残してきた奥さん、そして娘さん、三人の姿を十年間にわたって撮り続けたドキュメンタリー。社会派的な力みかえりはなく、むしろヒューマン・ドラマとしての内容に引き込まれた。もともとテレビ番組だったが、これを見て感動した大学生の奔走で映画館上映にこぎつけたらしい。

 丁尚彪さんは1989年に35歳で来日。文革で下放されて教育を受ける機会がなかったため一念発起、親戚知友から借金をかき集めて留学したのだという。留学先の日本語学校は北海道の寒村にあった。学資は働いて稼ぐつもりだったし、借金も返さねばならないのだが、過疎化が進む地方に仕事などない(受け入れ先はこうした留学生事情まで把握していなかった)。やむを得ず東京に出て働き始める。大学で学びたいという夢は潰えてしまった。しかし、上海に残してきた娘は進学させたい、そこに夢を託して仕事をいくつも掛け持ちしながら仕送りを続ける。念願かなって娘はアメリカ留学が決まり、トランジットで東京に降り立ったとき再会。さらに、娘に会いに行く妻ともやはりトランジットの折に再会する。13年ぶりであった。空港まで見送りに行きたいのだが、一つ手前の成田駅で降りねばならない。不法滞在のため身分証明書の提示を求められたら困るからだ。

 勉学への意欲はあったにもかかわらず、文革で挫折し、日本でも挫折し、心中にはやりきれない不条理感があったろうに、丁さんは一言も愚痴を言わない。それは前向きというのとはニュアンスが違うが、ひたむきで謙虚な姿には見ていて本当に頭が下がる。娘さんもプレシャーが大きかったかもしれないが、むしろそれが頑張る動機付けになっていたようだ。丁さん、奥さん、娘さん、三人三様に自分の背負っているものへのはっきりした想いがある。互いに負担を掛け合うこと自体が絆となり、生きていく原動力になっている家族の姿がうかがえる。

 不法就労というとネガティヴなイメージになってしまうかもしれないが、事情がやむを得ない人もいる。日本に来ている中国人も多種多様で、そうしたあたりは吉田忠則『見えざる隣人──中国人と日本社会』(日本経済新聞出版社、2009年)で読んだ。

【データ】
企画・演出:張麗玲
ナレーター:段田安則
2006年/108分
(2009年12月11日レイトショー、新宿バルト9にて)

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2009年12月 3日 (木)

「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」

 見逃していたNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」が今週深夜に再放送されていたので見た。細川政権が成立したのはちょうど私が大学に入って間もない頃だった。その頃から政局話は結構好きでこまかにチェックしていたので、一種のなつかしさもある。

 色々なキーパーソンがインタビューを受けているが、全体的に言って小沢一郎が主役となっている。第1回「1993~1995 “政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏」。力技で細川護熙政権を成立させた小沢だが、反自民以外には何の共通点もない各勢力をまとめ上げることができずに崩壊、今度は反小沢というモメントが働いて自社さの村山富市政権が成立。第2回「1996~2000 漂流5年 “数”をめぐる攻防」。与党であり続けることにこだわる自民党の強烈な執念を体現した野中広務は小沢、公明党、加藤の乱と熾烈な駆け引きをくぐりながら与党の座を守り抜く。第3回「2001~2009 小泉そして小沢 “民意”をめぐる攻防」。自民党の内部から最も自民党らしからぬ小泉純一郎が登場、選挙を意識した参院自民党は取り込まれ、野中は抵抗勢力として蹴落とされ、野党・民主党は“改革”合戦で遅れをとってしまう。この異様な小泉旋風が吹き荒れる中、再び下野して民主党入りしていた小沢は組織固めに専念していた。

 安定的ではあったが経年劣化著しい自民党システム。小沢その他の撹乱要因が相俟って過半数を割り込み、選挙が危ないという危機感から支持を集めた小泉は自民党を決定的に変質させた。過半数というルールそのものに特別な根拠はない。ただし、具体的な誰かの恣意は働いていないところにルールの意義がある。きっかけは誰かの発意であっても、それに反応した人々それぞれに思惑があったとしても(利害でも怨念でも)、さらには偶然的な要因も複雑に絡まりあってルールに参加する者同士のせめぎ合い、すなわち権力闘争が激化していった。過半数確保というルールに従う限り必然的に妥協や取引が行なわれ、時にはだまし討ちや裏切りもある。しかし、それらの力学が合わさると誰にとっても意図した展開にはならないという意味で、ある種の非人格的なダイナミズムが生み出される。その結果として、当事者の思惑とは関係ないレベルで政局が大きく変動していく様子が見えてきた点で私にはこの番組は面白かった。

 “数合せ”というと一般に評判は悪い。しかし、たとえ“数合せ”であっても惰性的な停滞の中からダイナミズムのきっかけを作り得るところに議会制民主主義の面白さがあり、長所がある。どの勢力が過半数をとって政権をにぎるかという点が問題なのであり、政策理念はその副次的な手段に過ぎない。政策理念初めにありきではなく、そんなものは所詮建前のフィクションに過ぎないわけで、むしろ一定の勢力をかき集める旗印として“政策理念”なるものは機能すると捉えることができる。その点で“政治改革”なる抽象語は便利だったし、“郵政民営化”なるスローガンはその意味するところを知らない人々に対してもアピールできたわけである。変化の可能性(それがどのような方向に向かうかはともかく)を常に内在させているところに議会制民主主義の長所があるという意味で、小沢が政権交代可能な対抗勢力を模索してきたことは、それがたとえ泥臭く見えたとしても正当に評価すべきだろう。

 民主党の政策はもともと新自由主義的であったが、小泉と“改革”を競い合って負けた、そこで小沢は対立軸を変えることで反小泉改革の票を集めようとした、という趣旨の話が番組中にあった。政策理念の変更は一般に裏切りと受け止められ、評判は悪い。しかし、対立軸を変えることで“数”のモメントを引き寄せようとする努力は議会のダイナミズムを作り出す上ではむしろ有効である。選挙を通した民意の反映とは言っても、選挙という儀式を通してコンセンサスを仮構して現行体制に正当性の根拠を賦与するフィクションに過ぎない。受け皿が二つ以上あって、政策理念をいつでも入れ替えできるようにしてあれば議会制度のダイナミズムは十分に機能する。例えば、1930年代までアメリカの民主党は共和党よりも保守的とされていたが、フランクリン・D・ローズヴェルトのニューディール連合によってイメージを逆転させたことはよく知られている。政策の対立軸をはっきり打ち出すことで有権者に選択肢を示すべきだという考え方に私ももちろん賛成だが、それ以上に、敢えて違う主張をすること自体に意味がある。似たような政策理念ではダイナミズムが働かないからだ。次は、民主党がちょんぼしたときに備えて、自民党がしっかりと党勢を立て直しておくことが望まれる。

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2009年11月29日 (日)

「NHKスペシャル チャイナ・パワー第二回 巨龍 アフリカを駆ける」

「NHKスペシャル チャイナ・パワー第二回 巨龍 アフリカを駆ける」

 中国の積極的なアフリカ進出。欧米企業も撤退したエチオピアの奥地にまで携帯電話の通信インフラ整備に入り込む中国企業・中興通訊(ZTE)の技術者たち。中国政府のバックアップで民間企業の活動。エチオピア政府は中国の国家開発銀行から融資を受ける→ZTEが受注という構図なのか。

 中国の経済発展により、資源供給不足→国際市場にも大きな影響を与えている。例えば、銅。中国はザンビアと取引。資金繰りの悪化したオーストラリア企業の採掘工場を買収。

 最近、アフリカ問題では白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社、2009年→こちら)、松本仁一『アフリカ・レポート──壊れる国、生きる人々』(岩波新書、2008年)などを読んだが、いずれも中国の進出には目をみはっていた。例えば、事実上国家崩壊の状態にあるソマリアにすら中国人技術者が入り込んでいることが白戸書に記されていた。他方で、現地の人々の間に中国人への反感も強まっているというのも気にかかるところだ。

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2009年11月23日 (月)

陳桂棣・春桃『中国農民調査』『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』、阿古智子『貧者を喰らう国──中国格差社会からの警告』、廖亦武『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』

 昨日、NHKで「チャイナパワー 第一回 “電影革命”の衝撃」をやっていた。中国語圏人口は巨大なだけにマーケティング合戦は熾烈だ。中国の対外的な存在感を示し、国内的には民心を統一するという趣旨から政府もソフトパワー戦略としてテコ入れしているらしいが、言論の自由が保障されていないにもかかわらずソフトパワーといってもどんなものだろう。番組でも、映画製作上のタブーがまだ大きいから大陸には行かないと語る香港の映画監督も登場していた。

 それはともかく、本題へ。

 陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『中国農民調査』(文藝春秋、2005年)は、安徽省でおこった農民たちの集団直訴(上訪・信訪)事件についての取材を通して、中国の農村問題を浮き彫りにしようとしたルポルタージュ作品である。

 中国では都市戸籍と農村戸籍の二元戸籍制が行なわれており、後者から前者への移動は困難である。建国当初は食糧供給確保という目的があったが、労働力を必要とする都市部へ農村出身者が多数流入している現在、彼らの身分は非合法であるため社会保障がない。

 同時に問題なのは、地方における政府・共産党幹部による恣意的な支配がまかり通っている状況である。法的な規定のない負担を無理強いされ、異論を唱えると「態度費」なる罰金が科せられたり、官員を動員して暴力的な圧迫が加えられたりする。農民戸籍に縛られているため逃げるのは難しいし、北京に直訴すれば実態のばれるのを恐れる地方幹部による残忍な報復が待っている。本書も党の地方幹部によるリンチ殺人事件から説き起こされている。問題があっても役人同士でかばい合って隠されてしまう。

 地方幹部は体裁を取り繕った報告のみ中央に上げるため、中央の現状認識が実態から乖離していると指摘される。地方の事情を熟知しているのは地方自身であるという意味で地方自治が大原則であるのはもちろんであるにしても、地方の指導者が恣意的な権力を振るっている場合、それを中央はどのように監督するのか。民意集約の選挙がなされていないばかりでなく、地方・中央の関係不全という問題がうかがえる。また、農業の合理化・近代化という問題も示されている。

 『中国農民調査』が発表されるやいなや、中国国内では大反響を呼び起こした。同様の問題意識を抱えている人々が全国にいるからである。しかし、実名を出された党の地方幹部は著者や出版社を名誉毀損で告訴、さらに本書自体も発禁処分を受けてしまう。陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』(朝日新聞出版、2009年)はその経緯や法廷闘争の記録を通して、中国におけるマスメディアへの圧迫、とりわけ権力者の恫喝によって司法が捻じ曲げられてしまっている実態を描き出している。

 証拠提出の段階から圧倒的に不利。裁判長は原告(党幹部)側に有利な法廷指揮を進める。その裁判長自身も『中国農民調査』を読んで著者たちに内心では同情的だったようだが、行政と司法との権力分立がなされていない体制下において権力機構の末端に連なる者としてはどうにもならない。結局、さらに上のレベルからの圧力で出版社が著者たちには内緒で賠償金を支払ってしまったらしい。政府・党の役人たち自身が法のあり方を理解していないため、いくら法に基づいた異議申し立てを行なっても全く通用しない。建前で何と言おうとも、“法治”の大原則が不在であることが本書を通して告発される。他方で、こうした状況を憂える人々からの励ましの手紙が全国から集まっていることにも注目すべきだろう。

 経済成長著しいが、その中でも格差社会の矛盾が深刻化する中国。阿古智子『貧者を喰らう国──中国格差社会からの警告』(新潮社、2009年)はフィールドワークによって著者自身の目で過酷な現実に直面している人々の焦りや、時には絶望感をもみつめていく。第一章のエイズ村の事例、HIVに感染した女性が周囲から疎外され、陳情しても政府からはねつけられ、犯罪者として捕まってしまった話など本当に悲惨だ。

 戸籍制度のゆがみは農民工のよるべなさや地方・都市の学歴格差などのしわ寄せを生み出しており、これは格差再生産につながりかねない。都市に流入した農民工は言語的・人間関係的にも適応できず、社会保障もない。故郷の農村にいれば親戚や近隣住民との相互扶助も期待できたのかもしれないが、市場経済化によって社会機能が変化する中、農村においても自己中心的な「公徳心のない個人」が目立ちようになってきたという。市場原理による効率化が推奨されても、その前提としての公平なルールが政府によって保証されず、作業分担に必要な信頼がコミュニティーから失われてしまっているという問題が指摘される。

 廖亦武(劉燕子訳)『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』(集広舎、2008年)の著者は詩人。天安門事件後に投獄された経験がある。獄中で出会った和尚から習った蕭を吹いて生計を立てながら、社会的に疎外された人々を訪れ、聞き取った話がまとめられている。刊行後、中国では発禁となったらしい。会話の調子にリズムがあって、ルポルタージュというよりも、むしろダイアローグ形式の戯曲といった印象を持った。ざっくばらんな口調でしかめっつらしい硬さはなく、読んでいて会話の流れに自然に入っていける。

 不良少年に売春婦、老右派に老紅衛兵、没落した企業家に法輪功やチベットの巡礼者、とにかく多種多様な背景を抱えた人々。残酷な運命にうちひしがれた人もいれば、あっけらかんとした売春婦のように猥雑さの中からたくましさすら感じさせる人もいる。北京に直訴に来た農民からは三農問題を聞いている。第Ⅲ部「変転する社会を生きぬいて」は中国現代史の聞き書きとして興味深い。

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2009年11月20日 (金)

アレクサンドラ・ハーニー『中国貧困絶望工場』、レスリー・T・チャン『ファクトリー・ガールズ』

 アレクサンドラ・ハーニー(漆嶋稔訳)『中国貧困絶望工場──「世界の工場」のカラクリ』(日経BP社、2008年)の原題は“The China Price”。中国製品の低価格による競争力は世界経済の中で大きな存在感を示す一方、健康被害や環境問題なども引き起こしていることは周知の通り。経済成長を最優先させる中国自身が払わざるを得なくなっている代償は何かを取材したノンフィクションである。低コスト→安い労働力→苛酷な労働環境という因果関係は邦題からもうかがえるだろう。

 中国の工場は、取引先の外国企業から労働条件等の社会規範遵守を迫られてはいる。しかし、そのまま守ろうとすると、高コスト→競争力は落ちる。だから、双方とも見て見ぬふり。高コスト→価格に反映→それでも海外の消費者は買ってくれるのか? 生活に余裕のある人ならともかく、低価格商品を求めるのは低所得層である。それに、低コストのしわ寄せが国内のことであれば世論の喚起もしやすいが、国境の外である中国のことはなかなか目に見えない。労働問題に取り組む弁護士や待遇改善を進める工場経営者の努力には何とか希望をつなげられそうでも、行く手はなかなか難しそうだ。目先のコスト計算をもとに法の抜け穴をかいくぐろうとする動きが必ず出る。劣悪な労働環境→生産効率の低下や社会不安の増大→長期的には市場にとっても不利、という考え方が中国社会全体のコンセンサスとして定着するかどうかがカギか。

 どんなに苛酷な工場労働であっても、“新しい何か”を都市に求める農村の貧しい若者たちを引き付けてやまない。『中国貧困絶望工場』でも工場から不動産業に転職してチャンスをつかんだ少女の話が出てくるが、たとえ稀ではあってもそうした実例があればこそなおさらだろう。

 Leslie T. Chang, Factory Girls: From Village to City in a Changing China (Spiegel & Grau, 2009)の著者は中国系アメリカ人の女性ジャーナリスト。香港と広州の間に位置する新興工業都市・東莞に住み込み、この地の工場で働く少女たちに密着インタビューしたノンフィクションである。現代中国版「女工哀史」のようなつもりで読み始めたのだが、むしろ不利な条件の中でもポジティヴに生きようとする姿が描かれる。とりわけ二人の女性に的が絞られ、一人からは日記を読ませてもらい、もう一人には春節の里帰りにまで同行している。

 男性に比べて従順で扱いやすいという理由で工場労働の7~8割ほどは女性で占められているという。過去を置き忘れたように目まぐるしく変わり続ける都市部、故郷から離れてツテもない中、頼れるのは自分だけ。成功するにはチャンスをつかめ! 貪欲に、時には失意にうちひしがれて疲れた表情を見せながら、追い立てられるように慌しい彼女たち。スキルをみがき、もっと広い世界を見たいという思いは英語学習熱に表われる。あるいは、マルチ商法に自己啓発セミナー、それから出会い系サイトで結婚相手を探したり。

 里帰りすれば、都市と農村との落差が明らかになる。彼女たちは、家族に会えるのは嬉しくても、退屈な故郷に戻ることなどもはやできない。『中国貧困絶望工場』でも指摘されていたが、出稼ぎ第一世代が生活のため仕方なく都市に出てきたのに対し、現在の第二世代はむしろ自己実現志向が強い。別世界に行ってしまった娘とそれに戸惑う親とのギャップを目の当たりにしながら、著者も自身のルーツに思い当たる。著者の祖父はアメリカ留学経験のある技術者であったが国共内戦の混乱で殺されてしまい、台湾に逃れた祖母は子供たちをアメリカ留学に送り出した。つまり、故郷を離れて新しい生活を築き上げようとした人たちであったという点でイメージを重ね合わせる。他方で、現代史の流れの中で祖父母の世代と比べると、現代のファクトリー・ガールズの個人主義志向の強さも際立つ。良い悪いは別として。

 仕事や人間関係に悩む女の子たちの普段の表情がこまやかに観察されているのが本書の魅力だが、著者がこれまで避けてきた自身のルーツ探しのエピソードも絡められ、そこを通して中国現代史の一端も描かれる。意外と奥行きのある作品で、なかなか読み応えはあった。

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2009年11月 9日 (月)

アダム・ホックシールド『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカにおける強欲、恐怖、そして英雄たちの物語』

Adam Hochschild, King Leopold’s Ghost: A Story of Greed, Terror and Heroism in Colonial Africa, Pan Books, 2006

 虚栄心の強烈なベルギー王・レオポルド2世。大国の君主として振舞いたい彼は、その証しとして植民地が欲しかった。しかし、ベルギー議会は経費がかさむとして消極的である。レオポルドは地理学協会を設立して名士をそろえたほか、アフリカにおけるアラブの奴隷商人を批判、人道的な博愛主義者としての名声を高めようと努める(つまり、文明の福音→植民地の正当性という論理)。時あたかも列強による植民地分割競争が終盤にさしかかっており、レオポルドは焦っていた。

 そうした中、アフリカ探検で名をあげたスタンレー(Henry Morton Stanley)の存在を知る。イギリスで孤児として生まれ、アメリカで育った彼もまた極めて強い上昇志向の持ち主である。行方不明になったリヴィングストンを見つけ出したエピソードは有名だが、ジャーナリストとして出発したスタンレーは探検というイベントをいかに自己アピールに利用するかに腐心する巧みな演出家であった。

 レオポルドはスタンレーに接触して彼にコンゴでの領土拡張をまかせ、権謀術数を駆使して1885年のベルリン会議で列強にも認知させた。こうして虚栄心の強い二人によってでっち上げられたのが「コンゴ自由国」(Congo Free State, État indépendant du Congo)である。コンゴ国際協会の管轄という建前だが、実質的にはレオポルドの私有地という特異な植民地であった。

 当初は象牙が、後にはゴムがレオポルドの懐に莫大な富をもたらした。ところで、ゴムの樹液集めに原住民を動員するのだが、なかなか効率的に進まない。そこで、chicotteというムチに象徴される強制労働が実施された。“文明”なる偽善の裏にあった実態は残虐である。ベルギーの公安軍(Force Publique)は原住民の女性、子供、古老を人質にして、男たちに樹液集めを強制した。それでも言うことを聞かない村は見せしめのため焼き討ち、皆殺しにしてしまう。白人は現地で徴発した黒人兵に対して武器弾薬を支給するにも、くすねるのではないか、と猜疑心を持っており、一発ごとに証拠を要求した。どんな証拠か? ──殺した相手の右手である。エスカレートして、報酬目当てに生きている人間から右手を切り取るなどということも横行した。個別の殺戮ばかりでなく、構造的な収奪システムからもたらされた飢餓や疫病による死者は数え切れないほど膨大な数にのぼる。

 コンゴの惨状を最初に告発したのはアメリカの黒人でジャーナリスト・法律家・牧師であったジョージ・ワシントン・ウィリアムズ(George Washington Williams)である。黒人の新天地を求めてコンゴを訪れた彼だが、そのあまりに非人道的なあり様を目撃して、レオポルドへの公開書簡を公表。しかし、黒人への偏見のゆえであろう、注目を浴びることはなかった。ウィリアムズは失意のうちに早死にする。

 レオポルド批判の国際世論を巻き起こすのに大きな役割を果たしたのは、イギリス人・フランス人のハーフであったエドマンド・モレル(Edmund Dene Morel)とアイルランド人のロジャー・ケースメント(Roger Casement)である。モレルはコンゴ自由国の特許会社に勤めていたが、コンゴの実態を知って驚愕し、以後この問題に生涯をかけることになる。ちょうど同じ頃、イギリスのコンゴ駐在領事だったケースメントも現地をじかに歩いて実態を調査、本国に向けて報告し続けていた。モレルはケースメントと連絡を取り合いながらジャーナリズムや政治家に働きかけて、イギリス下院でコンゴ問題の調査を要求する決議が通った。レオポルドもロビー活動やマスコミの買収などで反撃に出たが、アメリカ国務省のコンゴ問題担当官に賄賂が渡っていたことが暴露され、その担当官は辞任、ルート国務長官はベルギーに圧力をかける方針を表明した。ベルギー議会も自国の国際的評判が落ちてしまうことに気をとがらせており、1908年、レオポルドはコンゴをベルギー政府に売却することに同意する。翌1909年にレオポルドは死去。彼の浪費癖は知れ渡っており、ベルギー国内でも悲しむ人はほとんどいなかったという。

 モレルの目的が必ずしも達成されたわけではないが、レオポルド個人の恣意的な収奪に比べれば、政府管理の方がまだ改善は期待できると考えた。しかしながら、植民地の実際はほとんど変わらなかったようである。両大戦で資源が必要とされたため強制労働はなくならなかったし、戦後も独立後も、世界経済に組み込まれた中で資源が一方的に流出する構造は続いた。長年にわたって独裁者として君臨したモブツの所業はレオポルドとほとんど同じであったことが指摘される。“レオポルドの亡霊”による呪縛はなかなか消えなかった。

 戦後、コンゴ(ザイール)に駐在したベルギー人外交官が、現地紙に掲載されたベルギーの植民地支配を糾弾する記事に反論しようと考えたのをきっかけに歴史を調べ始めたところ、自分が植民地支配の実際を知らなかったことに気づき愕然としたという話が印象的だ。勤務先である外務省保管の文書にアクセスしようにも拒否されたという。このような歴史の忘却というのも本書のテーマである。アフリカの無名の人々を描きたくても資料が存在しないためできなかったというもどかしさも著者はもらしている。

 そもそも、なぜコンゴだったのか? モレルやケースメントたちが活躍した時代においてベルギーは小国であり、イギリス・アメリカなどの一般大衆にとって“ヒューマニズム”あふれる正義感をぶつけるのに恰好な標的だったからではないのか?という疑問も本書では呈する。イギリスもアメリカも苛酷な植民地支配に手を染めていたにもかかわらず。

 本書を読みながら、ケースメントという人物に興味がひかれた。大英帝国の外交官だが、アイルランド人であるため不遇であった。コンゴ駐在領事の時の活躍は本書のハイライトの一つだが(この時にジョゼフ・コンラッドと知り合った)、その後、ブラジルに赴任、今度はプトゥマヨ(Putumayo)川流域での原住民迫害について憤りを込めて本国へ打電する。コンゴ、プトゥマヨと惨状を目の当たりにしているうちに、他ならぬ彼自身の故国アイルランドもまたイギリスの植民地下に置かれていることへの自覚を改めて強めた。白人か黒人かを問わず、被圧迫者として同列に捉える考え方は人種主義観念が強かった当時としては極めて稀なことであったろう。コンゴ問題の活躍が認められてナイトに叙されたものの、1913年に職を辞してからはアイルランド独立運動に身を投じる。義勇軍を組織し、翌1914年に第一次世界大戦が勃発すると、アイルランド独立の約束を期待してドイツへ行き、武器調達のうえアイルランドへ戻ったところを逮捕された(アイルランドで戦うのが無理ならばエジプトへ行って戦うべきだとも考えていたらしい)。叛逆罪に問われ、1916年に処刑される。同情の声もあがったが、政府は彼がホモセクシュアルであることを意図的に暴露、当時にあってその不名誉は致命的だったようである。

 ケースメントの盟友だったモレルは対照的である。モレルは戦時下にあって、「これは自衛の戦争ではなく、秘密外交がもたらした無用の戦争である」と主張して反戦運動を展開、政府から弾圧を受けて投獄された。ウィルソンの14か条からもわかるように彼の主張が正しかったことが証明されて戦後は一躍脚光を浴び、労働党から下院議員選挙に出馬、対立候補のウィンストン・チャーチルを破って当選した。マクドナルド内閣の外相になるのではないかとも言われたが、無理がたたって体をこわしており、1924年に51歳で世を去る。

 本書の初版は1999年。アフリカ問題や植民地問題でよく言及される割に日本語訳はない。人物群像などもきちんと描きこまれていて歴史ノンフィクションとして読み応え十分だと思うのだが、アフリカ問題の本は日本では売れないからだろう。

 ちなみに、著者の名前にどこかで見覚えがあるなあと思っていたら、感情社会学のアーリー・R・ホックシールドは夫人らしい。『管理される心―─感情が商品になるとき』(石川准・室伏亜希訳、世界思想社、2000年)も実は本棚にあるのだが、まだ読んでいない。

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2009年10月31日 (土)

城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』、森功『許永中──日本の闇を背負い続けた男』

城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』(新潮社、2009年)

 戦後間もなくの暴力団抗争や朝鮮総連と民団との対立といった話題の中で東声会の名前をよく見かけ、気になっていたので本書を手に取った。町井久之こと鄭建永(1923~2002年)の生涯を通して描かれた戦後日韓関係の裏面史である。力道山、児玉誉士夫、朴正熙政権をはじめ様々な人脈関係が見えてくるのが興味深い。

 冒頭、町井の書斎のシーンから始まるが、哲学や美術に関心を寄せる彼の内面と暴力団の親玉という世間的なイメージとのギャップが印象に残る。本当は画家になりたかったが、成り行きから“任侠”の世界に飛び込まざるを得なかったという。東声会は朝鮮総連への対抗上、東洋倫理思想を基盤に反共を旗印とした政治運動のつもりで組織したらしいが、武闘抗争で頭角をあらわすにつれて暴力団として一般に認知されてしまった。

 町井の関連企業や団体に“東亜”という言葉が入っているのが目を引く。彼は若い頃、石原莞爾の東亜連盟に共鳴していた。東亜連盟は各民族の政治的自治と対等な協力関係をスローガンとして掲げていたため朝鮮人にも信奉者が多かったことは阿部博行『石原莞爾』(法政大学出版局、2005年→こちら)で知った(町井に東亜連盟の思想を伝えた曺寧柱は、極真空手の大山倍達に空手の手ほどきをしたことでも知られている。大山も東亜連盟に参加していた)。現在の視点からは東亜連盟を全面的に肯定するのは難しいかもしれない。しかし、日本では差別を受けながらも日本名を名乗って生きざるを得なかった一方で、韓国への愛国心を両立させるという矛盾、そこに何とか一つの納得を与えようとする町井たちの葛藤の受け皿となっていた点については再考の余地があるようにも思われる。

森功『許永中──日本の闇を背負い続けた男』(新潮社、2008年)

 本書の大半では戦後日本における政財界の裏人脈が細かに描写される。その中で、差別、スラムといった生い立ちの原風景を起点に、チンピラから身を立てのし上がっていく許永中(1947年、大阪生まれ)の軌跡をたどる。正規のルートでは出世などおぼつかず、裏社会に活動の舞台を求めねばならなかったわけだが、「俺は悪漢ではあっても詐欺師ではない!」という彼のプライドが目を引く。許は町井久之にあこがれていたのではないかという指摘もあった。“日韓の架け橋”を夢見て、日韓間に就航するフェリー会社の社長になろうとしたあたりには町井と共通したこだわりも見出される。

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2009年10月25日 (日)

山岡淳一郎『田中角栄 封じられた資源戦略──石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』

山岡淳一郎『田中角栄 封じられた資源戦略──石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』(草思社、2009年)

 田中角栄といえば、「日本列島改造論」及びその裏面としての土建屋政治、外交面では日中国交正常化の印象が強い。対して、本書が注目するテーマは資源外交である。若き日の角栄が理化学研究所の大河内正敏と接点があったというのは意外だった。大河内の「農村の機械工業化論」が角栄の「日本列島改造論」の源流となっているらしい。角栄は理研の科学者たちの議論を横目にしながら開発主義的な感覚を身に付けた。本書では、角栄の基本的な発想としての「モノと生活」、それを支えるにエネルギー資源の確保という考え方を縦軸に据え、彼が直面せざるを得なかった国際政治が横軸に据えられる。田中角栄を外交史の観点から捉え返していくのは非常に興味深いテーマだと思う。

 石油をめぐっては親アラブに舵を切った。原子力エネルギーをめぐってはフランス・西ドイツ等のヨーロッパ勢と手を組もうとする。こうした角栄の独自外交はアメリカの癇に障る行動であった。アメリカの政権中枢と直結していた岸信介・佐藤栄作らとは異なり、角栄はキッシンジャーと正面きってわたり合う。しかしながら、資源戦略は安全保障政策と密接な関わりを持つ以上、日本はどうしても難しい立場に置かれてしまう。アメリカ側の反撃に抗しきれず、憔悴していく角栄の姿が痛々しい。アメリカは核不拡散という大義名分を掲げてヨーロッパ勢が行なおうとしていた原子力施設の売込みに抑制をかけようとするが、他方で、それは一部の国への核の集中を意味してしまうという矛盾も指摘される。

 本書とは直接には関係ない話になるが、戦争体験と戦後の高度経済成長との精神史的なつながりを浮き彫りにしてくれるようなテーマはないかという関心がある。もちろん、1940年体制とか、旧満州国における産業政策が戦後に生かされたといった議論はある。そうした政策構想上の連続性にも興味はあるが、もっと精神史的なレベルと言ったらいいのか。例えば、佐野眞一『カリスマ』で示された、不条理を嘗め尽くした戦場体験がダイエー・中内功の原点になったという視点を思い浮かべている。田中角栄も含めて、そういう感じのコンテクストで捉えられるテーマはないものか、と。漠然としたイメージしかないので、どう表現したらいいのか難しいのだが。

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