カテゴリー「ノンフィクション・ドキュメンタリー」の143件の記事
2019年2月 4日 (月)
2019年2月 2日 (土)
髙橋大輔『漂流の島──江戸時代の鳥島漂流民たちを追う』
2018年2月20日 (火)
チャイナ・ミエヴィル『オクトーバー──物語ロシア革命』
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2018年2月14日 (水)
佐古忠彦『「米軍が恐れた不屈の男」──瀬長亀次郎の生涯』
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2018年2月13日 (火)
稲葉佳子・青池憲司『台湾人の歌舞伎町──新宿、もうひとつの戦後史』
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2016年5月15日 (日)
中川右介『戦争交響楽──音楽家たちの第二次世界大戦』
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2016年5月 9日 (月)
【映画】「灣生畫家 立石鐵臣」
1941年7月、太平洋戦争の勃発が間近に迫った時期、台北で『民俗台湾』という雑誌が創刊された。1937年には日中戦争が始まって戦時体制が強まりつつあり、台湾では「皇民化運動」が展開されていた。「日本人」として皇国に心身ともに捧げることが当然視された時代状況下、台湾の民俗文化の記録・保存を目的とした雑誌の存在は、それだけでも当局から睨まれてもおかしくなかった。雑誌の刊行を継続することがまずは至上命題。検閲の目を逃れるためには時に国策に迎合する言辞もちりばめなければいけなかったが、いずれにせよ、日本人であるか台湾人であるかを問わず、台湾の文化や歴史に愛着を持つ人々が手探りしながら協力し合って、このささやかな雑誌は1945年1月号まで続いた。
『民俗台湾』をひもとくと、「台湾民俗図絵」をはじめとしたイラストがひときわ目を引く。的確に対象を捉えつつ、ぬくもりがあって、時にユーモラスなこれらのカットを描いたのは、台湾生まれの日本人画家・立石鐵臣。台湾生まれの日本人のことを「湾生」という。
立石鐵臣は1905年、台北に生まれた。父の転勤に伴って日本へ帰国。絵画には早くから興味を持ち、才能を示していた鐵臣は国画会に入選するなど若手画家としてのキャリアを着実に積んでいた。1934年、台湾へ戻る。生まれ故郷・台湾の風光を描きたかったからだ。「ちょっと台湾へ行ってきます」というさり気ない言い方が、いかにも彼のパーソナリティーを彷彿とさせる。
立石は1934年に台湾人を中心に設立された台陽美術協会の創立メンバーになった。台北放送局に勤務していた兄・立石成孚の家に寄寓し、台北帝国大学の生物学者・素木得一の研究室で標本画を描く仕事をしながら、細密画の描法を自ら会得する。また、台北の文壇で勢力を持っていた作家・西川満に頼まれてイラストや装幀も手掛けるようになり、そうした中で後の『民俗台湾』同人たちとも知り合った。
1945年、日本の敗戦により、台湾は中華民国に接収された。日本人は原則的に日本へ送還されることになっていたが、特殊技能を持つ日本人はしばらく留め置かれた。これを「留用」という。立石も「留用」されて台湾省編訳館に勤務する。ここでは日本統治時代に蓄積された学術的成果を整理・翻訳する作業が行われていた。編訳館には魯迅の親友だった許壽裳など日本留学経験のある開明的な中国知識人が派遣されてきており、彼らは「留用」された日本人にも誠意をもって接してくれたという。私個人としては、こうした形で日本人、台湾人、中国人が協力し合う時期が束の間なりともあったということに関心が引かれているが、1947年の二二八事件等によって時代状況は瞬く間に険悪化していく。編訳館は閉鎖され、許壽裳は暗殺されてしまった。編訳館の閉鎖後、鐵臣は「留用」された日本人の子弟が預けられていた小学校の教員をして、生徒から慕われていたらしい。1948年、最後の引揚船に乗って基隆を離れるとき、埠頭には見送りの台湾人がたくさん集まっていて、「蛍の光」が聞こえてきたという。
日本へ帰国して以降、彼の画風は抽象的なものになっていく。例えば、眼球が宙に浮いているような「虚空」(1950年)──もともとのタイトルは「孤独」だったという。彼が見ていた心象風景はどのような経過をたどって変化したのだろうか。台湾体験は戦後の彼の軌跡にどのような影響をもたらしたのだろうか──。藤田監督は上映後のスピーチの際、初期の画風と戦後の画風との際立った違いが気にかかり、その中間に位置する台湾時代を探ってみたいと思った、という趣旨のことを語っておられた。立石は自らのことについて直接的に語ることは少なく、絵画を通して語っている。そして、残念ながら、台湾時代に描いた作品の多くは台湾に残してきて、そのまま行方不明になっている。明確な答えはなかなか見えてこないが、むしろ観客一人一人が彼の軌跡がはらんだ意味を考えて行く上で、このドキュメンタリー作品は貴重な手がかりを示してくれている。
立石が描いた「台湾民俗図絵」のカットは、現在の台湾でも、例えば小物のデザインなど、ふとしたところで見かけることがある。利用した台湾人自身も、その来歴を知らないのかもしれない。また、戦後、日本へ戻った立石は生計を立てるため図鑑や教科書のイラストもたくさん描いており、我々も気づかないところで、実は立石の絵を見ていた可能性は高い。世に知られようと知られまいと、そんなことには頓着せず、立石はとにかく絵を描き続けていた。
台湾人からすれば、日本統治時代の台湾史は最近まで学校で教えられることがなく、ある意味、足元のことなのに未知の世界も同然であった。また、日本人からすれば、日本統治時代の台湾は、日本と密接な関係があったにもかかわらず、現在は外国であるがゆえになかなか知る機会がなく、これもまた別の意味で未知の世界である。この「湾生画家 立石鐵臣」というドキュメンタリー作品は、日本人の藤田修平監督、台湾人の郭亮吟監督という二人によって共同制作されており、日本人と台湾人、それぞれ異なる探求の視点がうまくかみ合いながら、立石鐵臣という一人の画家を通して日台関係のある一面も見えてくる。私自身も台湾現代史の勉強を続ける上で色々な示唆を受けており、もっと多くの方に観ていただけるよう上映機会が増えることを願いたい。
作品中には立石鐵臣のご家族や、『民俗台湾』の立役者であった池田敏雄夫人の黄鳳姿さんなどの貴重な証言が含まれている。『民俗台湾』の印刷を請け負っていた、やはり湾生の岡部茂さんや、考古学者の宋文薫さんは今年、惜しくも相次いでお亡くなりになってしまった。謹んでご冥福をお祈りしたい。
また、5月21日から東京・府中市美術館にて「麗しき故郷「台湾」に捧ぐ──立石鐡臣展」も開催される。
(2016年5月7日、「台灣國際紀錄片影展」、台北・光點華山電影にて)
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2014年12月17日 (水)
港千尋『革命のつくり方 台湾ひまわり運動──対抗運動の創造性』
台湾を専門とする別館ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」の方で港千尋『革命のつくり方 台湾ひまわり運動──対抗運動の創造性』(インスクリプト、2014年)を取り上げました(→こちら)。著者の問題意識について私は好意的ではあります。ただし、本書では著者の問題意識ばかり先走ってしまって、必ずしも台湾の内在的事情を踏まえて書かれているわけではなく、そうした点は注意しながら読み必要があると思います。
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2014年9月17日 (水)
一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』
一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』(新潮社、2014年)
台湾に来た日本人がまず訪れる都市は台北であろう。台北では再開発が進んで高層ビルが林立し、ショッピング・モールなど歩けば自分がいま台北にいるのか、東京にいるのか、ふと分からなくなるほどだ。街並みはきれいになったし、便利にもなった。だが、それに伴って台湾らしい風情を感じる機会も少なくなってきている。
1970年代に幼少期を台北で過ごした著者もこうした変貌に少なからず戸惑いを感じているようだ。幼き日々の記憶に刻み込まれていたあの懐かしい光景はどこへ行ったのだろう? そうした思いを抱えていた時にたどり着いた街──それが台南だった。
そもそも歴史をひもとけば、台南にいた先住民族であるシラヤ族の言葉で「タイアン」といったのが「台湾」の語源とされている。オランダ東インド会社が城塞を築き、それを奪取した鄭成功が拠点を置き、清代末期に行政の中心が台北へ移動するまで、ここ台南こそが台湾の首都であった。開発が遅れていることもあって、台南の街中では古いたたずまいがそこかしこに残っている。台湾の歴史が、それこそ地層のように積み重なっている様子を見出せるのが台南という都市の大きな特色である。台南を見に来なければ台湾の歴史は理解できないと言っても決して過言ではない。
実はいま台湾人の間でも台南ブームが巻き起こっている。台南をテーマとした本が次々と刊行されて話題となり、多くの観光客が訪れ、台北など大都市で働いていた台南出身者のUターンも増えているらしい。せわしない都市生活に疲れた人々がある種のノスタルジーにぬくもりを求めているのかもしれないし、あるいは台湾人アイデンティティーの確立が歴史的ルーツとしての台南への関心を高めていることも考えられる。いずれにせよ、日本での本書の刊行もこうした背景を踏まえれば実にタイムリーだ。
観光客なら見逃せない台南グルメ。台南を通して見えてくる台湾の歴史や文化。そして台南と関わりのあった日本人。様々な話題がやわらかい筆致で描き出されている。観光ガイドのようにきれいごとではなく、時に素直な感想をつづっているところが面白い。例えば、台南人のソウルフード、サバヒー(虱目魚)のこと。サバヒー粥は台南人の朝食の定番だが、実は私自身もサバヒーはちょっと苦手。観光ガイドブックならそんなこと書かずに適当にお茶を濁すところだが、味覚に合わないものは仕方がない。ただ、それはけなすということではない。むしろ、「なぜ台南人はサバヒーが好きなんだろう?」と相手の好みを理解したいと努力する姿勢に好感が持てる。
台南の魅力を再発見するため通い続ける中で著者は様々な人々と出会っている。例えば、一見強面だが親身に世話を焼いてくれるビンロウ売りの楊さん。カラスミ職人の阿祥のこだわりも印象的だ。そうしたエピソードの一つ一つが織り込まれることで、あたかも台南を舞台とした人情こまやかな物語が紡ぎだされているかのようだ。
※「ふぉるもさん・ぷろむなあど」より転載。
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2014年6月 2日 (月)
野嶋剛『ラスト・バタリオン──蒋介石と日本軍人たち』
野嶋剛『ラスト・バタリオン──蒋介石と日本軍人たち』(講談社、2014年)
中国や台湾は言うに及ばず、日本にとっても深い因縁を持つ歴史上のキーパーソン・蒋介石。東アジアの激動をある意味一身で体現しているかのように、彼の評価もまた変転著しい。権威主義体制時代の台湾では文字通り神格化されていたが、民進党の陳水扁政権が誕生すると、脱蒋介石化が急速に進められた。他方、それまで彼を「人民の敵」としてきた大陸の方ではむしろ蒋介石研究が一つのブームになるという逆転現象も起きている。彼をどのように評価するかはともかく、まだまだ論じ尽されていないテーマであることは確かだ。
蒋介石は常に自己修錬を課すストイックな性格だったのか、あるいは粘着質的とでも言うべきか、激務の合間を縫って毎日欠かさず日記をつけていた。彼の判断が歴史の局面を大きく動かしたことすらあった点を考えると非常に興味深い史料である。民進党政権の誕生によって破棄されることを恐れた遺族の一人が蒋介石日記をスタンフォード大学フーバー研究所に預けており、それが2006年から公開され始めたことは、東アジアの現代史を考え直す上で大きな刺激となった。
蒋介石日記を閲覧した著者は、1948年の後半から「白団」に関わる記述が繰り返し見られることに注目した。蒋介石の対日観を検討する上で「白団」は重要な切り口となるのではないか──そう確信した著者は7年越しの取材の成果を本書にまとめ上げている。
国共内戦に敗れて台湾へ撤退した国民政府軍は惨憺たる状態にあった。共産党がいつ台湾海峡を渡って押し寄せてくるか分からないし、アメリカも彼らを見捨てようとしている。そうした危機感の中、蒋介石は軍の再建を図るが、彼が痛感していたのは軍事教育の欠如である。日本留学経験のある蒋介石はもともと日本軍の能力を高く評価しており、軍事教育の部分で日本軍人の助けを借りようとした。
かつて支那派遣軍総司令官として戦った当の相手である岡村寧次を通じて日本軍人のリクルーティングが進められ、彼らは「反共」の大義名分の下、秘密裡に台湾へと渡った。1949年から68年にかけての約20年間、最大で76名の日本軍人が教官を務めた。現地でトップとなった富田直亮(陸軍少将)の中国名・白鴻亮にちなんで「白団」と呼ばれる。かつての敵軍に教えを乞うという皮肉に国民政府内でも反対意見があったが、蒋介石はそうした不満を抑え込み、自らも積極的に授業へ出席した。蒋介石日記には麾下の将軍たちについての言及はほとんど見られないが、富田をはじめ「白団」将官との面会については頻繁に書き留められており、それだけ深い信頼を寄せていたことが分かる。
蒋介石は1952年からアメリカの軍事顧問団も受け入れていたが、それは技術的な部分にとどめられていた。「白団」に対するアメリカ側のクレームをはねつけ、軍幹部の精神教育の部分については「白団」に委ねていたあたり、蒋介石の独特な思い入れが窺える。「敵」でありつつも、「日中連携」を図る──こうした逆説から、彼の心中における「愛憎」半ばした葛藤がしばしば指摘される。これに対して著者は、蒋介石の対日観について「受容と克服」、つまり中華民族復興という目的に向けて近代化の成果を日本から吸収する、そうした彼の割り切った態度を指摘している。
国民政府軍の上層幹部には「白団」の指導を受けた者が多数いるはずだが、彼らはそのことを語りたがらない。軍幹部は主に国民党と共に来台した外省人によって占められていた。彼らにとって日本は旧敵であるが、国民党に反感を抱く台湾人はそうした日本にむしろ好意を寄せる。このような日中台の複雑な三角関係は時に悲劇を生んだ。台湾人として生まれ、国民政府軍に入隊して「白団」の指導を受け、その縁で日本の自衛隊へ留学した楊鴻儒は、1971年にスパイ容疑で逮捕されて緑島へ送られ、不遇な一生を送ることになってしまう。知日派への見せしめであったと考えられる。
戦後の日本社会に居場所を失ってしまった旧軍人にとって、「白団」として台湾へ赴任することは、自らの能力を生かしてやりがいやプライドを満たせる恰好な舞台であった。他方で、彼らとて人間である。「反共」のための「日中連携」、蒋介石の「以徳報怨」へのご恩返しといった建前だけで生きていたわけではない。「白団」の一員であった戸梶金次郎の日記からは「白団」の面々の「人間くさい」部分が垣間見える。東アジア近代の複雑な諸局面を「白団」に注目する観点から整理して語りつつ、同時にその中で生きざるを得なかった等身大の人間群像もできるだけ描き出しているところは読みごたえがある。
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- 中川右介『国家と音楽家』 2013.12.09
- 与那原恵『首里城への坂道――鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』 2013.10.22
- 【映画】「台湾アイデンティティー」 2013.07.15
- 駒村吉重『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』 2013.07.14
- 李学俊(澤田克己訳)『天国の国境を越える──命懸けで脱北者を追い続けた1700日』 2013.07.07
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- 鬼頭春樹『実録 相沢事件──二・二六への導火線』 2013.06.15
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- 舟越美夏『人はなぜ人を殺したのか──ポル・ポト派、語る』 2013.03.05
- 沢木耕太郎『キャパの十字架』 2013.02.20
- 【映画】「空を拓く~建築家・郭茂林という男」 2012.10.25
- ロメオ・ダレール『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』 2012.09.17
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- 龍應台『台湾海峡 一九四九』 2012.06.22
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- ポール・ミドラー『だまされて。 涙のメイド・イン・チャイナ』 2012.05.29
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- キャロル・オフ『チョコレートの真実』 2012.04.04
- 吉村昭『海の史劇』 2011.12.13
- 姜信子『棄郷ノート』 2011.11.30
- 山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』 2011.11.07
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- 【映画】「選挙」 2011.09.04
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- ピーター・へスラー『疾走中国──変わりゆく都市と農村』 2011.07.21
- 喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』 2011.07.03
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- 【映画】「アトムの足音が聞こえる」 2011.06.12
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- 中田整一『トレイシー──日本兵捕虜秘密尋問所』 2010.09.15
- 小林照幸『毒蛇』 2010.08.25
- 小林照幸『ひめゆり──沖縄からのメッセージ』 2010.08.23
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- 安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』 2010.07.02
- 「プロジェクトJAPAN シリーズ日本と朝鮮半島 第3回 戦争に動員された人々~皇民化政策の時代~」 2010.06.20
- 「プロジェクトJAPAN シリーズ 日本と朝鮮半島 第2回 三・一独立運動と“親日派”」 2010.05.19
- 酒井充子『台湾人生』 2010.04.28
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- 中薗英助『何日君再来物語』 2010.03.15
- ヴィクター・セベスチェン『東欧革命1989──ソ連帝国の崩壊』 2010.03.08
- 山崎朋子『朝陽門外の虹──崇貞女学校の人びと』 2010.03.07
- 田中奈美『北京陳情村』 2010.03.07
- ティモシー・ライバック『ヒトラーの秘密図書館』 2010.02.21
- 上原善広『日本の路地を旅する』 2010.02.08
- 佐藤千歳『インターネットと中国共産党──「人民網」体験記』 2010.02.07
- スティーヴン・キンザー『政権転覆:ハワイからイラクまで「体制転換」のアメリカ百年史』 2010.02.04
- 「牛の鈴音」 2009.12.26
- ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命1956』 2009.12.14
- 「チャイナ・パワー 第3回 膨張する中国マネー」 2009.12.13
- 「泣きながら生きて」 2009.12.12
- 「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」 2009.12.03
- 「NHKスペシャル チャイナ・パワー第二回 巨龍 アフリカを駆ける」 2009.11.29
- 陳桂棣・春桃『中国農民調査』『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』、阿古智子『貧者を喰らう国──中国格差社会からの警告』、廖亦武『中国低層訪談録―インタビューどん底の世界』 2009.11.23
- アレクサンドラ・ハーニー『中国貧困絶望工場』、レスリー・T・チャン『ファクトリー・ガールズ』 2009.11.20
- アダム・ホックシールド『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカにおける強欲、恐怖、そして英雄たちの物語』 2009.11.09
- 城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』、森功『許永中──日本の闇を背負い続けた男』 2009.10.31
- 山岡淳一郎『田中角栄 封じられた資源戦略──石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』 2009.10.25
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- 有馬哲夫『アレン・ダレス──原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』 2009.08.26
- 佐野眞一『小泉政権──非情の歳月』『凡宰伝』『新 忘れられた日本人』、他 2009.08.25
- ETV特集「シリーズ戦争とラジオ(2) 日米電波戦争」 2009.08.23
- 「宇宙へ。」 2009.08.22
- NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言 第二回:特攻 やましき沈黙」 2009.08.10
- NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言:第一回 開戦 海軍あって国家なし」、ETV特集「カルテだけが遺された~毒ガス被害と向き合った医師の戦い~」 2009.08.09
- 「台湾人生」 2009.08.09
- 白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』 2009.08.06
- 「意志の勝利」 2009.08.03
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- 佐藤幹夫『自閉症裁判──レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』『裁かれた罪 裁けなかった「こころ」──17歳の自閉症裁判』 2009.07.14
- 山本譲司『獄窓記』、他 2009.07.11
- 奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』、高木凛『沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子』 2009.05.15
- 佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』 2009.04.30
- デイヴィッド・リーフ『死の海を泳いで──スーザン・ソンタグ最期の日々』 2009.04.12
- イアン・ブルマ『アムステルダムの殺人:リベラルなヨーロッパ、イスラム、そして寛容の限界』 2009.04.03
- ピーター・ブロック『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』 2009.03.29
- エドウィン・ブラック『IBMとホロコースト──ナチスと手を結んだ大企業』 2009.03.28
- ジャクリーン・ノヴォグラッツ『青いセーター:つながっている世界で貧富の格差の懸け橋となる』 2009.03.16
- ニコラス・グリフィン『コーカサス:キリスト教とイスラム教の狭間への旅』 2009.03.06
- モンテ・メルコニアン──ある“アルメニア系アメリカ人”の軌跡 2009.02.28
- トム・レイス『オリエンタリスト』 2009.02.14
- 池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』 2008.12.05
- 「帝国オーケストラ」 2008.12.03
- 炭鉱がらみで色々と 2008.11.04
- 髙山文彦『孤児たちの城──ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』 2008.10.04
- 平松剛『磯崎新の「都庁」──戦後日本最大のコンペ』『光の教会──安藤忠雄の現場』 2008.08.30
- 「敵こそ、我が友──戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」 2008.08.11
- ロバート・ゲスト『アフリカ 苦悩する大陸』 2008.05.24
- ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』 2008.05.13
- ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』 2008.05.07
- 田月仙『禁じられた歌──朝鮮半島 音楽百年史』 2008.03.25
- 秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』シリーズ 2008.03.16
- 「アース」 2008.02.03
- 「風を聴く~台湾・九份物語~」 2007.10.25
- 「十二人の写真家」 2007.10.20
- 与那原恵『街を泳ぐ、海を歩く』 2007.10.08
- 「ヒロシマナガサキ」 2007.08.16
- 森達也『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』 2007.07.26
- 「A」「A2」 2007.07.22
- 与那原恵『美麗島まで』 2007.06.10
- 「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」 2007.04.30
- 佐藤優『自壊する帝国』 2007.04.18
- 「不都合な真実」 2007.04.01
- 佐野眞一『私の体験的ノンフィクション術』 2007.02.06
- 山本譲司『累犯障害者』 2007.01.28
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