カテゴリー「哲学・思想」の61件の記事

2009年12月18日 (金)

マイケル・オークショット『政治における合理主義』

マイケル・オークショット(嶋津格・森村進他訳)『政治における合理主義』(勁草書房、1988年)

 言葉というのは実に難しいもので、表面的にはどんなに正しいように聞こえる主張であっても、理念として整合性をもって定式化されたとき、「確かにそうかもしれないけど、どこか変だ」と理屈とは異なる皮膚感覚レベルで違和感を覚えることがある。正義の理念であればあるほど、生身の感覚を万力でキリキリ締め上げていくような知的暴力。そうした違和感を自覚化することで進歩主義の不自然さを浮き彫りにしていくのが政治思想としての保守主義である。

 “伝統”とか“常識=コモンセンス”とかいうキーワードを出すと色々と誤解もされかねないが、要するに、自分自身の内面を振り返ってみて不自然でなく、しっくりくる感覚に基づいて考えれば、おおむね間違いは回避できる。仮に間違ったとしても、そのことを指摘されたら柔軟に修正できる。そうした積み重ねによって一歩一歩事態を改善していこうという考え方である。不自然に遊離した目的合理的な思考体系では、こうあらねばならないという目的意識=“べき”論が硬直化して修正がきかない。従って、ますます間違いを重ねてしまう。保守主義の要諦は皮膚感覚に根ざした懐疑と試行錯誤にあり、そのエッセンスが結晶した暗黙的な智慧を“伝統”と呼ぶ。

 もう一言付け加えると、自称保守、自称民族派というのも“伝統”なるものを皮膚感覚から切り離して説教くさい理念に硬化させてしまっている点で、いわゆる新自由主義も“自由”なるものを原理原則に硬化させてしまっている点で、いずれも実は他ならぬ進歩主義者と同様の誤謬に陥っていると私には思われる。過去、現在、そして未来にわたって試行錯誤の継続的な渦中にあって理念的なものは常に相対化されていく、そうした意味での歴史的視点から現在の自身の位置を探っていくのがポイントである。

・本書にはイギリス保守主義の政治哲学者マイケル・オークショット(Michael Joseph Oakeshott、1901~1990年)の論文10編が収録されている。表題論文「政治における合理主義」では、“理性”優位の政治思潮としての“合理主義”を次のように捉えて批判する。

(合理主義者は)「あらゆる場合における精神の独立、つまり「理性」の権威を除く他のいかなる権威に対する責務からも自由な思考、を唱導する。」「彼は経験を看過するわけではないが、それが彼自身の経験でなければならないと主張する(そしてすべてを新たに始めるよう求める)ために、また、入り組んだ多様な経験の一群を原理に還元し、」「彼には経験の蓄積という感覚がなく、経験が一つの定式に転換されている場合にそれを受け入れる用意があるに過ぎない。」「彼の知的過程は、可能な限りあらゆる外からの影響から絶縁されて、真空の中で進行するのである。彼の社会の伝統的知から自分を切り離し、分析の技術以上の教育はすべてその価値を否定したことで彼は、人間に対して人生のあらゆる危機についての必然的無経験を帰す傾向があり、」「ほとんど詩的ともいうべき幻想によって、彼は毎日をあたかもそれが彼の最初の日であるかのようにして暮らすことに努め、習慣を形成することは堕落だと信じている。」(2~5ページ)
「合理主義者にとって存在しているというだけでは(そして明らかに何世代にもわたってそれが存在してきたということからは)何物も価値を有しない。親しみに価値はなく、何事も、精査を受けずに存続すべきではないのである。こうしてその性向のため、彼にとっては受容と改革よりも破壊と創造の方が理解し易く携わり易いものとなる。」「そして合理主義者はそれの場所を埋めるために彼の自作のもの──あるイデオロギー、伝統に含まれていた合理的真理の本体とされるものの形式化された要約──を置くのである。」(5ページ)
(合理主義の政治は)「完全性の政治、そして画一性の政治である。」「彼の組立の中には、「その状況の下でもっともましなもの」の一つが占めるべき場所はなく、「最善」のための場所のみがある。」「つまり、状況というものを認めない組立には、多様性のための場所もありえないのである。」(6~7ページ)
「合理主義者は道徳において、相続した無知を捨て去ることから始め、この空の精神の何もない空白を、自分の個人的経験から抽象し人類共通の「理性」によって是認されると彼が信じるあれこれの確実な知によって埋めることをめざす。彼はこれらの原理を議論によって擁護し、それらは(道徳的には貧弱ではあるが)整合的な信条を構成するだろう。しかし彼にとって人生の行態が、がたがた変わる連続性のない事象、ひっきりなしの問題解決、次々起こる危機の克服、となることは避けられない。合理主義者の政治と同じく合理主義者の道徳(これが前者と切り離せないのは当然だが)は、自作の人間の道徳、自作の社会の道徳であり、それは、他の諸民族が「偶像崇拝」と考えたものなのである。」(36ページ)

・オークショットの論文ではしばしば詩人がたとえに取り上げられる。果たして、詩人は、まず心の中に“真なる”感情とか理想とかがあって、それを言葉へ翻訳・写像しているのだろうか?→このように単純化された二元的認識論の誤謬をオークショットは指摘する。言葉に出すという営みそのものが内なるものをそのつど掴んでいこうという努力の繰り返しであり、その意味で詩人の心の動きも語りも振舞いもすべて一体のものである。従って、心の中に秘められた“理念”を翻訳=抽象化するという思考モデルは本来的にあり得ない(「バベルの塔」「人類の会話における詩の言葉」)。

・何か抽象化されたゴールがあって、人間はそこに向かってすすんでいくという考え方→しかし、我々は活動する中でこそ何をなすべきなのか考えつつあるのであって、アプリオリに設定された目的などあり得ない(「合理的行動」)。

・レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』は以前にこちらで取り上げたことがあるが、要するに、人間の情念が「虚栄心」として暴走する可能性→「死の恐怖」が「虚栄心」をくじいて人間を理性に立ち返らせる→他者との共存を図る社会契約、という捉え方をしている。オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」もこうした捉え方をおおむね受け入れつつも、では、この社会契約の最初の履行者は、ひょっとしたら裏切られて馬鹿を見るかもしれない可能性をどうやってクリアしたのか?という論点を提起する。ホッブズの著作から確証が得られるわけではないが、この社会契約の最初の履行者は、自分が馬鹿を見ても構わないと考える「誇り」の人だったのではないか、と問いかける。ちなみに、「虚栄心」も「誇り」も英語ではprideである。

 なお、政治思想としての保守主義の古典、エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』は以前にこちらで取り上げたことがある。

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2009年12月15日 (火)

マルセル・モース『贈与論』

マルセル・モース(吉田禎吾・江川純一訳)『贈与論』(ちくま学芸文庫、2009年)

 マルセル・モース(Marcel Mauss、1872~1950年)の言わずと知れた文化人類学の古典。現代思想にも広く影響を与えたことでよく知られており、頻繁に引用されるので知ったかぶりだったが、新訳が出たのを機に読んだ。

 未開社会における贈与関係を、経済的にばかりでなく道徳的にも宗教的にも、受け取ったら(人間だけでなく神様や精霊からも)お返ししなければいけないという義務感を生じさせることで成り立つ人的ネットワークの精神的メカニズムとして把握する。このようなモラルと経済との結び付きが、現代の我々の社会でも隠れた形で機能しているのではないか? こうした問題意識を踏まえて、太平洋諸島やネイティブ・アメリカンの民族誌的事例の検討を通して贈与制度の理念型を抽出し、その名残をローマ、古典ヒンドゥー、ゲルマンなどの古代法からも読み取るという構成。

「与えることを拒み、招待することを怠けることは、受け取ることを拒むのと同じように、戦いを宣言するに等しい。それは結びつきと交わりを拒むことである。さらに、人に与えるのはそれが強制されているからであり、受贈者は贈与者に属する物すべてに一種の所有権を持つからである。この所有権は霊的な絆として示され、そのように捉えられている。」「これらすべてにおいて、与え、受け取るという権利と義務に対応する消費と返礼という一連の権利と義務が存在している。しかし、この対称的で対立的な権利と義務の混淆については、物──これはある程度、人に結びつく──と個人や集団──これはある程度、物とされる──との間に霊的な結合の混淆があると考えれば、矛盾は解消する。」(38~39ページ)

「…そこでは、物質的、精神的生活と交換が打算的でない、義務的な形で行われている。さらにこの義務は、神話的、想像的、あるいは象徴的、集団的な方法で表現されている。しかもこの義務は交換される物に結びついた関心という形をとる。交換される物は、交換を行う者から完全に切り離されることはない。交換される物によって作られる人間の交わりや結合関係は比較的崩れない。実際に、社会生活におけるこのような象徴──交換される物に対する執着の持続──は、これらのアルカイックな類型に属する、分節化された諸社会の下位集団が互いに錯綜し、しかも、自分達が互いに義務づけられていると感じるその有様を明確に表わしている。」(93~94ページ)

「つい最近、われわれの西洋社会は人間を「経済動物」にしてしまった。しかし、今のところわれわれのすべてがこうした存在になっているわけではない。大衆においてもエリートにおいても、一般的に行われているのは純粋で非合理的な消費である。それはわれわれの貴族階級の残存の特徴である。ホモ・エコノミクスは、われわれの後方ではなく前方に見出される。道徳的な人間、義務を果たす人間と同様に、そして科学的に思考する人間、理性的な人間と同様に、長い間、人間は他のものを有していたのである。人間が計算機によって複雑化された一つの機械になってしまってから、まだそれほど時間が経過していない。」(279ページ)

 全体的な「社会」関係の中のあくまでも一つとして機能していた「経済」が突出して、それが市場システムという形であたかも一元的に「社会」を動かす原動力になっているかのように見えるのは、あくまでも「近代」という人類史の中では特殊な一時代のことに過ぎない。このように現代の市場経済を相対化していく視点はカール・ポランニーが展開した経済人類学と同じである(例えば、『経済の文明史』をこちらで取り上げた)。

 例えば、ポトラッチが取り上げられているが、面子や権威の維持という社会的ステータスに関わる動機から財の破壊=消費→功利計算に基づいて利益最大化を図るホモ・エコノミクスとは異なるロジックをとる。つまり、経済活動は社会的慣習に動機付けられていることを示している点では、ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(→こちら)とも比較できる。見方を変えれば、ホモ・エコノミクスという人間類型そのものが現代の我々に特有な思考習慣に過ぎないと相対化することができる。

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2009年12月12日 (土)

ジョン・グレイ『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』

ジョン・グレイ(松野弘監訳)『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』(ミネルヴァ書房、2006年)

・異なる価値観の共存を図るという意味でのリベラリズムには二つのタイプがある。
①理性的な合意形成を通して“普遍性”の実現を目指す“寛容”。
②それぞれの価値観の共約不可能性を前提とした価値多元主義→相互理解がなくても利害関係の妥協によって結ばれた“暫定協定”による共存。本書は②の立場。

「自由主義には二つの哲学が含まれている。一方の哲学においては、寛容が真理へと至る手段として正当化される。この見解では、寛容は理性的合意の道具であり、生の様式の多様性というものも、最終的には消え去るであろうという確信の下で認められている。他方の哲学においては、寛容は平和の条件として重んじられ、互いに異なった生の様式は、善き生における多様性の特徴として歓迎されている。前者の概念では価値に関する最終的な収斂という理念が支持されており、後者においては「暫定協定」の理念が支持されている。」(167ページ)

・異なる価値観が構想する中での妥協は個別具体的な場面でなされるものである。対立抗争のあり様が変転する中、そのつどそのつど解決を図っていくわけだが、それは政治の問題である。超歴史的な“普遍的価値観”に基づく原理原則に解決法を求めることなどできない。抗争しあう価値観→政治的な妥協による調整=“暫定協定”によって共存→調整は国家の役割→ネオ・ホッブズ主義。
・「重要なのは、諸価値間の抗争をどれほど交渉可能なものにしたか、なのである。あらゆるレジームにとって正当性の試金石となるのは、諸価値間での──対抗的な正義の理念も含めた──抗争の調停を成功させることなのである。」(206ページ)
・「あらゆる歴史上の状況に適用できるような正当な政治レジームの基準を希求することは無益である。善や悪のなかには属性として人間的なものもある。しかし、人間の歴史の諸状況は、普遍的な諸価値を政治的正当性についての普遍的な理論へと翻訳するには余りにも複雑、かつ、流動的である。」「この点で、政治哲学は不可避的に歴史に拘束を受けるものなのである。」(168ページ)
・「無秩序は、正義が強制という人工物であるという事実を明らかにする。無秩序が存在するところでは、いかなる権利も存在しない。」「正義と権利はつまるとこり、力によって裏づけられた慣習なのである。」「人権擁護の第一の条件は、効果的な近代国家である。強制力なくしてはいかなる権利も存在せず、いかなる種類の快適な生活も不可能なのである。」(204~205ページ)
・「…「暫定協定」は政治的な企図なのであり、道徳的な理念ではない。妥協を万人が従うべき理想として説いたりはしない。」「「暫定協定」の追求は何らかの種類の超越的な価値を求めるものではない。対抗的な価値の主張が調停されうるような共通の制度へのコミットメントなのである。」「ホッブズ的な国家は個人の信念に至るまで無関心という徹底的な寛容を広げるのである。ホッブズはそれゆえに、「暫定協定」を中核とする自由主義思想の伝統の元祖なのである。」(36~37ページ)
・「宗教的であれ政治的であれ、強固に普遍主義的な道徳は幻想であるということが、価値多元主義の意味するすべてである。」(209ページ)
・「政治哲学において、恒久的な真理はほとんど存在しない。」「政治哲学の目的は、より幻想の少ない実践へと回帰することである。我々にとってこれは、正義、および、権利の諸理論が政治のアイロニーと悲劇から救い出してくれるという幻想を放棄することを意味する。」(214ページ)

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2009年12月11日 (金)

フリードリヒ・A・ハイエク『隷従への道』

フリードリヒ・A・ハイエク(一谷藤一郎・一谷映理子訳)『隷従への道』(改版、東京創元社、1992年)

 ドラッカー『「経済人」の終わり』は第二次世界大戦直前に書かれたファシズム批判の書だが、先日これを読んでいたら(→こちら)、ハイエクと同じような考え方が示されていたので、久しぶりに『隷従への道』を再読した。読み直してみて初めて気付いたのだが、本書中でもドラッカーが時折引用されている。

 ハイエクの議論の前提には、一人一人の個人としての尊厳への揺るぎない確信がある。すなわち、「独立、自助、すすんで危険を負担しようとする気風、多数と対立する自分自身の信念を曲げぬこと、自発的に隣人と協力しようとする気持などは、個人主義社会の運営が基調とするものである」。対して、集産主義(社会主義やナチスなど個人よりも全体を優先させる体制)は「それらの美点を破壊して、その空虚をただ服従の要請と集団的に善と決められるものを行うことを個人に強制することによって満たそうとするのである」(268ページ)。

 合理的な“理性”によって目的設定・組織化を行なう計画化の問題点に議論の焦点が合わされる。計画というのは社会の隅々まで整合的でなければ成り立たない。ところが、近代社会の複雑さに一貫した計画を押し付けようとするとあちこちで無理が生ずるばかりか、その無理を押さえつけようと権力が発動されて個人は抑圧され、計画を策定する者が独裁者になってしまう。彼は経済面ばかりでなく、一人一人の価値観、生き方まで統制しようと図る。「…社会を計画化することを最も熱望する人々は、彼らがそうすることを許されるときには、最も危険な人物となり──そして他人の計画化に対しては最も狭量な人物となる。聖者のような単純な理想主義者と狂信者とはほんの紙一重の差である」(71ページ)。

 本書の論旨は明快で、次の問いに集約される。

「すなわちこの目的のためには強制権をもっているものが、各個人の知識と創意に最大な活動の余地を与えて、彼らが最もうまく計画化できるような状態をつくり出すところに、一般的にとどまることがよりよいかどうか、あるいは諸資源の合理的利用はある意識的につくられた「青写真」にしたがって、すべての活動を中央が指導し、組織化することを要するかどうか、ということになる。」自由主義者による「計画化への反対を、独断的な自由放任主義的態度と混同してはならない。人間の努力を統合する手段として競争の力を最大限に利用することを認める自由主義論は、事柄をあるがままに放っておこうとするものではない。自由主義論は競争が有効に行われるときには、他のいかなるものよりも個人の努力をよく指導するという信念を基礎としているのである。それは競争が有利に行われるためには、慎重に考えつくされた法的構造が必要であること、ならびに現行の法規も過去の法規も重大な欠点をもっていないものはないことを否定しないで、むしろ力説さえするのである。」(48~49ページ)

 誰からも理不尽な支配を受けたくないという人間として自然な感覚が基本である。ボルシェヴィズムやファシズムなど全体主義が台頭するのを目の当たりにしていたというリアリティーがハイエクにはあり、その意味で問題意識は痛切なものであった。“自由”を強調するにしても、目線がどこにあるかによって議論の質は大きく異なってくる。例えば、経済競争力強化の手段としての市場原理→自由化という国家単位の思惑の中でハイエクを援用する議論も見受けられる。しかし、ロジックの形式的なあり方は同じであっても、国家の経済活性化という上から目線による目的に向けて個人をコマとして位置付けている点では、実はハイエクとは議論の出発点が相違するように思われる。あるいは、法も国家もすべてなくしてしまえば「神の見えざる手」でうまくいくんだという極論すらあるが、これは単に思慮がないというだけの話である。

「自由主義の基本原理は、それを一定不変の教義とするようなものを何も含んでいない。そして決定的に厳重な規則もない。事象の秩序付けに際し、社会の自発的な力をできるだけ多く利用し、強制に訴えることをできるだけ少なくするという基本原理は、その適用をかぎりなく多様化することができる。特に競争のできるだけ有利に働く体制を慎重につくり出すことと、あるがままの制度を受動的に受け入れることとの間には非常な違いがある。ある大ざっぱな規則、特に自由放任の原則に関して、一部の自由主義者が行った頑迷な主張ほど、自由主義を傷つけたものはおそらくないだろう。」(24ページ)

 出発点は個人であり、その創意工夫をいかに自由に発現させるか。そして分業のシステムが張り巡らされた複雑な近代社会において、その調整をいかに進めていくか。独裁者に全権を委ねると場当たり的で恣意的な権力を振るいかねない。調整役には“競争”が最適である。競争には多くの人々の思惑が絡まるが、それらのせめぎあいの中から一定の落としどころが見出される(→いわゆる“自生的秩序”の議論につながる)。それは具体的な誰の意志でもない、その意味で非人格的な性格を帯びる。「競争と正義は共通なものをほとんど何ももっていないけれども、人を不当に差別扱いするものでないという点において、競争は正義と同じような美点をもっている」(132ページ)。そして、競争のルールを監督する公正な裁定者としての役割は国家に期待される。

「国家は一般的な状態に適用される規則を制定するにとどめ、時と所の事情に依存する、あらゆる事柄の自由を個人に認むべきである。というのは、個々の場合に関係のある個人のみがこのような事柄を知りつくし、その行動をその事柄に適応させることができるからである。個人が計画をたてる際に、彼らの知識を有効に利用することができるとすれば、個人はこれらの計画に影響をおよぼす国家の行動を予言することができなくてはならない。しかし、国家の行動が予言可能なものであるためには、国家の行動は、予言することも、前もって考慮に入れることもできない具体的な事情と無関係に定められた規則によって決められなければならない。」(98ページ)

 個人対個人のぶつかりあいを競争というシステムによって調整していく、そうした形で個人の自由と社会全体の秩序を両立させようとした思想として捉えることができるように思う。そうしたならば、例えば貧富の格差が一人の努力では回復不可能なほど広がってしまった場合、彼らを競争のフィールドに復帰させるという趣旨で国家による救済措置が図られたとしても、それはハイエクのロジックに十分収まるのではないか(ただし、救済措置そのものが常態化→特権享受者の出現という問題が常に考慮されねばならないが)

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2009年12月 8日 (火)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

オルテガ・イ・ガセット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫、1995年)

 学生のときから何度か読み返してきた本。あちこち書き込みがあったり、手垢で茶色くなったり、もうヨレヨレだな。“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”という対比は時に誤解を招きやすいが、これは現実の社会階級を指すのではなく、一人一人の生き方の問題、精神的な態度の問題であることを前提としておさえておかないと全体の論旨を捉えそこねてしまうので要注意。

・“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”。

「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」「選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである。」人間の二つのタイプ→「第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。」(17~18ページ)
「なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいとして受け入れる人は、高貴なる人である。」(95ページ)

・大衆は“凡俗”であることを恥じ入るのではなく、“凡俗”であることを正当だと開き直る。ネットという媒体が普及して、誰でもその時の思いつきで無責任に書き散らかすことができるようになって、以下の傾向はますます強まっているな。

「…今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。わたしは、多数者が今日ほど直接的に支配権をふるうにいたった時代は、歴史上にかつてなかったのではないかと思う。」「…今日の著述家は、自分が長年にわたって研究してきたテーマについて論文を書こうとしてペンをとる時には、そうした問題に一度も関心を持ったことのない凡庸な読者がもしその論文を読むとすれば、それは論文から何かを学ぼうという目的からではなく、実はまったくその逆に、自分がもっている平俗な知識と一致しない場合にその論文を断罪せんがために読むのだということを銘記すべきである。」…「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。」(21~22ページ)

・いまここに厳然としてある自分はどうやっても他の存在にはなれない。どんな壁が立ちはだかったとしても、自分の負っている一切を引き受けた上で(ニーチェ風に言うと「運命愛」か)、ギリギリまで自己を突き放してひたむきにぶつかっていくこと。

「生は自己の世界を選ぶことはできない。生きるということは、一つの特定の交換不可能な世界、つまり現在のこの世界の中に自己を見出すことである。われわれの世界は、われわれの生を構成する宿命の広がりなのである。しかし、この生の宿命は、機械的なそれとは異なったものである。われわれは、軌道があらかじめ完全に決定されている鉄砲玉のように、存在の世界に撃ち出されたのではない。われわれがこの世界──世界はつねにこの世界、現在のこの世界である──に落ち込むことによってはまり込む宿命というものは、まさにその逆である。われわれは一つの軌道を課せられるかわりに、いくつもの軌道を与えられ、したがって、選択することを余儀なくされているのである。われわれの生の状況とは、なんと驚くべき状況であろうか。生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである。われわれの決断には、一瞬たりとも休むことが許されていない。したがって、われわれが絶望のあまり、ただなるがままにまかせる時でさえ、われわれは決断しないことを決断したといえるのである。」(65ページ)
「生とは有為転変である。生とは、文字通りドラマなのである。」(110ページ)
「生というものは、われわれがその生の行為を不可避的に自然な行為と感じうる時に初めて真なのである。」「不可避的な場面から成り立っている生以外に、自己の根を持った生、つまり真正な生はない。」(260ページ)

・技術的にも、経済的にも、社会的にも、近代文明はあらゆる可能性を広げた。それを先人が今まで孜々として作り上げてきた努力へは敬意が払われてしかるべきだが、大衆=平均人はそうしたことに何ら顧慮することなく空気のように当然だと思い、その文明の成果を使うにやりたい放題。人は限界にぶつかり、その限界を克服しようという努力の中で自身の何たるかをつかみとっていくものだが、対して凡庸人は、限界を知らないから無責任に気まぐれをやりちらかす。凡庸人の自己充足的な思い上がり→「慢心しきったお坊ちゃん」の時代。

・科学の細分化→科学者は自分の専門分野については詳しいが、他分野には関心がない。それでも自分は学者であるという自意識→自分の知らない分野にも発言しようとする思い上がり。「今日、かつてないほど多くの「学者」がいるにもかかわらず、たとえば一七五〇年ごろよりもはるかに「教養人」が少ない。」(161ページ)
(※科学の細分化→全体を見渡す智慧がない→現代の核開発や環境問題などのように科学技術の成果としてもたらされた不安定性、という論点へと進めれば、ウルリヒ・ベックやアンソニー・ギデンズたちのリスク社会論にもつながる)

・オルテガなりの「生の哲学」的観点から「国民国家」を把握。所与の条件で拘束された共同体ではなく、目標があるからこそ集まった人々による協働事業。エルネスト・ルナンの表現を援用すれば、それは未来へ向けた日々の人民投票である。

「国家というものは、出生を異にするもろもろの集団が共存を強制される時に初めて生まれるものである。この強制は、むき出しの暴力ではなく、ばらばらの集団に提示された一つの共通の課題、一つの督促的な計画を前提としたものである。国家とは何よりもまず一つの行為の計画であり、協同作業のプログラムなのである。人々が呼び集められるのは、一緒に何かをなさんがためである。国家とは、血縁関係でもなければ、言語的統一体でも領土的統一体でもなく、住居の隣接関係でもない。国家とは、物質的で、生気のない、所与の、限定されたものとはおよそ正反対のものである。それはダイナミズムそのもの──共同で何かをなそうとする意志──であり、ゆえに国家という観念は、いかなる物理的条件の制約ももっていないのである。」「国家は一つの事物ではなく、運動である。国家は、つねに…から来て…へ向かって行くものである。国家はすべての運動がそうであるように、起点(terminus a quo)と目標(terminus ad quem)をもっている。」(233ページ)
「共通の血、言語および過去は静的で、宿命的で、硬化した無気力な原理であり、牢獄である。もし国民国家がそれらのみに存するとすれば、国民国家とはわれわれの背後にあるものであって、われわれとしてはなすべきことは何もないだろう。つまり、国民国家とはかくあるものであって、かく形成するものではなくなってしまうだろう。」「人間の生は、望むと望まざるとにかかわらず、つねに未来の何かに従事しているのである。われわれは今の瞬間にありながらそこから来るべき瞬間に気を配るのである。だからこそ、生きるということは、つねに休むことも憩うこともない行為である。なぜ人々は、あらゆる行為は、一つの未来の実現であることに気づかなかったのだろうか。」(247ページ)
「国民国家はけっして完結することはない」。「国民国家はつねに形成の途上にあるか、あるいは崩壊の途上にあるかのいずれかであり、第三の可能性は与えられていない」。「その国家がその時々において生き生きとした企てを象徴するか否かによって、支持を獲得しゆくかあるいは支持を失っていくかのいずれかなのである。」(251~252ページ)

(※思いっきり蛇足になるが、『坂の上の雲』の時代というのはこんな感じだったんだろうな)

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2009年12月 4日 (金)

ヴェブレン『有閑階級の理論』

ソースティン・ヴェブレン(高哲男訳)『有閑階級の理論』(ちくま学芸文庫、1998年)

 ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen、1859~1929年)は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて消費文化を謳歌し始めたアメリカ社会を観察した経済学者。この本は裏面から人間存在を捉えた、考えようによっては実にひねくれた経済思想というだけでなく、一種の文明批評としても面白いので、何度か読み返している。

・「制度の進化に関する経済学的研究」というサブタイトルがついている。法的なものばかりでなく、慣習やものの考え方というレベルにおいて、その社会に生きる人間の行動パターンを規定している一連の枠組みを「制度」(institutions)と表現している。「制度とは、実質的にいえば、個人や社会の特定の関係や特定の機能に関する広く行きわたった思考習慣なのである」(214ページ)。
・需要→供給という因果関係に還元して経済活動を捉えるのではなく、こうした「制度」に内在するロジックに沿って人々が振舞っている活動として経済を把握する(この延長線上にいわゆる制度派経済学がある)。社会システムのあり方は時代によって違うようにも見えるが、そこに通底する「制度」の基本パターンには意外と古代からの思考習慣が残存しているとヴェブレンは言う。「人間が手引きにしつつ生きてゆく制度──すなわち思考習慣──というものは、先立つ時代、つまりかなり遠い昔からこうして引き継いできたものだが、いずれにしてもそれは、過去の間に精緻化され、過去から受け継いだものなのである。制度は過去のプロセスの産物であり、過去の環境に適応したものであり、それゆえ、決して現在が要求しているものに完全に一致することはない。」人間の生きる環境は日々変化→適応の繰り返しで、「制度」が現在に追いつくことはない。「発展の第一歩が踏み出されたとき、この第一歩それ自体が、新しい適応を要求する状況の変化を引き起こす。それは、いつ果てるともなく続く適応への、新しい一歩を踏み出すための出発点となる」(215ページ)。
・具体的には、野蛮時代の名残としての「略奪的文化」を指摘。支配する強者と服従する弱者という関係である。勤労は受動的、英雄的行為は自分自身の目的を追求するものという対比(23ページ)は、ハンナ・アレント『人間の条件』で見出された古代ギリシアのポリスにおける奴隷と自由人との対比を思わせる。
・時代が進み、具体的な暴力行為が影を潜めても、この「略奪的文化」の思考習慣は人々の頭の中に残っており、支配する強者は自らの優越を何らかのシンボルによって弱者に対して誇示しようとする。戦争ではなく経済活動が競争の手段となった近代社会において、優越性のシンボルは富の蓄積によって示されるようになった。
・有閑階級→生産活動はしない→彼らのために奉仕する被支配者がいることの証し。「閑暇」とは怠け者を指すのではなく、自ら体を動かすという意味での生産活動には携わらないこと。職業的には、例えば、経営や金融など、それから学者。学問や礼儀作法→その習得のために時間を費やせるだけの余裕があることは有閑階級であることの証し。
・顕示的消費→散財することで自らの富の大きさ、すなわち優越的なステータスを誇示する。入手の容易なものは「その消費は名誉に価するものではない。というのも、それは、他の消費者との好都合な競争心にもとづく比較という目的に役立たないからである」(181ページ)。「浪費」といっても無駄遣いという意味ではない。極端な例としてはポトラッチ。あるいは、ブランド品。「顕示的消費」が組み込まれた「制度」のロジックに沿っている点では合理的目的のある消費であり、社会通念として当初は「浪費」とみなされても、いつしか一般消費者の間で生活必需品とみなされるケースは珍しくない。
・自分が他者を凌駕していることを誇示する。他者をもっと嫉妬させること自体に満足を見出そうとしている。従って、欠乏を満たすために行われるわけではないのだから、経済活動に固定的なゴールなど存在しない。

「社会の富の全般的な増加は、それがどれほど広く、平等に、あるいは「公平に」分配されようと、この欲求の満足に近づくことはできない。というのもそれは、財の蓄積においては他の誰にも負けたくない、という万人がもつ欲望に起因しているからである。しばしば想定されているように、蓄積誘因が生活の糧や肉体的快適さの欠乏であるとすれば、社会の経済的な必需品総量は、おそらく産業能率が向上したどこかの辞典で満たされる、と考えることもできよう。だがこの闘いは、実質的に妬みを起こさせるような比較にもとづく名声を求めようとする競争(レース)であるから、確定的な到達点への接近などありえないのである。」(43ページ)

 有閑階級=上層階級が示す生活様式や文化様式は社会全体の理想的規範となる。下層階級は、同様の消費行動をすることで同等者を出し抜き、自らも上昇しようと動機付けられる。

「現代的な文明社会では、社会階級相互間の区分線は不明瞭で流動的なものになっている。こうして、このようなことが生じるところではどこであれ、上流階級によって課せられた名声の規範がもつ強制的な影響力は、ほとんど妨げられることなく社会秩序の最下層にまで及ぶことになる。その結果、おのおのの階層に属する人々は、彼らよりも一段上の階層で流行している生活図式こそ自己の理想的な礼儀作法(ディーセンシー)だと認識した上で、生活をこの理想に引き上げるために全精力を傾注する、ということが生じる。失敗したら面子と自尊心が傷つくという痛手を被ることになるから、少なくとも外見だけでも、社会的に承認された基準に従うほかはないのである。」「高度に組織化されたあらゆる産業社会では、立派な評判を得るための基礎は、究極的に金銭的な力に依存している。金銭的な力を示し、高名を獲得したり維持したりする手段が、閑暇であり財の顕示的消費なのである。」(99ページ)

「通常われわれの努力の道案内を行っている支出の標準とは、平均的なそれではなく、すでに達成されている通常の水準である、ということになる。つまりそれは、わずかに手が届かないところにあるが、努力次第で手が届くところにある、消費の理想なのである。その動機は、競争心(エミュレーション)──われわれが習慣的に同一階層に属していると考えている人々に負けてはならぬと急きたてる、妬みを起こさせるような比較がもつ刺激──である。実質的に同じ命題は、以下のありふれた観察、つまりおのおのの階層は、社会的階梯を一つだけ昇った階層を羨望すると同時に、それと競い合うのであって、下位の階層やとびぬけて上位にある階層と比較することはごく稀だ、という事実のなかに窺われることである。言い換えれば、要するに支出をめぐる礼節の規準は、競争心の目的と同様に、名声の点でわれわれ自身より一等級だけ上位に位置する人々の習慣によって定められている、ということなのである。こうして、とくに階級間の区別がかなり不明瞭になっているような共同社会では、あらゆる名声と世間体の規準、したがってまたあらゆる支出の水準は、社会的にも金銭的にも最高位に位置する階級──豊かな有閑階級──の慣行や施行習慣にまで、無意識のうちに徐々に昇っていくことになる。」(119~120ページ)

・有閑階級を特徴付けるのは「略奪的文化」であるが、他方で、有用で価値あるものを作り無駄を省こうとする心性としての「製作者本能」も作用しており、両者が絡まりあって経済的な競争心が促されているとする。他にも、幸運を求める心性(→ギャンブルという形で発現)、信心深さなども指摘、何よりも生存本能は生物としての最古の習慣だと言ってしまうところが面白い。
・ヴェブレンは「制度」を一元的な原理として捉えるのではなく、過去のそれぞれの時代において形成された複数の心的習慣が時代がかわっても形を変えながら残存している重層的なあり様として解き明かすことに関心を持った。そして、「制度」の内実において各々の心的習慣が互いに変形作用を及ぼしあい、時には古い心性に先祖がえりしたり、そのように絡まりあいながら「制度」のあり方そのものが変化していく様相を「進化」と呼んだ。

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2009年11月26日 (木)

岩井克人『貨幣論』

岩井克人『貨幣論』(ちくま学芸文庫、1998年)

 何となく思い立って再読。貨幣とは何か? 実体的な根拠のない自己言及的な循環論法で成立している、そもそも本質のない貨幣がここに存在して作用していること自体が「神秘」だ──こうした着眼点がものすごく刺激的で、私は経済学の議論は苦手だが、それでも食い入るように読んだ覚えがある。経済学というレベルを超えた根源的な探求なので、専門外の人間が読んでも実に新鮮だった。

・物々交換では困難な「売り・買い」という欲求の二重の一致は貨幣によって可能→商品経済の可能性を飛躍的に拡大。
・“貨幣”は他のすべての商品に交換可能性を与えると同時に、他のすべての商品から交換可能性が与えられることによって“貨幣”は成り立っているという両義性→外部に根拠を求める必要のない自己完結的・宙吊り的な循環論法の結節点として“貨幣”は位置する。
・貨幣商品説も貨幣法制説も、実体的な根拠を外部に求めようと発想している点で同様に神話に過ぎない。
・モノの代わりとしての金、地のままの金の代わりとしての金貨、金貨の代わりとしての紙幣、と繰り返すうちに、「代わり」自体が「本物の貨幣」になってしまう奇跡。これによって無から“貨幣”という有が生まれた。

「貨幣が貨幣として流通しているのは、それが貨幣として流通しているからでしかない。」「このような無限の循環論法によって支えられている貨幣とは、それゆえ、その存在のためにはなんらの実体的な根拠も必要としていない。それは、モノとモノとの直接的な交換の可能性を支配するひとびとの主観的な欲望の構造や、ひとつのモノを貨幣として指名する共同体や君主や市民や国家の権威には還元しえない、「何か」なのである。」「貨幣が「ない」ことと「ある」こととのあいだには乗り越え難い断絶が横たわっている。そして、その断絶が現実において乗り越えられたとしたら、それは「歴史の偶然」、いや「歴史の事実性」としかいいようのない無根拠な出来事であり、まさにひとつの「奇跡」にほかならない。」「モノとしての商品をいくらせんさくしても、そのなかに神秘はかくされていない。商品と商品との関係としての商品世界のあり方をいくらせんさくしても、そこにはせいぜい物神化や共同幻想といったありふれた神秘しか見いだすことはできない。もし商品世界に「神秘」があるとしたら、それは商品世界が「ある」ということである。それは、もちろん、その商品世界を商品世界として成立させる貨幣が「ある」ということの「神秘」である。」「ところで、「奇跡」はすでにおこってしまっている。われわれはいま貨幣が「ある」世界のなかに生きている。」(104~107ページ)

・貨幣の流動性→不確実な将来に備えてすぐには商品をかわずに貨幣を貯めておこうとする→売りと買いとの間に時間差、総供給と総需要とが独立した動きを示し得る→貨幣そのものへの欲望が喚起されると、「見えざる手」による均衡が働かず、むしろ暴走しかねない不安定性。

「貨幣が今まで貨幣として使われてきたという事実によって、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として使われていくことが期待され、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として使われていくというこの期待によって、貨幣がじっさいに今ここで貨幣として使われる。過去をとりあえずの根拠にして無限の未来へむけての期待がつくられ、その無限の未来へむけての期待によって現在なるものが現実として可能になるのである。貨幣ははじめから貨幣であるのではない。貨幣は貨幣になるのである。すなわち、無限の未来まで貨幣は貨幣であるというひとびとの期待を媒介として、今まで貨幣であった貨幣が日々あらたに貨幣となるのである。」(200~201ページ)

・貨幣そのものに具体的な有用性はない。有用なものと引き換えられるという可能性を担保しているから他の人も引き受けてくれる、つまり無を有として取引されている。ひょっとしたら貨幣を引き受けてもらえない可能性があっても、今まで貨幣が使われてきたという事実を踏まえ、無限の未来へと先送り。しかし、引換に期限が区切られたら(「最後の審判」の日!)、貨幣は何の役にも立たないことが露呈してしまう。無限の未来への期待が貨幣としての価値を支えている。この期待がなくなったとき、貨幣を成り立たせていた循環論法が破綻し、ハイパー・インフレーションに見舞われる。

「貨幣とは、言語や法と同様に、純粋に「共同体」的な存在である。」
「貨幣共同体とは、伝統的な慣習や情念的な一体感にもとづいているのでもなければ、目的合理的にむすばれた契約にもとづいているのでもない。貨幣共同体を貨幣共同体として成立させているのは、ただたんにひとびとが貨幣を貨幣として使っているという事実のみなのである。」
「貨幣で商品を買うということは、じぶんの欲しいモノをいま手にもっている人間が貨幣共同体にとっての「異邦人」ではなかったということを、そのたびごとに実証する行為にほかならない。いささか大げさにいえば、それは貨幣を貨幣としてあらしめ、貨幣共同体を貨幣共同体として成立させた歴史の始原のあの「奇跡」を、日常的な時間軸のうえでくりかえすことなのである。」(210~217ページ)

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2009年11月25日 (水)

『ジンメル・コレクション』

北川東子・鈴木直訳『ジンメル・コレクション』(ちくま学芸文庫、1999年)

 ゲオルグ・ジンメル(Georg Simmel、1858~1918年)の大著『貨幣の哲学』はややこしそうなので、とりあえず本書所収の「近代文化における貨幣」を読んだ。

 土地の共同体に人格的に結び付けられた現物経済中心の時代→“貨幣”という無機的な媒介項の登場、貨幣価値への換算可能性によって所有と所有者とが分離、経済の非人格化が押し進められることでそうした共同体は解体され、各々の個人としての自覚が促された。“個の自覚”は“近代”なる時代を特徴付ける条件の一つと言えよう。ただし、貨幣は人と人とのつながりを分断しただけでなく、貨幣価値換算という形を通した行動様式の均一化によって分業の可能性が開かれ、 “貨幣”の媒介によってこそ独立した個人が再び結び付けられる。

「近代文化の諸潮流は一見相反する二つの方向へと流れこんだ。ひとつは、平均化へ、均一化へ、もっとも離れたものをも同一条件のもとに結び合わせ、より包括的な社会圏を生み出す方向へと。もうひとつは、もっとも個性的なるものの形成へ、個の独立性へ、個我形成の自立をめざす方向へと。」「そしてこの二つの方向がともに貨幣経済によって支えられた。貨幣経済は、一方では、あらゆるところで同一の作用を及ぼすきわめて普遍的な利害と結合手段と了解手段を提供したが、他方では、おのおのの人格に、より大きな外界からの距離と個人志向と、自由を与えた。」(「近代文化における貨幣」271~272ページ)

 一人ひとりの人間は、たとえて言うならばそれぞれが自己完結した小宇宙を成している。個としての絶対的な自律性を主張する。しかし、それぞれが異質なものとして互いに排斥しあうだけではない。絶対的な個として自らの小宇宙を維持しつつも、他の小宇宙との緊張関係をもひっくるめてより大きなまとまりを成している。ジンメルにとって“貨幣”とは単に社会経済的現象というだけでなく、このようなまとまり形成の媒介項としての視点そのものを表わしていると言える。

 こうした“貨幣”をめぐる含意と同様のことをジンメルは“橋”に仮託して次のように表現している。

「外界の事物の形象は、私たちには両義性を帯びて見える。つまり自然界では、すべてのものがたがいに結合しているとも、また分離しているとも見なしうるということだ。」…「自然の事物があるがままに存在しているなかから、私たちがある二つのものを取り出し、それらを「たがいに分離した」ものと見なすとしよう。じつはそのとき、すでに私たちは両者を意識のなかで結びつけ、両者のあいだに介在しているものから両者をともに浮き立たせる、という操作を行っているのだ。」…「川の両岸がたんに離れているだけではなく、「分離されている」と感じるのは私たちに特有のことだ。もし私たちが、私たちの目的思考や必要性や空想力のなかで両岸をあらかじめ結びつけていなかったとしたら、この分離概念はそもそも意味をもたないだろう。」…「橋がひとつの審美的な価値を帯びるのは、分離したものをたんに現実の実用目的のために結合するだけではなく、そうした結合を直接視覚化しているからだ。現実の世界では身体を支えるために提供している足がかりを、橋は目にたいしても風景の両側を結ぶために提供している。」(「橋と扉」90~93ページ)

 それぞれに絶対的な自律性を主張して一見したところ他とは相容れないようにも思える事象がこの世界に満ちている。しかしながら、そのような緊張関係も、視点を組み替えてみればもっと大きなまとまりが見えてくるという着眼点がジンメルのエッセイの面白いところだ。

 例えば、肖像画。モデルと、それを描いた絵画作品とは全く別個の存在である。目鼻立ちの造作や色合いが正確に写し取られているかどうかが問題なのではない。描かれた肖像画において、それ自体の世界の中では形や色はこうあらざるを得ないという必然性が感じられる。モデルと、それを描いた肖像画という関係性はあっても、後者が前者に従属しているというのではなく、両者ともに自律的な存在感を持っている。そうした緊張関係に触発されて鑑賞者が統一的な把握をしようとしたときに生き生きとした迫力を感じ取る(「肖像画の美学」)。

 あるいは、俳優の演技。台本の役柄と演じる俳優とはそれぞれ別の存在であるが、俳優が自分の個性を発揮して、それが役柄と響き合ったとき、観客に感動を与える演技となる。「文学的想像力のなかで作られ、実在の人間には少しも依存しない連関によってつなぎ合わされた理念的で無時間的な演劇上の事件は、完全に自律的な系であり、また構成だ。しかし他方の俳優が演じる事件の系もまた、その見かけの本質やその視覚性においてやはり同じく自律的であり、ひとつの魂の発展過程をなす。この両者が内容において一致すること──これこそ、その本質においてたがいに対立するそれぞれに自律的な二つの原理の調和にほかならない。それはまた、たがいに異質な存在と力の系が一体化する幸福感を生み出す。こうした一体感は、自然のなりゆきによっては実現できず、ただ芸術によってのみ可能なものだ」(「俳優の哲学」165ページ)。

「芸術作品には、それ自身ひとつの全体でありながら、同時に自分をとりまく環境とのあいだで統一的全体を作り上げなければならない、という本来矛盾した要求が課せられている。ここには、あの人生一般の難しさ、すなわち全体の一要素たる存在が同時に自律した全体たることを要求するという、あの難しさと同じものが見てとれる。」(「額縁──ひとつの美学的試み」123~124ページ)

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2009年11月13日 (金)

辺境のガンディー、イスラムの非暴力主義

 アブドゥル・ガファル・カーン(Abdul Ghaffar Khan、1890~1988年)がガンディーと手を携えあって歩いている写真がある。並んで歩くと頭二つ分ほども突き抜けるような長身、その大木のようなごっつい体つきと彫りの深い顔立ちに顎ヒゲ。しかし、眼差しは穏やかに優しいというアンバランスに不思議な魅力がある。

 彼はパシュトゥン人、敬虔なムスリムである。イギリス領インド植民地の北西辺境州(North Western Frontier Province、現在はパキスタン)でガンディーに呼応して非暴力運動を展開したことから“辺境のガンディー”として知られている。清貧な生活態度と誠実な人柄で多くの人々から慕われ、ガンディーが“マハトマ”(偉大なる魂)と呼ばれたように、カーンも“バドシャー・カーン”(Badshah Khan)と呼ばれた。「王の中の王」という意味らしい。さしずめ「無冠の帝王」といったところか。もっとも、カーン自身は“辺境のガンディー”とか“バドシャー”と呼ばれるのを嫌がっていたらしいが。

 イスラムに対してある種の偏見を持たれてしまうこともある中、カーンのような人物がいたということが日本であまり知られていないのはちょっと残念な気がする。以下の記述は、Eknath Easwaran, Nonviolent Soldier of Islam: Badshah Khan, A Man to Match His Mountains(Nilgiri Press, 1999)を参照した。

 カーンはペシャワール郊外のウトマンザイ(Utmanzai)で裕福な地主の家に生まれた。イギリス人の経営するミッション・スクールを卒業後、イギリスの部隊に入隊(The Guides→案内兵?)。尚武の民として知られたパシュトゥン人にとってはエリートであり、カーンはイギリス人と対等にやっていけると期待に胸をふくらませていたが、現実はたちまち幻滅を招く。彼はすぐにやめた。イギリス人恩師からイギリス留学をすすめられてその気になったが、母親の頑強な反対にあって断念。先に兄のカーン・サヒーブ(Khan Saheb)が医学の勉強でイギリスに留学しており、向こうでイギリス人女性を結婚していた。「彼はもはやムスリムではない、もう一人の息子まで失いたくない」というのが母親の言い分だったようだ。

 若きカーンは懊悩の中でイスラムを学び始め、そして自分の民族のことを考えた。一方でイギリスから圧迫を受け、パシュトゥン人でも特権階層はそれに協力している。他方で、保守的なムラー(mullah)は民衆の貧困、無知、無気力、暴力、こういった状態を放置したままである。どうすればいいのか? まず教育から始めなければならない。カーンは自分で学校を始めたが、彼のリベラルな姿勢は植民地当局と保守的なムラーの双方から目の敵にされ、生徒も思うように集まらない。

 カーンは山奥で断食して祈り続けた。ある日の早朝、強い確信を彼は感じた。具体的に何をなすべきなのかはっきりとした形をとるわけではないのだが、心の奥底から沸き起こってくる強烈な何かに体を揺さぶられた。宗教的な召命体験、とまとめてしまうと無味乾燥かもしれないが、いずれにせよ、我が身を神に捧げるという揺ぎない確信に駆り立てられて彼は再び人々の中へと分け入っていく。ガンディーが南アフリカからインドへ帰国したのはちょうどその頃である。ガンディーの噂を聞いて、彼のシンプルな生活態度と、何よりも非暴力の主張から、カーンは自身の奥底では確信がありつつもぼんやりとしていた何かに響き合うものを感じ取った。自分のなすべきことを悟った彼は村から村へと歩いて説き続け、その話に共感した人々は彼を“バドシャー・カーン”と呼び始めた。

 彼の心情は宗教的なものだが、様々なくびきに縛られた人々を解き放つのが目的であり、そのためには近代的な改革が必要であった。教育、女性の地位向上、パシュトゥン人としてのプライドを取り戻すため自分たちの言語による新聞も発行した。

 パシュトゥン人は尚武の民としてイギリス人からも恐れられていたが、他方で“血の復讐”に象徴される荒々しさは野蛮だとして軽蔑もされていた。そもそも、そんな風習が続くようでは仲間同士の殺し合いはいつまでたっても終わらない。カーンはそれを無知のせいだと考えたが、同時にそのエートスとして、自己犠牲、忍耐強さ、勇気をも見出した。これらの美徳に如何に洗練された意味づけをするのか。カーンの答えが、非暴力主義である。彼は若者たちを集めて軍隊式に組織した。武器を持たぬ義勇軍、非暴力の戦士たち──“クダイ・キドゥマトゥガル”(Khudai Khidmatgar)、すなわち“神の僕”である。

 当時、インドでは塩の専売制が行なわれていた。自分たちの生活必需品を高い費用で買わなければならない不合理。いっそのこと、みんなでこの不当な法律を破ってやろう。1930年、ガンディーが始めた“塩の行進”にカーンとクダイ・キドゥマトゥガルも呼応した。イギリス軍の攻撃で多数の死傷者を出したが、クダイ・キドゥマトゥガルは非暴力主義を貫き通した。挑発すればのってくるだろうと高をくくっていたイギリス軍はこの“不気味さ”に驚き、インド中の人々は勇気を奮い起こした。カーンが逮捕されても、クダイ・キドゥマトゥガルは非暴力の方針から逸脱しなかった。そして、イギリスからの圧迫が強まれば強まるほど支持者は増えていった。

 イギリスと国民会議派との妥協によって釈放された政治犯の中にカーンや兄のサヒーブ(医者として帰国後、弟の運動に参加していた)の姿もあった。しかし、彼らは故郷へ戻ることを禁じられたため、ガンディーの家に滞在する。共に起居してチャルカをまわし、語らいあった数年間は“二人のガンディー”にとって実り多い日々だった。1937年に地方選挙が実施され、政治の嫌いなカーンに代わって兄のサヒーブが出馬、故郷に戻ることはできなかったにもかかわらず当選して北西辺境州の首相に選ばれた。二人とも再び故郷の土を踏むことができた。

 1947年、ようやく植民地支配の終わる日がやってきた。ただし、インドとパキスタンの分離独立という形で。ガンディーとカーンは二人とも分離には反対であった。やがてヒンドゥー教徒とムスリムとの対立感情が高まって暴動がおこり、二人は説得のため共に各地を回った。カーンの故郷でも緊張が高まっていたが、兄サヒーブの呼びかけでクダイ・キドゥマトゥガルが少数派であるヒンドゥー教徒とシーク教徒を保護したという。だが、分離独立は既定路線である。1948年にはガンディーが暗殺された。

 カーンの故郷である北西辺境州はパキスタンとなった。パシュトゥン人はパキスタンだけでなくアフガニスタンにも広がっている。カーンはすべてのパシュトゥン人が同じ国にまとまること、そして民主的な自治を求めていたため、反逆罪に問われて逮捕された。クダイ・キドゥマトゥガルも弾圧され、関係者はすべて州のポストからはずされた。以後、カーンは入獄・出獄を繰り返し、一時はアフガニスタンで亡命生活を送りながら、90歳を過ぎても一貫して主張を曲げなかった。

 1988年、カーンはペシャワールの病院で死去。当時、ソ連によるアフガニスタン侵攻をきっかけに内戦が始まっていたが、アフガニスタン領のジャララバードに埋葬して欲しいというカーンの遺志に従い、葬儀の日には休戦により国境が開放された。ただし、たった一日だけのことだったが。パキスタンの北西辺境州にあった難民キャンプにはすでにタリバンの種がまかれていたことは今さら言うまでもない。

 ヒンドゥー教とイスラム教についてガンディーはこう語っていた。「宗教は同じ場所に到達する別々の道です。私たち両者が別の道をとっているからといって、どうだというのです。残念に思うことがあるというのですか?」(『真の独立への道』田中敏雄訳、岩波文庫、63ページ)。また、出典を思い出せないのだが、ガンディーは「どんな宗教であっても真理を語っている。だから、キリスト教徒なら聖書を読めばいいし、ムスリムならコーランを読めばいい。私はヒンドゥー教徒だからバガバット・ギーターを読む」という趣旨のことも語っていたように記憶している。自分たち自身の伝統としてのイスラムの信仰を掘り下げることによってある種の普遍性を目指した実例という点でアブドゥル・ガファル・カーンという人は興味深いと思う。

 もう3,4年くらい前になるか、紀伊国屋セミナーのシンポジウムで中島岳志さんが「山の頂上は一つでも、そこに至る道はいくつもある。ナショナリティーを“多にして一”なるものと捉え返す視点としてガンディーや井筒俊彦に関心を持っている」という趣旨のことをアイデア程度ではあったが話しておられて感心したことがあった。中島さんならアブドゥル・ガファル・カーンについてどのように捉えるだろうかと興味を持ったのだが、最近はインド関係のことはあまりやってない様子ですね。

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2009年11月 5日 (木)

ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』

ミハイル・バフチン(望月哲男・鈴木淳一訳)『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫、1995年)

 昔から気になってはいても敬遠してなかなか手がのびなかった本が色々とあるが、そうしたうちの一冊。先日、ピーター・バーク(原聖訳)『近世ヨーロッパの言語と社会──印刷の発明からフランス革命まで』(岩波書店、2009年)を読んでいたらミハイル・バフチンに言及されていたので思い出し、勇を鼓して読み始めたのだが、これがまた実に素晴らしい。

 “ポリフォニー”と“カーニバル”、二つのキーワードをもとにドストエフスキーの作品世界を読み解いていくという内容である。ドストエフスキーが何を言っているか、ではなく、どのように語っているか、つまり彼の作品の叙述構成そのものに思想としての迫力があることを鮮やかに示した着眼点が非常に面白い。ドストエフスキー評価という以前に、そのテクストを読み込んでいくバフチンの眼差し自体に思想としての説得力があって、久々に興奮しながら読み進めた。

「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。」…「ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独自性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。」…「作品構造の中で主人公の言葉は極度の自立性を持っている。それはあたかも作者の言葉と肩を並べる言葉としての響きを持ち、作者の言葉および同じく自立した価値を持つ他の主人公たちの言葉と独特な形で組み合わされるのである。」(15~16ページ)

「ドストエフスキーの世界は根本から多元的な世界である。もしかりにその世界が全体として志向しているようなイメージを、あえてドストエフスキー自身の世界観にそった形で求めるならば、それは互いに融合し合うことのない魂同士の交流の場としての教会、罪人も義人もともに集う教会であろう。あるいはおそらくダンテ風の世界──多次元性がそのまま永遠性につながり、悔いることなき者たちと悔いた者たち、罪人と救われた者たちがともに集う世界──であろう。」(55ページ)

 ドストエフスキーの小説世界に登場する人々にはすべて自律的なイデーがある、つまり自分らしさを持っている。ストーリー進行上の登場頻度という点では主役・脇役という配列が確かにあるかもしれない。しかし、彼ら一人ひとりの発する言葉には、その人でなければ言えないという必然性がある。ストーリー構成上のコマとして作者によって操られているのではなく、自分自身の言葉を語り始める彼らは時には作者の思惑をも超えた存在感を示す。すべての登場人物が主体的な意識を持っており、そうした複数の意識のありようを同時に描き分けることができたところにドストエフスキーの作り上げた小説世界の画期的な重要性があるのだとバフチンは指摘する。

 従来型の小説では作者が自らの意図なり思想なりを表現するという姿勢が打ち出されている。つまり、結論はすでに決まっており、話題をその方向へと流し込むための道具として登場人物は造型されている。作者の思想に反対するキャラクターは、反対する者という負の役割を担ってストーリーにメリハリをつけるために登場する。「モノローグ的世界では《第三の立場は許されていない》、つまり思想は肯定されるか否定されるかのいずれかしかない」(164ページ)。「モノローグ原理においては、イデオロギーが描写の結論すなわち意味上の総括の役割を果たしているために、描写された世界は不可避的に、その結論に対するもの言わぬ客体と化してしまう」(169ページ)。モノローグ型の小説があたかも一神教的な視点に基づき一方向的に世界を作ろうとしているものとたとえるならば、ドストエフスキーの場合には、そのように俯瞰する一元的な視点は最初から存在せず、多様な声がそれぞれ自律的に響き、相互に矛盾しながらも絡まり合っていくカオティックなありのままを小説世界において再現し得ているところに特徴がある。

「意識をモノローグ的に捉える姿勢は、思想的創造行為の別の分野でも支配的である。意義や価値を持つものはすべて唯一の中心、すなわちその担い手の周囲に集められる。あらゆるイデオロギー的創作は、一つの意識、一つの精神のあり得べき表現と考えられ、受け取られている。ある集団や、多種多様な創造力が問題となっている場合でさえも、例えば国民精神、民族精神、歴史精神といったような一つの意識の内に集め、単一のアクセントで縛ることが可能である。そしてそのようなまとまりに従わないものは、偶然的で非本質的なものとされるのだ。近代においてモノローグ原理が強化され、それが思想活動のあらゆる領域に浸透してきたことに力を貸したのは、単一で唯一の理性を崇拝するヨーロッパの合理主義、とりわけ啓蒙主義時代の思潮である。この時代に、ヨーロッパ散文文学の基本的なジャンルの諸形式が形成されたのである。西欧的ユートピア思想もすべてこのモノローグ原理に基礎を置いている。信念の万能性を信じたユートピア社会主義も、またその仲間であった。そしていつの世でも意味の同一性の表象とされるのは、単一の意識、単一の視点なのである。」(167~168ページ)

 理性中心の合理主義や啓蒙主義に淵源する西欧“近代”を文学というジャンルで体現していたのがモノローグ的な言説空間である。これに対して、ドストエフスキーが“ポリフォニー”を可能にすべく用意した舞台が“カーニバル”であった。それは、日常のヒエラルキーが崩され、常軌を逸した矛盾そのままに、あらゆる言葉が対等な立場で響き合う、そうした開かれた対話の空間である。

「カーニバル化は常に様々なジャンル、様々な閉じられた思想体系、様々な文体といったもの相互間のあらゆる障壁の撤去に力を発揮し、あらゆる閉鎖性や相互的な無視を一掃し、遠いものを接近させ、ばらばらなものを統合してきたのであり、そこにこそ文学史におけるカーニバル化の偉大な機能は存するのである」(270ページ)

「カーニバル化──それは出来合いの内容の上にかぶせる表面的な不動の図ではなく、芸術的なものの見方の非常に弾力性に富んだ形式なのであり、それまで見たことのない新しいものの発見を可能にする、一種の発見の原理なのである。交替と更新のパトスを伴ったカーニバル化は、表面的に堅固な、完成された、出来合いのものをすべて相対化し、ドストエフスキーに人間および人間関係の最深層をのぞき込ませたのである。」(335ページ)

カーニバル的形象においては「両極端が互いに出会い、互いを互いの中に見出し合い、反映し合い、知り合い、理解し合っている」。ドストエフスキーの「創作世界に生息するものはすべて、自らの対立物との境界線上に立っているのである。愛は憎悪との境界線上に生息し、憎悪を知り、理解しているのであり、一方憎悪は愛との境界線上に生息し、同じように愛を理解しているのである」。…「また信仰は無神論との境界線上に生息して、無神論の中に映る自分の姿を見、無神論を理解するのであり、一方無神論は信仰との境界線上に生息し、信仰を理解するのである。崇高や高潔は、堕落や卑劣との境界線上に生息している(ドミートリー・カラマーゾフ)。生に対する愛は自己消滅の欲望に隣接している(キリーロフ)。純粋無垢と賢智は背徳と肉欲を理解しているのである(アリョーシャ・カラマーゾフ)。」…「カーニバル化は、大きな対話の開かれた構造を作り出すことを可能にした。すなわち従来は主として単一かつ唯一のモノローグ的意識が、つまり(例えばロマン主義のおけるように)単一不可分で自己増殖的な精神が支配していた精神と知の領域の中に、人間の社会的な相互関係を持ち込むことを可能にしたのであった。カーニバル的世界感覚の助けがあればこそ、ドストエフスキーは倫理的および認識論的な独我論を克服できるのである。自分自身とのみ取り残された人間は、自らの精神生活のもっとも深奥の内面的な領域においてさえ、ものごとに決着をつけるということができず、他人の意識なしにはにっちもさっちもいかないのだ。人間は、自分自身の内側だけでは、けっして完全な充足を見出すことができないのである。」(354~356ページ)

 あらゆる登場人物が脇役ではなく自律性を備えた主体である、と言っても、それぞれが自己完結した単位であるかのようにイメージしてしまうと間違ってしまう。“自分”なるものの内部にも“他者”の視線が入り込み、その入り組んだ自己内分裂の自覚から言葉がにじみ出てくる。たとえば、『地下室の手記』の語り手についてこう述べられる。

「自分に対する他者の意識の支配から逃れ、自分自身のための自分自身にどうにかしてたどり着こうとする最終的で絶望的な試みとして、他者の内にある自分のイメージを破壊し、他者の内なる自分のイメージを汚染すること──これこそ、《地下室の人間》の告白全体の狙いである。だからこそ彼は故意に、その自分自身についての言葉を醜悪なものにしようとする。そして彼は、他者の目に(かつ、自分自身の目に)英雄として映りたいという、自分の内なる欲望をすべて抹消しようとするのである。」(478ページ)

 カーニバル的な対話空間は、こうした自己内分裂をも白日の下にさらけ出してしまう。そもそも、自分が一体何者なのか? 一つ一つの言葉が呼びかけ、呼びかけられ、相互応答する中ではいずりまわる。作者自身も上から目線で彼らを操るなどということはできず、同じ地平に巻き込まれて対等な立場で登場人物たちとの結論なき対話に応じ、さらには読者もまた、作者をも含めた彼らの呼びかけに向かって真摯に呼応せざるを得なくなる。そのような応酬で切り結ばれた言葉にこそ、読み手の肺腑をえぐり、不安に陥れるリアリティーがあった。

「主人公の対話に介入せず、中立的に、客観的にその完結した形象を紡ぎ出す当事者不在の言葉というものを、ドストエフスキーは知らない。人間の個性を総括してしまうような《当事者不在》の言葉というものが、彼の構想に入り込むことはないのである。自らの最後の言葉をもはや言いきってしまった確固とした、生気のない、完結した、返答のないものは何一つ、ドストエフスキーの世界には存在しないのである。」(525~526ページ)

 話はかわるが、私自身の基本的な関心事は、東アジア世界における日本の近代思想史を自分なりの視点で捉えてみたいというところにある。右翼とか左翼とか、保守派とか進歩派とか、体制派とか反体制派とか、そうやって画然と分類して、一方を是として他方を論難するような議論というのが昔から大嫌い。と言うか、肌に合わない。真摯な言葉であれば、その人がどんな立場にあろうともそう語らざるを得なかった必然性というのがやはりあるわけで、それぞれに多様な思想が互いに矛盾しつつも絡まり合って、総体として、それこそポリフォニーとして響き合っている、そうしたあり様を描き出した思想史があれば是非とも読んでみたいし、なければ出来得るならば自分自身で書いてみたい(言うまでもないが、教科書的にこんな思想があった、あんな思想もあったと無味乾燥に列挙するのとは次元が根本的に異なる)。バフチンを読みながらそんな気持ちに駆られたという次第。

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