カテゴリー「国際関係論・海外事情」の91件の記事

2009年11月 1日 (日)

平野千果子『フランス植民地主義の歴史──奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』

平野千果子『フランス植民地主義の歴史──奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』(人文書院、2002年)

・フランス人権宣言→当初は植民地に適用されず。
・植民地の領有と奴隷制とは別物、悪いのは後者だと考えていた。
・フランス革命の最中、サン=ドマング(ハイチ)で奴隷の反乱→白人植民者はイギリスと同盟→革命政府は奴隷制廃止で植民地の確保を図る→しかし、ナポレオンが奴隷制復活→ハイチは独立→フランスには、奴隷制廃止=植民地崩壊という強迫観念。
・1848年の二月革命→奴隷制の廃止=“文明化”(自由・平等の共和主義が共和国フランスへの同化を意味するようになる)。シュルシェール「王政は奴隷にしたが、共和国は自由にする」→革命の理念と“文明化”言説が結び付く。他方で、アルジェリアには奴隷制があった→やめさせるのも“文明化”→アルジェリア征服を正当化。同化政策を明確に表明。限定条件付で植民地に参政権を与えたが、差別は残る。
・19世紀は“進歩”の時代→植民地拡張という形で「外の文明化」、貧困層も含めて公教育→「内の文明化」が同時進行。
・フランスは革命の国、人権の国である“にもかかわらず”植民地支配をしたのではなく、むしろ革命の理念こそが“文明化”という形で植民地支配を正当化した。

・混血児イスマイル・ユルバンのアイデンティティをめぐる葛藤。

・第三共和制のジュール・フェリー首相:脱カトリックの教育改革→共和主義的国民意識の形成。人種主義的な風潮の中、フランスが「野蛮で」「劣った」民族を「教化する」ことが“文明化”→植民地拡張を正当化。これは共和主義者が推進。
・保守派は経費負担の重さから植民地に反対し、むしろアルザス・ロレーヌ奪還を優先すべきと主張。しかし、1890年前後以降、劣勢にあったため保守派も共和政を受け入れてから、植民地拡張に賛成。
・“文明化”言説の重層性:共和主義者が掲げる革命の理念だけでなく、保守派のキリスト教化という理念も許容された。

・戦間期には植民地の領有は自明視。第一次世界大戦で植民地の有用性が確認された。
・ブルム・ヴィオレット法案:植民地の権利面での同化を認める法案だが、アルジェリア入植者階層の反対で廃案(権利の同化→支配関係が崩れてしまう)。この法案の背景として、アルジェリアの民族運動家は独立よりも政治的地位の向上を優先させていた。当初、アルジェリアではフランス市民権を得るにはイスラムの棄教が条件とされていたが、その条件なしの同化を目指す→フランス市民になりつつも、文化的拠り所は維持したいという思い。提案者ヴィオレットの発言「アルジェリア『原住民』には、まだ祖国がない。彼らは祖国を求めている。フランスという祖国を求めているのだ。速やかにそれを与えよ。さもないと、彼らは別の祖国を作るだろう」。
・アンドレ・ジイドは改良主義的→植民地の白人による過酷な支配形態を批判はしたが、植民地支配そのものを批判したわけではない。他方で、フェリシヤン・シャレは植民地の解放を主張(ただし、彼は第二次世界大戦で対独協力を容認した経緯があるため、戦後は忘却された)。
・フランスで自由と平等を学んだ留学生がこの矛盾に気付いた、つまり民族解放の理念を学んだのはフランスにおいてであったという言い方にはフランス中心の偏りがないか?と指摘。そうでないケースとして、ファン・ボイ・チャウを例示。
・セネガルのブレーズ・ディアニュは、兵役=「血の税金」こそが完全同化への道だと主張。ただし、アフリカは自前の国家を持つ前に植民地化された→従属から脱する方法としてまず支配者と対等の立場を目指したという側面が強い。

・第二次世界大戦で、ヴィシー政権とドゴール派のそれぞれが植民地に自分側につくよう働きかけ→カリブ海出身でチャド総督のフェリックス・エブエの主導でアフリカ植民地はドゴール派についた→コンゴのブラザヴィルが自由フランスの首都。対独抵抗運動の基盤としての植民地の存在。
・戦後の植民地は、フランスの外交方針としての“大国意識”に翻弄され、“文明化”言説とは関係ない。
・「フランス連合」から「共同体」への再編:植民地の自発的意志により、不参加は独立という建前だが、独立を選んだ場合には経済援助なし。
・フランスの植民地支配が日本のそれよりも批判を受けていないのはなぜか? 日本の場合にはスローガンに天皇制→フランスが(現実はともかく)掲げた理念の普遍性がなかった。ただし、フランスは、その掲げた普遍性が植民地主義の免罪符として作用、かえって植民地支配の問題点を自ら問い直す契機がなかったとも言える。
・被植民地側にも“オクシデンタリズム”の問題。ヨーロッパ文明への憧憬から、フランスを価値序列の上位に位置付け、社会的ステータス上昇のため自ら進んで“同化”を目指したという側面も指摘され得る。
・被植民地側の特徴として“クレオール”、つまり複数意識を肯定する考え方→これに対して、“ネグりチュード”の問題。“クレオール”的な複数意識の中から黒人としてのアイデンティティのみを抽出・単一化させて(それもまた虚構であっても)植民地主義へのアンチテーゼにしてしまう志向性。

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2009年10月20日 (火)

『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝──中国に一番憎まれている女性』

ラビア・カーディル、アレクサンドラ・カヴェーリウス(水谷尚子・監修、熊河浩・訳)『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝──中国に一番憎まれている女性』(ランダムハウス講談社、2009年)

 “ウイグルの母”ラビア・カーディルからドイツ人ジャーナリストが話を聞いてまとめられた自伝。原著はドイツ語。以前に英訳版Rebiya Kadeer with Alexandra Cavelius, Dragon Fighter: One Woman’s Epic Straggle for Peace with China(Kales Press, 2009)を読んだが、日本語訳の新刊が出たので改めて手に取った。訳文はこなれていて読みやすい。原著には誤り、誇張した箇所等が散見されるそうで、それは監修者によって訂正されている。物語風の構成となっているが、文革、グルジャ事件、獄中の様子等も含め漢族優位の社会体制の中でウイグル人が置かれている深刻な状況が描かれている。彼女の生い立ちを通して、東トルキスタン現代史を知る上でも手引きとなるだろう。英訳版を読んだときには、ラビア女史が状況改善のため女性のエンパワーメントに尽力していたことに関心を持った趣旨のコメントをこちらに書いた。

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2009年8月29日 (土)

リチャード・J・サミュエルズ『日本防衛の大戦略──富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』

リチャード・J・サミュエルズ(白石隆監訳、中西真雄美訳)『日本防衛の大戦略──富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』(日本経済新聞出版社、2009年)

 大陸戦略か、海洋戦略か。軍事力か、経済力か。アジアか、ヨーロッパか。大国か、小国か──。議論の手始めとして、近代日本の外交方針をめぐる様々な思想潮流が類型的に整理され、局面に応じてこれまで三つのコンセンサスにまとまったことがあると指摘される。第一に、追いつき追い越せ型の明治コンセンサス=富国強兵。第二に、帝国主義のロジックに乗った近衛コンセンサス=「東亜新秩序」。第三に、アメリカとの同盟を戦略的に選び取ることで軽軍備・経済発展を可能にした吉田ドクトリン。近代日本の対外構想をトータルな見取図として提示し、その枠内において現代の日本が直面している外交的課題を位置づける。思想史的に不正確な箇所もあるが、外交方針をめぐる対立図式の分析にあたって理念型を設定したものと割り切って読めばいいだろう。

 戦後日本の安全保障論争では国際環境への顧慮よりも国内的要因の方が大きな作用を示し、とりわけ平和主義の発言力が強かった。しかし、吉田ドクトリンは、この平和主義世論を口実として保守勢力内の自主防衛論を抑制しつつ、冷戦へ巻き込まれるのを避けて経済中心の政策を実質的に進めるという絶妙なバランス感覚を示した(内閣法制局の憲法解釈による抑制や、防衛庁への他省官僚出向という形での文民統制など制度的側面も指摘される)。本書はこうしたところに日本の戦略文化におけるプラグマティックな連続性を見出す。

 日本の外交戦略に底流するプラグマティックな流れを踏まえ、また、日本国内で防衛論議へのタブーが消えつつあり、対米同盟依存がアメリカの世界戦略に巻き込まれかねない危険と中国の台頭という状況を見据え、次に現われるであろう第四のコンセンサスを「ゴルディロックス・コンセンサス」と呼ぶ。それは各方面にリスク・ヘッジしながら、極端にハードでもソフトでもなく、アジアにも欧米にも偏り過ぎない外交戦略だという。一見、新鮮味に欠ける当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、最も賢明であり、かつ高度な駆け引きの求められる路線であろう。なお、ゴルディロックスとは、「三匹の熊」という童話に登場する女の子の名前で、適度な均衡状態のたとえによく使われる。訳書にこの表現について注がないのは不親切だ。

 なお、戦後日本外交のプラグマティックな自主性に着目した議論としては、添谷芳秀『日本の「ミドル・パワー」外交──戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)も良書である。以前、こちらで取り上げた。

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2009年8月27日 (木)

松田康博編著『NSC 国家安全保障会議──危機管理・安保政策統合メカニズムの比較研究』

松田康博編著『NSC 国家安全保障会議──危機管理・安保政策統合メカニズムの比較研究』(彩流社、2009年)

 政府内において安全保障政策の総合的企画・立案・調整を担当する組織部門の比較研究をテーマとした論文集。アメリカのNSC(National Security Council、国家安全保障会議)が代表的だが、他に韓国、台湾、ロシア、中国、シンガポール、イギリス、日本を取り上げる(ただし、中国には該当する組織部門がなく、安全保障政策形成過程を示すことで比較対照)。それぞれの制度や設立経緯を紹介するだけでなく、運用上の問題にも目配りしている。執筆陣は防衛省防衛研究所の関係者が中心だが、純粋に学術的な内容。Ivo H. Daalder and I. M. Destler, In the Shadow of the Oval Office: Profiles of the National Security Advisers and the Presidents They Served─From JFK to George W. Bush(Simon & Schuster, 2009)という本を読んでいたのだが(途中まで読んでほったらかしだが)、たまたま本書を見かけ、この辺のことをよく知らないので勉強のため手に取った次第。関心を持った点をいくつかメモ書き。

・大統領直属という性格から、法的・制度的な裏付けのないケースが多い。
・研究者などの民間人を政治任用しているケースが多い。また、組織肥大化の傾向あり。
・制度的な問題もあるが、どんな制度であっても、人的要因によってその運用が左右される。
・アメリカの現在のNSCの特徴は、In the Shadow of the Oval Officeでも指摘されているが、チームワーク重視と非公然活動の抑制。かつてニクソン政権の安全保障問題担当大統領補佐官キッシンジャーが国務長官を無視して華々しい外交成果を挙げたが、カーター政権のブレジンスキー補佐官は国務長官と対立して外交活動が頓挫→補佐官は省庁間の誠実な仲介者としてチームワーク作りを行なうことが重要な任務と期待されるようになった。キッシンジャー型の独断専行を嫌ったレーガン政権においてNSCの存在感は低下→表舞台ではない所でNSCが勝手に非公然活動→イラン・コントラ事件→NSCの建て直し、という経緯あり。(なお、In the Shadow of the Oval Officeの著者による要約がForeign  Affairs, January/February 2009に掲載されており、こちらを読めば歴代補佐官の活動を通してアメリカのNSCの歴史が概観できる。着実な調整活動によって政策決定上のリーダーシップを発揮した例としてパパ・ブッシュ政権のスコウクロフト補佐官が高く評価されていた。)
・韓国は金大中・盧武鉉の対北朝鮮“太陽政策”、台湾は中国からの圧力が多元化するようになった→軍事対決というだけでなく、接触・交渉も含めて総合的な安保政策を立案する必要からNSC型組織を重視。
・安保政策を立案する上では、様々な政策分野を一元的に統合する強力なリーダーシップが理想的。その補佐として企画立案・関係省庁の調整にあたるのがNSCの役割。当然ながら、大統領の権限強化が目指されるため、独走しないように常にアカウンタビリティーが必要。
・中国はかつての毛沢東独裁のトラウマがあるため集団指導体制を取っている→NSC型組織を現時点では持っていない。安保政策は中央軍事委員会で決定されており、国家次元で意思統一が図られているのか不透明だと指摘。
・イギリスは議院内閣制だが歴史的に政府・与党一体化しており、首相のリーダーシップがもともと強い。政府・与党(自民党)二元体制の日本とは異なる。
(※なお、民主党のマニフェストを見ると国家戦略局なるものを創設するらしいが、NSCを目指しているということか? そう言えば、安倍政権の時にも日本版NSCを作ろうという動きがあったな)

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2009年8月 6日 (木)

白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』

白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ──暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社、2009年)

 資源輸出をテコにして一定の経済成長も少なくとも統計数字上はうかがわれるアフリカ。それにもかかわらず、実態は今さら言うまでもなかろう。本書は、毎日新聞のヨハネスブルク特派員として南アフリカ、モザンビーク、ナイジェリア、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、スーダン、ソマリアなどの各地を歩いて現場を見聞したルポルタージュ。

 南アフリカの治安の悪さは有名である。組織犯罪、人身売買、そして絶え間ない暴力の日常──。国全体が貧しい場合にはこれほど治安が悪化することはない。しかし、南アは貧困と経済大国としての豊かさとが並存したいびつな状態にある。スラムのすぐ目の前に富がある。むしろ、極端なまでの貧富の格差が人びとの気持ちを荒ませ、暴力で奪い取ろうとさせる構図が指摘される。本書の最後、著者の知人が交通事故で公立病院に運び込まれたが放置されて死んでしまった問題からは、南アにも高度な医療技術があるにしても、かつてアパルトヘイトの時代は白人、現在は金持ち(つまり、政治活動を通して特権階層にのし上がった黒人)以外はアクセスできないという現実がうかがえる。

 コンゴの大統領選挙では、人びとの鬱積した不満が排外主義的・暴力的な主張に取り込まれていく様子が観察される。コンゴやスーダンが資源輸出による資金で軍備を購入、それが内戦や政治弾圧に使われていることは周知の通りだろう。中国のアフリカ進出がここのところ目立つが(とりわけ、ダルフール問題を抱えるスーダンへのバックアップは国際世論の批判の的となっている)、事実上無政府状態に陥っているソマリアですら中国人技術者と出会ったというのが驚きだ。こうした中国人のアフリカ進出のことは松本仁一『アフリカ・レポート』(岩波新書、2008年)でも記されていた。現地では、政府による抑圧構造の背景に中国が存在しているとして人びとの反発を受け、それが場合によっては排外主義の的となって暴力的な襲撃を受けてしまうこともあるらしい。

 何かが、どこか、タガが外れてしまっている。そこには構造的な要因があるはずなのだが、その解法がなかなか見つけられないもどかしさ。本書はそうした困難なアフリカの問題を、現地の様々な人から聞き取った記録を通して報告してくれる。

 アフリカの問題については、以前、ロバート・ゲスト(伊藤真訳)『アフリカ 苦悩する大陸』(東洋経済新報社、2008年→こちら)、松本仁一『アフリカ・レポート』他(→こちら)を取り上げたことがある。経済的・政治的構造についてはポール・コリアー『最底辺の10億人』(→こちら。邦訳は、中谷和男訳、日経BP社、2008年)、『戦争・銃砲・投票──危険地帯のデモクラシー』(→こちら)も読んだ。ソマリアについてはこちら(→)にまとめた。スーダンのダルフール問題については、ダウド・ハリ(山内あゆ子訳)『ダルフールの通訳』(ランダムハウス講談社、2008年→こちら)がある。コンゴ民主共和国近隣で拡大した紛争の要因としてルワンダのジェノサイドについても触れられるが、当事者の記録として、ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』(→こちら。邦題『ホテル・ルワンダの男』堀川志野舞訳、ヴィレッジ・ブックス、2009年)、ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』(→こちら)を取り上げた。特に、『悪魔との握手』は平和維持活動の問題を考える上で必読だと思っているのだが、邦訳はまだない。どこかが版権をおさえているらしいので、遠からず刊行されるものと期待している。

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2009年7月29日 (水)

ポール・コリアー『戦争・銃砲・投票──危険地帯のデモクラシー』

Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009

・アフリカ諸国など貧困と政治的不安定に苛まれる“最底辺の10億人”(bottom billion)。どんな対策を立てるにしても、まず実施主体となる政府に実効性を持たせることが出発点である。具体的には、国内的・対外的安定(security)と政策への責任(accountability)が国家のインフラとして最低限の要件→しかし、民族的多様性・対立状態(ethnic diversity)のため、公共財の利用が困難→国家再建の前提としてナショナル・アイデンティティの確立が必要。
・紛争終結後、新政権の正統性を確立するため民主的な選挙を実施する→しかし、“最底辺の10億人”の国々はたいてい民族的に多様→アイデンティティ・ポリティクスが激化→選挙はかえって暴力を誘発しやすい(民主的選挙→政治統合→暴力抑制、という経過をたどる先進国とは対照的)。
・紛争終結後の10年間が最も危険→①国連等による平和維持活動、②インフラ整備も含めて経済的支援が必要
・平和維持活動、over-the-horizon-guarantee(いつでも大軍を派遣できる状態を整えておくこと→シエラレオネ内戦で少数のイギリス軍の存在が抑止効果)→費用対効果に見合う成果がある。
・紛争終結後の経済的支援→インフレ抑制→貨幣への信頼を取り戻し、国外に逃げていた資本(capital flight)を呼び戻せる。インフラ整備は雇用創出にもつながる。ところで、土木工事にもスキルは必要→しかし、長引いた紛争でスキルが失われている→訓練が必要→“国境なきレンガ積み職人”が必要!
・独裁者(例えば、旧ザイールのモブツやジンバブエのムガベ)は金が欲しい、しかし、人気取りのため税はかけなくないし、輸出用天然資源も枯渇→お札を刷る→ハイパーインフレ→国民に税と思わせない実質的な増税。
・カラシニコフ銃(安価で操作性も高い)の流入→内戦リスク→国内情勢が不安定化して政権側は軍事費拡大(国外からの援助も流用)→軍拡に隣国が警戒心→地域全体の不安定化→経済にも悪影響(誰も投資しない)→この悪循環をどうするか? 地域的な協力関係を構築して不安定を解消する努力が必要→国家再建のインフラとしてsecurityを確保
(※松本仁一『カラシニコフ』などを参照のこと→以前にこちらで触れた)
・植民地帝国の解体→部族意識とたまたまの国境線→国境線の範囲内に住んでいるという意味では国家(state)だが、同じ国民としての帰属意識(national identity、national loyalty)が共有された国民国家(nation)ではない。ナショナル・アイデンティティが公共財の利用の大前提となる(そうでないと、支配部族が独占してしまう)。先進国における多文化主義(multiculturalism)は、同じ国家への帰属意識を前提とした上での多文化尊重である点に留意。
・アフリカ諸国の大半は、安全保障の点では規模が小さすぎ(部族ごとに独立すると収拾がつかない)、国内的凝集力が生み出せない点では規模が大きすぎる(部族・民族的対立)→ケースに応じて国家統合・連合も必要。
・民族的分裂状態を克服し、国家建設の基盤としてナショナル・アイデンティティ形成の必要(立場が異なっても集団的行動が可能となるように)→指導者のリーダーシップが不可欠(インドネシアのスカルノ、タンザニアのニエレレが成功例。対して、ケニヤのケニヤッタは経済発展には成功したが、キクユ族に依存→死後、キクユ族内で後継者争い→暫定的にマイノリティーであるカレンジン族のモイを大統領に→モイが実権を握り、カレンジン族優位の体制に)。
・デモクラシー確立に向けて暴力を抑制するには? Accountability→公共投資における透明性を確保するには? Security→安全保障を確保するには? 以上3つの問題点について具体的な提言。
・著者の前著『最底辺の10億人』については以前、こちらで触れた。

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2009年7月24日 (金)

レイ・タキー『革命の守護者:アヤトラたちの時代のイランと世界』

Ray Takeyh, Guardians of the Revolution: Iran and the World in the Age of the Ayatollahs, Oxford University Press, 2009

 イラン国内の政治力学、とりわけイデオロギー的立場とプラグマティックな立場とのせめぎ合いが対外政策に連動している様相を本書は分析する。著者による前著『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』(→こちら)では国内の党派的動向の分析に重きが置かれていたが、本書は外交政策形成の国内的背景が中心テーマとなる(内容的には重複が多い)。とりわけ、イランとアメリカの関係、一方の敵愾心が他方の憎悪を増幅させてしまう負のスパイラルを解きほぐすことに焦点が当てられる(なお、『隠されたイラン』を取り上げた際に著者名をタケイと表記したが、『フォーリンアフェアーズ 日本版』の目次をネット上で見るとタキーとなっているので、こちらに従う。)

 イスラム革命の当初から革命イデオロギー(欧米=帝国主義、イスラエルやアラブ諸国支配階層はその代理人)とプラグマティズムとのせめぎ合いが見られた。バザルガンやバニサドルは中立政策(アメリカとは距離を置くが、関係断絶まではしない)を模索したが、アメリカ大使館占拠事件、イラン・イラク戦争と続いてホメイニ体制が確立する過程で失脚。体制内でも、例えばラフサンジャニは柔軟な路線(融和とはいわないまでも、現実的な交渉はする)をとろうとしたが、保守強硬派から猛反発を受けると反米的態度を表明(保守派の抵抗があるとすぐに自説を撤回して立場を守るのが彼の政治行動の特徴で、今回の大統領選後の混乱でもムサビ支持でありつつ現体制への支持も表明した)。ホメイニも彼をかばってラフサンジャニ批判にストップをかけた→ホメイニは体制内の多元的な政治勢力のバランサーとしての役割を果たしていた。

 イラン・イラク戦争の終結後、穏健派のラフサンジャニ政権は経済再建という課題に直面→対外関係の改善が不可欠だが、そうした現実的要請と革命理念との矛盾に苦しむ。イデオロギー的要因から欧米諸国・湾岸首長国との関係改善は失敗したが、社会主義への反発はありつつもソ連・中国とでは成功(この際、中国内ムスリムの窮状は無視された→パワー・ポリティクスの論理がうかがえる)。次の改革派ハタミ政権は“文明の対話”を提唱、イランの変化を国際社会に印象付けた。

 ラフサンジャニら穏健派、ハタミら改革派はホメイニ体制を維持しつつ近代国家を摸索したが、経済開放→外来文化の流入→欧米帝国主義への屈従だとして保守派から反発、その保守派は非選出ポストにいて妨害→内政面での改革には失敗した。「視野の狭い反対者」と「忍耐のない友人たち」との板ばさみになったハタミはとにかく両者のなだめ役に回るしかなかったが、成果はなく改革派は幻滅→次の選挙では決選投票に持ち込まれた末、ダークホースだった保守強硬派のアフマディネジャドが穏健派の実力者ラフサンジャニを破って当選(改革派はメディアを通した世論に依存して組織固めをしなかったのに対し、保守派には革命防衛隊などの組織があったことも指摘される)→最高指導者のハメネイはアフマディネジャドを支持した。理由としては、ハメネイはラフサンジャニとは対立関係にあったこと、また、ホメイニとは異なって宗教的カリスマに乏しく、自前の政治基盤を固めるため保守強硬派に軸足を置く→ホメイニのような体制内バランサーとしての役割を放棄(今回の大統領選挙後の混乱の一因ともなった)。

 アフマディネジャドは「ホロコーストはなかった」発言で物議をかもした。イランでは、国内向けのロジックをそのまま国際社会に向けて発信して反発を受けてしまうシーンがしばしば見られる。イスラエル抹殺など過激な発言の背景としては、第一に、アフマディネジャドやその支持組織である革命防衛隊はイラン・イラク戦争で聖戦意識の昂揚した時代に育った→イデオロギー性が濃厚。第二に、中東諸国の一般感情に訴えて地域大国としてのリーダーシップ強化という戦略的思惑もある(ヒズボラやハマスへの支援には両方の動機が見られる)。他方で、対話を通じて国際社会における地位確立を目指すハタミらの改革派はこうした発言を批判している。

 地域大国としての存在感誇示(=ナショナリズム)のため核開発を進めるという点では、実はパフレヴィー朝時代から一貫している。もう一つの動機は、イラン・イラク戦争での国際的孤立、とりわけイラクによる化学兵器の使用(国際社会は黙認したというダブルスタンダードへの反発)→安全保障は自力救済という強迫観念(この動機から核開発に着手したのが、当時のラフサンジャニ国会議長とムサビ首相)。穏健派・改革派の場合、あくまでも抑止力としての核開発→取引や譲歩も可能。対して、保守強硬派はナショナリズムが主要動機→取引困難。なお、ナショナリズムに立つ保守強硬派の中でも、アフマディネジャドのようなイデオロギー的武闘派だけでなく、イランの地域大国としての地位を確立するためにはアメリカとの合理的な交渉も必要という現実派もいる(たとえば、核開発問題の交渉役やその後国会議長も務めたラリジャニ→今回の大統領選後の混乱ではアフマディネジャドを批判)。

 アメリカのCIAの画策でモサデク首相失脚のクーデター、イラン・イラク戦争ではイラクを支持し、フセインの化学兵器使用を黙認→イラン側の憎悪。対して、アメリカ大使館占拠事件→アメリカ側にも憎悪。イラン・アメリカとも、相互認識のミスリードが両国間の緊張をますます高めてしまう負のスパイラルがある(ブッシュ政権はイランを“悪の枢軸”の一つに指名した)。湾岸戦争後におけるイラクのフセイン政権、9・11後におけるアフガニスタンのタリバン(スンニ派)という共通の敵→関係改善のきっかけもあったが、イラン国内の反米強硬派とアメリカ側の対イラン不信感のため、ラフサンジャニのプラグマティックな路線も、ハタミの“文明の対話”路線も失敗してしまった。

 大雑把に言って、国際政治におけるリアリズムは力の均衡という観点から国家間関係を把握する(パワー・ポリティクス)。こうした捉え方が必ずしも間違っているとは思わない。有効な場面もあり得るが、ただし、国家それぞれの内在的要因が過度に単純化されてしまうと、力の均衡を図る(つまり、相手の善意に期待しない)という点ではリアルではあっても、相手方の行動の原因・動機を正確に認識できないという点で必ずしもリアルとは言いがたい。具体的には、ネオコンがこの罠に陥った(→ロバート・ケーガン『歴史の回帰と夢想の終わり』[邦題:『民主国家vs専制国家 激突の時代が始まる』]の記事で触れた)。第一に、その国家内で複数の政治グループがせめぎ合っている場合、どのグループが主導権をにぎるかによって出方が異なってくる。第二に、どのグループが主導権をにぎるかは、対外的脅威の受け止め方、言いかえればこちらからの圧力のかけ方によっても変動し得る。こうした相互認識のあり方が外交政策形成に及ぼす影響に着目するアプローチをコンストラクティヴィズムという(→ピーター・J・カッツェンスタイン『文化と国防──戦後日本の警察と軍隊』または『日本の安全保障再考』の記事で触れた)。

 イラン政治の内在的ダイナミズムと外交政策との関わりからそうしたパーセプション・ギャップを捉えかえそうとする本書の視点はコンストラクティヴィズムの分析アプローチに近いと言える。イラン外交に時折見られる機会主義(オポチュニズム)的な対応には、イスラム革命イデオロギーだけでなく地域大国としての地位を目指す戦略的動機もうかがえる。アメリカはバランス・オブ・パワーの考え方で封じ込め政策をとるのではなく、地域的安全保障の枠組みにイランも巻き込み、そのバックアップをするべきだと本書は主張する。なお、Mohsen M. Milani, Teran's Take: Understanding Iran's U.S. Policy(Foreign Affairs, July/August 2009)も同様の議論を展開している。こうした提言を受けてであろう、オバマ政権は対話路線に切り替えている。

 ついでに言うと、国際世論の反発という政治的コストがかつてないほど大きくなっているため、リアリズムも変質している。ネオコンのようなイデオロギー的な動機からパワーの行使をためらわないリアリズム(矛盾した表現だが)は異様であった。たとえば、スティーヴン・ウォルトは、パワー・バランスの不安定が紛争につながりかねない地域だけに必要最小限の軍事的プレゼンス(オフショア・バランシング)→地球規模の軍事戦略は抑制→国益に死活的な場面に限定すべきというロジックをとり(ネオリアリズム)、ネオコンを批判した(→『米国世界戦略の核心』)。

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2009年7月19日 (日)

ラビア・カーディル『ドラゴン・ファイター:平和を求めて中国と闘うある女性の物語』

Rebiya Kadeer with Alexandra Cavelius, Dragon Fighter: One Woman’s Epic Straggle for Peace with China, Kales Press, 2009

 “ウイグルの母”ラビア・カーディルは、中国政府による苛酷な弾圧から逃れたウイグル人亡命者の組織・世界ウイグル会議の主席を務めている。本書は、彼女へのインタビューをもとに物語風に再構成された自伝である。巻頭にはダライ・ラマから寄せられた序文が掲げられている。

 政策として行なわれた強制移住への戸惑い、貧困、必ずしも望んだわけではなかった銀行幹部との結婚、文化大革命、そして離婚。漢人優位の社会体制や女性の立場の低いウイグルの伝統的な考え方の中、公的な教育を受ける機会のなかった彼女にとって状況は最悪であった。しかし、自立心の旺盛な彼女は洗濯屋を皮切りに、試行錯誤の末、商売で成功を収める。文化大革命は終わり、改革開放の機運の中、中国でも有数の富豪として認知された彼女は全国人民代表大会新疆ウイグル自治区代表など様々な公的役職にも就いた。

 これは単なる成功物語としてではなく、彼女の社会起業家としての側面をみるべきだろう。彼女がとりわけ努力を傾けたのは女性のエンパワーメントの問題である。1987年、国際女性デーである3月8日を期してバザールを開設した。女性でも自ら稼げる場所を提供するためである。このバザールを七階建てのビルに建て替えたが(ラビア・ビルと呼ばれ、ウイグル人にとってシンボル的存在となった)、建築費用そのものよりも、建築許可を得るためのワイロに要した額の方が大きかったという。官僚制度の腐敗が壁として立ちはだかっていたが、そこに風穴をあけることができたのは、残念ながら必要悪としてのカネの力であった。そのことを彼女は身をもって体験していた。漢人優位の社会構成の中で被抑圧的立場にある少数民族や女性。尊厳も、最低限の生活保障すらも奪われていた彼ら彼女らにとって、何よりもまず自ら稼ぐ力を身につけることが必要であった。それが非暴力的・合法的にウイグル人の立場を高め、一人ひとりが尊厳をもって生きていける環境を築くための手段だからこそ、彼女は子供たちの教育や女性のエンパワーメントの事業に取り組んだ。

 だが、それでも限界がある。たとえば、中国政府はウイグル人に政治的保護を与えないため、カザフスタンに行ったウイグル人事業家はギャングに命を狙われるという話が本書に記されている。つまり、殺して金を奪ってもウイグル人ならどこからもクレームはつかないからである。自分たちの政府を持たない悲劇。ロプノールで行なわれた核実験ではウイグル人に放射能被害が出ている。1997年にはグルジャ事件がおこった。

 こうした状況の中、彼女は全人代(the National People’s Congress)[訂正→人民政治協商会議]で演説する機会が与えられた。全人代での演説は事前に草稿の検閲を受ける。しかし、彼女は検閲済みの草稿など読み上げず、ウイグル人の置かれている窮状を強い調子で訴えた。会場からは喝采を浴び「よくぞ率直に話してくれた」と握手を求められた、が、安心するのは甘すぎる。善処の約束はすべて偽りであり、間もなく報復が始まった。彼女はすべての役職を解かれ、女性のエンパワーメントを目的として立ち上げた「千の母たちの運動」は“分離独立運動”とみなされて解散に追い込まれた。そして、ウルムチを訪問中のアメリカ国会議員たちと接触しようとした彼女は国家機密漏洩の容疑で逮捕され、刑務所に送り込まれてしまう。

 刑務所で彼女が目撃した光景は悲惨であった。漢人職員によるウイグル人収容者の拷問が横行していた。彼女自身も、減刑を約束された同房者からいやがらせや監視を受ける毎日で、ハンガーストライキを行なった。在獄中の2004年、ラフト人権賞を受賞。海外からの働きかけもあって、2005年に病気療養の名目で釈放され、そのまま空港に直行、アメリカの外交官に引き渡され、亡命することになった。

 しかし、アメリカに亡命したからといって安心はできない。何よりもまず家族を新疆に残したままだ。また、2006年にはワシントンで“交通事故”に遭い、かろうじて一命はとりとめたが、これは中国の公安の仕業であった。(なお、日本とて安心はできない点では例外とは言えない。水谷尚子「中国のスパイだった友人の告白──素人を協力者に仕立てる当局の恐るべき手口」『VOICE』[2009年8月号]には、来日したラビア女史の動向や日本でウイグル問題に関心を持っている人物・組織について探りを入れて公安に報告していたウイグル人のことが記されている。彼らとて自発的にスパイをしているのではなく、公安に弱みを握られ、脅され、罠にはめられてそうした活動を無理強いされている。)

 今回のウルムチ事件ではだいぶ報道はされたものの、これまでチベットに比べてウイグルの問題はあまり注目を浴びることはなかった。9・11後、中国政府はウイグル→イスラム→アル・カイダ→テロリズムという何ら必然性のないこじ付けで“テロとの戦い”を大義名分としてウイグル人弾圧を正当化していることが指摘される。

 本書のオリジナルはドイツ語だが、英語版に続き、近いうちに日本語版も刊行されるらしい。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)にもラビア女史へのインタビューがあるのでこちらも参照されたい。

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2009年7月 6日 (月)

ウイグル問題のこと

 昨日、新疆ウイグル自治区・ウルムチの大規模暴動で140人以上の死者が出ているとの報道がありました。最新情報・背景解説とも「真silkroad?」さんが詳しいので参照のこと。なお、私のブログではウイグル問題関連で以下の書き込みをしたことがあります。

水谷尚子『中国を追われたウイグル人──亡命者が語る政治弾圧』
Blaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China  (中国語が標準語とされる中、ウイグル人の言語的不利がある一方で同化圧力が強まり、また漢人からの人種的偏見→ウイグル人が社会的底辺に追いやられている問題を本書は指摘)
ウイグル問題についてメモ①
ウイグル問題についてメモ②
原爆をめぐって
ウイグル問題についてメモ③
ウイグル問題についてメモ④
ウイグル問題についてメモ(5)

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2009年6月30日 (火)

ちょっと調べものしてたら

 ちょっと調べものしてたら、ロバート・ケーガン(和泉裕子訳)『民主国家vs専制国家 激突の時代が始まる』(徳間書店、2009年)なる本が1月に刊行されてたのを知った。どうやら原著はRobert Kagan, The Return of History and the End of Dreams(Alfred A Knopf, 2008)らしい。去年、原著を読んだときのコメントはこちらに記してある。翻訳はそのうち出るだろうなあと思ってたけど、タイトルも装幀の雰囲気も全く違うんで気付かんかった。こういう見た目に通俗ビジネス書的な感じの本は普段なら手にも取らない。内容はともかく、原著の装幀はシックな落ち着きがあって結構嫌いじゃなかったんだけどな。ケーガンはネオコンの論客として知られてるけど、オバマ政権となった現在、今さらこんなの読んだってあまり意味ないでしょ。

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2009年6月29日 (月)

レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』

Ray Takeyh, Hidden Iran: Paradox and Power in the Islamic Republic, Holt Paperbacks, 2007

 理解不能なまでに強硬なレトリックを弄ぶアフマディネジャド現大統領に、“文明の対話”を唱えて柔軟な姿勢を示したハタミ前大統領、イスラーム革命後のイラン政治が見せる極端な振幅は海外の我々にとって非常に分かりづらく、時には予測不可能で“危険”だという印象すら与えかねない。しかしながら、今回の大統領選挙不正疑惑を発端とする混乱からうかがえるように、イラン・イスラーム体制は決して一枚岩ではないし(聖職者による事前審査があるにしても、大統領を選挙で選んでいる時点で、かつてブッシュ政権が“悪の枢軸”と名指しした他の国々とは明らかに異なる)、時にはプラグマティックな政策をとるシーンも見られた。

 本書は、そうしたイラン・イスラーム体制における内在的ロジックと政治力学との絡み合いを整理する。具体的には、イスラーム・イデオロギー、国益、派閥力学、これら三つの要因の組み合わせによってイラン現代政治を分析、対米関係、対イスラエル関係、イラク問題、核開発問題などを読み解く視座を提供してくれる(なお、保守派、現実派、急進派、改革派の分布については吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』[書肆心水、2005年]で整理されている→こちら)。著者のRay Takeyhはイラン出身の中東研究者、現在はアメリカの外交問題評議会(the Council on Foreign Relations)シニア・フェロー(そう言えば、Foreign Affairsでこの人の論文を見かけた覚えがあって、以前、こちらで簡単に触れていた)。

 イラン国民の対米不信感は、パフレヴィー国王がアメリカのCIAのバックアップにより“上からのクーデター”を断行、石油会社国有化を宣言した民族主義者モサデク首相を失脚させた事件に起因する。シャー体制はリベラル派・左派を徹底的に弾圧、結果として反体制派としてはイスラーム派が残った。共産主義者(トゥーデ党)からイスラーム主義者まで広範な反シャー体制勢力をまとめ上げるシンボルとなったのがホメイニである。ホメイニが発したメッセージには、帝国主義からの第三世界の解放、民主主義、女性や被抑圧者の権利擁護、ペルシア民族主義(この点ではパフレヴィー朝時代から一貫している)等々、多様な主張が幅広く取り込まれていた。イスラーム革命後、ホメイニをトップに据える形でヴェラーヤテ・ファギー(イスラーム法学者による統治)体制が築かれるが、ホメイニを軸として保守派・現実派・改革派などそれぞれ異なった意見を持つグループが共存、そのバランスによって政策決定が行なわれていた。ところが、ホメイニの死去(1989年)によってこうしたバランスが崩れ、派閥争いが政治の表舞台に浮上した。

 なお、シーア派にはもともと異論を許容する柔軟さがあり、世俗派が壊滅した現体制内では、聖職者たちが最も自由な議論を交わしているという(報道によると、今回の大統領選挙不正疑惑や反対派デモの武力弾圧については聖職者からも多くの異議が出されている)。中には、聖職者は政治に関与すべきではないという立場からホメイニ体制を認めない見解すら存在しているらしい。

 イラン・イスラーム体制が変質したもう一つの契機がイラン・イラク戦争である。これは単なる領土紛争という以上に、アラブ民族主義を掲げるサダム・フセインとシーア派イスラーム主義に基づくホメイニとのイデオロギー戦争という側面が強かった。アフマディネジャドをはじめ参戦した革命第二世代の保守派は戦時中に強固なイスラーム・イデオロギーを吹き込まれている。他方で、戦況が劣勢だったため、サタンであるはずのアメリカから武器を購入するという“柔軟さ”も見せたが(イラン・コントラ事件)、イラン国内では保守強硬派が暴露、これは現実派の評判を傷つけることになった(もちろん、アメリカでもスキャンダルとなった)。

 イラン・イラク戦争の体験はイランの核開発の動機につながっている。①イラクは化学兵器を使用→イラン側に深刻な被害→安全保障のためには強力な兵器を持たねばならないという危機意識。②国際社会、とりわけアメリカはイラクの化学兵器使用を傍観した→国際世論のダブルスタンダードへの不信感。さらに、③地域大国としてのプライド(それこそ古代のアケメネス朝以来!)。④インド・パキスタンの核開発→既成事実化すれば国際社会も追認するはずという楽観論。

 対イスラエル関係では、イランは国境を接しておらず直接の利害関係はない→イスラームの大義によるプロパガンダが容易に行なわれる。対米関係では、イラン側にはモサデク首相失脚で対米不信がある一方で、アメリカ側にもアメリカ大使館占拠事件で対イラン不信感、狂信的な国家というマイナスイメージがやはり根強い。イランとアメリカの相互不信→他方が譲歩の姿勢を示してももう一方がそれを信用しないというすれ違い→双方の不信感がますます高まるという悪循環。そもそも、アフマディネジャドはイラン・イラク戦争中の孤立的対外認識を依然として引きずってアメリカ=大サタンという捉え方をしているが、他方で、ネオコンのイラン認識も大使館占拠事件の時点から凍りついたまま、従って、両者とも過去の相手イメージによって強硬意見を打ち出すという錯誤があった。

 イラン国内の多元的政治力学から時折現われるプラグマティックな側面に着目すれば、地域的安全保障や国際経済の枠組みに組み込むことでイラン側が抱いている不信感を低下させることはできるだろう。アメリカはそうした方向で働きかけるため封じ込め政策を転換する必要があると著者は主張する(本書刊行後に成立したオバマ政権が対話路線に切り替えても色々と壁にぶつかっているようではあるが)。その際には、やはり強固なイデオロギー国家であり朝鮮戦争等で相互不信の状態にあった中国に対するニクソンのアプローチが参考になるのではないかという指摘が興味深い。

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2009年6月26日 (金)

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦──戦後日本外交の座標軸1960─1964』

吉次公介『池田政権期の日本外交と冷戦──戦後日本外交の座標軸1960─1964』(岩波書店、2009年)

 安保条約をめぐって揺れに揺れた岸信介政権のあとを受けて、池田勇人政権は経済重視の非政治路線によって国内対立の緩和を図ったというのが一般的な見方だろう。しかしながら、この経済重視、高度経済成長という路線を国際政治の次元から捉え返してみるとまた別の視点があり得るのではないか。

 本書では、第一に、池田政権には自由主義陣営の一員としての立場を守ろうという決意のあったことが指摘される。社会党に政権を渡してしまうと中立化してしまうし、安保騒動でアメリカは日本に猜疑心を抱いていたという。自民党が総選挙で勝利する必要があり、そのために“寛容と忍耐”という態度をとり、憲法改正や再軍備の話題は避け、所得倍増計画を打ち出した。第二に、“敗戦国・被占領国” 意識からの脱却を目指していた。いわゆる“大国”意識→日本も応分の義務を果たすべきという考え方になる。第三に、そうした“大国”意識に基づき、自由主義陣営において日米欧“三本柱”の一角を占めるという自覚→アメリカとの対等なパートナーシップを求めたほか、英仏などヨーロッパとの関係再構築も進められた。

 “大国”意識を持つということは、当然ながら日本も主体的なイニシアチブを発揮して外交政策を展開するということである。具体的には東南アジアにおける反共政策として進められ、本書ではとりわけ対ビルマ政策の分析に重点が置かれる(ビルマでは南機関以来の親日感情が期待できた)。池田はアメリカの軍事偏重に批判的であった。そもそもアジア諸国のナショナリズムにおいて自由主義か共産主義かという二者択一はあくまでも副次的な問題に過ぎない。SEATOのような集団防衛体制への加盟ではなく、むしろ経済的・技術的援助によってアジア諸国の民生向上を促す方が効果的だと池田は考えていた。その際に日本の高度経済成長という“成功物語”そのものが第三世界を自由主義陣営へとアピールする外交的リソースになると捉えていたという本書の指摘が目を引く。

 こうした池田政権の外交戦略が必ずしも十分な成果をあげたわけではないが、その後(とりわけ大平政権や中曽根政権)の外交路線の先駆けになったと位置付けられる。受け身で非政治的にも見られやすい経済重視路線だが、目立たないながらも実はそれ自体が戦略的リソースとなる潜在力を秘めている。その活用の仕方によっては主体的な政治外交上の選択肢を取り得たはずだし(中ソ論争、フランスの独自路線など当時の多極化を考えると、決して非現実的でもなかっただろう)、実際、池田政権は冷戦構造の渦中にあっても日本なりに場の仕切り直しを図ろうとしていた。国際政治の大問題から距離を置いた受け身の戦後日本外交という通説的な捉え方とは異なった視点を示した研究として興味深い。

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2009年6月24日 (水)

吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』

吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』(書肆心水、2005年)

 “原理主義”“宗教復興”といった観点から捉えられがちなイラン現代政治だが、本書は、イスラーム法学者による統治=“ヴェラーヤテ・ファギー体制”内においても多様な勢力の思惑が交錯しながら展開されてきた政治動向を分析する。以下、メモ書き。

 イラン近現代史における伝統派と近代派とのせめぎ合いは、カージャール朝の時の立憲革命(1906~1911年)以来続いていた。パフレヴィー朝はアメリカからのテコ入れを受けながら“上からの近代化”を推進、農地改革によって自作農創出→政権基盤化を目指したが、かえって彼らの生活は困窮してしまった。急速な近代化に対する伝統派からの反発ばかりでなく、他ならぬ近代化によって生み出された中間階層までも離反。伝統派と近代派の両方から遊離したシャー体制は構造的に脆弱な体質をはらむ。シャー体制の強権的な政治手法への不満は伝統派から左翼まで広範にわたったが、シャー体制側と反体制運動側とのパワーバランスが逆転→革命→こうした動きをまとめ上げる大衆動員のシンボルとなったのがホメイニである。

 パフレヴィー朝は崩壊したが、革命後の政治ヴィジョンが明確だったわけではない。革命裁判所・革命委員会・革命防衛隊など組織的な中央集権化を逸早く成し遂げたホメイニ派がイスラーム化を推進、王党派残存勢力の排除ばかりでなく革命勢力内反ホメイニ派の粛清も同時並行して行なわれ、“ヴェラーヤテ・ファギー体制”が確立された。

 イラン・イラク戦争(1980~1988年)における経済政策をめぐって保守派と急進派との対立が先鋭化する。保守派はシャリーアを価値規範とし、私有財産の不可侵→自由な経済活動を主張、戦争及び経済統制によって支持基盤のバザール商人層が圧迫を受けていたため、戦争の長期化には消極的。ハメネイ(当時大統領、現最高指導者)が代表格。対して急進派は、被抑圧者の救済や社会的公平の実現を目指して経済の国家統制を主張。戦争継続を訴えていた点では強硬だが、他方で保守派とは異なり文化的次元では寛容な態度をとる。当時の首相で今回の大統領選挙では改革派から立候補したムサビもこのグループにいた。保守派と急進派との中間には原理原則よりも経済優先の現実派が位置し、ラフサンジャニ(当時国会議長、後に大統領)が代表格。戦争の長期化、芳しくない戦況、経済的低迷により国民の間には厭戦気分が広がっており、保守派と現実派とが手を組んでホメイニに働きかけ、急進派を押し切って停戦に持ち込んだ。

 1989年にはホメイニが死去。ホメイニにはサルマン・ラシュディ事件などもあって頑固そうなイメージがあるが、国内政治においてはむしろ柔軟な判断力を持っていたらしい。ホメイニの立場性さえ尊重していれば体制内において多元性を容認する指導力を発揮。ホメイニをバランサーとする形で保守派・現実派・急進派は共存していた。それは、宗教指導者であると同時に革命指導者でもあるというホメイニの二重にシンボリックな存在感に由来するシステムだったと言えるが、彼の死去により、この“ヴェラーヤテ・ファギー体制”は大きく変質、党派性による権力闘争が濃厚になってくる。

 ポスト・ホメイニ体制は、保守派(ハメネイ最高指導者)と現実派(ラフサンジャニ大統領)が同盟を組んで急進派を排除する形で成立した。しかし、社会経済的状況の悪化、また対外関係を徐々に改善→西側文化の流入→保守派から“文化侵略”という非難が沸き起こる(文化イスラーム指導相だったハタミが非難の矢面に立たされ、辞任)→保守派と現実派の同盟に亀裂が入る。

 1997年、ハタミが大統領に当選。イランの人口構成上多数を占める青年層がハタミ支持に回った結果である。ハタミ支持勢力は改革派と言われるが、反保守派同盟として現実派・急進派を含み、主張には大きな幅があった。保守派が西欧に対する強硬姿勢を強めたため、反保守派の立場から急進派はむしろ文化的寛容という点に重きを置いてハタミ支持に回った。しかしながら、イラン政界における保守派の存在感は大きく、ハタミもフリーハンドで政治運営ができるわけではなかった。かつての支持層に不満・幻滅が目立つようになる。2005年の大統領選挙では、決選投票で現実派の元大統領ラフサンジャニ対保守派のアフマディネジャドという構図→有権者にはラフサンジャニの金権体質への拒否感があったため、青年層・貧困層の票はアフマディネジャドに流れた。

 イラン現代政治を彩る人物それぞれの軌跡が見えてくるので、今回の大統領選挙をめぐる混乱の背景を知る上で本書は有益だ。過去の大統領選挙をみると、改革派のハタミ、保守強硬派のアフマディネジャド、いずれも本命候補を破ったサプライズ。イランには選挙によって政権交代を実現できるだけの社会的資質が本来備わっていたと言えるが、それだけに今回の不正選挙疑惑、そして国民的反発が際立つ。

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2009年4月 9日 (木)

ジョン・J・ミアシャイマー&スティーヴン・M・ウォルト『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』

ジョン・J・ミアシャイマー&スティーヴン・M・ウォルト(副島隆彦訳)『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(Ⅰ・Ⅱ、講談社、2007年)

 ミアシャイマーはシカゴ大学教授、ウォルトはハーヴァード大学教授、共に国際関係論におけるネオリアリズムの理論家として著名である。二人ともリアリズムの立場からブッシュ政権のネオコンが画策したイラク戦争を批判。アメリカはなぜ自らの国益に反する外交政策を強行してしまったのか? そうした問題意識からイスラエル・ロビーがアメリカ政治に及ぼす影響を本書は指摘する。アンチ・セミティックなキワモノ陰謀論とは違ってきちんとした政治学的分析なので、その点は誤解なきよう。

 開放的な議会制度をとるアメリカ政治において利益団体政治(ロビー活動)は一般的に行なわれているが、イスラエル・ロビーもまたこの経路を利用して影響力行使に努めている。リアリズムの観点からすれば、イスラエルが自らの国益追求のため最も効果的な手段を選ぶのは当然のことである。しかし、それが果たしてアメリカ自身の国益にかなうのかどうかが問題である。

 イスラエルへの過度の支援が中東諸国からの激しい反米感情をもたらす一因となっており、戦略的観点からすればアメリカにとって明らかにマイナスである。ホロコーストへと至った反ユダヤ主義→ユダヤ人たちの自前の国を持ちたいという願いは当然のことであるが、しかしながら、パレスチナ問題の実際を見れば、人道的根拠から現在のイスラエルの行動を正当化することはできない。イスラエルだって普通の国である。正しいこともすれば、間違うこともある。同情すべきところ、賞賛すべきところは素直に認め、同時に間違ったことをすれば非難するのは当然のことである。

 ウォルトの提唱するオフショア・バランシング(他地域の問題にアメリカは過度に関与すべきではない、アメリカがパワーを行使するのはその地域におけるパワー・バランスが崩れそうな時にだけ限定すべきという戦略論)の観点では、アメリカはイスラエルからもアラブ諸国からも一定の距離を置く必要があるのに、イスラエルはアメリカを中東情勢へ意図的に巻き込み、結果としてアメリカの国益が大きく損なわれていると考える。そればかりでなく、アメリカがシリアやイランと敵対関係になければ、これらの国とイスラエルとの仲介役を果たすこともできたはずで(カーターがエジプト・イスラエル平和条約の締結に尽力したように)、そうした可能性を奪ってしまっている点で長期的にはイスラエル自身の国益にも反している。カーターがパレスチナ問題でイスラエルを批判すると、イスラエル批判→反ユダヤ主義者とロジックをすりかえた中傷キャンペーンがカーターに対して行なわれたらしい。こうしたやり方が、選挙を気にするアメリカの政治家にとってイスラエル批判をしづらい空気をつくっている。国益を基準とした利害計算に徹する→合理性のない政策決定がもたらす無用な混乱を避ける、というところに本書の眼目がある。

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2009年4月 8日 (水)

エブー・パテル『アクツ・オブ・フェイス:あるアメリカ人ムスリムの物語、ある世代の魂を求める闘い』

Eboo Patel, Acts of Faith: The Story of an American Muslim, the Struggle for the Soul of a Generation, Beacon Press, 2007

 Acts of Faithというタイトルは、「信仰の原則」(act→法令だと日本語にするとそぐわないな)とすべきか、それとも「信仰の実践」、「信念の行動」か。全部の意味がかけあわされているのだろうな。著者はインド系アメリカ人のムスリム。彼自身、アメリカ社会に育ちながら、自分は一体何者なのか?というアイデンティティの分裂に苦しんでいた。しかし、ボンベイ(ムンバイ)でムスリムとしての慈善活動に取り組む祖母をはじめ、異なる宗教の信者も含め様々な人々と間近に接した体験を通して、ムスリムとしての自覚で克服する。自分と同世代の若者たちが宗教的過激主義に走っている現状について、心の拠り所を持たない彼らを過激主義が利用していると危機意識を持ち、Interfaith Youth Coreを設立した。彼の言う宗教的アイデンティティの確立は決して排他的なものではない。歓待、寛容、同情、慈悲などの価値観は宗教が異なってもあるはずで、異なる宗教の若者たちが互いにそうした共通の価値観について語り合うことによって宗教上の多元性を目指そうとしている。

 こうした活動は一定の知的水準を持つ人たち相手なら通用するだろうが、どこまで広がりが持てるのか私にはよく分からない。しかし、そんな私のようなシニカルな懸念には惑わされず、実地にひたむきに活動しているところはやはり貴重だと思う。

 ガンジーが、“真理”というのはどの宗教もちゃんと説いている、自分はヒンドゥー教徒だからバガバット・ギーターを読むし、キリスト教徒なら聖書を読めばいいし、ムスリムならコーランを読めばいい、そんな趣旨のことを言っていたのを思い出した。一にして多、多にして一。山の頂は一つだが、登り口はたくさんあり得る、そんなイメージ。何年か前、あれは紀伊国屋セミナーのシンポジウムだったか、今言ったような趣旨でインド研究の中島岳志さんが、ナショナルな自覚を持ちつつナショナリズムを克服する方向性としてガンジーと井筒俊彦の思想に関心を持っていると発言していたのも思い出した。当然、本書Acts of Faithでもガンジーに言及されているし、ムスリムとしてはアブドゥル・ガファル・カン(Abdul Ghaffar Khan。もしくは、バドシャー・カン Badshah Khan)の名前も挙げていた。パシュトゥン人出身、ガンジーに呼応して現在のパキスタン北部あたりでムスリムの非暴力運動を指導した人物。“辺境のガンジー”と呼ばれている。彼については私も以前から関心があって、文献も2冊ほど入手してあるのだが、怠惰なもので勉強が進みません…。

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2009年4月 5日 (日)

ケント・E・カルダー『日米同盟の静かなる危機』、孫崎享『日米同盟の正体──迷走する安全保障』

ケント・E・カルダー(渡辺将人訳)『日米同盟の静かなる危機』(ウェッジ、2008年)

 歴史的・文化的・経済的な背景も政策意思決定のあり方も全く異なる日本とアメリカ。ダレスのつくった非対称的な性格を持つ日米同盟は安全保障と経済とをいわば取引して成立してきたと言えるが、1990年代以降、グローバリゼーションの進展によって弱体化しつつあるという問題意識を本書は示す。本書は“同盟”概念の比較政治史的な考察を踏まえ(イギリス・ポルトガル同盟が600年以上も続いていることは初めて知った)、そのケース・スタディとして日米同盟を検討していると読むこともできる。

 かつて、同盟とはパワー均衡のための戦略的手段にすぎず、用が済めば解消されてしまう程度の短命なものだったが、現代においては経済繁栄や相互依存などを保障する制度的枠組みとしての新たらしい意味も持つようになり長期化している。その長期化の要因について本書は“同盟の自己資本”という分析概念を提示する。9・11以降、日米同盟における軍事協力は強まったが、同盟を包括的に支える経済的基盤や人的な政策ネットワークは弱まり、両国内におけるコンセンサス(日本では安全保障の問題について国内世論の反発が強い)は同盟の当初から欠いたままであることを指摘、具体的な提言へとつなげる。著者はジョンズ・ホプキンス大学エドウィン・ライシャワー東アジア研究所長である。

孫崎享『日米同盟の正体──迷走する安全保障』(講談社現代新書、2009年)

 日米同盟は非対称的と言われるが、アメリカの世界戦略にとって重要な拠点を日本は提供して利益をもたらしており、互いにないものを補い合ってウィン・ウィン関係にもっていくという点では取引は十分に成立していると本書は指摘。近年、日米同盟のあり方が対米追随の方向で変質しつつあり、日本の自衛隊はアメリカの世界戦略の下で応分の危険な負担を強いられることになるだろう、その傾向はオバマ政権になっても変わらないという現状認識を示し、日本独自の道を考えるべきことを主張する。

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2009年4月 3日 (金)

イアン・ブルマ『アムステルダムの殺人:リベラルなヨーロッパ、イスラム、そして寛容の限界』

Ian Buruma, Murder in Amsterdam: Liberal Europe, Islam, and the Limits of Tolerance, Penguin Books, 2007

 ある一つの理念というのは、その置かれたコンテクストに応じて意味合いが異なってくることがある。オランダ社会の基本原則とも言うべき多文化主義。かつて左派は普遍的価値の下でマイノリティーへの寛容を説き、右派は“我らの文化・伝統”を守るべきという立場から左派を批判していた。しかし、現在、左派がマイノリティーの“彼らの文化・伝統”の擁護を訴えるのに対し、右派は普遍的価値を根拠にマイノリティーが“彼らの文化・伝統”に固執していることを批判する論陣を張っている。“普遍的価値”の基準をどこに置くかによって逆転現象が起こっている。

 ポピュリスティックな政治家として脚光を浴びたピム・フォルタイン(Pim Fortuyn)はゲイである。ゲイとしての権利も擁護するのがオランダの寛容な社会なのに、イスラムは多元的な寛容に対して不寛容であると批判した。移民への悪感情も相俟って人気が出て次期首相候補とまで目されたが、動物愛護主義者によって暗殺された。

 評論家・映画監督のテオ・ヴァン・ゴッホ(Theo van Gogh あのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの弟テオの子孫)の場合、事情はもっと複雑だ。彼は挑発的・偶像破壊的な言動で人を驚かすのが大好きな天邪鬼であって、もともと人種偏見的な考えは持ち合わせていなかった。かつて、寛容な社会を求める普遍的価値は既存の体制を批判する根拠となっていたが、やがてこの理念は社会の基本原則として受け容れられて体制化し、理想主義そのものが陳腐化してしまった。リベラルな理念は当たり前すぎて、もう飽きた。多文化主義がステータスを獲得してエリートがお説教するのに使う道具になっていることをテオは意図的に挑発、刺激を求めてイスラムを揶揄した。問題なのは、テオ自身はただの悪ふざけのつもりだったが、そうは受け止めない人々の存在を無視していたことである。2004年11月、モロッコ系移民のモハンメド・ボウイェリ(Mohammed Bouyeri)によって殺害されてしまう。

 フォルタインとヴァン・ゴッホはヒーロー、ボウイェリはアンチ・ヒーロー、そんな単純な構図にまとめることはできない。ソマリア出身で無神論を主張し、オランダの国会議員にもなった元ムスリム女性アヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali)に対してもボウイェリは暗殺対象として狙っていたが、それは、彼女の主張の是非以前に、彼女がオランダ社会に同化した成功者であること自体にも理由が求められる。寛容な社会のはずなのに壁が高く立ちはだかり、自分の歩むべき道を見出せないという行き詰まり感がボウイェリをはじめとする移民出身の青年たちにあった。“寛容”を偽善と捉え、それへの攻撃的な憎悪がイスラムのロジックを衣としてまとっていたと言える。

 異なる価値観の衝突と考えてしまってはあまりにも短絡的だろう。“寛容”という言説そのものが色褪せて説得力を失って、それでもなおかつ異なる価値観の共存を図ろうとするとき、一体どうすればいいのか。本書は、そうした問題が先鋭的に表面化したオランダで関係者を取材したノンフィクションである。著者も言うように、これは他の国でもあり得る事態であって、考えるべき貴重な問題提起をはらんでいる。

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2009年4月 2日 (木)

小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』

小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』(三元社、2009年)

 第一次世界大戦後、バルト三国は独立したものの、1939年の独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)に基づき、1940年、ソ連に併合された。1991年に再び独立を果たしたが、誰を以てエストニア国民とみなすのかという微妙な問題に直面した。かつてはエストニア人の占める割合が九割と同質性が高かったが、ソ連時代にロシア人の移住者が増えていた。ソ連時代のエストニア社会主義共和国を継承すると考えれば、彼らもまたエストニア国民とみなすべきである。しかし、ソ連時代を不法な占領をみなし、1940年以前のエストニア共和国との連続性を強調するロジックをとって、彼らロシア人の存在は不当だとする考え方が強まったという。

 多文化主義を建前としつつ、エストニア語の話者を以てエストニア国民と規定する法制化が行なわれ、この場合、ロシア人もエストニア語を習得すれば国民とみなされる(かつてはロシア語優位でエストニア語と共存→今度はこれを逆転させるという構図)。しかし、独立後の政治過程を考察すると、こうした法制上の問題にかかわらず、実際にはロシア人の存在そのものを不当と考え、この立場を正当化する歴史認識が背景にあると指摘される。

 EU加盟についての国民投票をみると、賛成派も反対派もロシアの脅威を意識しているという。賛成派は、ロシアの脅威→EU加盟という考え方。反対派は、かつて独立を失った経緯を踏まえてロシアと協調すべきという考え方。EU加盟を果たして、ではヨーロッパ化が順調に進んだか。まず、マイノリティーとしてのロシア人の扱いが問題として残っている。それから、第二次世界大戦において、ナチス側に立ってソ連軍と戦った人々のモニュメントの問題→エストニアではユダヤ人が少なかったこともあって、ホロコーストの問題に鈍感→ヨーロッパと歴史認識を共有できるかどうかという問題も表面化したと指摘される。歴史認識のあり方とナショナル・アイデンティティーとが絡み合って現在の政治動向を左右しているのを描き出しているところが興味深い。

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2009年4月 1日 (水)

スティーヴン・M・ウォルト『米国世界戦略の核心──世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』

スティーヴン・M・ウォルト(奥山真司訳)『米国世界戦略の核心──世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』(五月書房、2008年)

 スティーヴン・ウォルトはハーヴァード大学ケネディ行政学院教授、国際関係論におけるネオリアリズムの理論家として知られる。ブッシュ政権によるイラク攻撃を批判してネオコンとは対立した。リアリズムでは国益優先が議論の大前提だが、未熟な大国という自己認識を踏まえ、アメリカの単独優位を長期的に保つためにこそ、過剰なレトリックに走らず自己抑制が必要だと指摘する。

 アメリカという単独優位のスーパーパワーの存在自体が、友好国であれ敵対国であれ、脅威と受け止められる。他国は、圧倒的に不利な状況下であってもアメリカの足を引っ張る手段を持っている。アメリカはやりたい放題できるかもしれないが、そのかわりコストが高くつき、結果として国益を大きく損ねてしまう。たとえアメリカ自身は主観的には善意だとしても、原則のないパワーの行使は不信感や警戒心を招き、他国は手を組んでアメリカのパワーを抑制する行動に出るだろう。こうした不信感をなくすことによって単独優位の現状を維持するのが長期的にはアメリカの国益にかなう。世界覇権を目指して何でもかんでも口を挟もうとするのではなく、アメリカにとって死活的な局面だけにパワーの行使を限定するオフショア・バランシングの戦略を取るべきだというのが本書の結論である。

 脅威を感じた他国はアメリカのパワーを抑制するためにどのような行動を取るか? 様々な手段があり得るが、アメリカの正当性を否認→孤立させることが基本的な方向性となるだろう。
・バランシング:外的バランシング(古典的なパワー・ポリティクスの考え方)と内的バランシング(自分たちの強みとなる手段を活用してパワーのギャップを埋めようとする。例えば、テロリズム)
・ソフト・バランシング:弱小国が手を組んでアメリカの正当性を否認(例えば、イラク戦争でアメリカは国連決議を得られなかった→大きな制約を課す)
・ボーキング:対立はしないまでも、要求を受け容れない
・バインディング(拘束):国際制度上の枠組みを通してアメリカの正統性を否認
・ブラックメール(恐喝):例えば、北朝鮮

 アメリカのパワーを如何に利用するかという観点から、弱小国側の態度を整理すると、
・バンドワゴニング(追従政策):アメリカが圧倒的な力を見せつけることで弱小国に言うことをきかせる→ネオコンはこれで失敗
・地域バランシング:アメリカのパワーを後ろ盾に地域的な影響力を確保する。例えば、日米同盟
・ボンディング(絆):アメリカとの密接な関係をアピールすることで広い影響力を確保する。例えば、英米同盟
・国内政治への浸透(penetration):アメリカの国内政治は開放的→ロビー活動(例えば、イスラエル・アルメニアなど→アメリカの国益に反する外交政策まで決めてしまうとして本書は批判的)。本書では取り上げられていないが、ボスニア政府がPR会社を使ってアメリカの国内世論を動かしたケースも挙げられるだろう(高木徹『戦争広告代理店』→こちらを参照のこと)

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2009年3月29日 (日)

ピーター・ブロック『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』

ピーター・ブロック(田辺希久子訳)『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』(ダイヤモンド社、2009年)

 ユーゴ内戦が激化し始めた頃、モスレム人難民のうちひしがれた姿を報道写真で見かけ、セルビア強硬派への芳しからぬ印象を私も持っていた覚えがある。たとえば、多数の死傷者を出したサラエボの市場での爆発事件。ところが、これはボスニア政府の自作自演だった可能性が高く(死傷者にはセルビア人も含まれていたし、そもそもセルビア勢力は協定により撤退しつつあり、砲撃は物理的に無理だった)、そのことは現地の関係者や専門家は気付いていた。しかし、メディアはセルビア勢力の仕業だと断定、国際世論の動向を大きく決めてしまった。その後も、セルビア人側が被害を受けた事件の扱いは極度に小さく、セルビア人犠牲者の写真にモスレム人とキャプションをつけるなどの誤報も相次いだ。本書はそうした一連の偏向報道を一つ一つ具体的に検証する。著者自身、バルカン半島の取材を長年続けてきたが、偏向報道のあり方に異議を唱えたため、マスメディアの主流派からバッシングを受けたという。

 犠牲者はすべてモスレム人やクロアチア人、犯人はセルビア人という単純な二分法がジャーナリストたちの頭を占めていて、そうした“正義感あふれる”思い込みが事実関係の歪曲につながっていた。ユーゴ内戦勃発の当初、セルビアのベオグラードは報道対策に消極的だったのに対し、クロアチアのザグレブはプレスリリースに熱心だった。彼らはバルカンの複雑な歴史的・文化的背景を知らなかったため、ザグレブの情報の裏を取ることもなく鵜呑みにして、セルビア=悪というイメージを自ら作ってしまった。これがボスニア内戦まで尾を引き、そのイメージに反する事実は無視するという自己検閲につながってしまった。

 ボスニア政府が腕の良いPR会社に依頼したのに対し、セルビア側は遅れをとったことが国際的イメージで決定的な差をもたらしてしまったことは高木徹『戦争広告代理店』(→こちらを参照のこと)で取り上げられていた。両書とも、メディア・リテラシーを身につける上で貴重な問題提起が示されている。セルビア人、クロアチア人、モスレム人のどれが良い悪いと決め付けることが出来ない複雑さについては、たとえば、佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(→こちらを参照のこと)を以前に取り上げたことがある。

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2009年3月28日 (土)

ピーター・J・カッツェンスタイン『日本の安全保障再考』

Peter J. Katzenstein, Rethinking Japanese Security: Internal and External Dimensions, Routledge, 2008

 日本の安全保障を中心テーマにまとめられた論文集である。タイトルのrethinkingには、日本の安全保障について独自の視点を示すというだけでなく、国際関係論における分析アプローチのあり方そのものを考え直そうという問題意識も込められている。

 暴力の行使に抑制的な態度を取る日本の安全保障政策は、パワー・バランスで考える国際関係的ロジックとは必ずしも整合的ではなく、従ってリアリズムでは説明のつかない部分が残る。著者は『文化と国防──戦後日本の警察と軍隊』(有賀誠訳、日本経済評論社、2007年→こちらを参照のこと)で、日本の“平和国家”という集団的アイデンティティー(自己イメージと言った方が分かりやすいか)が内政面で一定の規範意識を形成しており、これが対外政策決定における抑制要因の一つとなっていることを示した。この分析において、平和主義という価値観の是非は問題にならない。そうした集団的アイデンティティーや規範意識が現実に作用しているという社会的事実そのものに着目し、それはなぜなのかという問いも分析の視野に入れていく。このような立場をコンストラクティヴィズム(構成主義)という。リアリズムもリベラリズムも国家を一つのまとまりある行動単位とみなしがちだが、これに対して国家の内部的な抑制要因も合わせて議論を進めようというスタンスは本書のInternal and External Dimensionsというサブタイトルに示されている。

 リアリズムやリベラリズムは行動主体を単純化して前提とすることで洗練された一般理論を構築できる。本書はそのことにも一定の意義を認めつつも、アプローチ本位(つまり、理論枠組みの中に分析対象をはめ込む視点)ではなく個別の問題意識本位の迫り方が必要だと強調する。とりわけ方法論について体系的な説明を試みる第10章では、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズムの三つを頂点とするトライアングルを示し、ケースに応じてこれらの組み合わせが有効であることを指摘する。そうした立場を分析的折衷主義(analytical eclecticism)という。もちろん、場当たり的でちぐはぐな議論に堕してしまうおそれもあるが、それでも異なるアプローチ相互の対話を通して分析対象そのものへの理解に奥行きを持たせられる点で有益だと主張する。

 テロ対策というテーマで日本とドイツの比較を試みた第7章Coping with terrorism: norms and internal security in Germany and Japanや第9章Same war─different views: Germany, Japan, and counterterrorismといった論文に興味を持った。ドイツの警察はハイテク化されて機動力が高い(それを法的にバックアップできるよう基本法は頻繁に改正されている)のに対し、日本の警察は一般社会とのインフォーマルな協調関係を保つところに特徴があるという。日本の世論は強硬手段に否定的→地道な活動で日本赤軍をジワジワと追い詰めた→海外へ追い出す→日本赤軍が海外で何をしようと知ったこっちゃない。また、対外的安全保障の面でドイツ軍はNATOに組み込まれているのに対し、周辺国と安全保障上の協力関係のない日本は日米同盟に依存している。国内的安全保障ではドイツはホッブズ的、日本はグロチウス的(国内社会における信頼関係を前提としている点で)であり、対外的安全保障ではドイツはグロチウス的、日本はホッブズ的(周辺諸国から孤立している状況の中で対米同盟を戦略的に選択している点で)だと整理される。分析視角の点で、ホッブズ的というのはリアリズムに適合的であり、グロチウス的というのはリベラリズムに適合的だと言えよう。

 なぜ東アジア共同の安全保障的協力関係がないのか? 第8章Why is there no NATO in Asia? Collective identity, regionalism, and the origin of multilateralismによると、まず西欧におけるNATO成立にはアメリカのイニシアチブが大きかった。半世紀前の時点でのアメリカは西欧には親近感があって積極的にコミットする(=集団的安全保障の枠組み)用意があったのに対し、東アジアに対しては価値観レベルでの違和感→共同の枠組みを作ってその中にアメリカが直接関与するなんて発想すらなかった→個別にアメリカ優位の同盟関係を並立させるという形をとった。つまり、アメリカ自身のアイデンティティー意識(自分たち=西欧)が政策決定上の相違をもたらしたのだと指摘される。

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2009年3月27日 (金)

I・ブルマ&A・マルガリート『反西洋思想』

I・ブルマ&A・マルガリート(横田江理訳)『反西洋思想』(新潮新書、2006年)

 オクシデンタリズムとは、西洋=非人間的な他者(物質主義、エゴイズム、享楽的etc.とネガティヴなイメージが付与される)とみなし、それへの憎悪が攻撃的政治性と結び付いた思想形態を指す。“東”の側の内面において、“西”的なものと“東”的なものとが葛藤を起こしたときに芽生える。日本における“近代の超克”や特攻隊、ナチズムの源流としてのドイツ・ロマン主義、ロシアのスラブ主義、イスラム過激主義など、話題は幅広く網羅される。個々の論点について雑に思われるところもあるかもしれないが、オクシデンタリズムという一つの軸によって大きな枠組みで整理された比較思想的な試論として興味深いと思う。

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2009年3月25日 (水)

フラント・ディンクのこと

 2007年1月19日、イスタンブール。トルコのアルメニア人ジャーナリスト、フラント・ディンク(Hrant Dink、1955~2007)が17歳の民族主義的な青年によって射殺された。アルメニアとトルコの関係を考える上でディンクの存在を無視することはできないが、遠い国のことなので日本で入手できる文献が乏しい。とりあえず入手できた小冊子Freedom of the Media in Turkey and the Killing of Hrant Dink(London: Kurdish Human Rights Projects, 2007 September)とwikipediaの記事(困ったときのwiki頼み…)を参照。

 ディンクはアルメニア人とトルコ人の相互理解を深めるためにアルメニア語・トルコ語併記の新聞アゴス(Agos)を創刊。世界中の離散アルメニア人、アルメニア共和国、トルコ国内のアルメニア人ばかりでなく、トルコ市民をもその対象に考えていた。彼は、トルコ政府がアルメニア人ジェノサイドの事実を認めないことを批判する一方で、海外のアルメニア人のロビー活動の結果としてフランスでアルメニア人ジェノサイド否認を刑罰化したことにも批判的であった。相互理解を伴わない強制力では和解は達成できないということだろう。

 トルコ国内の言論状況として、トルコ人及びトルコ共和国を侮辱する言動は禁固刑に処すと規定された刑法第301条が問題となる。アルメニア人ジェノサイドに関連した政府批判はこの条文によって脅かされる。ディンクは有罪判決を受けたことがあるし、ノーベル文学賞受賞者オルハン・パムクも起訴されたことがある(その後、取り下げられた)。上記Freedom of the Media in Turkey and the Killing of Hrant Dinkは、刑法第301条によってトルコ民族主義感情が極度に高められており、従ってディンク暗殺の原因は刑法第301条にこそ求められると指摘している。

 犯人の青年は出身地である黒海沿岸の都市トラブゾンでアルメニア教会に殴りこみをかけたり、マクドナルドに爆弾を投げ込んだりといった事件を起こして警察に捕まったことがある(ちょうどイラク戦争で反米感情の高まっていた時期)。同様に捕まった若者たちの中に警察の情報提供者になった者がいた。ディンクの遺族や弁護団は、警察はディンク暗殺計画を事前に知っていたはずなのに黙認していたと主張、警察・軍部・情報機関への調査を求めている。

 ディンクの葬儀には10万人ほども参集し、「我々はみなディンクであり、みなアルメニア人だ」とアルメニア語・トルコ語・クルド語で書かれたプラカードを掲げてデモ行進が行なわれた。葬儀にはトルコ政府閣僚も出席したほか(エルドアン首相は別件で欠席)、ギュル外相の招待により国交のないアルメニアからも外務次官が出席した。トルコ国内でディンク暗殺事件を深刻に受け止める世論が高まった一方、ナショナリズムの動きも根強い。「我々はみなディンクであり、みなアルメニア人だ」というプラカードについて極右勢力が反発するのは予想できるにしても、中道左派の野党・共和人民党(CNP。社会主義インターナショナルに加盟。ケマル・アタチュルク創設の世俗主義政党に源流を持つ)もこれには否定的で、刑法第301条についても擁護している。

 トルコの軍部・司法・世俗主義政党には、立国の基礎とされているケマリズム(政教分離の世俗主義、同化主義的国民国家志向、近代志向の三本柱から成る)の担い手としての自負が強い。イスラム主義に立つとされる(従ってかつては欧米からの受けが悪かった)現エルドアン政権の公正発展党よりも、こうした世俗主義勢力の方が強固なナショナリズム・権威主義的傾向という点でむしろ強硬派に転じているという逆転現象はPhilip H. Gordon and Omer Taspinar, Winning Turkey: How America, Europe, and Turkey Can Revive a Fading Partnership(Brookings Institution Press, 2008→こちらで取り上げた)で指摘されていた。

 政治的イデオロギーによる言論・教育の統制(具体的には刑法第301条の問題)→体制を正当化する形で歴史記述→アルメニア人ジェノサイドの事実すら一般のトルコ人は知らない→海外からの批判は不当だという反発によりナショナリズム感情の強化。一人一人の個人としてのトルコ人には悪意はないからこそ、こうした負の連鎖を何とか断ち切るためにディンクは相互理解を深めようと努力していたわけだが、社会に組み込まれたイデオロギーの壁は高い。

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2009年3月22日 (日)

P・J・カッツェンスタイン『文化と国防──戦後日本の警察と軍隊』

P・J・カッツェンスタイン(有賀誠訳)『文化と国防──戦後日本の警察と軍隊』(日本経済評論社、2007年)

 戦後日本における警察及び軍隊のあり方を考えてみるとき、暴力的手段の行使には極めて抑制的な態度を取ってきたことが一番の特徴として挙げられるだろう。これはなぜなのか? 文化的規範が安全保障政策に及ぼした影響の分析が本書のテーマである。

 リアリズム(パワー・ポリティクス)は、合理的計算に基づいて振舞う国家がパワーの最大化を図ろうとする点を前提として置き、いかにそのバランスをとるかという視座から国際関係を把握する。リベラリズムは、国際関係の中で定式化された一定の規範に従って国家が協調的に振舞う側面に注目する。いずれにしても国家という政治的アクターを単一のまとまりとみなし、その外的環境への態度の取り方から説明しようとしている。

 対して、本書が踏まえているコンストラクティヴィズム(構成主義・構築主義)では、国家というアクターの中から行動を規制している内部的な規範の形成過程が重視される。つまり、国際システムにおける政治力学への適応というよりも、国内における政治的・社会的・文化的な相互作用を通して制度化された規範に基づいて安全保障政策が形成されたという観点から本書は日本政治を分析している。制度化というのはつまり、当たり前のこととして自明視された規範意識が国民の間に共有されることにより、その枠組みの中で政策決定の選択肢がおのずと絞り込まれてくることを指す。

 具体的には、“平和国家”“通商国家”といった自己イメージ(集団的アイデンティティ)。それは良い悪いという価値判断の問題とは次元が異なり、規範として作用している時点で一つの社会的事実となっていることに着目される。歴史的経緯(敗戦、原爆、日米関係など)、調整型の民主主義(多数派の自民党は野党の意向を無視して政策強行はできず、広い意味でのアイデンティティ規範のあったことがわかる)、社会的規範と法的規範との相互作用(たとえば、警察は市民の視線に敏感なこと、憲法第九条の問題)などの面で、国内的に競合する要因のせめぎ合いを通して規範としてのコンセンサスが形成されていた。

 原書は1996年に刊行されており、時代背景として若干古さを感じさせる点もあるが、コンストラクティヴィズムの分析アプローチによる事例研究として興味深い。

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2009年3月21日 (土)

アンドリュー・J・ベイスヴィッチ『パワーの限界:アメリカ例外主義の終焉』

Andrew J. Bacevich, The Limits of Power: The End of American Exceptionalism, Metropolitan Books, 2008

 ブッシュ政権に巣食ったネオコンが乗り出した世界戦略のせいでアメリカは評判を落とし、その後始末はオバマ政権に委ねられている。アメリカの超大国としての自信過剰が対外政策を歪めているという批判が本書の基本ラインをなす。国家的安全保障(national security)という神話は拡大主義を正当化し、少数の“賢者”たち(wise men)に依存した政策決定はイデオロギー的な思い込みをそのまま具現化してしまった。軍事技術が高度化したといっても戦争につきまとうリスクと不確実性はいつの時代であっても不変で、それを統御すべきリーダーシップの質はハイテクの向上度合に見合っていない。

 アメリカの対外的拡張行動を正当化するロジックは9・11に始まったわけではなく、それこそ19世紀のマニフェスト・デスティニーや米西戦争の頃からたびたび表面化している。少数の“賢者”依存の政策決定はブッシュを動かしたネオコンの専売特許ではなく、ケネディ政権の“ベスト・アンド・ブライティスト”の焼き直しとも言える。従って、政権が変わったからと言ってこうしたアメリカの対外的拡張行動の性格が消える保証はないと指摘される。本書はラインホルド・ニーバーをたびたび引用し、虚傲を抑えるにリアリズムを、偽善を抑えるに謙譲の必要を説く。イスラム過激派に対してはブッシュ政権のような予防攻撃論ではなく、封じ込め政策を提言。冷戦期のものとは違い、イスラム世界と適切な関係を結ぶことで過激派の主張が無効であることを浮び上らせるのが目的。そのためにはアメリカの信頼感を高めることが必要だと主張している(その努力には核廃絶も含まれる)。

 著者はボストン大学教授で歴史学・国際関係論が専攻。ウェストポイント(陸軍士官学校)の出身で湾岸戦争後に大佐で退役したらしい。子息はイラク戦争で戦死しており、本書は彼に捧げられている。本書は純粋にアカデミックというよりも政治評論的な性格が強い。悪いことを言っているわけではないにせよ、どこまで有効かは私には分からない。ノーム・チョムスキーのブッシュ批判、アメリカ批判なんかがお好みの方はどうぞ。

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2009年3月18日 (水)

ジョセフ・ナイ『国際紛争』『ソフトパワー』『リーダーパワー』

 ジョセフ・S・ナイ(田中明彦・村田晃嗣訳)『国際紛争 理論と歴史』(第6版、有斐閣、2007年)はハーバード大学の講義に用いられた国際政治史・理論のテキスト。主要な理論枠組みを整理した上で、第一次世界大戦から現在に至るまでの国際紛争を具体例として分析の応用を示してくれる。どの視座をとるかによって事象の捉え方が様々に異なってくるのが実感され、複眼的な思考の訓練としても格好の良書だと思う。

 静態的なパワーポリティクスに立つリアリズムや国際協調の理念性に偏るリベラリズムとは異なり、理念と現実との相互作用の中から政治的事象が形成されてくるプロセスを重視するコンストラクティヴィズム(構成主義)の立場からはソフトパワーという概念が重要となる(“理念”と言っても望ましい結果ばかりでなく、たとえばエスニックなシンボルの動員によって紛争が激化するケースもあるが)。

 ソフトパワーという言葉は上掲『国際紛争』にも散見されるが、ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一訳)『ソフトパワー──21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社、2004年)はそれを具体的に論じている。他国をいかに動かすか? ハードパワーが軍事・経済力など物理的な影響力の行使、いわば“アメとムチ”によって誘導を図るものであるのに対し、ソフトパワーは他国も含めて共通の政治課題を設定し、そこに向けて他国にも自発的に望ませる形で味方につけていく影響力だと整理できる。文化(→他国をひきつける魅力)、政治的価値観、外交政策(→正当性の確保)といった要素がある。

 たとえばイラク戦争においてアメリカは、テロ・核の抑止、さらにはアメリカの存在感が侮られてはならないという動機から武力行使に踏み切った点でハードパワーを使った。ただし、ネオコンの中東民主化構想にはソフトパワーとしての側面もあった。しかし、武力行使の正当性への疑問からアメリカのソフトパワーは弱められた。単独行動主義はソフトパワーにとってマイナスだという教訓をナイは引き出す。

 ハードパワーであっても、“強国”というイメージそのものが魅力としてソフトパワーに転化することもあり得る。アルカイダの主張は一部の人々にソフトパワーとしての力を持った。日本の場合には、劇的な成長によって経済大国となったこと自体が一つのソフトパワーとなっている。他方、周辺諸国との歴史認識問題は、この論争の具体的な是非は別として、そうしたギャップのあること自体が日本のソフトパワーを弱めている。

 本書の登場によってソフトパワーという言葉が先走っている観もあるが、ハードパワーとソフトパワーはどちらが良い悪いという性格のものではない。状況に応じて組み合わせるべきで、それをナイはスマートパワーと呼ぶ。ソフトパワーの行使において肝要なのは、一定の魅力ある政治課題を設定することにより他国をひきつけることで、それはヴィジョンを提示する側のリーダーシップの問題とつながる。

 ジョセフ・S・ナイ(北沢格訳)『リーダーパワー──21世紀型組織の主導者のために』(日本経済新聞出版社、2008年)はそのリーダーシップ概念を政治という場面において論ずる。一方的な命令ではなく、リーダーとフォロワーとの関係性が重要であることは経営学・組織論の方でよく論じられているが、国際政治の場面においてはフォロワー側の文化的・政治的・社会的状況がリーダーの提示するヴィジョンに見合うかどうかが問題となる。つまり、フォロワー側の状況も見極めながらハード・ソフトを問わずあらゆるリソースを活用しなければならない。その点で、状況を把握する知性、つまりリーダー・フォロワー双方の置かれているコンテクストを読み解く能力がリーダーシップの核心に位置付けられる。

 ナイはオバマ政権の駐日大使に内定している。2007年に超党派でまとめられた対東アジア政策についての提言、いわゆる「アーミテージ=ナイ・レポート」(The U.S.-Japan Alliance: Getting Asia Right through 2020→アーミテージとナイの連名で公表されており、こちらで読める。なお、アーミテージはブッシュ・ジュニア政権のパウエル国務長官の下で国務副長官、ナイはクリントン政権で国防次官補)にざっと目を通した。

 ポイントは、①民主制・市場経済・言論の自由などの価値観を日米は共有しており、かつ日本は今後も経済大国であり続ける→日米同盟を基軸とすべき。②中国は国内的に不安定→共産党は支配正統化のためナショナリズム、またエネルギー問題→対外的な影響力を模索している。だからと言って、日米同盟による中国封じ込めという話ではない。むしろ、中国が暴発しないよう共通の価値基盤の中へと取り込み、中国も含めたトライアングルの関係にもっていく、そうすることで東アジアの安定化を図ろうという点に主眼が置かれている。ナイを駐日大使に起用したということは、中国をソフトパワーによって取り込んでいこうという外交方針をオバマ政権は持っていると言えるのだろうか。

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2009年3月16日 (月)

ジャクリーン・ノヴォグラッツ『青いセーター:つながっている世界で貧富の格差の懸け橋となる』

Jacqueline Novogratz, The Blue Sweater: Bridging the Gap between Rich and Poor in an Interconnected World, Rodale, 2009

 著者は現在、Acumen Fundという非営利の投資ファンドCEOを務めている。もともとチェース・マンハッタン銀行に勤務していたが、海外に出て社会貢献できる仕事をしたいと非営利組織に飛び込み、アフリカに派遣された。現場で奮闘し、その体験を踏まえてAcumen Fundを設立するまでの経緯がつづられる。タイトルの『青いセーター』とは、アメリカで捨てた青いセーターを着ている少年にルワンダの首都・キガリで偶然出くわしたことに由来する。古着が援助として送られていたわけだが、目に見えないところでも世界はつながっていることをほのめかしている。

 アフリカの現場に飛び込んだ当初、彼女の“熱意”が必ずしも現地の人々に受け容れられるわけでもなく、失意の中、家族のもとに帰ることもあった。しかし、めげずに奮闘、ルワンダでマイクロファイナンスの手法を使い、女性中心のパン屋さんを軌道に乗せることに成功する。そのプロセスで、返済の義務を説いたり(未返済者を見逃すと真面目に返済した人は嫌気がさす)、簿記の収支のシステムを納得させたり、約束の遵守、品質管理など経済活動の基礎中の基礎から取り組んでいくところが興味深い。何よりも、男性優位の伝統的社会の中で、自前の経済的基盤をつくることで女性たち自身が尊厳を回復していく。

 アフリカでの経験を踏まえてマネジメントの手法をMBAで習得しようとアメリカに戻っていた1994年4月、彼女はルワンダからのニュースに青ざめた。あの忌まわしい大虐殺──。その後、ルワンダに戻った彼女はかつてパン屋さんだった建物を訪れたが、そこには見知らぬ人が暮らしていた。生き残った何人かに会って話を聞く。あの時の仲間たちのうち、ある者は殺され、あるいは家族を失い、そして、ある者は殺す側にまわっていた…。

 しかし、ルワンダの復興とともに、生き残った女性たちは再び活動を始める。ジャクリーヌと仲間たちのまいた種は無駄にはなっていなかった。彼女はアメリカに戻ってAcumen Fundを設立。こちらはマイクロファイナンスとは異なり、インフラ整備のための大規模事業にも積極的に投資を行なっていく。その具体的活動も紹介される。

 貧困国への一方的な援助が、現地の状況を無視して非効率・無意味であるばかりでなく、腐敗の温床となるなどかえって状況を混乱・悪化させてしまっているという問題意識はたとえばジェフリー・サックス(鈴木主税・野中裕子訳)『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』(早川書房、2006年→こちらで触れた)、ポール・コリアー(中谷和男訳)『最底辺の10億人』(日経BP社、2008年→こちらで触れた)などで示されている。援助に依存させるのではなく、その国の経済的自立を促す。そのために市場経済を適切に確立させることが基本ラインとなる。彼らの議論はマクロ視点だが、それでは、現場ではどんな取り組みがなされているのか、それを具体的に知りたいという人に本書はおすすめできる。

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2009年3月15日 (日)

ムハマド・ユヌス『貧困のない世界を創る──ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』、他

ムハマド・ユヌス(猪熊弘子訳)『貧困のない世界を創る──ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』(早川書房、2008年)

 マイクロクレジットという金融システムを考案・実践した功績によってバングラデシュのグラミン銀行及びその創設者ムハマド・ユヌスは2006年度ノーベル平和賞を受賞した。マイクロクレジットとは貧しい人々が貧困から抜け出し経済的に自立できるよう、無担保、ただし5人ほどでグループをつくって連帯責任をとってもらう形式で行なう小規模融資のこと。融資対象には女性が多い。男性は浪費してしまうのに対し、女性は家事・子供の養育などに気を使わねばならないのできちんと活用するからだ。援助とは異なり返済は当然ながら義務付けられる(貸倒率は低い)。返すという前提があるからこそ自尊心をもって自分の仕事に取り組む動機となっている。

 こうしたマイクロクレジットも含め、ユヌスはソーシャル・ビジネスという考え方を提唱する。資本主義という社会構造は前提で、投資→費用・収益→利潤という企業運営形態は変わらない。ただし、従来型の企業観が利潤の最大化を動機とするのに対し、ソーシャル・ビジネスはその利潤の部分が社会的貢献に置き換えられる。コストは回収せねばならないが、だからこそ援助とは違って自律的な活動ができる。

 自分の手で何かを作り上げたい欲求、自分の成果を承認してもらいたい欲求、自分が何らかの役割を果たしているという自尊心、そうした広い意味での“表現”欲求が人間には本来的にある。だから、創意工夫に努力して他者とは違った自分らしさを出そうとする。そうした“表現”欲求が経済活動という形でうまく制度化されているところに資本主義の長所がある、そのように私は考えている。金銭的評価というのはそうした数ある“表現”欲求の中のあくまでも一部であって、すべてではない。社会的貢献というのも企業活動の動機として十分あり得ると思う。それはいわゆる慈善活動とは異なる。貧しい人であってもその人なりにもって生まれたものがあり、それがうまく活用されていくよう促していく、そのきっかけづくりとしてマイクロクレジットの役割を見出そうとしているユヌスの考え方に私は共鳴できる。

 『ムハマド・ユヌス自伝』(早川書房、1998年)も手もとにあったはずなのだが、行方不明。蔵書をちゃんと整理しなきゃなあ…。

 坪井ひろみ『グラミン銀行を知っていますか──貧困女性の開発と自立支援』(東洋経済新報社、2006年)はグラミン銀行の仕組みについて具体例を通して解説してくれる。平易で読みやすい。

 日本でも社会的格差、雇用問題が深刻になっている中、こうしたマイクロクレジットの考え方が応用できないのか? 菅正広『マイクロファイナンスのすすめ──貧困・格差を変えるビジネスモデル』(東洋経済新報社、2008年)はそうした問題意識を念頭に置きながらマイクロファイナンスの仕組みを解説、日本で活用する際に考えるべき論点を整理してくれる。

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2009年2月28日 (土)

ポール・ルセサバギナ『ホテル・ルワンダの男』

 書店をブラブラひやかしていたら、ポール・ルセサバギナ(堀川志野舞訳)『ホテル・ルワンダの男』(ヴィレッジ・ブックス、2009年)が新刊で出ていた。以前、原書で読んだときのメモはこちら(→ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』)。

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2009年1月29日 (木)

最近のロシア、チェチェン問題がらみの本

 今月に入って読んだロシアがらみの本。2006年に暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『ロシアン・ダイアリー 暗殺された女性記者の取材手帳』(NHK出版、2007年)、同(三浦みどり訳)『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版、2004年)はこちらで触れた。

 やはり同年に暗殺された元FSB将校アレクサンドル・リトヴィネンコについては、歴史学者ユーリー・フェリシチンスキーとの共著『ロシア 闇の戦争──プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』(光文社、2007年)、彼の妻マリーナ・リトヴィネンコと亡命学者アレックス・ゴールドファーブとの共著『リトビネンコ暗殺』(早川書房、2007年)の2冊。国民のプーチン政権に対する求心力を高めることを目的としてチェチェン戦争は仕掛けられ、その正当化のためモスクワ劇場占拠事件やベスランの小学校占拠事件は秘密警察によって仕組まれていたとポリトコフスカヤもリトヴィネンコも主張していた。ロンドンに亡命したリトヴィネンコが、やはり亡命中のチェチェン人指導者ザカーエフと親交を深め、チェチェンの人々への贖罪の気持ちのあまり晩年にはイスラムに改宗していたというのが興味深い。そのことで葬儀の際、遺族ともめたらしいが。

 ポリトコフスカヤの著作にはプーチン批判の口調に若干ヒステリックな感じがあるし、リトヴィネンコ関連書では自画自賛的なところも否めない。ジャーナリストのスティーヴ・レヴィン(中井川玲子・櫻井英里子・三宅敦子訳)『ザ・プーチン 戦慄の闇──スパイと暗殺に導かれる新生ロシアの迷宮』(阪急コミュニケーションズ、2009年)はもう少し第三者的な立場から、この二人も含めて暗殺の横行するロシアの政治体制の問題点をレポートする。

 中村逸郎『ロシアはどこに行くのか──タンデム型デモクラシーの限界』(講談社現代新書、2008年)は、警察の腐敗、選挙の買収など横行しつつもロシア国民が諦めきって政権に黙従している日常光景の描写が目を引く。タンデムとは二頭立て馬車。リベラル派という印象から欧米に割合と受けの良いメドヴェージェフ大統領を看板にして、実権を握るプーチン首相。しかし、レヴィン書・中村書とも、将来的にこの二人の間に権力闘争が生じる可能性を排除しない。メドヴェージェフなんて若僧はただの操り人形に過ぎないじゃないかと言われるが、プーチンだってエリツィンによって引き立てられた時点では似たような立場だった、と。たとえ二人に信頼関係があったとしても、プーチンに連なるシロビキとメドヴェージェフ周辺の人脈とでは明らかに温度差があるという。

 チェチェン問題がらみでは、チェチェン人自身による手記として、ミラーナ・テルローヴァ(橘明美訳)『廃墟の上でダンス──チェチェンの戦火を生き抜いた少女』(ポプラ社、2008年)、ハッサン・バイエフ(天野隆司訳)『誓い──チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』(アスペクト、2004年)の2冊についてこちらで触れた。チェチェン問題の背景を知るには、林克明・大富亮『チェチェンで何が起こっているのか』(高文研、2004年)、植田樹『チェチェン大戦争の真実 イスラムのターバンと剣』(日新報道、2004年)、横村出『チェチェンの呪縛 紛争の淵源を読み解く』(岩波書店、2005年)がある。常岡浩介『ロシア 語られない戦争──チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書、2008年)はチェチェン人たちと信頼関係を築き、彼らへの敬意を惜しまない一方で、FSBの息のかかった者も紛れ込んでいる様子が実体験を以てリアルに描かれているのが目を引く。著者はリトヴィネンコとも親交があり、彼へのインタビューが巻末資料として掲載されている。チェチェン問題についてはロシアの秘密警察が仕組んだ戦争という点でポリトコフスカヤ、リトヴィネンコとも命を懸けて取り組んでいた。

 チェチェン情勢関連のメモを整理しておこうと思っていたが、時間がないので、以上、文献紹介まで。

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2009年1月21日 (水)

ミラーナ・テルローヴァ『廃墟の上でダンス チェチェンの戦火を生き抜いた少女』、ハッサン・バイエフ『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』

 モスクワで弁護士のマルケロフ氏と新聞記者のバブロワさんが射殺されたという。例によってお蔵入りになるのだろう。マルケロフ氏が取り組んでいた、チェチェン人女性をレイプ・殺害したとされる元ロシア軍大佐の事件は、ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(NHK出版、2005年)で取り上げられている。パブロワさんの所属していた「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙には、かつてポリトコフスカヤもいた。

 チェチェン紛争はかつてほど耳目を引く激しさは伝わってこないが、ロシアの現政権が進める“紛争のチェチェン化”により、むしろ確実に日常化しているようだ。理由もなく人々を連行して身代金を要求するという非道が横行していることは、ポリトコフスカヤのルポルタージュやチェチェン人の手記で必ず出てくる話である。これはロシア軍ばかりでなく、チェチェン人の武装勢力までもがそうした“誘拐ビジネス”に手を染めている。武装勢力同士のいがみあいもある一方、あろうことか、ロシア軍と通じて“誘拐ビジネス”に励んでいる者も珍しくない。ロシア軍の軍事的プレゼンスは限定的となっても、敵か味方かという区別以前に、紛争そのものが経済的にも構造化してしまっている、その意味で日常化してしまっているところに、チェチェンの人々が置かれたやりきれない惨状がある。

 ミラーナ・テルローヴァ(橘明美訳)『廃墟の上でダンス──チェチェンの戦火を生き抜いた少女』(ポプラ社、2008年)は、ロシア軍の襲来で廃墟と化したチェチェンを抜け出し、フランスでジャーナリズムを学んでいる女性の手記。サラッと読み物風の筆致でも、そこにつづられている彼女の見たこと、聞いたことの重みはひしと感じる。

 チェチェンの首都グローズヌイではロシア軍による封鎖は日常茶飯事。彼女の通っていたグローズヌイ大学がいつものように包囲され、たまたま外に締め出されて門前で様子を見ていたときのこと。中に閉じ込められた娘が喘息持ちとのことで発作の薬を持ってきたある母親がロシア兵に「入れてください! そうしないと娘が死んでしまう!」と泣き叫ぶ。その若い兵士は「命令なんです、すみません、お助けしたいんですが、ぼくにはどうにもなりません」と弱々しく答える。ロシア軍の若年兵は二者択一を迫られてしまう。良心を押し殺して精神的に戦場と一体化するか、さもなくば、上官からリンチを受けるか。チェチェンの人々が被っている惨状と同時に、彼ら末端の兵隊たちにも逃げ道がない。

 ハッサン・バイエフ(天野隆司訳)『誓い──チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』(アスペクト、2004年)は、紛争下、“ヒポクラテスの誓い”に忠実に、チェチェン人かロシア人かを問わずあらゆる負傷者の救護に尽力したチェチェン人医師の自伝。そうした彼の態度は、ロシア軍からはチェチェン過激派への幇助、チェチェンの武装勢力からはロシア人を助ける裏切り者とみなされ、彼は結局、アメリカに亡命せざるを得なくなってしまう。

 チェチェンの人々には来訪者は必ず歓待するという風習があり、ロシア軍の脱走兵をチェチェン人がかくまうというケースも結構あったらしい。バイエフの家にも三人の脱走兵が来た。かくまわれている間、彼らがチェチェンの風習に何とか合わせようと努力する姿が微笑ましい。チェチェン側にはモスクワの「ロシア兵士の母親の委員会」と何らかのコンタクトがあるようで、ここを通じてロシア兵の実家と連絡を取る。そして母親自身に息子を迎えに来てもらう。第一次紛争の時点では、女性が来る分にはまだ怪しまれなかったらしい。昨年末、アレクサンドル・ソクーロフ監督「チェチェンへ アレクサンドラの旅」を観たのだが(まだ感想メモをアップしてませんが)、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ演ずる老女がグロズヌイの基地へやって来るという筋立てには、この辺りの事情も意識されているのだろうか。

 第二次世界大戦中、チェチェン人・イングーシ人が対独協力の容疑でカザフスタンやシベリアへ強制移住させられた過去について、テルローヴァもバイエフも祖父母や両親から話を聞いており手記に書き留めている。この世代には、憎しみという次元はもはや通り過ぎ、チェチェン人である以上、差別されることに慣れなければならないという諦めがあったようだ。他方、子供や孫の世代はソ連=ロシアの体制に馴染んでおり(チェチェン語にはロシア語の語彙がだいぶ混じっており、サウジアラビアに行ったバイエフが、ヨルダン出身のチェチェン人と出会い、彼らが純粋なチェチェン語を保持していることに驚くエピソードが象徴的だ。ロシアの圧迫を逃れたチェチェン人は多数ヨルダンに移住している)、ロシア人の友達だっている。ロシア軍の横暴への憤りと同時に、板ばさみになってしまう苦悩もある。

 チェチェンの過激派武装勢力の自分勝手な乱暴は一般のチェチェン人からも反感を買っている。他方で、ロシア連邦軍やFSB(ロシア連邦保安局)に勤務するチェチェン人でも、ロシア側の内部にいるからこそチェチェン人を助けることができるという信念を密かに持ち続けている人もいる。バイエフを逃すのに一役買ってくれたFSBのチェチェン人大佐は、その後、何者かによって夫妻ともども殺されてしまったという。彼はそうした重みも抱えながら生きていく。

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2009年1月20日 (火)

アンナ・ポリトコフスカヤの三冊

 アンナ・ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『ロシアン・ダイアリー 暗殺された女性記者の取材手帳』(NHK出版、2007年)は、2003年12月から2005年8月まで、プーチン再選に向けての選挙キャンペーンの喧しかった季節からウクライナのオレンジ革命、キルギスのチューリップ革命と続いた時期に重なる。

 大統領選挙と言っても、プーチン再選初めにありきで、体裁を整えるために泡沫御用候補を並べるのはともかく、有力な野党候補が拉致されてしまうというのはやはり異常だ。同時に、民主派勢力が仲違いしてまとまらないことにもアンナは苛立ちを隠さない。プーチン政権は暴力に買収、そして情報操作とあらゆる手段を使って統制を進めているが、ロシア人の忍耐強さがかえってこうした動きを助長してしまっているとも指摘する。民主派指導者の一人、ヤブリンスキーへのインタビューではこんなやり取りもあった。「あなた方は政権と妥協して、見返りに議席の確保を狙っているのではないのか?」というアンナの問いかけ、対してヤブリンスキーは「冗談じゃない、それを言うなら、あなたの新聞はなぜつぶされていないんだ? 政権はあなたの新聞をEUに持っていって、ほら、わが国にも言論の自由がある、そう言い訳するのに利用しているのではないか?」と返す。その後、ヤブリンスキーは議席を失い、アンナは殺されてしまうわけだが。こうした軽口のたたき合いから、「あいつも政権に取り込まれたんじゃないか?」と疑心暗鬼が渦巻いている様子が窺える。

 モスクワでタジク人の誰それが殺された、チェチェンで誰それがFSB(=連邦保安局、KGBの後身)に連行された──こうしたことが毎日書きつけられている。それぞれ簡潔な一文であるだけに、日常茶飯事と化した現実の恐ろしさを感じさせる。だが、それは報道されない。ベスラン事件でアンナは仲介役に指名され、まさに当事者だったわけだが、その時の手帳は素っ気ない。FSBに毒を盛られ、意識不明で病院に担ぎ込まれたからだ。

 アンナのライフワークはチェチェン問題である。『チェチェン やめられない戦争』(三浦みどり訳、NHK出版、2004年)は、ロシア軍がやりたい放題、文字通りの無法状態に投げ込まれてしまったチェチェンの人々の惨状をつぶさに見聞きして、戦争を押し進めるロシアの体制の矛盾を告発する。チェチェン人の受難については本書を読んでもらうしかないが、他方で、こうした体制はロシア人にも犠牲を強いている。たとえば、『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(鍛原多惠子訳、NHK出版、2005年)では、入営したロシア人の若者が上意下達の軍隊文化の中でリンチを受けて殺されてしまったにも拘わらず、司法は口を閉ざしていることを彼女は報告する。「ロシア兵の母の会」とチェチェン人の犠牲者の母親たちとの合同デモを実現できたのは、アンナのように双方の人々と誠実に向き合ってきた人がいたからこそだ。また、チェチェンから帰還してモスクワ勤務に戻った兵士が何の意味もなく“掃討作戦”を行なうということにも考えさせられてしまう。チェチェンの戦場に駆り出されて精神に異常をきたしてしまっている。見方を変えれば、彼らだって犠牲者だと言える。

 チェチェン人の老人ホームに援助物資を届けに行く際、ついて来た若いロシア軍将校のことが印象に残る。彼は、こういう状況は初めて知った、と涙を流してアンナに感謝した。ところが、その不規則行動のゆえに彼は解雇されてしまった。事実さえ知らせることができれば何とか希望をつなぐことはできる。しかし、上からの圧力によってロシア国内の報道機関は肝心なニュースをにぎりつぶす。そもそも『ロシアン・ダイアリー』『プーチニズム』の二冊は英語版からの翻訳で、ロシア語版は刊行されていない。そして、2006年10月7日、アンナは自宅アパートのエレベーター内で射殺された。享年四十八。

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2008年12月19日 (金)

Philip H. Gordon and Omer Taspinar, Winning Turkey: How America, Europe, and Turkey Can Revive a Fading Partnership

Philip H. Gordon and Omer Taspinar, Winning Turkey: How America, Europe, and Turkey Can Revive a Fading Partnership(Brookings Institution Press, 2008)

 トルコ共和国建国の父、ケマル・アタチュルクの考え方は三本柱から成り立っている。第一に、世俗主義。フランスにおけるライシテがモデルとなっており、イスラムはアンシャン・レジームの象徴として徹底的な政教分離が図られた。第二に、同化主義的なナショナリズム。言語、領土などアナトリア大の同質的な民族=国民が目指され(この点でもフランス的だ)、かつてのオスマン帝国を特徴付けていた多元性は否定された。マイノリティーへの同化政策→クルド人問題が生じていることは周知の通り。第三に、近代主義。第一次世界大戦における勝者としての西欧国民国家がアタチュルクの求めるモデルとなり、その後もEU加盟への熱望としても表われている。とりわけ軍部がこの近代化の推進役となったが、冷戦期、トルコは反共の砦として重視されたため、軍部の政治干渉は黙認されてきた。

 イスラム政党とされる公正発展党(AKP)の位置付けに興味を持った。以上のケマリズム(Kemalism)に立つ世俗主義的な法曹界や軍部の干渉によって彼らは何度もつぶされかけたにもかかわらず、福祉党→美徳党→公正発展党と名称を変えながら勢力をのばして着実な政権担当能力を示し、2007年の総選挙でも現エルドアン政権は勝利した。彼らは一度、軍部によるクーデターで政権を追われたことから、世俗主義的なエスタブリッシュメントに対抗することの難しさを教訓として得ており、それ以降、宗教色はできるだけ抑えて具体的な政策による支持獲得を目指してきた。選挙で勝って政治的正統性を得るために広範な票を取り込まなければならないという思惑もあっただろう。出発は宗教政党であっても、現在は実質的に中道政党となっている。彼らは西欧を敵視などしていない。現政権もEU加盟を意識して人権問題の改善に努め、不十分ながらもクルド問題は従来に比べれば改善された。キプロス問題でも妥協、EU加盟の阻害要因であった仇敵・ギリシアとも関係改善が進んだ。

 しかし、ヨーロッパ側の事情でEU加盟が難しそうな情勢にあること、またイラク戦争による中東情勢不安定化などから欧米に対する不信感がトルコ国内にくすぶっており、それはイスラム勢力ばかりでなく、世俗主義的な軍部に顕著なようだ。イラク戦争に際してアメリカ軍のトルコ進駐を求められた際、イスラム政党の現政権側が対米関係を意識して渋々ながらも支持を求めたのに対して、本来は親米派であった世俗主義勢力が反対したという逆転現象が興味深い。

 世俗主義勢力は、欧米がイスラム穏健派やクルド人問題に対して甘いという不満を強く抱いているらしい。もし現AKP政権に対するクーデターがおこったら、権威主義的な軍部は西欧との関係を絶って、ロシア、中国、イラン、シリア、中央アジア諸国などの権威主義的政権との関係緊密化に動くのではないかという懸念を本書は示す。クルド問題、キプロス問題、アルメニアとの歴史的和解などトルコの果たすべき課題はたくさんあるが、何よりもそれらの解決の前提条件として、民主主義の原則が後退しないよう欧米は働きかける必要があるとされる。

 私などは中東情勢についてまったくの素人なので、トルコでイスラム政党が政権獲得→いわゆる“イスラム原理主義”の動向の表われかなどと勘繰り、これに対して世俗主義勢力→近代化→民主主義勢力という一面的な把握をしてしまいかねないところがあった。本書によると、実際には、選挙のダイナミズムによってAKPは穏健化・中道化しており、逆に世俗主義勢力の方がかえって権威主義化の危険があるという逆転現象がおこっている。知らない世界について、たとえば“イスラム原理主義”というような流行語に結びつけて分かったつもりになってしまうことがあるが、対外関係を考えるときには安易に一般論に還元してしまわず、個別の内在的事情をきちんと理解する必要があることを改めて痛感した。

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2008年12月18日 (木)

マイケル・イグナティエフがカナダ自由党党首になったらしい

 マイケル・イグナティエフがカナダの野党・自由党の党首に決まったそうだ。辞任したディラン党首は他の野党・新民主党やケベック連合と共に少数与党の保守党・ハーパー政権に対して不信任案を出すつもりだったようだが、イグナティエフは消極的らしい。前回の選挙で敗北した痛手を立て直す必要があるし、そもそも経済運営が難しい現在、敢えて火中の栗を拾うわけにもいかないのだろう。

 イグナティエフは人権問題の専門家として知られる。もともとジャーナリストとして出発、世界の紛争の現場に立った経験をもとに彼の著わした『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』(中山俊宏訳、風行社、2003年)は以前にこのブログでも取り上げたことがある(→こちらを参照のこと)。現実問題として、ジェノサイド等の残虐行為を抑止するためには軍事力が必要な事態が考えられるし、また戦火で混乱した社会を再建するには外部の力を借りねばならないこともある。そのためにアメリカの覇権も場合によっては助けとなる。イラク戦争に際して彼は人道目的の武力介入という観点からブッシュ政権を支持、リベラル派からは批判を受けた。ただし、それはあくまでも人道目的であって、国益目的の保守派とは全く異なる。こうした彼のスタンスはリベラル・ホーク(リベラルなタカ派)と呼ばれた。

 たしか自由党政権時代のクレティエン首相はイラク戦争への参加を拒んだはずだが、イグナティエフはその点でどのように受け入れられたんだろう?

 戦後日本において“非武装中立”という夢物語で自衛隊の存在すら否定してきたいわゆる進歩派、彼らの主張には国境外の悲惨事については無視するという独善的な逆説がはらまれていた。それにもかかわらず、“平和”“人権”という言葉を使えばもっともらしいが、実はこれらの“正しい”言葉への呪術的信仰は、彼らの知的欺瞞を糊塗する道具に使われていたに過ぎなかった。私自身は必ずしもイラク戦争を是認するわけではない。ただし、結論への賛否はともかく、理想主義と現実主義との架橋しがたい矛盾を直視して、その矛盾そのものの中から考えていこうという点では、イグナティエフのようなリベラル・ホークの方がよほど誠実だと思っている。

 そういえば、ロメオ・ダレールも自由党の上院議員を務めているはずだ。国連平和維持軍司令官としてルワンダに赴任し、あの大虐殺を目の当たりにしながら何も出来なかった後悔から現在は人道問題に取り組んでいる。彼の著わしたShake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda(悪魔との握手:ルワンダにおける人道の失敗、Carroll &Graf Publishers, 2005)も以前に取り上げたことがあるが(→こちらを参照のこと)、人道問題や国際貢献というテーマを考える上で必読だと私は思っている。残念ながら邦訳はまだない。以前、エージェンシーに確認したら、どこかの出版社が翻訳権を取得しているらしいんだけどね。ダレールと伊勢﨑賢治の対談『戦禍なき時代を築く』(NHK出版、2007年)という本があるので(これも以前に取り上げたことがあります→こちら)、ダレールの発言を知りたい場合にはとりあえずこの本をどうぞ。

 カナダはPKO活動に積極的な国として知られている。日本の自衛隊のPKO派遣についてすぐ軍国主義云々という議論が沸き起こるが、まったくアホらしい。日本の大国志向なんて捉え方はただの妄想に過ぎない。むしろアメリカのような大国が見落としがちなところで、カナダと同様のミドルパワーとして国際貢献できることがあるはずだという点でダレールと伊勢﨑の見解は一致しているし、また、これが外交路線として現実的であることについては添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交──戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)が論じている(→こちらを参照のこと)。

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2008年12月17日 (水)

タイの政治情勢のこと

 タクシン元首相の汚職疑惑への反発から2006年にクーデターがおこって以来混乱続きのタイ情勢。ようやくアピシット新首相が選出されて反タクシン派の連立政権が発足。いったんは落ち着いたものの、タクシン支持派と反タクシン派の確執は収まっておらず、まだまだ波乱含みらしい。

 だいぶ以前だが、岡崎久彦・横田順子・藤井昭彦『クーデターの政治学──政治の天才の国タイ』(中公新書、1993年)という本を読んだことがあった。タイは割合と安定した国というイメージがあるが、意外とクーデターが頻発している。政治家が腐敗して軍部がクーデターをおこし、議会指導者が拘束されると、ギリギリのタイミングで国王が出てきて「いや、殺してはいけない」と押しとどめる。軍部が強権化して民主化デモがわきおこるとやはりギリギリのタイミングで国王が登場して「もうお前は辞めなさい」といなし、できるだけ穏便に政権交代させる。1992年の騒乱の際、民主化運動指導者チャムロンと軍政のスチンダ将軍とがプミポン国王の前で並んでひざまずいている姿が印象的だった。つまり、国王というバランサーを媒介として議会と軍部という二つの政治アクターが政権交代を繰り返すのがタイの政治システムなのだという。政権交代による緊張感→権力独占を防ぎ、政治を活性化させるのが民主政治の一つの長所とするなら、西欧モデルの議会主義とは違ったシステムもあり得る、そうした比較政治論的な視点を示した議論として面白く読んだ覚えがある。

 非政治的な権威として議会・軍部の両者から超越した存在であるからこそ、いざという時に仲介役を果たし国政を安定させることができる、そうしたキーマンとしてプミポン国王には私なども割合と好印象を持っていた。ところが、The Economist(2008.12.6)掲載の“Thailand’s king and its crisis : A right royal mess”という記事を読んでいたら、タイ王室のあり方に疑問を投げかけており、興味を引いた。

 そもそもタイでは現在でも不敬罪がある。王室への批判は罰せられるため、うかつに話題にはできないらしい。タイ王室の権威というのは相当なもので、あらゆる奇跡も王室の恩恵に帰せられる。学生の頃、岩波ホールで上映されるアジア映画なんかをさして面白くもないのに無理して観ていた時期があるのだが、「ムアンとリット」というタイ映画も観たことがあった。封建的な因習の中で女性が奮闘する話だったような気がするが、最後に象徴的なシーンとして雨が降る。文字通りの「慈雨」で、これは国王陛下の恩恵だ、みたいなナレーションがあって違和感があったのを覚えている。

 それはともかく。The Economistの記事によると、ヴェトナム戦争を背景とした時代、アメリカは反共の同盟者としてタイ王室に目をつけ、その権威を高めるキャンペーンにふんだんに資金をつぎ込んだという。不敬罪は1970年に強化された。また、国王は必ずしも非政治的というわけでもない。国王自身は直接的なことは言わなくても、彼のメッセージからその意図を臣下は読み取って忖度しながら政治行動を行なっているらしい。

 タクシンは配分的政策、具体的には低廉な医療制度やマイクロファイナンスの普及によって、とりわけ農村部での支持が厚い。そのため、ポピュリスティックな政治家だとよく言われる。反タクシンの王党派には、彼の政治行動が既得権益を侵すというだけでなく、配分的政策→庶民の支持→国王の恩恵に対する挑戦、と受け止められ、一時はタクシン派がタイ史上初めて議会過半数を握ったこともあわせて、脅威と考えられているようだ。タクシン派政党の解党命令やソムチャイ前首相の失職理由にしても、新聞で読んでもその根拠が私にはいまいちピンとこなかったのだが、タクシンの存在感そのものが王室のタブーに踏み込みかねないからこそ軍部も司法も躍起になってタクシンつぶしにかかっていると考えていいのだろうか?

 プミポン国王は今年81歳。先は決して長くはない。ところが、皇太子の評判はかなり悪い。不敬罪があるため、おおっぴらには語られないが。下手すると、ネパール王家と同じ末路をたどりかねない。実際、チャクリ朝は9代までしか続かないという予言があったらしい。プミポン国王は別称ラーマ9世である。ある宮廷関係者は、「Long live the king(国王万歳)と言う時、王には文字通り永遠に生きて欲しいと思っている、次がどうなるかなんて考えたくもない」と語っている。

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2008年12月12日 (金)

佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』

佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(有志舎、2008年)

 ボスニア人、セルビア人、クロアチア人。宗教を異にし、方言的な差異があるにしても基本的には文化的同質性が高い。しかし、第二次世界大戦でのナチス・ドイツ軍の進出をきっかけに民族的暴力の波が全土に広がり、クロアチア人のウスタシャ、セルビア人のチェトニクの応酬で血みどろの殺し合いが繰り広げられた。こうした民族対立に唯一反対したのがチトーのパルチザンであった。彼らにも必ずしも問題がなかったわけではないが、戦後のユーゴスラヴィアはパルチザン神話に基づき、国民的連帯感の損なわれるのを恐れてかつての記憶を封印することで成り立った。

 戦後ユーゴは、第一に非同盟主義をとって東西双方とほどほどの関係を保ちつつ、第二に経済的意思決定を下へと分権化・ローカル化して経済を活性化させていた。このため、共和国・自治州は実質的には独立していたが、チトーの権威と古参党員たちの横の連帯意識によって、とりわけ民族共存という理念がイデオロギーとして作用することで体制は維持されていた。ところが、1980年代後半以降、経済のグローバル化が波及し始めてユーゴ国内にも変革圧力が強まり、政治構造が流動化する。旧来的なチトー主義者はこうした情勢に対応できず、その間隙をつく形でスロヴェニアのクチャンやセルビアのミロシェヴィッチなどのような新世代エリートが台頭、彼らは政治権力掌握の手段として民族主義者と手を組んだ。各共和国の分離要求が高まり、とりわけ三民族がモザイク状に入り混じったボスニア-ヘルツェゴビナは無秩序な混乱状態に陥ってしまう。

 本書はボスニア内戦の進展をたどる中で、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人、三者それぞれが行なった残虐行為が詳細に分析される。民族紛争というと、価値観の折り合いがつかないところに問題点を見出したくなる。また、“悪い”セルビア人が“かわいそうな”ボスニア人に対してジェノサイドを行なったという図式的な見方が一時マスメディアを中心にはびこっていたが、その一面的な誤謬はすでに指摘されている(たとえば、高木徹『戦争広告代理店』→こちらを参照のこと)。本書によると、残虐行為の動機にしても行動様式にしても、三民族とも実は全く同様のロジックをとっている、つまり、三民族とも同じ価値観を共有していたところに問題の本質があると指摘されている。

 旧ユーゴの体制が機能不全に陥ってしまった混乱状況の中、各地で様々な地域エゴが噴出し始めたのがそもそもの発端である。ただし地域ごとに事情は様々で、民族や宗教はあくまでも諸要因の一つにすぎず、本来的には民族紛争として一般化できる性質のものではなかった。しかし、人々の不満をたくみに吸い上げるべく一部の政治指導者が民族主義的な言説を利用し、民族紛争・宗教紛争という外被がかぶせられることになった。すなわち、第二次世界大戦における「ジェノサイドの記憶」を覚醒させ、情報操作によって「集団的記憶」=民族意識に高めていく。三民族とも、「自分たちこそがジェノサイドの被害者だ」という被害者意識を宣伝していた点では全く共通している。住民の不安はかきたてられ、「ジェノサイド」の恐怖から逃れようと結束、自衛のためという名目の下で「敵」とみなした相手への残虐行為も含めて政治動員される。いったん社会が無秩序状態に陥ってしまうとそれまで抑えられていた様々な不満や、時には私的な残虐な欲望までもが暴力として表出する。こうした暴力が自衛のためという大義名分の下で正当化されてしまい、政治指導者はそれを利用して自らの権力基盤強化を図る。デイトン合意では三民族の領域を分割することで棲み分けが期待されたが、しかしこうした枠組みを固定化してしまうことでむしろ民族主義者の権力を温存するメカニズムになってしまったと著者は指摘する。依然として「ジェノサイドの脅威」を口実とするアイデンティティ・ポリティクスは継続されているという。

 “民族”なるものの本質に排外主義や暴力性が潜んでいると単純化できるのではなく、複雑な要因の絡み合いの中から人間集団の差異化→相互反目の負のスパイラル→それが“民族紛争”“宗教紛争”という衣をまとう、こうしたプロセスが明瞭に描き出されている。“民族”概念の流動性、時には恣意的な操作対象となりかねない危険性はよく指摘されるところだが、その具体的なケース分析として説得力のある研究だと思う。

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2008年12月11日 (木)

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』(御茶の水書房、2008年)

 文化大革命の捉え方にも色々とあるようだが、本書は、政治構造という外部条件だけでなく、一般の人々が歴史的過程の中で内面化した価値観、身体化された行為様式などの内在要因も視野に入れながらトータルで考えなければならないという問題意識に従って分析を進める。大衆動員に向けては、①組織インフラ、②個人を統合していく強力なシンボル(=毛沢東)、③社会変革を正当化するイデオロギー、といった条件が必要となるが、これらは文革に先立って、建国前後の反革命分子摘発から三反五反運動、反右派闘争、大躍進運動、社会主義教育運動と続く中で醸成されていたという。

 ここで注意すべきなのは、大衆動員には強制→黙従という抑圧的側面だけでなく、人々からの自発性も無視し得ないこと。その点で、社会主義イデオロギーの道義的生活規範化という論点に興味を持った。社会主義の難解な議論なんて一般庶民には分からない。むしろ、集団と個人、質素と贅沢、勤勉と怠惰、謙虚と自惚れ、こうした二項対立によって前者を肯定、後者を否定するロジックとして受け容れられた。批判集会での身内の動員、社会全体の軍事化(国民皆兵)、とりわけ階級闘争の重視→中道は許されない(小康思想の批判)→政治から距離を置くこと自体が許されない。自分の身を守るため、「革命」の大義の下、他人を暴力的に批判するモラリティーが定着した。こうして、一般の日常生活全体が政治舞台化された。

 党中央における路線対立→毛沢東が権力保持するための政治粛清が文革のきっかけではあっても、いったんインプットが入ってしまうと増幅的に作動する土壌が出来上がっていた。そもそも「反革命」「右派」といったレッテル自体が曖昧かつ恣意的なもので、その時々の状況に応じて政治的立場は流動的となる。批判・被批判の関係がクルクル逆転、身を守るため、自らの“革命性”を誇示するアピール競争が激化し、社会全体を巻き込んだ政治運動はますます急進化、党中央でもコントロールが難しい多重動員状態を呈することになる。ただし、国家が社会を完全に掌握したわけでも、私的領域が消滅したわけでもない。こうした政治運動は波状的で、それは将来の予想のつかない不安定さを意味したが、他方で社会に周期的な緩みももたらし、一つのガス抜きになっていたとも指摘される。

 本書で分析された事例は都市社会が中心で、農村も含めた検討はこれからの課題とのこと。大衆動員というキーワードを軸として政治と一般の人々の生活レベルとの相互作用を分析した政治社会学的研究として、建国期から文革期まで一貫したストーリーが組み立てられており、興味深く読んだ。

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2008年12月 7日 (日)

池内恵『イスラーム世界の論じ方』

池内恵『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年)

 第Ⅰ部はイスラーム政治思想をめぐる論文が中心、第Ⅱ部以降は時事評論的な文章を集めている。興味を持った論点をいくつか拾い上げてみると、

・イスラーム世界における政教関係をどう捉えるか? 啓示法=宗教、世俗法=国家とを2つの円で示し、従来の「イスラーム=政教一致」論はこの両者の重なる部分だけに局限した議論にすぎず、イスラーム世界の政治現象を総体として把握する視野とはなり得ていないと指摘。神→啓示法→ウンマという垂直的なイスラーム教徒自身としてあるべき心象風景を前提としつつ、現実におけるこの2つの円の重なり合った3つの領域をどのように画定し、どのように関係付けるのか、そうしたダイナミズムに宗教政治を捉える論点を合わせる。
・主流派の政治思想:政教の重なっている部分に着目→宗教的規範を拡大解釈して、理想と現実とのズレを最小限に縮めるよう読み替えながら現状肯定→各国政府の統治を正統化
・対して、現状批判的な政治思想:イスラーム原理主義の3形態
①2つの円を内包する全体社会から離脱して共同生活→自分たちだけの孤立的なウンマを目指す
②宗教の領域から政治の領域へと攻撃→少数の政治支配者が悪いとして、例えばサーダート暗殺
③宗教の領域以外のすべて(非イスラーム世界の含めて)を消滅させて国家=宗教=社会の状態を目指す→背教者とみなされた人々の暗殺、外国人観光客への襲撃、さらには九・一一事件
・以上は、理想的秩序についての宗教的規範を前提として、理念→現実の乖離というベクトルで考える方向性。対して、社会的・歴史的存在としての現実を前提として宗教的規範を相対化できた思想家としてイブン・ハルドゥーンを高く評価(以上、「イスラーム的宗教政治の構造」)

・デンマークのムハンマド風刺画問題をどう考えるか? 著者はイスラーム世界に触れてきた人間としてムハンマドの顔を描くことがいかにイスラーム教徒にとって深刻なことであるかよく認識しているし、他方で、世俗主義・自由主義の原則に基づく西欧社会にとって納得しがたいところも理解できるという。これは宗教対立ではなく、双方の価値原理のズレの表面化。「他者に寛容であれ、イスラームを理解しよう」とよく言われる。こうした言説には、近代的な自由主義の理念と相通ずるものが彼らにもあるはず、本来なら分かり合えるはず、問題をおこすのは一部の狂信者だけだ、という希望的観測が含意されている。しかしこうした楽観論は、たとえばテロなどで期待が裏切られるにつれて、ますます相手への偏見を強めかねない。むしろ、根本的な価値規範が両立しがたいという現実を直視するところから始めるべき。直視→敵対関係不可避というのではなく、だからこそ衝突を避けるための方策を考え続けなければならない。いまのところ、結論はない。

 自衛隊のイラク派遣、日本人人質殺害事件と続いたとき、これを中東の問題として捉えるのではなく、自衛隊派遣是か非か、とか、自己責任云々、という日本国内における議論枠組みに収斂してしまった時期があった。アメリカ批判、日本政府批判が初めにありきで、「イスラーム=犠牲者」と位置づけ、彼らになりかわって体制批判の議論を行なう日本の進歩的知識人。そうしたあり方を問題視するコメントを著者が示していたのをみて感心した覚えがある(この時の論考も本書に収録されている)。

 左にせよ、右にせよ、何でも内向きに矮小化してしまうような議論は本当にウンザリ。右は右で、中国批判初めにありきで、フリー・チベット、フリー・ウイグルとやっている輩がいるし。議論の枠組みそのものが対米依存、対中依存になってしまって、現地の事情が頭越しにされている。地に足のついた議論をするためにこそ、現地の事情を熟知した専門家の意見に耳を傾ける必要があるだろう。

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2008年12月 6日 (土)

吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』

吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』(法政大学出版局、2008年)

 リーダーシップ、というと、“カリスマ”的・属人的な性質に還元して権力関係を一方向的に捉えてしまう向きもある。だが、本書で言うリーダーシップとは、リーダーとフォロワーとの相互作用の中で一定のヘゲモニーが確保されていく双方向的な関係概念として用いられている。フランス社会党の政策転換においてミッテランの果たした役割を明らかにすることが本書の目的だが、こうしたリーダーシップ概念に基づくため、彼自身のパーソナルな資質は捨象され、党内政治力学の機能的な分析に焦点が合わされている。

 第五共和制におけるドゴール派優位の下、様々な思想的背景を持った勢力の寄り合い所帯として出発した野党・社会党。ミッテランは、「社会主義プロジェ」という共有原理に基づきながら政権交代という目標に向けて各派閥の均衡点に自らの立ち位置をおくことで求心力を発揮した(「取引的リーダーシップ」)。しかし、政権獲得の後、経済情勢の悪化に直面する。政権幹部は緊縮策をとるのに対して、一国社会主義的な政策志向を持つ党内の“古代人”は反発。すでに大統領という制度的な権力の座にあったミッテランはEMS(欧州通貨制度)離脱という新しい政策価値を提示して、双方の対立関係を別の次元に向けて解消しようとするが(「変革的リーダーシップ」)、現実的な政策知識を持つドロールやモーロワなどのフォロワーはついてこず、失敗。経済的要因を重視するアプローチからは、この時のEMS残留という決断は経済情勢の悪化に押されてのこととされるが、対して著者は、それでは1981~83年までグズグズしていたことの説明がつかない、むしろ従来型の「取引的リーダーシップ」の非決断によって遅れていたのだと指摘する。

 いずれにせよ、ミッテランは「取引的」「変革的」、二つのリーダーシップで失敗した。彼はこれ以降、特定のフォロワーをあてにはせず、状況に応じて政治的リソースを流動的に組み替えながらさまよう「選択操作的リーダーシップ」に切り替えたのだという。その際の理念的な道具として浮上したのが欧州統合というテーマである。ミッテランは欧州統合の立役者として評価される。しかし、それは政治的求心力確保のための手段なのであって、彼自身が当初から欧州統合という理念を持っていたわけではない。その意味ではあくまでも結果論に過ぎないと著者は指摘する。

 リーダーシップという一つの関係性概念を軸にすえた政治分析モデルを駆使した研究としてとてもおもしろい。日本の野党(旧社会党や現在の民主党)についても同様の分析視角を通したらどんな議論ができるのだろうか? フランスと日本とでは政治風土が違うと言ってしまえばそれまでだけど、むしろその政治風土的相違が浮き彫りになればいいわけだし、比較政治論としてちょっと興味ある。

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2008年11月22日 (土)

押村高『国際正義の論理』、マイケル・ウォルツァー『戦争を論ずる』他

 国境外の出来事について日常的に“知る”ことが可能となった現在、飢餓やジェノサイドをはじめ深刻な人道問題を他人事として放置できるのか?という問いが政策決定上の要因として無視できなくなっている。以前、このブログでもソマリア、ルワンダ、ダルフールの問題を取り上げたことがあるが、究極的なアポリアにぶつかってしまうのが軍事力の扱い、人道的介入の問題だ。

 軍事力=絶対悪とみなす傾向がかつて日本の進歩的左翼に顕著に見られたが、現在、そうした絶対平和主義は少なくとも国際法・国際政治学などの分野では稀だと言える。人道目的の武力行使が必要であることについては一定のコンセンサスが得られている。ただし、“平和”という大義名分の下で恣意的な侵略行為を正当化しかねない危険は常に存するわけで、武力行使を可能にする要件を厳しくするのか、それとも緊急対応できるよう緩くすべきなのか、そうした要件設定の幅をめぐって議論がかわされているのが現状である。最上敏樹『人道的介入』(岩波新書、2001年→参照)や押村高『国際正義の論理』(講談社現代新書、2008年)を読むと、安易な結論を下すことの出来ない難しさにもどかしい戸惑いを禁じ得ない。

 押村『国際正義の論理』を読んで興味を持ったのは次の二つの論点。第一に、“戦争の違法化”が本当に“正義”にかなうのか?というカール・シュミットの問題提起(90~93頁)。第一次世界大戦後、ケロッグ=ブリアン協定によって戦争違法化の努力が進められたが、戦勝者が中心となって規範化を行なってしまうと、戦争という一時的・偶然的出来事による戦勝国・敗戦国の図式が固定化されてしまう。戦勝国の論理が国際法という普遍性を身にまとう→規範の絶対性のゆえに反発もより強く、苛烈な闘争状態に陥るおそれがある、という(同じ頃に書かれた近衛文麿「英米本位の平和主義を排す」という論文を思い浮かべた)。

 第二に、格差原理を国際社会にまで広げて適用するのをためらったジョン・ロールズの議論(170~176頁)。彼のいわゆる“公正としての正義”論は主権国家の枠内においての社会政策の義務化を意図している(後述)。だが、他国にまで社会正義の名の下で踏み込んでしまうと、相手国内におけるコンセンサスの秩序を揺るがしてしまうおそれがある。主権国家の多元性を所与の条件としている以上、格差原理の適用はあくまでも国内限定で、国境の外に広げることは正当化しがたい、という。私はロールズ『万民の法』は未読だが、『公正としての正義 再説』でも自分の議論はあくまでも自分たちの社会に限定されるという趣旨の但し書きがされていたように記憶している。

 ともすると、世界政府のような統一体の中で一元的な法体系→警察的抑止が可能となればいいと夢見たくなることもある。しかし、シュミットやロールズの議論をみるにつけ、思惑の異なる様々なロジックがせめぎ合う中で辛うじて危ういバランスを保とうとしている国際法のダイナミズムそのものに興味がひかれてくる。

 国益追求のため没価値的に戦争を肯定するリアリズムに対して、人道目的限定でルールを定めた上でなら手段として武力行使を容認する考え方を正戦論という。正戦論は決して戦争を肯定してはいない。ただ、現実に人間は戦争をしている。武力を抑止できるのは武力以外にない。この端的な事実に我々は一体どのように向き合えばいいのか? マイケル・ウォルツァー『戦争を論ずる』(風行社、2008年)は、こうした正戦論の立場による論考を集めている。

 ウォルツァーはコミュニタリアニズムの代表的論客として知られている。ジョン・ロールズの公正としての正義論は、アトム的個人を前提→無知のヴェール→自分が不利益を被る可能性→不利益を最小限に食い止めようという動機が働く→配分的社会政策を正当化できる、という論理構成をとる。これに対して、何を不利益と感じるのかはその人の属する共同体の価値観によって異なってくる、抽象的な“負荷なき”個人など現実にはあり得ず、ある共同体における価値意識が共有されていてはじめて他者への配慮があり得る、と批判したのがコミュニタリアニズムである。特定の共同体の価値意識を排他的に称揚するというのではなく、様々なレベルにおいて共同体が共存することを模索しており、その共存の調整原理が“寛容”だとされる(マイケル・ウォルツァー『寛容について』みすず書房、2003年)。エスニシティの多元性を特徴とするアメリカ社会において、コミュニタリアニズムはマイノリティ擁護の論陣を張った。

 正戦論とコミュニタリアニズムとの関わりでいうと、「緊急事態の倫理」という論文に興味を持った。ウォルツァーの議論では、祖先から継承される生活様式の維持、そこにおいて一人の個人は共同体に分かちがたく組み込まれている、ということが前提となっている。彼の議論はマイノリティ擁護という点ではリベラル左派だが、時間軸における共同体と個人との一体性を重視する点では保守主義的である。日本の論壇における政治図式とは必ずしも重ならないので要注意。

 価値観のそれぞれ異なる共同体の多元的共存が破られる状態、“寛容”が成り立たない状態、たとえばナチスによるホロコーストのような最高度の緊急事態においては、個人を前提とした功利計算による考え方では対応できない。第一に、無辜の民を守るために自らの命を投げ出すリスクを負わねばならない。第二に、自分たちの共同体の絶滅の危機を回避するための反撃において、相手側の非戦闘員を巻き込む可能性を排除できない。その際、無辜の民を殺す可能性のある政治判断を行なう指導者は、自らの「汚れた手」の罪悪を自覚せねばならない。自分というものを超えたレベルで共同体に価値的なコミットメントをしていなければ、命を投げ出すリスクと「汚れた手」の引き受け、プラスマイナス両面における道徳的強靭さに耐えることはできない、という。

 緊急事態において通常の功利計算的な権利概念は乗り越えられるという考え方はカール・シュミットの例外状態の議論も想起させる。例外は、我々が普段目を背けて考えようとしない問題を明瞭に突きつけてくる。だからこそ、例外がすべてを説明する、とカール・シュミットは言っていた。正戦論は戦争についての現実的な認識とそれを何とかしようという理想主義的な情熱とが絡まり合っており、そこにはらまれた逆説からは政治のより本質的な問題が浮かび上がってきて目が離せない。

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2008年10月10日 (金)

ウイグル問題についてメモ(5)

 ウイグル人医師アニワル・トフティさんが今年の8月、広島での原爆慰霊式典参列のため来日された。その折に東京で行なわれた講演の要旨「核実験の後遺症を告発した医師が語るウイグル・原爆被害の「真相」」が『明日への選択』10月号(日本政策研究センター発行)に掲載されている(「真シルクロード?」で知りました)。

 父親が幹部党員だったので漢人学校に入学したが、差別された経験。医師として病院に勤務し、父のすすめで入党願いを出したが、入党審査の時に急患が入り、患者を優先させたため、結局入党できなかったこと(人命よりも党を優先させよという共産党の体質がうかがえる)。ある人道上の問題に関わってしまった自責の念。そして、診察した患者たちの様子から、ロプノールでの核実験による深刻な健康被害に気付いたこと。1964年から1996年にかけて46回にわたって核実験が実施されていた。中国政府は核汚染はないという公式見解を崩さないため、ウイグル人・漢人を問わず、多くの人々が悲惨な状態に放置されたままだ。アニワル医師はイギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、結局、イギリスへ亡命せざるを得なくなってしまった。

 中国政府の圧力で調査すら許されていないため核被害の詳細はよく分からないのだが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)は外部で入手可能なデータ(とりわけカザフスタンでの観測データ)を最大限に駆使して被害状況のシミュレーションを行なっている。同書によると、死亡人口は19万人、白血病やその他のガンの発生および胎児影響のリスクのある地域の人口は129万人と推定されている。残留放射能が将来にわたって地域住民に与える影響も懸念される。

 アニワル医師の講演の詳細は上記掲載誌(ただ、同誌には黄文雄とかも書いているのがちょっとなあ…)を参照のこと。また、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年→こちらの記事を参照)にもアニワル医師の話が採録されている(なお、今回のアニワル医師来日に際しての費用は水谷氏が個人で負担されたとうかがっています。本当に頭が下ります)。

 アニワル医師の講演会は私も聴きに行った。広島の原爆記念日の翌日、ちょうど北京オリンピック開幕式の前日というタイミング。この講演会については「原爆をめぐって」という記事名で当ブログにも書いた。スティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」を観た時に感じたことから説き起こし、核による悲劇の語り継ぎというテーマでアニワル医師の話につなげたのだが、一応構成上の計算はしていた。おそらく講演会後、中国の暴虐を許すな!みたいな悲憤慷慨調のネット記事が出回るだろうことは予想していたので、そういう論調とは区別をつけておきたかった。もちろん中国政府のやり口があまりにひどいのは確かなのだが、バッシングするだけでは建設的ではない。中国がどうのこうのというだけでなく、何よりも、核兵器の問題、人権の問題、多くの人々が関心を持つべきもっと普遍的な問題なんだという点を強調しておきたかった。日本が“唯一の被爆国”であることを標榜しているならばなおさらのこと(ウイグルの問題を考えると実際には違うわけだが)、右派・保守派の対中強硬論よりも、左派・進歩派の人道論こそがもっとウイグル問題に注目すべきだし、やはりNGOやとりわけ医療関係者など実務のできる人々に関心を寄せてもらうようにしなければならない。その点で、左右の政治対立図式など百害あって一利なし。

 左右の不毛な政治図式という点では、ネット世論(輿論ではなく)上の妙ちくりんなナショナリズムへの違和感について以前に触れたことがある(→ウイグル問題についてメモ②を参照のこと)。ウイグルやチベットの問題→中国バッシング→ああ、右翼の人たちね、という偏見を実は私自身持っていた。こうしたバイアスがかかってしまうと、一般世論の共有認識とはなりづらいし、政治的に中立の立場から人道問題として取り組もうとする人たちをかえって遠ざけてしまいかねない。これじゃあ、まずい。

 ウイグルをめぐる問題としては、まず、漢人への同化圧力によってウイグル人の民族的・文化的アイデンティティが奪われつつある点が挙げられる。漢語教育や新疆ウイグル自治区への漢人入植者の増加などの政策として進められている問題のほか、近年は、国家レベルでの市場統合→共通語としての漢語に習熟していないと社会的動向から取り残されてしまう、という経済面での同化圧力も強まっている。言語的な不利や漢人からの差別意識によってウイグル人が社会的底辺に追い込まれてしまっている問題についてはブレイン・カルトマン『龍の踵の下で』(→こちらの記事を参照のこと)が社会学的な研究を行なっている。

 そうした不満は、当然ながら政府への反抗意識として表面化するが、公安による弾圧は過酷を極めている(前掲水谷書を参照されたい)。9・11以後、イスラームに対する偏見も相俟って(チベット問題ほど世界的な同情を集まらない理由はこの辺りにあるのだろうか)、“テロとの戦い”という大義名分がウイグル人弾圧を正当化する口実として使われている。中国・ロシア・中央アジア諸国の加盟する上海協力機構は、経済協力ばかりでなく、ウイグルの民族運動抑え込みの装置としての役割も担っている。

 中国における民族問題としては、毛里和子『周縁からの中国──民族問題と国家』(東京大学出版会、1998年→記事参照)、王柯『多民族国家 中国』(岩波新書、2005年→記事参照)、加々美光行『中国の民族問題──危機の本質』(岩波現代文庫、2008年→記事参照)などでウイグルの問題も取り上げられている。なお、王柯書は漢人側の視点があまりにも強すぎる感もあるが、彼らの内在的なロジックが整理されている点では有益であろう(『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会、1995年も貴重な研究である)。

 ウイグル情勢の背景を概略的に知りたい場合には、新免康「新疆ウイグルと中国政治」(『アジア研究』49-1、2003年1月)がネット上で読める(→こちら)。ウイグル研究の権威である同氏の論考は大きな図書館にでも行かないとなかなか読めないが、板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書、2002年)所収の「新疆ウイグルと中国の将来」が短いが取り合えず入手しやすい。社会的・文化的背景も含めて多面的に知りたいならば、、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル(新免康・編)」(勉誠出版、1992年2月)と『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」(日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部、2005年1月)に良質な論考が揃っており、取っ掛かりとしておすすめだ(→ウイグル問題についてメモ①を参照のこと)。生活風習等については岩崎雅美編『中国・シルクロードの女性と生活』(東方出版、2004年)、同編『ウイグル女性の家族と生活』(東方出版、2006年)がカラー写真入りで読みやすい。ウイグルをめぐる最新情勢については水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)、同「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)が事情通ならではの的確な分析を示している(→ウイグル問題についてメモ④を参照のこと)。また、初めに紹介したサイト「真シルクロード?」はウイグル関連の最新情報を常時更新し続けており、こちらにはられたリンクからも様々な情報にアクセスすることができる。 

 ところで、私はウイグル関係のことに特に関わりを持っているわけではない。もともと、中学生の頃からシルクロード、とりわけ中央アジア史に興味を持ってはいた(→具体的にはこちらの記事を参照のこと)。ただ、その後、政治思想史の方に関心が移ってしまい、中央アジア史関連のことにはしばらくご無沙汰していた。

 去年、たまたま書店で水谷尚子『中国を追われたウイグル人』を見かけ、「そういえば、むかし憧れていたトルキスタンはいまどんな状況なのだろう?」という軽い気持ちで手に取った。学生の時分からロプノールで核実験が行なわれていることは知っていて「そうか、楼蘭には行けないんだな」と漠然と思っていたし、その後も新聞報道等で反政府勢力摘発といった記事を見かけてはいた。しかし、中国政府による人権弾圧がこれほどまでに過酷であるとは思いもよらなかったので驚いた。かつて抱いていた牧歌的なイリュージョンはたちまち消えた。それがウイグルの問題に改めて関心を持つようになったきっかけである。そうした個人的思い入れも含めて、今月、同書がアジア太平洋賞特別賞を受賞したことにはある種の感慨深さを感じている。

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2008年10月 1日 (水)

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』(NHK出版、2008年)

 中国社会の急激な変化、沿海部のきらびやかな繁栄ぶりは何となくイメージもつくが、内陸・農村部の事情については外の視点ではなかなか窺い知れない。敢えて農村問題にも目を向けてNHKのドキュメンタリー番組を制作したことのある著者は、かつて出会った人々のもとへ十五年ぶりにたずねていく。

 貧困指定地域から移民した家族のその後。改革開放の聖地と謳われた村の現在。とりわけ私が印象的だったのは、第一章、深圳へ出稼ぎに来た少女とそのボーフレンドの物語。

 農村人口の都市への緩やかな移行が政策として進められている(教科書的な連想で恐縮だが、19世紀ロシア、アレクサンドル2世の農奴解放令→農村人口の流動化→ロシアの産業化の進展、というプロセスを思い浮かべた)。都市と農村の格差、都市内部でも農民工の過酷な労働実態が問題となり、“和諧社会”を掲げる現政権も法整備等の対応を進めてはいる。しかし、結婚した二人、夫となった彼氏は政府の政策動向を的確に読み取ってチャンスをつかもうとするが、コネも学歴もない彼らに現実の壁は厳しい。

 「このままで終わりたくない」──「後悔しない人生、社会からの手応え…、言い表そうとすると陳腐に堕するが、それは「豊かさへの欲望」などと一言で片付けることはできない何かだろう。かつて農村に閉じこめられていた「個」が一斉に解き放たれ、チャンスを求めて彷徨しながら行き場を探している。」(80ページ)

 本書は、中国における社会問題とそれへの政府の施策もたどりつつ、同時に、こうした眼差しを通して、一人ひとりがどのように社会的動向と向き合おうとしているのかを描き出していく。少々感傷的なところも含めて説得力のあるノンフィクションだと思う。

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2008年9月21日 (日)

高橋進『国際政治史の理論』

高橋進『国際政治史の理論』(岩波現代文庫、2008年)

 20~30年前に発表された論文を集めた本。特に感想もないけど、せっかく読んだので適当に箇条書きメモ。

1.権威主義体制
・フアン・リンスの理論(→スペイン・フランコ体制の分析)を紹介。
・民主主義‐全体主義という二分法だとはみだしてしまう政治体制がある→体制比較の道具として“権威主義体制”という理念型を提唱。
・限定的多元主義:ナチスとは違ってファランヘ党は数ある政治集団の一つにすぎない。支配集団は国内各集団の「抱込み」で統治の安定化を図る→支配者と反対派の関係は流動的。
・政治的動員は弱い。
・カリスマ的性格もあるが、多元主義的性格→利害調整の必要→制度化、依法的支配の契機。

2.開発独裁
・低い政治参加で高度の経済発展を目指す→不十分な社会経済的平等→体制の不安定化→抑圧するか、さもなくば政治参加要求が爆発するか。
・スペイン、イラン、韓国の事例分析→平和的な政治体制の移行を図るには、体制派・反対派双方の信頼形成が不可欠。
・イラン・パーレビ王朝は石油収入に基づく経済発展→収入減、発展停滞→独裁体制の正当性喪失→強権的抑圧の悪循環。
・韓国・朴正熙政権は北という敵国の存在により独裁体制の正当化→緊張緩和を求める金大中が大量得票→正当性喪失→強権的抑圧の強化。

3.国家
・自由主義国家における利害調整:労資間の交渉、国家はその法的枠組みを提供(二頭主義)→さらに国家も直接介入して労・資・国の協議機関の設置(三頭主義)
・ハイパーリベラル国家(市場原理によって競争力)と国家・資本主義アプローチ(国際的競争力を高めるため国家の指導的役割)

4.権力政治(パワー・ポリティクス)
・古典的権力政治:17~18世紀、近代国家の登場→国際政治の主体。戦争を手段として組み込みながら国際政治を秩序化する試み。ユトレヒト条約(1713年)は、「正しい勢力均衡」が「平和」を維持すると宣言→規範化。
・勢力均衡の脱規範化→戦争ゲーム→国家はそのパワーこそを極大化させるべきという解釈へ。

5.帝国主義
・ロナルド・ロビンソンの“協力の理論”を紹介。①西欧、②協力エリート(西欧の要求を受け入れ、近代化推進)、③伝統エリート(西欧の要求に反発、協力エリートへの敵対勢力)による見取り図。
・協力エリートは、西欧側の要求と伝統エリートの抵抗との調整に取り組む→影響力を強めている点で“非公式の帝国”
・この微妙な“協力システム”が崩れると、西欧と伝統エリートが直接ぶつかり(民衆反乱等)、西欧側の勝利→西欧による直接支配→“公式の帝国”形成。
・植民地支配においてコストを最小限に切り詰めたい→現地の統治システムを利用→“協力メカニズム”の再建。
・脱植民地化は、“協力メカニズム”の解体ではない。むしろ、新たな近代化志向のエリートが、“協力メカニズム”の頂点にいた西欧を放逐して、自らがその位置に立つ。

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2008年9月20日 (土)

ウイグル問題についてメモ④

 長くなったので二つに分けました。

 水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)は中国政府によって投獄され、トルコに亡命したアブドゥカディル・ヤプチャン氏からの聞き書き。同じく水谷尚子「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)では、北京オリンピック前後に新疆で相次いだ事件を分析している他、東トルキスタン民族運動の内部事情が整理されている。だいぶ問題含みのようで、読みながら少々複雑なわだかまりを感じてしまった。

 アブドゥカディル氏の話を読んでいると、中国の公安当局による苛酷な弾圧と、それへの反発としてますます漢人への憎悪が深まってしまう負のスパイラルに暗澹とした気持ちになってしまう。同時に感じたのは、“暴動”という形を取らざるを得なかった人たちのやむを得ない心情の哀しさ。

 エリート層のように抗議の意志を洗練された方法で表現できる立場にないがために、直接行動を取るしかない人たちがいる。人は、置かれた立場の中で自分のできることしかできないから、良いか悪いかとはまたレベルの異なる問題だろう。しかし、“暴動”という形を取ると、当局から“テロ”とレッテル貼りされるきっかけになってしまう。やむを得ない怒りが動機であっても、政治の論理に絡め取られてしまい、彼らの心情は完全に脱色されて、私たちのもとにニュースとして届く時にはテロ云々という一般論の中に埋没してしまう。“暴動”という表面的な形だけがクローズアップされて、ではなぜそうならざるを得なかったのかという背景や心情までは外にはなかなか伝わりづらい。

 聞き書きは、研究上の第一次史料としてもちろん重要だが、それ以上に、スカスカした一般論に押し込められてオミットされかねない肉声の微妙なニュアンスを伝えていく、そうすることで政治を考える視点に奥行きを持たせていく。肉声が聞こえてこないと、妙な観念論ばかりが遊離して(場合によっては政治的思惑も絡んで)、当事者の思いとは全く違う方向に事態がそれてしまう恐れがある。「ウイグルの襲撃事件はテロか」の最後、右・左を排して、小さき声を丹念に拾い続けながら仲介者の役割を果たしたい(「梶ピエールの備忘録。」で引用されています。普段は『Voice』なんて読まないのですが、こちらで水谷論文のことを知りました)という水谷氏の決意はまさにそこにあるのだろう。とても貴重な仕事だと思う。

 なお、水谷氏が以前に研究されていた栄一六四四部隊(南京にあった、いわば七三一部隊の兄弟部隊)についての論考を読んだことがある。人体実験に関わった医師のもとにインタビューに行くのだが、彼は核心的なことは何も語らない。ただ、彼がふと漏らした言葉から、この人はこの人なりにひょっとしたら後悔を抱えているのかもしれない、そう感じたというところが私には印象的だった。人体実験は無論忌むべきことである。だが、そのこととはまた別に、一律な判断基準で相手を断罪してしまわないで、一人一人の抱えているものを見つめようとしている。水谷氏はそうした感性を持っていればこそ、偏見を持たずに相手の話を聞き取ることができる。ウイグル人とも漢人とも話し合えるし、仲介者として漢人側に問題の理解者を増やしていくことはできるはずだ。地道な努力が必要だが、そこにこそ可能性を見出せると思う。

 酒井啓子「ウイグル問題を歴史の視点から見る──大陸の進出のためだった日本のイスラーム研究」(『週刊東洋経済』2008年9月20日号)は、「回教」という表現に込められた戦前期日本のイスラーム認識に着目。この表現で対象とされているのは主として中国のイスラームであり、“大日本帝国”のアジア進出のためのコマとして「回教徒」を動員するという国策上の思惑からイスラーム研究が進められていたことを指摘する。

 同様の問題意識を持つ研究として、坂本勉編著『日中戦争とイスラーム──満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』(慶應義塾大学出版会、2008年)がある。戦前期日本においてイスラーム認識が格段に深まった点では画期的でありつつも、同時にその調査・研究が国策的支援を受けたものであった二面性をテーマとした論考を集めている。

 メルトハン・デュンタル「オスマン皇族アブデュルケリムの来日」によると、1931~1934年の新疆反乱(→東トルキスタン・イスラーム共和国成立)に際して、日本側にはオスマン皇族を“トルキスタン皇帝”に擁立して傀儡国家とする計画があったという。溥儀を連れてきて満州国(1932年)をつくったり、デムチュクドンロブ(徳王)を押し立てて蒙古連合自治政府(1939年)をつくったりというのと同じ発想だ。ただし、トルコ政府はこうした動きがオスマン帝国の復活につながることを懸念しており、在日トルコ系コミュニティにおけるアブデュルケリム招請派の分断を図ったり、東トルキスタン共和国崩壊後にアフガニスタンへ亡命した関係者に日本との関係を慎むよう勧告したりと、対抗策をめぐらしていたらしい。

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ウイグル問題についてメモ③

 ウイグル問題関連で最近読んだ論考についてメモです。

 加々美光行『中国の民族問題──危機の本質』(岩波現代文庫、2008年)。『知られざる祈り──中国の民族問題』(新評論、1992年)の改訂版だが、大幅に書き換えられているようだ。ウイグル問題にも多くのページが割かれている。読みながらとったメモを箇条書きすると、
・二十世紀初頭、梁啓超が「中国民族」「中華民族」概念を提唱、これを受けて孫文も「中華民族」形成を主張→「中華=中国世界=天下」観念と近代的「国民国家」観念が重ねあわされる→他民族の「漢人化」
・漢人以外の民族の離脱は、「中国国家」からの離脱というよりも、「天下=中国世界」からの離脱を意味し、漢人の世界を否定されたように受け止められる。
・イスラームもチベット仏教もそれぞれ普遍的な「世界」観念を持つ。また政教合一の傾向→中国政府は大量動員を恐れて政教分離を求める→内発的契機を欠いた強制的な政教分離には厳しい監督・干渉が伴う
・少数民族は居住区域での自治のみ許される(区域自治)→分離権なし(ソ連邦型とは異なる)→連邦制の主張は「分離主義者」として糾弾される
・1954年から、新疆生産建設兵団(屯田兵みたいなもの)→漢人の入植→摩擦
・百家争鳴・百花斉放→トルコ系民族幹部も民族自決権を含めた要求を出した→「地方民族主義」批判→再び漢人大量入植、遊牧民の定住化、人民公社化→トルコ系民族の相次ぐ反乱、ソ連領への越境逃亡
・中ソ対立、越境逃亡者の増大(→ソ連領カザフ共和国で自由トルキスタン運動)→中国政府は新疆への圧力を強化
・階級史観→「遅れた」地域に先進的プロレタリアートを派遣→実際には、「先進的な」漢人が「後進的な」他民族を「指導」という図式→民族的差異解消とは言いつつ同化圧力
・中国国内で、先進民族(漢人)と前近代的な少数民族という対比→実は、近代化論と同じ図式があるからこそ、少数民族の伝統が無視されている
・現在の中国ではもちろん階級史観などとらないが、国民市場的統合という形で同化圧力
・上海協力機構→「反テロリズム」という名目で周辺諸国と安保協力→東トルキスタン独立運動の「国際問題化」を防止

 『環』第34号(2008年夏、藤原書店)で「多民族国家中国の試練」の特集。チベット関連の議論が目立つ。

星野昌裕「国家統治システムの再検討を迫られる中国」から民族問題の論点をメモ。
・当初、毛沢東は「中華民主共和国連邦」も考えていたが、対外的安全保障優先のため連邦制の考えを放棄→民族区域自治制度(“民族自治”と、その区域内で漢族も含めた諸民族の平等を強調する“区域自治”のバランス)→実質的な権限は漢人→形骸化
・中国政府は、自国の民族問題を内外の民族運動が連携して国家統合に挑戦する意図を持つ「敵対矛盾」と認識
・少数民族も中華民族の一部であることを強調、漢語学習の強制

若林敬子「人口から見た多民族国家中国」からウイグル問題絡みの論点をメモ。
・旧ソ連圏での独立国家誕生→中国政府の懸念
・新疆には、開発・国境防衛の名目で大量の漢族移住(とりわけ北疆)、正規の人民解放軍の他にも「生産建設兵団」→実質的に漢族支配
・漢族とトルコ系民族との通婚はほとんど見られない
・イスラーム系民族にとって産児制限政策への反発が強い
・南疆の和田(ホータン)地区では、高出生率・高離婚率・初婚年齢の若年齢などの人口動態上の特徴が目立つ

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2008年8月27日 (水)

松本仁一『アフリカ・レポート』『カラシニコフ』他

 最近でもジンバブエのムガベ大統領による強権的な政治抑圧が世界中の注目を集めた。指導者の腐敗、絶え間ない内戦、経済効率の悪さ、そして捨て鉢になってしまう人々──。松本仁一『アフリカ・レポート──壊れる国、生きる人々』(岩波新書、2008年)やロバート・ゲスト(伊藤真訳)『アフリカ──苦悩する大陸』(東洋経済新報社、2008年→記事参照)は、ジャーナリストとして歩き回りながらアフリカ諸国の抱える問題をスケッチしている。

 こんな言い方をすると語弊があるかもしれないが、国家という枠組みへの帰属意識や公共意識がないがために人々がバラバラになって収拾がつかなくなっている状況が見て取れる(私が単純にナショナリズムを礼賛しているわけではないことは上掲書を読めばわかる)。国民のためという自覚がないから政治指導者は平気で汚職に手を染めるし、国家への帰属意識よりも部族意識を優先させるため内戦が終わらないし(植民地支配によって不自然な国境線を引かれてしまったという問題がある)、遵法精神がなければ経済も治安も悪化するばかり。アフリカ各国の政治家たちは問題点を指摘されると「それはレイシズムだ、すべては白人が悪いんだ」と論点をすりかえて建設的なことは何もやらない。それでも、崩壊国家ソマリア(→ソマリア情勢の背景についてはこちらの記事を参照のこと)内部で事実上の独立国家となっているソマリランド共和国が伝統的な部族長老たちの合議によって秩序が保たれているケースも紹介されており、決して希望がないわけではない。

 アフリカの内戦では少年・少女たちが拉致されて兵隊に仕立て上げられてしまう問題が報告されている。弾除けに使われ、仮に生きて逃げることができたとしても、精神的に安定していない時期に残酷な体験をさせられてしまったことから難しいリハビリに直面している。なぜ年端のいかぬ少年少女でも兵隊になれるかといえば、カラシニコフ銃のおかげ。構造がシンプルでパーツの組み立てがラク、悪条件でも弾詰まりしない、それに安上がり。松本仁一『カラシニコフ』(Ⅰ・Ⅱ、朝日文庫、2008年)はカラシニコフ銃の世界的な流通に着目して、暴力に翻弄される人々の姿を報告してくれる。
 
 なお、エレナ・ジョリー(山本知子訳)『カラシニコフ自伝──世界一有名な銃を創った男』(朝日新書、2008年)は、この銃を開発した男からの聞き書き。職人技としてこの銃を開発したことへの誇りが見えるだけでなく、彼自身、もともと富農の息子として共産主義体制においては不遇な生い立ちであったこと、ナチス・ドイツ軍を撃退するためにより簡便・高性能の銃を開発したいという熱意があったことなどが語られる。カラシニコフという悪名高い響きとは裏腹に、技術者としての彼が生真面目な老人であることのギャップが印象に残った。

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2008年8月15日 (金)

岡田恵美子『イラン人の心』

岡田恵美子『イラン人の心』(NHKブックス、1981年)

 先日、あるイラン料理店に行く機会があった。とても居心地の良いお店で、何よりもマスターの奏でる音楽が素晴らしい。生粋のイラン人だが、日本に帰化したそうで、お名前をヒロシさん(!)とおっしゃる。気さくに楽器の説明をしてくれた。サントゥールは船の形を模した一種の打弦楽器で、鍵盤を撥で弾いて音を出す。「大きな古時計」なども弾いてくれたが、どこかもの悲しい響きが心地よい。ネイという笛はリードがなく、笛を歯に直接合わせて吹くようで、見るからに難しそう。ダーフというタンバリンのような太鼓を絶妙な手さばきで叩きながら朗々と歌い上げる声には思わず聞きほれてしまった。サービス精神旺盛で、「涙酒~」なんて歌ってくれたが、それなりにサマになるから面白いものだ。

 帰ってから思い立ち、本書を読み返した。まだイスラム革命の起こる前の王政期、日本人の姿など皆無だったテヘランに女子学生一人で留学した体験記。イラン人のアクの強さに四苦八苦する奮闘ぶりが率直に書かれているが、読んでいて嫌な感じは全くしない。そういう文化なんだな、と自然に納得させてしまうのは、やはり著者自身がイラン文化に深く愛着を持っていることが行間の端々からうかがえるからだろう。イランといえば、“原理主義”政権や核査察問題などがすぐ頭をよぎる。本書はイスラム革命前の話という点では古いのかもしれない。しかし、生活光景や文学作品から垣間見えるメンタリティーというのは、個々の政治的事件とはまた別に、長いタイムスパンの中では一貫したものがあるはずで、それが実感を込めて描かれている点ではとても良い本だと思う。

 以前に本書を読んだときに一番印象に残っていたのが、大学での古典文学の授業風景。壇上に立った教授は、講釈をたれるのではなく、古典作品を朗々と歌い上げる。学生たちはうっとりと聞きほれ、朗誦が終わるやいなや、口々に賛嘆の声を上げる。コンサート会場で熱狂するファンという形容がぴったり。イランといえば詩と歌の国なのか、とヒロシさんの歌声を聞きながら思い返していた次第。

 イランの文学といって、オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』を思い浮かべるのは安直に過ぎるかもしれないが、この四行詩そのものが私は好きなので勘弁されたい。私はもともと厭世的な気質が極めて濃厚な人間なので、『ルバイヤート』にみえる虚無の雰囲気にひかれていた。ただし、“東洋的無”みたいな妙な一般論に結び付けてしまおうとするのが私のいけないところなのだと思う。翻訳を通して理屈で読もうとすると、どうしても独りよがりになってしまう。ヒロシさんの歌声を聞きながら、たとえばこんな感じに歌い上げていけば、『ルバイヤート』の虚無感も、それと表裏一体をなすおおらかな現世肯定の明るさも同時に醸し出されてくるのだろうか、そんなこともとりとめなく考えていた。

 なお、私の手もとにある『ルバイヤート』は古くからある小川亮作訳の岩波文庫版。確か、陳舜臣さんが若き日に訳したものが最近、集英社から出たはずだが、こちらは未見。

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2008年7月29日 (火)

ダウド・ハリ『ダルフールの通訳──ジェノサイドの目撃者』

ダウド・ハリ(山内あゆ子訳)『ダルフールの通訳──ジェノサイドの目撃者』(ランダムハウス講談社、2008年)

 スーダン政府のバックアップを受けたアラブ系民兵組織ジャンジャウィード、彼らによってダルフールの非アラブ系民族に対して行なわれている焼き討ち、殺戮、レイプ、その凄惨なあり様についてはここに引き写すのもおぞましい。

 ダウド・ハリはダルフールのザガワ族出身。彼自身の村も焼き討ちされ、兄をはじめ多数の親族が殺された。英語が得意なので、隣国チャドに脱出後も、海外のジャーナリストの通訳として6回も命の危険をおかした再潜入をしている。

 すべてを失い、絶望しかない中、戦うか、さもなくば無気力に陥るか。彼は自分の村が焼き討ちされて以来、生きているという実感がない。それでも、なおかつ彼が生きる理由は何か。ダルフールに降りかかった惨状を海外の多くの人々に知らせること。外国のジャーナリストたちをダルフールへ案内し、自分の命はどうなろうとも、彼らを生きて脱出させ、彼らの見たままを語ってもらうこと。ダウドは戦う。銃を取るのではなく、得意な英語を武器として。タイトルにある通訳とは、もちろん外国人ジャーナリストの通訳というだけでなく、ダルフールで進行中のジェノサイドを全世界に向けて伝達していくという意味が込められている。

 最近、ルワンダ問題に関わる本を何冊か続けて読む機会があった。ジェノサイドを目の当たりにしたとき国際社会はどのような対応を取るべきなのか、解きがたいアポリアにつくづく考え込まされた。映画「ホテル・ルワンダ」(→こちらの記事を参照)のモデルとなったポール・ルセサバギナは時間稼ぎをしながら国際社会の積極的介入を切迫した思いで待っていた(→ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』の記事を参照のこと)。他方、現地にいた国連平和維持軍司令官ロメオ・ダレールは、彼自身は介入すべきと確信しているのに、国連本部からのゴー・サインが出ない。目の前で殺戮が繰り広げられているのに何も出来なかった後悔から彼はPTSDになってしまったほどだ(→ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』の記事を参照のこと。この本は必読だと私は思っている)。

 当事者も、国際社会の良心も、介入すべきという思いは切実に持っているにもかかわらず、国家主権、国益をめぐる各国のエゴという壁が立ちはだかり何も出来ない虚しさ。国連安全保障理事会も機能しない。拒否権を持つ中国が反対するから、スーダンに対しても、あるいは最近ではジンバブエに対しても制裁決議が通らないのだ。中国はダルフールの天然資源をあてこんでスーダン政府をバックアップし、かの地で続く殺戮を黙認している。北京オリンピックの聖火リレーに対して世界中で抗議デモが繰り広げられ、チベット問題が特に注目されていたが、欧米ではダルフール問題への抗議という意味合いも強かった。

 ダルフール問題について日本語で読める本がなかなか見つからなかったので、本書の出版はとても貴重なことだと思う。なお、映画「ホテル・ルワンダ」で主演を務めた俳優ドン・チードルたちがダルフール難民のキャンプを歩いた記録を中心にジェノサイドの問題をテーマとした本を以前にこのブログで取り上げたことがある(Don Cheadle and John Prendergast, Not on Our Watch: The Mission to End Genocide in Darfur and Beyond)。

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2008年7月28日 (月)

ウイグル問題についてメモ①

 ここ最近、ウイグルのことについて少しずつ勉強中。取りあえず、途中経過メモ。

 大雑把な歴史を知るには、取りあえず今谷明『中国の火薬庫──新疆ウイグル自治区の近代史』(集英社、2000年)が入手しやすい。今谷明と言えば日本中世史の大家として知られているけど、『ビザンツ歴史紀行』(書籍工房早山、2006年)なんて本も出している。守備範囲の広い人だ。井上靖の小説やシルクロードへのロマンが昂じて書いちゃったとのこと。私自身、動機は同じです。近世から東トルキスタン共和国まで既存研究のダイジェストで、内容的には整理されていると思う。しかし、結論的にムスリム反乱の主役はあくまでも東干(回族)であってウイグル人は中央政府にとって脅威ではなかった、東干が決起しない限り新疆独立はないだろう、と言うのはいかがなものでしょうか。武装蜂起ばかりが独立運動でもあるまいし。あるいは、『新版世界各国史4・中央ユーラシア史』(小松久男編、山川出版社、2000年)の東トルキスタンの節(濱田正美稿)を拾い読みしても歴史的な流れは簡潔に過不足なく把握できる。

 新疆・ウイグルについて多面的に知りたい場合は、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル(新免康・編)」(勉誠出版、1992年2月)と『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」(2005年1月、日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部)の2冊が取っ掛かりとして便利そうだ。いずれも新疆での滞在体験を踏まえた論考やエッセイが集められている。

 まず、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル」。堀直「新疆がどうして中国になったのか─近現代の経済史から」。18世紀、乾隆帝時代に清朝の版図に組み込まれ“新疆”と呼ばれるようになったことから、清朝の弱体化、漢人流入禁令の形骸化、ムスリム反乱、ヤークーブ・ベグ政権を左宗棠が制圧→新疆省設置(1884年)、イリ条約(1881年)→ロシアとの国境画定といったプロセスを紹介、中国“固有の領土”として内地化が進められて行く経緯を解説。

 大石真一郎「ウイグルの近代─ジャディード運動の高揚と挫折」。従来のイスラム的教育の他、1884年以降は“中国化”教育政策が進められ、さらにキリスト教の宣教師も入り込んでくる中、ウイグルの人々の間に危機感が芽生えていた。当時の新疆はロシアとの交易が盛んになっていたため、ロシア籍のタタール人やウズベク人を通して“ジャディード”という近代化を目指した教育改革運動が新疆でも始まる(ジャディードについては、坂本勉『トルコ民族の世界史』の記事、小松久男『革命の中央アジア』の記事を参照のこと)。オスマン帝国の「統一と進歩委員会」(青年トルコ)もアフメト・ケマルという人物を新疆に派遣していた。1930年代の新疆ムスリム反乱の背景の一つとしてこうした動きから培われた民族主義や近代化志向の意識もあったことは新免康「新疆ムスリム反乱(1931~34年)と秘密組織」(『史学雑誌』99-12、1990年12月)で指摘されている。

 藤山正二郎「ウイグル語の危機─アイデンティティの政治学」は近代ウイグル語の成立過程について、リズワン・アブリミティ「模索するウイグル人─新疆における民族教育の状況」、それから同「新疆におけるウイグル人の民族学校」(『アジ研究ワールド・トレンド』)は民族教育の問題を取り上げ、やはりウイグル語教育と漢語教育の両立の危うい難しさが焦点となる。民族学校でのウイグル語教育はウイグル人としてのアイデンティティや文化的伝統を維持していく上で欠かせない。しかし、政策的な漢語同化政策ばかりでなく、中国社会にも市場競争原理が浸透しつつある中、就職を考えるとやはり漢語ができないと不利、そうした動機からウイグル人でも漢語学校に入るケースが増えているという。言語的不利→社会的ステータス上昇困難の不満についてはBlaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China(Ohio University Press, 2007)(→記事参照)で取り上げられていた。

 真田安「バザール・混沌の奥にある社会システムを求めて」はバザールの光景とその魅力を語りつつ、バザールにおける商品経済の仕組みを解説。経済関係では章瑩「新疆における国境貿易」という論文もある。

 菅原純「創出される「ウイグル民族文化」─「ウイグル古典文学」の復興と墓廟の「発見」」や鈴木健太郎「ウイグル音楽の歴史書『楽師伝』と民族的英雄アマンニサハンの誕生」は、少々強引とも思えるような論拠に基づいて民族的英雄を創り上げていくプロセスを検討、そこからウイグル人の民族文化振興の意志や焦燥感を読み取る。新免康「聖なる空間を訪ねて─新疆ウイグル社会における墓廟(マザール)」はウイグル民族文化の一翼を担うものとしての宗教的空間について解説。マリア・サキム「新疆における伝統的生薬文化」は民間医療について。

 王建新「ウイグル人のイスラム信仰」は日常生活に根付く宗教習慣について。イスラムには徳と義務との相殺という考え方があり、たとえば若い頃、共産党員として宗教的義務を果せなかったので、引退してから敬虔な宗教生活を送るという人が紹介されていて興味深い。宗教的規範と共産党政権下における公的・世俗的規範との矛盾を何とかやりくりしようという工夫がうかがえる。ウイグル人はイスラム教スンニ派だが、その中にも垣間見えるシャーマニズムについては王建新「新疆ウイグルのシャーマニズム─イスラムの現代に生きる民俗信仰」(『アジア遊学』No.58、2003年12月)が紹介している。

 次に、『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」。新免康「ウイグル人の歴史と現在」は概況を解説。なお、かつて東トルキスタン在住トルコ系の人々の帰属意識は各オアシスに対するもの、もしくはムスリムとしての自覚が強かったが、“ウイグル”という名称による民族区分が明確になったのは20世紀に入ってからのこと。

 岡奈津子「カザフスタンのウイグル人」。上海協力機構は加盟各国それぞれ内部に抱える“過激派”押さえ込みの同盟という側面があるが、ウイグル人からすれば国境を越えた自分たちのネットワークを押さえ込もうとしていると受け止められている。カザフスタンではウイグル人に対して“テロリスト”という偏見も持たれているらしい。カザフスタン在住ウイグル人組織として、武装解放路線を唱える強硬派からウイグル人の権利向上を目指す穏健な文化活動まであることを紹介、前者はごく少数、後者が圧倒的多数である。

 菅原純「ウイグル人と大日本帝国」は1944年刊行の『中央アジア・トルコ語』を皮切りに日本とウイグルとの意外な関係を発掘している。盛世才政権に反対して亡命したマフムード・ムヒーティたち一行は日本に亡命(この中にいたムハンマド・イミン・イスラーミーはアブデュルレシト・イブラヒムの死後、代々木のモスクのイマームとなったそうだ。なお、イブラヒムについては『ジャポンヤ』の記事を参照のこと)。ただし、彼らに対して日本政府は素っ気なかったという。結局、北京、さらにフフホトに追いやられ、ここで彼らは満鉄調査部の竹内義典の支援を受けた。また、アフガニスタンに亡命していたムハンマド・イミン・ブグラ(『東トルキスタン史』の著者)は在カブール日本領事館に頻繁に出入りしていたそうだ。

 他に、前掲のリズワン・アブリミティ「新疆におけるウイグル人の民族学校」、堀直「ウイグルの古都ヤルカンド」、菅原純「翻弄された文字文化─現代ウイグル語の黄昏」、藤山正二郎「儀礼的世界のウイグル女性」などの論考がある。

 取りあえず、今回はここまで。

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2008年7月26日 (土)

李建志『日韓ナショナリズムの解体──「複数のアイデンティティ」を生きる思想』

李建志『日韓ナショナリズムの解体──「複数のアイデンティティ」を生きる思想』(筑摩書房、2008年)

 一人一人の、いままさにここに生きて抱えている問題のリアリティを言葉に置き換えていくのは本当に難しいことなのだと思う。本書の著者は他称“在日朝鮮人”であるが、前著『朝鮮近代文学とナショナリズム──「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社、2007年)にあった次のシーンが印象に残っている。いわゆる“シイエス→CS→カルチュラル・スタディズ”を専攻する人から「在日朝鮮人に生まれてうらやましいですね。ぼくも朝鮮人に生まれていたら、もっと研究が注目されるのに」と言われたそうだ。

 マジョリティとマイノリティ、その関係性の問題は前者が後者を抑圧するという分かりやすい図式で終わるものではない。“シイエス”はマイノリティに対する抑圧の社会的・文化的側面を批判的に検討する立場であり、その点では“反権力”であるにもかかわらず、マイノリティの受ける抑圧を告発→“正義”という特権的立場→“反権力という名の権力”という図式を彼は暗黙のうちに吐露してしまっている。ここにおいては、マジョリティとマイノリティの関係性を単純な二項対立に押し込めて、実は当事者自身のまさに生きている経験がすっかり無視されているのではないか。そうした根本的な疑問を著者は投げかけていた。

 植民地支配や朝鮮人差別の問題についてマジョリティたる日本人の側で極端なまでに“自己否定”する人がいるが、実は批判できる自分を問題から超越した立場に置いてしまっている。相手と“向き合うようなポーズ”は取りつつも、現実にはしんどい部分から逃げ出す“向き合わないための技術”に過ぎないと本書『日韓ナショナリズムの解体』は指摘する。“自己批判”は“正しい”から異論を唱えにくい。同様の構図はマイノリティたる在日朝鮮人の側にもあり、自分たちの“抵抗のナショナリズム”を無条件に絶対化してしまうという問題をはらんでいた。二項対立的な“正義らしきもの”が並立する。これでは建設的な議論はできない。

 韓国社会におけるナショナリズムは二つに大別されるらしい。一つが、大韓民国という国家レベルにおける高度成長のナショナリズム。もう一つが、独裁政権批判・民主化運動の流れにあり、民族同胞意識を強めた“開かれたナショナリズム”。前者が保守派、後者が進歩派というくくりになるが、竹島(独島)など領土問題では共闘関係に入ってしまうらしい。本書では対馬から高句麗時代の中国東北地方まで本来は自分たちの領土だと主張する“故地意識”が取り上げられている。特に後者の進歩派の場合、基本的に善意というか純粋で、その分、自分たちを絶対化しやすい。その暴走が日本人からは異様に見えてしまうわけだ。

 各個人のレベルにおいてアイデンティティは決して一つに収斂されるものではない。それにもかかわらず、日韓双方とも、自分たちと他者とを二項対立的に切り分け、その単純化によって“無意識で善意のナショナリズム”に転化してしまう問題点を本書は指摘する。

 私は、日本の“自己批判する私たち”=特権的立場を暗黙のうちに主張してきた進歩派には違和感があったが、他方で、近年巷によく見られる安直な“嫌韓”ものにもほとほとうんざりしていた。そうした中、双方の思考の内在構造を腑分けしようと努める本書の立場は説得的に感じた。感情過多なところが少々気にかかるが、視点そのものはしっかりしていると思う。これからどんな議論を展開するのか期待している。

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2008年7月21日 (月)

Blaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China

Blaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China, Ohio University Press, 2007

 中国においてマイノリティーたるウイグル人は漢人社会への同化圧力についてどのように感じているのだろうか? 本書のタイトルには、龍=漢人によってウイグル人が踏みつけにされているという意味合いがある。ウイグル人・漢人、それぞれ100名前後ずつ、計200名強への面接調査をもとに両者の相互イメージの懸隔を明らかにしようとした社会学的なモノグラフである。調査地点はウルムチ(ウイグル人34名、漢人41名)・北京(ウイグル人25名、漢人33名)・上海(ウイグル人26名、漢人26名)・深圳(ウイグル人7名、漢人25名)。都市部へ流入したウイグル人の就職環境や犯罪等の摩擦についての考察が中心となっている。

 巻末にある各質問項目に対する回答の集計表を眺めると、北京在住のウイグル人は他地域のウイグル人とは違って、漢人の回答に近い傾向が明瞭に表われているのが目を引く。北京に住むエリート、さらに二代目・三代目となったウイグル人は言語面でも生活習慣面でも漢人とうまく付き合っているので中国社会に対する不満が少ない。

 逆に言えば、言語面での不利が他地域のウイグル人に様々な障壁をもたらしていることが浮き彫りになってくる。標準中国語が流暢でなければ敢えてウイグル人を雇用しようという漢人は少ない。新疆ウイグル自治区以外に住むウイグル人の職業は食料品関係にほとんど集中している。もの珍しさのせいかウイグル料理を好んで食べる漢人は多いので、ウイグル料理関係の食材店や食堂は何とか職業として成り立つらしい。ちなみに、ウイグル人は中華料理を食べたがらない。戒律上の禁忌に触れるものがあるからだろう。北京在住である程度まで漢人社会に同化したウイグル人でも「中華料理は好きですか?」という質問にYesと答えた人の割合は低い。

 漢人はウイグル人に対して、獰猛・非理性的・不潔・粗野・開発に無関心といったイメージを持つ傾向がある。ウイグル人は標準中国語を学ぶ努力をしない、怠惰である、それはイスラームのせいだと決め付ける回答も漢人には多い。そうした漢人からの人種偏見的な眼差しにウイグル人も敏感で、自分たちの民族性やイスラームが見下されているとひそかに不満をもらしている。敢えて漢人との接触を求めようとはせず、分離して暮らす傾向が強まってしまう。

 ウイグル人の犯す窃盗、麻薬など非合法品販売といった犯罪について、「漢人にだって貧しい人はいる、ウイグル人の犯罪が目立つのは、貧しいからではなく、彼らの社会がおかしいからだ」という漢人社会学者のコメントが紹介されていた。これは極端だとしても犯罪と結びつけるイメージでウイグル人を見ている漢人は多いようだ。ウイグル人による犯罪は主に漢人相手のケースが多いという。それは、漢人の方が金持ちだからという理由の他に、漢人から抑圧されていることへの怒りの表現だと語るウイグル人のコメントもあった。

 本書は、社会的流動性=機会均等による地位上昇のサイクルにうまくのることができず希望の持てない状況は犯罪に走りやすいという社会学理論(文化的目標と制度的手段との乖離→アノミー→犯罪・非行等の逸脱行動、というロバート・マートン「社会構造とアノミー」の理論を援用している)に理由の一つを求めつつ、さらに加えて、中国社会全体に行き渡ったウイグル人への人種偏見に対する反発という側面があることを指摘する。

 現実問題として考えるとウイグル人の社会的地位上昇を図るには、標準中国語学習の機会均等を保障することが必要条件となる。しかしながら、中国政府としては少数民族にもきちんと配慮しているという姿勢を対外的にアピールするため(ウイグル人のためではなく)、ウイグル語教育を維持せねばならない。そして何よりも、中国語に重きを置いた教育システムはウイグル人としての民族的アイデンティティーを消し去ってしまうリスクと隣りあわせである。言語面での不利をそのままにして漢人社会への同化圧力が強まっている状況により、ウイグル人は社会的底辺に追いやられている、すなわちunder the heel of the dragon=“龍によって踏みにじられる”結果をもたらしていることが本書から窺える。

 著者は標準中国語に堪能ではあるがウイグル語は苦手らしいこと、インタビュイーの選定にどの程度の信頼性があるのか私には検証する術がないことなど気にかかるところはあるにしても、中国社会内部からの声を汲み上げている点では貴重であろう。

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2008年7月20日 (日)

内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』

内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』(岩波新書、2004年)

 ドイツ・オランダ・フランスそれぞれの社会におけるムスリム移民の状況の考察を通して本書はイスラーム的規範と西洋文明的規範との考え方のズレを浮き彫りにする。

 ドイツの社会習慣を理解してビジネスを成功させてもドイツ人にはなれないと述懐するトルコ人実業家が紹介されている。移民はいつまでたってもガストアルバイター扱いで、同じ社会の一員とみなす発想は希薄だという。疎外感からムスリムとしての覚醒をする動きが現れる。衛星放送のパラボラアンテナが林立しているのを見て、母国トルコとの距離は近づいたものの、トルコ系移民とドイツ社会との心理的・文化的距離は逆に遠くなってしまったという指摘が印象に残った。去年、ベネディクト・アンダーソンの講演を聴きに行った折、彼が示した“ポータブル・ナショナリズム”というキーワードを思い出した(→こちらの記事を参照のこと)。

 ドイツでは政治への参加資格として国家への帰属を求めるのに対し、もともと商業国家として成立してきたオランダの場合、納税を重視する。スペイン・ハプスブルク家によるカトリック押し付け政策に対して独立戦争を戦ったという歴史的経緯があるためなのか、文化的多元主義をとり、宗教面でも列柱的共存が図られている。それは他者の権利を認めるが、同時に相手への無関心をも意味する。男女関係の乱れ、伝統的家族像の崩壊、麻薬に寛容な社会風潮などへの違和感から、保守的なムスリムとキリスト教政党が道徳感情のレベルで近いというのが興味深い。

 フランスでの政治参加の要件はフランス語である。また、周知の通り、フランスは国家と宗教とを厳格に分離する世俗主義(ライシテ、laïcité)を徹底させている(その背景については、工藤庸子『宗教vs.国家──フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書、2007年、を参照のこと)。それは公的領域と私的領域とを分け、宗教はあくまでも個人の心の問題として認められ、パブリックな場面では一切表に出してはいけないとされる。しかし、イスラームには聖俗分離という発想そのものがない。つまり、内面において信仰心を持つだけでなく、教えに定められた行為を日々の生活の中で実践し、その積み重ねがあってはじめてムスリムといえる。この点で摩擦が起こってしまう。社会的同化を求める右派がイスラームに不寛容なのは理解しやすいにしても、リベラリズムに立脚する左派もまた、イスラームは人権抑圧的・反民主的・女性蔑視的として批判的なのは難しい問題だ。フランスの世俗主義・啓蒙主義の“普遍性”に疑問を向けることすらしない点を本書は批判する。また、これはキリスト教とイスラームとの対立というよりも、キリスト教と決別した世俗主義とイスラームとの衝突として把握する視点に関心を持った。

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桜井啓子『日本のムスリム社会』

桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書、2003年)

 日本在留のムスリム人口については特に統計があるわけではなく正確な数字は分からないが、イスラーム諸国会議機構加盟国出身者数を参考に考えると4万人強くらいになるという。インドネシア出身者のパーセンテージがダントツで高い(日本のODA最大供与国として様々な関係があるから)。

 パキスタンやバングラデシュ政府は失業対策・外貨獲得の出稼ぎを積極的に奨励している。渡航費用がかなりかかることを考えると、彼らは貧困層ではなく、都市出身者・中卒以上の学歴を有している者が多い。イラン人は、イラン・イラク戦争終結後に増加しており、戦争で荒廃した祖国に職が乏しいという理由の他に、厳格な宗教支配を抜け出し自由を求めてやって来た人々が多く、その点でムスリムとしてよりもイラン人意識が強いという。いずれにしても、相対的に学歴の高い人々が多いにもかかわらず、日本では3K的な仕事しかできないため、複雑な思いを抱えているようだ。

 ムスリムにはいわゆる五行(信仰告白、礼拝、断食、巡礼、喜捨)をはじめ食習慣や女性ならヴェールの着用といった様々な戒律があるが、非イスラーム的環境の中でそうした戒律を守り続けるのはなかなか難しい。例えば、勤務時間中に仕事を中断して礼拝するのは気がひけるし、断食による集中力低下について職場の理解が得られない。食生活面では、お店で買ったり外食するものがハラール(戒律上食べてもいいもの)なのかハラーム(禁忌)なのかの判断が難しい。豚肉がダメというだけでなく他の肉でも調理方法が決まっているし、例えば焼き菓子を買ったとして獣脂やアルコール成分が含まれている可能性がある。厳格に守るのは難しく、個人ごとの判断である程度妥協しながら食生活を送っているとのこと。やはり自炊が多くなるらしい。礼拝のため、資金を出し合って手づくりしたモスクの写真が色々と紹介されているが、その努力にはやはり感心する。

 定住者が死んだとして、お墓が確保できない。火葬は地獄の業火を連想させるため絶対にダメで(身元不明のイラン人を自治体が火葬してしまって、イラン政府から厳重抗議を受けたことがあるらしい)、土葬でなければならないからだ。

 日本人とムスリムとの結婚にも色々な問題がある。イスラームでは男性が重婚することが認められており、日本人女性の方でその点を理解していないとトラブルになる可能性がある。また女性の方でイスラームに改宗する必要がある。イスラームへの改宗は、二人のムスリム男性を証人として信仰告白、つまり「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒なり」という定型句を唱えればその時点で成立する。ただし、それはあくまでも出発点に過ぎず、日々の戒律を守り続けてはじめてムスリムとなるわけで、結婚後にようやく改宗の重大さに気付くケースもあるようだ。

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2008年7月17日 (木)

吉川卓郎『イスラーム政治と国民国家──エジプト・ヨルダンにおけるムスリム同胞団の戦略』

吉川卓郎『イスラーム政治と国民国家──エジプト・ヨルダンにおけるムスリム同胞団の戦略』(ナカニシヤ出版、2007年)

 第一次世界大戦後、民族自決を求める世界的動向の中で、エジプトは1922年に独立、民族主義的なワフド党が政権の座についたものの、イギリスの圧力に翻弄されていた。近代主義的なワフド党に対し、イスラームの理念に基づいて反植民地主義的思想を主張したハサン・アル=バンナーがムスリム同胞団を設立、その後、各地に支部が設けられて中東各国に広がった。以上、マイナーな話と思うかもしれませんが、一応、受験世界史レベルの知識です。

 本書はエジプト・ヨルダンそれぞれにおけるムスリム同胞団が、①選挙等においてどのような政治過程をたどったか、②湾岸戦争に際してどのような反応を示したか、以上の比較分析を通してイスラーム主義運動の一側面を明らかにしようとする。その際、イスラーム主義運動を、文化的・伝統拘束的な前近代性として考えるのではなく、むしろ近代化の産物として把握するアプローチをとる。

 エジプトのムスリム同胞団は政府から公認されず弾圧されてきたものの、無所属という形で多くの国会議員を当選させている。それは第一に社会奉仕活動の実績が人々から評価されているということもあるが、第二に、政権側がさらに過激な勢力へ人々の支持が集まらないよう代替的な受け皿とみなしているという背景もある。他方、ヨルダンのムスリム同胞団は当初より王家と親しい関係を築いてきたが、政治上の野心はない。エジプト・ヨルダン双方のムスリム同胞団とも、倫理・教育・福祉分野には熱心であっても、外交や経済など国家的方針については漠然とした理念しか示せないことも指摘されている。

 湾岸戦争に際してのエジプト・ムスリム同胞団の論説が分析されているが、イスラーム的な理念をはいでしまえば、基本的に世俗的左派とあまり変わらない主張であったという。ヨルダン・ムスリム同胞団の場合、イスラーム主義は本来、イラク・バース党のアラブ社会主義とは相容れないにもかかわらず、ヨルダン国内の親イラク世論に合わせる形でフセイン大統領支持の方向で主張を変えている。

 イスラーム主義といえば、宗教至上的な主張によって近代化による不満を抱いた人々の支持を集め、国境を越えて広がる性質があり、その先駆的存在がムスリム同胞団だという印象を私などは持っていた。ところが本書におけるムスリム同胞団の分析によると、①国境で区切られた政治領域内での合法性を求める傾向があり、その意味で国際性よりも地域性が強いこと、②そうした政治環境に適応していく現実性・柔軟性も持っている、その意味で宗教至上性だけで彼らの運動を理解するわけにはいかないこと、以上の点が示されているのが興味深い。

 もちろん、本書はあくまでも事例分析で、これだけでイスラーム主義運動の一般的性格をつかめるとは言えない。しかし、この思想運動の多様性を大雑把に断定してしまう傾向も見受けられる中、一面的なイメージ理解をしてしまうのではなく、個別に見ていくなら視点の切り替えが必要なことを痛感させられた。

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2008年7月14日 (月)

毛里和子『周縁からの中国──民族問題と国家』

毛里和子『周縁からの中国──民族問題と国家』(東京大学出版会、1998年)

 もともと中華民国は領土不可分のナショナリズムをスローガンとしていた。中国共産党は一時期、ソ連の民族政策の影響を受けたこと、抗日戦争で少数民族の協力を取り付ける必要があったことなどから連邦制の構想も持っていたようだが、中華人民共和国の成立後は“区域自治”を基本方針とし、各民族の分離権を容認しかねない連邦制は否定した。自治権を認めつつも、領域的政治統合が目指された。

 現代中国には漢民族以外に五十五の少数民族がいるとされるが、国家主導の“民族識別工作”を通してこれらの少数民族が認知されてきた経緯を紹介、民族は上から作られたとする論点に興味を持った。民族平等が基本原則だが、モンゴル・ウイグル・チベットなど独自の文化・歴史を持つ民族も数千人レベルのエスニック・グループも、漢民族ではないという点で同列に扱われることになり、その意味では個別の事情は無視されている。“民族識別工作”で大きな役割を果した文化人類学者の費孝通は、非漢民族を民族として認知した上で、その上位概念として多元一体の有機体である“中華民族”を想定していたという。

 中国政府はモンゴル・新疆・チベットの民族運動の分離傾向が国際政治における圧力カードとして使われることを警戒している。ただし、一言で民族問題といっても事情は様々だ。反右派闘争、大躍進政策、そして文化大革命など中央での政治路線の変化に各民族は常に翻弄されてきたし、中央主導の政治・経済統合によって引き起こされた文化上・生活習慣上の摩擦は現在でも大きな社会問題となっている。宗教上の問題、新疆での反核の訴え、政治的権利・人権の問題など、様々な不満がくすぶっている。こうした不満から生じる異議申し立てを、それがたとえ独立運動ではなくても、“民族分離主義”という一律のレッテル貼りをして政治弾圧を加えている側面がある。

 香港が一国二制度となり、さらに台湾、チベット、新疆の事情を踏まえ、天安門事件で亡命した政治学者・厳家其が示した、外交と軍事だけは中央が握り後は広範な自治を認めるというゆるやかな国家連合的連邦制のアイデアが紹介されている。現段階では極めて難しいにしても興味深い。

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2008年7月13日 (日)

森まり子『シオニズムとアラブ──ジャボティンスキーとイスラエル右派 一八八○~二○○五年』

森まり子『シオニズムとアラブ──ジャボティンスキーとイスラエル右派 一八八○~二○○五年』(講談社選書メチエ、2008年)

 十九世紀の末、ユダヤ人の民族的郷土の確保を目指してテオドール・ヘルツルの立ち上げたシオニズム運動には労働運動との結びつきも強かった。これを本書の主人公ジャボティンスキーは、シオニズムの究極目標であるユダヤ人国家の至上性を曖昧にしてしまうと批判。主流派であった社会主義シオニズムとは違うという意味で彼の立場は修正主義と呼ばれた。どのような社会にするかというイデオロギー的“混合物”が入ってしまうのを警戒し、何よりもまず“国家”という枠組みの形成を最優先させようという意図が彼にはあった。

 パレスチナという土地をめぐりシオニズム運動とパレスチナ・アラブ人との衝突が不可避である以上、軍事的手段を使わざるを得ない。アラブ人との共存を拒否するわけではない。ただし、彼らとの対決を通して、ユダヤ人の存在を認めさせた上で、あくまでもユダヤ人国家内部におけるマイノリティーとして彼らアラブ人の市民的権利を保障するというのがジャボティンスキーの考え方であった。こうした彼の思想が、その後のベギン、シャミル、シャロン、ネタニヤフなどリクードの右派政治家たちにどのように継承され、どこに違いがあるのかを本書は検討していく。

 ジャボティンスキーには少なくとも理念的には理性や交渉に基づく“開かれたナショナリズム”を求めようとしていた形跡もあったらしく、それが民族の至上性や対アラブ問題の武力的解決という強硬論と彼自身の中にあっては危ういバランスをとっていたという。しかし、彼の修正主義シオニズムがベギンたちへ継承されるにあたり、強硬論への単純化が避けられなかった。社会主義シオニズム運動には入植活動の道義性への葛藤があったが、それとは対照的にベギンの単純思考には、アラブ人との人間的な接触の欠如という問題があったとも指摘される。

 イスラエルのともすると過剰とも言える強硬な鎮圧活動を見るにつけ、私などは常々首肯しがたいものを感じている。そうしたイスラエル国家自身の内在的ロジックを把握できるという点で本書は有益である。

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藤原帰一『戦争を記憶する──広島・ホロコーストと現在』

藤原帰一『戦争を記憶する──広島・ホロコーストと現在』(講談社現代新書、2001年)

 去年の夏、広島で原爆にまつわる場所を歩いて回った(→「広島に行ってきた」①の記事を参照のこと)。たまたま出会った大学生から原爆についての意識調査のアンケートに協力して欲しいと頼まれた。最後に憲法改正の問題、憲法第九条の問題についての質問項目が設けられていたので、戸惑った。余計なことだったかもしれないが、不自然だと指摘した。原爆の問題と一般論としての平和の問題が結びつくのは当たり前でどうしてそこに疑問を持つのか?と言いたげな彼の不思議そうな表情が印象に残っている。

 本書ではまず、広島の平和記念資料館とワシントンのホロコースト博物館とが比較される。このような惨禍を絶対に繰り返してはいけないという趣旨では両方とも共通するが、その位置づけ方は対照的だ。広島は戦後日本社会において、どんな理由があっても戦争はいけないという絶対平和主義のシンボルとなった。他方、ホロコースト博物館のメッセージは、民族絶滅という絶対悪を目の当たりにしたとき、我々は傍観してはならず、立ち上がって戦わねばならない、ということになる。また周知のように、日本との戦争を終わらせるためには原爆投下も正当化できるというスミソニアン博物館問題で露わとなった歴史観もアメリカには根強くある。

 戦争観はそれぞれの国の置かれた歴史的コンテクストに応じて違ってくる。戦後日本社会においてはしばらくの間、戦争一般を否定する絶対平和主義が行き渡り、安全保障政策や国際貢献をめぐる論争の対立軸となった。他方、ホロコーストを目の当たりにした欧米の場合、そうした絶対悪の抑止・制裁のためにこそ武力行使も必要だという議論が左翼・右翼を問わず成り立つ。たとえば、ハーバーマスがコソボ問題をめぐってユーゴ空爆を支持したことは知られているし、アメリカのリベラル左派・人権派の中には国益目的ではなくあくまでも人道目的からイラク戦争を支持した人々=“リベラル・ホーク”がいた(→マイケル・イグナティエフ『軽い帝国』の記事を参照のこと)。

 国益追求のための戦争は国家主権に含まれる、従って政治手段として肯定されるという立場を国際政治学ではリアリズムと呼ぶ。これに対して、戦争を絶対悪とみなす立場は二つあると本書は整理している。一つが反戦思想。戦後日本の進歩派のように、戦争自体が絶対悪なのだから手段としても認められないという立場。もう一つが正戦思想。侵略戦争やジェノサイドのような絶対悪を防ぐためには武力行使もやむなしという立場(例えば、邦訳が刊行されたばかりのマイケル・ウォルツァー『戦争を論ずる──正戦のモラル・リアリティ』風行社、2008年、を参照のこと)。

 戦争をめぐる記憶が「国民の歴史」として語られ、「われわれ」意識=国民意識の形成につながっていくことについての本書の分析も興味深い。

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2008年7月10日 (木)

王柯『多民族国家 中国』

王柯『多民族国家 中国』(岩波新書、2005年)

 本書から読み取れる論点は次の通りだろうか。

①“中華文化”においては先天的な身体特徴ではなく、後天的な文化様式をもとに人間共同体を考える。“礼”の獲得もしくは喪失によって文明と野蛮の転換もあり得る、つまり夷狄であっても“華”になれるというダイナミズムにこそ、“中華文化”が周囲の異民族を次々と引き込んできた魅力がある。従って、現在もウイグルやチベットなど一部の例外を除けば、ほとんどの少数民族は敢えて独立しようという気持ちはない。

②西洋列強が清を脅かす19世紀後半から、主に漢人の革命派の間に“一民族一国家”という国民国家(nation state)の観念が入ってきた。満洲人という異民族によって漢人が支配されていることの不当性を攻撃、中国=漢民族の国という漢民族ナショナリズムが盛り上がった。ただし、辛亥革命によって中華民国が成立すると、多民族状況という現実を目の前にして中華国家=漢民族単一民族国家という考え方は通用しない。そこで、五族協和(漢・満・蒙・回・蔵)というスローガンが打ち出される。それでも、これは五族の合意があった上での話である。モンゴル・ウイグル・チベットの独立を求める動きを受けて、中華民国という枠組みが崩れるのを恐れた孫文は“中華民族”への融合を主張。事実上、“中華民族”=漢民族であり、他民族の同化を意味してしまう。こうしたかつての中華民国の漢民族単一民族国家志向に対し、中華人民共和国は少数民族の存在にも配慮している。

③新疆に対する帝政ロシア・ソ連の干渉、チベットに対するイギリス・アメリカの支援など、歴史的に少数民族の独立運動が大国政治の中で利用され中国分断の危機にさらされてきた経緯があり、国際的な圧力のカードとして使われかねないという懸念を現在でも中国は抱いている。

 中国の民族問題においては、少数民族と漢民族との格差をなくすことが課題であり、ウイグルにしてもチベットにしても経済水準がめざましく向上したので一般的には独立運動は支持されていないと本書は言う。しかし、言論の自由が保障されていない中国社会にあって果たして額面通りに受け止められるだろうか。また、経済開発を進めるにしても、ビジネスツールとして漢語が圧倒的であること、少数民族居住地域への漢族の移住者が増加していることなどを考え合わせると、実質的には同化政策で民族問題の解決を図っているのではないか、少数民族保護といっても所詮建前に過ぎないのではないか、そうした疑いは消えない。東トルキスタン独立運動やチベット問題についても政治弾圧を肯定するスタンスになっているのが気にかかる。

 第一に中国の民族問題について一つの視点からであっても概観できること、第二に漢民族側の内在的なロジックが整理されていること、以上の点では本書は有益である。

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2008年6月24日 (火)

ロバート・ケーガン『歴史の回帰と夢想の終わり』

Robert Kagan, The Return of History and the End of Dreams, Alfred A Knopf, 2008

  『歴史の回帰と夢想の終わり』という何だかすごそうなタイトルにひかれて手に取った。

 冷戦が終わり、グローバリゼーションの進展に伴って政治的にも経済的にも協調できる世界秩序が成立する──そんなのは夢想に過ぎないと本書は一刀両断、国家的な威信をかけて影響力の伸長を図るという行動は人間の本性に根ざすもので、パワー・ポリティクスの論理は今後も続くと主張する。とりわけ、中国・ロシアといった独裁国家やイスラム過激派などによって民主主義国は脅威を受けている、各地で紛争の可能性がある以上、アメリカの軍事的プレゼンスは必要だという話につなげてくる。

 国際政治上のアクター=国家それぞれの内在的性格の描写が弱いという印象を受けた。簡潔と言えば聞こえはいいけれど、果たしてどこまで説得力を持つものやら。むしろ、パワー・ポリティクスへの回帰という前提ありきで、そこに合わせて個々の国々の性格付けを行っているという恣意性の疑いも排除できない。国際政治学上のリアリズムとは、いわゆる性悪説に立って勢力均衡を図る点に特徴がある。ただし、個々の国の描写があまりにも雑に単純化されてしまうと、理論としてはリアリズムであっても、認識というレベルにおいては必ずしも“リアル”とは言いがたい、そんな矛盾が読みながら気になってしまった。

 パワー・ポリティクスという一つの観点から現状はこう整理できるという見取り図を提示してくれている点では参考になる。だけど、鵜呑みにしてはいかんでしょうな。アメリカ政権内部でのネオコンの影響力低下は見る影もないわけで、ケーガンの前著Of Paradise and Power刊行時とは違って、アメリカの出方を占う上での参考にもならんだろうし。

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2008年5月26日 (月)

Don Cheadle and John Prendergast, Not on Our Watch: The Mission to End Genocide in Darfur and Beyond

Don Cheadle and John Prendergast, Not on Our Watch: The Mission to End Genocide in Darfur and Beyond, New York: Hyperion, 2007

 スーダンのダルフール問題について日本語の手頃な本が見当たらなかったので本書を手に取った。タイトルは、我々の見えないところで起こっている出来事、という意味合いになるだろうか。映画「ホテル・ルワンダ」で主演を務めたのをきっかけにアフリカの問題に開眼した俳優ドン・チードルと人道問題で活動を続けるジョン・プレンダーガストの共著。スーダンをはじめアフリカの紛争についての解説、実際に難民キャンプを歩き、見て、話を聞いた写真つきのルポルタージュ、そして我々は何をすべきなのかという具体的な提言がまとめられている。ホロコーストを生き残ったノーベル賞作家エリ・ヴィーゼルや、現在、民主党の大統領候補になりそうな情勢のバラク・オバマなどが序文を寄せている。

 現在イスラム国家と宣言している国は世界に二つある。イランとスーダンである(ただし、前者はシーア派、後者はスンナ派)。スーダンはもともとイギリス・エジプトの共同統治という形をとっていたが、1956年に独立。それ以来、イスラム教徒が多い北部とキリスト教や精霊信仰の黒人が多い南部との対立が続く。1969年にヌメイリ将軍がクーデターをおこしたが、人気がなかった。国内的な支持を得るためにムスリム同砲団などイスラム過激派を政権内部に取り込み、とりわけイスラム法学者ハッサン・アル・トゥラービーが法務大臣となり、アラビア語公用語化、イスラム法の施行などイスラム化政策を進める。南部との武力紛争が泥沼化したため、いったん停戦合意がかわされたが、1989年に全国イスラム戦線(NIF)のバックアップを受けたバシール将軍が政権を奪取、イスラム化政策は継続中。一時期、オサマ・ビン=ラディンもスーダンにかくまわれていたが、アメリカの圧力を受けて追放、彼はアフガニスタンに逃れた。

 スーダン情勢をさらに複雑にしているのが、西部のダルフール紛争である。ダルフールとは、アラビア語でフール族の土地という意味。この地に住むフール族、ザガワ族、マサレイト族もムスリムだが、アラブ人ではない。北部と南部の対立はムスリム・非ムスリムの対立と言えるが、ダルフールでは同じムスリムでも、アラブ系が非アラブ系を虐殺するという構図を取っている。おそらく遊牧民なのだろうが、ジャンジャウィードというアラブ系民兵組織に政府は武器を供給、彼らは非アラブ系部族の村を焼き討ちし、レイプや殺戮を恣にしている。飢餓も戦略的な手段として使われ、数万人単位で殺され、また隣国チャドに難民として逃れている。

 具体的な提言としては、まず三つのPを挙げる。つまり、Protect→虐殺を止めさせるために軍事介入も含めたあらゆる手段を取ること。Punishment→虐殺の実行者を国際裁判にかけること。Promote Peace-keeping→平和な状態が維持されるよう促すこと。これらを実行できるのは国際社会、とりわけアメリカは主たる役割を果すパワーを持っているので、アメリカ政府を動かすために市民的な活動を展開するよう本書は呼びかける。具体的には、Raise Awareness→どんな問題が起こっているのかみんなに知ってもらう。Raise Funds→出来る範囲でお金を出し合う。Write a Letter→社会的に影響力のある人に手紙を書く。Call for Divestment→問題のある国と利害関係を持つ企業から投資を引き上げる。Join an Organization→NGOに加わる。Lobby the Government→政府に働きかける。

 北京オリンピックの聖火リレーでは中国政府に対する抗議のデモが世界各地で行われた。もちろんチベット問題が一番の理由だが、ヨーロッパではダルフール問題で中国に抗議する声も大きかった。スーダン政府が南部・西部に対して圧迫を強めている背景には石油利権を独占しようという意図がある。中国はその急速な経済発展につれて、資源確保のためアフリカ外交を積極的に展開しているが、それが結果としてアフリカ各国の独裁政権の延命に手を貸すことになっている(→ポール・コリアー『最底辺の10億人』の記事を参照のこと)。国連安全保障理事会でスーダンに対する制裁決議を通そうにも、中国が拒否権をちらつかせるので何も出来ないままだ。

 本書にはバラク・オバマが序文を寄せているほか、オバマ陣営の外交政策アドバイザーになったハーバード大学のサマンサ・パワー(ただし、ヒラリーを悪魔呼ばわりしたことが批判を受けて選挙スタッフからはずれた)についても本書ではたびたび言及される。もしオバマが大統領に当選したら、アメリカ政府がアフリカ問題に積極的に介入する可能性も出てきそうだ。

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2008年5月24日 (土)

ロバート・ゲスト『アフリカ 苦悩する大陸』

ロバート・ゲスト(伊藤真訳)『アフリカ 苦悩する大陸』(東洋経済新報社、2008年)

 アフリカの問題は日本にとって縁遠いせいか、学術的な文献はそれなりにあるにせよ、気軽に手に取れる本が意外と少ない。本書の著者はジャーナリスト。アフリカ各国を歩き回り、具体的なエピソードをふんだんに盛り込んだノンフィクションという形なので、現在のアフリカが抱える問題を知る上でとても読みやすい。

 色々な問題がある。たとえば、石油やダイヤモンド(いわゆる、ブラッド・ダイヤモンド)など天然資源の問題。政府軍も反乱軍もこの利権を狙う。いったん天然資源の利権を確保してしまえば、その金で兵士を養い、武器を買う。紛争が終わらない。

 また、エイズの問題。エイズに関する知識やコンドームの利用を普及させることが必要なのはもちろんだが、それは本質的な問題ではない。貧困にあえぐ中、生きてたってロクなことがないという捨て鉢な気持ちになってしまうと、刹那的な快楽に身を委ねようとするのを押しとどめる動機は働かない。

 あるいは、政治指導者の問題。現在、南アフリカではアフリカ民族会議(ANC)が政権を担当している。かつては反アパルトヘイト運動で全世界から称賛されてきたANCだが、アパルトヘイト廃止という目的が達せられ、いざ政権の座についてみると、今度は汚職や経済失政など統治体制のまずさに対してマスコミからバッシングを受ける。彼らは称賛されるのが当たり前と思っていたので、なぜ西側のマスコミは手のひらを返したような扱いをするのかと逆ギレしてしまう。白人の植民地主義を批判するアジテーション演説の得意な政治家がアフリカには多いが、それだけでは建設的な解決策は出てこない。

 事業を起こすにしても、投資するにしても、どんな手順を取ればこういう結果になるという一定の予測可能性が担保されていないと何の計画も立てられない。妙な独裁者が気まぐれで法律をちょいちょい捻じ曲げてしまうと、経済活動も停滞してしまう。登記制度によって所有権を確立させたり、取引を法的に保護したりという意外と基礎的な部分で法整備がなされていないことがアフリカ経済の大きな障碍となっている。あるいは、でこぼこ道や警察官への賄賂のせいで流通コストが膨大となり、結果として提供される商品の価格が上昇してしまうという問題も紹介されていた。

 逆に言えば、こうした問題を一つ一つクリアしていけば、将来の可能性も十分にあるということだ。たとえば、ウガンダでは、若年層への性教育をきっちりと行った結果、エイズ被害は減少傾向にあるという。制度的・人為的な問題が大きいのであれば、問題は山積しているにしても、悲観する必要はない。

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2008年5月13日 (火)

ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』

Paul Rusesabagina, An Ordinary Man, Penguin Books, 2007

 先日、ロメオ・ダレールShake Hands with the Devil(→参照)を取り上げたが、引き続きルワンダもの。映画「ホテル・ルワンダ」(→参照)は本書の著者ポール・ルセサバギナの実際の体験に基づいて製作された(ただし、本書が執筆されたのは映画公開後しばらくしてからのこと)。顔つきは穏やかだがスレンダーな体型がいかにも機敏そうな名バイプレイヤー、ドン・チードルがルセサバギナ役として主演していた。

 ルセサバギナはもともと神父になるつもりだったらしいが、ひょんなきっかけからホテルマンとして働くようになった。大虐殺が起こったときには、ルワンダで一番の高級ホテルでマネージャーを務めていた。

 本書のタイトル、An Ordinary Man──ただの人、普通のごくありふれた人といった意味合いになるだろうか。「ホテル・ルワンダ」公開後、彼はいわば英雄扱いされるようになったが、かえって居心地が悪かったようだ。それは単に謙遜ということではない。ホテルのマネージャーの仕事は、好きな客だろうが嫌いな客だろうが関係なく、彼らに話しかけ、ホテルに滞在する限りは精一杯のおもてなしをすること。フツ族過激派の血にまみれた手から逃れたツチ族難民がホテルに押し寄せてきた。彼らもホテルの中に入った以上は大切なゲストであり、最大限の安全を図ることがマネージャーとしての責務となる。彼自身の妻がツチ族だという事情があるにせよ、それ以前の問題として、一人一人が自分の仕事の筋を通して自分の置かれた立場の中で最大限の努力をすること、英雄的かどうかではなく自分自身のごく当たり前な責任を果すこと、そうした積み重ねがなければ狂気を押しとどめることはできない。そこにこそ、An Ordinary Manというタイトルに込められたメッセージがある。

 彼は名門ホテルのマネージャーとしてルワンダ国内のVIPに顔が広い。過激派指導者の中にも知己はいる。過激派民兵がホテルをすっかり取り囲み、いつ突入されてもおかしくない状況の中、過激派指導者や警察にワイロを惜しまず、国連や全世界に電話を掛けまくって一日一日と時間稼ぎを続ける。使える手段はすべて使う。金、酒、何よりも言葉が彼の武器だ。

 隣人が殺戮者に変貌し、同じ学校に通っていたクラスメートが襲い掛かり、果ては夫が妻を手斧で切り刻んでしまう。そうした描写の凄惨な有り様は言うに及ばず、紛争が終わった後も社会全体に影を落とす記憶の闇は深刻だ。ルセサバギナは亡命先のベルギーで、かつてルワンダの自宅の近所に住んでいた男を見かけた。大虐殺の始まった夜、彼もまた戦闘服に身を包んでうろついていたのを目撃していた。その彼は、いまや異国の地でスーツを着こなしたビジネスマンとして談笑している。ルセサバギナはふさぎ込んで言葉も出なかった。ジェノサイドで手を下した者たちがルワンダの内外で平穏な生活を続けていること自体が、生き残った人々の心に言い知れぬ闇を深めている。

 ルセサバギナは現在、ベルギーでタクシーの運転手をしているという。反政府軍・ルワンダ愛国戦線(RPF)がフツ族過激派を敗走させ、首都キガリを制圧して大虐殺が終わってから2年後、彼は利権絡みの政治的陰謀で亡命せざるを得なくなってしまったのだ。RPFの指導者でツチ族出身のポール・カガメが大統領となったが、彼もまた強権的な独裁体制を敷いている。踊り手は代わっても、同じ音楽が流れ続けている──ルセサバギナの使うレトリックは優雅だが、ここに込められた基本的な問題は何も変わっていないという憤懣には一体どのように向き合えばいいのだろうか。

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2008年5月12日 (月)

ロメオ・ダレール、伊勢﨑賢治『戦禍なき時代を築く』

ロメオ・ダレール、伊勢﨑賢治『戦禍なき時代を築く』NHK出版、2007年

 ロメオ・ダレールはルワンダにおける平和維持軍司令官として大虐殺を目の当たりにし、その時の無力感と自責の念から平和構築の必要を訴える活動を続けている(→ロメオ・ダレール『悪魔との握手』の記事を参照のこと)。伊勢﨑賢治は東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンでDDR(武装解除、動員解除、社会再統合)の指揮を取った経験を持つ(→伊勢﨑賢治『武装解除』の記事を参照のこと)。NHK・BSの番組での二人の対談(私は未見)をまとめた短い本だが、現場を踏んだ人たちならではの具体的な話は傾聴に値する。

 ルワンダのようにちっぽけな国には戦略的にも資源的にも見るべきものがないという判断基準で介入をためらうのは、そもそも人命の平等、“人権”という概念に反するというのがダレール将軍の考え方だ。国際社会には“保護する責任”がある。これは、内政不干渉の原則に基づき国家主権の不可侵性を尊重し合いながらパワーゲームを展開するという近代的な国際政治観を乗り越えようという方向に進む。20世紀初頭のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺や、その後のナチスによるホロコーストをはじめ、国際社会がジェノサイドを目の当たりにしながらも国家主権という壁にぶつかって介入できないというもどかしさを抱いて以来、現在に至るも提起されつつある問題意識である(たとえば、Samantha Power, A Problem from Hell: America and the Age of Genocide, Harper Perennial, 2007を参照)。

 ダレール将軍は中堅国家(ミドル・パワー)の連携を提唱する。つまり、日本、カナダ、ドイツ、オランダ、北欧諸国、場合によってはインドといった国々が共同歩調を取って、超大国、とりわけアメリカに圧力をかけること。単なるアメリカ批判に意味はない。アメリカの力がなければできないことがたくさんある。しかし、そのアメリカのスーパーパワーが単独行動主義に突っ走らないように牽制し、軌道修正させること。

 “人間の安全保障”という概念がカギとなる。実は、日本でも小渕政権の時に外交課題の柱として大きく打ち出されていた(アマルティア・セン『人間の安全保障』集英社新書、2006年でも引用されている)。こうした方針は、リアリスティックな外交路線と決して矛盾するものではない(→添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交』の記事を参照のこと)。

 ダレール将軍の著書Shake Hands with the Devilでは、国連憲章第6章に基づく停戦監視に任務を限定されたPKOでは対処できないほどに現在の紛争の性質が大きく変わりつつあるという問題意識が読み取れる。“保護する責任”においては、場合によっては軍事介入も必要となる。しかし、日本は現在でも、自衛隊は違憲か否かという不毛な神学論争に絡め取られて、現実に何が出来るのかという視点が抜け落ちていると伊勢﨑氏は批判する。

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2008年5月 7日 (水)

ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』

Roméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda, New York: Carroll &Graf Publishers, 2005

 二年ほど前、「ホテル・ルワンダ」(→参照)という映画が日本でも公開されて話題となった。映画なのだから映像は作り物だと知りつつも、こんな大虐殺が現代でもあり得るということにやはり非常なショックを受けた。人道的介入というテーマに関心を持ったのもこの映画がきっかけだ。

 本書は、国連平和維持軍司令官として居合わせ、ルワンダにおけるジェノサイドをじかに目の当たりにしたロメオ・ダレールの手記である。映画でニック・ノルティ演ずるオリバー大佐のモデルとなった人物が彼だ。

 ベルギーはルワンダの植民地統治において、少数派のツチ族を使って多数派のフツ族を支配するという分割統治の手法を取った。両民族の憎悪はルワンダ独立後も尾を引き、とりわけフツ族出身のハビャリマナ大統領はツチ族を迫害したため、ツチ族やハビャリマナ体制に反対するフツ族穏健派はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成、政府軍との内戦が続いていた。

 1993年、何とか停戦合意が成立し(アルシャ協定)、RPFも含めて暫定政権が発足した。停戦監視のため国連平和維持軍が派遣され、ダレールはこの時に赴任してきた。フツ族はフランス語を話す者が多く、他方、隣国ウガンダ(英語圏)での亡命生活が長いツチ族指導者には英語使用者が多いため、カナダ・ケベック州出身でバイリンガルの彼が選ばれたのである。

 停戦合意は極めて不安定なものであった。ハビャリマナの譲歩に不満を抱くフツ族強硬派は秘密裡に動き始め、その影響力は政府与党や国軍、民兵組織(インテラハムウェ)にまで広がり、“The Power”と呼ばれた。後にダレールは“The Power”の影の指導者と直接交渉することになる。会見時に彼らと握手したことがタイトルの由来である。

 1994年4月6日、大統領の乗ったジェット機が撃墜されたのを合図に彼らは一斉蜂起する。同年7月にRPFが首都キガリを制圧するまでの100日間で80万人のツチ族やフツ族穏健派が殺されたという。ラジオのDJの軽快な語り口に煽られて多数の一般人が殺戮に駆り立てられたことはよく知られている(このラジオ放送を電波妨害するプランも立てられたが、装備を持つアメリカは、①法的問題がクリアできない、②金がかかる、という理由で拒否したという)。

 本書は、1993年10月のダレールの着任から、一連の大虐殺を挟んで1994年8月に彼がルワンダを離任するまでをほぼ時系列にそって記述されていく。血の海に転がる死体の山、そのまえで手斧を置いて、一休みとばかりにタバコをふかしながら談笑する青年たちの姿。教会につめこまれた何百もの死体。道を通れば、そこかしこに死体、死体──。こうした凄惨なシーンばかりでなく、それをじかに目撃せざるを得なかったダレールたちの厳しい苦悩が行間から浮き上がってきて、読み手の胸倉をつかんで離さない。

 自分たちは平和維持軍としてやって来て、まさに目の前で大虐殺が繰り広げられているにもかかわらず、何もできなかった──。ルワンダでこの眼で見た光景、鼻についたにおい、そして何よりも自責の念が帰国後も脳裏から離れず、ダレールは自殺未遂までしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。単なる証言という以上に、彼自身の後悔がたたきつけられているような、訴える力を強く持った本だ。

 実は、過激派が虐殺の準備をしているという密告が事前にあった。ダレールは彼らの武装解除に踏み込むため、その許可と装備の増強を国連本部に求めたが、すべて却下されてしまった。国連の対外活動には国連憲章第6章に基づく平和維持活動と、第7章に基づく国連軍とがある。平和維持活動はあくまでも中立的な停戦監視が目的で、戦闘行為は想定されていないため軽武装である。ルワンダ平和維持軍のメンバーであったベルギー軍は事態の悪化を受けて撤退してしまう。ルワンダには戦略的価値がないため、これ以上のリスクは冒せないというのが彼らの言い分だ。停戦監視は当事者の和平合意が大前提なので、引き留める法的根拠はない。ベルギー軍の保護を求めて集まっていた人々は、ベルギー軍の撤退直後に皆殺しにされた。アメリカ政府の役人は、コスト計算上、アメリカ兵一人を送るにはルワンダ人8万5千人の命が必要だと言い放つ。前年、ソマリアでの平和強制執行活動が失敗に終わったため(→参照)、アメリカも国連もルワンダへの介入に及び腰になっていた。

 そうした中、フランスが部隊を派遣してきたので問題はさらにややこしくなった。フランスはフツ族政府をバックアップしてきた経緯があり、派遣軍の中にはフツ族軍部に軍事教練を施した者まで含まれていた。RPFはフランス軍を警戒しているし、実際に、フツ族政府軍の側に立ってRPFと戦うと公言するフランス軍将校すらいた。彼らが首都キガリにくると戦争状態になってしまうのは目に見えている。必要な援助は誰もしてくれず、来て欲しくない奴らが勝手に押しかけてくる。ダレールはフランス軍司令官と交渉して、ルワンダ南西部に“人道的安全保障地帯”を設定するにとどめさせた。RPFに敗れたフツ族過激派はここに逃げ込んでしまった。

 国連本部との意思疎通の悪さ、さらには安全保障理事会常任理事国、とりわけフランスとアメリカの“リアル・ポリティクス”のせいで必要な対応が何も出来ない。ダレールたち現場の人々がジリジリと焦る姿には、紛争解決・平和構築の障碍となる問題が集約されている。ジェノサイドで孤児となった子供たちが、結局は暴力と憎悪の連鎖を断ち切れないのではないかという彼の不安には考えさせられてしまう。

 著者のダレールは現在、カナダの上院議員。他方、ハーヴァード大学ケネディ行政学院カー人権問題リサーチセンターなどで自らの体験をもとに講義を行なっている。

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2008年4月28日 (月)

ポール・コリアー『最底辺の10億人』

Paul Collier, The Bottom Billion : Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It, Oxford University Press, 2007

 前にジェフリー・サックス『貧困の終焉』の記事で触れたように、いまや全世界人口60数億人のうち、6分の5に相当する人々はすでに経済開発の梯子に何らかの形で手をかけている。もちろん程度の差はあるにせよ、ひとたび手をかけることさえできてしまえば、将来の展望は決して暗くはない。

 しかし、経済開発の梯子から完全に切り離され、先の見通しの全く立たない人々が取り残されてしまっている。the bottom billion──最底辺の10億人、つまり全世界人口の6分の1にあたる人々である。ほとんどがアフリカ諸国である。国連のミレニアム・プロジェクトでは貧困撲滅の開発目標が掲げられているが、その目標では対象を広げすぎてかえって効果が少ない。従って、この最底辺の10億人にしぼりこむべきだとポール・コリアーは主張している。

 援助団体に多く見られる左翼志向の人々は、第三世界における貧困の原因を資本主義のグローバリゼーションに求めようとするが、市場経済の構築を通して輸出志向の国づくりを進めることが貧困解消に有効であることをイデオロギー的に否定してしまうのはおかしいと著者は批判する。また、ジェフリー・サックスについては、彼の情熱には共感できるものの、援助に重きを置きすぎていると指摘する。では、市場経済主義が万能かといえば、そうでもない。国内的な条件が整わないうちに経済自由化を進めてしまうと、せっかく投下された資本や訓練を受けた人材が海外に流出してしまう。取るべき手段に関して特定の政治的立場による偏見を持ってはならない。問題の対象はしぼりこみ、解決の手段に関してはあらゆるものを組み合わせるべきだ。

 貧困から脱け出せなくしている足かせをtrap=罠と表現している。紛争の罠、自然資源の罠(後述)、内陸国の罠(being landlocked、サックスも指摘していたが、地政学的に輸送コストが高くつく問題)、腐敗・非効率なガバナンス(bad governance)の罠など。その国が抱えている罠の種類や組み合わせによって、対処すべき方法はそれぞれ異なる。この点ではサックスの臨床経済学の考え方と同じだ。援助、安全保障、法や憲章による国際的な制度枠組みづくり、貿易など、適宜有効な手段を組み合わせること。

 紛争の罠に対しては軍事干渉も有効だ。イラクのように泥沼の交戦状態に入らなくとも、軍事的な威嚇を示して紛争を抑止することは可能である。極端な例だけをピックアップして否定しまうのはそれだけ可能性を狭めてしまうことだ。イラク問題に関しては、戦争によって体制転換を行なおうとした現状と、それ以前に平和的に体制転換を促した場合とでのコスト試算を示し、後者の方法への努力を促す。

 紛争終結直後の援助が一番危険だという。金の臭いをかぎつけた軍部がクーデターを起こしやすいからだ。紛争終結直後の援助では、金をその国には渡さず、スタッフの雇用・派遣によって技術援助を進める方がいい。数年ないし10年くらい経ち、人的・システム的基盤が整ってから、戦略的・集中的に金銭的援助をつぎこむ。そうすれば、現在のようにダラダラと金を渡すよりもはるかに経済的なテイクオフに効果的である。この段階になれば、粗野な軍閥指導者に対抗できるだけのテクノクラート層が育っており、彼らの改革志向の努力を国際社会は応援すべきだと本書は主張する。

 自然資源の罠には経済面・政治面の二つで問題がある。経済的には、自然資源輸出に依存すると、国内産業力に比して通貨価値が上昇してしまい、国際競争力が弱まってしまう(Dutch Disease=オランダ病というらしい)。政治的には、たとえ選挙による民主主義が制度として実施されても、自然資源による収入を握る指導層が利権誘導を行って腐敗が温存されてしまう。現在、中国はアフリカで資源外交を展開しているが(もう一つの理由は、台湾承認国の切り崩し)、これが“最底辺の10億人”の貧困状態を固定化させてしまっている、中国から彼らを守るべきだと警鐘を鳴らす指摘(pp.86-87)が目を引いた。

 ポール・コリアーは世界銀行に勤務した経験があり、現在はオックスフォード大学アフリカ経済研究所の教授。今年、国連の潘基文・事務総長が年頭の記者会見で「2008年を“bottom billion”の年にしよう」と語ったように(→http://www.un.org/News/Press/docs/2008/sgsm11360.doc.htm)、近年、このキーワードは注目を集めている。

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2008年4月26日 (土)

ジェフリー・サックス『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』

ジェフリー・サックス(鈴木主税・野中裕子訳)『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』(早川書房、2006年)

 世界の全人口60数億人のうち、6分の1が高所得の先進国だとすれば、残りの6分の5を貧困にあえぐ発展途上国として一くくりにしてしまうイメージがかつてはあった。しかし、いわゆるBRICS、とりわけ中国に顕著なように、各国での大きな経済発展の動きは現在では珍しくない。極貧国のパーセンテージは全体としては低くなり、世界人口の6分の5までが経済開発の梯子に、程度はそれぞれ違うにせよ、何らかの形で手をかけている。

 しかし、残りの6分の1、とりわけアフリカ諸国は依然として極度の貧困にあえいだままだ(ポール・コリアーの著作のタイトルでいうと、The Bottom Billion=最底辺の10億人)。また、中国やインドのように一国内で経済格差が極端に開いてしまったケースもある。すべての国が、すべての人々が、経済的にテイク・オフするにはどうすればいいのか? 経済成長は、奪ったり奪われたりのゼロサム・ゲームではない。必ず方法があるはずだ。

 IMF・世界銀行は、経済開発に失敗した国々の問題として、ガバナンスの腐敗・非効率、市場に対する政府の過剰介入、財政赤字、国有企業の多さといった点に注目し、開発計画の条件として政治改革、経済自由化、緊縮財政、民営化を求めた。もちろん、基本的に間違ってはいない。ただし、前提条件がそれぞれ異なる国々に対して一律の対策を押し付けたことで大混乱をきたしてしまったケースは枚挙に遑がない。また、援助にしても、援助国側が拠出する金額が初めにありきで、個々の事情はあまり考慮されていない。

 経済開発の梯子の端っこでもとにかく手をかけることさえできれば、あとは自力で何とかできる。しかし、様々な罠に足を絡めとられてしまって、その梯子に手が届かないというのが極度の貧困にあえぐ国々の問題なのである。何よりも、貧困そのものが泥沼となっている。食うに精一杯、いや食うことすらできない飢餓状態にあっては、貯蓄など問題外。余剰がなければ投資はできない。地理的制約による高い輸送コスト、厳しい気候条件、エイズやマラリアなどの病気。基本条件が全く備わっていないのだから、経済開発のための手段などあるはずもない。こうした基本条件は市場競争の前提であって、市場競争そのものが供給することはできない。

 援助を与えて、食わせて依存状態にさせて現状を固定化させてしまうのではなく、経済開発の梯子に彼らの手が届くように助けることが課題である。戦略的・集中的投資・援助によって、一人あたりの資本蓄積について余剰を貯蓄に回せるレベルまで一挙に押し上げる。戦力の逐次投入は何の結果ももたらさないことは兵法の常識だ。援助国側の負担は一時的に増加するが、それは最貧国が経済開発を自力で行なえるようになる基礎条件を整えるまでのこと。トータルで考えれば現状維持よりも負担額は少なくなる。目的は、彼らが自力脱出できるように極度の貧困をなくすことであって、すべての貧困をなくすことではない。

 急患に対応する臨床医学をヒントに、臨床経済学を提唱しているところに本書の特色がある。国によって抱えている事情は千差万別なのだから、一律の対策を押し付けるのではなく、まず個別に診断する必要がある。一つの問題は別の問題と絡み合っており、その複雑さを解きほぐさねばならない。また、先進国側の貿易障壁によって産品を輸出できない、巨額な負債が重圧となっている、隣国から流入してきた難民が足かせとなっている、など、一国だけでは解決できない問題もあるため、その国の置かれた環境的条件にも注意を払わねばならない。そして、取られた手段がどれだけ有効であったか、臨床治験的に観察と評価を行なうことも欠かせない。

 人口爆発によって、一人あたり資本蓄積が低くなっているという問題がある。しかし、経済開発の進展は出生率の低下につながる。乳児死亡率が改善されれば、子供が死ぬ可能性に備えてたくさん産むという傾向に歯止めがかかる。女性のエンパワーメントが大切だ。女性自身が働いて稼ぐようになれば、子育てに要するコストと比較して、子供を産まないという選択肢も現実的になる。避妊手段も普及する。

 本書には、ボリビア、ポーランド、ロシア、中国、インド、そしてアフリカ諸国の問題に著者自身が関わったエピソードが盛り込まれており、話題の展開は具体的だ。ジェフリー・サックスは29歳でハーヴァード大学教授となった俊英。もともとは国際金融論を専門としていたが、ボリビア政府の経済アドバイザーとなったときに貧困の問題に目を開かされ、開発経済学へ転身したという。現在はコロンビア大学地球研究所所長。国連のミレニアム開発プロジェクトの取りまとめ役でもある。新刊として、Common Wealth: Economics for a Crowded Planet(Penguin Press, 2008)が刊行されたばかりで、一応入手はしたのだが、来年くらいまでには翻訳が出るのではないか。

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2008年3月29日 (土)

君塚直隆『女王陛下の外交戦略──エリザベス二世と「三つのサークル」』

君塚直隆『女王陛下の外交戦略──エリザベス二世と「三つのサークル」』(講談社、2008年)

 1979年、ルサカ(ザンビアの首都)、コモンウェルス(イギリス連邦)諸国首脳会議でのエピソードが私には印象的だった。イギリスからは首相になったばかりのサッチャーが出席したが、南ローデシアの人種隔離政策への対応などアフリカ問題に消極的な保守党政権に対して、アフリカ諸国首脳は敵意を露わにしていた。他方、エリザベス女王については「人種的に偏見がない」(colour blind)として彼らは好意的。一人ポツンと孤立していたサッチャーをアジア・アフリカ諸国首脳たちに次々と紹介していったのが、他ならぬ女王陛下その人であった。これをきっかけに、晩餐会ではザンビアのカウンダ大統領がサッチャーにワルツを申し込んで一緒に踊り、会議に漂う空気の流れが一変。南ローデシア問題への結論はまとまり、サッチャーはアフリカ問題に積極的に取り組むようになる。

 二つの世界大戦を通して大国としての地位からすべり落ちたイギリスが戦後の国際政治の中で一定の影響力を維持するために注意を払わねばならないサークル=国家群が三つあった。アメリカ、コモンウェルス、ヨーロッパ──この三つのサークルとの信頼関係構築にイニシアティブを発揮した存在として本書はエリザベス二世に焦点を当てる。

 政治・外交の現場にあっては、一対一の生身の人間関係が意外とものを言う。政治家や外交官は任期に限りがあるし、また世論を意識して成果を焦りやすい。他方、王族にはそうした制約がないため、ゆっくりと時間をかけて政治的に中立の立場から他国の王族・国家元首たちとの人間関係を築くことができる。政府が行なう外交のハードな部分が行き詰ったとき、王室外交のソフトな部分を危機回避に役立たせることができる。

 エリザベス後の国王には誰がよいかという世論調査では、チャールズ皇太子よりもウィリアム王子の人気の方が高いらしい。しかし、長年にわたる経験と人脈の蓄積があってはじめて王室外交は成立する。また、伝統の積み重ねという点を考えても、人気投票的に国王を決めるわけにはいかない。日本の皇室について考える上でも示唆するところは大きい。

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2008年3月24日 (月)

チベット問題について

 今月、チベットで起こった暴動は、中国における人権問題に改めて世界中の目を集めた。北京オリンピックという国威をかけたイベントを控えているため中国政府の発言は慎重だが、強硬姿勢は基本的に維持されている。共産党独裁体制というだけでなく、“中華ナショナリズム”の抱える問題も窺える。

 暴動はチベット自治区を越えて青海省、四川省、甘粛省にも広がっている。この「広がっている」という表現も本当は適切ではない。チベット人居住地域は行政区分上、分割・縮小されており、世界史地図帳などをめくってみると、かつて吐蕃の版図は中国王朝に匹敵するくらいの広さを持っていたことが分かる。

 東アジア地域におけるダライ・ラマの地位は独特で説明が難しい。モンゴル人などの遊牧民族はチベット人を通して仏教を受け容れた。モンゴル人の元朝、満洲人の清朝の皇帝たちがダライ・ラマに対して師父としての敬意を示していたこともあり、チベットは中国王朝の保護国であったとは単純には言えない。ただし、チベット内部の権力闘争や高官たちの腐敗・無策のため、国家としてのまとまりは切り崩されてしまっていた。1912年の中華民国の成立により清朝が崩壊したのを受けて翌1913年にダライ・ラマ13世が独立宣言を出したが、中華民国及び中華人民共和国は清朝の版図を基本的に受け継いだという立場をとっている。中国国内の内戦状態のためしばらくはやり過ごせたものの、1949年に共産党が国民党を台湾に追い出すと、次いでチベットへ人民解放軍を進駐した(1951年)。

 チベットの人々は抵抗したものの、組織化されておらず、人民解放軍の圧倒的な軍事力には太刀打ちできない。チベットは長らく鎖国状態にあったため、通信機など国外への発信手段がなかった。人民解放軍による進駐・占領の過程でいかにひどいことがあってもそれを世界中に知らせることはできなかった。国連からは見放され、インドは中国との緊張を避けるため黙認した。

 ジル・ヴァン・グラスドルフ(鈴木敏弘訳)『ダライ・ラマ──その知られざる真実』(河出書房新社、2004年)はダライ・ラマの伝記という形式をとってチベット現代史を描く。ピエール=アントワーヌ・ドネ(山本一郎訳)『チベット=受難と希望──「雪の国」の民族主義』(サイマル出版会、1991年)、マイケル・ダナム(山際素男訳)『中国はいかにチベットを侵略したか』(講談社インターナショナル、2006年。ちょっと際物的なタイトルだが、原題は“Buddha’s Warriors”、きちんとしたノンフィクションだ)は中国政府によるチベット人への残酷な弾圧を告発する。労働キャンプに入れられて飢餓状態に追い込まれたり、反攻する者は公開処刑されたり、とりわけひどいのは宗教弾圧だ。寺院の大半を破壊、僧侶に還俗を強要、殺戮、尼僧への性的虐待も頻繁に行なわれた。女性としてのプライドを傷つけるだけでなく、不姦淫の戒律を破らせることで身を以て宗教を否定させようということだ。いびつな唯物論イデオロギーの狂気。女性の不妊手術も行なわれたというから、もし事実ならば民族そのものの抹消を意図していたとすら言える。

 こうした迫害は文化大革命で頂点に達した。チベット人の若者にも紅衛兵として“造反有理”をやったのがいたらしい。現代ではこれほど明らさまな破壊・迫害はさすがに行なわれてはいないだろうが、ダライ・ラマの言う文化的虐殺は継続中である。

 1959年、ダライ・ラマが拉致されるという噂が流れた。徹底的な宗教弾圧を受けてきたのだから真実味はあるわけで、ラサ市内は騒然となる。人民解放軍が出動し、情勢は緊張。こうした中、ダライ・ラマはインドへの亡命を決意し、3月17日深夜に脱出。19日、人民解放軍は爆撃機まで動員して総攻撃を開始、23日にはポタラ宮殿が占領された。今月起こった暴動は、このダライ・ラマ亡命の日付が意識されている。

 中国共産党の指導者の中では唯一、胡耀邦だけがチベット人の窮状に同情を示したとドネ書は評価しているが、彼はやがて失脚する。鄧小平の改革開放では、漢人のチベット入植が奨励された。1950年代、まだ友好を装っていた頃、中国政府はチベット人のためのインフラ整備だと言って道路をつくった。ところが完成するやいなや、軍隊を送り込んだ。近年、青蔵鉄道が開通し、これは観光客誘致に役立つと宣伝されているが、実際には漢人入植者と兵隊を送り込んでいる。先日、NHKスペシャルの番組で、チベットの民俗的・宗教的伝統を見世物とするホテル経営に乗り出した漢人実業家を取り上げていた。中国政府による検閲を気にしているからだろうかこの番組での歯切れは悪かったが、民族間の経済格差と人種差別意識の結びつきが見えてきたのが印象に強かった。

 フィリップ・ブルサール、ダニエル・ラン(今枝由郎訳)『囚われのチベットの少女』(トランスビュー、2002年)は、「チベット自由万歳」と叫んで1990年に逮捕され現在も収監中の女性の苦難を描く。捕まったとき、まだ11歳だった。こうした人権抑圧状況は依然として続いている。

 ダライ・ラマはあくまでも非暴力主義を堅持しており、独立要求は取り下げて自治を求めている。中国政府の「ダライ集団による陰謀」というプロパガンダの見当違いな空回りがかえって目立つ。ただし、急進独立派の不満もくすぶっているらしい。現時点で考えられる落としどころは、チベットの自治を認めてゆるやかな連邦制に持っていくというあたりだろうが、中共はそれすらも認めない。あくまでも同化政策という、彼ら自身が常々批判している帝国主義そのものを続けるつもりだろう。この点では、漢人の民主化運動家も、領土不可分というナショナリスティックな強硬姿勢では共産党と立場が同じなので(当面は共産党独裁批判という点で共同歩調をとる可能性はあるにしても)、問題解決の方向は全く見えない。

 台湾総統選挙でもチベット問題が大きなテーマとして浮上し、中台融和派の国民党・馬英九にとって逆風と見られていたが、下馬評通り、民進党の謝長廷を大差で下した。馬もまたチベット問題で中共を厳しく批判したこと、外交問題よりも内政重視の世論があったからだろう。チベット問題が騒がれているだけに、台湾でスムーズに政権交代が行なわれたことは、韓国と同様に台湾もまた民主主義国家としてすでに成熟していることが示され、世界中に好印象を与えたのではないだろうか。

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2008年3月13日 (木)

伊藤千尋『反米大陸』

伊藤千尋『反米大陸』(集英社新書、2007年)

 20世紀初頭、セオドア・ローズヴェルト大統領の“棍棒政策”以来、ラテンアメリカ諸国はその勢力圏下に入り、“アメリカの裏庭”と呼ばれた。アメリカと結びついた特権階層に対する不満から下層階級は反米意識をたぎらせており、アルゼンチンのペロンのように民族主義という形を取るにせよ、キューバのカストロやチリのアジェンデのように社会主義という形を取るにせよ、いずれも反米大衆運動のヴァリエーションとして考えることができる。

 こうした趨勢が最近再び顕著となっている。筆頭格と言うべきベネズエラのチャべス大統領にはペロン的な民族社会主義の雰囲気がある。エクアドルのコレア大統領、ボリビアのモラレス大統領もチャべスと共同歩調を取る。老舗のキューバではカストロが引退したとはいえ権力は弟のラウルに継承された。ニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線のオルテガ大統領が復活している。ブラジルのルラ大統領、アルゼンチンのキルチネル大統領、チリのバチェレ大統領、ペルーのガルシア大統領などはむしろ中道左派というべき穏健な立場だが反米意識では共通する。親米派はコロンビアくらいのものか。

 本書は中南米に広がる反米意識の波の歴史的背景を紹介してくれる。反政府ゲリラ支援、経済封鎖、クーデター支援、場合によっては軍事介入などアメリカはあらゆる手段を取って中南米諸国の政治に介入してきた。アメリカは自らの正義を誇張するとき「リメンバー○○」というスローガンを掲げるが、テキサス併合時の「アラモ砦を忘れるな」にしても、米西戦争時の「メイン号を忘れるな」にしても、立場が異なれば侵略の正当化に過ぎなかったという指摘が興味深い。「9・11を忘れるな」と言っても、チリにとってこの日はアメリカのテコ入れを受けたピノチェト将軍のクーデターによってアジェンデ政権が倒された日にあたるというのも皮肉なものだ。

 アメリカによるラテンアメリカ諸国への干渉のやり口が具体的に分かる点で本書は有益ではある。ただし、「アメリカはこんな悪いことをしてきた」という感じに並べ立てるだけ。これといった分析視角が見えてこないので、下手するとアメリカの陰謀という話で終わりかねない。これでは建設的な内容とは言いがたい。

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2008年3月 9日 (日)

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』(名古屋大学出版会、2008年)

 軍事クーデターによって政権を掌握した朴正熙が、その実質については疑問符がつけられるにしても曲がりなりにも民政移管を行なったのはなぜなのか。戦後においてはやはり“民主主義”への要請が国際世論として非常に強く、何よりも北朝鮮との対抗上、西側陣営に属する“民主主義”国家としての原則を崩すわけにはいかなかった。民主主義と民族主義──韓国政治において統治の正統性を支えるこの二本柱をめぐって朴正熙政権と野党勢力はどのように向き合ったのかを本書は検証する。

 知識人たちは朴正熙政権に対して意外と協力的だった。韓国人は民主主義体制をうまく運営できておらず、国民一人一人の近代化を進める、つまり民族改造をしなければならない──こうした主張において、実はクーデター勢力と知識人グループとでは考え方が一致していたからだ。この論点は日本統治期における李光洙や崔南善らの主張と重なるのも興味深い。ただし、クーデター勢力が居座りの姿勢を見せたことで“民主主義”という点での正統性は失墜する。

 大韓民国は、上海にあった亡命政権・大韓民国臨時政府や抗日運動との連続性という法的擬制によって正統性が担保されている。しかしながら、朴正熙政権は経済援助を受けるため植民地支配の責任追及を事実上放棄する形で日本との国交正常化交渉を始めた。条約反対の学生運動が盛り上がり、その中から朴政権退陣要求が急進化する。これは“民族主義”という点でも正統性を失うことにつながった。野党側も戒厳令には反対しつつ、日本との国交正常化は必要と考える穏健派も多かったため、朴政権の“敵失”に乗ずることができず混迷。もちろん学生に政権担当能力はない。朴政権は正統性を失いつつも維持された。

 韓国の紆余曲折した歴史の中、政治家としての利点・制約は世代によって特徴づけられる。第一世代(1975年以前の生まれ)は科挙の世代。李承晩はこの最末期にあたる。科挙が廃止されたものの近代的教育制度も未整備だった第二世代(1875~1895年頃の生まれ)及び大韓帝国末期から日本統治期初期の第三世代は教育を受ける機会が限られていたため、一部の富裕層が海外留学できるだけだった。第四世代は“文化統治”期にあたり、この頃には京城帝国大学を頂点として高等教育が拡充されていたため、近代的教育を受ける機会は格段に広がった。その分、日本統治システムに深く組み込まれることになり、対日協力という脛に傷ある意識を引きずってしまう。朴正熙が典型例だろう。第五世代(1925年以降生まれ)は成人期に社会的活動はしていないので“親日”という点ではセーフ。金大中・金泳三たちがここに属する。1940年代以降生まれが第六世代。学生運動の世代である。

 日本人の総撤退後、人材不足となったため、日本統治期に高等教育を受けた世代が実務家として枢要な地位を占めたが、李承晩という正統性が必要だった。朴正熙たちは彼らを“旧政治人”として批判してクーデター正当化のロジックとした。その後、金大中ら第五世代が世代交代を唱えたとき、やはり第四世代を“日本帝国主義との連関”という点で批判する。日本軍士官であった経歴が周知の朴とは違い、こちらには説得力があった。民主主義と民族主義という二つの正統性を背景にした彼らによって野党陣営も一挙に世代交代が進む。

 戦後韓国政治史の見取り図として筋の通ったストーリーが組まれているので読みごたえがあった。尹潽善、柳珍山、兪鎮午など野党政治家たちのプロフィールを通して日本統治期に育った世代の抱えざるを得なかった制約が描かれているのも興味深い。

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2008年3月 8日 (土)

廣瀬陽子『旧ソ連地域と紛争──石油・民族・テロをめぐる地政学』

廣瀬陽子『旧ソ連地域と紛争──石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会、2005年)

 旧ソ連解体後に成立したCIS(Commonwealth of Independent States::独立国家共同体。旧ソ連構成15共和国のうち、バルト三国及び永世中立国を宣言したトルクメニスタンを除く11ヶ国が加盟)内の情勢はなかなか複雑だ。本書は、CIS諸国における政治的パワー・バランス、カスピ海資源をめぐるエネルギー・ポリティクス、ナゴルノ・カラバフ紛争の経緯、権威主義体制と民主化の問題など、この地域をめぐる問題を整理・分析、その上で地域安定化のために行なわれている試みや提案を紹介し、その条件を検討する。ロシア以外の旧ソ連地域についての詳細な類書は少ないので興味深く読んだ。

 ロシアは旧ソ連諸国再統合の動きを強めているが、この地域には重層的な相互不信があり、様々なきしみを見せている。グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァ、一時的にウズベキスタン(頭文字をとってGUUAM)はロシアの影響力を排除しながら経済協力を進める枠組みを形成し、欧米からのバックアップも受けたが、ロシアへの対応をめぐって各国の足並みはそろわないようだ。9・11後は“テロとの戦い”を理由にロシアの積極的介入を正当化するロジックも生まれた。アゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフ、グルジア内のアブハジア、南オセチア、モルドヴァ内の沿ドニエストルなどの未承認国家にロシアは事実上の支援をしており、民族紛争もテコとして巧みに利用しながら影響力を着実に拡大させている。

 ナゴルノ・カラバフ紛争の背景は単純ではない。アルメニア人は301年にすでにキリスト教を国教としており(ローマ帝国によるキリスト教国教化よりも古い!)、早くから民族意識が確立していた。対して、アゼルバイジャン人のナショナリズムの歴史は浅く、そもそもこの“アゼルバイジャン”という国名が初めて用いられたのは1918年のこと。この年、アゼルバイジャンの首都バクーでアルメニア人とロシア人によるアゼルバイジャン人虐殺事件が起こっており、反アルメニア人意識としてアゼルバイジャン・ナショナリズムは形成されているという。他方、アルメニア人にはオスマン帝国による虐殺事件の記憶が強く、アゼルバイジャン人に対しては同じテュルク語族として同一視して憎しみを持っている。

 ナゴルノ・カラバフは両民族にとって歴史的・文化的シンボルとしての意味を持つ。アルメニア人には本来ならば黒海からカスピ海にいたる領土があるはずなのに不当に狭められているという思いがあり、他方、アゼルバイジャン人もアルメニア・ロシア・イランと三方から領土を奪われていると考えている。双方共に被害者意識を持っているため、妥協は難しい。

 この紛争にキリスト教vs.イスラームという宗教的対立の要素はない。たとえば、イランは国内に抱えるアゼルバイジャン人(イラン人口の約1/4)の動向に敏感になっているため、同じシーア派のアゼルバイジャンではなくアルメニアを支持している。逆に、イスラエルはアゼルバイジャンを支持。旧ソ連時代に迫害されたユダヤ人をアゼルバイジャンは優遇してくれたからだという。

 当事国でのインタビュー調査を踏まえ、アルメニア・アゼルバイジャン、相互のパーセプション・ギャップが浮き彫りにされているあたりに関心を持った。

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2008年3月 6日 (木)

最上敏樹『人道的介入──正義の武力行使はあるか』

最上敏樹『人道的介入──正義の武力行使はあるか』(岩波新書、2001年)

 私自身は別に理想主義の立場に立つわけではないが、大きな枠組みとしての戦争観は戦争を非とする趨勢にあると受け止めている。政治的・道徳的に正当であるならば戦争は認められるという考え方を、国際法や国際政治学の方では正戦論という。19世紀の帝国主義のパワーゲームが展開される中でこれは事実上崩れ、何でもありの無差別戦争観が現われて二つの世界大戦に至ったわけだが、こうした経験を踏まえて制定された国連憲章では、正・不正の判定が難しいならば戦争は正当化できないと考えられるようになった。

 ただし、それでも戦争は起こる。国連中心の安全保障体制は、これが無い状態に比べればはるかにましではあるものの、決して十分とは言えない。冷戦構造の下で大きな戦争はなかったにせよ小規模戦争は頻発したし、いまや民族紛争の激しさを目の当たりにしている。何よりも次の問題が問われる。ある国家の内部でジェノサイドなど極度の人権侵害状況が起こり、当該政府に事態を収拾する能力がない、もしくは政府自身がそうした行為を行なっているとき、国際社会はどうすればいいのか。国際慣習法としての内政不干渉の原則と国連憲章で謳われる武力不行使の原則とを厳密に守って傍観するしかないのか。実際に、ソマリア、ルワンダ、旧ユーゴスラビアなどで起こった悲劇を我々は知っている。

 こうしたアポリアの中から浮かび上がってくるテーマが人道的介入である。この場合、以下の要件が必要とされる。
①極度の人権侵害状況が見られること。
②他の平和的手段を尽くした上で、最後の手段としての武力行使であること。
③人権抑圧の停止が目的で、国益追求など他の政治目的を含めないこと。
④状況の深刻さに比例した手段を取り、期間も最小限にすること。
⑤相応の結果が期待できること。
⑥国連安全保障理事会の承認があること。
⑦個別の国よりも地域的国際機関が、地域的国際機関よりも国連が主導するものを優先させること。

 国連憲章では武力不行使が原則とされるが、例外が二つある。第一に自衛権。第二に、国連自身が強制執行する際に武力行使も含まれる。ただし、現時点において国連軍は存在しないため、加盟国に委任する形で人道的介入は行なわれることになる。

 とは言え、人道的介入の原則が確立しているわけではない。歴史的にみても他の政治目的が絡む場合が大半で、純粋な人道目的はまれである。それこそ、ヒトラーはズデーテン地方併合に際してドイツ人が迫害されているという口実をもとにしたように、人道目的・平和目的を建前としつつ国益追求の戦争をふっかける可能性は常にある。教条的な平和主義はもちろん論外であるが、他方で武力介入はじめにありきの議論も避けなければならない。

 本書では、“市民的介入”にも一章を割いている。たとえば、ビアフラ戦争を目の当たりにして結成された“国境なき医師団”のように、国家とは違う次元で活動を行なうNGOも人道的介入の一つのパターンと言える。だからといって軍事力が不要なわけではない。“国境なき医師団”がルワンダ紛争において軍事介入を求めたように(現実には行なわれなかったが)、軍事力を選ばなければさらに悲惨な事態が生じるケースも実際にある。原則のない中、武力介入も含めてあらゆるアプローチを組み合わせてケースバイケースで対応するしかないわけで、人道的介入をめぐる議論に決着をつけるのは難しい。

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2008年3月 5日 (水)

廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア──旧ソ連諸国から見た「光と影」』

廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア──旧ソ連諸国から見た「光と影」』(光文社新書、2008年)

 プーチン後継の大統領にメドヴェージェフが当選した。当面、プーチンは首相として政権中枢に居座り、その後再び大統領に立つつもりだと見込まれること、対立候補の出馬を許さず事実上の信任投票に終わったことなど、ある種の権威主義的体制が続いているところにロシアの特殊事情がうかがわれる。

 こうしたロシアの権威的性格による影響は内政問題には限らない。本書は、ソ連解体後に成立した周辺独立諸国に投げかけられているロシアからの様々な影を読み解くことで、いわば外の視点からロシアという超大国の姿を見据えていく。各国にはソ連解体後の経済的混乱を受けて昔の方がまだ良かったというノスタルジーがあるし、またかつての共通語であったロシア語使用人口が多いという点でも親ロ感情を一方には持っている。他方、言うことを聞かなければ資源供給停止という手段を取ったり、民族対立を巧みに利用して勢力圏の確保に努めたりと高圧的な態度を取るロシアへの反発もあって色々と微妙なようだ。

 旧ソ連から分離した国々には意外と親日感情が強いらしい。①非西欧国の西欧化モデルとしての明治維新、②日露戦争でロシアを破ったこと、③敗戦後の高度成長への関心が理由として挙げられるが、それ以外にも、たとえばウズベキスタンのタシュケントにソ連抑留中の日本兵が建てたナヴォイー劇場の頑丈さや、アゼルバイジャンに派遣された日本企業の技術指導に感心したことも背景にあるらしい。草の根的な交流が意外とものを言う。旧ソ連圏でも村上春樹がよく読まれているというのも面白い。

 著者の専門はコーカサス地域でアゼルバイジャンに留学した経験があるほか、とにかく各地を歩き回っており、なかなかうかがい知る機会のない旧ソ連地域事情の見聞記録として読み応えがある。トラブル続きの体験談も興味深い。モルドヴァ共和国内にある未承認国家“沿ドニエストル共和国”の内部事情など初めて知った。

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2008年2月19日 (火)

マイケル・イグナティエフ『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』

マイケル・イグナティエフ(中山俊宏訳)『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』(風行社、2003年)

 コソボが独立宣言を出した。セルビアとの協議離婚という形にはならなかったようだ。背景としては、第一に、コソボ内のセルビア系住民が少数派に転落し、かつての大セルビア主義への報復があるのではないかという懸念がある。第二に、14世紀、コソボの戦いでセルビア王国はオスマン帝国に敗北、スルタン・ムラト1世の暗殺に成功したものの、捕虜となっていたセルビア王も報復として処刑された。コソボはセルビア人にとって民族的記憶の土地となっており、そうしたナショナリズム感情が強く働いている。日本は米英仏と共同歩調を取ってコソボを国家承認する見込みらしいが、ロシア・中国をはじめ国内に分離独立運動を抱える国々からの反発も強く、前途多難である。

 内政不干渉、国境不変更などの原則に基づく主権国家をアクターとした国際政治のルールは1648年のウェストファリア条約によって基本的な枠組みが出来上がった。三十年戦争という血みどろの宗教戦争による惨禍の体験を踏まえ、国ごとに異なる宗派を奉ずることを容認して他国の宗教・価値観に対して口を挟まない、すなわち内政不干渉の原則による共存のシステムがそこには含意されていた。

 冷戦構造が崩壊した後に世界各地で噴出した民族紛争は、こうした主権国家システムを大きく揺るがした。つまり、一国家内で多数派が少数派に対して大量虐殺、場合によっては民族浄化を行なうという悲劇を目の当たりにしたとき、内政不干渉の原則を盾に取って放任しても構わないのか? 国連のガリ事務総長は積極的平和創造という方針に踏み込んだが、ソマリア問題で失敗した(→ソマリア問題の背景①の記事を参照のこと)。これに懲りた国際社会はルワンダ問題では動くことができなかった(→映画「ホテル・ルワンダ」の記事を参照のこと)。他方、旧ユーゴ紛争については欧米諸国は身近な問題として憂慮を示した。1999年、コソボ問題をめぐってのNATO軍によるセルビア空爆は人道的介入の問題を大きくクローズアップすることになり、たとえばハーバーマスが緊急援助のためには主権国家という枠組みを乗り越える必要があるという論点から空爆を支持したことは論争を巻き起こした。

 前置きが長くなった。本書『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』はコソボ、ボスニア、アフガニスタンと三つの現場を歩いたルポルタージュを踏まえ、国家建設を軌道に乗せるためには実際問題として外部からの強制力が必要だという現実を示す。武力行使を含め、紛争を抑止してその後の支援を行なうにしても、大きな役割を果せるだけの覇権を有しているのはアメリカしかいない。この責任と困難とをアメリカは引き受けるべきだと著者は主張する。ただし、傲慢さ(ヒュブリス)と思慮深さとの間に均衡点を見出す抑制的な態度を取らねばならない。それは人道目的の一過的な覇権であるから“軽い帝国”(empire lite)と呼ぶ。

 現実にはアメリカといえどもフリーハンドではない。たとえばコソボ独立は承認できても、ロシアや中国という大国への配慮からチェチェンやチベットやウイグルの問題に口をはさむことはできない。そうした点を捉えて偽善的と批判し、アメリカのダブルスタンダードによって世界がかき回されていると非難するのが一般に進歩的知識人の常套句となっている。そもそも武力行使には無条件で反対するのが彼らの常である。その点でハーバーマスの議論は驚きをもって受け止められたし、本来、人権問題を専門としていたイグナティエフについても同様の反応があった。

 訳者解説によると、彼は人道目的ならば武力介入を肯定する立場からイラク戦争では渋々ながらもブッシュ政権を支持した。武力行使に無条件で反対するリベラル派とは袂を分かつことになったが、かといって国益よりも人道目的を優先させる点で保守派とも異なる。こうしたアンビヴァレントな立場は“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)と呼ばれるらしい。政治はいつの時代でもリアリズムとイデアリズムとの葛藤の中で動いてきた。その矛盾を一身に体現している点で興味がひかれる。

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2008年1月23日 (水)

新井一二三『中国語はおもしろい』

新井一二三『中国語はおもしろい』(講談社現代新書、2004年)

 先日、台北でぶらぶらと書店を歩き回っていたら、新井一二三という人の本が平積みされているのをよく見かけた。タイトルからすると日本文化論、東京論といった感じ。訳者名は併記されていなかったから中国語で書かれたのだろう。その時はとりたてて気に留めなかったのだが、帰国してから調べたら本書があるのを知った。経歴をみると、香港・台湾など中国語圏で文章を発表しているジャーナリストのようだ。

 語学の入門書的な本というのは、分かりやすく書かれてはいてもどこか無味乾燥になってしまうのは否めない。本書の場合、中国語圏の概略から生活事情まで著者自身の体験談を織り交ぜて語るうちに、さらりと発音や文法、中国語の勉強法に触れてくれるので呑み込みやすい。「通じないからこそ通じる」という逆説が面白い。“中国語”と一言で言っても上海語、広東語、閩南語、客家語などなど、それぞれに方言どころか別言語と言ってもいいくらいのバリエーションがある。普通話(プートンホア=標準語)をしゃべっても、なまりがあって当たり前。だからこそ、互いに分かり合おうという意志が強く働くから、外国人にとっても参入障壁は低いというのは勇気づけられるじゃないか。なまりを隠そうとする日本人(大阪人は除く)とは言語世界が明らかに違う。普通話─各省ごとの共通語─故郷の方言、という具合に多層的なアイデンティティ構造となっているという指摘も興味深い。

 私は中国語は苦手なくせに、台北でも書店をみつけてはもぐり込んで本をごっそり買い込んでいた。とりわけ、本書の著者がお薦めする誠品書店は私もお気に入り。台湾の書店をうろついていると、村上春樹をはじめ日本の文学作品がおびただしいまでに翻訳され、それが新刊・ベストセラーのコーナーでしっかり売られているのがすぐ目につく。このあいだなど、島田清次郎という大正時代のマイナーな作家の翻訳が新刊で出ていて驚いた。本書の著者が指摘するように日本文化は輸入一辺倒ばかりではなく発信力をきちんと持っていると言える。それと同時に、同じ小説を読めるということはそれだけ感性面での共通性があるという証拠でもあって、その点に私は強く関心を持っている。

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2007年11月30日 (金)

水谷尚子『中国を追われたウイグル人──亡命者が語る政治弾圧』

水谷尚子『中国を追われたウイグル人──亡命者が語る政治弾圧』(文春新書、2007年)

 トルキスタンは私の小さい頃から憧れの地だった。スウェン・ヘディンやオーレル・スタインの探検記に早くから馴染んでいたし、大学の卒業論文では東トルキスタンのあるオアシス都市国家の興亡をテーマとして選び、中国語で書かれた論文や発掘レポートを、辞書を引き引き読み解いたのもなつかしい。しかしながら、私がそうした甘ったるいロマンティシズムを寄せていた土地ではいま、ウイグルの人々は悲惨な扱いを受けている。時折、新聞の国際面で反政府勢力摘発の記事を目にしてはいたが、それ以上のことは分からず気になっていた。本書は、共産党政権による苛酷な弾圧から逃れた人々の痛切な肉声を紹介してくれる。

 以前、マーティン・スコセッシ監督によるダライ・ラマの伝記映画「クンドゥン」を観たとき、チベットに侵攻する人民解放軍の野蛮さが、中国の反日映画で描かれる日本軍と二重写しになって不思議な気持ちになったのを覚えている。中国側は今でも旧日本軍の残虐さを言い立てるが、同様の蛮行が漢人の公安によってウイグル人に対して現在でも行なわれている。

 私が最も衝撃を受けたのは、中国政府によって行なわれる核実験の被害がウイグル人を直撃していることだ。漢人に被害が及ばないよう、敢えてウイグル人居住地域の近くで実験が行なわれている。死の灰による後遺症が顕著に出ているが、中国政府は「核汚染はない」という立場を崩さないので放置されたまま。少数民族に対する差別政策というレベルを越えて、一種のジェノサイドではないかと恐ろしくなる。告発した医師がこう語るのが重い。「被爆国日本の皆さんに、特に、この悲惨な新疆の現実を知ってほしい。核実験のたび、日本政府は公式に非難声明を出してくれた。それは新疆の民にとって、本当に頼もしかった。日本から智恵を頂き、ヒロシマの経験を新疆で活かすことができればといつも私は考えているけれど、共産党政権という厚い壁がある。」

 ウイグル人にはチュルク民族意識やイスラムを媒介したネットワークがあるのも注目される。国外に出て各国を転々と渡り歩き、たまたま9・11後のアフガンで拘束されてグアンタナモに送られたウイグル人の話も出てくる。テロリストではないのだが、中国に送還されると間違いなく銃殺されるので、アメリカ軍に拘束される方がまだマシと考えたらしい。

 アメリカで活動するラビア・カーディル女史をはじめ、東トルキスタン独立運動は世界各地に散らばって展開されている。漢人の民主化グループと共闘するシーンもあるが、独立問題は微妙な影を落とす。著名な運動家・魏京生氏は寛容な態度を取っているものの、民主化運動に従事する人々の間でもウイグル・チベット・台湾の独立は一切認めないという意見が根強いという。辛亥革命以来、先送りされたままの問題である。

 本来ならば人権問題に敏感であるべき日本の進歩派といわれる人々が、中国の為政者が振りかざす“一つの中国”という公定イデオロギーをそっくりそのまま鵜呑みにしてきたというのは甚だ奇妙なことで、これは厳しく指弾されるべきダブル・スタンダードである。他方、本書の著者が「おわりに」できちんと指摘しているように、中国の“反日”に対する感情的な反発を動機として、こうした政治弾圧問題にとびつくというのもあまり感心できることではない。

 つい先日、私は台湾に行ったばかりで、ある台湾人のおじいさんから話を聞く機会があった。二・二八事件で台湾人を多数虐殺した中国への憎しみと、日本への親しみとを語ってくれた。その話を聞きながら、同行していた友人が素朴に喜んでいるのを傍らで見て、私は微かな違和感が胸にわだかまっていた。おじいさんにではなく、その友人に対して。もちろん、彼の気持ちは分からないではない。ただし、こうした話をナイーブに受け入れてしまうのは、所詮、日本人の自己満足に過ぎず、語り手の置かれた屈折した立場を実は無視することになりかねない、そうした意味での知的怠慢を感じたのである。

 本書で訴えかけてくるウイグルの人々の切実な声に耳を傾けるにしても、それを単純に中国憎しで終わらせてしまっては不毛であろう。語られた言葉の背景をなす歴史的・社会的・政治的な桎梏をしっかりと読み解かなければ、建設的な受け止め方にはならない。

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