カテゴリー「国際関係論・海外事情」の195件の記事

2023年5月19日 (金)

ニーアル・ファーガソン『帝国』

 二ーアル・ファーガソンの『帝国』(Niall Ferguson, Empire:The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power)を読んだ。日本では『大英帝国の歴史(上)膨張への軌跡/(下)絶頂から凋落へ』(山本文史訳、中央公論社、2018年)として刊行されているようだが、私は台湾にいて日本語版の入手は不便なので、中国語版の尼爾.弗格森《帝國:大英帝國世界秩序的興衰以及給世界強權的啟示》(睿容譯、台北:廣場出版,第四版,2019年)で目を通した。


 ファーガソンの「帝国」論の核心は、グローバル化の趨勢を世界史の大きな流れの中で捉え、そこにおける担い手として「帝国」が果たした役割を捉える点にある。帝国主義批判としては、代表的な思潮が二つある。第一にマルクス主義的な議論では搾取の側面に焦点が合わされ、第二に自由主義の観点からは帝国主義は正常な市場経済のあり方を歪めてしまい、本来ならあり得た正常な自由貿易による国際経済的利益が失われてしまったとされる。ファーガソンによると、こうした議論は商品・資本・労働力といった側面にしか注目しておらず、知識・文化・制度の広がりという側面は重視されてこなかったという。法治、貨幣の信用管理、透明な財政システム、クリーンで効率性の高い行政機構といった政治経済システムが成立してはじめて資本の流動が可能となり、低開発国への投資もできたはずである。こうした西洋由来の政治経済システムがグローバルな規模で拡大していくにあたり、「帝国」が果たした建設的な役割は無視できない、というのがファーガソンの本書における基本的な主張である。


 本書で大英帝国の遺産として挙げられるのは①資本主義が勝利して最良の経済システムとなったこと、②北アメリカやオーストラリアのイギリス化、③英語の国際化、④プロテスタントのキリスト教世界における影響、⑤1940年代に悪辣な帝国との競争に打ち勝ち、議会システムをしぶとく生き残らせたことが挙げられているが、本書の主旨として最重要なテーマは①の資本主義とグローバル化の関係であろう。


 大英帝国によるグローバル化の過程が次の六つの章でそれぞれ議論されている。第一章は商品市場のグローバル化であり、海賊が主役となる。大英帝国の勃興は商業や消費主義によってもたらされた経済現象と捉えられ、その過程においては武力が用いられた。


 第二章は労働市場のグローバル化であり、プランテーション農場経営者が主役となる。イギリス人が植民地へ大規模な移民を行なった時期であるが、奴隷貿易によって農場経営が行なわれた。


 第三章は文化的なグローバル化であり、主役は宣教師である。布教という自発的・非政府的形態によって近代化のプロジェクトが進められた。この時期の特徴は、帝国主義的な拡張政策が進められる一方で、イギリス本国においては自由主義・人道主義的な世論が議会を通して力が発揮され、奴隷制度が廃止されたばかりか、今度は帝国の影響力が海外での奴隷船摘発へと導かれたという矛盾した側面を持つ。


 第四章は政府のグローバル化であり、主役は官僚である。西洋の帝国は、当初、武力で以て植民地を征服し、世界の大半をその支配下へ収めるに至ったが、どのようにして少数の人員で広大な領土と人口を統治したのか? 技術革新により世界の距離が縮まったことが大きく影響した。19世紀における蒸気動力技術による汽船のネットワーク、電信技術による情報ネットワーク、鉄道網の敷設という形で三種類のネットワークが世界中に張り巡らされ、距離の障害が低減された。情報をスムーズにキャッチし、軍隊を機動的に派遣できるようになった。そうなると、現地の統治人員が少数でも、軍隊の機動性で対応できる。言い換えると、技術的なインフラの下支えで形成された世界的ネットワークを通して帝国が支配力を強め、その帝国を媒介として西洋由来の政治経済システムが世界各地に拡散されたと捉えることができる。


 第五章は資本市場のグローバル化であり、主役は銀行家である。この段階では第一に本当の意味でのグローバル化が進行した、第二に軍事的プロセスと工業的発展とが密接な関係を持った、第三にマスメディアが発展したという三つの重要な現象が形を取るようになった。この時期にはアフリカ分割が進められたほか、さらに顕著な特徴として「非公式の帝国」の成立が挙げられる。大英帝国は自らの植民地ばかりでなく、資本投資によって影響力を行使できる範囲を広げた。例えば、ラテンアメリカ諸国、トルコ、マラッカ、シャム、日本などと条約を締結し、それらの経済体は自由貿易を受け入れた。そして、イギリスは国際貨幣の標準化も行なった。また、この時代から顕著な威力を発揮するようになったマスメディアの面で言うと、帝国が戦争で拡大する偉業のイメージは、メディアを通して国民に拡散された。帝国の好戦的な要素はメディアが国民に提供する娯楽の恰好な材料となった。他方で、大英帝国が海外で行なった蛮行もメディアを通して伝えられる。そうすると、国内にすでに登場していた自由主義・人道主義的な世論が刺激され、戦争を実行する政府に対する批判の声が高まる。戦争の惨劇がメディアを通して本国へ還流してくると、世論に変化をもたらし、政治的変動をももたらす。つまり、メディアは帝国主義的な拡張に対する国民の興奮を増幅させもするし、他方で、海外での蛮行を伝えることで自由主義・人道主義的な世論を盛り上げ、政府を抑制するという役割を果たすこともあった。言い換えると、メディアは国内的要因(大衆の興奮、逆に自由主義・人道主義的な世論)と海外の要因(帝国の拡大、逆に戦争の残虐行為)とを結び付けることによって帝国の動向を増幅もしくは抑制する双方向的作用を示したと考えられる。


 第六章は戦争のグローバル化であり、主役は破産者、すなわち大英帝国自身の没落である。この段階では二種類のライバルが現れる。第一に、民族主義的な植民地エリートが挙げられる。植民地のエリートは、イギリスの教育を受けたが、彼ら自身はイギリス化したにもかかわらず、出世の先がふさがれると、外ならぬイギリス化によって獲得された進歩主義的な思想も相俟って不満を抱き、本国政府に対抗し始めた。第二に、大英帝国よりも残忍な帝国との競争である。具体的にはナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、大日本帝国、ソ連帝国であり、大英帝国はこれらと戦ってグローバル化の果実を守り抜いた点でも貢献したと本書では捉えられている。しかし、その莫大な負債に耐えきれず、グローバルな帝国たる座はアメリカへ譲渡された。現在の「帝国」たるアメリカもまたイギリスの植民地に出自を持つ点に注意が促される。


 現在、我々が暮らすこの世界で運用され、その利便性を享受している政治経済システム、すなわち自由貿易経済、効率性の高い行政機構、法治制度、議会制民主主義といったいわゆる「近代」的システムは西洋に由来するが、それらは西欧の帝国、とりわけ大英帝国の支配下という同一政治圏に入ることで世界中に拡大した。すなわち、大英帝国の拡大こそが「近代」的政治経済システムを世界中に広めるという建設的な役割を果たしたことを論証する点に本書の主眼がある。端的に言えば、一種の帝国主義肯定論である。


 第一に、近代的制度の拡散という点では、そもそも我々は多かれ少なかれ「近代」の肯定的側面を認めた上で日常生活を営んでいる以上、本書の示した見解に抗することはできない。残るのは価値観的判断のレベルの問題となろう。帝国主義や植民地主義を肯定する言説においては、マイナス面を挙げつつも、プラス面の建設的側面の方が大きい点を強調するという論法がしばしば見られる。例えば、日本の台湾植民地統治において、経済成長の実績値を示し、たとえ帝国によって搾取されていたとしても、相対的には植民地台湾も利益を受けていた、という捉え方である。その点で言うなら、本書は近代的制度の利点を示し、その他のマイナス面よりも肯定的部分が大きい、という論法を採用していると言えるだろう。

 第二に、過去のマイナス面の相対化という論法も見られる。大英帝国も植民地の武力制圧の過程において数々の残酷な虐殺も行われてきたが、直近の歴史における遅れてきた帝国たるドイツ・イタリア・日本・ソ連を「大英帝国よりも残虐な帝国」と表現して相対化が図られている。また、大英帝国内部には伝統的に自由主義・人道主義の呼び声があり、それが場合によっては帝国の動向に抑制をかけてきたという論点も提起しているのも、ある意味、用意周到という感を受ける。

 第三に、マクロな国際経済の視点で議論されると、植民地の現場におけるミクロな日常的暴力の過酷さは捨象される。歴史叙述の方法が異なるのだから、これは仕方がない。本書はあくまでも「近代的制度の拡散」という論点にしぼって議論が組み立てられているのであり、論点の方向性が異なるのだから、この点では読者の方が想像力でもって両睨みしながら読み進めるしかないだろう。

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2021年9月15日 (水)

ジェームズ・ファーガソン『反政治機械──レソトにおける「開発」・脱政治化・官僚支配』

ジェームズ・ファーガソン(石原美奈子・松浦由美子・吉田早悠里訳)『反政治機械──レソトにおける「開発」・脱政治化・官僚支配』(水声社、2020年)


 James Ferguson, The Anti-Politics Machine(1990)の邦訳。著者のファーガソンはスタンフォード大学教授で、アフリカ南部をフィールドとして「開発」・近代化・援助といったテーマについて考察を進めている文化人類学者である。本書はハーバード大学に提出された博士論文をもとにしている。なお、本書では「開発」という概念そのものを検討対象としていることから「」がつけられている。


 本書の目次は下記の通り。

第一部 序
 第一章 序
第二部 「開発」装置
 第二章 概念的装置──「開発」対象の構築、「開発途上国」としてのレソト
 第三章 制度的装置──タバ・ツェカ開発プロジェクト
第三部 「標的となる住民」について
 第四章 調査地概要──レソト農村部の経済・社会的側面
 第五章 牛の神秘性──レソト農村部における権力、財産、家畜
第四部 「開発」の展開
 第六章 家畜の開発
 第七章 地方分権化の頓挫
 第八章 タバ・ツェカ・プロジェクトの農作物開発とその他のプログラム
第五部 「開発」プロジェクトの道具効果
 第九章 反政治機械


 発展途上国への「開発」プログラムの報告書における叙述方法への違和感から本書の問題意識は始まっている。例えば、世界銀行の報告書では、レソトは農業の潜在力があるにもかかわらず、人々は伝統的な価値観に縛られているため近代化が果たされておらず、従って農業生産力を高めて資本主義市場へ接合させることにより、彼らの生活水準を向上させることができる、と記されている。ところが、レソトでフィールド調査をしていた著者によると、実際にはレソト社会はかなり以前から南アフリカへの出稼ぎ労働という形で資本主義の枠組みに適応した生活形態を形成していたという。どうして捉え方が全く異なるのだろうか?


 レソトの山岳部はもともと農業には適さないからこそ、出稼ぎ労働者は南アフリカへ行く。レソトの土地は耕作のためというよりも、こうした出稼ぎ労働者の故郷とのつながりを維持し、潜在的労働者が流出しないようこの土地につなぎとめるという意味での政治的資源として作用している。つまり、この社会の脈絡において、農耕とは違う形ではあっても重要な意義を持っている。ところが、開発計画を推進して専門的な農地活用をさせようとしたら、「真剣でない農民たち」は居場所を失ってしまう。そして、実際に農業開発プログラムは失敗した。


 国際的な開発機関には蓄積されたノウハウがあり、そのプログラムは規格化されている。言い換えると、そうした規格に合わなければ、開発計画は認可されにくい。従って、開発プログラムの立案にあたっては、開発対象を規格に合う形で描写しないといけない。例えば、上述した世界銀行報告書に見られるような「開発」言説がなぜ実態から乖離しているのかという理由はここにある。開発計画を通すためレソトを意図的に「遅れた」社会として描写しなければならなかったのである。出発点から実態に合わないのだから、開発計画が実行に移されても成功するわけがない。そして、失敗は技術的な問題として矮小化される。


 本書で注目されるのは、開発計画における農業プログラムの失敗というだけでなく、むしろその副産物の方である。開発計画策定の前提として、「国家」は公平無私な実行機関とみなされているが、実際には現地権力者から末端の小役人まで様々な利害関係者が絡まり合っている。「開発」を目的としてインフラ整備(例えば、道路)が進められるが、農業発展という目的は達せられなかった一方で、むしろレソト政府の国家権力拡大という副産物が現われた。言い換えると、「貧困」問題解決を口実としながらも、「開発」の介入によって官僚的国家権力の確立・拡大という副作用がもたらされたのである。


「断固として貧困を技術的問題に矮小化することにより、そして弱い立場にある抑圧された人々の苦しみに技術的解決を約束することで、覇権的な「開発」問題系は、それによって今日の世界において貧困の問題が脱政治化される主要な手段となる。同時に、その意図的な「開発」の青写真を高度に可視化することによって、「開発」プロジェクトは誰も反対できない中立で技術的な使命という装いのもと、制度的な国家権力の確立と拡大という極めて政治的に扱いの難しい事業をほぼ不可視なまま遂行することに成功するのである。そうすると、この「道具効果」には二つの側面があることになる。ひとつは官僚的な国家権力を拡大するという制度的な効果であり、もうひとつは貧困と国家双方を脱政治化するという概念的、もしくはイデオロギー的効果である。」(374頁)


 こうした「開発」プロジェクトの「道具効果」がある種のシステムとして作動している状況について、本書では「反政治機械」と呼んでいる。問題は、誰かが意図的に(陰謀的に)実行しているのではなく、善意の専門家が誠実に遂行しようとした意図せざる結果であるという点にある。


「…自由に移植され、いかなるコンテクストにも縛られない、専門家の意見こそが、あまりにも安易に一般化され、どんな場所にも安易に当てはめられるのである。世界中の「開発」プロジェクトは、このようにコンテクストに縛られない共通の「開発」専門家の知識によって作り上げられているので、その意味において、レソトにおける「開発」の経験は、かなり一般的な現象の一部をなしているのである。」(378頁)

「…「開発」言説には特別な用語だけでなく特有の論証のスタイルがあると示唆することができる。それは、暗黙の内に「そしておそらく無意識の内に」もっと「開発」プロジェクトが必要であるという必須の結論から、その結論を生み出すのに必要な前提へと逆向きに論理づける。この点において、「開発言語(devspeak)」だけではなく、「開発思考(devthink)」もまた問題となるのである。」(379頁)

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2020年4月26日 (日)

【メモ】荒野泰典『近世日本と東アジア』

【メモ】荒野泰典『近世日本と東アジア』(東京大学出版会、1988年)
 
序 「鎖国」論から「海禁・華夷秩序」論へ
・近世日本における「鎖国」→「海禁」と「華夷秩序」という二つの概念で理解可能であり、その意味で中国・朝鮮の海禁と共通しているという考え方から、従来のいわゆる「鎖国」論への批判。
・「「海禁」は、国家領域内の住民(「国民」)の私的な海外渡航や海上貿易を禁止することを中心とした政策の体系である。明においては、当初倭寇や国内の不穏分子と国外の勢力の結びつきなどを防止するための政策だったが、やがて、明皇帝を頂点として形成された「華夷秩序」(冊封体制)と、それを日常的に確認する場である朝貢貿易制度を保障する政策となった。朝貢貿易制度に勘合や公・私貿易、外国船の寄港地の指定などが付随していたことはよく知られている。「海禁」は朝貢貿易制度とあいまって、明皇帝と周辺諸国・諸民族との間に設定された「華夷秩序」を日常的に支えたのであった。したがって、「海禁」は「国を閉ざす」ための政策ではなく、その国家が望むような対外関係を実現するための政策であり、それを支えたのは「人民に外交なし」という東アジアの諸国家が伝統的に保持したイデオロギーであった。」(ⅳ頁)
 
第一部 近世日本の対外関係と東アジア
第一章 日本の「鎖国」と対外意識
・「オランダ 1609年の通交開始以来1628年の浜田弥兵衛事件(台湾をめぐる紛争)による関係断絶までは、外交を含む関係であった。その後、1632年に関係を再開するに当っては、オランダ人は将軍の「歴代の御被官」として位置づけなおされ、貿易のみを許される存在となった。翌年から恒例化するオランダ商館長の江戸参府は、上述のオランダ人の位置づけを表現するものとして演出された。それまではオランダ側の要求実現の手段であった江戸参府も、これ以後いっさいの要求・嘆願は許されなくなった。」(10頁)
・いわゆる「鎖国」論は、志筑忠雄がケンペル『日本誌』の一部を訳出して「鎖国論」と題した(1801年)ことにはじまる(15頁)
 
第二章 近世の東アジアと日本
・「日本型華夷秩序は、日明国交回復の挫折を前提に、ポルトガル・スペインの旧教国およびキリスト教自体の排除と、周辺諸国・諸民族の待遇の一定の改変によって、1630年代に成立した。」(33頁)
 
第三章 近世中期の長崎貿易体制と抜荷
 
第四章 近世日本の漂流民送還体制と東アジア
・遭難物占守慣行
・漂流民送還には、国家権力による統制と国際関係が条件として必要
・「豊臣政権による全国統一の過程は、同時に、個別大名に帰属していた遭難物占守権=領海権を、国家権力(公儀)の遭難物占守権=領海権のもとに再編・統合する過程であった。」(122頁)→豊臣政権は貫徹できなかったが、その課題は徳川政権に継承され、より周到な配慮のもとに遂行され、実現することになる(123頁)。
・外国人漂流民の奴隷化の可能性→「そのような状況において、明・朝鮮・琉球の間には国交成立以後、三国相互に恒常的な漂流民(倭寇被虜人も含む)の送還がみられたが、それは三国間の国際関係が規制力として作用したからである。」(124頁)→日本人の場合、倭寇かそうでないかを区別する必要があった。
・「近世日本の「鎖国」体制は、(イ)対外関係を長崎での中国・オランダ、薩摩での琉球、津島での朝鮮、松前での蝦夷に限定し、そこでの諸関係を幕藩制国家権力=公儀が統轄する、(ロ)日本人の、海外渡航禁止を含む、対外関係からの隔離(特権者のみ対外関係にたずさわる)、(ハ)厳重な沿岸警備態勢、の三点に要約できる。この体制の意図するところは、対外関係の国家的独占にあり、その実現形態とともに、明・朝鮮の海禁政策と共通している。日本の海禁政策の特徴は、施行時期のずれを除けば、(ⅰ)公儀による対外関係の総轄が「役」の体系によっていること(明・朝鮮は官僚制)、(ⅱ)海禁の目的がキリシタンの摘発・排除にあること(明・朝鮮は、直接には倭寇)の二点である。」(126頁)
・「外国人漂流民は1630年代から長崎送りとなったが、これは琉球が幕藩制国家の海禁体制のなかに組みこまれたことを意味する。しかし、明清交代後、対清日琉関係の隠蔽策が進行するなかで、1696年以後、清・朝鮮および国籍不明の外国人漂流民は直接福州へ送還されることになった。」(139頁)
・「清は遷海令撤廃の翌1685年、貿易の可能性を探るため、長崎に官船13艘を派遣してきたが、幕府は貿易を許さず以後「官人」の来航を禁じた。幕府は清との外交開始による新たな紛争の発生を懸念し、対中国関係は従来の形態にとどめたのである。」「日清関係は双方の国家権力を背景にしつつも、外交を含まない民間レヴェルの貿易=「通商」関係として定着した。」(141頁)
・キリスト教圏(フィリピンなど)へ漂着した日本人→幕藩制国家は拒絶の可能性が強かった(150頁)。
 
第二部 近世日朝関係史研究序説
第一章 大君外交体制の確立
・大君外交→第一に、「徳川将軍が、自らの国際的呼称を、足利義満以来の「日本国王」号を廃して、「日本国大君」としたことである。」第二に、日朝外交は徳川将軍と宗氏との軍役・知行関係を通じて実現(162頁)。
・「大君」号の設定→日明国交回復を断念し、明抜きで事故を中心とした国際秩序の設定に向かい始めた(216頁)。また、「大君」号には、朝鮮蔑視の意識(217頁)。
 
第二章 明治維新期の日朝外交体制「一元化」問題

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2019年2月 6日 (水)

D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判「神話」の解体──パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』

D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判「神話」の解体──パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』(ちくま新書、2018年)
 
 東京裁判をめぐっては玉石混淆を問わずおびただしい研究成果が生み出されてきた。現時点で代表的なものと言えば、歴史学としての粟屋憲太郎『東京裁判への道』(上下、講談社選書メチエ、2006年)、国際関係史の枠組みから論じられた日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書、2008年)といったあたりが挙げられるだろうか。ただ、いずれもタテ・ヨコの相違はあっても、広義の政治史の範疇に属する。これらに対して、本書は純粋に法理学の立場から東京裁判の判決書を分析しているところに特色がある。
 
 東京裁判では戦勝国から11人の判事が選任されており、判決では多数派判決の他、パル、レーリンク、ウェブ裁判長などがそれぞれ反対意見や個別意見を提出したことはよく知られている。本書は多数派判決、パル判決、レーリンク判決、そしてウェブの判決書草稿のそれぞれが分析されている。
 
 多数派判決は共同謀議の枠組み作りにこだわるあまり、個々の被告の罪状認定がおろそかにされていたという欠点がある。では、反対意見はどうであったか。例えば、パル判決は東京裁判の成立根拠を根本的に否定していたため、日本で人気が高い。しかしながら、法理学の立場から分析する本書によると、彼の判決書は政治的主張ばかり押しだされて法的根拠に乏しく、裁判官としての資質に問題があると酷評されている。また、レーリンク判事は政治的配慮に流されてしまい、便宜主義的な矛盾が見られるという。
 
 意外なことに、本書が最も高く評価するのはウェブ裁判長によって執筆された判決書草稿である(なぜ意外かと言えば、ウェブ裁判長は短気で強引な性格のため、当時の裁判関係者から判事としての資質に疑問が投げかけられていたからである)。ウェブは最終的には多数派判決に従ったが、必ずしも全面的に同意していたわけではなく、個別意見を付していた。彼はその個別意見とは別に、完結した判決書草稿を用意してあったが、結局、裁判所には提出されなかった。本書ではその草稿を掘り起こして分析が進められているが、ウェブはまず適用されるべき法的基準を明示し、個々の被告が有罪になった法的結論について一貫した説明を行っている点で、法的観点からすると他の判決書よりも優れた内容になっているという(もちろん、個々の事実認定においては問題もあるにせよ)。
 
 本書でなぜ東京国際裁判(及びニュルンベルク国際裁判)における個人責任追及の法的論理が重視されているかというと、旧ユーゴ国際刑事裁判やルワンダ国際刑事裁判など現代の国際戦争犯罪法廷を成立させる判例として認められているからである。戦争犯罪の個人責任追及は東京裁判やニュルンベルク裁判で初めて定式化されたという判例上の意義は、実は国際法や平和構築といった分野では常識的な論点なのだが、現代史に偏重した論者にはこうした東京裁判の現代的意義はしばしば見過ごされている。新書版という入手しやすい形式で本書が刊行されたことは、東京裁判をめぐる歴史的認識と国際法的認識とのギャップを埋め、現代的意義につなげていく上で有益と言えよう。

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2014年12月14日 (日)

下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす──激変する国際政治』

下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす──激変する国際政治』(NHK出版新書、2014年)

  一部メディアで「新冷戦」という表現も用いられる近年の国際政治の中でロシアはどのような外交政策を進めていくと考えられるのか。本書はウクライナ情勢、ロシア外交のロジック、そして外交政策を実質的に取り仕切るプーチン大統領個人の考え方を分析した上で、「脱欧入亜」という特徴を指摘する。なお、ロシアの「東方シフト」についてはドミートリー・トレーニン(河東哲夫・湯浅剛・小泉悠訳)『ロシア新戦略──ユーラシアの大変動を読み解く』(作品社、2012年)でも指摘されている(こちらを参照のこと)。

  ロシアが「東方シフト」を進める背景は何か。第一に、プーチン大統領の個人的背景に注目される。彼の家系をたどると異端とされた「古儀式派」にあるとされ(下斗米伸夫『ロシアとソ連 歴史に消された者たち──古儀式派が変えた超大国の歴史』[河出書房新社、2013年]を参照。こちらで取り上げた)、古儀式派にはもともと東方志向があったとされる。また、彼には保守主義やユーラシア主義の思想的影響も見られるという。第二に、ロシアの人口は西に偏っているのに対し、資源は東に偏っており、シベリアから沿海州にかけての将来性をにらんで開発政策を進めている。第三に、世界経済の中心が大西洋から太平洋へ移りつつある中で東アジアとの関係構築が重要となっているが、他方で中国の台頭への安全保障上の警戒心も挙げられる。

  ロシア経済では資源輸出の比重が高く、経済の近代化・多角化が必要とされているが、ウクライナ情勢等の影響でそのために必要な支援を欧米から受けるのは難しい。中国は市場としては魅力的だが、必要な技術的支援は見込めない。そこでプーチン政権が最も期待しているのが日本だという。プーチン政権は、日本に対して時に強硬姿勢を取るように見えることもあるが、基本的には日本重視の姿勢が見られ、北方領土問題解決の意欲を持っていると指摘される。

  私自身の関心としては、現代ロシアの外交戦略にもユーラシア主義の思想的影響が色濃く表れているという点が目を引いた。ユーラシア主義についてはこちら浜由樹子『ユーラシア主義とは何か』(成文社、2010年)を紹介しながら触れたことがある。

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最近読んだ台湾の中文書3冊

  台湾で最近刊行された本を3冊、別館ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」にて紹介した。

鍾明宏《一九四六──被遺忘的台籍青年》(沐風文化出版、2014年)
  日本敗戦の1945年から中華人民共和国が成立する1949年に至るまでの激動期、海峡両岸をまたがって様々な人の動きがあった。本書で取り上げられるテーマは1946年に中国大陸へ渡った台湾人留学生。台湾海峡が分断されて帰れなくなった後、双方の政治的事情からタブーとなって、その存在が歴史の暗闇の中に消えてしまった人々も多い。著者は大陸でも調査を繰り返し、こうした悲劇的な人々の記憶を遅まきながらも掘り起こそうとした労作である。中には日本と密接な関わりがある人々もいる。詳しくはこちらを参照のこと。

蕭文《水交社記憶》(臺灣商務印書館、2014年)
  台南の市街地の南側に「水交社」と呼ばれる一角がある。日本の近代史に関心がある人なら、旧日本海軍将校の親睦組織を想起するだろうが、この地名はまさにその「水交社」に由来する。自身も「水交社」で育った著者は、ここに日本海軍航空隊が来る以前の歴史から戦後の眷村における生活光景まで史料を調べ上げ、当時を記憶する老人たちへのインタビューをまじえながら「水交社」という土地の変遷を丹念に描き出している。台湾を特徴づける歴史的重層性が、この「水交社」という限られた区域からも如実に見えてくるのが面白い。詳しくはこちらを参照のこと。

蘇起《兩岸波濤二十年紀實》(遠見天下文化、2014年)
  本書は1988年の蒋経国死去による李登輝の総統就任から2008年の馬英九の総統当選までの二十年間にわたり、時に一触即発の危険性をはらんできた中台関係を分析している。著者は政治学者で、基本的な立場は「統一」でも「独立」でもなく、「現状維持」によって中国と衝突する危険性を回避する方策を求める点にある。著者自身が国民党政権のブレーンとして両岸政策の策定に関わった経験が本書に盛り込まれているが、本書中の記述に国民党名誉主席・連戦が中国共産党側に情報を漏らしたと推測される箇所があることが台湾のマスコミで報道された。詳しくはこちらを参照のこと。

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2014年9月19日 (金)

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス、2014年)

  紛争が膠着状態に陥りつつあるウクライナ情勢。親ロシア派が多数を占めるクリミア半島はクリミア共和国として独立宣言をした後にロシアへ併合され、同様に東部ではドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が独立を宣言し上でノヴォロシア人民共和国連邦を結成した。それぞれ「共和国」を名乗ってはいても、国家として認知したのはロシアだけ。このように自ら主権国家と宣言しながらも国際的な承認を受けていない自称「国家」を「未(非)承認国家」という。

  ウクライナ情勢のケースからもうかがわれるように、多民族状況において不満を感じたマイノリティーが自前の国家を持つことを求める(もしくは隣の同族との統合を求める)際に「未承認国家」がしばしば現れる。民族紛争が収まらない現代の国際情勢を見渡す上で必須のキーワードと思われるが、なかなか適切な解説書が見当たらなかった。

  そもそも「国家とは何か?」という問いに一言で答えるのは困難だが、一般的にはモンテヴィデオ宣言で示された領土、国民、主権という3要件が必要とされる。こうした要件を備え、外交的な働きかけをしながらも国家承認を受けられない状態の「国家」が「未承認国家」となる。「未承認国家」は民族自決の原則を踏まえて自らの権利を主張する。他方で、国際社会は現行のシステムの変更に伴う混乱を避けるため、むしろ領土保全の原則の方を優先させる傾向がある(ただし、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、冷戦終結後の時期は逆に民族自決の原則を優先させる風潮があった)。

  他方で、コソヴォが欧米から国家承認を受けたケースは「パンドラの箱をあけてしまった」と本書では指摘されている。欧米は領土保全の原則を堅持して基本的には「未承認国家」の国家承認には消極的だが、コソヴォに関しては例外として認めてしまった。こうしたダブルスタンダードは、その後、ロシアが自らの戦略上の事情からグルジア内部のアブハジアと南オセチアを国家承認した際に自己正当化の理由にも使われてしまう。

  かつてはパトロン国家の傀儡政権(例えば、旧「大日本帝国」が作り上げた「満洲国」)となる場合も多かったが、近年はパトロン国家の意向にかかわらず独自の主張で動くケースも増えている。「未承認国家」では権威主義的支配が敷かれ、闇経済が跋扈するなど多くの問題が見られる一方で、住民からの支持を調達し、対外的に正統性をアピールする必要から民主化・自由化に向けて努力するケースもあるというのが興味深い。具体例としてはコソヴォと台湾が挙げられている。

 「未承認国家」の生成原因や内実はケース・バイ・ケースで一般論はなかなか難しいし、解決方法も模索状態だ。「共同国家」という提案もあるようだが、極端な話、現状維持が最も現実的という悲観的な考え方もあり得る。

  著者はコーカサスをはじめ旧ソ連地域の研究者であり、この地域には「未承認国家」が多数出現している。本書は主に旧ユーゴのコソヴォ、旧ソ連モルドヴァの沿ドニエストル共和国、アルメニア・アゼルバイジャン紛争の焦点となっているナゴルノ・カラバフ共和国、グルジア紛争といった具体的な事例の経過を検討しながら、この問題の複雑な難しさをヴィヴィッドに描き出し、より広いコンテクストで把握するためのたたき台となる議論を提示してくれている。

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2014年9月17日 (水)

鈴木健太・百瀬亮司・亀田真澄・山崎信一『アイラブユーゴ1 ユーゴスラヴィア・ノスタルジー大人編』

鈴木健太・百瀬亮司・亀田真澄・山崎信一『自主管理社会趣味Vol.1 アイラブユーゴ1 ユーゴスラヴィア・ノスタルジー大人編』(社会評論社、2014年)

  ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国が崩壊してからもう20年以上経つ。クロアチア、スロヴェニア両共和国の独立、さらにボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争と文字通り血で血を洗う凄惨な民族紛争が続いたため、今ではユーゴといえば偏狭なナショナリズムがもたらした悲劇の地というイメージが強い。社会主義体制の崩壊とそこから湧き出た民族紛争。20世紀の悲劇がこのユーゴでまさに縮図となって現れ出たと見ることもできるだろう。

  しかしながら、本書の立場はあくまでも「共産趣味」。と言ってもピンとこない人もいるかもしれないが、どんな政治体制の中でも人々の日常生活は連綿と続いている。ありし日の社会主義体制下におけるそうした生活光景からレトロでノスタルジックな感覚を見出し、ある種の愛おしみをもって振り返ってみようというのが基本的な趣旨。渋面作って政治的に生真面目な問題を語るわけではないが、かといって決して不真面目ではない。執筆陣はユーゴ崩壊後に研究を始めた若手世代であり、距離をおいて見られるからこそ、特定の政治的イシューには偏らない等身大のユーゴスラヴィアを描き出すことができる。

  「大人編」と題したこの第1巻では、「政治」「ティトー」「社会」「対外関係」という4つのテーマでまとめられている。項目ごとに読み切りのエッセイが並べられており、豊富なカラー写真がいっそう興味を掻き立てる。ユーゴは1948年にソ連と対立してコミンフォルムから追放されて以来、西側とも一定の関係を持ち、国内体制的にも社会主義体制の割には比較的に自由で豊かという一面も持っていた。ミニスカートの女性が闊歩する写真も収録されているが、そうした社会背景からみれば不思議ではない。ティトーの奔放な女性関係とか、取り違えられた労働英雄といったゴシップネタもたっぷり。晩餐会で昭和天皇と対面するティトーの写真も紹介されるなど、日本との関係にも言及されている。

  一つ一つの項目を読んでいくと、多民族状況を反映した事情もあちこちから垣間見られる。真面目に現代史を勉強したい人にとっても、読みやすくかつ有用な参考書となるだろう。ユーゴスラヴィア現代史という、日本人にとってあまり馴染みがなく地味なテーマであるにもかかわらず、このように人目を引く形に仕立て上げた手腕には感心する。

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2013年10月18日 (金)

篠田英朗『平和構築入門――その思想と方法を問いなおす』

篠田英朗『平和構築入門――その思想と方法を問いなおす』(ちくま新書、2013年)

 第二次世界大戦後、国家同士の戦争は減少している一方、紛争は主に内戦という形で燃え上がるケースが目立っている。ポストモダン系の思想、もしくは経済的な新自由主義の立場からは主権国家の限界がしばしば語られる。しかしながら、国民の生命の安全を守る役割、社会契約説における最低限の義務すら果たすことの出来ない「脆弱国家」においては、むしろ国家としての機能をいかに構築するかが根本的なテーマとなる。社会契約説的な考え方からすれば、国家があってこそ人権を守り得る。それゆえにこそ、平和構築は同時に国家構築のプロセスと重なってくる(なお、アフリカの紛争地帯を調査したポール・コリアーは、紛争予防のためにインフラとしての国家を構築する必要を指摘している。Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009→こちら)。

 ガバナンスの能力を欠いた「劣った」人々をパターナリスティックに保護してやる、という考え方に対して本書は強く戒める。紛争多発地帯では20世紀後半に独立した国々がほとんどで、政治・経済・社会のあらゆる面で基本的なインフラを欠如させたまま独り立ちを強いられた点では、すでに長い時間をかけてインフラを蓄積させてきた先進国との間に出発点から格差があった。何よりも、国際秩序が一体化しつつある中、その一部で生じた綻びは構造的な問題であり、まさにその国際秩序の中で生きる我々自身にとって決して他人事とは言えない。内政不干渉等の原則によって主権国家同士の関係を律してきた従来の国際社会観より一歩進んで、各国家の内部においても人権など普遍的な価値規範の遵守を求める「新しい国際立憲主義」が20世紀末になって現われたと本書では指摘される。著者の『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年→こちら)では、ある地域で国家が責任を果たすことができない時に国際社会による介入を社会契約説の考え方を援用しながら正当化する論点が示されていた。

 無辜の人々が殺されていく緊急事態を目の当たりにしたとき、軍事介入という選択肢を否定しさることはできない。人道的介入の是非をめぐっては議論が尽きないが、軍事介入を行う大国の政治的思惑や、介入した結果として生ずる新たな混乱への警戒感がある一方、ルワンダのジェノサイドを国際社会が傍観したことへの当事者の絶望感も深かった(例えば、Roméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda, New York: Carroll &Graf Publishers, 2005→こちらPaul Rusesabagina, An Ordinary Man, Penguin Books, 2007→こちら)。平和構築にあたっての軍事力行使は単純に善悪で割り切れる問題ではない。同様のことが紛争後にもあり得る。例えば、ルワンダ紛争を逃れて多くの人々が流れ込んだ隣国ザイールの難民キャンプで人道援助活動が行われた。実は、そこに他ならぬルワンダの虐殺者が多数逃げ込んでおり、結果として人道援助活動が犯罪者を保護する形になってしまったのだという。内戦終結後のルワンダ政府軍はこれを非難して攻め込み、実力で難民キャンプを解体、報復で多くの人々が殺害されたばかりか、その過程でザイールのモブツ政権が崩壊、コンゴ紛争が激化した。

 動機は人道的なものであっても、どのような結果が得られるのか見通しがつかない。そうした複雑な矛盾は、平和構築活動のあらゆる局面に見出される。本書は、政治、軍事、法律、開発、人道といった分野ごとに平和構築が直面する課題を描き出しており、理念と現実との解き難いアポリアを整理して考えるのに必要な論点を提示してくれている。

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2013年7月23日 (火)

月村太郎『民族紛争』

月村太郎『民族紛争』(岩波新書、2013年)

 本書は、第Ⅰ部でスリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの具体的な紛争事例について紹介し、これらの事例を通して一般論として抽出できる論点を第Ⅱ部で考察するという構成になっている。

 「民族」なる概念の定義がそもそも一義的なものではあり得ない以上、抽象概念として「民族紛争」という言葉を使うにしても、ケース・バイ・ケースの具体的な関係性から捉え直していくしかない。そうした意味で、一般論にまとめてしまうのは困難であろう。だが、一定の枠組みを設定しないと問題点は見えてこないわけで、たたき台をつくる必要はある。内容的にはおのずと、紛争一般をモデル化する中で「民族」的要素がどのように関わり合っているのかを整理するものとなる。

 民族紛争にはどのような発生要因があるのだろうか。複数民族の居住密度が近いと「陣取り合戦」が起こりやすい。体制変動、とりわけ民主化により、それまで権力を独占していた少数派が支配的地位から転落しかねない場合、報復を恐れて態度を硬化させかねない(現在のシリア情勢が想起される)。経済情勢の悪化も紛争の要因となるが、貧困そのものよりも、他者との比較により自身の惨めさを強調する「相対的剥奪」によって、自分が惨めである理由を他民族に投影する「犯人捜し」の方が顕著に見られる。また、領土紛争に見られるように、歴史主義的な言説も往々にして援用される。

 なお、宗教的相違も民族紛争で見られるのは確かだが、それだけで紛争が発生するわけではない。「むしろ、我々が民族紛争の構図を単純化して理解しようとする場合に、宗教が持ち出されることが多いのである。そして、単純化はしばしば正しい理解を妨げることにもなる」と指摘される。

 こうした要因が昂じていくと、相手民族に対して単に敵意があるというレベルを超えて、こちらがいつ攻撃されるか分からないという恐怖が芽生えてくる。敵対意識によってコミュニケーションが不十分であるため、相手に対する恐怖が相互反応的に拡大していくプロセスが「安全保障ジレンマ」として説明される。民衆の間には不安や不満が鬱積し始め、そうしたエネルギーがエリートによって特定の方向へと誘導され、民族紛争として燃え上がっていく。

 指導者のリーダーシップが脆弱だと、強硬論が台頭したときに抑え込むことができず、紛争が発生・長期化しかねない。他方で、セルビアのミロシェヴィッチのように強硬なナショナリズムを煽動することでリーダーシップを獲得したケースもあり、リーダーシップは両刃の剣という印象も受ける。なお、民族紛争では相手民族を殺戮するばかりでなく、自民族内の穏健派が「裏切り者」として真っ先に殺害されるケースが頻繁に見られる。

 紛争終結後の平和構築においては民主化が目指される。ただし、民主主義が万能というわけではない。多数派民族は選挙を通じて自らの独占的支配を正当化しかねず、そうした懸念や利権争いから、途上国では民主化へ向けた選挙がかえって暴力を誘発しかねない(例えば、Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009[邦訳はポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』甘糟智子訳、日経BP社、2010年]を参照のこと)。

 このような「民主主義のパラドックス」に対しては、民族的対立を超えた次元で政治的正統性を担保する国民国家の形成が必要とされる。つまり、選挙を実施する以前に、同じ一つの国家に暮らしているという自覚が求められる。価値的対象としてではなく、社会制度を円滑に進めるインフラとしての国民国家を活用しようという考え方である(コリアーがアフリカの事例をもとに主張している)。これを実現するには、それぞれの民族的アイデンティティーを前提としつつも、共通の国民意識を社会化・内面化していく必要がある。他方でこれは、作り上げられた国民意識が上からのアイデンティティーの押し付け、多数派への同化圧力へと転化して、少数派の民族的アイデンティティーを抑圧してしまう可能性も否定できないのではなかろうか(例えば、中国における民族問題が想起される)。

 少数派民族が独立を図れば中央政府と衝突するし、まだら模様に混住している場合には紛争が泥沼化する。そうしたことを考え合わせると、多民族主義が望ましいのは確かである。だが、多数派民族の独走が常に懸念される一方、少数派への配慮が国家全体の有効な意思決定を阻害してしまうこともしばしばあり得る。文化的アイデンティティーが分立し、言語的なコミュニケーションが複雑化すると、国家としての統一感も保てなくなるかもしれない。

 解き難いアポリアをどのように考えたらいいのか。一般論があり得ない以上、解決の糸口もケース・バイ・ケースとしか言いようがない。武力紛争が当面終結したからと言って、火種がくすぶっていれば解決からは程遠い。何を以て解決に成功したとみなすのかは難しいが、例えば、多民族主義がビルトインされた社会のあり方も成功例として事例分析に加えていく方が、民族紛争というテーマをよりトータルな視野で理解するのに資するかもしれない。

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