筒井清忠『戦前日本のポピュリズム──日米戦争への道』
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中北浩爾『自民党政治の変容』(NHKブックス、2014年)
政治思想としての「保守主義」は何らかの教条体系に基づいて成立しているものではない。そもそもフランス革命における破壊主義的な傾向に危機感を抱いたエドモンド・バークによる考察から始まっていることからうかがわれるように、防衛反応的な性格を持っている。1955年に自由民主党を誕生させた保守合同もまた同年の左右社会党の統一に触発された側面が強い。
自民党の結党当初から、組織的動員力の面で社会党と比べて立ち遅れているという自覚を抱く政治家の間で、組織政党への脱皮、すなわち「党の近代化」が主張されていた。組織改革の試みがどのような帰結をもたらしたのか。本書は、理念と組織の両面で社会的現実への適応を図ったプロセスに着目しながら自民党政治の変容を描き出し、その中で近年における自民党の「右傾化」を位置付けようと試みている。
利益誘導政治が自民党の特徴であり、その温床は派閥単位の金権政治にあるとされていた。そこで党の組織改革による近代化が模索されたが、当然ながら党内の反発は根強く、なかなかうまくいかない。逆に、大平正芳のブレーンとなった香山健一らは自由と多様性を擁護する「日本型多元主義」として派閥や議員の個人後援会による政治力学を積極的に評価、農村部だけでなく都市部の無党派も取り込む包括政党として性格付けることで自民党の勢力安定に成功した。これは中選挙区制だからこそ可能な政治モデルだったと言える。ただし、利益誘導政治からの脱却はできなかった。
二大政党制による政権交代可能性や政治的リーダーシップの確立を目標として小沢一郎たちは小選挙区制の導入を目論んだ(香山健一たちは「穏健な多党制」を目指して細川護煕の日本新党を支援)。小選挙区制の特徴をうまく活用してリーダーシップを握ったのが小泉純一郎である。自民党は無党派層の取り込みに成功、総選挙で大勝したが、それは「古い自民党をぶっ壊す」と絶叫した小泉という「選挙の顔」があったからこそもたらされた勝利であった。組織的動員によらないという意味で選挙プロフェッショナル政党化したと指摘される。
2009年の総選挙では無党派層を取り込んだ民主党が勝利し、自民党は野党に転落した。小泉政権による新自由主義的政策は自民党自身の組織基盤を崩す方向で作用していたため、かつての利益誘導型の手法で党勢を盛り返すのは難しい。そこで安倍晋三は、自民党内でリベラル派が凋落していたことも相俟って、民主党に対する対抗軸として保守回帰の理念を明確化することにより「草の根保守」の動員を図った。他方で、こうした「右傾化」には世論とのギャップも見られ、支持基盤の再構築に成功したとは言えないとも指摘される。
本書の分析が対象とするのはあくまでも自民党内の政治過程であって、社会的レベルでの「右傾化」の問題とは必ずしも一致しない。ただし、自民党内に限られた視野ではあっても、リベラル派と右派、それぞれの政治力学的な消長がくっきり浮かび上がってくるところは興味深い。
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一定の社会秩序が成立すれば必ず制約が生まれるが、他方で一人ひとりの多様なあり方を押しつぶしてしまっては社会的な活力が失われてしまう。自由と秩序の両立という政治思想上の根本的なアポリアに対してどのような解答を与えるか? 社会契約論はそうした課題から編み出された卓抜な概念装置と言える。現実における諸々のノイズがシャットアウトされた原初状態という舞台だからこそ原理論的考察が可能となる。
社会科学のあらゆる古典についても言えることだが、社会契約論として提示された結論だけを見てもあまり意味はない。むしろ、そうした結論を導き出すに至った個々の思想家たちの思考過程はどうであったのか、社会構想をめぐる葛藤を追体験していくところに思想史の醍醐味がある。そこから受ける知的刺激は、現代に生きる我々の社会の仕組みを再検討する判断基準を組み立てなおすことにもつながるだろう。そうした意味で、重田園江『社会契約論――ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』(ちくま新書、2013年)と仲正昌樹『〈法と自由〉講義――憲法の基本を理解するために』(作品社、2013年)は、社会契約論をめぐる思想家たちの内在論理を汲み取ろうとする姿勢があって興味深く読んだ。
重田園江『社会契約論』は、理解しきれないもどかしさも率直に読者へ投げかけた上で自らの読み方を語りかけてくる誠実さに好感を持った。本書は社会契約論を「はじまりの約束」「約束の思想」として読み解く。まずホッブズの思想について、人と人との約束そのものが双方を拘束する関係性の力、アソシエーションの政治思想として読み直し、次にヒュームによる社会契約論批判を検討した上で、話をルソー、ロールズへとつなげていく。
一般意志は特殊意志の総和ではない――ルソーの社会契約論における「一般意志」は数多の論者が議論を重ねる焦点となってきた難題である。社会契約を結ぶ当事者は、特殊意思としての自分と一般意志としての政治体であり、なおかつ後者の一般意志には他ならぬ自分自身も含まれているというからややこしい。自分と、自分自身も含まれる政治体とが契約する。どういうことか。普通の人、ただの人としての自分と政治的公共性を自覚した自分とが一人の中で共存していると考えれば理解しやすそうだ。「つまり、人が両方の視点に立てること、そしてふだんはただの人でしかない共同体のメンバーが、政治に参加するときには市民となること、すなわち全体の一部としての「一般的な」視点に立つことが、ルソーの政治社会にとって必須なのである。人は、政治体の参加者あるいは主権者としては一般的な視点に立ち、一般意志に従って行為しなければならない」(重田、184ページ)。
では、一般的な視点に立つとはどのようなことなのか? ロールズの正義論は社会契約論の現代的焼き直しということはよく知られているが、ルソーの社会契約論から見出された「一般的な視点」を、ロールズの「無知のヴェール」の議論へつなげていくところに説得力がある。「…こうして人は、情報の制約下で多様な立場を想像することを強いられる。そのプロセスを通じて、意図せずして社会的観点、社会的公正を考慮する視点に立つようになる。自己滅却や自己犠牲ではなく、自分が誰かわからない、あるいは誰でもありうるという状況下での「一般的エゴイズム」に基づく思考プロセスが、社会的公正を選ばせるのだ」(重田、252ページ)。
仲正昌樹『〈法と自由〉講義』はルソーの社会契約論からもたらされた思想的影響の圏域において法というテーマに焦点を合わせ、ルソー『社会契約論』、ベッカリーア『犯罪と刑罰』、そしてカント「啓蒙とは何か」等の諸論文を取り上げている。他の思想家たちとの関り方や影響関係、さらにキーワードの語源的な解釈が適宜交えられており、ゼミ形式で講読するような気持ちで読み進められる。
上掲の重田『社会解約論』を読みながら、万人の万人に対する闘争という自然状態から社会契約を結ぶにあたって最初に武器を捨てるのは誰か?というホッブズ問題、ルソーの社会契約における一般意志として「一般的な視点に立つ」こと、そしてロールズの「無知のヴェール」という思考実験における想像力はなぜ成り立つのか、つまり、そもそもそうした思考を敢えて行えるのはなぜなのか、そこのあたりをどのように考えればいいのか、気になっていた。熟慮に基づく理性、公共的理性、カント的な実践理性、色々な表現はあると思うが、一言でいえば社会契約として公共性に参与するときの一人ひとりの「自律」はどのようにして可能なのかという問いはさらに考え続けなければならないテーマであろう。
その点では、仲正書で社会契約論の一般意志をめぐって「人民」が自らの「一般意志」の現れである「法」を介して自らに規律を課しているという指摘に関心を持った。ホメロス『オデュッセイア』にあるセイレーンの誘惑のエピソードを引き合いに出して、「「法」というのは、人民が、自らが将来、危機的な状況、異常な状況に遭遇した時、バカなことをしでかさないよう、自分の行動を予め縛るものだというわけです。ある時点での冷静な「私」が、別の時点でバカなことをしそうな「私」の行動を抑止しているわけです。…私が私を縛ることがあるように、「私たち=人民」が、「私たち=人民」自身を縛っているわけです」(仲正、91ページ)と語っている。なお、セイレーンの誘惑というエピソードはアドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法──哲学的断章』(岩波文庫)で論じられている。
社会契約における一般意志として一定のルールを定め、そこに自発的に従う形で道徳的自由=自律を目指していたとしても、実際の人間はそこから逸脱しかねない。従って、一般意志に従うようにタガをはめる必要が出てくる。それが「法」として表現された。ベッカリーア『犯罪と刑罰』は罪刑法定主義や死刑廃止論といった議論で後世に大きな影響を与えているが、罪刑法定主義の考え方では法の内容をみんなが理解していることが前提となる。つまり、理性的な熟慮によって社会契約に参画していなければならないという点で「自律」→「自由」が前提となっていると言える。
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篠田英朗『平和構築入門――その思想と方法を問いなおす』(ちくま新書、2013年)
第二次世界大戦後、国家同士の戦争は減少している一方、紛争は主に内戦という形で燃え上がるケースが目立っている。ポストモダン系の思想、もしくは経済的な新自由主義の立場からは主権国家の限界がしばしば語られる。しかしながら、国民の生命の安全を守る役割、社会契約説における最低限の義務すら果たすことの出来ない「脆弱国家」においては、むしろ国家としての機能をいかに構築するかが根本的なテーマとなる。社会契約説的な考え方からすれば、国家があってこそ人権を守り得る。それゆえにこそ、平和構築は同時に国家構築のプロセスと重なってくる(なお、アフリカの紛争地帯を調査したポール・コリアーは、紛争予防のためにインフラとしての国家を構築する必要を指摘している。Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009→こちら)。
ガバナンスの能力を欠いた「劣った」人々をパターナリスティックに保護してやる、という考え方に対して本書は強く戒める。紛争多発地帯では20世紀後半に独立した国々がほとんどで、政治・経済・社会のあらゆる面で基本的なインフラを欠如させたまま独り立ちを強いられた点では、すでに長い時間をかけてインフラを蓄積させてきた先進国との間に出発点から格差があった。何よりも、国際秩序が一体化しつつある中、その一部で生じた綻びは構造的な問題であり、まさにその国際秩序の中で生きる我々自身にとって決して他人事とは言えない。内政不干渉等の原則によって主権国家同士の関係を律してきた従来の国際社会観より一歩進んで、各国家の内部においても人権など普遍的な価値規範の遵守を求める「新しい国際立憲主義」が20世紀末になって現われたと本書では指摘される。著者の『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年→こちら)では、ある地域で国家が責任を果たすことができない時に国際社会による介入を社会契約説の考え方を援用しながら正当化する論点が示されていた。
無辜の人々が殺されていく緊急事態を目の当たりにしたとき、軍事介入という選択肢を否定しさることはできない。人道的介入の是非をめぐっては議論が尽きないが、軍事介入を行う大国の政治的思惑や、介入した結果として生ずる新たな混乱への警戒感がある一方、ルワンダのジェノサイドを国際社会が傍観したことへの当事者の絶望感も深かった(例えば、Roméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda, New York: Carroll &Graf Publishers, 2005→こちら、Paul Rusesabagina, An Ordinary Man, Penguin Books, 2007→こちら)。平和構築にあたっての軍事力行使は単純に善悪で割り切れる問題ではない。同様のことが紛争後にもあり得る。例えば、ルワンダ紛争を逃れて多くの人々が流れ込んだ隣国ザイールの難民キャンプで人道援助活動が行われた。実は、そこに他ならぬルワンダの虐殺者が多数逃げ込んでおり、結果として人道援助活動が犯罪者を保護する形になってしまったのだという。内戦終結後のルワンダ政府軍はこれを非難して攻め込み、実力で難民キャンプを解体、報復で多くの人々が殺害されたばかりか、その過程でザイールのモブツ政権が崩壊、コンゴ紛争が激化した。
動機は人道的なものであっても、どのような結果が得られるのか見通しがつかない。そうした複雑な矛盾は、平和構築活動のあらゆる局面に見出される。本書は、政治、軍事、法律、開発、人道といった分野ごとに平和構築が直面する課題を描き出しており、理念と現実との解き難いアポリアを整理して考えるのに必要な論点を提示してくれている。
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木村俊道『文明と教養の〈政治〉──近代デモクラシー以前の政治思想』(講談社選書メチエ、2013年)
現代の我々が暮らす社会で「政治」について考えるとき、暗黙のうちにデモクラシーが自明の前提となっている(もちろん、デモクラシーとは何か?というテーマ自体が論争的であるにしても)。しかしながら、「政治」なるものの多様な可能性を探ってみるなら、こうした自明の価値とされているものもいったん括弧にくくって問い直してみる作業も必要であろう。そこで本書が探求の対象とするのは、デモクラシーがまだ「普遍」的とは考えられていなかった初期近代(=近世、16~18世紀)のヨーロッパ政治思想史である。近代と近代以前、政治思想における双方の知的パラダイムの相違がくっきり浮き彫りにされているところに興味を持ちながら読み進めた。
「文明」と訳されるcivilization、この言葉が広く定着するようになったのは19世紀以降の「近代」になってからのことだという。本書はむしろ、初期近代に同義で使われていたcivilityとの意味的な差異に注目する。civilizationでは歴史の進歩や産業技術の発展といった技術知的な側面に重きが置かれるのに対して、civilityでは礼儀正さや洗練された作法といった対人関係における「実践知」としての意味合いが強かったと指摘される。
初期近代の社会で統治の舞台となった宮廷では、君主や顧問官、その他取りまきたちは洗練された振舞いをしなければならなかった。しかし、それは単なるパーティーの作法といったレベルのものではない。「暴力と感情の噴出を抑え、他者との交際や社交を可能にするための技術」、「他者を説得するレトリックや情況に応じて適切な判断を下す思慮を、洗練された振舞いや高度な役割演技において具現するための実践知」(110~111ページ)、こうしたものを「文明の作法」として本書は抽出していく。
社交における身体的振舞いによって他者との「共存」を可能にした「文明の作法」。しかしながら、フランス革命や産業化以降の「近代」世界において、「政治」は制度的・技術的な構成の問題となる。「文明の作法」を支えていた「教養」は個人の内面性に関わるもとして「政治」から切り離され、社交上の身だしなみ程度のものへと矮小化されていった。19世紀、開国を迫る脅威として日本が出会った西洋は、まさに「文明の作法」を失いつつある西洋であったという指摘が示唆深い。このようにして失われていった政治における作法=「型」というものを、もう一度考え直してもいいのではないかと本書は問いかける。
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曺喜昖(李泳釆・監訳・解説、牧野波・訳)『朴正煕 動員された近代化──韓国、開発動員体制の二重性』(彩流社、2013年)
・韓国政治における保守派と進歩派の対立は、朴正熙政権に対する評価と密接に連動している。保守派は韓国社会を近代化へ導いた「成功した指導者」として彼の正の側面を礼賛する一方、進歩派からは人権弾圧を行った強権的政権として負の側面が厳しく指弾される。双方が自らの朴正熙政権イメージに合致する一面的な言説ばかりを流通させた結果、分裂した視点が並立してしまっているという。こうした不毛な状況を踏まえ、著者自身は進歩派ではあるが、双方の対立的視点を建設的に取り込みながら朴正熙時代を考察する理論的枠組みを構築しようと試みている。
・近代化へ向けて国家の主導により国民を巻き込んでいく体制を本書では「開発動員体制」と定義づけ、資本主義や社会主義といったイデオロギー上の相違にかかわらず一般的な概念として応用可能な分析視角になり得るという。先進国を念頭に置いて「欠損国家」「欠損国民」という自己認識を持ち、近代化・開発へ向けた民衆の要求に既存の体制が応えられていない状況の中、「正常な状態」へと国家主導で国民が動員される。
・支配の同意的基盤を構成するために動員が行われるが、「強圧」か「同意」かという二者択一のゼロサム・ゲーム的に捉えるのではなく、「強圧」から自発的な「同意」まで幅広いスペクトラムの中で分析しようとするのが本書の特徴である。上からの社会の再組織化によって社会が「近代」化されると同時に、変化を経験した社会は開発動員体制との間に新たな緊張や矛盾を生じさせる。つまり、開発が成功した一方、それがもたらした矛盾で犠牲となった人々の抵抗意識→強圧への反発、民衆の主体化→開発主義の同意創出効果が弱まるというプロセスが見られる。圧縮的な成長を目指したがゆえにもたらされた圧縮的な矛盾が原因となり、成長の力学と危機の力学とが併存する二重性(矛盾的複合性)として朴正熙政権が支持された同意基盤の変動が分析される。
・1950年代は原初的な反共主義が動員の根拠となった。1960年代の朴正熙政権は反共主義を継承しつつ、近代的な開発主義と結びつけることで支配の同意的基盤を拡充する。この「動員された近代化」の中で強圧と同意は二重の相貌として存在した。1972年以降の維新体制では同意的な言説が根拠不足となり、強圧が全面化→同意の分裂の拡大という悪循環が見られるようになった。
・グラムシのヘゲモニー論が援用されている。1960年代の開発動員体制では、開発主義的言説による支配集団の思考の普遍化→産業戦士としての「国民」という集団的アイデンティティ→経済的基盤におけるヘゲモニー。1970年代の維新体制では、開発主義プロジェクトの亀裂→「国民」が分裂し、「民衆の主体化」→階層・階級間の利害関係の接合に亀裂。
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月村太郎『民族紛争』(岩波新書、2013年)
本書は、第Ⅰ部でスリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの具体的な紛争事例について紹介し、これらの事例を通して一般論として抽出できる論点を第Ⅱ部で考察するという構成になっている。
「民族」なる概念の定義がそもそも一義的なものではあり得ない以上、抽象概念として「民族紛争」という言葉を使うにしても、ケース・バイ・ケースの具体的な関係性から捉え直していくしかない。そうした意味で、一般論にまとめてしまうのは困難であろう。だが、一定の枠組みを設定しないと問題点は見えてこないわけで、たたき台をつくる必要はある。内容的にはおのずと、紛争一般をモデル化する中で「民族」的要素がどのように関わり合っているのかを整理するものとなる。
民族紛争にはどのような発生要因があるのだろうか。複数民族の居住密度が近いと「陣取り合戦」が起こりやすい。体制変動、とりわけ民主化により、それまで権力を独占していた少数派が支配的地位から転落しかねない場合、報復を恐れて態度を硬化させかねない(現在のシリア情勢が想起される)。経済情勢の悪化も紛争の要因となるが、貧困そのものよりも、他者との比較により自身の惨めさを強調する「相対的剥奪」によって、自分が惨めである理由を他民族に投影する「犯人捜し」の方が顕著に見られる。また、領土紛争に見られるように、歴史主義的な言説も往々にして援用される。
なお、宗教的相違も民族紛争で見られるのは確かだが、それだけで紛争が発生するわけではない。「むしろ、我々が民族紛争の構図を単純化して理解しようとする場合に、宗教が持ち出されることが多いのである。そして、単純化はしばしば正しい理解を妨げることにもなる」と指摘される。
こうした要因が昂じていくと、相手民族に対して単に敵意があるというレベルを超えて、こちらがいつ攻撃されるか分からないという恐怖が芽生えてくる。敵対意識によってコミュニケーションが不十分であるため、相手に対する恐怖が相互反応的に拡大していくプロセスが「安全保障ジレンマ」として説明される。民衆の間には不安や不満が鬱積し始め、そうしたエネルギーがエリートによって特定の方向へと誘導され、民族紛争として燃え上がっていく。
指導者のリーダーシップが脆弱だと、強硬論が台頭したときに抑え込むことができず、紛争が発生・長期化しかねない。他方で、セルビアのミロシェヴィッチのように強硬なナショナリズムを煽動することでリーダーシップを獲得したケースもあり、リーダーシップは両刃の剣という印象も受ける。なお、民族紛争では相手民族を殺戮するばかりでなく、自民族内の穏健派が「裏切り者」として真っ先に殺害されるケースが頻繁に見られる。
紛争終結後の平和構築においては民主化が目指される。ただし、民主主義が万能というわけではない。多数派民族は選挙を通じて自らの独占的支配を正当化しかねず、そうした懸念や利権争いから、途上国では民主化へ向けた選挙がかえって暴力を誘発しかねない(例えば、Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009[邦訳はポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』甘糟智子訳、日経BP社、2010年]を参照のこと)。
このような「民主主義のパラドックス」に対しては、民族的対立を超えた次元で政治的正統性を担保する国民国家の形成が必要とされる。つまり、選挙を実施する以前に、同じ一つの国家に暮らしているという自覚が求められる。価値的対象としてではなく、社会制度を円滑に進めるインフラとしての国民国家を活用しようという考え方である(コリアーがアフリカの事例をもとに主張している)。これを実現するには、それぞれの民族的アイデンティティーを前提としつつも、共通の国民意識を社会化・内面化していく必要がある。他方でこれは、作り上げられた国民意識が上からのアイデンティティーの押し付け、多数派への同化圧力へと転化して、少数派の民族的アイデンティティーを抑圧してしまう可能性も否定できないのではなかろうか(例えば、中国における民族問題が想起される)。
少数派民族が独立を図れば中央政府と衝突するし、まだら模様に混住している場合には紛争が泥沼化する。そうしたことを考え合わせると、多民族主義が望ましいのは確かである。だが、多数派民族の独走が常に懸念される一方、少数派への配慮が国家全体の有効な意思決定を阻害してしまうこともしばしばあり得る。文化的アイデンティティーが分立し、言語的なコミュニケーションが複雑化すると、国家としての統一感も保てなくなるかもしれない。
解き難いアポリアをどのように考えたらいいのか。一般論があり得ない以上、解決の糸口もケース・バイ・ケースとしか言いようがない。武力紛争が当面終結したからと言って、火種がくすぶっていれば解決からは程遠い。何を以て解決に成功したとみなすのかは難しいが、例えば、多民族主義がビルトインされた社会のあり方も成功例として事例分析に加えていく方が、民族紛争というテーマをよりトータルな視野で理解するのに資するかもしれない。
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