カテゴリー「政治」の72件の記事

2009年12月18日 (金)

マイケル・オークショット『政治における合理主義』

マイケル・オークショット(嶋津格・森村進他訳)『政治における合理主義』(勁草書房、1988年)

 言葉というのは実に難しいもので、表面的にはどんなに正しいように聞こえる主張であっても、理念として整合性をもって定式化されたとき、「確かにそうかもしれないけど、どこか変だ」と理屈とは異なる皮膚感覚レベルで違和感を覚えることがある。正義の理念であればあるほど、生身の感覚を万力でキリキリ締め上げていくような知的暴力。そうした違和感を自覚化することで進歩主義の不自然さを浮き彫りにしていくのが政治思想としての保守主義である。

 “伝統”とか“常識=コモンセンス”とかいうキーワードを出すと色々と誤解もされかねないが、要するに、自分自身の内面を振り返ってみて不自然でなく、しっくりくる感覚に基づいて考えれば、おおむね間違いは回避できる。仮に間違ったとしても、そのことを指摘されたら柔軟に修正できる。そうした積み重ねによって一歩一歩事態を改善していこうという考え方である。不自然に遊離した目的合理的な思考体系では、こうあらねばならないという目的意識=“べき”論が硬直化して修正がきかない。従って、ますます間違いを重ねてしまう。保守主義の要諦は皮膚感覚に根ざした懐疑と試行錯誤にあり、そのエッセンスが結晶した暗黙的な智慧を“伝統”と呼ぶ。

 もう一言付け加えると、自称保守、自称民族派というのも“伝統”なるものを皮膚感覚から切り離して説教くさい理念に硬化させてしまっている点で、いわゆる新自由主義も“自由”なるものを原理原則に硬化させてしまっている点で、いずれも実は他ならぬ進歩主義者と同様の誤謬に陥っていると私には思われる。過去、現在、そして未来にわたって試行錯誤の継続的な渦中にあって理念的なものは常に相対化されていく、そうした意味での歴史的視点から現在の自身の位置を探っていくのがポイントである。

・本書にはイギリス保守主義の政治哲学者マイケル・オークショット(Michael Joseph Oakeshott、1901~1990年)の論文10編が収録されている。表題論文「政治における合理主義」では、“理性”優位の政治思潮としての“合理主義”を次のように捉えて批判する。

(合理主義者は)「あらゆる場合における精神の独立、つまり「理性」の権威を除く他のいかなる権威に対する責務からも自由な思考、を唱導する。」「彼は経験を看過するわけではないが、それが彼自身の経験でなければならないと主張する(そしてすべてを新たに始めるよう求める)ために、また、入り組んだ多様な経験の一群を原理に還元し、」「彼には経験の蓄積という感覚がなく、経験が一つの定式に転換されている場合にそれを受け入れる用意があるに過ぎない。」「彼の知的過程は、可能な限りあらゆる外からの影響から絶縁されて、真空の中で進行するのである。彼の社会の伝統的知から自分を切り離し、分析の技術以上の教育はすべてその価値を否定したことで彼は、人間に対して人生のあらゆる危機についての必然的無経験を帰す傾向があり、」「ほとんど詩的ともいうべき幻想によって、彼は毎日をあたかもそれが彼の最初の日であるかのようにして暮らすことに努め、習慣を形成することは堕落だと信じている。」(2~5ページ)
「合理主義者にとって存在しているというだけでは(そして明らかに何世代にもわたってそれが存在してきたということからは)何物も価値を有しない。親しみに価値はなく、何事も、精査を受けずに存続すべきではないのである。こうしてその性向のため、彼にとっては受容と改革よりも破壊と創造の方が理解し易く携わり易いものとなる。」「そして合理主義者はそれの場所を埋めるために彼の自作のもの──あるイデオロギー、伝統に含まれていた合理的真理の本体とされるものの形式化された要約──を置くのである。」(5ページ)
(合理主義の政治は)「完全性の政治、そして画一性の政治である。」「彼の組立の中には、「その状況の下でもっともましなもの」の一つが占めるべき場所はなく、「最善」のための場所のみがある。」「つまり、状況というものを認めない組立には、多様性のための場所もありえないのである。」(6~7ページ)
「合理主義者は道徳において、相続した無知を捨て去ることから始め、この空の精神の何もない空白を、自分の個人的経験から抽象し人類共通の「理性」によって是認されると彼が信じるあれこれの確実な知によって埋めることをめざす。彼はこれらの原理を議論によって擁護し、それらは(道徳的には貧弱ではあるが)整合的な信条を構成するだろう。しかし彼にとって人生の行態が、がたがた変わる連続性のない事象、ひっきりなしの問題解決、次々起こる危機の克服、となることは避けられない。合理主義者の政治と同じく合理主義者の道徳(これが前者と切り離せないのは当然だが)は、自作の人間の道徳、自作の社会の道徳であり、それは、他の諸民族が「偶像崇拝」と考えたものなのである。」(36ページ)

・オークショットの論文ではしばしば詩人がたとえに取り上げられる。果たして、詩人は、まず心の中に“真なる”感情とか理想とかがあって、それを言葉へ翻訳・写像しているのだろうか?→このように単純化された二元的認識論の誤謬をオークショットは指摘する。言葉に出すという営みそのものが内なるものをそのつど掴んでいこうという努力の繰り返しであり、その意味で詩人の心の動きも語りも振舞いもすべて一体のものである。従って、心の中に秘められた“理念”を翻訳=抽象化するという思考モデルは本来的にあり得ない(「バベルの塔」「人類の会話における詩の言葉」)。

・何か抽象化されたゴールがあって、人間はそこに向かってすすんでいくという考え方→しかし、我々は活動する中でこそ何をなすべきなのか考えつつあるのであって、アプリオリに設定された目的などあり得ない(「合理的行動」)。

・レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』は以前にこちらで取り上げたことがあるが、要するに、人間の情念が「虚栄心」として暴走する可能性→「死の恐怖」が「虚栄心」をくじいて人間を理性に立ち返らせる→他者との共存を図る社会契約、という捉え方をしている。オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」もこうした捉え方をおおむね受け入れつつも、では、この社会契約の最初の履行者は、ひょっとしたら裏切られて馬鹿を見るかもしれない可能性をどうやってクリアしたのか?という論点を提起する。ホッブズの著作から確証が得られるわけではないが、この社会契約の最初の履行者は、自分が馬鹿を見ても構わないと考える「誇り」の人だったのではないか、と問いかける。ちなみに、「虚栄心」も「誇り」も英語ではprideである。

 なお、政治思想としての保守主義の古典、エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』は以前にこちらで取り上げたことがある。

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2009年12月12日 (土)

ジョン・グレイ『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』

ジョン・グレイ(松野弘監訳)『自由主義の二つの顔──価値多元主義と共生の政治哲学』(ミネルヴァ書房、2006年)

・異なる価値観の共存を図るという意味でのリベラリズムには二つのタイプがある。
①理性的な合意形成を通して“普遍性”の実現を目指す“寛容”。
②それぞれの価値観の共約不可能性を前提とした価値多元主義→相互理解がなくても利害関係の妥協によって結ばれた“暫定協定”による共存。本書は②の立場。

「自由主義には二つの哲学が含まれている。一方の哲学においては、寛容が真理へと至る手段として正当化される。この見解では、寛容は理性的合意の道具であり、生の様式の多様性というものも、最終的には消え去るであろうという確信の下で認められている。他方の哲学においては、寛容は平和の条件として重んじられ、互いに異なった生の様式は、善き生における多様性の特徴として歓迎されている。前者の概念では価値に関する最終的な収斂という理念が支持されており、後者においては「暫定協定」の理念が支持されている。」(167ページ)

・異なる価値観が構想する中での妥協は個別具体的な場面でなされるものである。対立抗争のあり様が変転する中、そのつどそのつど解決を図っていくわけだが、それは政治の問題である。超歴史的な“普遍的価値観”に基づく原理原則に解決法を求めることなどできない。抗争しあう価値観→政治的な妥協による調整=“暫定協定”によって共存→調整は国家の役割→ネオ・ホッブズ主義。
・「重要なのは、諸価値間の抗争をどれほど交渉可能なものにしたか、なのである。あらゆるレジームにとって正当性の試金石となるのは、諸価値間での──対抗的な正義の理念も含めた──抗争の調停を成功させることなのである。」(206ページ)
・「あらゆる歴史上の状況に適用できるような正当な政治レジームの基準を希求することは無益である。善や悪のなかには属性として人間的なものもある。しかし、人間の歴史の諸状況は、普遍的な諸価値を政治的正当性についての普遍的な理論へと翻訳するには余りにも複雑、かつ、流動的である。」「この点で、政治哲学は不可避的に歴史に拘束を受けるものなのである。」(168ページ)
・「無秩序は、正義が強制という人工物であるという事実を明らかにする。無秩序が存在するところでは、いかなる権利も存在しない。」「正義と権利はつまるとこり、力によって裏づけられた慣習なのである。」「人権擁護の第一の条件は、効果的な近代国家である。強制力なくしてはいかなる権利も存在せず、いかなる種類の快適な生活も不可能なのである。」(204~205ページ)
・「…「暫定協定」は政治的な企図なのであり、道徳的な理念ではない。妥協を万人が従うべき理想として説いたりはしない。」「「暫定協定」の追求は何らかの種類の超越的な価値を求めるものではない。対抗的な価値の主張が調停されうるような共通の制度へのコミットメントなのである。」「ホッブズ的な国家は個人の信念に至るまで無関心という徹底的な寛容を広げるのである。ホッブズはそれゆえに、「暫定協定」を中核とする自由主義思想の伝統の元祖なのである。」(36~37ページ)
・「宗教的であれ政治的であれ、強固に普遍主義的な道徳は幻想であるということが、価値多元主義の意味するすべてである。」(209ページ)
・「政治哲学において、恒久的な真理はほとんど存在しない。」「政治哲学の目的は、より幻想の少ない実践へと回帰することである。我々にとってこれは、正義、および、権利の諸理論が政治のアイロニーと悲劇から救い出してくれるという幻想を放棄することを意味する。」(214ページ)

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2009年12月11日 (金)

フリードリヒ・A・ハイエク『隷従への道』

フリードリヒ・A・ハイエク(一谷藤一郎・一谷映理子訳)『隷従への道』(改版、東京創元社、1992年)

 ドラッカー『「経済人」の終わり』は第二次世界大戦直前に書かれたファシズム批判の書だが、先日これを読んでいたら(→こちら)、ハイエクと同じような考え方が示されていたので、久しぶりに『隷従への道』を再読した。読み直してみて初めて気付いたのだが、本書中でもドラッカーが時折引用されている。

 ハイエクの議論の前提には、一人一人の個人としての尊厳への揺るぎない確信がある。すなわち、「独立、自助、すすんで危険を負担しようとする気風、多数と対立する自分自身の信念を曲げぬこと、自発的に隣人と協力しようとする気持などは、個人主義社会の運営が基調とするものである」。対して、集産主義(社会主義やナチスなど個人よりも全体を優先させる体制)は「それらの美点を破壊して、その空虚をただ服従の要請と集団的に善と決められるものを行うことを個人に強制することによって満たそうとするのである」(268ページ)。

 合理的な“理性”によって目的設定・組織化を行なう計画化の問題点に議論の焦点が合わされる。計画というのは社会の隅々まで整合的でなければ成り立たない。ところが、近代社会の複雑さに一貫した計画を押し付けようとするとあちこちで無理が生ずるばかりか、その無理を押さえつけようと権力が発動されて個人は抑圧され、計画を策定する者が独裁者になってしまう。彼は経済面ばかりでなく、一人一人の価値観、生き方まで統制しようと図る。「…社会を計画化することを最も熱望する人々は、彼らがそうすることを許されるときには、最も危険な人物となり──そして他人の計画化に対しては最も狭量な人物となる。聖者のような単純な理想主義者と狂信者とはほんの紙一重の差である」(71ページ)。

 本書の論旨は明快で、次の問いに集約される。

「すなわちこの目的のためには強制権をもっているものが、各個人の知識と創意に最大な活動の余地を与えて、彼らが最もうまく計画化できるような状態をつくり出すところに、一般的にとどまることがよりよいかどうか、あるいは諸資源の合理的利用はある意識的につくられた「青写真」にしたがって、すべての活動を中央が指導し、組織化することを要するかどうか、ということになる。」自由主義者による「計画化への反対を、独断的な自由放任主義的態度と混同してはならない。人間の努力を統合する手段として競争の力を最大限に利用することを認める自由主義論は、事柄をあるがままに放っておこうとするものではない。自由主義論は競争が有効に行われるときには、他のいかなるものよりも個人の努力をよく指導するという信念を基礎としているのである。それは競争が有利に行われるためには、慎重に考えつくされた法的構造が必要であること、ならびに現行の法規も過去の法規も重大な欠点をもっていないものはないことを否定しないで、むしろ力説さえするのである。」(48~49ページ)

 誰からも理不尽な支配を受けたくないという人間として自然な感覚が基本である。ボルシェヴィズムやファシズムなど全体主義が台頭するのを目の当たりにしていたというリアリティーがハイエクにはあり、その意味で問題意識は痛切なものであった。“自由”を強調するにしても、目線がどこにあるかによって議論の質は大きく異なってくる。例えば、経済競争力強化の手段としての市場原理→自由化という国家単位の思惑の中でハイエクを援用する議論も見受けられる。しかし、ロジックの形式的なあり方は同じであっても、国家の経済活性化という上から目線による目的に向けて個人をコマとして位置付けている点では、実はハイエクとは議論の出発点が相違するように思われる。あるいは、法も国家もすべてなくしてしまえば「神の見えざる手」でうまくいくんだという極論すらあるが、これは単に思慮がないというだけの話である。

「自由主義の基本原理は、それを一定不変の教義とするようなものを何も含んでいない。そして決定的に厳重な規則もない。事象の秩序付けに際し、社会の自発的な力をできるだけ多く利用し、強制に訴えることをできるだけ少なくするという基本原理は、その適用をかぎりなく多様化することができる。特に競争のできるだけ有利に働く体制を慎重につくり出すことと、あるがままの制度を受動的に受け入れることとの間には非常な違いがある。ある大ざっぱな規則、特に自由放任の原則に関して、一部の自由主義者が行った頑迷な主張ほど、自由主義を傷つけたものはおそらくないだろう。」(24ページ)

 出発点は個人であり、その創意工夫をいかに自由に発現させるか。そして分業のシステムが張り巡らされた複雑な近代社会において、その調整をいかに進めていくか。独裁者に全権を委ねると場当たり的で恣意的な権力を振るいかねない。調整役には“競争”が最適である。競争には多くの人々の思惑が絡まるが、それらのせめぎあいの中から一定の落としどころが見出される(→いわゆる“自生的秩序”の議論につながる)。それは具体的な誰の意志でもない、その意味で非人格的な性格を帯びる。「競争と正義は共通なものをほとんど何ももっていないけれども、人を不当に差別扱いするものでないという点において、競争は正義と同じような美点をもっている」(132ページ)。そして、競争のルールを監督する公正な裁定者としての役割は国家に期待される。

「国家は一般的な状態に適用される規則を制定するにとどめ、時と所の事情に依存する、あらゆる事柄の自由を個人に認むべきである。というのは、個々の場合に関係のある個人のみがこのような事柄を知りつくし、その行動をその事柄に適応させることができるからである。個人が計画をたてる際に、彼らの知識を有効に利用することができるとすれば、個人はこれらの計画に影響をおよぼす国家の行動を予言することができなくてはならない。しかし、国家の行動が予言可能なものであるためには、国家の行動は、予言することも、前もって考慮に入れることもできない具体的な事情と無関係に定められた規則によって決められなければならない。」(98ページ)

 個人対個人のぶつかりあいを競争というシステムによって調整していく、そうした形で個人の自由と社会全体の秩序を両立させようとした思想として捉えることができるように思う。そうしたならば、例えば貧富の格差が一人の努力では回復不可能なほど広がってしまった場合、彼らを競争のフィールドに復帰させるという趣旨で国家による救済措置が図られたとしても、それはハイエクのロジックに十分収まるのではないか(ただし、救済措置そのものが常態化→特権享受者の出現という問題が常に考慮されねばならないが)

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2009年12月 9日 (水)

ピーター・F・ドラッカー『「経済人」の終わり』『産業人の未来』『傍観者の時代』『知の巨人ドラッカー自伝』

 正直なところ、ビジネス書の類いは私の肌に全く合わない。マネジメント論の神様とも言うべきピーター・F・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909~2005年)も食わず嫌いだったが、その印象が変わったのは2005年に日本経済新聞で連載された「私の履歴書」を読んだときだった。この連載は『知の巨人ドラッカー自伝』(日経ビジネス人文庫、2009年)としてまとめられている。

 ドラッカーはハプスブルク帝国の末期、ウィーンで政府高官の息子として生まれた。若き日々に何らかの形で出会った人々の中にはジグムント・フロイト、トーマス・マン、ヨゼフ・シュンペーター、フリードリッヒ・ハイエク、トマーシュ・マサリク、カール・ポランニーなど錚々たる顔触れが並ぶ。ドラッカーの業績がどのようなものかという以前に、こうした知的雰囲気に育ったのは一体どんな人なのだろうという関心が先に立った。

 『傍観者の時代』(ドラッカー名著集12、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2008年)は、ウィーンでの若き日々に薫陶を受けた人々、第二次世界大戦勃発まで歩き回ったヨーロッパでの出会い、移住先アメリカの学者や経営者たち──ドラッカーの歩みの中で出会った有名無名様々な人々の思い出をつづっている。当時の時代的雰囲気がうかがわれるだけでなく、人物描写が生き生きとしているので読み物としても面白い(なお、ポランニー兄弟のうち、経済人類学者のカール、『暗黙知の次元』で知られた科学哲学者マイケルは有名だが、長兄のオットーはイタリアで実業家となってムッソリーニに影響を与えたこと、姉のモウジーは農村社会学に取り組んでいたことは初めて知った)。

 ドラッカーはドイツで新聞記者として出発。ちょうどナチス台頭の時期にあたり、取材活動の中でヒトラーやゲッベルスにインタビューしたこともあったという。1939年にアメリカへ移住。戦後、コンサルタントとしてGMの調査を請け負ったことをきっかけとしてマネジメント論を展開する。当時はまだ経営学というジャンルは確立されておらず、企業のビジネス活動が対象ではあっても数式を使っていないので経済学とはみなされず、かと言って行政学・政治学とも違うという中途半端な立場だったらしい。

 マネジメント論で著名となるドラッカーだが、戦争中にデビュー作として刊行した1939年の『「経済人」の終わり』(ドラッカー名著集9、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2007年)、1941年の『産業人の未来』(ドラッカー名著集10、上田惇夫訳、ダイヤモンド社、2008年)とも、いずれも政治的テーマの論文であったというのが興味深い。

 彼は理性万能主義に対する懐疑としてのリベラルな保守主義に立脚し、この立場から全体主義を批判する姿勢を上掲の二冊を通して明確に打ち出した。また、彼は社会的関係の中で自らの役割を求める存在として人間を捉える(こうしたテーマを現代社会で身近な企業組織のあり方として論じていくのが、実は経営学の勘所であろう)。一人一人の個人としての役割を考えてみるとき、自らの責任によって意思決定を行なうという、そもそも“自由”なる概念の本質は閑却できないわけで、社会的な関係性の中でもそれは決して従属的なものではあり得ない。こうした考え方が、さらに分権化、民営化というテーマにもつながっていく。

 『「経済人」の終わり』は、「経済人」モデルの行き詰まりがナチスを招き寄せたという論点を提示する。経済発展を通して個人の自由と平等を実現し、その個人は経済関係を通して社会的な位置を占める。こうした個人モデル=「経済人」を前提とした資本主義は、社会的不平等が広がっても、いつかは個人の自由や平等が実現されるはずだという期待があってはじめて成り立っていた。社会全体が生活水準の向上を実感しているうちは良かったが、やがて破綻、しかし社会的格差は拡大を続ける。人々は幻滅し、そうした反発を吸い寄せたのが、脱経済至上主義的なファシズムであったとされる。ナチスは「英雄人」という役割を社会のすべての構成員に割り振るが、それは軍国主義的なものであった。こうした形で資本主義の行き詰まりを防げなかった以上、現在の経済社会の基礎を前提としつつも、自由と平等を保証できる新たな脱経済至上主義的な方向を模索しなければならないという問題意識を示した。

 『産業人の未来』は、以上の問いを受けて、自らの社会的役割を求める個人が集まった社会として有効に機能させるために産業社会の構築という考え方を示し、とりわけアメリカで見出した株式会社という組織に注目する。ブルジョワ資本主義も、マルクス社会主義も、財産の所有に社会的権力の裏付けを求める点では同じであり、誰が所有するのかが違うというに過ぎなかった。資本主義社会において株式会社は株主の所有物である。ところが、バーリ=ミーンズの議論が示すように、所有と経営の分離が実際には進行しており、株式会社自体が自律的な組織として成立している(ゴーイング・コンサーン)。株式会社がいわば社会学的な中間団体となり、その中で経営者と労働者が役割分担をしていく(それを円滑に進めるためにマネジメント論が要請された)。役割分担がうまくいってはじめて社会は有機的に機能する。個人がバラバラのままだったら、政治権力が直接統合に乗り出して奴隷制を作り出してしまう。ドラッカーはこうした社会的“自治”の観点から株式会社組織を捉えていたと言える。

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2009年12月 8日 (火)

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

オルテガ・イ・ガセット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫、1995年)

 学生のときから何度か読み返してきた本。あちこち書き込みがあったり、手垢で茶色くなったり、もうヨレヨレだな。“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”という対比は時に誤解を招きやすいが、これは現実の社会階級を指すのではなく、一人一人の生き方の問題、精神的な態度の問題であることを前提としておさえておかないと全体の論旨を捉えそこねてしまうので要注意。

・“大衆”と“高貴な者”、“選ばれた者”。

「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」「選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである。」人間の二つのタイプ→「第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。」(17~18ページ)
「なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいとして受け入れる人は、高貴なる人である。」(95ページ)

・大衆は“凡俗”であることを恥じ入るのではなく、“凡俗”であることを正当だと開き直る。ネットという媒体が普及して、誰でもその時の思いつきで無責任に書き散らかすことができるようになって、以下の傾向はますます強まっているな。

「…今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。わたしは、多数者が今日ほど直接的に支配権をふるうにいたった時代は、歴史上にかつてなかったのではないかと思う。」「…今日の著述家は、自分が長年にわたって研究してきたテーマについて論文を書こうとしてペンをとる時には、そうした問題に一度も関心を持ったことのない凡庸な読者がもしその論文を読むとすれば、それは論文から何かを学ぼうという目的からではなく、実はまったくその逆に、自分がもっている平俗な知識と一致しない場合にその論文を断罪せんがために読むのだということを銘記すべきである。」…「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。」(21~22ページ)

・いまここに厳然としてある自分はどうやっても他の存在にはなれない。どんな壁が立ちはだかったとしても、自分の負っている一切を引き受けた上で(ニーチェ風に言うと「運命愛」か)、ギリギリまで自己を突き放してひたむきにぶつかっていくこと。

「生は自己の世界を選ぶことはできない。生きるということは、一つの特定の交換不可能な世界、つまり現在のこの世界の中に自己を見出すことである。われわれの世界は、われわれの生を構成する宿命の広がりなのである。しかし、この生の宿命は、機械的なそれとは異なったものである。われわれは、軌道があらかじめ完全に決定されている鉄砲玉のように、存在の世界に撃ち出されたのではない。われわれがこの世界──世界はつねにこの世界、現在のこの世界である──に落ち込むことによってはまり込む宿命というものは、まさにその逆である。われわれは一つの軌道を課せられるかわりに、いくつもの軌道を与えられ、したがって、選択することを余儀なくされているのである。われわれの生の状況とは、なんと驚くべき状況であろうか。生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである。われわれの決断には、一瞬たりとも休むことが許されていない。したがって、われわれが絶望のあまり、ただなるがままにまかせる時でさえ、われわれは決断しないことを決断したといえるのである。」(65ページ)
「生とは有為転変である。生とは、文字通りドラマなのである。」(110ページ)
「生というものは、われわれがその生の行為を不可避的に自然な行為と感じうる時に初めて真なのである。」「不可避的な場面から成り立っている生以外に、自己の根を持った生、つまり真正な生はない。」(260ページ)

・技術的にも、経済的にも、社会的にも、近代文明はあらゆる可能性を広げた。それを先人が今まで孜々として作り上げてきた努力へは敬意が払われてしかるべきだが、大衆=平均人はそうしたことに何ら顧慮することなく空気のように当然だと思い、その文明の成果を使うにやりたい放題。人は限界にぶつかり、その限界を克服しようという努力の中で自身の何たるかをつかみとっていくものだが、対して凡庸人は、限界を知らないから無責任に気まぐれをやりちらかす。凡庸人の自己充足的な思い上がり→「慢心しきったお坊ちゃん」の時代。

・科学の細分化→科学者は自分の専門分野については詳しいが、他分野には関心がない。それでも自分は学者であるという自意識→自分の知らない分野にも発言しようとする思い上がり。「今日、かつてないほど多くの「学者」がいるにもかかわらず、たとえば一七五〇年ごろよりもはるかに「教養人」が少ない。」(161ページ)
(※科学の細分化→全体を見渡す智慧がない→現代の核開発や環境問題などのように科学技術の成果としてもたらされた不安定性、という論点へと進めれば、ウルリヒ・ベックやアンソニー・ギデンズたちのリスク社会論にもつながる)

・オルテガなりの「生の哲学」的観点から「国民国家」を把握。所与の条件で拘束された共同体ではなく、目標があるからこそ集まった人々による協働事業。エルネスト・ルナンの表現を援用すれば、それは未来へ向けた日々の人民投票である。

「国家というものは、出生を異にするもろもろの集団が共存を強制される時に初めて生まれるものである。この強制は、むき出しの暴力ではなく、ばらばらの集団に提示された一つの共通の課題、一つの督促的な計画を前提としたものである。国家とは何よりもまず一つの行為の計画であり、協同作業のプログラムなのである。人々が呼び集められるのは、一緒に何かをなさんがためである。国家とは、血縁関係でもなければ、言語的統一体でも領土的統一体でもなく、住居の隣接関係でもない。国家とは、物質的で、生気のない、所与の、限定されたものとはおよそ正反対のものである。それはダイナミズムそのもの──共同で何かをなそうとする意志──であり、ゆえに国家という観念は、いかなる物理的条件の制約ももっていないのである。」「国家は一つの事物ではなく、運動である。国家は、つねに…から来て…へ向かって行くものである。国家はすべての運動がそうであるように、起点(terminus a quo)と目標(terminus ad quem)をもっている。」(233ページ)
「共通の血、言語および過去は静的で、宿命的で、硬化した無気力な原理であり、牢獄である。もし国民国家がそれらのみに存するとすれば、国民国家とはわれわれの背後にあるものであって、われわれとしてはなすべきことは何もないだろう。つまり、国民国家とはかくあるものであって、かく形成するものではなくなってしまうだろう。」「人間の生は、望むと望まざるとにかかわらず、つねに未来の何かに従事しているのである。われわれは今の瞬間にありながらそこから来るべき瞬間に気を配るのである。だからこそ、生きるということは、つねに休むことも憩うこともない行為である。なぜ人々は、あらゆる行為は、一つの未来の実現であることに気づかなかったのだろうか。」(247ページ)
「国民国家はけっして完結することはない」。「国民国家はつねに形成の途上にあるか、あるいは崩壊の途上にあるかのいずれかであり、第三の可能性は与えられていない」。「その国家がその時々において生き生きとした企てを象徴するか否かによって、支持を獲得しゆくかあるいは支持を失っていくかのいずれかなのである。」(251~252ページ)

(※思いっきり蛇足になるが、『坂の上の雲』の時代というのはこんな感じだったんだろうな)

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2009年12月 7日 (月)

西水美恵子『国をつくるという仕事』、東大作『平和構築──アフガン、東ティモールの現場から』

 西水美恵子『国をつくるという仕事』(英治出版、2009年)の著者は元世界銀行のエコノミストで主に南アジアを担当、副総裁も経験した。貧困の現場を自ら歩いてまわり、可能な場合には農村にホームステイして一緒に働き、あるいは政治指導者と困難な政治交渉を進めたり、そのようにして出会った人々のこと、そして出会いを通して考えたことをつづっている。国際法上、世界銀行の株主は加盟国の国民とされているという。この大前提から発展途上国が必要とする事業に融資するのが仕事である。世銀にしてもIMFにしても、欧米発の“グローバル・スタンダード”押し付けという悪評をよく耳にするが、著者は現地で実地に活動する人々から智慧を借りるのだという姿勢を繰り返し強調している。いくらインフラが物理的に整備されても、汚職が蔓延していたら有効に機能しない。どんなに働いても特権階層に搾り取られてしまうだけなら、働くインセンティヴなど消え失せてしまう。結局、貧困解消の問題はガバナンスの問題に行き着く。そして、ガバナンスはリーダーシップによって左右される。例えば、パキスタンのムシャラフ前大統領はクーデターをおこした軍人として海外での評判は芳しくなかったが、民主主義とは名ばかりで政党政治を私物化するブット、シャリフ両家の政争に堕したバッド・ガバナンスを目の当たりにしていた著者は、(最初は警戒していたものの)ムシャラフの改革志向の生真面目さにはむしろ好感を抱いていた。とりわけ、ブータンの雷龍王四世の謙虚さにはいたく敬服している様子である。

 ついでながら、以前、辺境のガンディーことアブドゥル・ガファル・カーンを取り上げたが(→こちら)、彼の名前を初めて知ったのも二、三年ほど前に日本経済新聞に掲載された西水さんのエッセイだった。アフガニスタン滞在中に彼のことを聞いたらしい。

 内戦で崩壊した政府を再建するにあたり、その根拠として国際管理下で選挙が実施される。しかし、民族対立、腐敗構造、貧困など阻害要因をそのままにして選挙だけ実施してもガバナンスがうまくいかないことはよく指摘されている(例えば、Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places, HarperCollins, 2009を以前に取り上げた→こちら)。

 東大作『平和構築──アフガン、東ティモールの現場から』(岩波新書、2009年)は、新政府確立において前提となる“正統性=レジティマシー”(Legitimacy)をいかに形成するのかという問題意識を示す。新たにルールや制度をつくる場合、それに人々が従う動機として、①軍事・警察力による強制、②利害計算と共に③レジティマシーを挙げている。「レジティマシーとは、人々にルールや、そのルールを作り出す組織に従うことを動機づける内的な力である。レジティマシーがあると感じるとき、人々は強制ではなく、自主的にそうしたルールに従う」という。例えば、選挙に敗れても野党としての立場を受け入れるのは選挙についてのレジティマシーがその社会に行き渡っているからである。平和構築のプロセスにおいては、①国連など公正な第三者の関与、②反政府勢力を含め広範な勢力を政治過程に参加させる、③現地の人々の主体的な参加、④経済的・社会的状況の改善(平和の配当)によって生活の安定化、⑤軍事力をどのように使うのかという問題、などが見出せる。これらの要因を踏まえて、当事者全体がルールを受け入れるプロセスが繰り返されて、ようやくレジティマシーが確立される。こうした問題意識を踏まえたケース・スタディとしてアフガニスタン、東ティモールでの現地調査を行なっている。

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2009年12月 3日 (木)

「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」

 見逃していたNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」が今週深夜に再放送されていたので見た。細川政権が成立したのはちょうど私が大学に入って間もない頃だった。その頃から政局話は結構好きでこまかにチェックしていたので、一種のなつかしさもある。

 色々なキーパーソンがインタビューを受けているが、全体的に言って小沢一郎が主役となっている。第1回「1993~1995 “政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏」。力技で細川護熙政権を成立させた小沢だが、反自民以外には何の共通点もない各勢力をまとめ上げることができずに崩壊、今度は反小沢というモメントが働いて自社さの村山富市政権が成立。第2回「1996~2000 漂流5年 “数”をめぐる攻防」。与党であり続けることにこだわる自民党の強烈な執念を体現した野中広務は小沢、公明党、加藤の乱と熾烈な駆け引きをくぐりながら与党の座を守り抜く。第3回「2001~2009 小泉そして小沢 “民意”をめぐる攻防」。自民党の内部から最も自民党らしからぬ小泉純一郎が登場、選挙を意識した参院自民党は取り込まれ、野中は抵抗勢力として蹴落とされ、野党・民主党は“改革”合戦で遅れをとってしまう。この異様な小泉旋風が吹き荒れる中、再び下野して民主党入りしていた小沢は組織固めに専念していた。

 安定的ではあったが経年劣化著しい自民党システム。小沢その他の撹乱要因が相俟って過半数を割り込み、選挙が危ないという危機感から支持を集めた小泉は自民党を決定的に変質させた。過半数というルールそのものに特別な根拠はない。ただし、具体的な誰かの恣意は働いていないところにルールの意義がある。きっかけは誰かの発意であっても、それに反応した人々それぞれに思惑があったとしても(利害でも怨念でも)、さらには偶然的な要因も複雑に絡まりあってルールに参加する者同士のせめぎ合い、すなわち権力闘争が激化していった。過半数確保というルールに従う限り必然的に妥協や取引が行なわれ、時にはだまし討ちや裏切りもある。しかし、それらの力学が合わさると誰にとっても意図した展開にはならないという意味で、ある種の非人格的なダイナミズムが生み出される。その結果として、当事者の思惑とは関係ないレベルで政局が大きく変動していく様子が見えてきた点で私にはこの番組は面白かった。

 “数合せ”というと一般に評判は悪い。しかし、たとえ“数合せ”であっても惰性的な停滞の中からダイナミズムのきっかけを作り得るところに議会制民主主義の面白さがあり、長所がある。どの勢力が過半数をとって政権をにぎるかという点が問題なのであり、政策理念はその副次的な手段に過ぎない。政策理念初めにありきではなく、そんなものは所詮建前のフィクションに過ぎないわけで、むしろ一定の勢力をかき集める旗印として“政策理念”なるものは機能すると捉えることができる。その点で“政治改革”なる抽象語は便利だったし、“郵政民営化”なるスローガンはその意味するところを知らない人々に対してもアピールできたわけである。変化の可能性(それがどのような方向に向かうかはともかく)を常に内在させているところに議会制民主主義の長所があるという意味で、小沢が政権交代可能な対抗勢力を模索してきたことは、それがたとえ泥臭く見えたとしても正当に評価すべきだろう。

 民主党の政策はもともと新自由主義的であったが、小泉と“改革”を競い合って負けた、そこで小沢は対立軸を変えることで反小泉改革の票を集めようとした、という趣旨の話が番組中にあった。政策理念の変更は一般に裏切りと受け止められ、評判は悪い。しかし、対立軸を変えることで“数”のモメントを引き寄せようとする努力は議会のダイナミズムを作り出す上ではむしろ有効である。選挙を通した民意の反映とは言っても、選挙という儀式を通してコンセンサスを仮構して現行体制に正当性の根拠を賦与するフィクションに過ぎない。受け皿が二つ以上あって、政策理念をいつでも入れ替えできるようにしてあれば議会制度のダイナミズムは十分に機能する。例えば、1930年代までアメリカの民主党は共和党よりも保守的とされていたが、フランクリン・D・ローズヴェルトのニューディール連合によってイメージを逆転させたことはよく知られている。政策の対立軸をはっきり打ち出すことで有権者に選択肢を示すべきだという考え方に私ももちろん賛成だが、それ以上に、敢えて違う主張をすること自体に意味がある。似たような政策理念ではダイナミズムが働かないからだ。次は、民主党がちょんぼしたときに備えて、自民党がしっかりと党勢を立て直しておくことが望まれる。

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2009年10月25日 (日)

山岡淳一郎『田中角栄 封じられた資源戦略──石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』

山岡淳一郎『田中角栄 封じられた資源戦略──石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』(草思社、2009年)

 田中角栄といえば、「日本列島改造論」及びその裏面としての土建屋政治、外交面では日中国交正常化の印象が強い。対して、本書が注目するテーマは資源外交である。若き日の角栄が理化学研究所の大河内正敏と接点があったというのは意外だった。大河内の「農村の機械工業化論」が角栄の「日本列島改造論」の源流となっているらしい。角栄は理研の科学者たちの議論を横目にしながら開発主義的な感覚を身に付けた。本書では、角栄の基本的な発想としての「モノと生活」、それを支えるにエネルギー資源の確保という考え方を縦軸に据え、彼が直面せざるを得なかった国際政治が横軸に据えられる。田中角栄を外交史の観点から捉え返していくのは非常に興味深いテーマだと思う。

 石油をめぐっては親アラブに舵を切った。原子力エネルギーをめぐってはフランス・西ドイツ等のヨーロッパ勢と手を組もうとする。こうした角栄の独自外交はアメリカの癇に障る行動であった。アメリカの政権中枢と直結していた岸信介・佐藤栄作らとは異なり、角栄はキッシンジャーと正面きってわたり合う。しかしながら、資源戦略は安全保障政策と密接な関わりを持つ以上、日本はどうしても難しい立場に置かれてしまう。アメリカ側の反撃に抗しきれず、憔悴していく角栄の姿が痛々しい。アメリカは核不拡散という大義名分を掲げてヨーロッパ勢が行なおうとしていた原子力施設の売込みに抑制をかけようとするが、他方で、それは一部の国への核の集中を意味してしまうという矛盾も指摘される。

 本書とは直接には関係ない話になるが、戦争体験と戦後の高度経済成長との精神史的なつながりを浮き彫りにしてくれるようなテーマはないかという関心がある。もちろん、1940年体制とか、旧満州国における産業政策が戦後に生かされたといった議論はある。そうした政策構想上の連続性にも興味はあるが、もっと精神史的なレベルと言ったらいいのか。例えば、佐野眞一『カリスマ』で示された、不条理を嘗め尽くした戦場体験がダイエー・中内功の原点になったという視点を思い浮かべている。田中角栄も含めて、そういう感じのコンテクストで捉えられるテーマはないものか、と。漠然としたイメージしかないので、どう表現したらいいのか難しいのだが。

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2009年9月 7日 (月)

寺島実郎・飯田哲也・NHK取材班『グリーン・ニューディール──環境投資は世界経済を救えるか』、ヴァン・ジョーンズ『グリーン・ニューディール──グリーンカラー・ジョブが環境と経済を救う』

寺島実郎・飯田哲也・NHK取材班『グリーン・ニューディール──環境投資は世界経済を救えるか』(NHK出版生活人新書、2009年)

・NHKの番組で取り上げられたテーマをまとめた内容。特にアメリカでの取り組みを紹介。
・太陽光発電、風力発電、電気自動車など化石燃料に頼らない技術を紹介。自然エネルギーによる電力供給は小規模・分散型で不安定だが、IT技術によって発電量を把握・コントロールするスマート・グリッドが注目される。
・ブッシュ政権は京都議定書から離脱。しかし、州レベルでは環境政策への取り組みがあり、そうした動きをオバマ政権は取り込んだ。オバマ政権は、化石燃料依存から脱却するエネルギー構造転換への投資を雇用創出(例えば、戸別にソーラー・パネル設置・メンテナンス、風力・潮力発電所の建設、断熱化工事など)に結び付けるグリーン・エコノミー政策を推進。
・産業政策と環境政策とでは意見がぶつかりやすいが、その両立を目指す。

ヴァン・ジョーンズ(土方奈美訳)『グリーン・ニューディール──グリーンカラー・ジョブが環境と経済を救う』(東洋経済新報社、2009年)

・著者のヴァン・ジョーンズの名前は上掲NHK取材班の本にも出てくるが、アメリカの著名な社会活動家。オバマ政権のアドバイザーとしてホワイトハウス入りしたらしい。
・本書の主張の一番の特色は、エコの不平等、環境による人種差別という問題意識だろう。劣悪な居住環境、ジャンクフード等による不健康、ハリケーン・カトリーナの被害は黒人や貧困層に集中した。従来の環境運動は富裕層の余暇活動的な側面があった。彼らは生活に困っていないので、熱帯雨林の消滅やホッキョクグマの溺死など外の地球環境問題に関心を寄せる余裕がある。身近な環境問題にも目を向けて、一般の人々全体の生活水準を高めるため、エコ・エリート主義を超えてエコ・ポピュリズムへという問題意識。ただし、両者を対立関係で捉えるのではなく、立場の異なる者同士が協力すべきという視点。マイノリティーや貧困層もグリーンカラー・エコノミーの運動に巻き込んでいく必要を主張。環境政策+経済政策+社会政策というトータルな視点。
・生活に直結する環境問題→エネルギーだけでなく、食物、水、ゴミ、輸送インフラなど様々な問題。
・グリーン投資によって創出される雇用:グリーン・ジョブ→職業訓練→貧困層の生活上の自立につなげる。
・フランクリン・ローズヴェルト政権がニューディールで経済危機を切り抜けたように、グリーンカラー・エコノミー政策でも整合性のとれた包括的プログラムによって官民ともに社会全体で問題解決を図る→政府のリーダーシップが必要。

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2009年8月30日 (日)

ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚』『代議士の誕生』

ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚──日本と暮らして四五年』(日経BP社、2008年)。

 1960年代、語学留学で東京へ来て以来、日本と付き合い続けながら感じたこと、考えたことを振り返る。西荻窪に下宿、もともと魚介類は好きではなかったが、大衆食堂で食べた鯖や秋刀魚が舌に馴染んだという味わい深いエピソードでつづられる出だしがなかなか良い感じだ。社会科学者としての視点から日本社会の価値観の変化という現実に政治が対応できていないことを指摘する一方で、来日したばかりの頃に知った親切で穏やかな日本への愛惜の念も時折ほのかににじむ。地域研究というのはこういうウェットな感性があってはじめて成り立つものだとつくづく感じる。

 “ドブ板”で選挙民のニーズに敏感な党人派と政策立案に長けた官僚派が互いに協力・牽制しあいながら調整のバランスをとってきたことが自民党政治成功の要因だが、こうした調整メカニズムが機能不全に陥っている、日本独自の政党政治の伝統を生かしながらいかに「説得する政治」を構築できるかが課題だと指摘する。自分には不合理で理解できないことであっても、それを安易に文化論に結び付けて逃げてしまうのは良くないという指摘も大切なことだと思う。

 ジェラルド・カーティス『代議士の誕生──日本式選挙運動の研究』(山岡清二訳、サイマル出版会、改版1979年)はもはや日本の政治文化論として古典。自民党新人代議士の選挙運動に密着して、文化人類学的なフィールドワークによって日本の“草の根”政治の分析を試みた博士論文である。本書で分析されている後援会や地方政治家を通した政治家個人への人間関係による集票システムは、『政治と秋刀魚』でも指摘されているように、すでに崩れている。選挙というイベントからは、その社会における人間関係や組織のあり方、それらに通底する価値観が浮かび上がってくる。日本社会の価値観の変化を考える際の参照基準として選挙を位置付けるという観点から読み直してみると、現代なりに面白い論点も浮かび上がってくるのではないか。

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