カテゴリー「映画」の332件の記事

2016年5月 9日 (月)

【映画】「灣生畫家 立石鐵臣」

「灣生畫家 立石鐵臣」

  1941年7月、太平洋戦争の勃発が間近に迫った時期、台北で『民俗台湾』という雑誌が創刊された。1937年には日中戦争が始まって戦時体制が強まりつつあり、台湾では「皇民化運動」が展開されていた。「日本人」として皇国に心身ともに捧げることが当然視された時代状況下、台湾の民俗文化の記録・保存を目的とした雑誌の存在は、それだけでも当局から睨まれてもおかしくなかった。雑誌の刊行を継続することがまずは至上命題。検閲の目を逃れるためには時に国策に迎合する言辞もちりばめなければいけなかったが、いずれにせよ、日本人であるか台湾人であるかを問わず、台湾の文化や歴史に愛着を持つ人々が手探りしながら協力し合って、このささやかな雑誌は1945年1月号まで続いた。

  『民俗台湾』をひもとくと、「台湾民俗図絵」をはじめとしたイラストがひときわ目を引く。的確に対象を捉えつつ、ぬくもりがあって、時にユーモラスなこれらのカットを描いたのは、台湾生まれの日本人画家・立石鐵臣。台湾生まれの日本人のことを「湾生」という。

  立石鐵臣は1905年、台北に生まれた。父の転勤に伴って日本へ帰国。絵画には早くから興味を持ち、才能を示していた鐵臣は国画会に入選するなど若手画家としてのキャリアを着実に積んでいた。1934年、台湾へ戻る。生まれ故郷・台湾の風光を描きたかったからだ。「ちょっと台湾へ行ってきます」というさり気ない言い方が、いかにも彼のパーソナリティーを彷彿とさせる。

  立石は1934年に台湾人を中心に設立された台陽美術協会の創立メンバーになった。台北放送局に勤務していた兄・立石成孚の家に寄寓し、台北帝国大学の生物学者・素木得一の研究室で標本画を描く仕事をしながら、細密画の描法を自ら会得する。また、台北の文壇で勢力を持っていた作家・西川満に頼まれてイラストや装幀も手掛けるようになり、そうした中で後の『民俗台湾』同人たちとも知り合った。

  1945年、日本の敗戦により、台湾は中華民国に接収された。日本人は原則的に日本へ送還されることになっていたが、特殊技能を持つ日本人はしばらく留め置かれた。これを「留用」という。立石も「留用」されて台湾省編訳館に勤務する。ここでは日本統治時代に蓄積された学術的成果を整理・翻訳する作業が行われていた。編訳館には魯迅の親友だった許壽裳など日本留学経験のある開明的な中国知識人が派遣されてきており、彼らは「留用」された日本人にも誠意をもって接してくれたという。私個人としては、こうした形で日本人、台湾人、中国人が協力し合う時期が束の間なりともあったということに関心が引かれているが、1947年の二二八事件等によって時代状況は瞬く間に険悪化していく。編訳館は閉鎖され、許壽裳は暗殺されてしまった。編訳館の閉鎖後、鐵臣は「留用」された日本人の子弟が預けられていた小学校の教員をして、生徒から慕われていたらしい。1948年、最後の引揚船に乗って基隆を離れるとき、埠頭には見送りの台湾人がたくさん集まっていて、「蛍の光」が聞こえてきたという。

  日本へ帰国して以降、彼の画風は抽象的なものになっていく。例えば、眼球が宙に浮いているような「虚空」(1950年)──もともとのタイトルは「孤独」だったという。彼が見ていた心象風景はどのような経過をたどって変化したのだろうか。台湾体験は戦後の彼の軌跡にどのような影響をもたらしたのだろうか──。藤田監督は上映後のスピーチの際、初期の画風と戦後の画風との際立った違いが気にかかり、その中間に位置する台湾時代を探ってみたいと思った、という趣旨のことを語っておられた。立石は自らのことについて直接的に語ることは少なく、絵画を通して語っている。そして、残念ながら、台湾時代に描いた作品の多くは台湾に残してきて、そのまま行方不明になっている。明確な答えはなかなか見えてこないが、むしろ観客一人一人が彼の軌跡がはらんだ意味を考えて行く上で、このドキュメンタリー作品は貴重な手がかりを示してくれている。

  立石が描いた「台湾民俗図絵」のカットは、現在の台湾でも、例えば小物のデザインなど、ふとしたところで見かけることがある。利用した台湾人自身も、その来歴を知らないのかもしれない。また、戦後、日本へ戻った立石は生計を立てるため図鑑や教科書のイラストもたくさん描いており、我々も気づかないところで、実は立石の絵を見ていた可能性は高い。世に知られようと知られまいと、そんなことには頓着せず、立石はとにかく絵を描き続けていた。

  台湾人からすれば、日本統治時代の台湾史は最近まで学校で教えられることがなく、ある意味、足元のことなのに未知の世界も同然であった。また、日本人からすれば、日本統治時代の台湾は、日本と密接な関係があったにもかかわらず、現在は外国であるがゆえになかなか知る機会がなく、これもまた別の意味で未知の世界である。この「湾生画家 立石鐵臣」というドキュメンタリー作品は、日本人の藤田修平監督、台湾人の郭亮吟監督という二人によって共同制作されており、日本人と台湾人、それぞれ異なる探求の視点がうまくかみ合いながら、立石鐵臣という一人の画家を通して日台関係のある一面も見えてくる。私自身も台湾現代史の勉強を続ける上で色々な示唆を受けており、もっと多くの方に観ていただけるよう上映機会が増えることを願いたい。

  作品中には立石鐵臣のご家族や、『民俗台湾』の立役者であった池田敏雄夫人の黄鳳姿さんなどの貴重な証言が含まれている。『民俗台湾』の印刷を請け負っていた、やはり湾生の岡部茂さんや、考古学者の宋文薫さんは今年、惜しくも相次いでお亡くなりになってしまった。謹んでご冥福をお祈りしたい。

  また、5月21日から東京・府中市美術館にて「麗しき故郷「台湾」に捧ぐ──立石鐡臣展」も開催される。
 

(2016年5月7日、「台灣國際紀錄片影展」、台北・光點華山電影にて)

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2016年3月23日 (水)

【映画】「我們的那時此刻」

楊力州監督によるドキュメンタリー《我們的那時此刻》(私たちのあの時・この時)について、別ブログにて(→こちら)。大阪アジアン映画祭でも「あの頃、この時」というタイトルで上映された様子(→こちら)。

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2016年3月22日 (火)

【映画】「リップヴァンウィンクルの花嫁」

【映画】「リップヴァンウィンクルの花嫁」
 岩井俊二監督の新作「リップヴァンウィンクルの花嫁」がなぜか台湾で先行上映されており(日本では3月26日より開映)、長年、岩井作品を見続けてきた者として観に行かないわけにはいかない。いま住んでいる台南では上映していないので、隣の高雄までわざわざ足を運んで観てきた。
 
 派遣教員の仕事をクビになった七海(黒木華)は、SNSで出会った夫との新婚生活も破綻。両親も離婚寸前で、帰るところはない(実家は3・11大地震の被災地であったことがほのめかされる)。仕事も居場所も失って途方に暮れる彼女の前に、やはりSNSで知り合った安室(綾野剛)が現われ、不思議なアルバイトを紹介される。
 
 親戚が少ない婚家が挙式に当たって体面をつくろうため呼ぶサクラのアルバイトを七海はやってみた。かき集められた年齢も違うバイト仲間たちと偽装家族を演じたところ、お互い初対面であるにもかかわらず何となく楽しげ。七海も久しぶりに笑顔を見せる。そうした仮想の家族は、破綻した新婚生活、離婚寸前の両親と対比されると、家族なるものの脆さを強調しているかのようにも見えてくるが、むしろこれは家族という関係性の可変性、代替可能性を示していると捉えられる。バイトで知り合った真白(Cocco)はガンに冒されて死期が迫っていたが、七海はそのことを知らず、彼女と仮想の婚姻を結び、死のその時までずっと寄り添っていた。心中したと勘違いした安室が、屈託なく目を覚ました七海を見て驚くシーンはコミカルだが、愛する者を失って自分ひとり生き残っても自責の念にかられる必要はないというメッセージであろうか。
 
 安室という胡散臭いが、どことなく信頼もできそうな不思議な二面性を持った「何でも屋」のキャラクターが面白い。七海の新婚生活が破綻するよう画策したのは実は安室なのだが、彼女にアルバイトを紹介して助けてやるのもまた彼である。物語を展開させるトリックスターの役回りを果たしているが、彼の意図はよく分からない。いや、そもそも予想外の展開に彼自身驚いている節もあるが、それでも自然に流れのままに泳いでいく。あるいは、不条理な運命そのものを体現しているのか。運命はときに残酷だが、ときに温かく手を差し伸べることもある。ウブで間抜けな七海は、自分を気まぐれに翻弄する不条理に泣きながら、意外と芯の太さも見せ、誠実な態度でしぶとく自分の人生を築き直していく。
 
【データ】
監督・原作・脚本:岩井俊二
2016年/日本/180分
(2016年3月15日、高雄大遠百・威秀影城にて)

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2016年2月 9日 (火)

【映画】「バーバリアンズ──セルビアの若きまなざし」

【映画】「バーバリアンズ──セルビアの若きまなざし」
 セルビアの首都ベオグラード郊外の工場地帯で鬱屈した日々を送る若者たち。そうした一人のルカは学校には行かず、毎日不良仲間とつるんでいる。父は行方をくらませて一家は生活保護を受けている。恋人は地元サッカーチームのスター選手にとられ、仲間とつるんでも気が紛れない。2008年2月、ちょうどコソヴォがセルビアからの独立を宣言した頃で、テレビは連日、関連報道で騒ぎ立てている。
 将来への希望が見いだせず、アモルファスな苛立ちを持て余して、刹那的な行動に身を委ねるしかない。そのはけ口は様々──サッカーを応援するフーリガン、ネット上でのガールハント、そしてコソヴォ独立反対のデモ。暴徒化したデモ隊はアメリカ大使館へ突入したばかりでなく、商店街の略奪まで始まる。ルカが「アメリカ大使館へ行こう」と言うのに対し、仲間は「そんなことより、スニーカーを盗ろうぜ!」という反応。憂さ晴らしの略奪と政治的ナショナリズムとしてのデモ参加とが、彼らにとって鬱屈のはけ口として選択可能な等価値なものであることが示されている。
 デモ隊に参加した若者たちの「コソヴォはセルビアの聖地!」というシュプレヒコールと、サッカーの応援歌は似ている。ルカは元カノには冷たくあしらわれ、父親には見捨てられた。ある事件のためフーリガン仲間から殴られたが、敢えてサッカースタジアムに戻り、自分を殴った仲間たちと一緒に声を張り上げて応援歌を歌うしかない。将来に希望がなく、愛情や友情といった直接的な関係も失って疎外感に苛まされている若者にとって、最後にすがりつけるのは集団行動にしかないということか。こうした描き方は、やり場のない苛立ちや疎外感がナショナリズムを形成していく過程を浮き彫りにしているように見える。
【データ】
原題:Varvali(Barbarians)
監督・脚本:イヴァン・イキッチ
2014年/セルビア、モンテネグロ、スロヴァニア/87分
(2016年1月8日、渋谷・シアターイメージフォーラムにて)

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2016年2月 8日 (月)

【映画】「不屈の男──アンブロークン」

【映画】「不屈の男──アンブロークン」
 主人公のルイ・ザンペリーニは1936年のベルリン・オリンピックに陸上競技でアメリカ代表として出場した経験を持つ。第二次世界大戦が始まると爆撃手として出征したが、搭乗していた爆撃機が洋上に不時着、40日以上も漂流したあげく、拾い上げられたのは敵国日本の艦船だった。送られた先は大森俘虜収容所。彼が出場を熱望していた1940年の東京オリンピックは第二次世界大戦勃発のため中止となったが、捕虜として「念願の地」にたどり着いたことになる皮肉。収容所長の渡辺伍長に目を付けられたルイは連日、虐待を受ける。
 アンジェリーナ・ジョリーが監督した第二作目。事前に「反日」映画云々といった話もネット上で出回っていたが、観た感じではそんなことない。エンディングでは実在のルイが80歳になって日本で走った際の映像が映し出され、(取ってつけた感があるにせよ)基本的には日米和解のストーリー立てになっている。
 幼い頃、「汚いイタリア移民」といじめられた過去。漂流の過酷な時間。そして、捕虜収容所での虐待。どんな苦難にもめげずに耐え抜いた姿を描き出すのがこの映画の狙いだろう。彼を執拗にいたぶる渡辺伍長がいかにもなおっさんなら惨たらしさが際立ったのだろうが、この映画で起用されたのは美青年(MIYAVIという人)なので、舞台が捕虜収容所ということもあって大島渚監督「戦場のメリークリスマス」での坂本龍一とデビッド・ボウイの密やかな同性愛関係を想起した。ルイの不屈な忍耐力が、いびつな権力欲を振りかざす渡辺伍長をたじろがせる、というのが「アンブロークン」の本来の趣旨なのだろうが、渡辺伍長のルイに対するサディスティックに倒錯した同性愛感情のような印象を受けた。直江津捕虜収容所に移送され、渡辺伍長から離れられたと思いきや、昇進した渡辺軍曹がまたまた現れ、ルイが卒倒しそうになるシーンは、ストーカーから逃れられずヘナヘナ…という感じ。
原題:Unbroken
監督:アンジェリーナ・ジョリー
2014年/アメリカ/137分

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2016年1月29日 (金)

【映画】「サウルの息子」

 ナチスの絶滅収容所でユダヤ人のジェノサイドが行われていたとき、収容されたユダヤ人の中から選ばれて殺戮作業の手伝いをさせられていた人々をゾンダーコマンド(Sonderkommando)という。大量虐殺の一部始終を目撃していた彼らもやがて殺される運命にあったが、2,3カ月の延命と引き換えにこの作業に従事していた。
 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でゾンダーコマンドとして働いていたサウルはガス室で遺体処理をしていたとき、まだ息のある少年を見かけた。親衛隊の医官はただちに彼の息の根を止めてしまったが、サウルは少年の遺体をユダヤ教の教義に則って埋葬してあげたいと考え始める。遺体を隠し、ラビを探す中、サウルの視点を通して収容所の内情が映し出される。同時に、秘かに蜂起の準備をしていたゾンダーコマンドたちが潰されていく過程も描かれる。
 ジークムント・バウマン『近代とホロコースト』(森田典正訳、大月書店、2006年)は、近代社会を特徴づける組織経営の合理性・効率性こそが道徳感情の無化をもたらし、あたかも工場のように粛々と大量殺戮が遂行された逆説を指摘している。それは、ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房、1969年)で指摘された「悪の陳腐さ」ともつながる。また、自らの収容所体験をもとに書かれたヴィクトール・フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳、みすず書房、1956年/池田香代子訳、みすず書房、2002年)では、こうした極限状態が日常風景となる中、収容者自身も感覚が麻痺してしまう様子が描写されている。殺戮の残酷さ以上に、殺す者、殺される者の双方が感覚を失ってしまうことの方が実におぞましい。
 だからこそ、フランクルは過酷な非人間的状況の中でも尊厳を保ち続けることの大切さを我々に訴えかけていた。サウルが少年の遺体をユダヤ教の儀式によって埋葬することに固執する様子は見ようによっては無意味である。そんな努力をしたところで死者は帰ってこないし、殺戮を止めることもできない。だが、そうした不合理に見える行動の中からこそ、人間としての尊厳を失うまいとする葛藤が垣間見えてくる。
【データ】
原題:Saul Fia
監督・脚本:ネメシュ・ラースロー
ハンガリー/2015年/107分
(2016年1月28日、ヒューマントラスト有楽町にて)

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2016年1月27日 (水)

【映画】「クミコ、ザ・トレジャーハンター」

 日本へ一時帰国する飛行機に乗る前に少し時間があったので、「光點台北」というミニシアターに映画を観に行った。かつてアメリカ領事館だった建物を文化施設に仕立て上げた「台北之家」に附設された映画館で、いずれも侯孝賢プロデュースという形になっていたと思う。「サウルの息子」(索爾之子)と「クミコ、ザ・トレジャーハンター」(久美子的奇異旅程)の2本を上映中で、前者は日本で観るつもりだったので、後者を観た。
 東京でOLとして働く久美子は鬱屈した毎日を過ごしている。唯一の楽しみは大好きな映画「ファーゴ」を観ること。とりわけ執心しているのは雪の中に現金を埋めるシーン。あの宝物を探しに行こう! そう決心した久美子は誰にも告げることなく映画の舞台となったアメリカのノースダコタ州へ飛び立った。
 ノースダコタ州で日本人女性が凍死した事件は実際にあったそうだ。ただし、失恋を苦にした自殺というのが真相らしいが、死の直前に彼女が出会った人々と英語でのコミュニケーションがうまくいっておらず、誤解から宝探しに来たという都市伝説になって流布していたのだという。「この物語は事実に基づいている」というクレジットがミソか。画面構成や音楽は一貫して深刻な雰囲気を醸し出しているが、彼女のちぐはぐな言動は、むしろ軽快な音楽を合わせたら喜劇のようになったかもしれない。何だか不思議な映画だ。
【データ】
原題:Kumiko, The Treasure Hunter
監督:デイビット・ゼルナー
主演:菊池凛子
アメリカ/2015年/105分
(2016年1月24日、光點台北にて)

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2015年8月22日 (土)

ドキュメンタリー「The MOULIN 日曜日式散歩者」

久しぶりのブログ更新。台南で少年時代を過ごした映画監督アン・リー(李安)も頻繁に通ったという全美戯院は、現在ではいわゆる二番館的な性格を持った映画館となっているのだが、時折、独立系映画の特別上映会がここで開かれる。2015年8月21日の午後、黃亞歷監督によるドキュメンタリー映画「The MOULIN 日曜日式散歩者」がここ全美戯院で上映されたので観に行った。1930年代、台湾随一の古都・台南で「風車詩社」を結成したモダニズムの詩人たちを軸に、日本統治時代における台湾における文学史的状況を描き出そうとしたドキュメンタリーである。以下はブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」へ。

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2014年3月10日 (月)

【映画】「KANO」

【映画】「KANO」

 3月8日に台南の威秀影院で馬志翔監督「KANO」を観た。脚本を書いた魏徳聖は本作ではプロデューサーにまわっている。以下、内容に関わる記述もあるので、気になる方は注意されたい。日本でも今年中には上映されるらしい。

 今まで一勝すらしたことのない、だらけきった野球チーム。周囲からは白い目で見られてばかり。そこへ突然現れた謎の鬼監督。無駄口など一切たたかず、一方的に命令ばかりする高圧的な態度に、部員たちは戸惑う。しかし、「一緒に甲子園へ行くんだ!」という監督の気迫は徐々に彼らの心中にも浸透、チームは瞬く間に生まれ変わり、快進撃を始める──。

 ある意味、スポ根ドラマの王道である。そういう映画として観ても十分に面白いし、そもそも野球に興味のない私でもいつしか感情移入しながら興奮していた。三時間近くの長丁場だが、テンポが良いので飽きさせない。それ以上に私の場合には、当時の時代背景をストーリー的にも映像的にもしっかり描き込もうとしているところに関心を持ちながら観た。

 KANOとは、台湾中部にあった嘉義農林学校の野球部のユニフォームに見える略称である。謎の鬼監督は近藤兵太郎(永瀬正敏)。本職は会計士だが、かつて母校の松山商業学校で野球チームの監督をしていたことがある。しかし、失意のうちに台湾へ来ていた彼にとって、嘉義農林を甲子園へ出場させることは雪冤の悲願であった。

 台湾ローカルの大会ですら勝てなかったこのチームが、甲子園初出場にしてみごと準優勝までしたという実話に基づく。1931年のことであった。魏徳聖が監督した前作「セデック・バレ」のテーマである霧社事件は1930年の出来事であり、実は時期的にそれほど隔たっていない。

 当時は台湾の大会でも出場チームのほとんどが日本人で占められていた中、嘉義農林は日本人、漢人、「高砂族」と呼ばれた原住民族(アミ族とプユマ族の選手がいた)の混成チームという点が特徴である。こうした多民族混成チームが甲子園に出場したこと自体が極めて異例であった。

 その一方で、民族が異なるとコミュニケーションがうまくいかず、チームワークに支障を来すのではないか?という疑問もしばしば向けられた。それどころか、「高砂族なんて野蛮人に野球ができるんですか?」と差別意識むき出しの質問を平気で投げかける記者までいた。憤った近藤監督は「野球に民族の違いなんて関係ないでしょう! この子たちの活躍を、あなた自身の目で確かめてください!」と怒鳴りつける。

 「高砂族の選手は足が速い。漢人の選手は打撃が強い。日本人の選手は守備に長けている。それぞれの長所を組み合わせればすごいチームになる」というのが近藤監督の考え方であった。民族的多元性をプラスのものと捉える発想は、この映画が製作された現代の台湾だからこそ強調されるポイントであろう。

 当時の甲子園の出場校には台湾代表・嘉義農林のほか、満洲代表・大連商業、朝鮮代表・京城商業といった名前も見られ、「帝国」の広がりが印象付けられる。この映画で、決勝戦よりも、準決勝で対決した北海道代表・札幌高商のエース投手とのやり取りの方をクローズアップさせているのは、「帝国」における「辺境」(=台湾や北海道)から「中央」(=甲子園)へのし上がりたいという上昇意識のあり方を際立たせている。

 映画の中では時折、台湾のシンボルとなるモチーフが示される。例えば、マウンド上に現れた蝶。生態系の豊かな台湾はとりわけ蝶の種類が多いことで知られている。また、嘉義農林の前監督で農業技師の濱田先生がパパイヤにまつわるたとえ話で選手を激励するシーンがある。パパイヤも台湾の風土ならではの果物であるが、作家の龍瑛宗が『改造』懸賞小説に入選して台湾人として初めて「中央」文壇にデビューした作品が「パパイヤのある街」(1937年)であったことも連想される。

 映画の背景には「近代化」の過程を示すエピソードが散りばめられている。足の速いチームメイトが走って仲間たちを追い越すときに「汽車が来たぞ!」と叫ぶのは、台湾縦貫鉄道開通の印象がまだ生々しかったからであろう。濱田先生がバナナやパパイヤの品種改良に努力しているのは農業近代化を示しており、磯永吉たちが開発した蓬莱米も同時期のものである。そして、農業生産力の増大を可能にしたのが、八田與一(大沢たかお)の建設指導で完成した嘉南大圳であった。ただし、映画の中では嘉義農林の甲子園出場と嘉南大圳の完成とが同時期であるかのように描かれているが、これはあくまでも演出上の話である。

 ところで、八田與一の登場は、映画のストーリー構成上、必ずしも必然性のあるものとは言えない。それにもかかわらず、なぜ八田が出てきたのか。

 近藤兵太郎の寡黙で厳しい鬼監督ぶり、八田與一の柔和な表情──パーソナリティーとしては極めて対照的に描かれている。しかしながら、甲子園出場にせよ、嘉南大圳にせよ、実現は到底無理としか思われなかった難事業に本気で取り組み、それこそ最初は「変な人だなあ」という程度にしか思われていなかったものの、真摯な姿がやがて現地台湾の人々からの共感を集めるようになったという点では共通している。

 いわゆる「植民地近代化論」の是非についてここで論ずるつもりはない。ただ、台湾の人々が支持したのは、日本の国策としての近代化というよりは、むしろ現地でじかに接した一人ひとりの個人としての日本人に対する信頼感であり、そしてそれに応じるだけの底力を台湾の人々が持っていたからこそ成し遂げられた事業であった。その意味では、日本人からの一方的な指導ではなく、双方の協同的インタラクションによるものであった点は確認しておく必要があるだろう。近藤監督の期待に応えて成果を出した嘉義農林の活躍がまさにそうであった。

 嘉義農林のエース投手・呉明捷(映画中では「アキラ」と日本風に呼ばれている)の失恋は何を示しているか。書店員をしている憧れの女性を自転車の後ろに乗せていたとき、彼女が荷台に立って両手を広げるところは「タイタニック」の有名なシーンを思わせる。「タイタニック」の二人は身分の異なる悲恋に終わったが、呉明捷にしても同様である。憧れの女性は裕福な医師のもとへ嫁いでいった。当時の台湾において医師の社会的・経済的ステータスは極めて高く、優秀な子弟がいたら必ず医学部へ進学させようとしたと言われる。貧困にあえぐ農民の息子では到底かなわない。

 民族差別の壁。「辺境」から「中央」への壁。そして、恋愛感情も阻まれてしまう社会経済的な壁──どんな壁があろうとも挫けずに、自ら進む道を切り開こうと鼓舞してくれたのが、近藤監督から叩き込まれた「一球入魂」の精神であったと言えるだろうか。

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2013年12月22日 (日)

【映画】「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」

「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」

 1969年12月12日、ミラノのフォンターナ広場に面した全国農業銀行が爆破され、死者17名、重傷者多数を出す大惨事となった。折りしもイタリアでは学生運動や労働運動が高潮してテロも頻発、いわゆる「鉛の時代」を迎えており、フォンターナ広場の爆破事件でもアナキスト・グループのメンバーが容疑者として逮捕された。しかし、事件の経過には不自然な点が目に付く。そもそも、これほどの大惨事であったにもかかわらず、その後に有罪判決を受けた者がいない。

 冷戦は国際社会の色分けを規定しただけでなく、各国内で左右の対立を引き起こしており、イタリアの隣国ギリシアではクーデターで反共軍事政権が成立したばかり。イタリア国内の極右組織やタカ派政治家の中には、社会不安を煽り立てることで政府に非常事態宣言を出させ、それに乗じたクーデターを画策する者もいた。左翼グループには極右からの偽装転向者が潜り込み、彼らが爆破事件を主導した可能性が高い。

 政府首脳、軍諜報部、警察、検察、極右グループ、極左グループ、マスコミ――様々な背景の当事者が織り成すこの映画のストーリー構成は分かりづらいかもしれない。犯人探しよりも、むしろ事件の迷宮構造そのものを描くところに監督の意図があったと言える。

 諜報部が事件のもみ消しに動いているところから、例の特定秘密保護法をめぐる問題と結びつけて捉える向きもあるだろう。ただ、そうした問題以上に、異なる思惑が複雑に絡まり合ったとき、個々の当事者ではコントロールできない形で事件そのものが一人歩きするようにのしかかってくる、そうした得も言われぬ非人格的な凄みの方が強く印象付けられた。誰かが起こした事件であったのは間違いない。しかし、それを国家なるものの単独の意志として単純化した陰謀論に収斂させてしまうわけにはいかない。

 事件の容疑者として尋問される鉄道員のピネッリは下層労働者として日々感じる社会的矛盾への憤りを動機として左翼活動に身を投じていたが、非暴力主義を信念としている。彼を取り調べるカラブレージ警視は職務に忠実に動いているが、他方で内偵活動で知り合っていたピネッリの人格は尊敬しており、彼がこんな無差別テロをやるはずはないと内心では考えている。左翼活動家と警察、そうした対立関係にありながらも、互いの信念や職務的忠実さは理解しているという現場ではあり得た人間関係が、仲間の背信や組織の論理によってつぶされていく。そして、二人とも不慮の死を遂げることになってしまう。こうした人間ドラマが織り込まれているからこそ、事件の陰惨さがいっそう際立ってくる。

 キリスト教民主党のアルド・モーロ外相(後に首相)は、非常事態宣言を主張する内相に反対して、クーデターの目論見を未然に抑え込んだ良心派政治家として描かれている。そのモーロもまた1978年に極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。モーロは共産圏に対して融和的な態度を取っていたため、誘拐事件当時の首相で政敵であったアンドレオッティは釈放交渉の条件を意図的に拒んだと言われている。モーロ誘拐殺害事件についてはマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」で描かれている。

【データ】
原題:Romanzo di una strage
監督・原案・脚本:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
2012年/イタリア・フランス/129分

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