カテゴリー「読書」の79件の記事

2020年5月28日 (木)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】
中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』
 
 十年前、初めて中国へ行った。当時は会社勤めをしていたが、五月の連休を利用した個人旅行で北京と天津を一人で歩き回った。歴史に関係する場所を巡るのが目的で、しっかり事前勉強もした。そうした中、知人から勧められて中薗英助の作品も読んだのだが、特に印象に残ったのが『夜よ シンバルをうち鳴らせ』であった。
 
 日本軍の占領下、いわゆる「淪陥時期」において、現地採用の新聞記者となった主人公が目撃した北京の光景。中薗の作品のうち『北京飯店旧館にて』『北京の貝殻』などは回想録的、私小説的な形を取るのに対して、『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は著者自身の実体験をにじませつつ、謀略サスペンス的な筋立てを絡ませた小説に仕立て上げられている。
 
 左翼くずれの日本人や、いわゆる大陸浪人。抗日意識を胸に秘めた中国の知識青年と、逆に大東亜共栄圏のスローガンを叫ぶ中国人。日本軍の謀略に利用された東トルキスタン独立運動のウイグル人マームード・ムヒイテ将軍。魯迅夫人・許広平がひそかに北京へ戻っているという噂。消えた北京原人の標本の行方。大東亜文学者会議への出席をやんわりと拒絶した周作人(その説得のため文学報国会から派遣された九重由夫こと久米正雄や葉柴勇こと林房雄たちの鼻息の荒さが北京で顰蹙をかっていたことは別の本で読んだことがある)。京城日日新聞特派員として北京へ来ていた白哲(=白鉄、本名は白世哲)や金史良は朝鮮人としての思いを語る。民族的背景も様々で多彩な人物群像がうごめくスケールの大きさは圧巻で、読みながらこの作品世界の中へグイグイと引き込まれていった。
 
 占領者たる日本人と被占領者たる中国人。生身の人間同士として付き合った点では友情もあり得た一方で、必ずしも全面的な信頼までは置けないわだかまり。この微妙な関係は、抗日/親日といった単純なロジックで裁断できるものではなく、第三の道はあり得ないのか、そうした模索へと主人公を駆り立てていく。それは、他ならぬ中薗自身の青春期から一貫したテーマであったと言えよう。
 
 タイプは異なるが、占領者としての日本人の負い目意識をテーマにしている点では、日本植民統治下の京城文壇を舞台とした田中英光『酔いどれ船』を挙げることもできる。やはり大東亜文学者会議の準備に駆り出された青年文士(=田中自身)が目撃した、抗日と体制順応、陰謀と狂騒の混濁したファルスを、実在の人物をカリカチュアライズしながら描き出していた。『酔いどれ船』では主人公の内面的にウジウジしたところを暴露的に描く形で田中自身の青春の暗さが表現されていたという印象がある。これに対して、中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は、政治意識の強さを明確に打ち出したことで、むしろ一種の清冽さすら感じられた。
 
 中薗は、漫然とした動機で中国大陸に渡った、と語っている。若き日々のアモルファスな情熱に明瞭な表現を与えるのはもちろん難しいことであろうが、一つには若者らしい冒険心燃えたぎるロマンティシズムがあったであろうことは容易に想像できる。それが異郷への憧れというプル要因になっていたとしたら、では、プッシュ要因は何だろうか。いわゆる「外地」には、日本の内地で居場所を失った左翼くずれやヤクザ者、あるいは一旗挙げようと考える手合いなど、様々なあぶれ者が流れ込んで来ており、彼らを許容するだけのいわゆる「植民地的自由」があった。中薗が家出した直接のきっかけは、将来の進路をめぐる父親との葛藤であったが、父親の権威への叛逆は私的なものであると同時に、戦時統制の強まりつつある時代、国家による束縛への反抗心もそこには重ね合わされていたと言えるだろう。日本国内における様々な束縛を厭う心情が、「外地」の持つ一種奇怪な「自由」へと引きつけられていったのかもしれない。
 
 ロマンティックな自由を求めた異郷。そこはまた、裸の自己を試される厳しい葛藤の世界でもあった。中薗は、裏切りや卑怯、傲慢といった人間の醜さをいやというほど見せつけられた一方、気持ちの通い合う友人たちとも出会った。とりわけ陸柏年や袁犀といった中国人の友人と知り合えたことは彼の北京体験の中で特筆される。
 
 しかし、「淪陥時期」の北京にあって、中薗自身は中国人側に親近感を寄せているつもりであっても、彼らの方からは「日本人=支配者」と見られてしまい、なかなか胸襟を開いてはくれない。「支配者」側にいるという立場性は、主観的な善意だけではどうにもならない。引け目の懊悩はさらに「原罪」意識へと深められていく。こうした矛盾への葛藤が、以後における中薗の文学活動の原点となっており、『彷徨のとき』『夜よ シンバルをうち鳴らせ』をはじめとした様々な作品で繰り返し表現されている。
 
 侵略した側、支配する者が、侵略された側、支配される者との間で友情を築くことができるのか。中薗はある本で、陸柏年から「きみは、人類という立場に立てますか?」と問いかけられたことを書き留めている。青くさい。しかし、こうした青くさい言葉が強烈な印象として中薗の脳裡に刻み込まれていたのは、それだけ深刻に矛盾した体験に身を引き裂かれるような思いをしていたからに他ならない。中薗は敢えてこの言葉を自らの問題として引き受け、終生のテーマとした。後年、アジア・アフリカ作家会議などで積極的な活動を行なったことも、こうした彼自身のテーマの延長線上にある。
 
 『夜よ シンバルをうち鳴らせ』を読んで私が関心を持っているのは次の二点である。第一に、日本軍占領下北京のカオティックな状況。当時、日本軍は「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げていた以上、中華文化を尊重する態度を示さねばならず、また、統治の便法として傀儡政権を成立させていた。それらはもちろん建前上のものに過ぎなかったとはいえ、建前というのも結構バカにはならない。例えば、同時期の台湾や朝鮮では同化政策が推進されていたのと比べると、大陸の占領地では文化政策に関して別の方針が取られていた。傀儡政権には抗日派が紛れ込む余地もあり、当時の北京においては抵抗/協力という単純な二分法では割り切れないグレーゾーンが広がっていた。そこには、ある場合にはいわゆる「植民地的自由」があり、また別の局面においては、誰が敵で、誰が味方なのか分からない混沌とした人間模様があった。そうしたカオティックな状況が、ドラマの舞台として非常に印象的であった。
 
 上述のような「植民地的自由」は、日本統治下においてアイデンティティーの曖昧な台湾人を吸引する余地も大きかった。私は1930~40年代に中国へ渡った台湾人というテーマにも関心を持っているが、中薗が描き出した北京のカオティックな状況を後景として、その中で彼ら台湾人の動きをたどってみたいという気持ちがある。とりわけ台湾出身の音楽家・江文也については以前から調べているが、江はこうした北京の「植民地的自由」の中だからこそ、軍部の協力を得て中国をモチーフとした音楽作品を発表することができた。江の友人の画家・郭柏川は梅原龍三郎と共に紫禁城を描いた。抗日派の知識人、張深切、張我軍、洪炎秋などは、警察の監視が厳しい台湾から逃れて北京へ渡り、当時の北京は台湾と比べると、敵と味方とを分かつ線が曖昧だったため、監視がゆるいからこそ職を得ることができた。張深切、張我軍、洪炎秋たちは北京で周作人と交流があった。他にも、中国知識人が北京を脱出したため、かわって大学でポストを得た台湾人もいた。
 
 他方で、彼らには台湾人=日本国籍者という特権もあり、単純に抵抗/協力という枠組みでは捉えきれないグレーゾーンを意識しておかないと一面的な叙述に終わってしまう。いずれにせよ、中薗の作品では多様な民族的背景の人々が出てくるわりに台湾人は出てこないのだが、当時の北京にもやはり一定数の台湾人が来ていたし、彼らの動向について研究も増えてきている。
 
 第二に、支配する者と、支配される者との関係性。自分が主観的には相手に寄り添っているつもりであっても、相手はそのように受け止めてはくれない。自分の意志ではなくとも、支配者側にいるという立場性から逃れることの困難。これは、日本人として台湾研究をしている私自身にとっても、ずっと考え続けなければならない問題である。
 
 私はいわゆる「外地」がどうしても気になる。父方の祖父母はかつて台湾で教員をしており、特に祖母は「湾生」であった。母方の祖母は、その父(つまり私の曽祖父)が旧「満洲国」で事業をしていたことから(伊達順之助の友人だったと聞いた)、短期間ながら奉天にいたことがある。母方の祖父は一年間ほど朝鮮総督府に勤務した後、北京へ移って満鉄の子会社「華北交通」に測量技師として勤めていた。私は言うなれば、四重の意味で「侵略者」の孫ということになってしまうが、それはともかく、私が東アジア現代史に関心を持っている理由の少なくとも一つとして、祖父母の存在を通して東アジア現代史が身近なものに感じられているという点は挙げられる。
 
 上記の文章は、私が以前に書いた下記のエントリーをもとに、加筆しながらまとめた。
「中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』」 (2010年4月27日)
「神奈川近代文学館「中薗英助展─〈記録者〉の文学」」(2012年4月25日)
 
 私が持っているのは福武文庫版で、絶版である。いま手元にないので、書影は割愛する。

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2020年5月26日 (火)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】 上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】
上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』
 
 人物群像劇の形で、ある時代相を描くという作品が私は大好きで、例えば、スチュワート・ヒューズ『意識と社会 ヨーロッパ社会思想1890~1930』とか、ピーター・ゲイ『ワイマール文化』、あるいは山口昌男の著作などを思い浮かべているのだが、一番印象に残っているのはやはり上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』である。学術書なのに、読み物としてめっぽう面白かった。
 
 著者は本来、西洋法制史を専門としているが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのいわゆる「世紀末」と言われた時代状況に分け入って、そもそも社会科学が成立した知的基盤を捉え返そうとする。いま手元に本書がないので詳細を確認できないのだが、きっかけは確か、バハオーフェンの母権論をめぐる探究から始まっていたのではなかったか。学術だけを切り離して考えるのではなく、文学や芸術も含めたトータルな時代性の中で、そこに底流する思潮が描き出されている。それだけでなく、当時のビッグネーム、例えばウェーバー、フロイト、ユング、バハオーフェン、ニーチェ、ベンヤミン、トマス・マン、ゲオルゲ、ヘッセ…等々、記憶に頼っているので書き漏らしもあるだろうが、こういった人々について博引傍証、豊富なエピソードを紹介しながら生き生きと論じているのが面白かった。個々の人物の名前はもちろん知っているし、ものによっては読んだこともあるが、こうした人々の同時代性を有機的に理解できたのは大きな収穫だった。とにかく専門分野を超えて時代性をたくみに描き出していく筆致に引き込まれた。
 
 つまり、本書を読んで私が感心したのは、第一に、分野を超えて複数の人物を同時に論じながら、それらの人々が共通して関わっていた時代思潮を浮き彫りにしていくという描き方。第二に、かたい学術書であるにもかかわらず、エピソードが豊富で読み物としても面白かったこと。もし可能であるならば、別の題材でこういうものを書いてみたいという憧れを抱いた。上山とはテーマは全く異なるが、私は『民俗台湾』や台北帝国大学(とりわけ土俗人種学教室)などを題材として日本統治時代→留用→戦後への学知的継承というテーマに以前から関心があって、そこに関わった日本人、台湾人、中国人の人物群像をいずれ描いてみたいという希望があり、あのような形で学術の歴史を描くことができればいいなあと思う。
 
 いま本書は手元にないので、書影は割愛する。

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2020年5月25日 (月)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】 寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】
寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』
 
 東京の本郷界隈、現在の文京区にかつて南天堂という書店があった。今でも南天堂書房というのがあるが、何らかの関係があるのだろう。大正から昭和初期にかけて、この南天堂の二階にはカフェがあり、本書はそこに集った詩人や文士、活動家に主義者たちの群像を描き出している。私は20代後半の頃、大正期の思想史に関心を持っており、関連する論文を書いたこともある。そうした中で、最初は資料調査の手がかり程度の気持ちで本書をめくり始めたのだが、なかなか面白くてそのまま読み込んでしまった。
 
 著者自身が詩人で、本書には自ら関わりのあった人々も登場しており、この南天堂のカフェで繰り広げられていた数々のファルスに強い思い入れを抱いていたであろうことはよく分かる。アナ・ボルの対立。理論派と詩人肌の食い違い。中には右翼だって紛れ込んでくる。あのような騒々しさというのが、大正期思潮の一つの特徴であり、また魅力であると私は思っている。しかしながら、本書での筆致は意外なほど抑制的である。それぞれに一癖も二癖もある面々について、こまかに資料を引きながら淡々と描写していく。その引いた姿勢が良いと思った。
 
 ロジックとしての思想と、実際の人間模様とは必ずしも一致するとは限らない。同じ党派やグループに所属していても、ささいな喧嘩で袂を分かち、それが結果的に政治的分裂に至るということはよくある。逆に、思想的には相反する立場なのに、個人的関係としては意外と仲が良かった人々もいる。喧嘩しつつ仲が良いという関係だってあり得る。群像劇として思想史を捉え返そうとするとき、このような生身の人間模様も実は見逃すわけにはいかない。そうした部分まで含めて描こうとするなら、特定の個人に注目するのではなく、視点を「場」に据えて人間関係そのものを全体的に俯瞰していくのも一つの方法であろう。
 
 本書では、南天堂書房及び二階に併設されたカフェという特定の空間を媒介として多種多様な人々が行きかった様子が活写されている。言い換えると、カフェという一つの「場」そのものが主人公である。サブタイトルにある松岡虎王麿というのは南天堂の経営者だが、実は彼についての言及は驚くほど少ない。また、南天堂の客のすべてを松岡が認識していたかどうかも分からない。本書の中では南天堂の常連客が機会に応じて紹介されていくが、その描き方は並列的で、特定の個人に注目するよりも、南天堂という「場」を媒介として関係し合った人々を俯瞰しているところに特徴がある。そうすることで、カオティックな人間模様の中から、それこそバフチン的な意味でのポリフォニックな群像劇が見えてくる。騒々しい多声的な様相こそ、大正・昭和初期のある場面で確かに現出していた時代思潮だと私は考えている。著者自身は自覚していなかったかもしれないが、淡々とした筆致だからこそ、そうした側面の描写にむしろ成功しているのが面白い。
 
 「場」を媒介とした人間模様を描いた作品としては、中島岳志『中村屋のボース』も面白かったが、これはあくまでもボースの評伝であって、中村屋というサロンを主に描いたものではなかった。
 
 私が一番好きな作家を挙げろと言われたら、いつも辻潤の名前を出すのだが、辻潤も南天堂の常連客だった。ダダやアナキズムの人たちってやっぱり面白いんだが、その魅力をうまく描き出せる人は実は多くない。最近で言うと、栗原康みたいな描き方は臭すぎて好きじゃない。
 
※本書は大学図書館に所蔵されていたので、書影はそれを利用した。
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2020年5月24日 (日)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】 井筒俊彦『ロシア的人間』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】
井筒俊彦『ロシア的人間』
 
 井筒俊彦といえば、イスラム研究の大家として世間では知られている。だから、なぜ井筒がロシア文学を論じているのか不思議に思う人もいるかもしれない。しかしながら、井筒の視野は実に壮大であった。意識のゼロポイントを探る彼の存在論的探究は、ある場面ではギリシア神秘思想の形をとり、またある場面ではイスラム神秘思想の形をとり、またある場面では仏教哲学の形をとるなど、様々な相貌を見せる。井筒はイスラムの研究者なのではなく、彼が思惟構造の共時的把握を目指して探究を進める様々なフィールドの、あくまでも一つとしてイスラムが選ばれたに過ぎない。『ギルガメシュ叙事詩』を訳した矢島文夫は、原典を入手できず困惑していたある日、たまたま井筒の書斎を訪ねたところ、無造作に積み上げられた書物の中に『ギルガメシュ叙事詩』の原典版を見つけ、事情を話して借り受けた、ということを記していた。井筒の思索の対象ははるか古代神話にまでさかのぼり、文字通り世界史的規模のものであったと言えよう。
 
 『ロシア的人間』は、戦後間もなく、若き日の井筒が大学でロシア文学を講じたときの草稿をもとにまとめられている。後年、彼が思索をめぐらした東洋思想や言語哲学は極めて晦渋で、なかなか近づきがたい。ところが、本書は、そうした井筒のとっつきにくい印象とは裏腹に、驚くほど情熱的で鮮烈な文章が次々と繰り出されてくる。良い意味で若書きである。それと同時に、ロシア文学という題材を通しながらも、実はそこかしこから後年の彼の思索の萌芽も垣間見えてくるのが面白い。その意味で、本書は単なるロシア文学史ではなく、井筒の思想を知るための入門書として読むこともできる。
 
 井筒はイスラム研究の碩学として高名ではあるが、近年、彼のイスラム理解には彼自身の過剰な読み込みがあるという指摘がされている。さもありなんと思う。彼の哲学的探究、例えば『意識と本質』などで分け入ろうとしている深淵を私はなかなか理解できないが、ある根源的なテーマを追求するにあたって、これほどまでに多様な素材を自らの問題関心に引きつけながら語ってしまおうという態度にこそ、むしろ心底驚嘆している。
 
 最近、井筒俊彦著作集が慶應義塾大学出版会から刊行され、『ロシア的人間』も収録されている。私が持っているのは中公文庫版だが、このカバーの絵も好きだった。カンディンスキー「風景の中のロシアの美女」という作品。井筒の情熱的なロシア文学論というのはそのギャップが面白いが、カンディンスキーがこういう絵を描いていたというのも意外であった。
 
※いま手元に本書はないので、フェイスブックではアマゾンの書影を借用したが、このブログでは書影を割愛する。

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2020年5月23日 (土)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】 橋川文三『昭和維新試論』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】
橋川文三『昭和維新試論』

  渥美勝という名前を見て、ピンと来る人は少ないだろう。大正期の「思想家」と言ってもいいのかどうか。高学歴ながらもすべてをなげうって放浪生活、「桃太郎主義」を掲げ、「真の維新を断行して、地上に高天原を実現せよ」と辻説法していた、国粋主義的な風来坊──現代の価値観からすれば単に奇矯な人物である。他方で、その風貌にはアッシジのフランチェスコを思わせる穏やかな気品がただよっていたという。橋川の『昭和維新試論』では、例えば石川啄木、高山樗牛、柳田國男、上杉慎吉、平沼騏一郎、北一輝など様々な人物が取り上げられているが、そうした中でも私にとって一番印象深いのが、この渥美勝であった。

  橋川の代表作とされるのは『日本浪漫派批判序説』であろう。若き日の橋川自身が、戦時下の思潮にコミットしていた過去への反省──いや、反省という言い方では言葉が浅い、彼を否応なく引き込んでいった吸引力のようなもの、それを何とか剔抉し、文章化しようとするひたむきな努力が、彼の政治思想史的研究の動機として伏流していた。

  とりわけ橋川による渥美勝の描写が私の心をつかんだのは、どうしたわけだろうか。『昭和維新試論』は後にちくま学芸文庫版や講談社学術文庫版も出たが、私が最初に読んだのは大学一年生のときに購入した朝日選書版である。その頃に読んだ時点では、橋川の存在感が気になってはいても、では自分はなぜ橋川を気にしているのか、それがうまく整理できていなかった。たぶんこういうことなんだろう。橋川は人物の内奥に迫ってその葛藤を描き出しつつ、そこから時代の諸相をみつめる視点を引き出し、そうであるがゆえに政治思想史としても成立している。その筆力に驚嘆すべきものを感じた。それは、他ならぬ橋川自身の内在経験が一つの触媒となって、対象とする人物の心象風景を引き出してくることができたからであろう。

  私自身、その頃からずっと、できるかできないかは別として、人物を描くことに興味があったのだと思う。ある人物を通して時代を描き、その人物が時代の中で格闘している姿を通して、思想的に語り得る何がしかを形にしてみたい。そうした一つの模範として、今に至るまで橋川文三のことがずっと気にかかっている。

  大学生の頃、テーマ的に近い方向性として松本健一の作品も割と読み込んでいたのだが、松本は多作がたたったのか、一つ一つの作品において対象とする人物への迫り方が橋川に比べて軽い(大変失礼だが…)と感じていた。

 


※いま本書は手元にないので、フェイスブックではアマゾンの書影を借用して投稿したが、このブログでは書影を割愛する。

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2020年5月22日 (金)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:一日目】井上靖『敦煌』

 SNS上にて「七日間ブックカバー・チャレンジ」というタイトルの連続投稿を見かける。日本でコロナウィルスの蔓延により外出自粛となっている状況下、この機会に読書文化普及のため、一週間で一日一冊を紹介するという趣旨である。一冊紹介するごとに一人、もしくは七冊紹介した後に一人、誰かにバトンタッチすることになっているが、私もバトンを受け取ったので、やってみることにした。
 
 本来はブックカバーをSNSにアップするだけでいいらしい。ただ、見ていると、皆さん色々とコメントを加えているようなので、私も規則違反かもしれにが、何がしかの思い入れも書き込んでおいた。思い入れがあると、やはり長々と書き込んでしまうし、書き始めると色々なことも思い出す。多忙な中ではあるが、こういうのを書くこと自体がいい気晴らしになった。私はフェイスブックに書き込んでいたが、備忘録的にこちらにも書き写しておく。
 
 七冊を選書した基準については、自分もこういう作品を書くことができたらいいなあ、という憧れや敬意を抱いた本という形にした。初心を思い出す気持ちで書き込んだ。私は現在、台湾研究をしているが、そんな私が台湾関係の本を紹介するのは当たり前すぎるので、そっち方面はない。ただし、私が今後、台湾について何かを書こうとするとき、その書く姿勢としてこれらの七冊を意識しているということは言える。
 
 書影は自身の蔵書を使うのが筋なんだと思うが、現在は台南に仮住まい中で、蔵書の大半は東京の実家にあるので、フェイスブックではネット上で拾った画像や在籍している大学図書館の所蔵本で代用した。このブログでは、成功大学図書館所蔵本の書影のみ載せることにする。
 
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【七日間ブックカバー・チャレンジ:一日目】
井上靖『敦煌』
 
 井上靖といえば、『しろばんば』『夏草冬濤』といった伊豆を舞台とした自伝的作品も捨てがたいのだが、私が最初に読んだのは『敦煌』である。中学生の頃、佐藤純彌監督によって映画化されたのを見たのがきっかけ。続けて、井上の同系列の作品集『楼蘭』も読んだし、岩村忍との共著『西域』も印象に残っている。映画上映に合わせて、どこかの美術館(百貨店系だったように思う)で「西夏王国展」も開催されていたのだが、親にせがんで連れて行ってもらい、その時に購入した図録は今でも実家に残っている。
 
 いずれにせよ、井上靖の作品をきっかけとして色々と読み漁りながら、シルクロードや中央アジアへロマンをはせる気持ちを高めていった。そのように濫読した中には、例えば司馬遼太郎『草原の記』も含まれる。砂漠と草原──いずれも日本では見ることのできない、無限の空間の広がりに憧れを抱いていた。そうした中央アジアへの関心は大学に入ってからも続き、史学科の民族学考古学専攻に所属して、卒業論文はタクラマカン砂漠に埋もれたオアシス都市・ニヤについて書いた。
 
 『敦煌』執筆時、井上はまだ現地へ行ったことがなかったという。それにもかかわらず、あれだけ読み手を刺激する描写ができたというのは改めて感心する。その背景として、日本では西域研究の蓄積があり、井上はそれらを参照できたという点に注意しておく必要があろう。桑原隲蔵、白鳥庫吉、羽田亨といった人々も含め、いわゆる「東洋学」の碩学たちの名前を私が最初に知ったのも、井上靖や司馬遼太郎たちが西域について書いた文章を通してであった。私の中で広義の「東洋学」への関心はその頃から一貫して続いており、台湾研究をしている現在でもそうした意識は変わっていない。
 
 書影は成功大学図書館所蔵のものを使った(上)。調べたら中国語訳も色々と出ており、石榴紅文字工作坊訳、劉慕沙訳、柯順隆訳、劉興堯訳、龔益善訳などがある(下の写真はその一部)。石榴紅文字工作坊訳の花田文化版(1995年)には鍾肇政が導読を書いている。鍾肇政は日本統治時代に生まれた台湾の作家で、戦後も文筆活動を継続、つい先週、95歳で亡くなられたばかりであった。
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2019年1月29日 (火)

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』

フィリップ・ロス(柴田元幸訳)『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』(集英社、2014年)
 
 1940年、もしもアメリカ大統領選挙でリンドバーグがフランクリン・ローズヴェルトを破って大統領に当選していたら──?
 
 チャールズ・リンドバーグ(1902-1974)は大西洋単独無着陸横断飛行や北太平洋横断飛行を成功させた空の英雄として有名であり、その著書『翼よ!あれがパリの灯だ』は映画化もされた。他方で、彼がドイツへ渡ってゲーリングから勲章を授与され、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツ支持の論陣を張っていたことも、現代史に関心のある人々にはよく知られた事実である。
 
 フィリップ・ロスは、自分自身の幼年時代と思しき主人公の視点を通して、リンドバーグが共和党候補として出馬して当選した仮想世界を舞台に、アメリカのユダヤ人社会が動揺する様子を描き出している。アメリカにはもともと、外交的には孤立主義を選ぶ傾向が強かった。前年の1939年にはナチス・ドイツがポーランドを侵攻して第二次世界大戦が始まっており、戦争に引きずり込まれかねないという不安に対して、リンドバーグは「自分ならヒトラーと話をつけられる」と主張して国民から圧倒的な支持を受け、ローズヴェルトの三選を阻止した。
 
 フィリップ・ディック『高い城の男』は、アメリカが第二次世界大戦に敗れて、ナチス・ドイツと大日本帝国によって分割占領、傀儡国家が樹立されたディストピアを設定していたが、本書『プロット・アゲンスト・アメリカ』は戦争中におけるリンドバーグの当選によってファッショ化するアメリカを描いている。タイトルは、アメリカに対する陰謀(plot)とも読めるし、現実のアメリカとは異なる筋書き(plot)が進んだとも解釈できる。この作品での仮想世界は1942年で終わっているが、回想の形を取っており、表現の端々から戦争末期にはローズヴェルト政権が復活し、戦後のロバート・ケネディ暗殺のエピソードにも触れられているので、リンドバーグ政権は歴史の一時的ねじれとされており、再び現実の歴史に戻っていくことがうかがわれる。
 
 アメリカがファッショ化するという設定は、実際にあり得ないことでもなかっただろう。例えば、当時の共和党陣営にはリンドバーグを担ぎ出そうとする動きもあったらしい。あるいは、三宅昭良『アメリカン・ファシズム』(講談社選書メチエ、1997年)で論じられているように、ルイジアナ州知事ヒューイ・ロングはポピュリスティックな政治手法で台頭し、ローズヴェルトを脅かす勢いを示していた(ただし、暗殺された)。ロングは映画「オール・ザ・キングスメン」のモデルとしても知られる。リンドバーグの副大統領候補には元民主党左派出身のウィーナーを設定しているあたりにも、例えば労働党出身でイギリス・ファシストの指導者となったモーズリーや、フランス社会党出身でヴィシー政権首相となったピエール・ラヴァルといった左派出身者がいたことを想起させ、ディテールの設定もよく練られているように思った。
 
 訳者解説によると、ロス自身は1940年代という時代への関心から執筆したのであって、こうした政治シミュレーションそのものを目的としているわけではないらしい。ただ、2016年にトランプが大統領に当選してしまったという、それこそ小説的な展開が実際に起こってしまったことを考え合わせると、荒唐無稽とは言えない不思議なリアリティーすら感じられてくる。

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2018年2月 9日 (金)

内田隆三『乱歩と正史──人はなぜ死の夢を見るのか』

内田隆三『乱歩と正史──人はなぜ死の夢を見るのか』(講談社選書メチエ、2017年)
 
 日本の探偵小説といえばまず名前の思い浮かぶ江戸川乱歩と横溝正史──本書はこの二人の作家を軸として、第一次世界大戦後の大正・昭和初期から第二次世界大戦を経て戦後にかけて探偵小説がいかに創造されてきたのかを読み解いていく。詳細な作品分析が展開され、論点は多岐にわたるが、私が興味を持ったのは次の二点。
 
・江戸川乱歩「芋虫」と三島由紀夫「憂国」とを対比し、物語の構図が逆説的に変形の関係にあるという指摘(196-205頁)。国家という共同幻想と性愛との関係をめぐり、「『芋虫』では犠牲を求める大義が性愛の物語の背景として冷酷な闇のように存在しており、『憂国』では性愛の情景が神聖な大義の美しい影絵のように浮かび上がる」という好対照が見出せる。「『芋虫』では、性愛が自立するとともに共同幻想の地平が後景化していき、代わりに、人間であることの悲哀が夫の目に宿り、性愛の地平を脅かす。他方、『憂国』では、性愛は大義と道徳に癒合し、それらに守られて夢見るような昇華を遂げるだけであり、この点は単調である。」
 
・横溝正史『本陣殺人事件』に対して乱歩が「心理的な要素への配慮が乏しいこと」、「犯人に悪念が感じられないこと」、従って「犯罪のトリックに心理的な奥行き」がないとして批判していたことを手掛かりに、二人の発想を対比させ、乱歩を「経済学の視点」、正史を「民族誌の視点」と捉える指摘(286-299頁)。乱歩の場合、個人心理を基盤とする発想を持っており、それは彼が大学で学んだアダム・スミス風の経済人の仮構に寄り添っているからだという。乱歩が孤独な個人の心理過程を前提としているのに対して、正史が想像力を刺激されたのは「個人の行為の半ばは無意識的な奥行きをなす、共同体の『習俗』の次元に横たわる心理過程」だったと指摘される。「横溝の物語が言及するのは集団にひそむ悪念であり、それは個人の善意とさえ重なり合う可能性がある」。だから、横溝作品では『八つ墓村』や『犬神家の一族』のように地方社会の土俗的雰囲気がうまく活用されていたわけである。横溝は岡山県に疎開していたとき、地元の人から土地の人情風俗を聞いており、そうした体験が作品に生かされていた。ただし、舞台は奥深い山村で完結しているのではなく、都市の視点も交錯しており、「事件の現場は家の習俗が近代的な社会性の場と交叉する地点に設定されている」とも指摘される。

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2014年4月13日 (日)

張国立『張大千と張学良の晩餐会』

張國立《張大千與張學良的晩宴》(印刻文學生活雜誌出版、2014年3月)

 1994年、台北。すでにハワイへ移住した張学良(1901~2001)の収蔵品がオークションにかけられているシーンからこの小説は始まる。様々な思惑から注目が集まる中、とりわけ目立ったのが世界的に著名な画家・張大千(1898~1983)の書。1981年の旧暦正月16日、張大千が張学良や張群(1989~1990)を招いて晩餐会を行なったとき、自らメニューを認めたものだという。このオークション会場に来ていた主人公・梁如雪は何か探し物がありげな様子。偶然、旧知の人物と出会ったのをきっかけに、かつて張学良と共に過ごした日々を思い出し始める。

 外省人の軍人だった父、台湾人の母との間に生まれた一人娘だった彼女は、大学の法学部を卒業後、情報機関に入る。父の影響が大きいが、ただし仕事一筋で家庭を省みなかった父との関係はむしろ疎遠であった。訓練終了後、最初に配属されたのは台北近郊の温泉地・北投。そこには自宅軟禁中の張学良がいる。張学良の世話係として彼の動静を監視するのが彼女に課せられた任務であった。1981年のことである。

 情報機関の上官たちは張学良の一挙手一投足に神経をとがらせている。国民党統治下の台湾では、たとえ抗日統一戦線の呼びかけが大義名分だったとしても西安事変で蒋介石に矛を向けた張学良に対する評価は極めて厳しい。張学良や張大千(四川省出身)といった著名人が共産党の呼びかけに応じて大陸へ帰ってしまったら、国民党の対外的権威にとってマイナスである。ところが、総統に就任したばかりの蒋経国は張学良と仲が良く、彼に対する態度が甘い。「小蒋」には危機感が乏しい、と情報機関幹部は歯ぎしりするばかり。

 娘が張学良の世話係になったことを知った父親は嬉しそうな表情。そんな父に彼女は反感を覚える。張学良は「叛国叛党の徒」ではないか。ところが、父の見解は違う。彼は国家や人民の行く末を心から憂えていたはずだ、と言う。父はかつて孫立人の指揮する部隊で戦った経験を持つ。蒋介石によって排除された孫立人への同情が張学良にも投影されているのではないか、と彼女は考えた。

 ところが、梁如雪も生身の張学良を知るにつれて、今まで教えられてきた「歴史」に違和感を抱き始める。何よりも戦争に翻弄された父にとって「歴史」は切実な問題であった。家に引きこもっていた父は真実を知りたいという思いから、やおら図書館通いを始め、張学良について調べ始める。知り得たことはまず娘に知らせたい。疎遠だった父と娘だが、共に語らう時間がいつしか増えてきた。世代によって異なる歴史認識が、「真実」を知りたいという気持ちを共有することで、その距離を縮めていく。そうした関係性がこの親子関係に表現されていると言える。

 1931年の満洲事変に際して、張学良は放蕩生活に身を持ち崩していたから日本軍に敗れたのか。それとも、蒋介石から不抵抗主義の訓令を受けていたから敢えて撤退したのか。梁如雪は上官から「老総統(蒋介石)が張学良に宛てた古い電文が隠されているはずだ。それを見つけて来い」と命じられた。蒋介石が日本軍へ抵抗しないよう訓令した事実を隠蔽しようという意図である。同じ頃、父からは「日本軍が来たとき、本当は遊んでなんかいなかったのではないか。そのことを張学良に確かめて欲しい」と頼まれていた。真実は如何に…?

 ところで、この小説では張大千が料理の支度を進めるシーンが所々で挿入されている。1981年の旧暦正月16日、かつて蒋介石側近だった張群の車が突然、張学良邸を訪れた。警備にあたる情報機関員が制止しようにも、張群の政治的権威に逆らうことはできない。張群は張学良夫妻を連れ出し、そのまま張大千邸で開催される晩餐会へと向かった。

 1980年代後半、台湾が民主化へと向かうのとほぼ同じ頃、張学良への事実上の軟禁状態も解かれるようになった。作者が1993年に張学良にインタビューした記録が本書の巻末に収録されている。そこで張学良はこう語っている。「蒋介石は生涯を通して王陽明を崇拝しており、『我看、花在;我不看花、花不在』という王陽明の言葉を信じていた。でも、私はそういうのとは違ってこう思うんだよ。『我看、花在;我不看花、花還在』とね。」

 蒋介石が王陽明から引用していた言葉は、ある意味、為せば成るという主観的な精神主義を表している。それは一面において積極的な行動力として具現化され、歴史を動かす起爆剤となった。他方で、「我不看花、花不在」という部分は、政治権力を正統化するイデオロギーによって歴史はいくらでも歪曲されかねないことを暗示していたとも言えるだろう。

 これに対して、張学良の態度はどうであったか。私が見ていようといまいと、花がそこにある事実に変わりはない。それは、権力の都合によって歴史解釈が左右されようとも、自分の知っている歴史的事実は変えようがないという意味を帯びる。さらに、周囲の思惑が喧しくても、そんなことには頓着せず、自分は自分に与えられた宿命の中で生きていくしかない。そうした人生態度も引き出せる。この小説での張学良はそうした悠然たる態度を持した人物として描かれている。さらに、張大千が淡々と料理の支度を進める描写が折に触れて挿入されることで、そうした二人のマイペースな姿が、監視する情報機関の慌てぶりを際立たせ、面白い味わいを醸し出している。

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2013年6月16日 (日)

【雑感】張良澤・作、丸木俊・画『太陽征伐──台湾の昔ばなし』

張良澤・作、丸木俊・画『太陽征伐──台湾の昔ばなし』(小峰書店、1988年)

 少々古い絵本だが、「世界の昔ばなし」シリーズの1冊。前半は原住民族の伝説を、後半は平地の漢民族の伝説を昔話風にリライトしている。台湾の主だった伝承を手軽に知ることができる。

 昔、二つの太陽があった。昼夜を問わず照り続けるため、疲れ果てた人々は、片方を弓矢で射落とそうと考えた。選ばれた勇者たちは、はるかかなた、太陽を求めて歩き続けるが、中途にして力尽きて倒れていく。太陽征伐の使命は次の世代に引き継がれ、ようやくにして射落とすことに成功した──本書の表題作は、台湾原住民の一つ、タイヤル族に伝わる伝説である。

 この話は、以前に読んだ黄煌雄《兩個太陽的臺灣:非武裝抗日史論》(台北:時報出版、2006年)という本で知っていた(→こちらで取り上げた)。黄煌雄は蒋渭水の評伝も書いており、サブタイトルから分かるように、日本統治時期台湾における民族運動史をテーマとしている。「二つの太陽」という表現には、日本という支配者=政治勢力と、台湾在住漢民族という被支配者=社会勢力と二つの太陽が台湾には輝いている、しかし二つの太陽が並び立つことはできず、いずれかが射落とされなければならない、という意味合いが込められており、これは賀川豊彦が台湾について原住民の神話を引きながら書いた文章に由来するそうだ。賀川は何度か台湾へ伝道旅行に出かけているから、その折に「太陽征伐」の伝説を耳にしたのだろうか。「太陽征伐」のモチーフそのものは、北米インディアンなどの伝説にも見られるらしい。

 パスタアイ(矮人祭)はサイシャット族に現在も伝わる祭礼だが、肌が黒く、背丈の小さな先住民・タアイにまつわる。彼らは農耕など先進的技術を教えてくれたが、悪さも過ぎたため、あるとき、皆殺しにされてしまった。タアイの霊を慰めるために行われるようになったのがパスタアイだと言われている。色黒の小人を皆殺しにしたという伝承は台湾各地にあり、例えば、そうしたヴァリエーションの一つが伝わる小琉球の烏鬼洞を私も以前に訪れたことがある(→こちら)。

 娘が鹿と婚姻を結び、それを知った父親が鹿を殺してしまったというアミ族の説話は、柳田國男『遠野物語』にも見えるオシラサマの伝承と似ている。ちなみに、台湾の人類学的調査で知られる伊能嘉矩は遠野の出身である。蛇足ついでに書くと、藤崎慎吾『遠乃物語』(光文社、2012年)は、台湾から戻った伊能と、『遠野物語』の語り部となった佐々木喜善の二人を主人公にイマジネーションをふくらませた小説である。

 台湾各地にある城隍廟に入ってみると、背高ノッポとおチビさんの二人組みの神像が印象に強く残る。七爺八爺、ノッポの七爺は謝将軍、背の低い八爺は范将軍、という。二人はもともと親友同士だったが、ある日、橋のたもとで待ち合わせたとき、七爺は事情があって戻って来れなかった。やがて大雨で川が氾濫し、友は必ず戻ると信じていた八爺はそのまま溺れ死んでしまった。そのことを知った八爺は責任を感じて自殺してしまう。こうした二人の関係は信義の象徴として神に祭り上げられた。七爺がアッカンベーしているのは首吊りしたから。八爺の顔が赤黒いのは水死したから。そう言えば、黄氏鳳姿『七爺八爺』という作品があったが、私はまだ読んでいない。黄氏鳳姿は日本統治時代の台湾でその文才を池田敏雄によって見出され、綴方教室で有名な豊田正子と同様の天才少女として知られるようになった人。

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