カテゴリー「読書」の53件の記事

2009年11月24日 (火)

イーユン・リー『千年の祈り』

イーユン・リー(篠森ゆり子訳)『千年の祈り』(新潮社、2007年)

 著者は北京出身、アメリカで学位を取り、現在は英語で創作活動をしている。本書で第一回フランク・オコナー国際短編賞を受賞(第二回の受賞者は村上春樹)。全10篇から成る短編集。中国を舞台とした作品、在米中国人を登場人物とした作品、それぞれ半々ずつ。何気なく読み始めたのだが、結構引き込まれた。訳文もこなれていて読みやすい。

 相手のことを思いやりつつも、それが伝わらないもどかしさ、とりわけ(擬似関係も含めて)親子や夫婦のすれ違いに焦点を当てたテーマが多い。著者はまだ三十代のはずだが、老人の心象風景なども丁寧に描かれている。

 著者の母語はもちろん中国語であるが、英語の方が言いたいことを表現しやすいと語っている。中国語だと自分でも気づかぬ間に自己検閲してしまう習慣が身についてしまっているのだという。表題作「千年の祈り」にもそうしたセリフがあった。監視社会の中で、家族や友人に対してすら建前を語らざるを得ない場面もあったことは、心情的なすれ違いという何気ない悩みにもより切実なものを感じていたと言えるのだろうか。

 表題作「千年の祈り」はウェイン・ワン監督によって映画化され、いま上映中らしい。「スモーク」「ブルー・イン・ザ・フェイス」などは好きだったので、観に行きたい。

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2009年11月 8日 (日)

ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』

ジョゼフ・コンラッド(黒原敏行訳)『闇の奥』(光文社古典新訳文庫、2009年)

 アフリカの象牙を扱う貿易会社に飛び込んだ冒険心旺盛な船乗りのマーロウ。コンゴの奥地で会社随一の成績をあげていたクルツからの連絡が途絶えたため、会社は彼の救出をマーロウに命じた。コンゴ河をさかのぼり、現地民の襲撃をかいくぐってたどり着いた先に見えてきた闇──。クルツは病に衰弱しながらも、カリスマ的な威信で現地民を従えて自分の“王国”を築き上げていた。

 コンラッド『闇の奥』は文学史ばかりでなく、フランシス・コッポラ監督「地獄の黙示録」の原案となったことでも知られている。ヴェトナム戦争に舞台を移したこの映画の有名なシーン、ワーグナー「ワルキューレの騎行」を大音響でがなり立てながらナパーム弾をぶちこみ、「朝のナパーム弾のにおいは最高だぜ!」と言い放つ姿に、コンゴでの白人による現地民殺戮という過去が重ね合わされているのは言うまでもないだろう。『闇の奥』は植民地支配の非人道性を告発した、いや、『闇の奥』という作品自体にも西欧側の偏見が込められている──様々な見解からポストコロニアルの議論の対象となり、両義的な性質を帯びた作品だと言える。たとえば、藤永茂『『闇の奥』の奥──コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷』(三交社、2006年)は、『闇の奥』をめぐる議論を踏まえながら、その背景にある植民地収奪の歴史をたどっている。

 こうした話題は別にして、やはり目を引くのはクルツ(「地獄の黙示録」のカーツ大佐)という人物の存在感だ。西欧の価値観の通用しない密林の奥地(そうであればこそ、白人による野蛮な暴力がむき出しになったわけだ)、さ迷いこんだ人間を倒錯した熱狂に駆り立てるような、“文明”という虚飾のひき剥がされた孤独。もちろん、物理的な意味で一人ということではなく、精神的に世界のまっただ中で一人宙吊りにされたような不安感。そうした感覚が体現された、不可解な凄みの恐ろしさと言ったらいいのか。

 なお、『闇の奥』の描写にはコンラッド自身がコンゴへ行った時の実体験や見聞が反映されており、クルツも複数の実在の人物がモデルとなっているらしい(Adam Hochschild, King Leopold’s Ghost: A Story of Greed, Terror and Heroism in Colonial Africa, Pan Books, 2006, pp.144-146)。

 中野好夫訳の岩波文庫版で読んだことはあったが、新訳が出たので購入。光文社古典新訳文庫のラインナップは結構好きなので頑張ってもらいたいところ。

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2009年11月 7日 (土)

正木恒夫『植民地幻想──イギリス文学と非ヨーロッパ』

正木恒夫『植民地幻想──イギリス文学と非ヨーロッパ』(みすず書房、1995年)

 ポカホンタス、コロンブス、シェイクスピア『テンペスト』、ロビンソン・クルーソー物語、キャプテン・クック、コンラッド『闇の奥』、シャーロック・ホームズ──。日本でもよく知られたエピソードや文学作品を読み直しながら、ヨーロッパが異世界と出会ったときにどのような眼差しを向けてきたのかを再検討する。

 意図的かどうかはともかく、“野蛮”イメージ(とりわけ“食人種”に注目される)を作り上げたことによる、相手文化に対して振るった暴力の後ろめたさへの正当化、さらにはキリスト教もしくは近代化の“偉大さ”の勝利。こうした発想によって欧米の植民地支配が“文明の福音”という名目で美化されていたことは周知の通りである。逆に、ルソーをはじめとしてよく見られる“高貴なる野蛮人”も、自分たち自身を批判するために作り出された他者イメージであった、その意味では相手文化の実際など閑却されていたという点ではやはりヨーロッパ中心的な視点がはらまれていた。いずれにしても、ヨーロッパからの一方的な他者規定が意識の奥底まで根深く巣食っていた様子が文学作品の些細な一節からも浮き彫りにされてくる。

 こうした眼差しは日本にとっても他人事ではない。本書の糸口となる竹山道雄『ビルマの竪琴』に現われた食人種の話や新井白石がシドッチを通して得た世界認識などは歴史上の一エピソードにとどまるかもしれない。だが、日本は近代化が不徹底だったから“侵略国家”になったのではなく、むしろ近代化=西欧化を進めてきたからこそ植民地主義的な眼差しをも内面化してしまったのではないかという問題提起はよく考えてみる必要があるだろう。

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2009年11月 5日 (木)

ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』

ミハイル・バフチン(望月哲男・鈴木淳一訳)『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫、1995年)

 昔から気になってはいても敬遠してなかなか手がのびなかった本が色々とあるが、そうしたうちの一冊。先日、ピーター・バーク(原聖訳)『近世ヨーロッパの言語と社会──印刷の発明からフランス革命まで』(岩波書店、2009年)を読んでいたらミハイル・バフチンに言及されていたので思い出し、勇を鼓して読み始めたのだが、これがまた実に素晴らしい。

 “ポリフォニー”と“カーニバル”、二つのキーワードをもとにドストエフスキーの作品世界を読み解いていくという内容である。ドストエフスキーが何を言っているか、ではなく、どのように語っているか、つまり彼の作品の叙述構成そのものに思想としての迫力があることを鮮やかに示した着眼点が非常に面白い。ドストエフスキー評価という以前に、そのテクストを読み込んでいくバフチンの眼差し自体に思想としての説得力があって、久々に興奮しながら読み進めた。

「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。」…「ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独自性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。」…「作品構造の中で主人公の言葉は極度の自立性を持っている。それはあたかも作者の言葉と肩を並べる言葉としての響きを持ち、作者の言葉および同じく自立した価値を持つ他の主人公たちの言葉と独特な形で組み合わされるのである。」(15~16ページ)

「ドストエフスキーの世界は根本から多元的な世界である。もしかりにその世界が全体として志向しているようなイメージを、あえてドストエフスキー自身の世界観にそった形で求めるならば、それは互いに融合し合うことのない魂同士の交流の場としての教会、罪人も義人もともに集う教会であろう。あるいはおそらくダンテ風の世界──多次元性がそのまま永遠性につながり、悔いることなき者たちと悔いた者たち、罪人と救われた者たちがともに集う世界──であろう。」(55ページ)

 ドストエフスキーの小説世界に登場する人々にはすべて自律的なイデーがある、つまり自分らしさを持っている。ストーリー進行上の登場頻度という点では主役・脇役という配列が確かにあるかもしれない。しかし、彼ら一人ひとりの発する言葉には、その人でなければ言えないという必然性がある。ストーリー構成上のコマとして作者によって操られているのではなく、自分自身の言葉を語り始める彼らは時には作者の思惑をも超えた存在感を示す。すべての登場人物が主体的な意識を持っており、そうした複数の意識のありようを同時に描き分けることができたところにドストエフスキーの作り上げた小説世界の画期的な重要性があるのだとバフチンは指摘する。

 従来型の小説では作者が自らの意図なり思想なりを表現するという姿勢が打ち出されている。つまり、結論はすでに決まっており、話題をその方向へと流し込むための道具として登場人物は造型されている。作者の思想に反対するキャラクターは、反対する者という負の役割を担ってストーリーにメリハリをつけるために登場する。「モノローグ的世界では《第三の立場は許されていない》、つまり思想は肯定されるか否定されるかのいずれかしかない」(164ページ)。「モノローグ原理においては、イデオロギーが描写の結論すなわち意味上の総括の役割を果たしているために、描写された世界は不可避的に、その結論に対するもの言わぬ客体と化してしまう」(169ページ)。モノローグ型の小説があたかも一神教的な視点に基づき一方向的に世界を作ろうとしているものとたとえるならば、ドストエフスキーの場合には、そのように俯瞰する一元的な視点は最初から存在せず、多様な声がそれぞれ自律的に響き、相互に矛盾しながらも絡まり合っていくカオティックなありのままを小説世界において再現し得ているところに特徴がある。

「意識をモノローグ的に捉える姿勢は、思想的創造行為の別の分野でも支配的である。意義や価値を持つものはすべて唯一の中心、すなわちその担い手の周囲に集められる。あらゆるイデオロギー的創作は、一つの意識、一つの精神のあり得べき表現と考えられ、受け取られている。ある集団や、多種多様な創造力が問題となっている場合でさえも、例えば国民精神、民族精神、歴史精神といったような一つの意識の内に集め、単一のアクセントで縛ることが可能である。そしてそのようなまとまりに従わないものは、偶然的で非本質的なものとされるのだ。近代においてモノローグ原理が強化され、それが思想活動のあらゆる領域に浸透してきたことに力を貸したのは、単一で唯一の理性を崇拝するヨーロッパの合理主義、とりわけ啓蒙主義時代の思潮である。この時代に、ヨーロッパ散文文学の基本的なジャンルの諸形式が形成されたのである。西欧的ユートピア思想もすべてこのモノローグ原理に基礎を置いている。信念の万能性を信じたユートピア社会主義も、またその仲間であった。そしていつの世でも意味の同一性の表象とされるのは、単一の意識、単一の視点なのである。」(167~168ページ)

 理性中心の合理主義や啓蒙主義に淵源する西欧“近代”を文学というジャンルで体現していたのがモノローグ的な言説空間である。これに対して、ドストエフスキーが“ポリフォニー”を可能にすべく用意した舞台が“カーニバル”であった。それは、日常のヒエラルキーが崩され、常軌を逸した矛盾そのままに、あらゆる言葉が対等な立場で響き合う、そうした開かれた対話の空間である。

「カーニバル化は常に様々なジャンル、様々な閉じられた思想体系、様々な文体といったもの相互間のあらゆる障壁の撤去に力を発揮し、あらゆる閉鎖性や相互的な無視を一掃し、遠いものを接近させ、ばらばらなものを統合してきたのであり、そこにこそ文学史におけるカーニバル化の偉大な機能は存するのである」(270ページ)

「カーニバル化──それは出来合いの内容の上にかぶせる表面的な不動の図ではなく、芸術的なものの見方の非常に弾力性に富んだ形式なのであり、それまで見たことのない新しいものの発見を可能にする、一種の発見の原理なのである。交替と更新のパトスを伴ったカーニバル化は、表面的に堅固な、完成された、出来合いのものをすべて相対化し、ドストエフスキーに人間および人間関係の最深層をのぞき込ませたのである。」(335ページ)

カーニバル的形象においては「両極端が互いに出会い、互いを互いの中に見出し合い、反映し合い、知り合い、理解し合っている」。ドストエフスキーの「創作世界に生息するものはすべて、自らの対立物との境界線上に立っているのである。愛は憎悪との境界線上に生息し、憎悪を知り、理解しているのであり、一方憎悪は愛との境界線上に生息し、同じように愛を理解しているのである」。…「また信仰は無神論との境界線上に生息して、無神論の中に映る自分の姿を見、無神論を理解するのであり、一方無神論は信仰との境界線上に生息し、信仰を理解するのである。崇高や高潔は、堕落や卑劣との境界線上に生息している(ドミートリー・カラマーゾフ)。生に対する愛は自己消滅の欲望に隣接している(キリーロフ)。純粋無垢と賢智は背徳と肉欲を理解しているのである(アリョーシャ・カラマーゾフ)。」…「カーニバル化は、大きな対話の開かれた構造を作り出すことを可能にした。すなわち従来は主として単一かつ唯一のモノローグ的意識が、つまり(例えばロマン主義のおけるように)単一不可分で自己増殖的な精神が支配していた精神と知の領域の中に、人間の社会的な相互関係を持ち込むことを可能にしたのであった。カーニバル的世界感覚の助けがあればこそ、ドストエフスキーは倫理的および認識論的な独我論を克服できるのである。自分自身とのみ取り残された人間は、自らの精神生活のもっとも深奥の内面的な領域においてさえ、ものごとに決着をつけるということができず、他人の意識なしにはにっちもさっちもいかないのだ。人間は、自分自身の内側だけでは、けっして完全な充足を見出すことができないのである。」(354~356ページ)

 あらゆる登場人物が脇役ではなく自律性を備えた主体である、と言っても、それぞれが自己完結した単位であるかのようにイメージしてしまうと間違ってしまう。“自分”なるものの内部にも“他者”の視線が入り込み、その入り組んだ自己内分裂の自覚から言葉がにじみ出てくる。たとえば、『地下室の手記』の語り手についてこう述べられる。

「自分に対する他者の意識の支配から逃れ、自分自身のための自分自身にどうにかしてたどり着こうとする最終的で絶望的な試みとして、他者の内にある自分のイメージを破壊し、他者の内なる自分のイメージを汚染すること──これこそ、《地下室の人間》の告白全体の狙いである。だからこそ彼は故意に、その自分自身についての言葉を醜悪なものにしようとする。そして彼は、他者の目に(かつ、自分自身の目に)英雄として映りたいという、自分の内なる欲望をすべて抹消しようとするのである。」(478ページ)

 カーニバル的な対話空間は、こうした自己内分裂をも白日の下にさらけ出してしまう。そもそも、自分が一体何者なのか? 一つ一つの言葉が呼びかけ、呼びかけられ、相互応答する中ではいずりまわる。作者自身も上から目線で彼らを操るなどということはできず、同じ地平に巻き込まれて対等な立場で登場人物たちとの結論なき対話に応じ、さらには読者もまた、作者をも含めた彼らの呼びかけに向かって真摯に呼応せざるを得なくなる。そのような応酬で切り結ばれた言葉にこそ、読み手の肺腑をえぐり、不安に陥れるリアリティーがあった。

「主人公の対話に介入せず、中立的に、客観的にその完結した形象を紡ぎ出す当事者不在の言葉というものを、ドストエフスキーは知らない。人間の個性を総括してしまうような《当事者不在》の言葉というものが、彼の構想に入り込むことはないのである。自らの最後の言葉をもはや言いきってしまった確固とした、生気のない、完結した、返答のないものは何一つ、ドストエフスキーの世界には存在しないのである。」(525~526ページ)

 話はかわるが、私自身の基本的な関心事は、東アジア世界における日本の近代思想史を自分なりの視点で捉えてみたいというところにある。右翼とか左翼とか、保守派とか進歩派とか、体制派とか反体制派とか、そうやって画然と分類して、一方を是として他方を論難するような議論というのが昔から大嫌い。と言うか、肌に合わない。真摯な言葉であれば、その人がどんな立場にあろうともそう語らざるを得なかった必然性というのがやはりあるわけで、それぞれに多様な思想が互いに矛盾しつつも絡まり合って、総体として、それこそポリフォニーとして響き合っている、そうしたあり様を描き出した思想史があれば是非とも読んでみたいし、なければ出来得るならば自分自身で書いてみたい(言うまでもないが、教科書的にこんな思想があった、あんな思想もあったと無味乾燥に列挙するのとは次元が根本的に異なる)。バフチンを読みながらそんな気持ちに駆られたという次第。

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2009年10月21日 (水)

須賀敦子『ユルスナールの靴』

須賀敦子『ユルスナールの靴』(『須賀敦子全集第3巻』河出文庫、2007年、所収)

 先日、NHK教育テレビで須賀敦子さんについての番組をやっていた。もともと須賀さんの文章は好きなので、寝しなに何気なくページをめくった。

 マルグリット・ユルスナールの作品と人生に、須賀さん自身の胸中に去来していた様々な思いを重ね合わせてつづられる。いわゆる文学評論ではないが、私的な一方通行の独白というのでもない。おそらく二人のパーソナリティーは全く異なるとは思うのだが、須賀さんの心情とどこか触れ合う地点でユルスナールの顔も一瞬立ち上る感じがまた不思議な文章である。

 冒頭の一文から私の気持ちはひきつけられる。

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。」

 ふとしたきっかけで、なぜか心をとらえられる対象が現われることがある。それと真摯に向き合うことで、対象そのものの輪郭が見えてくるのはもちろんだが、同時に、そこから逆照射される形で、我ながらはっきりと形がつかめないながらも自分の心中に明滅している何かに、徐々に、徐々に気が付いていく。文学作品を読むというのは、そういうところに醍醐味があるのだと思っている。同行二人という表現が適切かどうか分からないが、作品なり、作家なり、ある対象と取っ組み合うことで、自分の中で見たいと思っていた視野が、その作品を越えて広がっていく。

 ユルスナールという靴をはいて歩いた旅路、彼女について語られつつも須賀さんの心象風景によぎるイメージを同時にたどり、二人の旅路を、読み手たる私もさらに跡を追っていく。読書はもちろん孤独な営みではあるのだが、読みながら、一人ではないんだなあ、と漠然と感じる。

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2009年9月27日 (日)

金関丈夫『龍山寺の曹老人』

 戦後間もなく、天皇制の呪縛から解き放たれたのを機に、日本民族起源論が活発になった。江上波夫、岡正雄、八幡一郎、石田英一郎の座談が有名だが、こうした一連の議論の中で金関丈夫の名前も見えたことが、私の金関についての第一印象であった。本職は解剖学だが、京大で清野謙次から人類学、浜田青陵から考古学の手ほどきも受けている。ヨーロッパ留学を経て、台北帝国大学医学部に赴任、森於菟(鴎外の長男)と共に解剖学教室の設立にあたった。以前に岡書院発行の民族学・考古学雑誌『ドルメン』の編集に関わった経験もあり、池田敏雄から『民俗台湾』創刊の相談を受けたときには、肩のこらない学術雑誌という趣旨で『ドルメン』をモデルにするよう提案している。

 金関のジャンルを越えた教養の幅広さはよく知られている。彼の著作で入手しやすいのは『木馬と石牛』(岩波文庫、1996年)であろうか。小さい頃からの文学好きで、古今東西の説話・伝説の類を比較考証するこの本にも、やわらかい学術エッセイとしての軽妙な筆さばきが冴えている。

 日本の敗戦後、金関は留用されて肩書きは台湾大学教授となった。これからどうなるものやら、と日本人がみな浮き足立つ中、金関は「こんなときこそ勉強するのが一番だ、それがイヤなら小説でも読むことだな」と話していたらしい(池田敏雄「敗戦日記」『台湾近現代史研究』第4号)。そうした不安な状況下に書いた連作探偵小説が『龍山寺の曹老人』である(金関丈夫『南の風』[法政大学出版局、1980年]所収)。探偵小説好きが昂じて自ら執筆した医学者としては他に木々高太郎(林髞)も思い浮かぶ。金関は戦争中に『船中の殺人』も出版している(私は未見)。探偵小説に詳しい評論家の尾崎秀樹は当時、台北の中学生で、父・秀真(ほつま)の紹介で金関の研究室を訪問したこともあり、『船中の殺人』を買って読んだことを回想している(『えとのす』第21号)。なお、金関は林熊生というペンネームを用い、西川満主宰の『文藝台湾』同人名簿にもこの名前で載っている。

 龍山寺は台北・萬華の古刹。曹老人は日がな一日龍山寺の境内に座っているだけだが、物事はすべてお見通し。ある意味、ミス・マープルのような感じか。推理をめぐらす時は眼光鋭く、終わるとまたぼんやりした表情に戻る。口コミ・ネットワークで街の情報にも精通している。台湾の寺廟に行くと、何するともなくボーっと座っている老人を見かけることがあるが、ひょっとしたら、うかがい知れぬ智慧を秘めているのかもしれない、という着想があったのだろうか。堂守の范老人はワトソン、いつも事件を持ってくる陳警官はレストレード警部といった役回り。最後に関係者一同を集めて謎明かし、「犯人はお前だ!」(とは言わないが)という感じにしめくくられるのもセオリー通り。心霊写真や霊媒(台湾の関三姑)といった道具立ては、心霊現象に関心を寄せていたコナン・ドイルを連想させる。金関のことだから、しっかり読んでいたはずだ。

 『民俗台湾』第29号(昭和18年11月)では、媳婦仔の特集が組まれている。息子の嫁にする前提で他家から幼女をもらい受け、事実上、奴隷働きさせる習俗である。連作中の一篇「観音利生記」は媳婦仔の少女を救い出す話だ。

 民俗採集は社会的慣習のありのままを記述するというだけでなく、その慣習にはらまれた不合理な要素も際立たせる。少女作家・黄氏鳳姿は萬華の習俗を作文につづりながら、自分の身辺の中世的に暗い部分が目に付いて、書くのをやめたいと思ったところ、池田敏雄から説得されたことを回想している(池田鳳姿「『民俗台湾』の時代」、復刻版『民俗台湾』第五巻[南天書局、1998年]所収)。植民地社会における習俗のマイナス面の改善を図ることは“文明化”なのか、それとも“植民地化”なのかという議論はなかなか難しいところだ。“文明化”という大義名分の下、政策当局者の統治合理化という思惑による強制に転化するおそれが常にある一方で、気付いてしまったものを放っておくわけにもいかない。ただし、『民俗台湾』の編集スタンスとしては、“皇民化”という形での台湾社会に対する日本文化の不合理な押し付けに反対しており、媳婦仔のようなマイナス面に向けられた視線にはある種のヒューマニズムが動機として息づいていたことには留意しておく必要があるだろう。『龍山寺の曹老人』は娯楽小説ではあるが、台湾生活の中での見聞が織り込まれている点でも興味深い。

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2009年9月 6日 (日)

『マンスフィールド短編集』

 本棚をひっくり返していたら『マンスフィールド短編集』(安藤一郎訳、新潮文庫)が出てきて、何となく気が向いたので読み返した。

 建前の表情の背後にうごめく感情の微妙なさざなみ、往々にして直視したくない嫌なものだが、だからこそ普段の生活の中ではやり過ごしてしまうのが当たり前に慣れてしまっている。それを敢えて突きつけられるところに小説を読む一つの醍醐味を私は感じている。

 キャサリン・マンスフィールドという人の神経質な感受性は、いかにも常識的なたたずまいの裏に潜む別の思惑を敏感に感じ取ってしまう。それを露悪的にあげつらうというのではない。繊細であるがゆえに否応なく見えてしまうのだが、見えてしまった自分をも汚らしく感じ、罪悪感をもてあましてしまうほどの潔癖な純粋さ。建前で組み立てられた大人の世界に迷い込んで戸惑いを抱く子供の視線、「園遊会」に描かれている少女の心情がまさにそうだ。

 逆に、天真爛漫さが一種の“権力”を発揮してしまうことだってある。たとえば、「鳩氏と鳩夫人」、少女に翻弄される純朴な青年の困惑など、あり得るなあと思う。

 「ブリル女史」。公園のベンチに座って行き交う人々の姿を眺める年増女性、その心象風景が一挙に反転するオチには、ちょっと身につまされるような哀愁がある。見ようによっては相当に意地悪だ。

 感情の動きを微細に描き出していく、そうした書き手自身の自意識の強烈さは近代小説の特徴だが、若死にした彼女の執筆時期は第一次世界大戦後、ヴァージニア・ウルフ、ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストなどと同時代であることからすれば、心理主義に分類されることもあるのだろうか。私は文学史のことはよく分からないが。ただ、マンスフィールドの筆致は分析的ではなく、もっとウェットな感傷の漂っているところは読んでいて引き込まれる。

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2009年8月11日 (火)

…というわけで、藤沢周平

 お盆休みを利用して佐渡島・庄内平野へ出かける予定。どこでもいいから青春18切符を使って安上がり旅行でもしようというのが当初の思惑だったのだが…。東京発の場合、夜行快速で距離を稼ぐのが基本。ムーンライトながら(大垣行き)は使ったことあるから、ムーンライトえちごにしよう、日本海側には滅多に行く機会ないし、佐渡島でも行ってみようか、などと思いながら指定券をとろうとしたら、出発予定日はすでに満席。へこんだ。

 しかし、気持ちはすっかり佐渡へ行くつもりになっている。よし、夜行バスならどうだ?と調べたら、新潟行きの空席あり。ゲット! しかし、青春18切符旅行ではなくなった。大義名分はどうするか?(ま、そんなもんいらないんだけど)佐渡と言えば北一輝。でも、佐渡だけじゃつまらない。日本海沿岸つながりで庄内平野まで足をのばそう。庄内といえば、大川周明と石原莞爾──。というわけで、“日本右翼ふるさと探訪の旅”(笑)なる企画に落ち着いた次第。

 佐渡関係の人物としては、流人では文覚、順徳上皇、日蓮、京極為兼、日野資朝、世阿弥、佐渡生まれでは北の他に司馬凌海、土田麦僊・杏村兄弟、青野季吉、有田八郎、本間雅晴、林不忘といったあたりがいる。庄内関係では、大川・石原の他に清河八郎、高山樗牛、阿部次郎、小倉金之助、服部卓四郎、土門拳、そして忘れてならないのが藤沢周平。

 周知の通り、藤沢周平作品架空の舞台・海坂(うなさか)藩のモデルは、周平の故郷・庄内藩である。本来なら、庄内→海坂→藤沢周平と連想するのが常識人か。

 実は、私は藤沢作品をそんなに読んでいない。覚えているのは、雲井龍雄を描いた『雲奔る』(文春文庫、1982年)、映画「武士の一分」の原作となった『隠し剣秋風抄』(文春文庫、1984年)くらい。それでも、藤沢作品の筆致のイメージはすぐにわいてくるのが我ながら不思議。中高生くらいの頃、歴史小説が好きだったので何か読んだのかもしれないが、忘れてしまった。別に嫌いというわけじゃない。読み始めたらのめりこむ。ただ、他に読みたい本、読むべき本がありすぎて、プライオリティーが高くなかったというだけ。

 早速、藤沢作品をいくつか手に取った。最も評判が高いのは『蝉しぐれ』(文春文庫、1992年)。藩のお家騒動を背景に、青年・牧文四郎の成長を描く一種のビルドゥングスロマンという感じ。少年期の淡い恋心と大人になってからの陰謀騒動とのからみ、一気呵成に読み進んでしまう面白さ。『回天の門』(文春文庫、1986年)。新撰組の母体ともなった浪士組を組織した清河八郎の生涯。能力はあるが性狷介、とかく評判の悪い清河だが、庄内なんて辺地に逼塞していたくない、大舞台で自分の能力を試したい、そのようにウズウズした熱意を肯定的に描く。そういえば、大川周明も清河の評伝を書いていたはずだ。郷土の先人として清河を慕う気風があるのか。

 『半生の記』(文春文庫、1997年)。生い立ちや身辺雑記をつづったエッセイ集。どもりだった少年期、結核の療養生活、挫折を抱え込んだコンプレックスから他人の視線に敏感にならざるを得なかったことが一つの観察眼を生み出しているのか。それが意地悪にはならず、人の感情をこまやかにすくい取って描き込む方向で作用しているところが、叙情的な時代物という藤沢イメージにつながっているようにも思われる。『周平独言』(中央公論新社、2006年)。これもエッセイ集。庄内の土地柄に絡めて清河八郎、石原莞爾、大川周明という三人の比較論をやっている文章に興味を持った(「三人の予見者」)。カリスマ的な予見者として三人に共通点を見出すほか、庄内藩は徂徠学を藩学としていたが、その中にも恭敬派と放逸派とがあって、清河や石原の率直な物言いには放逸派の伝統が見られること、二人とも敵が多かったことを指摘。少年期に見かけた、普段は怠け者のくせに東亜連盟に入って騒ぎまわっていた爺さんのこと、その一方で、石原が奨めた東亜連盟方式の農法に黙々と取り組む人々のことも記されている。

 そういえば、佐高信(この人も庄内出身)が何かで藤沢周平と司馬遼太郎とを比較してたが、藤沢=庶民の視点→良い、司馬=英雄史観→ダメってな具合(苦笑)。こういう脳ミソ単細胞はほっとくしかないな。

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2009年8月 4日 (火)

石牟礼道子『苦海浄土』

 石牟礼道子『苦海浄土──わが水俣病』(講談社文庫、1972年)、『苦海浄土・第二部 神々の村』(藤原書店、2006年)を手に取った。時々勘違いしている人がいるけれど、石牟礼さんはいわゆる社会運動家とは違う。文章を素直に読めば分かるが、ある種の生硬さとは無縁の人である。

 詩人の相貌には、山川草木に息づく霊魂のささやきを言葉に移しかえていく、そうしたいわば巫女としての面持ちが浮かぶ。石牟礼さんがまさしくそうだ。同じ水俣の風土に馴染んだ者として、水俣病患者に降りかかった苦難を目の当たりにし、言葉にはならぬかそけきうめきを我が身に受け止め、形を与え、リズムを与え、表現として紡ぎ出していく。うめきそのものが表現を求める。彼女の筆を通して語られつつも、媒介者としての言葉はもはや彼女のものではない。だから、“正しい”ことを語る語り口がともすれば帯びやすいこぶしを振り上げるようなおごりたかぶりは微塵もない。うめきそのものなのだから、彼女もまたそれを受苦せざるを得ず、そしてただひたむきにうめきのたどる道行きを共にたどる。

 人びとの思いが、水俣の土地の言葉でつづられる。その肉感的な生々しさが胸を打つ(ただし、この作品を編集者として世に送り出した渡辺京二氏の解説によると、必ずしも正確な聞き書きではないらしい)。国家や経済社会が押し付けた所業への呪詛も込められつつ、同時に、それへの抗議として一つの政治的ロジックにまとめあげようとする人びと、もちろん、動機は良心的ではあるのだが、そうした人たちへの微妙なわだかまりもまた、ほんの時折ではあるにしても筆先ににじむ。

 近代文明、知識人(水俣の人たちは東京の役人や政治家を指して「東大アタマ」と表現していた)、彼らの使う言葉によって、皮膚感覚からにじみ出た限りない切迫感が周縁化されてしまっているという違和感。大文字の〈近代〉に対する、土に根ざした声を以てする異議申し立てという構図は今さら陳腐に堕するかもしれないが、水俣病患者のうめき声を通した、概念でもなく、正義でもなく、言語以前に立ち上る根源的な問いかけ、それを見事に表現し得ているのは、ただひとえに石牟礼さんの時には不器用にすら思える誠実さ以外の何ものでもない。

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2009年7月27日 (月)

須賀敦子『トリエステの坂道』

須賀敦子『トリエステの坂道』(みすず書房、1995年)

 亡き夫ペッピーノと暮らしたミラノの追憶──夫の親族、街で知り合った人々にまつわる思い出をつづったエッセイである。ひょっとしたら不愉快なこともあったかもしれないが、そうした雑音もいとおしさの中に包み込んでしまうような筆致で描かれた一人ひとりのエピソード。過剰な起伏もなく淡々とした光景の中に人生の哀歓をほんのりと漂わせたドラマがあって、ページをめくりながらいつしか取り込まれてしまう。須賀さんの文章を読むとしっとりと落ち着いた気分に浸ることができるので、たまにふと手に取りたくなることがある。

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