カテゴリー「読書」の71件の記事

2014年4月13日 (日)

張国立『張大千と張学良の晩餐会』

張國立《張大千與張學良的晩宴》(印刻文學生活雜誌出版、2014年3月)

 1994年、台北。すでにハワイへ移住した張学良(1901~2001)の収蔵品がオークションにかけられているシーンからこの小説は始まる。様々な思惑から注目が集まる中、とりわけ目立ったのが世界的に著名な画家・張大千(1898~1983)の書。1981年の旧暦正月16日、張大千が張学良や張群(1989~1990)を招いて晩餐会を行なったとき、自らメニューを認めたものだという。このオークション会場に来ていた主人公・梁如雪は何か探し物がありげな様子。偶然、旧知の人物と出会ったのをきっかけに、かつて張学良と共に過ごした日々を思い出し始める。

 外省人の軍人だった父、台湾人の母との間に生まれた一人娘だった彼女は、大学の法学部を卒業後、情報機関に入る。父の影響が大きいが、ただし仕事一筋で家庭を省みなかった父との関係はむしろ疎遠であった。訓練終了後、最初に配属されたのは台北近郊の温泉地・北投。そこには自宅軟禁中の張学良がいる。張学良の世話係として彼の動静を監視するのが彼女に課せられた任務であった。1981年のことである。

 情報機関の上官たちは張学良の一挙手一投足に神経をとがらせている。国民党統治下の台湾では、たとえ抗日統一戦線の呼びかけが大義名分だったとしても西安事変で蒋介石に矛を向けた張学良に対する評価は極めて厳しい。張学良や張大千(四川省出身)といった著名人が共産党の呼びかけに応じて大陸へ帰ってしまったら、国民党の対外的権威にとってマイナスである。ところが、総統に就任したばかりの蒋経国は張学良と仲が良く、彼に対する態度が甘い。「小蒋」には危機感が乏しい、と情報機関幹部は歯ぎしりするばかり。

 娘が張学良の世話係になったことを知った父親は嬉しそうな表情。そんな父に彼女は反感を覚える。張学良は「叛国叛党の徒」ではないか。ところが、父の見解は違う。彼は国家や人民の行く末を心から憂えていたはずだ、と言う。父はかつて孫立人の指揮する部隊で戦った経験を持つ。蒋介石によって排除された孫立人への同情が張学良にも投影されているのではないか、と彼女は考えた。

 ところが、梁如雪も生身の張学良を知るにつれて、今まで教えられてきた「歴史」に違和感を抱き始める。何よりも戦争に翻弄された父にとって「歴史」は切実な問題であった。家に引きこもっていた父は真実を知りたいという思いから、やおら図書館通いを始め、張学良について調べ始める。知り得たことはまず娘に知らせたい。疎遠だった父と娘だが、共に語らう時間がいつしか増えてきた。世代によって異なる歴史認識が、「真実」を知りたいという気持ちを共有することで、その距離を縮めていく。そうした関係性がこの親子関係に表現されていると言える。

 1931年の満洲事変に際して、張学良は放蕩生活に身を持ち崩していたから日本軍に敗れたのか。それとも、蒋介石から不抵抗主義の訓令を受けていたから敢えて撤退したのか。梁如雪は上官から「老総統(蒋介石)が張学良に宛てた古い電文が隠されているはずだ。それを見つけて来い」と命じられた。蒋介石が日本軍へ抵抗しないよう訓令した事実を隠蔽しようという意図である。同じ頃、父からは「日本軍が来たとき、本当は遊んでなんかいなかったのではないか。そのことを張学良に確かめて欲しい」と頼まれていた。真実は如何に…?

 ところで、この小説では張大千が料理の支度を進めるシーンが所々で挿入されている。1981年の旧暦正月16日、かつて蒋介石側近だった張群の車が突然、張学良邸を訪れた。警備にあたる情報機関員が制止しようにも、張群の政治的権威に逆らうことはできない。張群は張学良夫妻を連れ出し、そのまま張大千邸で開催される晩餐会へと向かった。

 1980年代後半、台湾が民主化へと向かうのとほぼ同じ頃、張学良への事実上の軟禁状態も解かれるようになった。作者が1993年に張学良にインタビューした記録が本書の巻末に収録されている。そこで張学良はこう語っている。「蒋介石は生涯を通して王陽明を崇拝しており、『我看、花在;我不看花、花不在』という王陽明の言葉を信じていた。でも、私はそういうのとは違ってこう思うんだよ。『我看、花在;我不看花、花還在』とね。」

 蒋介石が王陽明から引用していた言葉は、ある意味、為せば成るという主観的な精神主義を表している。それは一面において積極的な行動力として具現化され、歴史を動かす起爆剤となった。他方で、「我不看花、花不在」という部分は、政治権力を正統化するイデオロギーによって歴史はいくらでも歪曲されかねないことを暗示していたとも言えるだろう。

 これに対して、張学良の態度はどうであったか。私が見ていようといまいと、花がそこにある事実に変わりはない。それは、権力の都合によって歴史解釈が左右されようとも、自分の知っている歴史的事実は変えようがないという意味を帯びる。さらに、周囲の思惑が喧しくても、そんなことには頓着せず、自分は自分に与えられた宿命の中で生きていくしかない。そうした人生態度も引き出せる。この小説での張学良はそうした悠然たる態度を持した人物として描かれている。さらに、張大千が淡々と料理の支度を進める描写が折に触れて挿入されることで、そうした二人のマイペースな姿が、監視する情報機関の慌てぶりを際立たせ、面白い味わいを醸し出している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月16日 (日)

【雑感】張良澤・作、丸木俊・画『太陽征伐──台湾の昔ばなし』

張良澤・作、丸木俊・画『太陽征伐──台湾の昔ばなし』(小峰書店、1988年)

 少々古い絵本だが、「世界の昔ばなし」シリーズの1冊。前半は原住民族の伝説を、後半は平地の漢民族の伝説を昔話風にリライトしている。台湾の主だった伝承を手軽に知ることができる。

 昔、二つの太陽があった。昼夜を問わず照り続けるため、疲れ果てた人々は、片方を弓矢で射落とそうと考えた。選ばれた勇者たちは、はるかかなた、太陽を求めて歩き続けるが、中途にして力尽きて倒れていく。太陽征伐の使命は次の世代に引き継がれ、ようやくにして射落とすことに成功した──本書の表題作は、台湾原住民の一つ、タイヤル族に伝わる伝説である。

 この話は、以前に読んだ黄煌雄《兩個太陽的臺灣:非武裝抗日史論》(台北:時報出版、2006年)という本で知っていた(→こちらで取り上げた)。黄煌雄は蒋渭水の評伝も書いており、サブタイトルから分かるように、日本統治時期台湾における民族運動史をテーマとしている。「二つの太陽」という表現には、日本という支配者=政治勢力と、台湾在住漢民族という被支配者=社会勢力と二つの太陽が台湾には輝いている、しかし二つの太陽が並び立つことはできず、いずれかが射落とされなければならない、という意味合いが込められており、これは賀川豊彦が台湾について原住民の神話を引きながら書いた文章に由来するそうだ。賀川は何度か台湾へ伝道旅行に出かけているから、その折に「太陽征伐」の伝説を耳にしたのだろうか。「太陽征伐」のモチーフそのものは、北米インディアンなどの伝説にも見られるらしい。

 パスタアイ(矮人祭)はサイシャット族に現在も伝わる祭礼だが、肌が黒く、背丈の小さな先住民・タアイにまつわる。彼らは農耕など先進的技術を教えてくれたが、悪さも過ぎたため、あるとき、皆殺しにされてしまった。タアイの霊を慰めるために行われるようになったのがパスタアイだと言われている。色黒の小人を皆殺しにしたという伝承は台湾各地にあり、例えば、そうしたヴァリエーションの一つが伝わる小琉球の烏鬼洞を私も以前に訪れたことがある(→こちら)。

 娘が鹿と婚姻を結び、それを知った父親が鹿を殺してしまったというアミ族の説話は、柳田國男『遠野物語』にも見えるオシラサマの伝承と似ている。ちなみに、台湾の人類学的調査で知られる伊能嘉矩は遠野の出身である。蛇足ついでに書くと、藤崎慎吾『遠乃物語』(光文社、2012年)は、台湾から戻った伊能と、『遠野物語』の語り部となった佐々木喜善の二人を主人公にイマジネーションをふくらませた小説である。

 台湾各地にある城隍廟に入ってみると、背高ノッポとおチビさんの二人組みの神像が印象に強く残る。七爺八爺、ノッポの七爺は謝将軍、背の低い八爺は范将軍、という。二人はもともと親友同士だったが、ある日、橋のたもとで待ち合わせたとき、七爺は事情があって戻って来れなかった。やがて大雨で川が氾濫し、友は必ず戻ると信じていた八爺はそのまま溺れ死んでしまった。そのことを知った八爺は責任を感じて自殺してしまう。こうした二人の関係は信義の象徴として神に祭り上げられた。七爺がアッカンベーしているのは首吊りしたから。八爺の顔が赤黒いのは水死したから。そう言えば、黄氏鳳姿『七爺八爺』という作品があったが、私はまだ読んでいない。黄氏鳳姿は日本統治時代の台湾でその文才を池田敏雄によって見出され、綴方教室で有名な豊田正子と同様の天才少女として知られるようになった人。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月29日 (火)

一青妙『私の箱子(シャンズ)』

一青妙『私の箱子(シャンズ)』(講談社、2012年)

 「風を聴く~台湾・九份物語」という映画を以前に観たことがあった。金鉱のおかげでかつては活況を呈し、ひところは「小香港」とも謳われた九份、そこに暮らす人々の現在を写し撮ったドキュメンタリーである。一青妙はそのナレーションをしていた。彼女が一青窈の姉だと知ったのはこの映画を観たときだったと思う。

 一青姉妹は九份にちょっとしたゆかりがある。日本による台湾統治の初期、九份の金鉱経営で財を成した顔雲年は台湾でも有数の財閥を形成、今も顔一族は台湾五大家族の一つに数えられる名家として続いている。ところで、一青妙、窈姉妹の台湾名はそれぞれ顔妙、顔窈という。彼女たちの父・顔恵民は顔一族の御曹司であった。なお、母親は日本人で、姉妹の日本名・一青は母方の名字である。

 まだ子供の頃に亡くなった父の面影。自らについて多くを語らなかった母のこと。記憶のつまった箱子を開けてみると、幼い頃の思い出と共に両親の姿が脳裡にまざまざと立ち上ってくる。矢も盾もたまらず両親を知っていた人々に話を聞きにいき、旅路は日本、台湾、そしてアメリカにまで及んだ。なつかしさをかみしめるだけではない。子供心には不思議だった何気ないことに、そんな事情があったのか、と今さらながら分かることもある。

 ガンに侵された父、頑ななまでに告知をこばむ母。告知しないというのは当時において日本人的な思い遣りであったと言えるが、逆に本当のことを知りたいと父は苛立ち、二人の仲が気まずくなっていたこと。父はスキーに山登り、そして本が大好きな高等遊民だったが、顔一族を背負って立たねばならないというプレッシャーに負け、精神的に行き詰っていたこと。東京に留学して日本の風物に馴染みのあった父は日本の敗戦を機に台湾へ戻る。しかし、二二八事件、白色テロと続く台湾社会の変化に絶望し、日本へ密航してきた(犬養家の息子と親友で、その父・犬養健の家に一時期居候していたらしい)。妙は、自らが育った1970年代の台北で過ごしたのどかな日々を思い返しながらも、そうした風景の背後に戒厳令が敷かれていたなんて実感が湧かない。

 年齢的に言って私は一青妙と一青窈の間に挟まるから、同世代である。だが、ここで描かれる光景はちょっと別世界と感じる。一つはもちろん台湾だからということもあるが、それ以上に、台北の大きな邸宅など、やはりお嬢様の生活だ。

 ただし、妙さんのさらっとした筆致は全く嫌味を感じさせない。顔一族の「お家騒動」を面白がっているところなど、むしろ別世界に紛れ込んでしまった者の視点で見てくれている感じ。何かを説明するよりも、目に焼きついた風景、鼻に感じたにおいなど素直に描写しているところに好感を持てる。例えば、日本とは違って茶色っぽい台湾のお弁当。見かけではなく、食べておいしいという実質重視の描写が、やけに食欲をそそった。

 日本と台湾との狭間に立った体験的作品としては、温又柔『来福の家』(集英社、2011年)も以前に読んだ。日本育ちで台湾人なのに日本語の方が得意、改めて中国語を学び、二つの言語に翻弄された困惑を通して感じた言葉の不思議をモチーフとして織り込んでいるところが興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 4日 (水)

最近の中国の小説を何冊か

 郭敬明(泉京鹿訳)『悲しみは逆流して河になる』(講談社、2011年)を読んだ。原題は《悲傷逆流成河》。郭敬明は中国の八〇后世代の作家としてカリスマ的人気を誇る。

 リリカルな文体にしっかり練られた翻訳はとても上手なのだが、肝心のストーリーはありがちな学園もの。『セカチュー』系の青春小説、ラノベといった感じ。上海が舞台なのだが、描きこまれている心情描写を見ていると、固有名詞を入れ替えればそのまま日本のラノベといっても通用しそうな錯覚すら覚える。同様に八〇后世代の田原(泉京鹿訳)『水の彼方』(講談社、2009年)を読んだ時にも思ったが、日本人にも読みやすい。それだけ若年層では共通した感性が醸し出されつつあることは非常に興味深いのだが、逆に考えると、この手のラノベは日本には掃いて捨てるほどあるから、日本人がわざわざこの作品を読む必然性はないとも言える。

 余華(泉京鹿訳)『兄弟』(上・文革篇/下・開放経済篇、文春文庫、2010年)は刊行当初から話題になっていたのは知っていたが、確かに面白い。公衆トイレ(ボットン便所)で女の尻を覗き見してたら肥溜めに落っこって窒息死した父。その息子である主人公もやはり覗き見してたら捕まって吊し上げられたが、その時に見た村一番の美少女の尻の話をネタに商才を発揮して…って、なんだこのシュールな出だしは(笑)

 しかし、読み進めていくと文革時の悲劇の描写が続き、改革開放の気運に乗じて出世していく過程では金儲けに浮かれた世相がたくみに織り込まれている。世相諷刺が直截的だと正義感の臭みで興醒めするものだが、この小説の場合、荒唐無稽なファルスだからこそ人間の欲望のむき出しになった姿があられもなく描き出されていく。そこが面白い。

 余華(飯塚容訳)『活きる』(角川書店、2002年)を読んだ時にも思ったが、彼の作品は、第一に中国ならではの歴史的背景を踏まえた内容を持ち、第二に人生の哀歓を感じさせるストーリーは老若男女を問わず鑑賞できる。だから、書評でも頻繁に取り上げられ、読者層も広がったのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月26日 (月)

奥田英朗『オリンピックの身代金』

奥田英朗『オリンピックの身代金』(角川書店、2008年/角川文庫、2011年)

 1964年、東京オリンピック。日本全国がオリンピック開催に向けて気分を高揚させている中、苦学している東大生の島崎は、突貫工事中の建設現場で土方として働く兄の死を知った。オリンピック景気で華やいだ世相の陰で犠牲となっても顧みられることのない貧しき人々の苦衷──。義憤に駆られた島崎はオリンピック妨害のテロを決意する。

 川本三郎『小説を、映画を、鉄道が走る』(集英社、2011年)を読んでいたら、地方からの上京者について触れた箇所で『オリンピックの身代金』に何度か言及し、本当によく調べて書かれている、とほめていたので手に取ってみた。確かにストーリーテリングがうまいだけでなく、細かなシーンでも当時の世相がしっかり描きこまれているところが私には面白かった。経済的格差の理不尽さに対する怒りが動機となった犯罪という点で黒澤明の「天国と地獄」のような筋立てだ。川本さんには最近映画化された『マイ・バック・ページ』(河出文庫、1993年/平凡社、2010年)で記されているような個人的事情があるから、こうした筋立てにも共感しているのかもしれない。奥田英朗作品では『サウス・バウンド』(角川書店、2005年)も読んだことがあったが、これは元全共闘活動家の時代錯誤なおっさんが南の島でリゾート開発業者を相手に戦いを挑む話だった。

 初めの方、中野の名曲喫茶クラシックの名前が出てきたのが何となく嬉しい。この店の最晩年、私も足を踏み入れたことがある。奥行きがある店内の不可思議な構造が面白かった。折に触れて来ようと思ったのだが、次に行ったときは閉店のお知らせと管財人の告知文が貼ってあり、もうしばらくして通りかかったら跡形もなく消えて新しいビルに変身していた。当時の名曲喫茶の雰囲気を窺い知ることができるのは、今では渋谷のライオンくらいしか思い浮かばない。

 柄の悪いヤクザ者は外国人観光客の目障りだからオリンピック期間中は東京から出て行け、というお達しが東声会の町井久之を通じて出されていたらしい。「文明国」としての外向けの体裁を取り繕うことに、当の暴力団までが協力した。ちなみにこの町井というのも昭和の裏面史では興味深い人物で、城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男──「東声会」町井久之の戦後史』(新潮社、2009年)というノンフィクションを読んだ。未解決の「草加次郎」事件のエピソードは桐野夏生の小説にも出てきた記憶がある。確か『水の眠り 灰の夢』(文春文庫、1998年)だったか。

 社会的・経済的格差はここ最近の話題というわけではない。岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書、2007年)で指摘されているように、貧困層や地方・中央の格差は実際には高度経済成長期を通じて一貫して存在しており、しばしば用いられる「一億総中流」という表現はある種の虚像に過ぎなかった。ここで描かれる昭和の光景は、例えば映画「Always──三丁目の夕日」でノスタルジックに描かれた「貧しいけれど未来に希望のあった庶民生活」とはまた異なる。繁栄に向けて日本中が浮き足立つ中、取り残された人々の諦めや屈折に思いを凝らすことはなかなか容易ではない。政府や企業ばかりでなくヤクザ、過激派学生、飯場で働く者たちまで誰もが異口同音に「日本のためオリンピックを成功させよう」と言っていた。将来の展望が開けない者にとって、自らの不遇を何とか意義あるものにつなげたいという気持ちの表われだったのかもしれない。だが、オリンピックという国家的イベントによって高揚された「日本人意識」は厳然として存在する貧困や格差といった負の現実を覆い隠す作用も同時に果しており、その矛盾点を突こうとしたのが『オリンピックの身代金』の主人公・島崎の意図であった。

 そう言えば、北京オリンピック後の北京を訪れたとき、街中のあちこちで「文明的に振舞おう」という趣旨のスローガンを見かけた。外国人観光客に見られても恥ずかしくないように、公衆道徳教育がだいぶ盛んに行なわれたようだ。地方から出稼ぎに来ていた農民工がオリンピック直前の時期に強制退去させられたという報道もあった。対外的に見栄えを取り繕うため、「汚い」ものは隠す。その「汚さ」とは社会的矛盾の具体的表われであり、とりもなおさず政府の失敗であるにもかかわらず。オリンピックが「スポーツの祭典」「平和の祭典」などというのは単なる建前であって、後進国にとってはあくまでも自国の発展ぶりを海外に向けて誇示するための国威発揚の舞台に過ぎない以上、恥ずかしいと感じている汚点はナショナリズムという「正義」の下で覆い隠そうとする。どの国も似たようなことをするものだと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月19日 (土)

アーサー・ウェイリーのこと(中文)

   一般的日本人看不懂古文,仔细地欣赏《源氏物语》的日本人不太多。不过《源氏物语》是世界文学史上最早出现的长篇叙事小说,很受世界读者的欢迎。这部古典作品负有盛名的原因与其在故事本身的魅力,不如在英译本的巧妙笔致。

  在大英博物馆工作的东洋学家亚瑟·伟雷(Arthur Waley)从1925年到1933年把《源氏物语》翻译成了英文,这部英译本被翻译成了别的外文。伟雷中文也不错,他把很多中国诗和古典作品翻译成了英文,出版了李白、白居易、袁枚的传记。听说伟雷翻译的中国诗影响了英文诗的新型式。

  伟雷当时交往的文人之一、女性作家维吉尼亚·伍尔芙(Virginia Woolf)对《源氏物语》特别感兴趣。很多的中世故事只有简单的情节,没有微妙的心理描写。不过《源氏物语》描写登场人物的感情动摇的样子被伟雷翻译成了复杂和丰富的心情表现,那种形式好像是现代的。伟雷正在翻译《源氏物语》的时候,法国作家马塞尔·普鲁斯特(Marcel Proust)的《追忆逝水年华》也出现了。当时有的评论家把伟雷的《源氏物语》当做了跟普鲁斯特和维吉尼亚·伍尔芙一样的心理分析小说。

  第一次把《源氏物语》翻译成英文的不是伟雷,而是去英国留学的日本人末松谦澄(他后来成了很有名的政治家)。他1882年在伦敦出版了《源氏物语》的英译本。但是维多利亚时代(Victorian era)的英国人对男女交往非常严格。听说末松怕伤害英国人那样的道德感情,改变了《源氏物语》谈恋爱的场景,所以他的英译本就索然寡味了。研究日本的先驱者巴兹尔·霍尔·钱伯林(Basil Hall Chamberlain,是东京帝国大学教授,第一次把《古事记》翻译成英文的学家)、埃內斯特·薩托(Ernest Satow,是在明治维新活跃的英国外交官)都说《源氏物语》没意思,只对研究古语有价值。

  伟雷的英译本改变了人们对《源氏物语》的评价。他的翻译给古典作品注入了生动的活力。日本作家正宗白鸟说“我以前看《源氏物语》的时候觉得没有意思,但是看到伟雷的英译本的时候就觉得很有意思”。伟雷的英译本出现也刺激了日本作家,比如说,使谷崎润一郎把《源氏物语》翻译成了现代日语。美国很有名的日本学家唐纳德·基恩(Donald Keene)、愛德華·山第斯笛卡(Edward Seidensticker)都看到伟雷的《源氏物语》就决定研究日本。最近伟雷的英译本被翻译成了日语。 

  伟雷原来没有来过日本和中国,而且当时在欧美没有人很深地研究日本和中国的文化,他的英译本有一些错译也是不得已。后来山第斯笛卡把《源氏物语》确切地翻译成英文,这部英译本也很受欢迎。山第斯笛卡还把川端康成的作品翻译成了英文,他巧妙的英译本使川端获得了诺贝尔文学奖。

  伟雷的翻译不只显示其学术水平很高,并且翻译水平也很高。翻译不仅是替换言辞。译者领会原书作者的意图,用其他语言把那个意图传给读者。言语不同,表现的方法也不同。又要保持原作者的意图,又要在别的外文摸索出新意,伟雷成就了这一伟业。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月30日 (日)

川本三郎『銀幕の銀座──懐かしの風景とスターたち』

川本三郎『銀幕の銀座──懐かしの風景とスターたち』(中公新書、2011年)

 東京にながらく暮らしてきた者としてこの街には愛着がある。とは言っても、私自身が実際に目にしてきた東京は1980年代以降、バブル期の地上げ等によって再開発が進んだ光景であって、それ以前の「東京らしい東京」というのは写真や映像資料などでしか見たことがない。普段見慣れたつもりの街並も、かつてはこんな光景だったんだという新鮮な驚きがあって興味が尽きない。

 私は映画を観るとき、いつも風景に注目する。たとえストーリーはつまらない場合でも、映し出された風景に味わいを感じることがある。かつての東京の風景を見るには、CGを駆使してノスタルジックな雰囲気を再現した「Always──三丁目の夕日」も悪くないけど、やはり同時代のロケで撮影された昭和の古き映画で見てみるのも面白い。

 本書は『銀座百点』に連載された映画エッセイを基にしており、昭和11年の「東京ラプソディ」から昭和42年の「二人の銀座」まで計36本が取り上げられている。『銀幕の東京──映画でよみがえる昭和』(中公新書、1999年)の続編という位置付けになる。

 作品それぞれのプロットをたどりながら、目についたランドマークとなる建物やその界隈の風景について言及される。著者自身がまだ若き頃に目の当たりにした印象、さらには時代背景も語られ、いつもながらに穏やかな筆致から当時の雰囲気が浮かび上がってくるところは読んでいて心地よい。取り上げられた映画のほとんどを私は知らなかったが、それでも十分に楽しめた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年9月19日 (月)

宮本昭三郎『源氏物語に魅せられた男──アーサー・ウェイリー伝』、平川祐弘『アーサー・ウェイリー 『源氏物語』の翻訳者』

 世界最古の長編小説とも言われることもある『源氏物語』。その世界的知名度の高さは、物語そのものの魅力というよりも、イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(Arthur Waley、1889~1966)による翻訳The Tale of Genjiの英文の巧みさによるところが大きい。翻訳が単に学術的水準の高さにとどまらず、文学としてのクオリティーの高さをも示した格好のケースと言えるだろう。

 1925~1933年にかけて出版されたThe Tale of Genjiは各国語にも翻訳(重訳)され、これを読んで日本研究を志した人も多いばかりか、当時のヨーロッパ文壇にも一定の影響を与えた。ウェイリーは当時のイギリスの進歩的文化サークルとして有名ないわゆる「ブルームズベリー・グループ」(ケインズ、ストレイチー、ラッセルなどがいた)とも交友があり、例えばヴァージニア・ウルフはThe Tale of Genjiを読んでいたく関心をそそられていたらしい。『源氏物語』に現れた登場人物の感情表現は、ウェイリーの近代的な語り口を通すと、中世物語にありがちな単にプロットをたどるだけの物語構成とは異なった心情描写の豊かさが印象付けられ、そこからこの翻訳とほぼ同じ頃に登場したマルセル・プルースト『失われた時を求めて』と同様の心理主義小説に近いと捉える論者もいたようだ。また、ウェイリーは漢詩の翻訳も手がけているが、それは英文詩に独特な新しいリズム感を与えたとも指摘される。ウェイリーには李白、白楽天、袁枚に関する著作もある。フェノロサの研究をもとにエズラ・パウンドが発表した能についての本にもウェイリーは助言したらしい。

 なお、『源氏物語』の英訳はウェイリーが最初ではなく、イギリス留学中の末松謙澄によって1882年の時点で出されている。ただし、ヴィクトリア朝期の男女交際に厳しい倫理的気風を慮ってか、「淫ら」とみなされかねない箇所は大きく改変され、読んでもつまらない代物だったらしい。また、明治期日本のお雇い外国人の一人で日本研究の先駆者とされるバジル・ホール・チェンバレンは『源氏物語』などくだらないとこき下ろしていた。ウェイリー訳『源氏物語』はこうした低評価を一挙に覆すことになる。正宗白鳥などは「『源氏物語』を古文で読んでも面白くなかったが、ウェイリーの英訳を読んではじめて面白いと思った」と述懐している。ただし、欧米での日本研究がまだ深まっていなかった時代のことであり、誤訳があるのは仕方ない(ちなみに、ウェイリーは日本・中国へは一度も訪れたことがない)。戦後の『源氏物語』英訳ではエドワード・サイデンステッカーのものが有名だろう。

 ウェイリーは1889年、ロンドンのユダヤ系商人の家に生まれた。ラグビー校からケンブリッジ大学へと典型的なエリートコースを歩むが、大学卒業時には健康問題等で思うような進路を選べず、紆余曲折を経た上で大英博物館の学芸員となる。新設の東洋版画部門に配属され、日本語や中国語を集中的に勉強してマスター。翻訳の仕事に専念するため1929年に大英博物館を辞職。『源氏物語』、日本・中国の詩集のほか、『枕草子』(抄訳)、『論語』、『西遊記』(抄訳)などをはじめ多くの作品の翻訳出版を生涯にわたって続けた。

 ウェイリーの生涯をたどるには宮本昭三郎『源氏物語に魅せられた男──アーサー・ウェイリー伝』(新潮選書、1993年)がバランスよくまとまっていて読みやすい。著者自身もロンドンの図書館で晩年のウェイリーに何度か出くわしたことがあるらしい。平川祐弘『アーサー・ウェイリー 『源氏物語』の翻訳者』(白水社、2008年)は比較文学的な知見を存分につぎ込んで論じつくす議論はとても興味深いのだが、ただし「俺の博識すげーだろ!」的な押し付けがましさが鼻について閉口するなあ…。

 ウェイリーの英訳版をさらに日本語に訳しなおした佐復秀樹訳『ウェイリー版源氏物語』(全4巻、平凡社ライブラリー、2008~2009年)も刊行されている。確かにこれはこれなりにリーダブルだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

川本三郎を5冊

 ここ2週間ばかり色々あって疲れておって、久しぶりの更新。リハビリ代わりに川本三郎さんの本を5冊ほど立て続けに読んだ。何と言ったらいいのか、薀蓄の出し方や文章の堅くもなくしかし抑え気味なところが私自身の体感リズムにしっくりくるというのか、読みながら身を委ねていると心地よいのである。

 『言葉のなかに風景が立ち上がる』(新潮社、2006年)は書評エッセイ集だが、文学作品を読解するというよりも、作品世界を成り立たせている風景を見る。風景があってはじめてその中にいる人間模様が物語となって現れる。都市空間との関連で文学を読み解いていく川本さんの視点の先達として、奥野健男『文学における原風景 原っぱ・洞窟の幻想』(集英社、1972年)、磯田光一『思想としての東京 近代文学史論ノート』(国文社、1978年)、前田愛『都市空間のなかの文学』(筑摩書房、1982年)の3冊が挙げられている。『郊外の文学誌』(新潮社、2003年)は東京が拡大しつつある空間としての郊外を舞台とした作品を取り上げている。

 『今日はお墓参り』(平凡社、1999年)は、知名度は低いが興味深い文人・芸術家・映画人・芸能人の短い連作列伝といった感じ。この本はなかなか好きだな。

 『いまも、君を想う』(新潮社、2010年)は、亡くなったファッション評論家・川本恵子夫人への追悼文。はあ、川本さん、奥様にずいぶん甘えっぱなしだったんですなあ、と思いつつ、『マイ・バック・ページ』とはまた違った形で文筆活動に入ったばかりの時期のことをつづっているのは興味を引いた。文学評論として作品の良し悪しを高踏的に分析・批判するのではなく、自分が好きなもの、面白いと思ったものを素直に紹介していけばいいという態度は恵子夫人との会話の中で感じたことだという。なお、彼に物書きになれと勧めたのは松本健一だったらしい。

 『小説、時にはそのほかの本も』(晶文社、2001年)は、あちこちの媒体に掲載された書評を集めたもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月17日 (火)

川本三郎『マイ・バック・ページ──ある60年代の物語』

川本三郎『マイ・バック・ページ──ある60年代の物語』(河出文庫、1993年)

 近々公開予定の映画「マイ・バック・ページ」の原作。私は川本三郎のファンで、当然この本のことも知ってはいた。しかし、1960年代という時代に私はあまり興味がないので読んでおらず、この機会に手に取ってみた。

 1960年代、川本青年は朝日新聞社に入社、出版局に配属され、新米雑誌記者として動き回り始めたばかり。学生運動が昂揚していた世相。私的回想を通して当時のカウンター・カルチャー的雰囲気の一端を垣間見ていく。出会った人々の様々な表情をつづった前半の方が私は好きだが、重点は後半に置かれている。

 取材中に出会った過激派のK。情熱的な理想家というよりも何かコンプレックスから目立とうとしているタイプで胡散臭さを感じつつも、彼の言葉のいくつかに川本青年は反応して感情移入していく。そのKが革命と称して自衛官を殺害、川本青年も事件に巻き込まれてしまった。一市民の義務として警察に通報すべきなのか。情報源秘匿というジャーナリズム倫理を守るべきなのか。正直なところ、Kの行為には正義や潔癖さとは違った何かイヤなものを感じている。他方で、警察へ出頭せよという会社側の圧力への反発もあり、意固地になってしまう。「どうせ心中するなら、Kよりも山本義隆や秋田明大の方が良かったなあ」という自嘲的なつぶやき、だがこれは地位や名声でKを差別することでもあり、そうした自身の俗物根性的なものも正直に告白している。結局、証拠隠滅の罪状で執行猶予付きの有罪となり、会社は懲戒免職となった。

 青春の蹉跌、その苦さを噛み締めるノスタルジー。私自身としては当時の学生運動への共感はほとんどない。だが、川本さんの筆致は、単に感傷に浸るのではなく、自身が抱えた古傷を、おそらく居た堪れない当惑に動揺しながらだとは思うが、率直に見つめなおそうとしている。私語りだが当時の自身から適度に距離を取ろうとしている。この微妙な間合いによって、川本青年の“青くささ”と時代的雰囲気との関わりを一連なりのものとして感情的な襞を浮かび上がらせてくる。肯定/否定という硬いロジックの罠に陥らず、時代の感情的側面を描き出そうとしている意味で文学的な回想だ。こういう川本さんの文章はやはり好きだな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧