カテゴリー「アニメ・コミック」の18件の記事

2009年10月26日 (月)

今日マチ子『100番目の羊』『みかこさん』

 前にも書いたことあるけど、今日マチ子『センネン画報』(太田出版、2008年)が結構お気に入り。この本のもとになったブログ「今日マチ子のセンネン画報」も時折のぞいている。ふらりと書店に寄ったら、新刊で『100番目の羊』(廣済堂出版、2009年)と『みかこさん 第1巻』(講談社、2009年)が店頭の新刊平台に並んで積まれていた。迷わず購入。両方とも、女子高生の成長物語、といったところ。オビにある「胸キュン青春ストーリー」(苦笑)みたいなのはちょっと私の趣味じゃないんで、ストーリーはすっとばして、ピンポイントで絵だけ眺める。軽いノリで高校時代の日常が描かれつつ、その生活光景をほのかに捉えていく感傷的な色合いが好き。ラフだけど繊細な線、それを包み込むような淡い水色の背景が何とも言えず良い。落ち着いた透明感があるというのかな。胸がスーッとするような心地よさを感じる。

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2009年7月13日 (月)

「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」

「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」

 今さらエヴァ観てはしゃぐ年齢でもないけど、取りあえず覚書程度に(ちなみに、去年、「エヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観たときのコメントは→こちら)。

 テレビ版に続き、前の映画版、今回の新四部作と作り直しは2回目。単に作り直しとみるよりも、そのたびにオリジナルのストーリーからパラレル・ワールドとして広がっていると捉えるべきか。物語世界を大きく動かす(擬似)神話的レベルから学園ラブコメ調のノリで描かれる日常生活まで、重層的な世界観の広がりが私には大きな魅力(現時点でもまだ全体像は分からないが、碇ゲンドウたちの思わせぶりなセリフが観客をじらせる)。一つ一つのエピソードがいかにもいわくあり気で、そうして張り巡らされた伏線は、制作者側も実は収拾がついていないのではないかと思わせるほど。逆に言えば、深読みの余地が大きい→議論ができるのも人気の理由だろう。聖書、グノーシス、古代メソポタミア神話など“神秘主義”ネタが多い→今回も“ネブカドネザルのカギ”なる新ネタが出てきた。

 やはり新キャラであるマリの登場で、碇シンジ、式波(惣流ではない)アスカ、綾波レイのキャラクター描写がより明瞭になった。三人それぞれ、いじけ型、自己顕示型、無感動型とタイプは異なるが、「何のためにエヴァに乗るの?」という自問自答→一種の“自分探し”に収斂する点ではいずれも共通する(みんな庵野秀明の分身という噂があるけど)→マリはこうした三人とは異なり「へえ、そんなこといちいち気にする人もいるんだ」とポジティブ型(でも、現段階ではまだ正体不明)。

 突っ込めば突っ込むほど様々な薀蓄があるのでしょうが、詳しいことは私にはもう分かりません。復習してないんでだいぶ忘れてるし。

【データ】
総監督:庵野秀明
2009年/108分
(2009年7月11日、新宿ミラノにて)

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2009年7月 5日 (日)

最近読んだマンガ

 西原理恵子『いけちゃんとぼく』(角川書店、2006年)。楽しいとき、悲しいとき、いつもそばで見守ってくれる不思議な生物いけちゃんとの少年時代。西原理恵子『パーマネント野バラ』(新潮文庫、2009年)。田舎の理髪店に集まるおばはんたちの生々しい恋話。西原作品は卑猥な乱雑さを率直に出してくるのだけど、その中からなぜかしんみりとした感傷に胸を打たれるところが魅力。

 宮崎あおい主演で映画化されるということで、浅野いにお『ソラニン』(全2巻、小学館、2006年)を手に取った。どっちつかずの焦燥感を抱えながら不安定な同棲生活を送る種田と芽衣子。種田が納得のいくまでバンド活動を再開しようとした矢先、事故死。彼の想いを引き受けようと決意した芽衣子はそれまで触れたことすらなかったギターを手に取る。自分の人生が無意味にしか感じられない終わらない日常、その中での青春期の焦燥感…と言うとありがちかもしれない。ただ、浅野いにおの作品では、彼女たちの一生懸命なところを描きつつ、同時にその“ありがち”な青臭さをシニカルな構えではぐらかす箇所も時折見られる。陳腐な気恥ずかしさは感じさせずに、彼女たちの抱える行き先の分からない戸惑いの心情をきちんと描き出している。なかなか良い作品だと思う。

 浅野いにお作品に興味を持って手当たり次第に読んだ。『世界の終わりと夜明け前』(小学館、2008年)は短編集。気持ちの中で自分の居場所が得られずさ迷う人々の心象風景を絵に表現しているシーンが時折あって引き付けられた。街に夕陽がさす光景に“世界の終わり”を感じるシーンなど私は好きだ。『虹ヶ原ホログラフ』(太田出版、2006年)は密度の濃いサイコホラー、張り巡らされた伏線が複雑すぎて頭が混乱してしまうが、その分、ストーリーとしては充実している。『素晴らしい世界』(全2巻、小学館、2003・2004年)は短編集。『ひかりのまち』(小学館、2005年)は郊外住宅を舞台にした連作短編。現在連載継続中の『おやすみプンプン』(小学館、1~4、2007年~)はシュールというか、だいぶ実験的。

 山本直樹『明日また電話するよ』(イースト・プレス、2008年)、『夕方のおともだち』(イースト・プレス、2009年)は著者自身による短編ベストセレクション(ただし、マック導入以降の作品)。山本直樹と言えばエロ! セックス描写のない作品は皆無だが、繊細な線で描かれるタッチに、どこか気だるさと無機的な空気が漂う。それが単なるエロとは違うレベルで乾いた叙情を感じさせる。

 吉田秋生『海街ダイアリー1 蝉時雨のやむ頃』(小学館、2007年)、『海街ダイアリー2 真昼の月』(小学館、2008年、以降続刊)。四姉妹の家族の物語。舞台となっている古い家と鎌倉の風物がもう一つの主役。現代の話だけど、神社とか梅酒作りとか、さり気なく取り込まれたレトロな題材が、家族の結びつきと葛藤というテーマに程よい風味をきかせて良い感じ。

 他に、衿沢世衣子『おかえりピアニカ』(イースト・プレス、2005年)、『向こう町ガール八景』(青林工藝社、2006年)、鬼頭莫宏『残暑』(小学館、2004年)。いずれも短編集。

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2009年6月23日 (火)

西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、他

西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社、2008年)

 キレイごとじゃなくておカネは大事──と言っても、きいたふうなすれっからしとはまた違う。西原さんが自分の生い立ちをつづりながら、おカネのことを考える。貧しさの渦中に絡め取られた負のスパイラルから何とか脱け出そう、何とか自分の自由を確保しよう、そういうもがきの中で身を切るようにして稼いだおカネの話。最終章は亡夫鴨ちゃんの手引きで旅して垣間見た世界の貧困のこと。スモーキー・マウンテンやグラミン銀行の話題にも触れたり、結構マジメだ。

 バクチにありったけを注ぎ込んで勝負に出て自殺しちゃったおとうちゃんのことが印象に残る。馬鹿で大迷惑、だけど、良いと悪いとかいう次元じゃなくて、そういう羽目に陥らざるを得ないこともある、そういうあたりを突き放しつつもどこかウェットな同情で見つめる眼差しにはグッとくる。このように、クールなちゃかしとあたたかい優しさとを合わせ持った感性が西原作品の何とも言えず魅力的なところだ。前にも書いたけど、『ぼくんち』(→こちら)は本当に傑作だと思う。自伝的なマンガ『上京ものがたり』(小学館、2004年)、『女の子ものがたり』(小学館、2005年)も再読。『女の子ものがたり』は深津絵里の主演で映画化され、近々公開されるらしい。西原原作の『いけちゃんとぼく』も現在映画公開中。観に行こうかどうしようか。

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2009年5月21日 (木)

こうの史代『この世界の片隅に』

こうの史代『この世界の片隅に』(上中下、双葉社、2008~2009年)

 ようやく完結。こうの史代のやわらかいタッチの絵柄が好きなので上巻を書店で見かけて以来心待ちにしていた。ベストセラーとなり映画化もされた『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)は広島の原爆をテーマとしていたが(映画は文部省選定のような感じだったが、麻生久美子の薄幸な面持ちが良かった)、『この世界の片隅に』の舞台はお隣の呉。軍港の城下町である。広島から嫁いできたおてんば娘すずが主人公。刻々と激しさを増していく戦火に翻弄される不条理、しかし、それをほんわりとやさしい絵柄が包み込んでくれるので、静かな叙情すら感じられてくる。そこがいい。

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2009年2月28日 (土)

蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語』

蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語』(メディアファクトリー、2009年)

 日本語学校教師の披露するエピソードをもとにしたエッセー風マンガ。言語や文化のギャップというのは、ともすれば紛争のタネにもなりかねないが、ギャグのネタにしてしまえば無性に笑える。生徒たちは真面目に搦め手から質問攻めにしてくるから先生というのも大変だ。貸してくれた知人もツボにはまっていたが、中国人留学生が志望する大学院の担当教官にお手紙を書きなさいと言われ、持ってきたのが堂々たる美文調の詩賦…なんて簡単にまとめてしまってもこのおかしみは伝わらないだろうが。そうか、科挙で四六駢儷体で答案を書いた伝統が感覚として残っているんだ、と妙に納得。クスクス笑いの中でもなかなか勘所をついていて面白かった。

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2009年1月30日 (金)

今日マチ子『センネン画報』

今日マチ子『センネン画報』(太田出版、2008年)

 これ、なんか良いね。さり気ない日常光景を切り取った、1ページ完結の連作マンガ。一つ一つの小話めいたものはどうでもいいんだけど、十代の青春時代の感傷を思い起こさせるような淡い青の色づかいが無性に目にしみてくる。こちらのブログからセレクトされて一冊にまとめられている。

 しかし、今日マチ子ってペンネームは何でしょう? 黒澤明の「羅生門」を思い浮かべて、このマンガとイメージが全然違う…。

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2008年12月 4日 (木)

番線!

…と聞いてピンとくる方、ギョーカイの方ですね。今の職場に入ったばかりのとき、「書店さんから注文があったらバンセンをメモしといてね」と言われ、そのバンセンなるものの正体も知らず、取りあえず言われた通りにしてました。久世番子『本棚からぼた餅』(新書館、2008年、非売品)でバンセンという呼び名の由来を初めて知った次第。

 著者→出版社→取次→書店・図書館、という本の動くサイクルを一通り知る上でとっかりとなる本としては次の2点がおすすめ。まず、佐野眞一『誰が本を殺すのか』(上下、新潮文庫、2004年)。出版・書店関係者で読んでない人はまずいないでしょう。もうひとつは、久世番子『暴れん坊本屋さん』(全3巻、新書館、2005~2006年)、『番線──本にまつわるエトセトラ』(新書館、2008年。ちなみに、『本棚からぼた餅』はこれを買った人だけ応募して入手できる。私は知人に借りて読みました)。“番線”なんてタイトル、この時点で読者を限定してます。内輪ネタ満載。マンガだからと言って侮れません。たとえば、取次のめんどくさいシステムとか面白おかしく説明してくれて勉強になります。本好きのみなさんも是非読んで、書店さんの苦労に感謝しましょう。

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2008年8月11日 (月)

「スカイ・クロラ」

「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」

 この世界から戦争がなくならないのは、いわば人間の本性として考えるしかないのだろうか。戦争があって、はじめて平和のありがたみが実感される。“平和”な社会──この地球のどこかに悲惨な現実があるからこそ、それをニュースとして見る人々は“平和”の価値を謳いあげる。他者の痛みによって担保された逆説的な“平和”。

 戦争請負会社によってショーとして仕組まれた代理戦争。戦闘は“プロジェクト”と呼ばれる。戦闘機に乗るのは“キルドレ”──大人になることのできない、つまり戦死するまで永遠に生き続けることを宿命付けられた子供たち。映画全体の詳密にリアルな映像とは裏腹に、彼ら彼女らの表情はのっぺりと無機的な感じ。終わらない日常。生きることそのものの倦怠感。永劫回帰の実存的意味は想像するだけでも恐ろしい。

 映像が実に素晴らしい。広々とした空を後景にした奥行きのある立体感は人間の小ささを否が応でも際立たせる。大編隊の航空シーンなど圧巻ではあるが、いわゆる手に汗にぎるタイプの戦争アニメとは全く異質だ。この美しく雄大な空のイメージは、映画全体に漂っているかわいた透明感、空虚感を感傷的にまで強めてくる。

 原作は森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズ(中央公論新社)だが、私は未読。“平和”の虚構性というテーマへのこだわりが押井守にはあるのか、東京が事実上の戒厳令状態に置かれるシミュレーションを行なった「機動警察パトレイバー2 the movie」(1993年)なども思い出した。

【データ】
監督:押井守
原作:森博嗣
脚本:伊藤ちひろ
声の出演:加瀬亮、菊地凛子、谷原章介、栗山千明、竹中直人、他
2008年/121分
(2008年8月10日、新宿バルト9にて)

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2008年3月26日 (水)

魚喃キリコの作品

 ミニシアターでかかるタイプの映画をよく観る。日々の生活の中でふとゆらめく感情の動きをすくい取った感じの日本映画が好きだ。最近は、マンガを原作とした作品が結構多い。

 魚喃(なななん)キリコの名前を最初に意識するようになった作品は『strawberry shortcakes』(祥伝社、2002年)だ。矢崎仁司監督による同名映画(2006年)を観たのがきっかけだった。映画版のストーリーはだいぶアレンジされていたが、キャラクターの性格付けは基本的には変わらない。イラストレーターとして売り出し中だが過食症に苦しむ塔子(岩瀬塔子=魚喃キリコ自身)、塔子とルームシェアリングをしているOLのちひろ(中越典子)、昔からの友人への想いを秘めながらデリヘル嬢の仕事をしている秋代(中村優子)、前向きに妄想癖のある里子(池脇千鶴)──四人の女性の姿を通して、気持ちのすれ違い、行き詰った息苦しさ、人と人とが関わり合う中での微妙な心の揺れを繊細かつリアルに描き出している。ちひろの抱える自分の空虚の自覚→周囲に合わせて取り繕っていることへの自己嫌悪、秋代が醸し出す死のイメージなどに私はひかれる。

 『blue』(祥伝社、復刊2007年)を安藤尋監督が映画化した作品(2002年)も以前に観たことがあったのだが、改めて原作を読み直してみた。田舎の女子高が舞台。どこか大人びた雰囲気を持つ同級生、彼女に寄せる友情とも恋愛ともつかぬ想い。進路決定を目の前にした戸惑い。互いにピュアであるがゆえに気持ちが過敏になってしまうあたり、矛盾した言い方だけど、さわやかに痛々しい。映画では市川実日子と小西真奈美が主演していた。

 魚喃キリコの絵柄は、マンガというよりも、デザイン風のカットを並べているという感じでクール。そのおかげで、ストーリーの感傷的なものを引き締めてくれるというか、ベタベタしない形で感情移入できる。

 『痛々しいラヴ』(マガジンハウス、1997年)、『Water.』(マガジンハウス、1998年)、『短編集』(飛鳥新社、2003年)、『キャンディーの色は赤』(祥伝社、2007年)はいずれも短編集。若い男女の人間模様を描く。バイトしたり、同棲したりというシチュエーションが多い。いわゆるベタな意味での恋愛ものではない。微妙な感情の動きまで拾い上げているのには本当に感心する。なかなか毒っ気もあるが、建前とは違ったところでの純情さがほの見えたりもする。

 『南瓜とマヨネーズ』(祥伝社、復刊2004年)が一番好きだ。日常となった同棲生活、互いの気持ちがぶつかったり、すれ違ったりの描写はリアルで説得的。先の見えない漠然とした不安の中、とにかく何かやらなくちゃ、という焦りがすけて見えてくるあたりに色々と感じさせられた。

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