カテゴリー「自然科学・生命倫理」の13件の記事
2020年4月26日 (日)
2020年4月21日 (火)
岡田晴恵・田代眞人『感染症とたたかう──インフルエンザとSARS』
岡田晴恵・田代眞人『感染症とたたかう──インフルエンザとSARS』(岩波新書、2003年)
新型コロナウィルスが世界中で流行する中、2003年に大流行したSARS(タイプは異なるがやはりコロナウィルス)について振り返る必要があろうと思い、17年前に刊行された本書を手に取った。特に「第4章 SARSの流行と対応──新たな感染症に挑む国際社会」には2003年時点でのSARSに関する経緯が整理されている。もちろん個々の知見には古くなっている部分もあるのだろうが、未知の新興感染症に出会ったときにおける現在進行形の戸惑いは、現在の新型コロナウィルス禍とも共通する経験である。
SARS(重症急性呼吸器症候群)は2002年11月頃から中国の広東省で流行していたと言われる。その頃から原因不明の新型肺炎が発生しているという噂があったが、中国側の隠蔽により実態が分からない状態だった。それが世界各地へ拡大するきっかけとなったのは、香港のホテルに宿泊したたった一人の人物である(スーパースプレッダー)。広東省の病院でSARS患者の治療にあたっていた医師が2003年2月21日にその香港のホテルに入り、その後、自身もSARSと診断されて香港の病院で亡くなった。そのホテルの同宿者から12名の感染者が現われ、それぞれが飛行機で海外へ出たことからSARSが世界中へ拡大することになる。そのホテルの感染者は、最初に発症した広東省出身の医師と同じフロアの宿泊客だけだったという。実は、同時期に同ホテルの別のフロアに日本人の団体客も宿泊しており、もしその人たちにも感染していたら、日本がSARSの最初の流行地域の一つになったのは間違いない。同年5月にはSARSに感染した台湾人医師が関西方面へ来ていたが、関係者から関連情報が日本の検疫所に連絡されていたにもかかわらず、対応が遅れていた。この時は幸いにも二次感染者は現われなかったが、いずれにせよ日本でSARSが流行しなかったのは全くの僥倖に過ぎなかったと言える(151-162頁)。
SARSへの対応においては、「患者発生や感染者が確認されたさいの初動対応が鍵となる。感染患者の足取りをすばやく把握して公表し、患者と接触した可能性のある人に対しては必要な連絡・対応に関する情報を周知させ、必要な場合には適切な対応・措置を勧告して、感染の拡大を防止することが重要となる。もしも初動対応の機会を逃せば、感染は拡大して多数の患者が発生することになり、もはや感染ルートの追跡調査・把握は不可能となる。その場合には、北京で行われたように広い地域全体を封鎖し、大勢の住民を隔離して行動を制限するなどの厳しい強制的手段をとらざるを得ないであろう」(164頁)。
「有効な初動対応のためには、すみやかに感染者の足取りを把握する必要があり、そのさいには、感染患者の行動などに関する情報の公開も必要となる。個人の人権とプライバシーが尊重され、情報公開によって生じうる誤解、風評、偏見、差別を未然に防止し、経済的・社会的損失を最小限に抑えることは、当然十分に考慮されねばならない。しかし一方では、社会における感染拡大を阻止し、多くの人々の健康を感染の危険から守ること、さらに国内外への感染の波及を未然に防いで国際的責任を果たすためにも、公権力による必要最小限の行動制限や、自由を拘束する措置命令が必要でもあろう。ベトナム、香港、シンガポール、カナダ、台湾などでは、厳しい罰則規定を含む強制的な隔離命令・行動制限などの強い行政措置がとられ、それなりに効果が評価されている。しかしその反面で、個人の人権やプライバシーは大幅に犠牲となっている。」「行政と国民間の相互信頼を基盤とした良識ある成熟社会であれば、行政側が十分に透明性をもった情報公開と行政対応への協力依頼を行えば、あえて強制せずとも、自主的な行動自粛や適切な対応に対する理解が得られ、国民の社会的責任が果たされるのではないだろうか。」「一方、行政の依頼に応じた場合の費用負担や、経済的損失などに対する補償制度も考慮される必要がある」(165頁)。
「今回出現したSARSの流行にさいしては、病原体の特定はすみやかに行われたものの、予防方法や治療方法、また十分に信頼しうる検査方法がなかったことなどから、基本的には十九世紀の手法、すなわち感染患者の隔離と疑わしい人の検疫に頼らざるを得なかった。最新の医学は、新興感染症であるSARSに対しては、未だ無力であり、旧来の手法でもSARS制圧が可能であったとの評価もある。いずれにしても、隔離と検疫は感染症対策にとって依然として必要かつ有効な手段であることをSARSは示唆している」(194-195頁)。
「SARSの予防に関しては、現時点では積極的手段は存在しない。感染予防や発症・重症化阻止に有効な医薬品は見つかっておらず、ワクチン開発も、実用化までには最短でも二~三年はかかる。したがって、SARS感染者の発生を予防することは、今冬(注:本書刊行は2003年12月)には期待できない。流行期には患者との接触を避け、手洗いの励行やN95マスクの着用などの消極的手段で対応せざるをえないであろう」(203頁)。
未知の感染症については当然ながら予防法も分からないわけで、隔離や検疫といった十九世紀以来の古典的な手法に頼りながら時間を稼ぐしかない。その点では、初動対応のタイミング、情報収集、隔離や行動制限の指示が重要となってくるが、本書では行政の権限と私権とのバランスにも注意が払われている。とりわけ、現在、日本でも議論の焦点となっているが、「行政の依頼に応じた場合の費用負担や、経済的損失などに対する補償制度も考慮される必要がある」という指摘が重要であろう。そして、リスク・コミュニケーションという点では、「行政側が十分に透明性をもった情報公開と行政対応への協力依頼を行えば、あえて強制せずとも、自主的な行動自粛や適切な対応に対する理解が得られ、国民の社会的責任が果たされるのではないだろうか」とも指摘されている。
実のところ、現在我々が慌てふためいている新型コロナウィルスへの対応をめぐって、基礎中の基礎とも言うべきポイントは、17年前に刊行された本書の中ですでに指摘されている。私は現在、台湾に住んでおり、コロナウィルス対応をめぐって日本と台湾とを比較する視点で考えているが、台湾の場合には、初動対応の早さ、情報収集(早い段階で人・人感染の可能性を掴み、WHOにも通報していたが、無視された)、隔離・行動制限の強い行政措置(隔離者には一定の補償金が給付される)、その一方で常に積極的な情報開示を通して国民とコミュニケーションを取る姿勢など、本書で示されているポイントは愚直に実行されている。台湾にはSARSの深刻な経験がある一方、日本では直接的な災禍に遭わなかったので緊張感がなかったと言ってしまえばそれまでだが、そうではあっても、本書のように早くから警告は発せられていたわけで、なぜ日本の現政権の対応がかくもお粗末なのかと慨嘆せざるを得ない。
さらに、本書では国際的な研究ネットワークが一致協力して、SARS病原体の究明にあたり、短期間で成果を上げたことも紹介されている。その研究ネットワークではWHOが重要な仲介的役割を果たしていた。ところが、現在の情勢はどうか。WHOの失態が目につき、台湾からの情報提供を無視するなど、政治的理由から情報の国際的共有もままならない状況を見ていると、現状に対して悲観的な気持ちになってしまう。
2012年4月 1日 (日)
ローレンス・C・スミス『2050年の世界地図──迫りくるニュー・ノースの時代』
ローレンス・C・スミス(小林由香利訳)『2050年の世界地図──迫りくるニュー・ノースの時代』(NHK出版、2012年)
世界的な人口構造の変動(とりわけ先進国を中心に進展する高齢化や都市の過密化)、資源供給の逼迫、こうした問題に加えて地球全体の温暖化による影響も懸念される中、将来の見通しには楽観を許す余地はない。だが、何がしかでもプラスの要因を見出すことはできないものだろうか?
サブタイトルにある「ニュー・ノース」とは、北緯四五度線以北の環北極圏に位置するNORCs8カ国、すなわちロシア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド(デンマーク)、カナダ、アラスカ(アメリカ)を指す。著者は水文学、氷河・氷床、永久凍土融解の影響などを専門に研究する地理学者で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ではジャレッド・ダイアモンドの同僚らしい。もともとは気候変動の研究のため環北極圏に関心を持っていたという。
本書は、①急速な科学技術の進歩はない、②現在の地政学的状況が根本的に変わることはない、③突発的な気候変動、世界的大不況、疫病の大流行などはない、④理論モデルの信頼性、こうした前提を置いた上で、コンピュータ予測や現地におけるフィールドワーク経験の知見を駆使、気候変動が「ニュー・ノース」にもたらしつつある変化を明らかにする。単に自然科学の議論にとどまるのではなく、社会経済的なポテンシャルも提示されるのが本書の強みだ。
地球全体の平均気温の上昇は多くの地域にマイナスの影響をもたらすのは確かだが、他方で北極圏における温暖化の増幅、北の高緯度地方周辺での冬の降水量の増加といったメガトレンドも見て取れる。北部高緯度地域では温暖化効果が最も表れるのは冬の時期で、極寒の「シベリアの呪い」がやわらぎ始めているという。こうした傾向を踏まえて予測すると、2050年の時点で「ニュー・ノース」は湿潤で人口が少なく、天然資源が豊富、今ほど酷寒ではない地域へと変化することになる。ただし、今後も住みやすい場所になるわけではない。著者はアメリカのネバダ州のイメージにたとえる。つまり、土地の大半には何もないが、いくつかの定住都市での産業の発達によって経済が成長し、豊富な資源の供給元としてグローバル経済につながっていく可能性が指摘される。ただし、「ニュー・ノース」の可能性がそのまま世界規模の問題の解決に直結するわけではない。その点では本書の論旨は慎重だ。
これまで権利や尊厳が無視されてきた北方先住民の問題を取り上げた第8章に関心を持った。ノルウェイのサーミ人議会議長との対話で「気候変動のおかげで、北方の石油やガスや鉱物資源にアクセスしやすくなる。だから、資源管理を掌握することが重要になる」と話したところ、「自分たちには中央の議会に代表がいないのに、どうやって資源管理に影響を及ぼせるのか?」という反応があった。地球温暖化、天然資源の需要、政治的影響力の綱引き、こうした中で北方先住民の自治拡大、権限強化の要求もまたクローズアップされていく。
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2011年5月25日 (水)
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』『動的平衡』
流行りものはほとぼりがさめた頃に読むという微妙にへそ曲がりなところがあるので、福岡伸一の評判はもちろん知っていたものの、今さらながら『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)、『動的平衡』(木楽舎、2009年)と立て続けに読んだ。確かに面白かった。科学啓蒙エッセイとして秀逸だと思う。研究者の世界の徒弟制度など、ある種薄暗いドロドロした部分も絡めて描き出しているところも興味深い。
生物と無生物のあいだとは要するにウィルスを指し、無機的で硬質なものであってもDNAによる自己複製能力を持っている点で「生命」の定義には合致するとされているらしい(議論はあるそうだが)。しかし、ウィルスには「生命の律動」が感じられない。この「生命の律動」という言葉が喚起するイメージを、科学的な解像度を損なわない形で描写していけるか。そうした試みとして「生命」のあり方を探究していくところに福岡さんのエッセイの方向性がある。
例えば、次の一文がある。「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる」(『生物と無生物のあいだ』163ページ)。「流れ」と「淀み」という表現が良い感じ。絶え間ない流れでありつつも、そこに一つの秩序が成り立っている。その秩序が維持されるためには、自己複製という手順をたどりながら常に壊され続けなければならないという逆説がある。そこから「生命とは動的平衡にある流れである」という定義が導き出されてくる。
どうでもいいが、『動的平衡』を読んでいたら、カニバリズム忌避についてこんなことが書いてあった。要するに、病原体を選択的に受け取る機能を持つレセプターは種によって異なる。従って、他の種の肉を食べたからといって必ずしもその肉の持っている病原体に感染するわけではないが、同じ種同士だと肉の中にある病原体をすべて受け容れてしまうことになる、という生物学的根拠も考えられるという。
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2011年3月20日 (日)
武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』
武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』(中公新書、2008年)
タイトルには防災とあるが、地震後の火災にしても津波にしても、家屋が倒壊してしまっては逃げるに逃げられない、従って災害軽減のため潰れない住家の建設が不可欠という問題意識から耐震設計の話題が中心となる。耐震設計で万全を期すには、どのような地震が発生してそれがどのようなメカニズムで作用しているのか、想定されるモデルを構築しながら数値計算によって強震度を予測することが前提となる。そのため、明治以来の地震研究の経緯にも触れながら、現時点でどこまで判明しているのかが解説される。
地震は大まかに言って内陸型地震と海溝型地震に分けられる。前者は断層破壊→伝播性震源という形をとるが、どの活断層がすべって地震が発生するのかを事前に予測するのは難しい。対して後者はプレート境界で発生する地震である。昭和40年代以降プレートテクトニクス理論が知られるようになったが、とりわけ近年プレートすべり込みに際して固着性の強い領域(アスペリティ)とゆっくりすべり込んでいる領域とのズレがあってこのアスペリティが急激にすべり込んだ際に大きな地震が発生することが分かっている。このアスペリティ・モデルによってだいたいの震源予測はできるようになっているらしい。こちらは発生周期がおおよそ把握されており、今回の東北・関東大震災も発生周期に合致している。なお、アスペリティ・モデルについては昨年放映されたNHKスペシャル「MEGAQUAKE 巨大地震」シリーズでも取り上げられており、『MEGAQUAKE巨大地震──あなたの大切な人を守り抜くために!』(主婦と生活社、2010年)という書籍にもなっている。
日本は地震国だからかつて木造家屋が中心だったという俗説があるが、むしろ樹木が多い風土なので単に身近な材料を使っただけと考える方が正しいらしい。日本の昔の住家は夏の蒸し暑さをしのぐため壁が少なく開放的な構造となっており、耐震設計上の工夫は見られないという。むしろエアコンの普及によって壁でしっかり区切る構造が広まり、それが耐震化を後押ししたという指摘があったのでメモしておく。
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2011年3月18日 (金)
寒川旭『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』『地震の日本史──大地は何を語るのか』『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』
専門の研究者でも地下のメカニズムにはいまだによく分かっていないことが多いと言われる。地震にしても、あるいは地震によって引起される津波にしても、経験則によって一定の発生周期や想定される最大限の規模がつかみ取れれば良いが、なかなか難しい。自然科学は基本的にデータ検証によって一定の法則性を導き出すという手法をとるが、我々の経験的実感レベルと地球活動レベルのタイムスパンとの間には極めて大きなギャップがあり、経験レベルの想定を超えた事態が必ず起こってしまう。日本で明治期に本格的な地震観測が始まってからまだ150年程度しか経っていない。しかしながら、例えば三陸沿岸部や仙台平野にはかつて海岸から数キロメートル離れたところまで津波が押し寄せた痕跡があるという。せめて近代以前の歴史時代、先史時代までさかのぼってデータ検証の幅を広げることはできる。その点で地震考古学というのは注目すべき分野であろう。
寒川旭(さんがわ あきら)『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』(中公新書、1992年)は地震学と考古学とを結び付けて新分野を開拓した経緯を示す。古墳に見られる崩壊による変形について活断層の知見を動員することで説明できることに気付いたのがきっかけだという。液状化現象、地割れ、地すべりなど地盤災害の痕跡に着目すれば、その遺跡の層位的前後関係から地震の起こった年代を判定できるし、文献記録のある時代であれば具体的な日時まで特定できる。逆に、その地震の痕跡を基に他の遺跡の年代特定も可能である。そうしたデータを集積すれば遺跡もまたいわば考古学的な地震計としての役割を果たしてくれるわけで、大地震の発生周期もある程度まで把握することができる。
『地震の日本史──大地は何を語るのか』(中公新書、2007年)、『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』(平凡社新書、2010年)ではこうした地震史料と文献史料とをつき合わせながら日本史が描き出される。地震という着眼点を通すと歴史的エピソードも独特なリアリティーをもって見えてくるところが興味深い。
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2011年3月17日 (木)
岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』
岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社新書、2011年)
科学で要求される抽象的な論旨思考、つきつめて言えば数式を見て納得感があるかどうか。分かる人は分かるし、分からない人は皆目分からない。端的なこのギャップをどのように埋めたらいいのか。科学のおもしろさ、素晴らしさを伝えたい、という啓蒙的イベントはよく行なわれてはいる。しかし、そうしたイベントにわざわざ足を運ぶ人はもともと科学が好きな人であって、拒否感のある人は最初から聞きになど来ないのではないか。
別に科学を好きになってもらう必要はない。ただし、持続可能な社会をこれから作り上げていく上で科学知識は不可欠なのだから社会全体で共有していく必要があるというのが本書の出発点である。
抽象的な数式であってもデータ検証という具体性によって裏付けられた納得感がある。しかし、そうした科学的専門知の手順を習得するには一定の訓練が必要であり、そのジャンルに関心のない人々にとっては数式で示された世界観からリアリティーを感じ取るのは難しい。そこで、情感の伴ったエピソード記憶によるヴィヴィッドなイメージがコミュニケーションの基盤となることに本書は注目、具体性をもったインプレッションによって抽象思考の苦手な人とも科学的世界観を共有できないかというところに焦点が合わされる。みんなで科学知識の必要性を認識し、それを感情レベルの共感に働きかけることで共有していこうという発想は、たとえて言うと科学知識共有の知的コミュニタリアニズムということになるだろうか。
科学のプリズムを通した大づかみの世界観をタレント的科学者に語ってもらうのも一つの方法だと指摘される。しかし、理屈ではなく情感的共感がポイントだとするなら、そんな悠長なやり方よりも、むしろ大震災に見舞われ、想定されていなかった原発災害を目の当たりにし、ひょっとしたら放射能汚染被害が深刻になるかもしれないと現在ひしひしと感じているこの切迫感こそ、科学コミュニケーションの感情的基盤となり得るように思われてくるのが皮肉なところだ。
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2010年8月25日 (水)
小林照幸『毒蛇』
小林照幸『毒蛇』(TBSブリタニカ、1992年)、『続 毒蛇』(同、1993年)
咬まれると激痛、壊死が発症し、死に至る確率も極めて高いハブの猛毒。その治療用の血清を開発した伝染病研究所の沢井芳男は1957年に初めて奄美大島への調査に同行。自信満々に現地へ初めて赴いた沢井だが、目の当たりにした現実は予想をはるかに裏切るものだった。離島・離村ではそもそも血清を保存する冷蔵庫そのものが足りないなど医療環境が整っておらず、新たに開発した乾燥血清も溶解せずに思った効果は出せなかった。他方で、ハブ対策に地道に取り組んでいる現地の人々と出会ってその謙虚さにも打たれ、沢井は改めて毒蛇咬症の研究に全力で取り組む気持ちを固めた。研究の道のりは奄美から、まだ米軍占領下にあった沖縄、さらには台湾へと続く。
ハブをはじめ毒蛇咬症をめぐる問題が一つずつ解決されていく過程を沢井という人物を中心に描き出した医学ノンフィクションである。医学的な背景を噛み砕いて説明されている平易な語り口もさることながら、そこに携わる人々のひたむきな熱意が大仰ではなく静かに説得力をもって浮かび上がってくる筆致がとても良い。本書は著者が開高健賞奨励賞を受賞したデビュー作で、その頃はまだ学生だったらしいがこれだけ書けたというのはたいしたものだ。遅まきながら小林照幸という人の筆力に関心を持った次第。
私の個人的な関心から言うと、1960年代のまだ近代化途上にあった台湾、とりわけ農村・山村部で伝統的な中国医学への過信(というよりも迷信)によって血清などの西洋医学の方法が広まらず、人々が毒蛇咬症に悩まされていた当時の社会状況がうかがえたところが興味深い。台湾にもコブラがいたのは初めて知った(ただし、コブラによる死者はインド方面に比べて格段に少ない)。毒蛇研究の先駆者として杜聡明も登場するが、欲を言えば彼のプロフィールももう少し書き込んで欲しかった。当時、台湾総督府は南洋の風土病対策の一環として毒蛇研究にも力を入れており、杜聡明もその分野では世界的に知られた医学者であった(なお、日本統治期の蛇毒咬症関連調査の資料が戦後なくなってしまったらしいが、「おそらく日本の遺産として内容も分からずに始末されてしまったのでしょう」と杜聡明が語るシーンがあった)。彼は台湾出身者として初めて博士号を取得したことでも有名で、日本統治期の台北帝国大学で唯一の台湾人出身教授でもあった。戦後も台湾大学総長を務めたり高雄医学院を創立するなど活躍。
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2009年8月22日 (土)
「宇宙へ。」
「宇宙(そら)へ。」
ロケット打ち上げの炎と噴煙には独特に激しい厳かさがある。映画が始まって間もなく、打ち上げに失敗したロケットの爆発シーンが立て続けに映し出される。その後も、有人宇宙飛行、宇宙遊泳、月面着陸、スペースシャトルと成功が続くものの、そうした華々しさの陰で目の当たりにされた訓練中の爆発事故、チャレンジャー号の打ち上げ失敗、そして帰還途上にあったコロンビア号の空中分解といった大惨事。文字通り死と隣り合わせの冒険に敢えて飛び立った宇宙飛行士たち。NASAが記録していた映像を編集してアメリカの宇宙開発の歴史をまとめたドキュメンタリーである。
自らの命を代償にしてでももこの眼で確認したかった宇宙の姿、未知なるもの。静けさを湛えた月のゴツゴツした地平に、漆黒の闇の中からくっきりと浮かび上がった地球の青さ──。もはや写真や映像で見慣れたシーンではあっても、科学者や宇宙飛行士たちの命がけの奮闘を念頭に置いて見ると目頭が熱くなってきて、その印象はひときわ鮮やかだ。ハッブル望遠鏡に映し出された、計算を絶した時空の果てからやって来た星々の光線。宇宙のはるかな深淵に、振り返って我ながら陳腐とは思いつつも、永遠と有限という哲学的テーマが頭をよぎる。だが、あの映像を目の前にしている時には不思議とそれが陳腐には感じられなかった。胸に清涼感があふれてくる。凄絶におそろしく、そのおそれが美しい。命を棄ててでも見たいと切迫した思いを募らせるのは果たしてこれか。
記録映像をつなぎ合わせただけだが、ドラマとして張りつめた緊張感が全体に漲っている。ドキュメンタリーを観てこんなにワクワクドキドキしたのは久しぶりだ。オーケストラのバックミュージックが雰囲気を盛り上げていたし、ナレーションを務める宮迫博之の渋いバリトン・ヴォイスもなかなか様になっていた。
【データ】
原題:Rocket Men
監督:リチャード・デイル
翻訳・演出:寺本彩
翻訳監修:毛利衛
日本版ナレーション:宮迫博之
2009年/イギリス/98分
(2009年8月21日レイトショー、新宿・武蔵野館にて)
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2008年2月 3日 (日)
「アース」
「アース」(日本語吹替版)
北極から南極まで縦断しながら地球上に息づく様々な動物たちの姿を見せてくれる。ただし、単に自然の雄大な光景を映し出しただけのドキュメンタリーと考えたら大間違いだ。
たとえば、アフリカのサバンナ、水を求めてはちあわせたゾウの群れとライオンの群れ。小ゾウを狙って襲いかかるライオンに対し、親ゾウたちが張る鉄壁の防御陣。海中では、クジラやカジキマグロに狙われた小魚の群れが変幻自在に陣形を組み替えて攻撃をかわすスピード感の鮮やかさ。生存をかけて、そして子供を守るため、熾烈な闘いを繰り広げる動物たちの姿には濃厚なドラマがあって息を呑む。
その一方で、どことなくユーモラスな表情をとらえたシーンではおのずと頬がゆるむ。アマゾンのゴクラクチョウがあんなに巧みにダンスをするのは初めて知った。しかも、事前にきちんと舞台を整えているなんて。滅多にない洪水に出くわし、川を渡るサルたちの仕草も、当人(当サル?)たちは真剣なのだが、いかにもおっかなびっくりという感じで笑ってしまった。子育てのシーンが多く取り上げられており、子供たちの覚束ない足取り、羽ばたきがほほ笑ましい。だが、そうした未熟さが外敵に狙われることになるのだが…。
数千頭、数万羽もの群れが移動する様子、巨大なジャングルや滝、上空から俯瞰するように撮影された映像が圧巻だ。そこにベルリン・フィルの奏でるメロディーがかぶさり、地球を舞台にとった壮大な映像叙事詩として見ごたえがある。映画館の大スクリーンで観るとやはり迫力が違う。
映像はBBCによる。木々の葉の色合いを一瞬のうちに変化させる映像手法など、昨年にNHKで放映された「プラネット・アース」でも似たようなシーンを見かけた。この番組はBBCとNHKとの共同制作だったし、今回の「アース」のエンドロールでThanks to NHKという文言を見かけたから、「プラネット・アース」と同じ映像も使われているのだろうか。
【データ】
原題:EARTH
監督・脚本:アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、デビッド・アッテンボロー他
音楽:ジョージ・フェントン
ナレーション:渡辺謙
2007年/ドイツ・イギリス/98分
(2008年2月1日レイトショー、新宿バルト9にて)
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より以前の記事一覧
- 覚書③安楽死と尊厳死について 2008.01.27
- 覚書②医療現場での“自己決定”について 2008.01.26
- 覚書①ALSについて 2008.01.25
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