カテゴリー「自然科学・生命倫理」の11件の記事

2012年4月 1日 (日)

ローレンス・C・スミス『2050年の世界地図──迫りくるニュー・ノースの時代』

ローレンス・C・スミス(小林由香利訳)『2050年の世界地図──迫りくるニュー・ノースの時代』(NHK出版、2012年)

 世界的な人口構造の変動(とりわけ先進国を中心に進展する高齢化や都市の過密化)、資源供給の逼迫、こうした問題に加えて地球全体の温暖化による影響も懸念される中、将来の見通しには楽観を許す余地はない。だが、何がしかでもプラスの要因を見出すことはできないものだろうか? 

 サブタイトルにある「ニュー・ノース」とは、北緯四五度線以北の環北極圏に位置するNORCs8カ国、すなわちロシア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド(デンマーク)、カナダ、アラスカ(アメリカ)を指す。著者は水文学、氷河・氷床、永久凍土融解の影響などを専門に研究する地理学者で、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ではジャレッド・ダイアモンドの同僚らしい。もともとは気候変動の研究のため環北極圏に関心を持っていたという。

 本書は、①急速な科学技術の進歩はない、②現在の地政学的状況が根本的に変わることはない、③突発的な気候変動、世界的大不況、疫病の大流行などはない、④理論モデルの信頼性、こうした前提を置いた上で、コンピュータ予測や現地におけるフィールドワーク経験の知見を駆使、気候変動が「ニュー・ノース」にもたらしつつある変化を明らかにする。単に自然科学の議論にとどまるのではなく、社会経済的なポテンシャルも提示されるのが本書の強みだ。

 地球全体の平均気温の上昇は多くの地域にマイナスの影響をもたらすのは確かだが、他方で北極圏における温暖化の増幅、北の高緯度地方周辺での冬の降水量の増加といったメガトレンドも見て取れる。北部高緯度地域では温暖化効果が最も表れるのは冬の時期で、極寒の「シベリアの呪い」がやわらぎ始めているという。こうした傾向を踏まえて予測すると、2050年の時点で「ニュー・ノース」は湿潤で人口が少なく、天然資源が豊富、今ほど酷寒ではない地域へと変化することになる。ただし、今後も住みやすい場所になるわけではない。著者はアメリカのネバダ州のイメージにたとえる。つまり、土地の大半には何もないが、いくつかの定住都市での産業の発達によって経済が成長し、豊富な資源の供給元としてグローバル経済につながっていく可能性が指摘される。ただし、「ニュー・ノース」の可能性がそのまま世界規模の問題の解決に直結するわけではない。その点では本書の論旨は慎重だ。

 これまで権利や尊厳が無視されてきた北方先住民の問題を取り上げた第8章に関心を持った。ノルウェイのサーミ人議会議長との対話で「気候変動のおかげで、北方の石油やガスや鉱物資源にアクセスしやすくなる。だから、資源管理を掌握することが重要になる」と話したところ、「自分たちには中央の議会に代表がいないのに、どうやって資源管理に影響を及ぼせるのか?」という反応があった。地球温暖化、天然資源の需要、政治的影響力の綱引き、こうした中で北方先住民の自治拡大、権限強化の要求もまたクローズアップされていく。

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2011年5月25日 (水)

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』『動的平衡』

 流行りものはほとぼりがさめた頃に読むという微妙にへそ曲がりなところがあるので、福岡伸一の評判はもちろん知っていたものの、今さらながら『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)、『動的平衡』(木楽舎、2009年)と立て続けに読んだ。確かに面白かった。科学啓蒙エッセイとして秀逸だと思う。研究者の世界の徒弟制度など、ある種薄暗いドロドロした部分も絡めて描き出しているところも興味深い。

 生物と無生物のあいだとは要するにウィルスを指し、無機的で硬質なものであってもDNAによる自己複製能力を持っている点で「生命」の定義には合致するとされているらしい(議論はあるそうだが)。しかし、ウィルスには「生命の律動」が感じられない。この「生命の律動」という言葉が喚起するイメージを、科学的な解像度を損なわない形で描写していけるか。そうした試みとして「生命」のあり方を探究していくところに福岡さんのエッセイの方向性がある。

 例えば、次の一文がある。「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる」(『生物と無生物のあいだ』163ページ)。「流れ」と「淀み」という表現が良い感じ。絶え間ない流れでありつつも、そこに一つの秩序が成り立っている。その秩序が維持されるためには、自己複製という手順をたどりながら常に壊され続けなければならないという逆説がある。そこから「生命とは動的平衡にある流れである」という定義が導き出されてくる。

 どうでもいいが、『動的平衡』を読んでいたら、カニバリズム忌避についてこんなことが書いてあった。要するに、病原体を選択的に受け取る機能を持つレセプターは種によって異なる。従って、他の種の肉を食べたからといって必ずしもその肉の持っている病原体に感染するわけではないが、同じ種同士だと肉の中にある病原体をすべて受け容れてしまうことになる、という生物学的根拠も考えられるという。

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2011年3月20日 (日)

武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』

武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』(中公新書、2008年)

 タイトルには防災とあるが、地震後の火災にしても津波にしても、家屋が倒壊してしまっては逃げるに逃げられない、従って災害軽減のため潰れない住家の建設が不可欠という問題意識から耐震設計の話題が中心となる。耐震設計で万全を期すには、どのような地震が発生してそれがどのようなメカニズムで作用しているのか、想定されるモデルを構築しながら数値計算によって強震度を予測することが前提となる。そのため、明治以来の地震研究の経緯にも触れながら、現時点でどこまで判明しているのかが解説される。

 地震は大まかに言って内陸型地震と海溝型地震に分けられる。前者は断層破壊→伝播性震源という形をとるが、どの活断層がすべって地震が発生するのかを事前に予測するのは難しい。対して後者はプレート境界で発生する地震である。昭和40年代以降プレートテクトニクス理論が知られるようになったが、とりわけ近年プレートすべり込みに際して固着性の強い領域(アスペリティ)とゆっくりすべり込んでいる領域とのズレがあってこのアスペリティが急激にすべり込んだ際に大きな地震が発生することが分かっている。このアスペリティ・モデルによってだいたいの震源予測はできるようになっているらしい。こちらは発生周期がおおよそ把握されており、今回の東北・関東大震災も発生周期に合致している。なお、アスペリティ・モデルについては昨年放映されたNHKスペシャル「MEGAQUAKE 巨大地震」シリーズでも取り上げられており、『MEGAQUAKE巨大地震──あなたの大切な人を守り抜くために!』(主婦と生活社、2010年)という書籍にもなっている。

 日本は地震国だからかつて木造家屋が中心だったという俗説があるが、むしろ樹木が多い風土なので単に身近な材料を使っただけと考える方が正しいらしい。日本の昔の住家は夏の蒸し暑さをしのぐため壁が少なく開放的な構造となっており、耐震設計上の工夫は見られないという。むしろエアコンの普及によって壁でしっかり区切る構造が広まり、それが耐震化を後押ししたという指摘があったのでメモしておく。

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2011年3月18日 (金)

寒川旭『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』『地震の日本史──大地は何を語るのか』『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』

 専門の研究者でも地下のメカニズムにはいまだによく分かっていないことが多いと言われる。地震にしても、あるいは地震によって引起される津波にしても、経験則によって一定の発生周期や想定される最大限の規模がつかみ取れれば良いが、なかなか難しい。自然科学は基本的にデータ検証によって一定の法則性を導き出すという手法をとるが、我々の経験的実感レベルと地球活動レベルのタイムスパンとの間には極めて大きなギャップがあり、経験レベルの想定を超えた事態が必ず起こってしまう。日本で明治期に本格的な地震観測が始まってからまだ150年程度しか経っていない。しかしながら、例えば三陸沿岸部や仙台平野にはかつて海岸から数キロメートル離れたところまで津波が押し寄せた痕跡があるという。せめて近代以前の歴史時代、先史時代までさかのぼってデータ検証の幅を広げることはできる。その点で地震考古学というのは注目すべき分野であろう。

 寒川旭(さんがわ あきら)『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』(中公新書、1992年)は地震学と考古学とを結び付けて新分野を開拓した経緯を示す。古墳に見られる崩壊による変形について活断層の知見を動員することで説明できることに気付いたのがきっかけだという。液状化現象、地割れ、地すべりなど地盤災害の痕跡に着目すれば、その遺跡の層位的前後関係から地震の起こった年代を判定できるし、文献記録のある時代であれば具体的な日時まで特定できる。逆に、その地震の痕跡を基に他の遺跡の年代特定も可能である。そうしたデータを集積すれば遺跡もまたいわば考古学的な地震計としての役割を果たしてくれるわけで、大地震の発生周期もある程度まで把握することができる。

 『地震の日本史──大地は何を語るのか』(中公新書、2007年)、『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』(平凡社新書、2010年)ではこうした地震史料と文献史料とをつき合わせながら日本史が描き出される。地震という着眼点を通すと歴史的エピソードも独特なリアリティーをもって見えてくるところが興味深い。

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2011年3月17日 (木)

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社新書、2011年)

 科学で要求される抽象的な論旨思考、つきつめて言えば数式を見て納得感があるかどうか。分かる人は分かるし、分からない人は皆目分からない。端的なこのギャップをどのように埋めたらいいのか。科学のおもしろさ、素晴らしさを伝えたい、という啓蒙的イベントはよく行なわれてはいる。しかし、そうしたイベントにわざわざ足を運ぶ人はもともと科学が好きな人であって、拒否感のある人は最初から聞きになど来ないのではないか。

 別に科学を好きになってもらう必要はない。ただし、持続可能な社会をこれから作り上げていく上で科学知識は不可欠なのだから社会全体で共有していく必要があるというのが本書の出発点である。

 抽象的な数式であってもデータ検証という具体性によって裏付けられた納得感がある。しかし、そうした科学的専門知の手順を習得するには一定の訓練が必要であり、そのジャンルに関心のない人々にとっては数式で示された世界観からリアリティーを感じ取るのは難しい。そこで、情感の伴ったエピソード記憶によるヴィヴィッドなイメージがコミュニケーションの基盤となることに本書は注目、具体性をもったインプレッションによって抽象思考の苦手な人とも科学的世界観を共有できないかというところに焦点が合わされる。みんなで科学知識の必要性を認識し、それを感情レベルの共感に働きかけることで共有していこうという発想は、たとえて言うと科学知識共有の知的コミュニタリアニズムということになるだろうか。

 科学のプリズムを通した大づかみの世界観をタレント的科学者に語ってもらうのも一つの方法だと指摘される。しかし、理屈ではなく情感的共感がポイントだとするなら、そんな悠長なやり方よりも、むしろ大震災に見舞われ、想定されていなかった原発災害を目の当たりにし、ひょっとしたら放射能汚染被害が深刻になるかもしれないと現在ひしひしと感じているこの切迫感こそ、科学コミュニケーションの感情的基盤となり得るように思われてくるのが皮肉なところだ。

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2010年8月25日 (水)

小林照幸『毒蛇』

小林照幸『毒蛇』(TBSブリタニカ、1992年)、『続 毒蛇』(同、1993年)

 咬まれると激痛、壊死が発症し、死に至る確率も極めて高いハブの猛毒。その治療用の血清を開発した伝染病研究所の沢井芳男は1957年に初めて奄美大島への調査に同行。自信満々に現地へ初めて赴いた沢井だが、目の当たりにした現実は予想をはるかに裏切るものだった。離島・離村ではそもそも血清を保存する冷蔵庫そのものが足りないなど医療環境が整っておらず、新たに開発した乾燥血清も溶解せずに思った効果は出せなかった。他方で、ハブ対策に地道に取り組んでいる現地の人々と出会ってその謙虚さにも打たれ、沢井は改めて毒蛇咬症の研究に全力で取り組む気持ちを固めた。研究の道のりは奄美から、まだ米軍占領下にあった沖縄、さらには台湾へと続く。

 ハブをはじめ毒蛇咬症をめぐる問題が一つずつ解決されていく過程を沢井という人物を中心に描き出した医学ノンフィクションである。医学的な背景を噛み砕いて説明されている平易な語り口もさることながら、そこに携わる人々のひたむきな熱意が大仰ではなく静かに説得力をもって浮かび上がってくる筆致がとても良い。本書は著者が開高健賞奨励賞を受賞したデビュー作で、その頃はまだ学生だったらしいがこれだけ書けたというのはたいしたものだ。遅まきながら小林照幸という人の筆力に関心を持った次第。

 私の個人的な関心から言うと、1960年代のまだ近代化途上にあった台湾、とりわけ農村・山村部で伝統的な中国医学への過信(というよりも迷信)によって血清などの西洋医学の方法が広まらず、人々が毒蛇咬症に悩まされていた当時の社会状況がうかがえたところが興味深い。台湾にもコブラがいたのは初めて知った(ただし、コブラによる死者はインド方面に比べて格段に少ない)。毒蛇研究の先駆者として杜聡明も登場するが、欲を言えば彼のプロフィールももう少し書き込んで欲しかった。当時、台湾総督府は南洋の風土病対策の一環として毒蛇研究にも力を入れており、杜聡明もその分野では世界的に知られた医学者であった(なお、日本統治期の蛇毒咬症関連調査の資料が戦後なくなってしまったらしいが、「おそらく日本の遺産として内容も分からずに始末されてしまったのでしょう」と杜聡明が語るシーンがあった)。彼は台湾出身者として初めて博士号を取得したことでも有名で、日本統治期の台北帝国大学で唯一の台湾人出身教授でもあった。戦後も台湾大学総長を務めたり高雄医学院を創立するなど活躍。

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2009年8月22日 (土)

「宇宙へ。」

「宇宙(そら)へ。」

 ロケット打ち上げの炎と噴煙には独特に激しい厳かさがある。映画が始まって間もなく、打ち上げに失敗したロケットの爆発シーンが立て続けに映し出される。その後も、有人宇宙飛行、宇宙遊泳、月面着陸、スペースシャトルと成功が続くものの、そうした華々しさの陰で目の当たりにされた訓練中の爆発事故、チャレンジャー号の打ち上げ失敗、そして帰還途上にあったコロンビア号の空中分解といった大惨事。文字通り死と隣り合わせの冒険に敢えて飛び立った宇宙飛行士たち。NASAが記録していた映像を編集してアメリカの宇宙開発の歴史をまとめたドキュメンタリーである。

 自らの命を代償にしてでももこの眼で確認したかった宇宙の姿、未知なるもの。静けさを湛えた月のゴツゴツした地平に、漆黒の闇の中からくっきりと浮かび上がった地球の青さ──。もはや写真や映像で見慣れたシーンではあっても、科学者や宇宙飛行士たちの命がけの奮闘を念頭に置いて見ると目頭が熱くなってきて、その印象はひときわ鮮やかだ。ハッブル望遠鏡に映し出された、計算を絶した時空の果てからやって来た星々の光線。宇宙のはるかな深淵に、振り返って我ながら陳腐とは思いつつも、永遠と有限という哲学的テーマが頭をよぎる。だが、あの映像を目の前にしている時には不思議とそれが陳腐には感じられなかった。胸に清涼感があふれてくる。凄絶におそろしく、そのおそれが美しい。命を棄ててでも見たいと切迫した思いを募らせるのは果たしてこれか。

 記録映像をつなぎ合わせただけだが、ドラマとして張りつめた緊張感が全体に漲っている。ドキュメンタリーを観てこんなにワクワクドキドキしたのは久しぶりだ。オーケストラのバックミュージックが雰囲気を盛り上げていたし、ナレーションを務める宮迫博之の渋いバリトン・ヴォイスもなかなか様になっていた。

【データ】
原題:Rocket Men
監督:リチャード・デイル
翻訳・演出:寺本彩
翻訳監修:毛利衛
日本版ナレーション:宮迫博之
2009年/イギリス/98分
(2009年8月21日レイトショー、新宿・武蔵野館にて)

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2008年2月 3日 (日)

「アース」

「アース」(日本語吹替版)

 北極から南極まで縦断しながら地球上に息づく様々な動物たちの姿を見せてくれる。ただし、単に自然の雄大な光景を映し出しただけのドキュメンタリーと考えたら大間違いだ。

 たとえば、アフリカのサバンナ、水を求めてはちあわせたゾウの群れとライオンの群れ。小ゾウを狙って襲いかかるライオンに対し、親ゾウたちが張る鉄壁の防御陣。海中では、クジラやカジキマグロに狙われた小魚の群れが変幻自在に陣形を組み替えて攻撃をかわすスピード感の鮮やかさ。生存をかけて、そして子供を守るため、熾烈な闘いを繰り広げる動物たちの姿には濃厚なドラマがあって息を呑む。

 その一方で、どことなくユーモラスな表情をとらえたシーンではおのずと頬がゆるむ。アマゾンのゴクラクチョウがあんなに巧みにダンスをするのは初めて知った。しかも、事前にきちんと舞台を整えているなんて。滅多にない洪水に出くわし、川を渡るサルたちの仕草も、当人(当サル?)たちは真剣なのだが、いかにもおっかなびっくりという感じで笑ってしまった。子育てのシーンが多く取り上げられており、子供たちの覚束ない足取り、羽ばたきがほほ笑ましい。だが、そうした未熟さが外敵に狙われることになるのだが…。

 数千頭、数万羽もの群れが移動する様子、巨大なジャングルや滝、上空から俯瞰するように撮影された映像が圧巻だ。そこにベルリン・フィルの奏でるメロディーがかぶさり、地球を舞台にとった壮大な映像叙事詩として見ごたえがある。映画館の大スクリーンで観るとやはり迫力が違う。

 映像はBBCによる。木々の葉の色合いを一瞬のうちに変化させる映像手法など、昨年にNHKで放映された「プラネット・アース」でも似たようなシーンを見かけた。この番組はBBCとNHKとの共同制作だったし、今回の「アース」のエンドロールでThanks to NHKという文言を見かけたから、「プラネット・アース」と同じ映像も使われているのだろうか。

【データ】
原題:EARTH
監督・脚本:アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、デビッド・アッテンボロー他
音楽:ジョージ・フェントン
ナレーション:渡辺謙
2007年/ドイツ・イギリス/98分
(2008年2月1日レイトショー、新宿バルト9にて)

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2008年1月27日 (日)

覚書③安楽死と尊厳死について

(さらに続いて、安楽死と尊厳死の問題についてです。)

 ALS患者は人工呼吸器を装着するかどうかの決断をいつかは下さねばならない。その際に、①装着をしないで尊厳死を迎えることの是非、②いったん装着した後で取り外すことの是非が問題となる。ここを考える上で、安楽死・尊厳死についてどのような議論が進められてきたのか確認しておく必要がある。

◆定義
 安楽死と尊厳死、この二つの言葉は人によって使い方が異なり、どこで意味上の線引きをしているのか曖昧なことが多い。
 一つの考え方として次のように分類されるだろう。
①純粋安楽死
 死を迎えるにあたって麻酔等で苦痛を緩和・除去し、しかも生命短縮の危険を伴わない安楽死。この場合には何の問題も生じない。
②間接的安楽死
 生命短縮の危険を伴う安楽死で、治療型安楽死とも言われる。つまり、苦痛を緩和するために使用した薬剤の副作用として死期が早まった場合である。意図的な行為の結果として死に至らせてしまう点で殺人行為とみなされかねないが、医学的正当性、患者の同意がある場合には治療行為として違法性は阻却される。
③消極的安楽死
 苦痛を長引かせないように、生命延長のための積極的措置をとらないことによって死期を早める安楽死。狭義で尊厳死という言葉を使う時はこのケースを指すことが多い。
④積極的安楽死
 苦痛の除去を目的として、意図的な手段を以って生命を終わらせることである。殺人罪、嘱託殺人罪等として刑法上の責任が問われる。

 安楽死をめぐる議論では、第一に苦痛からの解放、第二に本人の意思を尊重、以上の2点が共通しているが、具体的には以下のポイントを挙げることができる。
①現代の医学知識や医療技術では治癒が不可能であり、なおかつ極めて近い将来に確実に死が訪れる。
②患者は激しい苦痛を訴え、症状が確実に進行しており、その様子が傍目にも分かる。
③回復不能にもかかわらず行われる治療行為に対して、あらかじめ患者自らの意思として拒否の姿勢が示されている。
④その意思を再確認し、さらに患者本人の同意を得て、医師はその苦痛を除去することを目的とした治療を行う。
⑤その治療とは結果として患者の死期を早める医学的処置である。

 宮川俊行は『安楽死の論理と倫理』(東京大学出版会)の中で安楽死を他者との関わりから次のように分類している。
①非理性的、非人間的生命のあり方を拒否する尊厳死的安楽死
②厭苦死→鎮痛の可能性のない身体的苦痛に伴われた生命の拒否
③放棄死→人間は共同体の他者との関わりをもって生きるが、苦痛を伴う患者のために共同体が崩壊し、放棄されていく中での死
④淘汰死→共同体存続のために患者の生命が淘汰された状態に追い込まれた死

◆日本での経緯
 安楽死に類した行為は歴史上様々な場面で行われてきた。日本で安楽死というテーマを明確にした最初の例は森鴎外『高瀬舟』であろう。
 法律上の議論として安楽死に焦点が当てられた最初のケースは、昭和24年におこった母親殺害事件である。被告となったのは在日朝鮮人の青年。母親が脳溢血で倒れて全身不随となってしまった。当時、在日の人々の間では北朝鮮への帰国運動が盛り上がりつつある時期だったが、この母親も帰国を希望していた。しかし、身体的に不自由になったばかりでなく、法的手続きもうまくいかず、帰国できない状況となってしまった。身体的苦痛に加えて絶望感が深まり、「こんな状態なら死んでしまいたい」「殺してほしい」と息子に向かって訴える。青年は親孝行と考え、青酸カリを飲ませて死に至らしめた。当初は尊属殺人で起訴されたが、検察は事情聴取しながら嘱託殺人へと切り替えた。安楽死とする場合には死期が切迫しているかどうかを確認する必要があり、この点で青年の行為は軽率であったとして、一定の情状酌量をしつつも懲役1年、執行猶予2年の判決が下された。
 この裁判を通して、安楽死を論ずる枠組みとして以下の点が明確になった。
①現行の法律では安楽死の判断ができない。
②安楽死の医療処置ができるのは医師のみである。
③疾病上の苦痛が対象であって、精神的苦痛は安楽死の対象外とする。

 安楽死についての法的基準を初めて明示したのは昭和37年に出された名古屋高裁判決、いわゆる山内判決である。本件では、脳溢血で倒れて半身不随となった父親を殺したとしてその息子が起訴された。父親は「苦しい」「殺して欲しい」と訴え続けており、主治医からは余命は7日から10日くらいだと聞かされていたので、被告は牛乳に有機リン殺虫剤を混入させて死に至らしめた。
 判決では安楽死が認められる場合の基準として以下の要件を示し、本件では⑤と⑥を満たしていないとして懲役1年、執行猶予3年が宣告された。安楽死について法的な基準が明示されたのはこの判決が初めてであり、その後の論争の画期点となった。
①病者が、現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること。
②病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。
③もっぱら、病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。
④病者の意識が、なお明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託、または承諾のあること。
⑤医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には、医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。
⑥その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。

 次いで東海大学付属病院事件について平成7年に横浜地裁判決が下された。本件は名古屋の事件とは異なり、家族ではなく医師が起訴されていた。死亡した患者本人にガンの告知はされておらず、なおかつすでに意識がなかったため、本人の自発的な意思は示されていない。それにもかかわらず、家族から「楽にしてやって欲しい」と繰り返し迫られた医師が塩化カリウムを注射して死亡させたことの是非が問われた。以下の要件を示した上で、懲役2年、執行猶予2年の有罪判決が下された。
①耐え難い肉体的苦痛があること。
②死が避けられずその死期が迫っていること。
③肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること。

◆海外の事例
・カレン・アン・クインラン事件→個人が死を選ぶ権利が認められた。意思表示ができない場合には父親に認められた。回復不能の判断が医師と倫理委員会の二重のチェック。
・契約社会のアメリカでは、医師の説明不足や一方的な裁量で行われた医療に対して患者側から自らの権利を侵害されたとして法的な対抗措置。
・キヴォキアン医師の自殺装置。
・オランダの安楽死法。

◆問題点
 仮に安楽死が社会的に容認されて何らかの形で法制化された場合、様々な問題があり得ると指摘されている。
①コスト面で社会的弱者切捨ての懸念
 長期療養が必要となる難病では、医療費ばかりでなく、生活面での影響が深刻となる。特に家族のメンバーが少ないとき、稼ぎ手本人が倒れたケースは当然だが、パートナーが倒れたときにも仕事を辞めてつきっきりで介護をせねばならない事態が考えられ、いずれにせよ生活費をどのように確保するかで頭を悩ませることになる。そうした場合、患者本人はもう少し生きたいという意思を持っていたとしても、コスト上の問題を理由として安楽死を選ばざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
②家族が本人の意思を代位することへの懸念
 家族が信用できないということではない。患者が死を迎えるにあたっては、家族もまた動揺が激しい。患者本人の意思をあらかじめ確認しないまま意識不明の状態に陥ってしまい、かつ苦悶の表情を浮かべていると、家族としてはやはり正視に堪えない。「かわいそう」というその場の雰囲気で、本人は安楽死を望んでいるものと家族は安易に受け止め、延命打ち切りの判断を下してしまうおそれがある。
③「自ら意思決定する能力」とは何か
 ②とつながる問題だが、物事の判断能力をどこに求めるかという問題。
④高齢化社会で悪用されることへの懸念
⑤優生学上の見地から不必要とみなされた者への適用。ナチスの安楽死政策。
 以上は、自分の意思とは全く関わりのない理由によって死を強制されてしまうことへの不安が見られる点で共通している。
⑥安楽死は患者本人だけの問題ではない
 仮にリビングウィルが用意され、患者本人の安楽死へ向けての態度が明らかにされていたとする。しかし、実際に安楽死の手続きを進めるのは医師である。患者本人は自分が死ぬことを納得しているのかもしれないが、医師が自らの価値観と相違して不本意な形で安楽死を手伝わねばならない立場に置かれてしまうことも考えられる。それは医師ばかりでなく、患者の周囲に集う家族や友人たちにも同様の精神的な葛藤を強いることになる。自分の死はあくまで自分一人の出来事だと思い込みがちだが、実は周囲の様々な人々を巻き込んでしまっていることについてどのように考えるのか。

(参考文献)
ハーバート・ヘンディン(大沼安史・小笠原信之訳)『操られる死─「安楽死」がもたらすもの』時事通信社、2000
保阪正康『安楽死と尊厳死』講談社現代新書、1993
宮川俊行『安楽死の論理と倫理』東京大学出版会、1979
三井美奈『安楽死のできる国』新潮新書、2003
ジャネット・あかね・シャボット『自ら死を選ぶ権利─オランダ安楽死のすべて』徳間書店、1995
入江吉正『死への扉──東海大安楽死殺人』新潮社、1996年

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2008年1月26日 (土)

覚書②医療現場での“自己決定”について

(覚書の続きで、医療現場で患者自身の自己決定はできるのかという問題です。)

 ALSの患者にとって、人工呼吸器をつけるかつけないかの選択は、生きるか死ぬかの問いと直結するため、非常に厳しい決断を迫られることになる。もちろん、難病患者にとっての切実さは、他の健康な人の安易な想像を許すようなものではない。しかし、極端なまでの厳しさは、“自分で決める”にはどのポイントが核心として問われるべきなのかを鮮明にするとも言える。そうした意味合いで、単にALS患者の問題であるばかりでなく、他の人々にとっても考えるべき示唆が含まれている。
 
◆インフォームド・コンセント
 医療における意思決定というテーマは、まずインフォームド・コンセントをめぐる問題である。患者がこれから受ける医療行為について十分に納得できるような説明を医師は行わなければならない。こうした考え方は、最近では当たり前のものとなっている。
 インフォームド・コンセントの考え方が初めて明記されたのは、第二次世界大戦直後、1947年に制定されたニュルンベルク倫理綱領である。かつてナチスは、障害者や社会的マイノリティー、戦争捕虜など、弱い立場にある人々に対して組織的に人体実験を行ったが、これに対する反省が込められている。この考えをさらに確認するために、1964年にはヘルシンキ宣言が採択された。
 医学の進歩のためには何らかの形で人体実験も必要となる。しかし、弱い立場の人間に押し付けるのは人道に反する。そこで、人体実験の被験者となる場合には、自発的な同意が必要であることを定めた。言い換えると、マイナスの効果を及ぼす医療行為をされない権利として出発したのであり、当初は治療の現場で選択肢を提示するという患者の主体性に主眼を置いたものではなかった。

◆自己決定権
 近年では、むしろ自己決定権という積極的な側面においてインフォームド・コンセントは話題となる。どのような医療を受けるか、さらには自分の生死に関わる場面でどのような決定を下すか。医師の言うままになるのではなく、自分のことは患者自身が決めるという要求が社会全般から強まった。そのために必要な情報開示としてインフォームド・コンセントは位置づけられるようになった。
 医療技術の進歩によって延命治療が可能となり、身体的自由がきかないまま療養生活を送るケースが多くなった。“スパゲティ症候群”という言葉に象徴されるような延命治療への懐疑が広まったことが背景としてある。つまり、“生きがい”の確保できない生命は「生きるに値しない」という見解を表明する人が多くなったのである。

◆医療現場での問題点
 医療現場においては以下が問題となり得る。
①インフォームド・コンセントの考え方にそって十分な運用がされているのか。
 たとえば、医師の側の態度として、患者が理解したかどうかは顧慮せず医師は一方的に説明をする。とにかく説明はしたんだから、あとは患者の問題だ。そうした態度で、何か問題が起こったとしても、これは患者の自己決定よるものだとして責任を押し付けてしまうのを正当化する口実にもなりかねない。
②生死のぎりぎりの場面でどこまで自己決定があり得るのか。
 インフォームド・コンセントでは、自分にまつわることは他人頼みにはせず、すべて自分で取り仕切るという人生観が前提となっており、納得して決定を下すために十分な情報を医師は提供すべきことが要求される。つまり、個人主義的な色彩の強い「自律」という観念が出発点になっていると言える。
 従来、日本は家族共同体的で他者への依存傾向が強く、医療現場においては医師という権威者に対してパターナリスティックな人間関係が色濃いと言われてきた。日本が国際化する上ではこの「自律」の観念を受け容れなければならないという議論が様々な分野でなされ、そうした動向の一環としてインフォームド・コンセントの話題も位置づけられた。また、実際に「自律」の観点からインフォームド・コンセントをうまく活用している人も多い。
 しかし、以下の問題もある。第一に、文化風土から規定された思惟形式は一朝一夕には変わらない。したがって、自己決定の重さに耐えられない人も多い。ビジネスの現場では「自律」的な人生態度を取ってきた人であっても、いざ生死に関わる究極の場面にぶつかると、それまでの人生態度を貫き通せないこともある。第二に、「自律」というのはあくまでも理論上のフィクションに過ぎず、実際には欧米であっても「自律」に耐え切れないケースが多いという指摘がある。個人主義的な傾向の強いアメリカ社会でも心理カウンセラーにかかる人が多いのはその証拠であって、アメリカでも自律的人間モデルに耐えられるのか疑問も投げかけられている(たとえば、コフート)

◆苦痛の緩和
 真に問題となるのは何か。個々のケースに応じて違うだろう。
 まず、苦痛の問題。あまりに激しい痛みに耐え切れない場合。第一に、苦痛を和らげる処置が、結果として縮命につながる場合。これはやむを得ないと考える人が多い。第二に、苦痛回避のために意図的に死を選ぶ場合。積極的安楽死。道義上、刑法上の問題となる。

◆精神面での耐え難さ
 ただし、医療技術の進歩により、苦痛そのものを和らげることは可能となりつつある。そのため、「安楽死」という言葉には苦痛回避という意味合いが強いが、かわって「尊厳死」という表現が用いられるようになっている。
 苦痛そのものよりも、気持ちの取り方をどのように考えるかが次の問題となる。第一に、意識はあるのに身体的に動けない場合の精神面での耐え難さ。第二に、他人に依存した生活を送らざるを得ない場合のプライドの傷つき。こうした精神面での耐え難さから死を選ぶ傾向が強まってきた。

◆純粋な決定はあり得るのか
 ここで問題となるのは、患者が鬱状態に陥っている場合である。気分がふさぎこんでしまった時に発する「死んでしまいたい」という言葉は素直に受け取ることはできない。したがって、信頼のある人間関係の中で患者自身の真意を探りとる必要がある。
 一切のノイズを排して純粋に「自分」の「意思」で「決定」するということはあり得るのか、もしあり得るとしたらどのような条件が必要なのか。もしあり得ないなら、どこまでなら妥協できるのか、その妥協する場合に比較の対象となる自己決定の純粋形モデルは一体どのようなものなのか。こうした点を吟味しておく必要がある。しかし、純粋な「自己」なんてものがそもそもあり得えない以上、影響を被るノイズとしての要因をどこまでなら許容できるのかという話になるだろう。

◆決定の際の周囲の態度の取り方
 欧米では「自律」の考え方が確立されているのに対して日本では遅れているという文化論的な話題がよく見られる(「近代的個」の確立を主張した丸山真男政治学をはじめとしてあらゆる分野で)。医療における自己決定というテーマにおいても、この話題が議論の中心テーマの一つとなる。しかし、この考え方がそのまま通ずるのであろうか。
 たとえば、欧米における尊厳死のイメージを見ると、家族や友人達と囲まれる中で死を迎えることが強調されている。それが日本で報道されると、本人の決定を周囲が暖かく受け止めたという筋立てになる。
 だが、別の見方をすれば、家族や友人など信頼のある人間関係の中で長い時間をかけながら考え抜くというプロセスがあったからこそ、決定を下すことができたと言えるのではないか。つまり、アトム的に孤絶した「個」という立場で判断したのではなく、周囲からの様々な反応も見ながら、自身も周囲も納得できる形で最終的な決断が下されている。言い換えると、ノイズを排除した自己決定の純粋モデルなどはあり得ない。
 そこで、次に焦点が絞られるのは、周囲からの反応の取り込み方、決定に際してのコミュニケーションのとり方をどのようにすればいいのかという問題である。それは、「サポート」という性格のものではない。決定しやすい条件整備をするにしても、どんな条件があり得るのか分からないし、下手すると周囲から外堀を埋めることで不本意な方向に患者本人を追い詰めることにもなりかねない。また、本人に一人で考える負荷を必要以上に大きくしてしまう。
 そうではなく、周囲の人々それぞれとの個別的な関係の中で意思を通じさせる。反対の意見があるなら正直に反対してもらう。そうした意見交換の積み重ねを経て、周囲の人々の本心を見極める、それは本来的にできないことであっても見極めたように自身が納得する、そうした作業が前提として必要となるだろう。つまり、本人の意思を尊重する=本人の意思だけで押し通すということではない。本人の意思だけでなく、周囲の人々と納得した感覚を共有できたときに、本人もまた安心する。
 患者が不安になるのは、近い将来に予想される苦痛や死ばかりではない。仮に介護を受けねばならないとする。家族に負担がかかるが、それを家族はどのように受け止めるだろうか。ひょっとしたら顔では笑っていても、内心いやがっているのではないか。そうした周囲の人々に対する気兼ねが療養生活においても心理的にマイナスの作用を及ぼすことになる。自分の決定を周囲が嫌がると介護において不利益を受けるということではなく、そもそも周囲との関係があってはじめて自分がいるということ。周囲との具体的なあり方は文化によって違うだろうが、何らかの形での関係があることに変わりはない。つまり、関係を考慮しながら決定するのではなく、決定もまたそうした関係性の中の一環として組み込まれているということ。 

◆本人の意思と家族の意思、どちらを優先させるか?
 立岩真也と清水哲郎とで次のような見解の相違がある。
 告知の際、家族と一緒に知らせるか、それともまず本人だけに知らせるか。患者自身にとってのQOLの問題と家族の負担とがぶつかってしまうとき、具体的には経済的コストやケアの肉体的負担、生活上の時間拘束によるストレスなどが考えられる場合にどうするのか?という問題につながる。
 清水は、患者本人と家族との共同決定が望ましいという見解。立岩は、それだと家族に遠慮して本人のQOLが犠牲にされるおそれがあるから、まず本人の意思に即して、という主張。本来ならば清水の見解が妥当だろう。一方、立岩の批判には、共同決定というベールの下、家族への遠慮などで本人が言いたいことを言えない立場にあったとき、本人の意思が犠牲にされてしまうことへの懸念があり、なかなか難しい。

【参考文献】
・清水哲郎『医療現場に臨む哲学』勁草書房、1997
・清水哲郎『医療現場に臨む哲学2 ことばに与る私たち』勁草書房、2000
・立岩真也『ALS 不動の身体と息する機械』医学書院、2004
・『思想』2005年8月号、特集「医療における意思決定」岩波書店。
・水野肇『インフォームド・コンセント─医療現場における説明と同意』中公新書、1990
・森岡恭彦『インフォームド・コンセント』NHKブックス、1994
・星野一正『インフォームド・コンセント─患者が納得し同意する診療』丸善、2003

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