カテゴリー「アメリカ」の25件の記事

2012年8月10日 (金)

高木俊朗『狂信──ブラジル日本移民の騒乱』、前山隆『移民の日本回帰運動』、他

 来週は8月15日を迎える。67年前、日本の無条件降伏というニュースは地球の裏側にあたるブラジルで、日本とは違った形で大きな波紋を引き起こしていた。第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会で、日本の敗北という事実を受け入れた「負け組」(認識派)と、「日本は勝利したはずで、負けたなどと言うのは非国民だ。けしからん!」と怒り狂った「勝ち組」(信念派)との対立が激化、「勝ち組」の臣道聯盟という組織が「負け組」の人々を暗殺するという事態にまで発展してしまった。

 先日、この事件を題材にしたヴィセンテ・アモリン監督の映画「汚れた心」を見て、もう少し詳しいことを知りたいと思ったのだが、原作のFernando Morais“Corações Sujos”はポルトガル語の原書だけしか刊行されておらず、邦訳はおろか英訳もない。このフェルナンド・モライスという人はブラジルでは著名なノンフィクション作家らしく、例えばパウロ・コエーリョの評伝なども書いていて、それは英訳が出ているのだが。日系人の問題ということで日本にも関わりがあるのだから、どこかの版元さんが邦訳を刊行してくれたらありがたい。

 仕方ないので図書館を回ってみたら、「勝ち組」に関する文献は意外とあって、とりあえず下記の4冊に目を通した。

 田宮虎彦『ブラジルの日本人』(朝日選書、1975年)は1960年代にブラジルを旅行した際の紀行文をまとめたもの。ブラジルの日系人社会には戦後になっても「明治の日本」が残っているという率直な驚きが興味深い。また、日本語中心の移民第一世代と、ポルトガル語を使うことの多いブラジル生まれの第二世代との世代間ギャップも観察されている(後述のヴァルガス政権における日本語禁止政策の効果もあった)。こうしたあたり、私がたまたま台湾に関心を抱いていることからの連想に過ぎないが、日本の敗戦を一つの区切りとした上で①戦後台湾に「戦前の日本人」を見出したときの驚き、②世代間における言語的断絶、こうした点で台湾と比較してみたらどのような論点が導き出せるか?という関心も浮かんだ。

 臣道聯盟事件をめぐる全体な背景を知るには太田恒夫『「日本は降伏していない」──ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争』(文藝春秋、1995年)が読みやすい。臣道聯盟事件をじかに知っている人から聞いた話は田宮『ブラジルの日本人』にも出てくるが、やはり一番面白かったのは高木俊朗『狂信──ブラジル日本移民の騒乱』(ファラオ企画、1991年/角川文庫、1978年/朝日新聞社、1970年)である。

 高木俊朗は戦記文学で知られた作家だが、映画の脚本を書く仕事もしていた。1952年、日系移民をテーマとした映画製作の話を持ちかけられ、監督の小杉勇や女優の霧立のぼる、俳優の大日方伝、藤田進などと一緒にブラジルへ渡る。いざ現地に着いてみると、どうも様子がおかしい。招聘元となった会社の実体が分からないし、いつまで待っても映画製作が始まる気配もない。地元新聞社を訪ねて事情を聞いてみると、自分たちを呼び寄せたのは名うての山師で、どうやら「勝ち組」の重要人物でもあったらしい。結局、映画製作は取りやめとなり、スタッフは帰国したのだが、「勝ち組」のことが気にかかった高木自身はしばらく残って調査を続けた。「日本は勝った」と主張する人物が次々と現われるので彼らから話を聞き取り、資料も集め、「勝ち組」の精神構造はどうなっているのか何とか見当をつけようと努める。不思議な異世界にさまよいこんでしまった中で謎解きをしていくようなスリリングな面白さがあって、この作品はノンフィクションの埋もれた名作だと思う。

1945年の時点でブラジル日系人社会の9割以上が「勝ち組」に近い考え方を持っていたらしい。その多くは素朴に信じ込んでいたようだが、中には高木をだました山師のように胡散臭い輩も暗躍していた。「マスコミは日本が負けたと言っているが、すべて米国の謀略だ。本当は日本が勝ったんだ」ということをもっともらしく話すとみんな喜んでお金を出したので、一つの稼ぎ口となっていた(それを「お賽銭」と表現する人もいた)。彼らの語る時事解説は微妙に現実の出来事を散りばめながら解釈を正反対に持っていくという巧妙なもので、敗北という現実を知りながら確信犯的にやっていたであろうことも推測される。軍人や特務機関員と自称する者が「お国のため」と称して金を巻き上げ、日本から特別使節としてやって来た賀陽宮だと詐称する者までいた。血と汗を以て開拓した土地を、帰国運動にかこつけて巻き上げられてしまった人も少なくない。それでも被害者は「お国のためにやっている」と思い込んでいるので、詐欺罪で訴えようともしない。日本と直接の連絡が難しい時期だったので、そうした有象無象が白昼堂々と動き回っていたあたり、妙にカオティックな印象を受ける。日本の軍艦がやって来るという噂が流れて、奥地に入植していた多数の日系人が港まで出て来て待っているところなど、いかにも新興宗教にありそうなシーンだ。

 当時のラテンアメリカには、例えばアルゼンチンのペロン大佐のようにファシズムに共鳴する政権がいくつか成立していたが、ブラジルのヴァルガス政権もそうした一つであった(ただし、経済関係はアメリカに依存していたため、第二次世界大戦では連合国側に立つ)。国土は広大でエスニシティも多様、言い換えるとバラバラな状態にあったブラジルを一つの同質的な国民国家へまとめ上げようとする意図からヴァルガス大統領はナショナリズムを高揚させる政策を取り、移民には同化を求め、やがて日本語新聞は禁じられる(考え方によっては、国民国家形成を意図してマイノリティーの同化を目指すブラジルのナショナリズムと、同化を拒否し続けた日本人の遠隔地ナショナリズム、二つのタイプのナショナリズムのぶつかり合いという側面も指摘できる)。ポルトガル語の分からない日本人移民たちは情報からシャットアウトされ、これがある種の迷信をはびこらせる一因ともなった。

 簡単に言ってしまうと、「日本は勝った」と信じたい日本人移民たちの願望と、それを利用して金儲けをたくらんだ詐欺師の思惑とが一致してしまったということになる。出所不明の虚報が「事実」と受け止められ、詐欺師たちは商売のカラクリがばれないように虚報をさらに煽り立てる。こうしたマッチ・ポンプが繰り返される中で「負け組」に対する憎悪がふくらんでいき、やがて「勝ち組」による「負け組」暗殺が誘発された。問題はそればかりではない。暗殺事件があまりに多発したためブラジル社会内で日系人に対する感情が悪化し、些細ないざこざがきっかけでブラジル人と日系人との衝突事件まで発生している。

 もちろん、詐欺師が悪い。しかし、詐欺師の言葉を簡単に受け容れてしまうだけの理由が、移民たちの精神構造上の問題としてあったのも確かである。そもそも詐欺師たち自身も半ば本気で信じ込んでいたようにも思われる。報道が「間違っている」のだから、自分たちが「正しく」修正しているだけだという意識だったのかもしれない。「勝ったか負けたかは関係ない。日本が負けたと考えるのは精神的堕落だ」という趣旨の発言があり、当初から現実認識の発想そのものがなかったことが分かる。ここには昭和維新を呼号した人々に見られる「動機オーライ主義」の純粋培養された心性を見出すこともできよう。それこそ、「負け組」のリーダーを射殺する際、五・一五事件で犬養首相を殺害した青年将校のように「問答無用!」と叫んだらしい。

 前山隆『移民の日本回帰運動』(NHKブックス、1982年)はそうした彼ら自身の主観的な受け止め方に注目し、文化人類学者としての視点からアイデンティティー構造の変容過程として日本人移民たちのメンタリティーについて分析を進めている。高木書は読み物として面白かったが、こちらの前山書は高木書の記述も検討事例に含めながら説得的な分析を展開している。

 日本のブラジル移民の多くは、しっかり稼いだ後は帰国して故郷に錦を飾るという考え方だったため、永住するつもりなど全くなかった。そうした客人意識があるため、ポルトガル語を覚えようとはせず、むしろ日本語を忘れてしまうことを恐れていた。ただ、実際には生活は苦しく、故郷に錦を飾るどころではない。帰る目途がたたず無力感に苛まされていると、かえって帰国願望が高まっていく。そうした中から帰国運動が現われ、日本の対外侵略が活発になると「大東亜共栄圏」に共鳴する形で日本の占領地域への再移住を目指す運動も起こった(例えば、海南島へ)。日本敗戦後のいわゆる「勝ち組」もこうした一連の「回帰運動」の延長線上にあり、本書では社会的ストレスを感じたマイノリティー集団に特徴的な「千年王国運動」として捉えている。

 なお、前山書によると、ブラジルの日本人移民は当初、神社を建てなかったそうだ(台湾、朝鮮半島、旧満州、南洋へ進出した日本人が必ず神社を建立したのと対照的である)。それは、自分たちはいずれ日本へ帰る身の上なのでブラジルの流儀を尊重する、という客人意識によるもので、裏返すとまさに日本人意識が強固に残っていた証左である。帰国を諦めて永住を考え始めた頃から神社を作り始め、「勝ち組」の指導層は神職のような立場にすり替わっていく。こうした形での新興宗教の動向もまた移民のアイデンティティー変容という観点から把握することができる。

 彼らの的外れな言動を単なる社会的不適応と嗤うだけでは何の意味もない。挫折感に打ちひしがれても、それでもなおかつ生きていくためには新たなアイデンティティーを形成し直さねばならず、自己の置かれた立場を解釈し直す模索において、傍目には不可解な行動を取ってしまうことがあったとしても不思議ではないだろう。

 強烈な願望があるとき、手持ちの情報を一定のフレームワークに従って都合よく再解釈したくなる心性は一般的によく見られる。「勝ち組」について考えるにしても、彼らの頭の中にかかったフィルターがどのような構造で成り立っているのかを理解することが肝心である。

 第一に、彼らがブラジルへ移住する前に日本で受けていた軍国主義教育が挙げられる。遠く離れた故郷が灰燼に帰したのを目の当たりにすることがなかったため、実体験に基づいた懐疑を持ち得ず、観念のみが温存された。

 第二に、移民としての生活環境上の苦難が大きい。移住の当初は低賃金で苛酷な労働に駆り立てられ、異国の荒涼たる大地を開拓するのは生易しいことではなかった。その過程では多くの近親者や仲間の死を目の当たりにしてきた。また、当時のヴァルガス政権が積極的に推進していた移民の同化政策によってアイデンティティー・クライシスを抱かざるを得なかったであろうし、人種差別的な偏見にもさらされていた。様々に苦しい立場にあった中、日本が法的にブラジルと交戦状態に入ったことは、物理的にも精神的にも孤立感をいやが上にも深めたはずだ。日本が戦争に勝ちさえすれば、自分たちを苛む苦難も終わるはず──そうした願望は単なる空想というレベルを超えて、まさに彼らが生きていく支えとなっていた。見方によっては宗教的な救済願望すら感じられるが、「千年王国運動」との類似という前山書の指摘はまさにそうしたあたりを汲み取ったものである。

 また、「負け組」の人々は、日本の敗戦という事態を正確に認識できるだけのインテリジェンスがあったことから分かるように、ブラジル社会の中でも一定の地位を築いた成功者が中心であった(ブラジル社会で地位を得るにはやはりポルトガル語能力が必須であった)。他方、「勝ち組」には経済的・社会的に不遇をかこつ人々が多かったらしい。

 いずれにせよ、自分たちの置かれた困難な立場を肯定的なものへと反転させたい、そうした願望が「現実」認識を再構成したくなる動機として作用していたことは十分に考えられる。

 日系移民たちが抱いた日本勝利という「信念」は現代の我々からすれば荒唐無稽以外の何物でもない。しかし、以上のことを考え合わせてみると、彼らの心理構造はグローバル化の進んだ現代においても決して過去の問題とは言い切れないのではないか。情報速度が格段に高まったとしても、それを受け止める側の心理的フィルターは、どんな情報であっても自身の納得したい方向で取捨選択しながら再構成を図ろうとするのだから、情報の量や正確さは本質的な問題とはならない。そして、自分が不遇な立場にあるという自覚が強ければ強いほど、自尊心を傷つけるような現実を拒否しようという動機が働き、トートロジカルな根拠に自らの優位性を求めるという罠にはまりやすくなる。そこから生じたコミュニケーション不全の状態は周囲からの拒否感に遇うと態度を硬化させ、いっそうの自縄自縛に陥ってしまう可能性がある。

 そうした意味で、例えばヨーロッパ社会におけるある種のイスラム系コミュニティーなどと比較してみるという論点もあり得るのではないかと感じた。あるいは、問題のレベルはだいぶ違ってくるが、現代日本でもネット上を眺めれば色々とサンプルが見つかるのかもしれない。

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2010年11月21日 (日)

堤未果『ルポ貧困大国アメリカⅡ』

堤未果『ルポ貧困大国アメリカⅡ』(岩波新書、2010年)

 ベストセラーの続編。民営化された学資ローンのため借金漬けにされてしまった学生たち、富裕層が中心を占める名門校との大学間格差、教育機会が将来の就業機会につながらない問題。GMなど大企業の破綻で社会保障を受けられなくなった人々。市場効率重視の医療保険業界、医療格差。発展途上国よりも人件費等コストの低い刑務所へのアウトソーシング、軽犯罪は貧困層が中心だが厳罰化・刑務所内での借金漬けによる社会復帰困難。こうした過剰な市場主義による効率性優先によって蝕まれた現代アメリカ社会を取材したノンフィクション。努力すれば誰にも将来の可能性はあると信じられるのがアメリカン・ドリームだったはずだが、それが自由=市場効率性と読み替え→一度不利な立場に立つとそのまま転落し続けてしまう、こうした形で敗者復活の機会が奪われていることが読み取れる。政治的自由と市場の自由とではその基準を置く位相が異なる、と言えるだろうか。

 どうでもいい蛇足だが、著者は最近、川田龍平参院議員と結婚して、川田議員は最近、みんなの党に入って、みんなの党は市場効率重視の政策を掲げている、ということは、夫婦で政治的見解が異なっている、ということか。他人事なのにお節介だけど。

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2010年11月 8日 (月)

渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』

 渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(慶應義塾大学出版会、2004年)は、アメリカ・ボストンにおける二つの社会階層、具体的にはアングロ・サクソン、プロテスタントで構成される中上流階層のいわゆるボストン・ブラーミン(カースト最上層のバラモン)と、カトリック中心の中下流階層のボストン・アイリッシュ、それぞれの人々にインタビュー、彼らの人間関係やセルフ・イメージを聞き取りながら、現代アメリカ社会の一側面を垣間見ていく文化人類学的な民族誌である。彼らは歴史・伝統・慣習などを意識している一方で、現代社会の複雑な変化をいかに内面化しながら日々の社会的現実を構成しているのかが描き出される。調査を進めながら、人間は社会構造に規定された存在である一方、それぞれの個人によって多様な日々の生活実践の中で構造的要因も能動的に変容され得る様子を汲み取ることで、客体主義・主体主義のいずれにも陥らない「ひざまずかない解釈主義」という研究方法上の含意も引き出される。

 同『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』(新潮社、2007年)は、アメリカの九つの都市(中にはゲーティド・コミュニティ、メガチャーチ、刑務所の町、東サモアなども含まれる)を訪れながらアメリカ社会の多面的な姿をうかがう。アメリカ社会にけるコミュニティの維持・生成・再生という側面をどのように見ていくかという問題意識が示される。多様な価値観がアメリカの特徴ではあるが、そこに通底する資本主義・市場主義の論理と何らかの形で向き合っているという点では共通するようだ。

 同『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』(岩波書店、2008年)は、アメリカのパブリック・ディプロマシーを検討、具体例として対日関係が多くを占めるため、パブリック・ディプロマシーという観点から見た日米関係史としても興味深い。パブリック・ディプロマシーとは、広報活動、文化活動、心理作戦、思想戦、世論外交、開かれた外交等々、場面に応じて様々な意味を持ち得る幅広い概念であるが、国家間の伝統的外交や市民同士の民間交流とは異なり、政府が相手国の民間レベルへ働きかけることを通して何らかの政策目標の実現を図る活動と言えるだろうか。単なるプロパガンダではかえって相手国との距離を広げて結果として外交が失敗しかねないわけで、相互理解を通して政策の説得力を強めるところに重点が置かれる。

 なお、上掲書のいずれもロバート・パットナムのソーシャル・キャピタルとジョゼフ・ナイのソフト・パワーに言及、社会科学で数理モデル中心の合理的選択理論が隆盛するなか、こういった計量化の難しい概念を言語化して社会科学的議論のプラットフォームにのせた点で共通していると指摘されていたことをメモしておく。

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2010年10月31日 (日)

渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』、堀内一史『アメリカと宗教──保守化と政治化のゆくえ』

 アメリカは建国の理念に普遍主義的志向がうたわれていたこと、さらには現代世界における存在感の大きさから、アメリカの政治や社会がはらむ理念と現実との落差はダブルスタンダードだという批判を世界中から招きやすい。しかし、むしろその落差にこそアメリカ社会が抱える生身の葛藤がうかがえるのだろう。

 渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』(岩波新書、2010年)はそうしたアメリカ社会の矛盾や逆説を幅広いテーマから内在的に描き出す。保守派が示す、連邦政府に対する懐疑とアメリカ第一主義の両立、新自由主義と「家族の価値」重視の結び付き。孤独な個人主義の不安。アメリカは「近代」の先進的モデルである一方で、保守派教会も増加しつつある二面性(「再魔術化」?)。人種問題、貧困、宗教的原理主義の台頭などによって多様性が損なわれかねない一方で、同時に多文化主義そのものが「普遍主義」「原理主義」化したらこれもまた抑圧の言説ともなり得る逆説。そして、アメリカの行き過ぎを批判する「反米」的な議論枠組みは他ならぬアメリカから現れている。プラスか、マイナスか、どちらかの固定的イメージに収斂させてしまうのではなく、矛盾と葛藤の真っ只中にある姿を出来るだけありのままに描こうとする視点を著者が持っているのは、それだけアメリカ社会に備わったバランス感覚に信頼を置いているからであろう。

 アメリカで大型選挙が行われるたびに宗教票の行方が報道でも話題となる。アメリカ事情に不案内な私などはそのたびに近代的リベラリズム対保守的宗教原理主義という二元対立的な構図を暗黙のうちに思い浮かべやすいのだが、堀内一史『アメリカと宗教──保守化と政治化のゆくえ』(中公新書、2010年)を読むと、そんなに単純ではないことが分かる。本書は19世紀の進化論裁判から現代に至るまでのアメリカにおける政治とキリスト教との関わりについて政治学的・社会学的議論を参照しながら整理してくれる。教義上の問題だけでなく、人口動態、メディア、社会的イシューの変化に教会がどのように対応したのか、様々なダイナミズムが働いていたことがうかがえる。

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2010年10月27日 (水)

森聡『ヴェトナム戦争と同盟外交──英仏の外交とアメリカの選択 1964─1968年』、水本義彦『同盟の相剋──戦後インドシナ紛争をめぐる英米関係』

 森聡『ヴェトナム戦争と同盟外交──英仏の外交とアメリカの選択 1964─1968年』(東京大学出版会、2009年)は、アメリカによる北爆開始前の1964年12月からパリ和平交渉の始まる1968年にかけての時期、突出した動きを見せ始めたアメリカに対してイギリス・フランス・ソ連がどのような働きかけを行ったのかを分析、その上でアメリカが各国に対して抱いている戦略的価値・政治的価値・政府機構間の緊密性・信頼感といった要因の有無から働きかけにプラスの効果があったのかどうかを検証する。後者二つのリソースの有無によってイギリスはプラス、フランスは間接的な影響にとどまったと評価。また、ソ連の働きかけもイギリスと同様にプラスだったと評価され、個別具体的なイシューに限定すれば現状維持という共通した政策目標を持っていたことからアメリカはソ連に対して信頼感を持っていたのだと指摘される。同盟国ではあるにしても、フランスは共産化のリスクを冒してでも南ヴェトナム中立化→アメリカも撤退させた上でかつてのフランスの影響圏復活の意図を、イギリスは1966年のポンド危機から財政再建の必要→スエズ以東撤退の意図を持っており、それぞれ自らの国益にそって単独主義的な思惑があった。同盟関係にはあっても当然ながらそれぞれの国益という要因は無視できない。

 水本義彦『同盟の相剋──戦後インドシナ紛争をめぐる英米関係』(千倉書房、2009年)は、イギリスは自らの死活的利益があるわけではないインドシナ問題についてなぜアメリカに対して積極的な働きかけを行ったのか、第一次インドシナ戦争、ラオス内戦、そしてヴェトナム戦争に至るまでのイギリス歴代政権の対米関与を連続した事象として把握、分析する。イギリスとアメリカは緊密な同盟関係にはあったが、インド植民地独立後もイギリスの手に残ったマレー植民地の安定化、さらにはアジア・アフリカの新興独立国を抱えるコモンウェルス内の気運からしても、アメリカの単独行動によってインドシナ情勢をこじらせてしまうのは問題であり、イギリスは軍事協力を拒否し続けた。むしろアメリカにとって好ましくない働きかけを進めながら、長期的な観点に立って事態のソフトランディングを目指していた。イギリスの外交努力が必ずしもうまくいったわけではない。ただし、中立的な仲介者ではなく、緊密な同盟者だからこそ対外政策修正に向けて影響を一定程度まで及ぼすことも可能であった。こうした政治外交史的な分析を通して、一般論としての「同盟」のあり方について建設的な示唆を与えてくれるところが興味深い。

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2010年10月16日 (土)

デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』

デイヴィッド・ハルバースタム(山田耕介・山田侑平訳)『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』(上下、文藝春秋、2009年)

 政府・軍司令部から現場で動員された兵士たちまで、資料やインタビューに基づき、朝鮮戦争をめぐる様々な人間模様を主にアメリカ側の視点から立体的に描き出したノンフィクション。一人ひとり癖のある面々を明確に性格づける筆致はときに独断的にも感じられるかもしれないが、描写力にメリハリをつけたアクセントとなって読みやすい。

 当たり前の話だが、戦争というのは単に物量や技術力で算定された軍事力のぶつかり合いというだけでなく、それらを組織・運営する人間の問題、モラールやリーダーシップの問題が決定的な戦局の帰趨を決めてしまう。数学の公式のように戦力計算で結果が予測できるものではなく、人間的要因が思いがけないところから色濃くにじみ出てきてしまう。マッカーサーのパフォーマティヴな自信過剰。中国軍の介入などないと信じるマッカーサーにへつらう取り巻きはそれを前提に情報操作、現場から上げられた情報を無視。政権高官のイデオロギー的フィルター。人種的偏見から相手をみくびる指揮官。様々なレベルでの誤算や失敗が絡まりあって、この戦争という凄惨なドラマが漂流するかのように進行する様が大きく浮き彫りにされる。

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2010年10月 8日 (金)

スティーヴン・キンザー『リセット:イラン・トルコ・アメリカの将来』

Stephen Kinzer, Reset: Iran, Turkey, and America’s Future, Times Books, 2010

 著者のスティーヴン・キンザーは中東・中米での取材経験豊富なジャーナリストである。冷戦期にアメリカが仕掛けた政権転覆工作によってかえって横暴な独裁者を出現させてしまった矛盾を描き出したノンフィクション作品もいくつか発表している。例えば、Overthrow: America’s Century of Regime Change from Hawaii to Iraq(Henry Holt and Company, 2007→こちら)、All the Shah’s Men: An American Coup and the Roots of Middle East Terror(John Wiley & Sons, 2008→こちら)を以前に取り上げたことがある。

 アメリカの中東との関わり方を模索するのが本書の趣旨であるが、ここで示される論点は大きく分けて次の二点にまとめられるだろう。

 第一に、トルコとイランの現代史を振り返りながら両国ともに民主化・近代化へと向けた内発的な動きがあったことを示し、その点で欧米とある程度まで価値観の共有される素地があることに注目を促す。もちろん万全ではない。トルコのケマル・アタチュルクによる近代化政策は一定の制度化を通してイスラム世界ではまれな世俗的国家を作り上げたものの、それは同時に軍事的色彩の濃厚な権威主義体制という形を取り、「世俗主義」という国是を守るために言論統制、イスラム派や少数民族への弾圧をもたらした。ただし、イスラム政党にルーツを持つ現エルドアン政権はEU加盟を目指して民主化を進め、それは近代化とイスラムとの両立の可能性もうかがわせる。イランの場合にはもっと条件が悪い。ケマルと同時期に近代化を押し進めたレザー・シャーは自ら王位に就いて属人的な専制体制を始めてしまったこと、そのパフレヴィー朝への批判から国民の支持を得たモサデクが英米の画策したクーデターで倒されてしまい、それをきっかけとした反米感情の高まりがイスラム主義と結び付いてホメイニ体制をもたらしたことなどが挙げられる。それでも、アフマディネジャド大統領再選時の不正に対する国民的な抗議の動きに著者はイランに歴史的に根付いてきた民主化への要求を見出す。こうした経過の中でアメリカが演じた負の関与はそれこそ「リセット」したい歴史だろう。二十世紀初頭、イラン立憲革命に身を投じた二人のアメリカ人、ハワード・バスカーヴィル(Howard Baskerville)とモーガン・シュスター(Morgan Shuster)を取り上げているところには、イランとアメリカには本来良好な関係を持つ可能性もあったはずだという著者の思いがにじみ出る。

 中東には冷戦期の戦略的目的からアメリカが強力な同盟関係を築いたやっかいな国が二つある。すなわち、イスラエルとサウジ・アラビアである。前者については言うまでもない。後者では、王家がアメリカと結び付く一方で、その免罪符のような形で王家は国教ワッハーブ派の聖職者組織に資金を供給、そこから反米的なイスラム過激派が生み出されるという二面性がある。冷戦が終わってこの両国の存在はアメリカの対中東関係をこじらせる一因となっており、こうした関係のあり方についても仕切りなおしを図らねばならない。そこで、不安定な中東世界において仲介役が果たせる国として、近代的な価値観とイスラムとの両方の要素を合わせ持つトルコの存在に注目するのが第二の論点である。またEUもトルコの加盟を受け入れるなら、イスラム世界に対して開かれた関係を築こうというメッセージを発することができると指摘する。さらにイランとの関係改善によってアメリカ・トルコ・イランのトライアングルを中東の諸国間関係に埋め込み、その協力関係を通してこの地域の安定化を図るべきことが提唱される。イランとの和解は難しいかもしれないが、ニクソンの米中和解が参照例として挙げられる(この考え方は、例えばRay Takeyh, Hidden Iran: Paradox and Power in the Islamic Republic[ Holt Paperbacks, 2007]でも示されていた)。

 トルコとイランは本来欧米と価値観を共有できたはずなのに、歴史的な経緯の中でうまくいかず、アメリカ外交政策の判断ミスによってさらにそのねじれが増幅されてしまった、その仕切り直しを図りたいというのが本書の趣旨である。見方を変えると、こうした議論は民主化・近代化を指標とする点で西欧文明至上主義の一変種に過ぎないのではないかという批判もあり得るだろうが、むしろギクシャクしがちな欧米とイスラム世界との間に開かれた関係を築く接点をどこに求めたらいいのかという問題意識は重要だろう。

 なお、Foreign Affairs(Vol.89, No.5, Sep./Oct.2010)所収の本書に対する書評論文Mustafa Akyol“An Unlikely Trio: Can Iran, Turkey, and the United States Become Allies?”では、アメリカ・イランの関係構築は近い将来には難しいが、近代化の葛藤の中でイスラム・民主主義・資本主義を総合してきたトルコの寄与できるところは大きいと指摘されている。他方で、トルコとブラジルが核開発問題でイランとの橋渡しをしようとしたところオバマ政権が拒絶した不可解も例示されている。

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2010年9月27日 (月)

デイヴィッド・P・カレオ『パワーの愚行:アメリカ一極支配の幻想』

David P. Calleo, The Follies of Power: America’s Unipolar Fantasy, Cambridge University Press, 2009

 著者はジョンズ・ホプキンス大学教授で国際政治経済やヨーロッパ政治が専門。冷戦の勝利、さらにはテロとの戦争という形で、たとえ「民主化」という理念であってもハードな軍事力を行使するアメリカの一極支配志向を批判するのが本書の趣旨。多極化した現代の国際社会において、正統性の根拠は同意に求められる。発想はリベラリズムだが方法論としてリアリズムとも言える立憲主義(constitutionalism)の立場をとり(ヨーロッパの立憲主義は、対外的な武力行使をためらわないアメリカのリベラルとは異なると指摘)、妥協と相互の譲歩を可能にする交渉のメカニズムが制度的に確立したヨーロッパ連合の方向性をこれからのモデルとして提示する。軍事、経済、政治哲学など幅広く目配りしながら叙述は簡潔。アメリカのユニラテラリズムをどのように考えるかという問題意識から理論的な整理をしたい場合にはうってつけだろう。

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2010年9月15日 (水)

バーバラ・エーレンライク『ポジティブ病の国、アメリカ』

バーバラ・エーレンライク(中島由華訳)『ポジティブ病の国、アメリカ』(河出書房新社、2010年)

 著者がワーキング・プア生活の体験取材をしたノンフィクション『ニッケル・アンド・ダイムド──アメリカ下流社会の現実』(曽田和子訳、東洋経済新報社、2006年)は以前に読んだことがあった。本書も同様にアメリカ社会の病理をえぐり出す趣旨で、社会時評的な内容。

 ポジティブ・シンキングといった場合、単に漠然と前向きに考えるという程度なら構わない。しかし、“成功”とか“素晴らしい精神状態”なるものを想定してそこへ向けて自分の“心”を操作していくという発想になってくると、目前の問題から唯心的な解釈で目を背けることにもなりかねず、その薄っぺらな自己欺瞞が気持ち悪い。自分の“心”を操作してハッピーになれるという考え方を裏返すと、他人によっても操作され得るという社会工学的発想につながる(その意味で、例えばA・R・ホックシールド(石川准・室伏亜希訳)『管理される心──感情が商品になるとき』(世界思想社、2000年)の問題意識とも関わってくるだろう)。自己啓発本、ニューエイジ本、スピリチュアリティ本などを読み漁るタイプは自分ではそうしたあたりに気づかないだろうが、主体的に考えているように見えて、実は奴隷の思考法だという逆説すらうかがえる。だから良い悪いというのではなく、現代社会の一側面を考える切り口として興味深い。

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中田整一『トレイシー──日本兵捕虜秘密尋問所』

中田整一『トレイシー──日本兵捕虜秘密尋問所』(講談社、2010年)

 太平洋戦争においてアメリカ軍の捕虜となった日本軍兵士たち、彼らを収容した秘密尋問所(呼び名は“トレイシー”)の関係者はながらく口を閉ざしていたが、その具体的なあり様を明らかにしようとしたノンフィクションである。

 日本軍による捕虜虐待を考え合わせると、この尋問収容所の手法は紳士的に思えてくる。一つにはジュネーヴ条約遵守という人道的配慮があったが、それ以上に対日戦、さらには戦後の占領を見据えて捕虜から細大漏らさず情報を引き出さねばならなかったことが大きい。捕虜たちが心を閉ざしてしまったら得るものは何もないのだから。「北風と太陽」の逸話で言うと太陽のようなやり方か。この実用的な態度という点でも日米の差は明らかだった。実際、戦陣訓の呪縛にかかっていた彼らは死ぬことが大前提で捕虜になることをそもそも想定しておらず、当初は頑なだったが、予想に反してアメリカ側が丁重な扱いをするのを見て態度を変えていく。本書の話題の一つである盗聴という手法も効果的だった。それから、日本語を使いこなせる人材が少ない中、コロラド大学ボールダーに集められた取調官候補者たち(その中にはドナルド・キーンやエドワード・サイデンステッカーなどもいた。日系人に対しては猜疑心があったので、戦局が押し詰まって人材不足が明らかになるまで日系人を活用するという発想はなかった)。尋問収容所を舞台とした一種の異文化交流史として読んでも興味深い。

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