カテゴリー「アフリカ」の30件の記事

2012年9月17日 (月)

ロメオ・ダレール『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』

ロメオ・ダレール(金田耕一訳)『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』(風行社、2012年)

 ようやく待望の翻訳が出た。以前、原書のRoméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda(New York: Carroll &Graf Publishers, 2005、悪魔との握手:ルワンダにおける人道の失敗→こちらで取り上げた)を一読したとき、司令官として任務にあたったダレール自身の後悔を叩きつけるような強烈な思いが印象深く、これは是非日本語でも紹介して欲しいと思い、待っていた。

 1994年にルワンダで起こったジェノサイドの凄惨な記憶はしばらく消えることはないだろう。自分たちは平和維持軍としてやって来て、まさに目の前で大虐殺が繰り広げられているにもかかわらず、何もできなかった──。ルワンダでこの眼で見た光景、鼻についたにおい、そして何よりも自責の念が帰国後も脳裏から離れず、ダレールは自殺未遂までしている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、立ち直って本書の執筆に取り掛かるまでだいぶ時間がかかったらしい。失った同僚、そして無辜の犠牲者たち、生き返ることのない彼らのためにこれから何ができるのか、あらゆる後悔が本書に凝縮されている。

 ベルギーはルワンダの植民地統治において、少数派のツチ族を使って多数派のフツ族を支配するという分割統治の手法を取った。両民族の憎悪はルワンダ独立後も尾を引き、とりわけフツ族出身のハビャリマナ大統領はツチ族を迫害したため、ツチ族やハビャリマナの圧政に反対するフツ族穏健派はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成、政府軍との内戦が続いていた。1993年、何とか停戦合意が成立し(アルーシャ協定)、RPFも含めて暫定政権が発足。本格政権が形成されるまで対立する両軍を引き離す必要があり、停戦監視のため派遣された国連平和維持軍(正確には国際連合ルワンダ支援団=UNAMIR)の司令官という任務を帯びたのが、この手記を記したロメオ・ダレールである。

 停戦合意は極めて不安定なものであった。過去の犯罪行為への訴追を恐れるハビャリマナ大統領は名誉職的地位に棚上げされた一方、暫定政権の発足に対してフツ族強硬派の不満がくすぶっており、秘密裡に動き始めた彼らの影響力は政府与党や国軍、民兵組織(インテラハムウェ)にまで広がっていた。ダレールのもとへも過激派がツチ族やフツ族穏健派を虐殺する準備を密かに進めているという密告が事前にあった。先手をうって彼らの武装解除に踏み込むため、ダレールはその許可と装備の増強を国連本部に求めたが、すべて却下されてしまう。国連の対外活動には国連憲章第6章に基づく平和維持活動と、第7章に基づく国連軍とがある。平和維持活動はあくまでも中立的な停戦監視が目的であり、戦闘行為は想定されていないため軽武装である。現地の情勢をまるで把握していない国連本部は、とにかく武力行使はまずいという一点張りであった。

 1994年4月6日、懸念していた悪夢の一日が始まる。ハビャリマナ大統領の乗ったジェット機が撃墜されたのを合図にツチ族強硬派が一斉に蜂起、事前に用意されていたリストに従って暫定政権首相のアガート夫人をはじめとした穏健派の政治家が次々と殺害されていく。国連平和維持部隊のもとに助けを求める連絡が立て続けに入るが、人手も装備も足りないためほとんど身動きがとれない──電話の向こうからは、国連が助けてくれると信じていた人々が無残に殺害される様子が聞こえてくる。RPFは首都キガリの混乱が収拾されないならばただちに進軍を開始すると通告してきた。ダレールは残った穏健派をまとめ上げることで態勢を立て直そうと考えたが、呼応する勢力は見当たらないし、何よりも一方の勢力への肩入れは中立の原則に反するとして国連本部から待ったがかかった。さらに、各地に散在する国連関係者の安全確保はどうすればいいのか。課題は山積するばかり、各勢力の指導者と交渉を重ねるが(ルワンダ政府軍、RPF双方の指導者ばかりでなく、虐殺を主導した民兵組織インテラハムウェの指導者とも面会した。彼らと握手したことが原題『悪魔との握手』の由来である)、打つ手はほとんどない。

 実はルワンダの国連大使がたまたま国連安全保障理事会に議席を持っており、国連上層部の情報はすべてフツ族強硬派に筒抜けであった。ソマリアの失敗に懲りた欧米先進国には自国の兵士を犠牲にしてまでルワンダに介入する意思が全くないことを彼らは知っていた。進駐しているベルギー軍に被害が出ればすぐ逃げ出すはずだと考えてベルギー兵を殺害、案の定、本国政府の指令によりベルギー軍は撤退する。停戦監視は当事者の和平合意が大前提なので、事実上の内戦が再発した以上、引き留める法的根拠はない。ベルギー軍の保護を求めて集まっていた人々は、その直後に皆殺しにされた。フランス軍が来て外国人の救出任務に当るが、それは言い換えるとルワンダを捨てても構わないということなのか…? アメリカ政府の役人は、コスト計算上、アメリカ兵一人を送るにはルワンダ人8万5千人の命が必要だと言い放つ。

 同年7月にRPFが首都キガリを制圧するまでの100日間で80万人のツチ族やフツ族穏健派が殺されたという。ラジオのDJの軽快な語り口に煽られて多数の一般人が殺戮に駆り立てられたことはよく知られている。

 連絡を受けて向かった先の教会でダレールが目の当たりにした光景──おびただしい死体が積み上げられ、わずかに息をしている人に司祭が何とか手当てを試みている。ルワンダ政府軍は近辺を一軒一軒しらみつぶしに回って住民のIDカードをチェック、ツチ族と分かれば連行してこの教会に押し込んだ。銃口を突きつけられた司祭や軍事監視員は何もできないまま、マチェーテ(手斧)を持った人々が押し寄せ、哀れな犠牲者を思うままに切り刻んでいくのを見ているしかなかった。IDカードを管理する公務員もまた虐殺者の一味であるため、殺害された人々の記録を抹消、ジェノサイドの証拠隠滅が図られた。学校の教員が生徒を民族別に管理していたというのも恐ろしい。赤十字の救急車は銃撃され、犠牲者が引きずり出されてなぶり殺しにされた。血の海に転がる死体の山、そのまえで手斧を置いて、一休みとばかりにタバコをふかしながら談笑する青年たちの姿。道を通れば、そこかしこに死体、死体──こうした吐き気を催すような描写は枚挙に遑がない。ダレールは自問する「残念なことにこの虐殺はユーゴスラビアの市場で起きたものではない──ルワンダの外で誰が気にかけてくれるだろう」。

 平和維持活動に参加した個々のメンバーは勇敢かつ誠実に任務を果たそうとしたが、バックアップがなければミッションは何も実現できない。国連には自前のリソースがないため、加盟国から兵員や物資の補給を受けなければならない。しかし、活動を進める上で安保理の決議や加盟国間の調整が必要であって意思決定がスムーズにいかないし、そもそも加盟国自身の利害関係がなければ積極的な態度は期待できない。途中からフランスが軍隊を派遣してターコイズ(トルコ石)作戦が発動されたが、これはフランス自身の国益確保を目的としたものであった。フランスはかつてルワンダ政府軍を支援してきた経緯があり(ハビャリマナはミッテランと親しかった)、そのフランスの介入に対してRPFは態度を硬化させ、ダレールはさらに厄介な仕事を背負い込まねばならなくなった。

 主権国家の論理も難しい壁となる。平和維持部隊が軍事介入すると内戦の一方の当事者に肩入れすることになりかねず、中立の原則を守ることができないことから武力行使には抑制的な態度を取らざるを得ない。ところが、まさにルワンダで生じたような極限状態に投げ込まれたとき、どのように行動すべきか全く想定されていない。現場の状況を把握していない国連本部からは見当違いな指示しか飛んでこないため、即座の判断で可能であった選択肢も見送らざるを得なかったケースが本書では何度も散見される。本書の詳細な記録は、そうした問題点を改めて洗い出すための貴重な資料となる。

 現在のルワンダは、難民として海外へ逃れていた人々が亡命先で身に着けたスキルや資金を持ち寄って帰国し、復興は比較的スムーズに進んでいるという話を聞く(→こちら)。だが、その一方で、ダレールが気にかけているように、ルワンダに限らずアフリカには少年兵の問題がある。凄惨なジェノサイドで孤児となった子供たちが再び憎悪の連鎖に巻き込まれることがないのか、楽観は許さない。

 本書の訳者あとがきやhonzのレビューでも関連書籍がいくつか紹介されているが、なぜか重要な本が1冊抜けている。ルワンダのジェノサイドが世界的に注目されるきっかけとなった映画「ホテル・ルワンダ」の実在の主人公ポール・ルセサバギナの著したPaul Rusesabagina, An Ordinary Man(Penguin Books, 2007→こちらで取り上げた。邦訳は堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』ヴィレッジ・ブックス、2009年)は、国際社会の支援を待ち続けた立場の視点で緊迫した状況が描写されている。なお、敢えて介入の決断をしなかった点でダレールに対してルセサバギナは批判的である。

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2012年4月 4日 (水)

キャロル・オフ『チョコレートの真実』

キャロル・オフ(北村陽子訳)『チョコレートの真実』(英治出版、2007年)

 先進国では手軽な嗜好品として好まれるチョコレート。しかし、原材料であるカカオを栽培している西アフリカで、子供たちがこのチョコレートを味わうことはない。本書はカカオ生産にまつわる様々なエピソードを描いた歴史ノンフィクションであるが、そこからは甘くておいしいお菓子の裏に隠されてきた人間社会の苦い歴史が垣間見えてくる。

 カカオはもともと中南米原産であり、チョコレートという言葉もアステカ人が使っていた「カカワトル」(カカオの水)が転訛したものと言われている。アステカ帝国では、搾取された膨大なカカオが富と権威の象徴として王や貴族たちによって消費されていた。カカオの食べ方が現在と違ってはいても、貧しき者が生産したカカオ製品を富める有力者が消費するという構図は本質的に変わらない──極めて悲観的なテーマが本書には一貫している。問題は構造的である。チョコレートは、最貧国の悲劇と豊かな我々の日常生活とを皮肉な形で結びつける一例に過ぎない。

 コルテスによる残虐なアステカ帝国征服後、カカオはヨーロッパにもたらされた。16世紀以降、現在の我々にも馴染みのある消費方法が徐々に確立していく。需要の増加と共にヨーロッパ諸国の植民地政策によってアフリカでのプランテーション栽培が進められていった。チョコレート消費の大衆化は大量生産による低廉化が求められ、コストを安くするために奴隷労働が活用された。

 その後、奴隷労働は非合法化されたものの、実質的にはなくなっていない。コートジボワールでの取材を基にした本書の後半部分はそうした苛酷な実態を描き出し、社会派ノンフィクションとして実に生々しい。

 フランスからの独立後、コートジボワールはカカオ栽培を中心とした産業振興により奇跡的な経済成長を遂げたが、フェリックス-ウーフェ・ボワニ大統領の死後、モノカルチャー構造の経済は様々な矛盾を露呈していった。国際市場では低価格が求められる。貧困に窮したカカオ生産農家は隣国マリからの移民を利用し、違法な児童労働すら当り前になっている。貧しい者がさらに貧しい者を使い捨てにするマイナスの連鎖。生産農家の生活が成り立つよう十分な報酬が支払われるようにしなければならないが、フェアトレード等の取組みは主流にはなっていない。政治構造の腐敗は少数の高官による富の独占を恒常化させる上、非効率な統治によって国内産業の基盤を侵食し、カカオの利権をめぐる紛争はいわゆるブラッド・ダイヤモンドに近い問題をはらんでいる。

 義憤に駆られた人々もいる。例えば、人身売買の問題を告発して免職されたマリの外交官アブドゥライ・マッコやカカオ・コネクションの闇を探って暗殺されたフランス出身のカナダ人ジャーナリストであるギー-アンドレ・キーフェル(GAK)──本書が取り上げる彼らの活動は、アダム・ホックシールド『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカにおける強欲、恐怖、そして英雄たちの物語』(Adam Hochschild, King Leopold’s Ghost: A Story of Greed, Terror and Heroism in Colonial Africa, Pan Books, 2006→こちら)に登場するジョージ・ワシントン・ウィリアムズ、エドマンド・モレル、ロジャー・ケースメントをはじめとした人々を想起させる。ただし、彼らが告発したベルギーによるコンゴ植民地支配の苛酷さ──その収奪構造の実質はコンゴ(ザイール)独立後のモブツ政権になっても何も変らなかったというのが『レオポルド王の亡霊』の悲しい結末であるが、同様のことはコートジボワールについても言える。

「私が会ったマリ人少年は仕事と冒険を求めてコートジボワールに行き、人生の一部をカカオ農園の強制労働に費やした。彼らはチョコレートを見たことさえなくても、チョコレートの本当の値段を身をもって知った。チョコレートには、自分たちのような何百人という子供を奴隷にするという計り知れないコストが含まれているのを、今や彼らは知っている。彼らはチョコレートの味を知らず、これからも知ることはないだろう。チョコレートの本当の歴史は、何世代にもわたって、多かれ少なかれ彼らのような人々の血と汗で書かれてきた。未来を見通してみるとすれば、ずっと昔から続くこの不公正が正される見込みは、ほとんどない。」(372~373ページ)

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2011年4月 9日 (土)

白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』

白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書、2011年)

 アフリカと一言でいっても、北アフリカはアラブ圏に入るし、サハラ以南にしても数多くの国々がひしめきあっており、単純に概括するにはあまりにも多様かつ複雑でありすぎる。全体を概観するのは新書レベルのボリュームでは難しい。最近はアフリカ関連の書籍も次々と出てきているので個々の問題についてはそれぞれ類書を参照する方がいいだろう(本書の巻末にもブックリストがある)。

 むしろ本書がテーマとするのはこのアフリカへと投げかけられた日本人自身の眼差しのあり方そのものである。たとえ悪意はなくとも日本からは縁遠い地域だけに、実状とはかけ離れた偏見すら抱かれやすい問題点をひとつひとつ解きほぐす作業を通じてアフリカ認識を深める糸口を提示してくれる。著者が新聞社の特派員として取材した見聞はアフリカの今をヴィヴィッドに伝えるレポートになっているが、同時にアフリカをケーススタディとしたメディア・リテラシーの試みに見立てるともっと奥行きのある読み方ができるだろう。

 とりあえず関心を持った論点を箇条書きにすると、
・「貧しくてかわいそうなアフリカ」イメージ→援助すべき、啓蒙すべき対象と位置付けるパターナリスティックな視点の問題点、これによってゆがめられたアフリカ認識。
・記者が記事を書いてもアフリカ事情は本社で取り上げてくれない→欧米(特にアメリカ)で話題になってようやく追随する形で日本のメディアも関心を持ち始めるというニュースの形成過程。
・「部族対立」という表現を使うと長年にわたる伝統的な抗争が政治的停滞をもたらしているようなイメージを読者に与えかねない→実際には利害配分等における政治的不公正が民族対立を煽っているという構造的問題が見落とされやすい。
・アフリカ開発会議(TICAD)の東京開催→アフリカ連合(AU)は対等な共同開催者と認めてくれないことに不満。
・国連安保理改革(常任理事国増加の提案)をめぐってAUの支持を取り付けたつもりだったところ、中国から切り崩しを受けたジンバブエのムガベ大統領の主導で失敗。中国のアフリカ進出をどう受け止めるか。
・いじめ、自殺、タイトな仕事スケジュールなど日本の問題→アフリカは比較対象のための別の視座ともなり得る。

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2011年2月28日 (月)

川又一英『エチオピアのキリスト教 思索の旅』、蔀勇造『シェバの女王──伝説の変容と歴史との交錯』

 三千年以上にわたる悠久の歴史を持つエチオピア。1974年の革命で皇帝ハイレ・セラシエが廃位されるまで連綿たる伝統を誇った王家は、伝説によるとシバの女王とソロモン王の息子メネリク1世まで遡る。父に会いに行ったメネリクは故郷エチオピアへ戻る際、モーセの十戒を収めたといわれる聖櫃をひそかに持ち帰ったといわれ、これがエチオピア王家の由緒を示す証拠とされた。いわゆる「失われた聖櫃」伝説は伝奇ファンタジーの格好の題材で、例えば映画「インディ・ジョーンズ」が有名だろう。なお、エチオピアのアクスム王国は4世紀にキリスト教を受容、アレクサンドリア総主教の下にいたため単性説をとり、451年のカルケドン公会議で異端とされた。

 川又一英『エチオピアのキリスト教 思索の旅』(山川出版社、2005年)は、この独自なキリスト教文化を持つエチオピアを歩いた歴史紀行。きっかけはエルサレムの聖墳墓教会、荘厳な雰囲気の中に突如聞こえてきた御詠歌のような単調な聖歌、それがエチオピア正教に関心をそそられたきっかけだった。シバの女王、失われた聖櫃などの伝承に好奇心をかき立てられ、この見知らぬ国へと一人旅立つ。不思議な音楽を耳にしたのを皮切りに、現地では地酒を飲み、疲労困憊した旅路を記録、そして聖櫃を求めて潜り込んだエチオピア北部の古都アクスム、そこの「シオンの聖マリア教会」で目の当たりにした祝祭。体感的な情景描写の中から歴史を具体的にイメージさせる筆致が面白い。

 エチオピア正教の典礼には旧約聖書に由来するユダヤ教的要素が色濃く見られ、かなり早い段階でキリスト教化したことは確からしい。黒いユダヤ人といわれるファラシャ族(ベータ・イスラエル)の村を訪れるシーンもあったが、ほとんどもぬけの殻。イスラエル政府の支援でほとんどが移住したということは別のイスラエル史の本でも読んだ覚えがある。エチオピアにはパスタを食べる習慣が広く見られるというのは初めて知った。20世紀初頭、ムッソリーニのイタリアによって短期間侵略された時の置き土産らしい。

 蔀勇造『シェバの女王──伝説の変容と歴史との交錯』(山川出版社、2006年)はシェバ(シバ)の女王伝説がユダヤ教世界、キリスト教世界、イスラム教世界、そしてエチオピアなど世界各地でどのように受容されたのかをたどる。エチオピア関連で関心を持ったのは第一に、北方のビザンツ帝国やイスラム勢力に対抗する形で王家の正統性を示すため聖櫃伝説が用いられたのではないかという指摘。第二に、ジャマイカで展開したラスタファリ運動。ラスタファリというのはハイレ・セラシエの即位前の名前である。奴隷とされた黒人の子孫にとって、アフリカで独立を維持し、かつ聖書にも記述のある古い王朝としてのエチオピアは特別な意味を持ち、それがユダヤ人にとってのシオンと同様にやがて自分たちが帰るべきアフリカとして理想化されたのだという。

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2011年2月20日 (日)

「NHKスペシャル」取材班『アフリカ──資本主義最後のフロンティア』

「NHKスペシャル」取材班『アフリカ──資本主義最後のフロンティア』(新潮新書、2011年)

 アフリカ経済をめぐる書籍が日本の書店でもよく見かけるようになったのはここ四、五年くらいのことであろうか。経済開発の非対称性をどのように考えるかという問題意識からジェフリー・サックス、ウィリアム・イースタリー、ポール・コリアーなどの訳書がまず目につき、中国のアフリカ進出を新たな資源搾取と捉えるものもセンセーショナルなタイトルで見かけた。日本から最も縁遠い地域であるがゆえに情報量が限られており、隔靴掻痒の感もあったが、そうした中で昨年NHKスペシャルで放映された「アフリカン・ドリーム」シリーズは興味を持って欠かさず見ていた。

 民族対立、資源流出、貧富の格差の拡大、様々な問題がある。本書でも触れられるが、凄絶な民族虐殺の瓦礫の山から再起しつつあるルワンダでは、帰国したディアスポラが海外で身に付けた能力を生かして経済復興が進められる一方(ポール・カガメ大統領は「CEO大統領」「ルワンダのリー・クアンユー」と呼ばれているらしい)、首都キガリ中心の発展から取り残された人々には不満が鬱積、情勢不安はいまだに消えてはいない。いびつな独裁体制で財政破綻したジンバブエから隣国南アフリカへと逃れた人々は安い労働力として南アフリカの経済成長に使われているという複雑さも難しい問題である。

 しかしながら、本書が焦点を合わせようとするのは、そうした様々な困難の中でも経済復興、国家再建に向けた主体的な取り組みである。ルワンダではコーヒー農園・工場の設立によってツチ族・フツ族の対立も和解させようとする試みが紹介される。携帯電話を駆使するマサイ族のエピソードはIT技術による様々な可能性をうかがわせる。エチオピアの通信ネットワーク網やザンビアの資源開発などで進出する中国企業も、中国によるアフリカ搾取というコンテクストで語られがちだが、これによってインフラ整備が進められているというプラス面にも目を向けるべきなのだろう。ダイヤモンドの大企業デビアスと粘り強く交渉して財政基盤を整え、政情も安定したボツワナについてはもっと詳しく知りたいところだ。

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2010年8月25日 (水)

ダンビサ・モヨ『援助じゃアフリカは発展しない』

ダンビサ・モヨ(小浜裕久監訳)『援助じゃアフリカは発展しない』(東洋経済新報社、2010年)

 著者はザンビア出身の若手女性エコノミストで、原題はDead Aid: Why Aid is Not Working and How There is Another Way for Africaとなっている。援助依存がアフリカ諸国の政治腐敗や開発の遅れをもたらした、市場経済の適切な活用によってこそアフリカは困窮状態から抜け出せる、そのために援助依存からの脱却の道筋を提案する、というのが本書のアウトラインである。「本書は劇薬である」というのがオビの謳い文句であるが、ジェフリー・サックスのような援助重視のビッグ・プッシュ派への批判は近年では定着しつつあるから、読んでいて特に驚くほど極端な見解はない。議論の進め方はラフで大まかな感じだが、アフリカの開発問題について論点網羅的に見取り図を一望したい場合には役立つだろう。

 市場経済の前提としてガバナンスが必要であるが、他方で欧米的価値観に基づく一方的な民主化圧力はかえって混乱をもたらしかねない(例えば選挙実施は民族対立や内戦を引き起こす)という論点は、Paul Collier, Wars, Guns, and Votes: Democracy in Dangerous Places(HarperCollins, 2009→こちら。邦訳は『民主主義がアフリカ経済を殺す』日経BP社、2010年)でも指摘されていた。

 援助ではなく投資をアフリカに呼び込まなければならないが、その点で本書は中国のアフリカ進出について肯定的な評価をしている。一時期、欧米のジャーナリズムを中心に中国のアフリカ進出に対するバッシングが激しかったが、最近、この点でも議論の潮目はアカデミズムを中心に変わりつつあるように見受けられる。私も最近、Ian Taylor, China’s New Role in Africa(Lynne Rienner, 2009→こちら)、Deborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa(Oxford University Press, 2009→こちら)、Sarah Raine, China’s African Challenges(Routledge, 2009→こちら)といった本を読んだが、いずれも過剰な中国バッシングを戒めている。

 グラミン銀行が開発したマイクロファイナンスの活用については誰しも賛成できるだろう。アフリカでの具体的な応用例は、例えばJacqueline Novogratz, The Blue Sweater: Bridging the Gap between Rich and Poor in an Interconnected World(Rodale, 2009→こちら。邦訳は『ブルー・セーター』英治出版、2010年)を読んで欲しい。

 監訳者解説によると本書はウィリアム・イースタリーの立場に近いと指摘されている。『エコノミスト 南の貧困と闘う』や『傲慢な援助』は気になりつつも未読なので今度機会を見つけて読んでみよう。

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2010年4月 4日 (日)

「NHKスペシャル アフリカンドリーム 第1回 “悲劇の国”が奇跡を起こす」

「NHKスペシャル アフリカンドリーム 第1回 “悲劇の国”が奇跡を起こす」

・16年前におこったジェノサイドから何とか立ちなろうとしているルワンダの現状をリポート。大虐殺から逃れたツチ族の難民たち→ディアスポラ。海外のビジネスで成功した人々が国家再建のため帰国しつつあるという。他方で、周辺国に流出したフツ族難民も帰国しつつあるが、彼らは貧しいまま。帰国しても生計を立てる手段がない。虐殺の怨念に加えて、貧富の格差も新たな火種になりそうな様子である。
・焦点が当てられるのは、海外で成功して帰国したツチ族の実業家。故郷の村(そこで母と妹が殺害された)に戻って、フツ族の住民たちと一緒にコーヒーの栽培・加工・流通の共同事業を立ち上げようとしている。民族対立の怨念を乗り越えようと努力する姿が映し出される。相互の不信感は難しそうだが、「同じルワンダ人なのだから一緒にやっていけるはずだ」という母の残した言葉を心に抱いているという。
・アフリカではエスニック・グループ間の対立感情が相互に足を引っ張り合う方向で作用してしまうことが往々にしてある。国家建設において、物理的インフラだけでなく、一つの国家において民族感情の対立を超えたナショナル・アイデンティティーの確立そのものが心の内なるインフラとして重要であることは、例えばポール・コリアーなどが指摘していた。

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2010年3月 5日 (金)

イアン・テイラー『アフリカにおける中国の新しい役割』

Ian Taylor, China’s New Role in Africa, Lynne Rienner, 2009

 中国のアフリカ進出についてジャーナリズムを中心に中国非難の声が高いが、最近、アカデミズムの方では中国の果たしている役割のプラス面・マイナス面の両方を勘案する冷静な研究が増えている。確かに中国の行動には問題も多い。他方で、アフリカ側自身に構造的機能不全があり、欧米の資源獲得活動も中国と同様の構図を示してきたにもかかわらず、その言い訳的なスケープゴートとして中国が俎上に上げられている点も指摘される。

 本書は、アフリカにおける中国の活動、具体的には①石油など資源獲得目的の外交、②「安かろう悪かろう」の中国製品流入がもたらしたインパクト、③中国外交の非干渉主義が独裁国家における人権抑圧を黙認している問題、④アフリカを市場とした武器輸出、⑤近年拡大されつつある中国のPKO参加などのテーマを検討。それぞれ様々に問題含みではあるにしても、中国非難が必ずしもフェアとは言いがたい実情を示そうとする。

 中国政府の権威主義的性格のため、経済活動も政治的に一元化されているようなイメージを抱かれやすい。しかしながら、先日取り上げたDeborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa(Oxford University Press, 2009→こちら)、Sarah Raine, China’s African Challenges(Routledge, 2009→こちら)でも指摘されていたが、改革開放以降の経済自由化の流れの中で、海外進出した中国企業に対する政府のコントロールが実は有効にきいていないことが議論の一番の焦点となる。複数の国有企業が競合しているためそれぞれが自律的に活動を展開。アフリカ進出した中国企業が劣悪な労働待遇、環境問題無視などの軋轢を引き起こしているが、それは他ならぬ中国自身の国内問題でもあり、それが海外に行ってもそのまま露わになっている点ではアフリカ蔑視というのとは次元が異なる。武器輸出は、かつてはイデオロギー的な動機から行なわれていたが、ポスト毛沢東時代に軍需産業は利潤動機で再編され、ニッチな市場を求めてアフリカに進出(それでも欧米やロシアよりシェアは低い)。「安かろう悪かろう」の中国製品は、一方でアフリカの産業競争力を圧迫しているが、他方で低所得層に受け入れられている。アフリカ自身の生産効率性やインフラの悪さ(流通コストがかかる)を再考する必要がある。

 欧米は個人の人権を重視するのに対して中国は国家という集団レベルでの発展を重視するという価値観の相違、また外交上の非干渉主義が結果として独裁国家による人権抑圧を黙認しているという問題はやはり抗弁しがたい。ただし、近年は人権問題による国際的イメージの悪化が自分たちの国益を損ねていることに中国政府自身が気づいており、徐々にではあるが政策方針を修正しつつある。G・J・アイケンベリーは、第一次・第二次世界大戦におけるドイツや革命初期のソ連が既存の国際秩序をひっくり返すことで勢力拡大を狙ったのとは異なり、現在における中国の台頭は既存の国際ルールの枠内にある、したがって必要以上に脅威視すべきではないことを指摘している(G. John Ikenberry“The Rise of China and the Future of the West : Can the Liberal System Survive?” Foreign Affairs, 2008 Jan/Feb)。イデオロギー的な野心をすでに捨てた中国の政治的性格はプラグマティックなもので自分たちに不利だと判断すればルールに適応しようとする柔軟さが想定可能である。いたずらな非難で反発の応酬に陥るよりも、むしろ中国を国際的枠組みへと組み込んでいくよう誘導する必要があるし、アフリカ諸国もこうした実利重視で動く中国相手の交渉でシビアに立ち回ってウィン・ウィン関係に持ち込んでいく賢明さが求められる。

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2010年2月21日 (日)

サラ・レイン『中国のアフリカ挑戦』

Sarah Raine, China’s African Challenges, Routledge, 2009

 国際戦略研究所(IISS)Adelphisシリーズの一冊。アフリカの資源獲得を目的とした中国の経済活動はこれまで欧米企業が行なってきたのと基本的な構図は同じであるにもかかわらず、欧米のマスメディアを中心に中国非難の声がこれほどまでに高いのは、中国の存在感の高まりがあまりに急激だからであろうか。本書はそうした中国非難はもはや時代遅れだという。中国が現実としてアフリカでのインフラ整備をはじめ具体的な成果をあげていることは否定しようのない事実であり、それに代わる方法を西欧は持ち合わせていない。むしろ、この中国が果たしている積極的な役割を受け止めた上で、そのプラス面・マイナス面の両方から教訓を引き出し、将来的に持続可能なフレームワークをいかに形成し、その中に中国をいかに組み込んでいくかというのが本書の問題意識である。

 中国政府の権威主義的性格から対アフリカ政策も一元的に遂行されているかのように思われやすいが、実際には政府・国営企業と民間企業との間、さらには政府機関同士、国営企業同士、民間企業同士の対立・競合があって多面的であり(競争→コストカットという側面もある)、政府のコントロールが行き届いてないという。アフリカで中国企業が引き起こしているトラブルが中国の対外的イメージダウンにつながっていることに政府上層部や知識エリートは気づいているが、労働待遇の悪さや環境問題は対アフリカ問題以前に中国自身の国内問題でもあり、中国自身が問題の複雑さになかなか身動きが取れていないという印象も受ける。

 アフリカで展開する中国の経済活動のプラス面としては、①援助依存よりも貿易の方がアフリカの発展に適合的である具体例を示したこと、②世界銀行・IMFによる自由化改革圧力の失敗を受けて、政府機関主導の経済活動の有効性(北京コンセンサス)、③中国自身の「グローバル・サウス」(Global South)としての自己規定→イコール・パートナーシップとして信頼を得やすかったことなどが挙げられる。また、中国の非干渉主義の態度は、一面においてアフリカの独裁国家の延命を助けているという批判もあるが、他方で、そうした独裁者は西欧が何を言おうとも反発するばかりで、そこに中国が仲介役を果たす余地もあり得る(スーダンやジンバブエの問題で中国は、少なくとも以前よりは協力的になりつつあるらしい)。西欧はアフリカ問題で中国と対立するのではなく協調関係を取ることで共通のフレームワークをつくって利害問題ばかりでなく地域紛争、崩壊国家、テロリズムなどグローバルな課題にも取り組み、さらにこのアフリカを舞台とした話し合いの中でグッド・ガバナンス、人権、民主化などのテーマに関しても中国を巻き込んでいくべきだという方向性が示される。

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2010年2月19日 (金)

セルジュ・ミッシェル、ミッシェル・ブーレ『アフリカを食い荒らす中国』、デボラ・ブラウティガム『ザ・ドラゴンズ・ギフト:アフリカにおける中国の真実』

 アフリカでの中国の存在感の高まりを私が初めて意識したのは、確かポール・コリアー『最底辺の10億人』だったろうか。最近のアフリカ関連の本を読むと必ずと言ってもいいほどこの問題が取り上げられている。ダルフール問題でも中国批判の国際世論が盛り上がっていた。

 セルジュ・ミッシェル、ミッシェル・ブーレ(パオロ・ウッズ写真、中平信也訳)『アフリカを食い荒らす中国』(河出書房新社、2009年)はアフリカ諸国を回って中国企業の旺盛な活動を取材したルポルタージュである。「欧米人は説教をたれるが、中国人は目に見える成果をもたらしてくれる」と政府関係者は歓迎的。他方で、天然資源の奪い取り、中国資本の工場で使い捨てにされる労働者たちの問題にも目は向けられる。ワーカホリックの中国人労働者にスローペースのアフリカの人々は追いつけないようだ。現地に溶け込まないのでコミュニケーションがとれておらず、経済摩擦以上に文化摩擦の方が大きいような印象を受けた。

 このようにアフリカに進出した中国の経済活動を脅威視する国際世論が高まっているが、Deborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa(Oxford University Press, 2009)は、それは果たして事実なのか?と疑問を投げかける。誇張された中国脅威論の「神話」をデータや実地調査に基づいて解きほぐしていくのが本書の趣旨である(2010年1月発行らしいが、手持ちの本の書誌事項は2009年になっている)。

 経済関連の細かい議論は私にはよく分からないのでななめ読みだが、おおまかに読み取ったところから言うと、1960年代以降、アフリカ諸国が次々と独立していく流れの中で、イデオロギー的な動機から第三世界に広くウィングを広げようと毛沢東の主唱でアフリカ諸国に積極的な援助活動を開始、とりわけ台湾との外交合戦では多額の金もばらまかれた。こうした活動によって早くから中国はアフリカ諸国とのつながりを持っていた。1980年代以降、改革開放に伴って鄧小平は中国企業の海外進出を奨励、援助を通してつながりのあったアフリカが注目された。それまで政府主体だった援助も、企業を主体とする活動へと変化(ただし、国有銀行を通して政府のバックアップ)。世界銀行等がアフリカ諸国に自由化圧力をかけるがかえって経済環境の混乱、労働効率の悪さなどで欧米企業は撤退、そうした中で中国の存在感が際立つことになる。

 現在の中国のアフリカでの活動は援助とビジネスとを融合させた形が中心であるが、これは日本をモデルにしていると指摘される。かつて中国市場に入ってきた日本や欧米は援助をテコに市場開拓→中国はこの受け手としての経験を今度は供給側としてアフリカに対して応用しているのだという。例えば、財政状況が最悪でも、天然資源を担保にしてインフラ整備、つまり、中国がアフリカの資源を奪おうとしているのではなく、資源の裏づけで信用供与→経済発展に必要な初発条件の準備を可能にしていると捉える。また、借款→中国のモノやサービスを導入するのに使わせる→アフリカの独裁者に金を直接渡して他の目的(政治腐敗)に流用されてしまうのを回避。農業指導ではグリーン革命への寄与も指摘される。欧米とは異なってヒモなし援助→ダルフール問題を抱えるスーダンなど独裁国家の延命に手を貸しているという批判もあるが、近年は中国も仲介者としての役割にシフトしようと方針を変えつつあるという。

 中国側が現地の慣習を無視して軋轢を生み、秘密主義的な態度によって誤解が増幅されているとも指摘される。経済活動というのはプラス・マイナス様々な要因が複雑に絡まりあっており、どの側面に注目するかによって違ったイメージが生み出され、何が「真実」なのか黒白はっきりと断定するのは難しい(著者は黒澤明「羅生門」をたとえとして挙げる)。分かりやすく単純化された図式的批判はかえって問題解決の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。もちろん中国の行動にも問題が多々あるわけで、それは当然批判されるべきにしても、現実に何が実効性を持っているのか、違う視点から考えていくことも必要だろう。

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