大嶋えり子『ピエ・ノワール列伝──人物で知るフランス領北アフリカ引揚者たちの歴史』
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高橋和夫『イランとアメリカ──歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』(朝日新書、2013年)
イラクのフセイン政権崩壊、「アラブの春」といった激動の中、シリアの内戦が膠着状態にあることに顕著なように先行きがますます不透明になりつつある中東情勢。敵/味方の関係が複雑に入り組んだパズルを読み解くのはなかなか容易ではない。核開発疑惑、イスラエルとの一触即発の対立、こうした問題からアメリカの対中東政策で最もナーバスなのが地域大国イランの存在である。実はイラクやアフガニスタンの安定化を図る上でイランとアメリカが協力できる余地もあったのだが、実際にはすれ違ったままだ。イランの政治外交が持つ複雑な性格を踏まえておかないと、中東情勢の理解は表面的なもので終わってしまう。本書は、そうしたイランの「複雑さ」を歴史的な背景から捉えなおそうとしており、格好な入門書である。
1979年以降のイラン・イスラム革命自体のプロセスも複雑だ。そもそもシーア派宗教指導者の主流派は政治への関与を否定するのが伝統的考えで、宗教指導者による統治を打ち出したホメイニの方針は独特だった(主流派は政治から一歩引いているからこそ積極的な政治勢力とはなり得ない)。彼は政治への嗅覚が実に鋭かった。宗教者からリベラル派、左派までシャーの抑圧的体制に反対するあらゆる勢力を結集させるシンボルとなる。宗教指導者が革命の実権を握る上でアメリカ大使館人質事件が大きな転換点となった。リベラル派も参画した新政権は対米関係の悪化を望んでおらず、穏便な解決を模索していたが、ホメイニは学生たちにゴーサインを出した。人質事件による対米関係の悪化は、外敵による脅威を演出することになり、さらに隣国イラクのフセイン大統領がイランの混乱に目をつけて侵攻してくると、国民の団結意識がむしろ高まった。こうした過程でリベラル派や左派は追い落とされ、宗教指導者のヘゲモニーが確立する。大使館人質事件は外交的には非理性的だったが、国内での権力掌握という点では政治的に合理性を持っていたとも言える。
なお、ホメイニが国外追放されるきっかけになった1963年暴動における彼の演説を聞いた革命第一世代(ハメネイ、ラフサンジャニ、ハタミ、ムサビなど)と、イラン・イラク戦争の高揚感の中で育った革命第二世代(アフマディネジャド)との肌合いの相違が、その後の政争の背景にあるという指摘に関心を持った。
テヘランのアメリカ大使館人質事件はアメリカ世論の心象を極めて悪くした。他方、イラン側としても1953年のモサデク首相失脚のクーデターの背後にCIAがいた。シャーの抑圧体制をアメリカが支えていたことに対する不信感が根強く、アメリカの行動を「邪推する」傾向が定着してしまった。しかしながら、イギリスとロシア(ソ連)とのグレート・ゲームに翻弄される中、アメリカと友好関係を持とうとした時期もあり、イランの人々の対米感情は複雑である。
いくつか気になったこと。イランはシーア派である。アリーをムハンマドの正統な後継者と考えるシーア派の成り立ちの経緯からして、アブー・バクル、オマル、オスマンは忌避される。これらの名前をシーア派の人がつけることはあり得ない。ところが、中世ペルシアで『ルバイヤート』を書いたのはオマル・ハイヤームはシーア派ではなかった。アラブという多数派に抗する民族主義感情からペルシア人はシーア派を選んだという考え方がトインビー以来、定着していたが、実際にはトルコ系シーア派のサファヴィー朝の時代に改宗したの直接の原因だった。
シャーのご学友として最側近だった秘密警察シャヴァック長官のファルドゥースト将軍は、イスラム革命後の新政権でも秘密警察シャヴァマ長官として生き残ったらしい(アメリカのフーバーFBI長官を想起させる)。
それから、日本との関わりでは、イランと国交を結んだ1929年、テヘランに公使館を開設した土地はモサデク家から借り上げたものだった。戦後、モサデク首相が石油会社国有化を宣言する中で日本の商社が石油を求めてイランへ渡ったのは、日本が国交を回復しようとしていたた時期だが、モサデク首相は「テナントの復帰を歓迎する」と冗談を言ったそうだ。
イラン情勢については以前に下記の本を取り上げたことがあるので、ご参考までに。
・吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』
・レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』
・レイ・タキー『革命の守護者:アヤトラたちの時代のイランと世界』
・ジョン・W・リンバート『イランとの交渉:歴史の亡霊に取り組む』
・スティーヴン・キンザー『すべてシャーの臣:アメリカによるクーデターと中東テロの起源』
・スティーヴン・キンザー『リセット:イラン・トルコ・アメリカの将来』
・ヴァーリ・ナスル『ザ・シーア・リヴァイバル:イスラム内部の衝突がいかに未来を決めるか』
また、イラン・イスラム革命においてイスラム信仰とマルクス主義を融合させた思想に熱狂した若者たちの活動が一つの駆動力となっていたが、その思想的指導者だったアリー・シャリーアティー(ただし、イスラム革命前に亡命先で暗殺された)の『イスラーム再構築の思想──新たな社会へのまなざし』も取り上げた。
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新井政美編著『イスラムと近代化──共和国トルコの苦闘』(講談社選書メチエ、2013年)
イスラム過激派によるテロが世界中を騒がせ、「アラブの春」による独裁政権の崩壊後、イスラム勢力の拡大も話題となる中、イスラム的価値観は自由主義・民主主義など近代的価値観とは相容れないのではないかという不安をもらす傾向も散見される。他方で、トルコのエルドアン政権がイスラム色を出しながらも一定の成果をあげていることを考えると、そんな単純な問題ではないことは明らかだろう。イスラム圏の中でも様々な葛藤があるし、その中から見え隠れする輻輳した可能性を、一方的なレッテル貼りで済ませてしまうのは、むしろ見る者としての我々自身が抱えている西欧基準のバイアスの問題ではないのか──それこそ、エドワード・サイード『オリエンタリズム』以来、繰り返し提起されてきた問題系ではあるが。
イスラム的価値観と「近代」的価値観とのせめぎ合いを軸にトルコの現代政治史をたどり返す本書は、こうした問題を具体的に考える取っ掛かりになるだろう。
ケマル・アタチュルクの指導によって成立したトルコ共和国で国是となった「世俗主義」はトルコ語で「ライクリッキ」(laiklik)という。フランス語で政教分離の世俗主義を指すライシテ(laïcité)に関わる語源を持つことから分かるように、西欧由来の概念である。ヨーロッパの場合、教会権力との闘争を通じて国家という世俗的政治主体が権力を握るプロセスが「政教分離」をもたらした。他方、教会組織のないイスラム世界において、「政教分離」とは宗教的動機による政策決定はしないという態度を意味するだけで、そこには解釈の幅が大きい。「政教一致」が大前提となるイスラムにおいて「政教分離」は本来的に問題にはならないのだが、ケマルによって「政教分離」が導入された言説空間において、宗教的価値を語ること自体があたかも反動であるかのような雰囲気が生み出されてきた。つまり、「政教一致」を前提とするイスラムの国家において、西欧由来の「政教分離」を無理やりに導入しようとしたところに生じたねじれを捉え返すのが本書のテーマとなる。
オスマン帝国改革期、西欧の近代的科学技術や制度の受容を図った知識人たちは、同時にイスラム的価値観に何ら疑いを抱いていなかった。イスラムこそ世界の最先端という世界認識を持つ彼らからすれば、周縁から勃興したヨーロッパ文明の勢いは一時的なものに過ぎず、そもそも彼らの文明もイスラム文明から取り入れた文物知識をもとにして発展したものである。それを導入するのはむしろ当然のことで、西欧近代文明の導入とイスラム的価値観とは矛盾なく両立すると彼らは考えていた。
ところが、第一次世界大戦、オスマン帝国やカリフ制の解体、そしてケマルの主導でトルコ共和国が成立する一連の流れの中で状況が大きく変化する。徹底的な西洋化を目指したケマルのリーダーシップも大きいが、共和国成立の過程で自らに敵対する勢力を「反動」として攻撃し、イスラム=後進性というシンボル操作によって世俗主義が推進されていく。宗教的な迷信に陥りかねない国民を「啓蒙」するために国家が宗教を管理する体制が取られた点では、西欧とはむしろ逆に、世俗主義のためにこそ「政教一致」が制度化されたという逆説も指摘される。
第二次世界大戦後、ケマルの創設した共和人民党を割る形で民主党が発足し、トルコ共和国は複数政党制に移行する。それまでは教え導くべき対象とされてきた国民がいまや有権者となった。国民の間にはイスラム的価値観が根強く残っており、世俗主義がたとえ国父ケマル・アタチュルクによって打ち立てられた国是であるとはいえ、有権者の意向を無視するわけにはいかない。「イスラム」票を取り込むため、宗教政策が緩和される中から後のイスラム政党につながる動向も現われてくる。
ここで注目されるのが、トルコ共和国のイスラム主義者は自らを敢えて「反動」のポジションに置いて共和国の「世俗主義」への批判を世論に向けて訴えたことだ。その点だけを取り上げると、あたかも「政教分離を国是とする共和国の理念」に異議を唱える「イスラム主義者の台頭」のように見えるかもしれない。ただし、彼らは近代的な科学技術や制度を決して否定しておらず、むしろ両立できると考えている。その意味で、現代トルコにおけるイスラム主義者は、共和国成立以前(つまり、「世俗主義」という概念のまだなかった時代の)オスマン改革派知識人と同様の立場にあると考えることができる。あくまでも共和国が設定した「世俗主義」という基準に沿って「反動」というレッテルが貼り付けられたに過ぎず、内実を見れば偏狭な要素はない。それどころか、「世俗主義」の守護者を以て自任する軍部がクーデターで政治介入する「反動」性を持つにもかかわらず、「世俗主義」を標榜するがゆえに「進歩派」として西欧世界から是認されてきたという逆説すら見て取れる。
Vali Nasr, Forces of Fortune: The Rise of the New Muslim Middle Class and What It Will Mean for Our World(Free Press, 2009→以前にこちらで取り上げた)は、イスラム世界における民主主義や資本主義にとって世俗主義は絶対的な要件とは言えず、むしろ資本主義の進展と共にイスラム圏の人々は心の拠り所を伝統的・宗教的価値に求めるようになり、そうした動向は矛盾するどころか両立するという見通しを示していたが、その代表的な事例はトルコである。また、「世俗主義」を標榜する軍部の方こそ権威主義的な反動に陥りかねない危険をはらんでいたことについては、Philip H. Gordon and Omer Taspinar, Winning Turkey: How America, Europe, and Turkey Can Revive a Fading Partnership(Brookings Institution Press, 2008→以前にこちらで取り上げた)で論じられていた。
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ヤコヴ・M・ラブキン(菅野賢治訳)『イスラエルとは何か』平凡社新書、2012年
著者は旧ソ連のレニングラード出身で科学史、ロシア史、ユダヤ史を専攻。後にカナダへ移住して、現在はモントリール大学教授。すでに邦訳されている『トーラーの名において──シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010年)の内容を圧縮した上で加筆し、一般向け普及版として刊行されたの本書である。
著者自身もユダヤ人であるが、軍事大国化した現在のイスラエル国家に対して極めて批判的だ。イスラエル建国の起動力となったシオニズムの暴力性はユダヤ教の本来の姿から大きく逸脱していると説くのが本書の趣旨である。シオニズムの思想的来歴をたどりながら、それは正統的なユダヤ教解釈に基づくものではなく、むしろ近代ヨーロッパの国民国家思想に起源を持つことを明らかにする。そして、脱ユダヤ教化したイデオロギーを世俗的民族主義に代替させる形でパレスチナの植民地化を推進しているとして、現在のイスラエルのあり方に対して厳しい懐疑の眼差しを投げかけている。それは、彼自身がユダヤ教徒であるからこそ、その価値が捻じ曲げられているのは許せないという憤りによるものであろう。
西欧のリベラリズムは国家への自己同一化のプロセスにユダヤ系住民も巻き込んでいく中でユダヤ・アイデンティティーは希薄化・弱体化し、民族的にではなく宗教的なアイデンティティーとして存続し、非ユダヤ系の隣人達と共通の国民的アイデンティティーの受容が可能となった。他方、ユダヤ人への迫害の激しかった中・東欧ではそうした〈解放〉が実現せず、また人種観念による反ユダヤ主義が跋扈したこともあり、「非宗教的ユダヤ人」としてのアイデンティティーが形成されることになった。シオニズムへと引き寄せられる度合いは、居住地での反ユダヤ主義や経済的困窮に比例する傾向があり、イギリス・アメリカ・フランスなどではイスラエルへの移住を希望する人は比較的少なかったという。逆に言うと、多文化主義的な社会は、シオニストからすればユダヤ民族意識の昂揚にあたって障害となるという逆説も指摘される。
シオニズムに付着した「ヨーロッパ」性が、中東においてその植民地主義的性格を露わにしたというのも本書の論点の一つとなる。東欧出身者は自らのヨーロッパ的性格を誇示する一方、アラビア語圏やペルシア語圏出身のユダヤ教徒移民はそれぞれの生活背景を切り捨ててイスラエル社会に同化を迫られた。一部の人々は諜報活動のためアラブ性を維持したが、それが近隣諸国とのポジティブな関係構築に活用されることはなかった。
シオニズムの暴力性・差別性がユダヤ人の中でも一部のリベラル派から批判されていることはそれなりに知られているが、正統派ユダヤ教徒からも拒絶されていたのはあまり知られていないだろう。イスラエル建国の根拠が聖書にあることからシオニズムは宗教的情熱に基づくかのように受け止められがちだが、逆に脱宗教化したナショナリズムが宗教を政治利用している逆説を明らかにしているところが本書の勘所である(あくまでも私個人の連想に過ぎないが、イランのシーア派聖職者の間でも宗教の政治化は教義に反するとしてイスラム革命を批判する見解も有力であったことを想起した)。
伝統主義的なユダヤ教徒(「ハレーディ」:神を畏れる者。メディア等では「超=正統派」とも呼ばれる)はイスラエル国という呼称すら拒否しているという。ハレーディ系の国会議員、アヴラハム・ラヴィツは2004年に次のように発言している。
「シオニストたちは間違っている。〈イスラエルの地〉に対する愛を育むためなら、その全土にわたって政治、軍事的支配を打ち立てる必要などまったくないはずなのだ。人は、テル=アヴィヴにいながらにしてヘブロンの町を愛することができる。(…)ヘブロンの町は、それがたとえパレスティナ側の支配下に置かれたとしても十分愛され得るだろう。イスラエル国自体は一つの価値ではない。価値の範疇に属するのは、もっぱら精神に関わる事象のみである。」(本書、60ページ)
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アマゾンのおすすめメールが来て、こういう本が近々刊行予定であることを知った。Taner Akcam, The Young Turks' Crime Against Humanity: The Armenian Genocide and Ethnic Cleansing in the Ottoman Empire (Human Rights and Crimes Against Humanity) Princeton Univercity Press, 2012(「青年トルコ党」の人道に対する罪:オスマン帝国におけるアルメニア人ジェノサイドと民族浄化)→こちら。
1905年のいわゆる「青年トルコ」革命でオスマン帝国の政権の座に着いた青年将校たち、いわゆる「青年トルコ党」は当初政治改革を推進しようとしていた。ところが、「国民国家」化を目指して彼らの推進した同質化政策は少数民族への抑圧を引き起こし、とりわけ第一次世界大戦中の1915年に生じたアルメニア人に対する大虐殺は、20世紀におけるジェノサイドの歴史の忌まわしい幕開けとなったことで知られている。
ところが、トルコはオスマン帝国解体後の共和国成立以降も現在に至るまで強硬な民族主義政策からアルメニア人ジェノサイドを一切認めようとしてこなかった。トルコ国内でアルメニア人ジェノサイドに言及すると刑法に問われてしまう。例えば、ノーベル賞作家のオルハン・パムクもこの問題で危うく起訴されそうになった。トルコ国内では情報が制限されているため、一般国民のこの問題に対する認識には国際社会とのギャップが大きい。
著者のTaner Akcamはトルコ人歴史家として初めて公式にアルメニア人ジェノサイドを認めた歴史学者らしい。読んでないので何とも言えないが、そうした意味で画期的な本なのかもしれない。英語で刊行しているのは、他ならぬトルコ国内では無理だからだろう。現在のエルドアン政権は、かつての政権とは異なって民族問題にも柔軟な姿勢を示しているから、少しずつでも変化が見られればいいと思う。
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宮田律『イスラムの世界戦略──コーランと剣 一四〇〇年の拡大の歴史』(毎日新聞社、2012年)
現在の国際情勢におけるイスラム世界の位置づけを考えていく上で最低限必要な知識を概説した入門書。高校世界史のイスラム史に関わる部分をもう一歩踏み込んだくらいのレベルの知識は満遍なく得られる。新聞の国際面を読む際の副読本として活用すると良いだろう。例えば、イスラム圏の人々の行動パターンを理解する上で不可欠な教義について政治経済と絡ませながら解説しているところは国際ニュースを読み解く上で役立つ。ただ、イスラム経済が資本主義・社会主義とも異なる第三の経済路線を目指しているというのは興味深いのだが、それが近代的経済システムとどのような形で接合するのか、あるいは接合できないのか、この辺りをもっとはっきり整理してくれたらありがたかった。
イスラムも決して一枚岩ではなく、例えばスンニ派とシーア派との対立などはすでに一般常識になっていると思う。しかし、報道等では教義が違うからと簡単に整理されていることも多いが、ではどのような相違があるのか、よく分からないこともしばしばある。そうした点では、例えば本書でシリアのアラウィ派をめぐる歴史を通して現アサド体制の来歴を解説している箇所は勉強になった。
日本とイスラムとの関わりでは、井筒俊彦、山内昌之、鈴木規夫など大川周明のイスラム研究における先駆性を高く評価する見解が見られるが、本書でも同様に高評価。どうでもいいが、タイトルの「イスラムの世界戦略」というのは内容と若干合ってない気がした。歴史的に拡大してきた経緯は記されているにしても、そこに目的を目指して段取りを組むという意味での「戦略」はないだろう。
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チュニジアにおけるジャスミン革命をきっかけに澎湃として沸き起こった民衆運動による一連の政変劇は世界中の目を釘付けにした。ところで、「アラブの春」と一括りに通称されるが、その後の動向は各国ごとに大きく異なり、この地域における多様な条件の相違もまた浮き彫りになった。山内昌之『中東 新秩序の形成──「アラブの春」を超えて』(NHKブックス、2012年)は、そうした中東情勢に絡まりあった複雑な力学的変動について、現時点における横軸にパースペクティヴを設定して整理してくれる。その中から建設的な動向を見出していくのが本書の興味深いところだ。
比較的平和裏に政権転換が進んだチュニジア、エジプトに対して、リビアでは激しい内戦の末にカダフィの無残な末路を目の当たりにしたし、シリアでも厳しい弾圧による市民の犠牲者が増え続けている。他方、湾岸の君主国が割合と安定した政治運営を行っている点について本書が高く評価しているのが興味深い。民生の安定が政治の第一の目的である以上、形ばかり民主主義の体裁を整えた革命独裁国家が倒れていくのを見ると、「共和国が善で、君主国は時代錯誤な悪」などの単純な思い込みは通用しない。ある意味で民本主義的な捉え方と言えるだろうか。下からの要求も汲み取りながら漸進的な改革を進めているバーレーンやオマーンなどを取り上げ、立憲君主制として一つの政治モデルになり得ると指摘される。
中東世界の中の非アラブ国家としてイランとトルコの存在感も大きい。ところで、イランではかつては蜜月の関係にあったハメネイ最高指導者とアフマディネジャド大統領との確執が取りざたされている。厳格なイスラーム体制が表看板だが、大統領はむしろポピュリズムとナショナリズムの色彩を強め、「法学者の統治」が揺らいでいる。他方、イランとは対照的に世俗主義を国是としてきたトルコで現在政権を担っている公正発展党(AKP)のエルドアン首相はもともとイスラーム主義に出自を持つ。しかし、世俗主義に立つ体制派からの弾圧を受けながらも共和国の体制に順応、民主主義等の価値観を内面化していった。こうした現実感覚は、例えば議会でムスリム同胞団が多数を占めるエジプトにとって一つのモデルとなり得ると高く評価される。
ジル・ケペル(池内恵訳)『中東戦記──ポスト9・11時代への政治的ガイド』(講談社選書メチエ、2011年)はフランスの著名なイスラーム政治研究者による中東紀行。と言っても、もちろん単なる旅行記ではない。9・11直後の時期、エジプト、シリア、レバノン、湾岸諸国、そしてアメリカを回り、9・11以前にパレスチナを訪れた記録も合間にはさまれる。各地で有名無名多くの人々と語らった記録であり、そうした断片的シーンを通して中東社会の揺れ動く姿が描き出されていく。
アブダビでは、ハンチントン『文明の衝突』がイスラム主義者によって歓迎され、「西洋」の他者として自分たちを正当化するロジックに活用しているのが目を引いた。他方で、「今や「9・11」のレンズを通してのみアメリカは世界を見る。シャロン一派は「対テロ戦争」の論理を自らの利益にために流用する。イスラエル国内で自爆攻撃を行うことによって、アラブ人はアメリカでのイメージ戦争に敗れる危険を冒している。」と記したり、また、アメリカの大学でパレスチナ問題に無関心な学生を見て「「対テロ戦争」のマニ教的善悪二元論を疑うことはほとんど不可能になっている。「善玉」対「ならず者」という「白か黒か」の世界観の中で、パレスチナ人がその代償を支払っている。」と記している。様々な潮流がうごめいている社会的動向に対しても、双方ともに二項対立に押し込めた世界イメージに結びつけようというズレが浮き彫りにされているところに興味を持った。
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早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ──民族/国家のアポリア』(青土社、2008年)
・土地なき民が迫害されてきた歴史的経験の末にようやく作り上げた人工的国家イスラエル。ベン=グリオン、ジャボティンスキーなど左右の違いこそあれユダヤ人による単一民族国家の理念を追求してきた政治シオニズムによって、これまで迫害されてきた者(ユダヤ人)が一転してパレスチナ人を迫害する側に回ってしまったという逆説がもたらされてしまったことは周知の通りである。他方、ユダヤ人による純粋な民族国家の樹立が他者の排除を必然的にもたらすであろうまさにこの逆説を自覚して政治シオニズムを批判していたゲルショム・ショーレムやマルティン・ブーバーなどの文化シオニズムは、マジョリティ/マイノリティの対立を超えた政体としての一国家二民族共存(バイナショナリズム)の理念を掲げていた。本書は、ユダヤ人としての出自を持つブーバー、ハンナ・アーレント、ジュディス・バトラー、アイザイア・バーリンなど、そしてパレスチナ人としての出自を持つエドワード・サイードの発言を拾い上げながら、こうしたバイナショナリズムをめぐる言説を思想史的に分析していく。
・民族共存の主張はもちろんただちに否定されるべきものではない。ただし、それぞれの主観的・良心的な意図はともかくとして、額面通りに有効であったかどうかは難しいところである。例えば、当初においてはヨーロッパ中心主義的観点による反アラブ感情や植民地主義的偏見が否めなかったり、ユダヤ人側がパレスチナ人側を形式的に対等な相手とみなしても(あるユダヤ人はパレスチナ人をさして「われわれとまったく同じように苦しめられている」と発言)実際の非対称性をどのように考えるのか、といった問題がある。バーリンは政治シオニズム=攻撃的/文化シオニズム=非攻撃的という分類→後者を肯定するという考え方を示していたが、果たしてこうした二分法が単純に成立するのか、場合によっては後者が前者に転化する可能性が常にあるのではないかという疑問が出てくる(塩川伸明『民族とネイション』[岩波新書、2008年]が取り上げている「よいナショナリズム」/「悪いナショナリズム」をめぐる問題と同様)。
・左派・リベラル派としてバイナショナリズムの理念に共鳴しつつも、同時にイスラエル国家(パレスチナ問題を抱えているという現実をもひっくるめて)をなおかつ支持するというアンビバレンス。良い悪いというのではなく、そこに端的に表れる「国民国家」をめぐるアポリアがそれぞれの言説の布置連関からおのずと浮かび上がってくる難しさ、もどかしさそのものに関心を持ちながら読み進めた。
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チュニジア、エジプト、そしてリビアでも事実上政権が崩壊し、さらにシリア、イエメン、バハレーンなど周辺国にも波及した中東民衆革命の動向をどのように捉えたらよいのか、関心はあっても日頃馴染みがない地域だけに判断が難しい。ひと頃は民主化ドミノ、フェイスブック革命といった点が注目されたが、そういった表面的な見方がどこまで通用するのか心もとないと感じながら、現地を熟知している専門家による本を何冊か手に取った。
田原牧『中東民衆革命の真実──エジプト現地レポート』(集英社新書、2011年)はエジプト民衆革命の結集点となったカイロのタハリール広場に潜り込んだジャーナリストの見聞の記録。旧世代の冷ややかな反応の一方、若者を中心に様々な人々が集まって一つにまとまった秩序が現れているのを見て「タハリール共和国」と呼び、新しい何かへの希望を見いだそうとする眼差しは、新左翼シンパ的なメンタリティーの著者に独特なものだろうか。
臼杵陽『アラブ革命の衝撃──世界でいま何が起きているのか』(青土社、2011年)のタイトルは時事解説的なものを予想させるが、実際の内容は中東の歴史的背景の概説である。「中東」概念の再検討、ヨーロッパによる植民地化体験の影響、アラブ・ナショナリズムの重層性、アラブ・イスラエル紛争が中東全体の情勢に与えた影響、イスラームにおいて「民主主義」はどのように把握されるか、民族・宗教紛争などのテーマを軸としている。人によっては羊頭狗肉の印象を受けるかもしれないが、現在進行中の出来事に底流する大きな流れを見据えるにはやはり歴史的背景をしっかりおさえておかねばならず、そうした面での理解を得るのに適切なレベルの入門書になっている。
酒井啓子編『〈アラブ大変動〉を読む──民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会、2011年)は中東における民衆革命の進展を踏まえて急遽開催された公開ワークショップの成果を基にした論集であり、冷静で着実な視点による論考が並んでいて勉強になる。関心を持った指摘をメモしておくと、
・現実問題として政治は権力関係の再編によって動くものであり、一般市民の抗議だけで動くわけではない。エジプトの場合、市民の抗議活動ではなく国軍がムバーラクを見限ったから政変が起こった。ただし、一般市民の「自分たちがムバーラクを退陣に追い込んだのだ」という思いそのものは彼ら自身の主体性確立、すなわちエンパワーメントという面で重要(松永泰行「エジプト政変をどう考えるか──比較政治の視座から)。
・従来は、逆らったら酷い目に遭わされるという恐怖感によって独裁政権は存続していたが、チュニジアのジャスミン革命以降、こうした恐怖心を克服できたことが政治的大変動を生んだ最大の原因ではないか。それから、民主化できないなどの問題点すべてをイスラームという要因に帰してしまう視点の誤謬(飯塚正人「イスラームと民主主義を考える」)。
・チュニジアやエジプトでデモの人々は治安警察には敵対したが、国軍には逆に信頼感→国軍を「自分たちのもの」と考える意識→この「自分たち」意識に着目してネイション(国民)形成のあり方の違いによって国ごとの事情を捉え返す視点(黒木英充「アラブ革命の歴史的背景とレバノン・シリア」)。
・エジプト革命の成功は、政権をひっくり返しすぎなかったから。つまり、大統領だけ退陣させて、国軍などそれ以外の部分は残して事態を収拾させたのは反体制運動側のうまさ(酒井啓子「エジプトの「成功」とリビアの「ジレンマ」──自力の政権交代パターンはアラブ社会に定着するか」)。
・ヨルダンのハーシム王家は首相に責任を擦り付けて交替させることで国民の不満が噴出しないよううまくガス抜き調整をしている(錦田愛子「ヨルダン・ハーシム王国におけるアラブ大変動の影響」)。
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Annia Ciezadlo, Day of Honey: A Memoir of Food, Love, and War, Free Press, 2011
・著者は「クリスチャン・サイエンス・モニター」「ザ・ニュー・レパブリック」など各紙と契約して中東で活動しているフリーランスのジャーナリスト。
・レバノン出身のやはりジャーナリストである夫と共にバグダッド、ベイルートで暮らしながら取材活動。フセイン政権崩壊後、アメリカへの反発から混乱するイラク。宗派対立やシリア、イスラエルとの関係も絡まって自爆テロや要人暗殺が相次ぎ再び内戦の危機が高まるレバノン。緊迫した政治情勢下でも親しく交わった人々との思い出がつづられる。
・本書のカギとなるのは、文中で折に触れて紹介される、現地で出会った料理の数々。古代以来、紛争の絶え間のない地域ではあるが、人の移動と同時に食材やレシピの交流の広がりもあり、民族や宗派は違っても知らずしらず似たような料理を食べていることもある。互いに憎悪を向け合うような緊張状態だからこそ、食事を共に分かち合うことの意義が改めて確認される。著者がアメリカに戻っても、思い出されるのは戦争ではない。料理をめぐって想起される味、におい、光景、その場に居合わせた友人たちの思い出。巻末にはレシピ付。
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