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2025年9月 4日 (木)

奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』

奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』(岩波書店・同時代ライブラリー、1997年)

 先日、京都・下鴨神社の古書市をぶらついた時にたまたま本書を目にした。炭鉱関係の書籍には以前から関心を持って読んでいたつもりだったが、不覚にも本書のことは知らなかった。目にした瞬間、手招きされたような気持ちで買い求め、むさぼるように読んだ。

 著者は朝日新聞記者で、北海道報道部に在籍していた頃から「最後のヤマ(炭鉱)記者」になる決意を固めていたという。三井三池炭鉱の閉山が決まると、その終わりを見届けるために1994年に志願して大牟田通信局に転任した。そして、1997年の閉山に至るまで、三池炭鉱の歴史を調べ、そこで働いていた人々や家族から話を丹念に聞き取り、そうした成果が本書にまとめられている。

 石炭採掘は命の危険と隣り合わせで、余程のことでなければ、率先してやりたいと思える仕事ではない。明治期には囚人が動員されていたが、管理コストの点で効率が悪いため、できるだけ従順な労働者を確保するために世間ずれしていない田舎出身者の雇用が進められたという。戦時期には朝鮮人・中国人が強制労働で連行されてきた。そのあまりに非人道的な扱いも本書は直視して描き出している。

 炭塵爆発事故では、直接的な死傷の危険ばかりでなく、一酸化炭素中毒の恐ろしさが印象に残る。市さん化炭素中毒による脳障害は、一見したところ、健常者と変わらない。かつてはガス中毒には後遺症がないと考えられていたため、中毒被害者は事実上、放置された。しかし、当人は激しい頭痛や幻聴に苦しみ、精神状態にも変化を来して暴れることがあり、介護する家族の負担も極めて大きく、家庭は崩壊してしまう。企業側はコスト削減と責任回避のため、そうした被害を低く見積もろうとする。普段は協力し合って生活していた近所の人たちは一酸化炭素中毒への理解不足から、かえって偏見の眼差しを向け、労働組合も政治闘争の論理の中で、中毒患者の家族の苦しみには親身になってくれない。私の場合、危険と隣り合わせであるがゆえに助け合いの共同体があったのでは、という理想化の視線で考えてしまうところがあったが、そうした甘さを裏切ってしまう部分も忌避せずに描き出しているところに、本書のすごみを感じた。

 石炭は産業化の動力であり、そうした経済活動の積み重ねとして現在の豊かさがある以上、我々の安楽な生活の陰には、彼らの犠牲が積み重なっているという部分に自覚的であらねばならないだろう。その犠牲には、社会的底辺者が供されてきたという構造的問題は、日本ばかりでない。例えば、台湾でも、戦時中には日本軍によって戦時捕虜が炭鉱労働で命を使い捨てされたし、戦後の炭鉱労働現場では経済的に貧しい先住民族の人々が中心だった。

 私の17年前のブログ記事「炭鉱がらみで色々と」では、上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書、1960年)、同『地の底の笑い話』(岩波新書、1967年)、森崎和江『奈落の神々──炭坑労働精神史』(平凡社ライブラリー、1996年)などに言及したほか、14年前には山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』についてもブログで書いた。また、台湾関係では「台湾炭鉱労働者精神史についてメモ」と題したブログ記事も書いた。

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