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2020年5月24日 (日)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】 井筒俊彦『ロシア的人間』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】
井筒俊彦『ロシア的人間』
 
 井筒俊彦といえば、イスラム研究の大家として世間では知られている。だから、なぜ井筒がロシア文学を論じているのか不思議に思う人もいるかもしれない。しかしながら、井筒の視野は実に壮大であった。意識のゼロポイントを探る彼の存在論的探究は、ある場面ではギリシア神秘思想の形をとり、またある場面ではイスラム神秘思想の形をとり、またある場面では仏教哲学の形をとるなど、様々な相貌を見せる。井筒はイスラムの研究者なのではなく、彼が思惟構造の共時的把握を目指して探究を進める様々なフィールドの、あくまでも一つとしてイスラムが選ばれたに過ぎない。『ギルガメシュ叙事詩』を訳した矢島文夫は、原典を入手できず困惑していたある日、たまたま井筒の書斎を訪ねたところ、無造作に積み上げられた書物の中に『ギルガメシュ叙事詩』の原典版を見つけ、事情を話して借り受けた、ということを記していた。井筒の思索の対象ははるか古代神話にまでさかのぼり、文字通り世界史的規模のものであったと言えよう。
 
 『ロシア的人間』は、戦後間もなく、若き日の井筒が大学でロシア文学を講じたときの草稿をもとにまとめられている。後年、彼が思索をめぐらした東洋思想や言語哲学は極めて晦渋で、なかなか近づきがたい。ところが、本書は、そうした井筒のとっつきにくい印象とは裏腹に、驚くほど情熱的で鮮烈な文章が次々と繰り出されてくる。良い意味で若書きである。それと同時に、ロシア文学という題材を通しながらも、実はそこかしこから後年の彼の思索の萌芽も垣間見えてくるのが面白い。その意味で、本書は単なるロシア文学史ではなく、井筒の思想を知るための入門書として読むこともできる。
 
 井筒はイスラム研究の碩学として高名ではあるが、近年、彼のイスラム理解には彼自身の過剰な読み込みがあるという指摘がされている。さもありなんと思う。彼の哲学的探究、例えば『意識と本質』などで分け入ろうとしている深淵を私はなかなか理解できないが、ある根源的なテーマを追求するにあたって、これほどまでに多様な素材を自らの問題関心に引きつけながら語ってしまおうという態度にこそ、むしろ心底驚嘆している。
 
 最近、井筒俊彦著作集が慶應義塾大学出版会から刊行され、『ロシア的人間』も収録されている。私が持っているのは中公文庫版だが、このカバーの絵も好きだった。カンディンスキー「風景の中のロシアの美女」という作品。井筒の情熱的なロシア文学論というのはそのギャップが面白いが、カンディンスキーがこういう絵を描いていたというのも意外であった。
 
※いま手元に本書はないので、フェイスブックではアマゾンの書影を借用したが、このブログでは書影を割愛する。

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