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2020年5月25日 (月)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】 寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】
寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』
 
 東京の本郷界隈、現在の文京区にかつて南天堂という書店があった。今でも南天堂書房というのがあるが、何らかの関係があるのだろう。大正から昭和初期にかけて、この南天堂の二階にはカフェがあり、本書はそこに集った詩人や文士、活動家に主義者たちの群像を描き出している。私は20代後半の頃、大正期の思想史に関心を持っており、関連する論文を書いたこともある。そうした中で、最初は資料調査の手がかり程度の気持ちで本書をめくり始めたのだが、なかなか面白くてそのまま読み込んでしまった。
 
 著者自身が詩人で、本書には自ら関わりのあった人々も登場しており、この南天堂のカフェで繰り広げられていた数々のファルスに強い思い入れを抱いていたであろうことはよく分かる。アナ・ボルの対立。理論派と詩人肌の食い違い。中には右翼だって紛れ込んでくる。あのような騒々しさというのが、大正期思潮の一つの特徴であり、また魅力であると私は思っている。しかしながら、本書での筆致は意外なほど抑制的である。それぞれに一癖も二癖もある面々について、こまかに資料を引きながら淡々と描写していく。その引いた姿勢が良いと思った。
 
 ロジックとしての思想と、実際の人間模様とは必ずしも一致するとは限らない。同じ党派やグループに所属していても、ささいな喧嘩で袂を分かち、それが結果的に政治的分裂に至るということはよくある。逆に、思想的には相反する立場なのに、個人的関係としては意外と仲が良かった人々もいる。喧嘩しつつ仲が良いという関係だってあり得る。群像劇として思想史を捉え返そうとするとき、このような生身の人間模様も実は見逃すわけにはいかない。そうした部分まで含めて描こうとするなら、特定の個人に注目するのではなく、視点を「場」に据えて人間関係そのものを全体的に俯瞰していくのも一つの方法であろう。
 
 本書では、南天堂書房及び二階に併設されたカフェという特定の空間を媒介として多種多様な人々が行きかった様子が活写されている。言い換えると、カフェという一つの「場」そのものが主人公である。サブタイトルにある松岡虎王麿というのは南天堂の経営者だが、実は彼についての言及は驚くほど少ない。また、南天堂の客のすべてを松岡が認識していたかどうかも分からない。本書の中では南天堂の常連客が機会に応じて紹介されていくが、その描き方は並列的で、特定の個人に注目するよりも、南天堂という「場」を媒介として関係し合った人々を俯瞰しているところに特徴がある。そうすることで、カオティックな人間模様の中から、それこそバフチン的な意味でのポリフォニックな群像劇が見えてくる。騒々しい多声的な様相こそ、大正・昭和初期のある場面で確かに現出していた時代思潮だと私は考えている。著者自身は自覚していなかったかもしれないが、淡々とした筆致だからこそ、そうした側面の描写にむしろ成功しているのが面白い。
 
 「場」を媒介とした人間模様を描いた作品としては、中島岳志『中村屋のボース』も面白かったが、これはあくまでもボースの評伝であって、中村屋というサロンを主に描いたものではなかった。
 
 私が一番好きな作家を挙げろと言われたら、いつも辻潤の名前を出すのだが、辻潤も南天堂の常連客だった。ダダやアナキズムの人たちってやっぱり面白いんだが、その魅力をうまく描き出せる人は実は多くない。最近で言うと、栗原康みたいな描き方は臭すぎて好きじゃない。
 
※本書は大学図書館に所蔵されていたので、書影はそれを利用した。
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