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2020年5月

2020年5月28日 (木)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】
中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』
 
 十年前、初めて中国へ行った。当時は会社勤めをしていたが、五月の連休を利用した個人旅行で北京と天津を一人で歩き回った。歴史に関係する場所を巡るのが目的で、しっかり事前勉強もした。そうした中、知人から勧められて中薗英助の作品も読んだのだが、特に印象に残ったのが『夜よ シンバルをうち鳴らせ』であった。
 
 日本軍の占領下、いわゆる「淪陥時期」において、現地採用の新聞記者となった主人公が目撃した北京の光景。中薗の作品のうち『北京飯店旧館にて』『北京の貝殻』などは回想録的、私小説的な形を取るのに対して、『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は著者自身の実体験をにじませつつ、謀略サスペンス的な筋立てを絡ませた小説に仕立て上げられている。
 
 左翼くずれの日本人や、いわゆる大陸浪人。抗日意識を胸に秘めた中国の知識青年と、逆に大東亜共栄圏のスローガンを叫ぶ中国人。日本軍の謀略に利用された東トルキスタン独立運動のウイグル人マームード・ムヒイテ将軍。魯迅夫人・許広平がひそかに北京へ戻っているという噂。消えた北京原人の標本の行方。大東亜文学者会議への出席をやんわりと拒絶した周作人(その説得のため文学報国会から派遣された九重由夫こと久米正雄や葉柴勇こと林房雄たちの鼻息の荒さが北京で顰蹙をかっていたことは別の本で読んだことがある)。京城日日新聞特派員として北京へ来ていた白哲(=白鉄、本名は白世哲)や金史良は朝鮮人としての思いを語る。民族的背景も様々で多彩な人物群像がうごめくスケールの大きさは圧巻で、読みながらこの作品世界の中へグイグイと引き込まれていった。
 
 占領者たる日本人と被占領者たる中国人。生身の人間同士として付き合った点では友情もあり得た一方で、必ずしも全面的な信頼までは置けないわだかまり。この微妙な関係は、抗日/親日といった単純なロジックで裁断できるものではなく、第三の道はあり得ないのか、そうした模索へと主人公を駆り立てていく。それは、他ならぬ中薗自身の青春期から一貫したテーマであったと言えよう。
 
 タイプは異なるが、占領者としての日本人の負い目意識をテーマにしている点では、日本植民統治下の京城文壇を舞台とした田中英光『酔いどれ船』を挙げることもできる。やはり大東亜文学者会議の準備に駆り出された青年文士(=田中自身)が目撃した、抗日と体制順応、陰謀と狂騒の混濁したファルスを、実在の人物をカリカチュアライズしながら描き出していた。『酔いどれ船』では主人公の内面的にウジウジしたところを暴露的に描く形で田中自身の青春の暗さが表現されていたという印象がある。これに対して、中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は、政治意識の強さを明確に打ち出したことで、むしろ一種の清冽さすら感じられた。
 
 中薗は、漫然とした動機で中国大陸に渡った、と語っている。若き日々のアモルファスな情熱に明瞭な表現を与えるのはもちろん難しいことであろうが、一つには若者らしい冒険心燃えたぎるロマンティシズムがあったであろうことは容易に想像できる。それが異郷への憧れというプル要因になっていたとしたら、では、プッシュ要因は何だろうか。いわゆる「外地」には、日本の内地で居場所を失った左翼くずれやヤクザ者、あるいは一旗挙げようと考える手合いなど、様々なあぶれ者が流れ込んで来ており、彼らを許容するだけのいわゆる「植民地的自由」があった。中薗が家出した直接のきっかけは、将来の進路をめぐる父親との葛藤であったが、父親の権威への叛逆は私的なものであると同時に、戦時統制の強まりつつある時代、国家による束縛への反抗心もそこには重ね合わされていたと言えるだろう。日本国内における様々な束縛を厭う心情が、「外地」の持つ一種奇怪な「自由」へと引きつけられていったのかもしれない。
 
 ロマンティックな自由を求めた異郷。そこはまた、裸の自己を試される厳しい葛藤の世界でもあった。中薗は、裏切りや卑怯、傲慢といった人間の醜さをいやというほど見せつけられた一方、気持ちの通い合う友人たちとも出会った。とりわけ陸柏年や袁犀といった中国人の友人と知り合えたことは彼の北京体験の中で特筆される。
 
 しかし、「淪陥時期」の北京にあって、中薗自身は中国人側に親近感を寄せているつもりであっても、彼らの方からは「日本人=支配者」と見られてしまい、なかなか胸襟を開いてはくれない。「支配者」側にいるという立場性は、主観的な善意だけではどうにもならない。引け目の懊悩はさらに「原罪」意識へと深められていく。こうした矛盾への葛藤が、以後における中薗の文学活動の原点となっており、『彷徨のとき』『夜よ シンバルをうち鳴らせ』をはじめとした様々な作品で繰り返し表現されている。
 
 侵略した側、支配する者が、侵略された側、支配される者との間で友情を築くことができるのか。中薗はある本で、陸柏年から「きみは、人類という立場に立てますか?」と問いかけられたことを書き留めている。青くさい。しかし、こうした青くさい言葉が強烈な印象として中薗の脳裡に刻み込まれていたのは、それだけ深刻に矛盾した体験に身を引き裂かれるような思いをしていたからに他ならない。中薗は敢えてこの言葉を自らの問題として引き受け、終生のテーマとした。後年、アジア・アフリカ作家会議などで積極的な活動を行なったことも、こうした彼自身のテーマの延長線上にある。
 
 『夜よ シンバルをうち鳴らせ』を読んで私が関心を持っているのは次の二点である。第一に、日本軍占領下北京のカオティックな状況。当時、日本軍は「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げていた以上、中華文化を尊重する態度を示さねばならず、また、統治の便法として傀儡政権を成立させていた。それらはもちろん建前上のものに過ぎなかったとはいえ、建前というのも結構バカにはならない。例えば、同時期の台湾や朝鮮では同化政策が推進されていたのと比べると、大陸の占領地では文化政策に関して別の方針が取られていた。傀儡政権には抗日派が紛れ込む余地もあり、当時の北京においては抵抗/協力という単純な二分法では割り切れないグレーゾーンが広がっていた。そこには、ある場合にはいわゆる「植民地的自由」があり、また別の局面においては、誰が敵で、誰が味方なのか分からない混沌とした人間模様があった。そうしたカオティックな状況が、ドラマの舞台として非常に印象的であった。
 
 上述のような「植民地的自由」は、日本統治下においてアイデンティティーの曖昧な台湾人を吸引する余地も大きかった。私は1930~40年代に中国へ渡った台湾人というテーマにも関心を持っているが、中薗が描き出した北京のカオティックな状況を後景として、その中で彼ら台湾人の動きをたどってみたいという気持ちがある。とりわけ台湾出身の音楽家・江文也については以前から調べているが、江はこうした北京の「植民地的自由」の中だからこそ、軍部の協力を得て中国をモチーフとした音楽作品を発表することができた。江の友人の画家・郭柏川は梅原龍三郎と共に紫禁城を描いた。抗日派の知識人、張深切、張我軍、洪炎秋などは、警察の監視が厳しい台湾から逃れて北京へ渡り、当時の北京は台湾と比べると、敵と味方とを分かつ線が曖昧だったため、監視がゆるいからこそ職を得ることができた。張深切、張我軍、洪炎秋たちは北京で周作人と交流があった。他にも、中国知識人が北京を脱出したため、かわって大学でポストを得た台湾人もいた。
 
 他方で、彼らには台湾人=日本国籍者という特権もあり、単純に抵抗/協力という枠組みでは捉えきれないグレーゾーンを意識しておかないと一面的な叙述に終わってしまう。いずれにせよ、中薗の作品では多様な民族的背景の人々が出てくるわりに台湾人は出てこないのだが、当時の北京にもやはり一定数の台湾人が来ていたし、彼らの動向について研究も増えてきている。
 
 第二に、支配する者と、支配される者との関係性。自分が主観的には相手に寄り添っているつもりであっても、相手はそのように受け止めてはくれない。自分の意志ではなくとも、支配者側にいるという立場性から逃れることの困難。これは、日本人として台湾研究をしている私自身にとっても、ずっと考え続けなければならない問題である。
 
 私はいわゆる「外地」がどうしても気になる。父方の祖父母はかつて台湾で教員をしており、特に祖母は「湾生」であった。母方の祖母は、その父(つまり私の曽祖父)が旧「満洲国」で事業をしていたことから(伊達順之助の友人だったと聞いた)、短期間ながら奉天にいたことがある。母方の祖父は一年間ほど朝鮮総督府に勤務した後、北京へ移って満鉄の子会社「華北交通」に測量技師として勤めていた。私は言うなれば、四重の意味で「侵略者」の孫ということになってしまうが、それはともかく、私が東アジア現代史に関心を持っている理由の少なくとも一つとして、祖父母の存在を通して東アジア現代史が身近なものに感じられているという点は挙げられる。
 
 上記の文章は、私が以前に書いた下記のエントリーをもとに、加筆しながらまとめた。
「中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』」 (2010年4月27日)
「神奈川近代文学館「中薗英助展─〈記録者〉の文学」」(2012年4月25日)
 
 私が持っているのは福武文庫版で、絶版である。いま手元にないので、書影は割愛する。

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2020年5月27日 (水)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:六日目】 安彦良和『虹色のトロツキー』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:六日目】
安彦良和『虹色のトロツキー』
 
 『虹色のトロツキー』は大学生の頃に読んで、はまった。主人公・ウムボルトは日本人とモンゴル人の混血で、旧「満洲国」の最高学府・建国大学に在籍していたという設定である。当時、ソ連から追われて海外亡命を余儀なくされていたトロツキーを建国大学教授に迎え入れようという構想は実際にあったらしいが、この作品では「トロツキー計画」をめぐる日本軍の謀略工作にウムボルトが翻弄される姿が描き出されている。1930年代の東アジアを舞台として、ウムボルトという一人の青年を縦糸としながら、民族的背景の異なる様々な人々が交錯していく。ウムボルトは架空のキャラクターだが、その他の登場人物の大半は実在していたから、この時代の歴史を勉強している者として、どのように描かれているのか、やはり興味が引かれるし、何よりも人物群像劇としてものすごく面白い。
 
 1930~40年代の日本というのは、ある意味、「脱国境」的な状況にあった。ただし、それは日本による対外侵略を背景としたものであったが。建国大学、あるいは旧「満洲国」における「五族協和」という理念を額面通りに受け止めるわけにはいかない。しかし、単に虚構に過ぎなかったとしても、それを生真面目に考えた人はいたし、またそれを一つの動力として様々な人間模様が繰り広げられていた。それこそ民族の壁をこえて信頼し合い、かと思ったら裏切られ、そしてぶつかり合う──そうした状況が、そこには悲劇があるからこそ、なおさらのことドラマの舞台として引きつけられるものを感じていた。
 
 「満洲」という土地は昔からずっと気になっていた。私が初めて観た「大人の映画」(という言い方は誤解されるかもしれないが、例えば「ドラえもん のび太の~」みたいなのではなく、文芸的映画と言ったらいいのだろうか)は、中学一年生の学年末だったか、私と同じく歴史に興味のある同級生と一緒に観に行ったベルトルッチ監督「ラストエンペラー」であった。その頃、映画上映に合わせて関連書籍も書店で並べられており、例えば、溥儀『わが半生』、レジナルド・ジョンストン『紫禁城の黄昏』、エドガー・スノー『極東戦線』など、よく分からないながらも手に取った。『わが半生』は前半の政治的動乱よりも、後半の獄中生活の方がむしろ面白く感じた記憶がある。いずれにせよ、私が東アジア近現代史に関心を持つようになった直接のきっかけは『ラストエンペラー』だったと言えるのだが、以来、「満洲」という土地がずっと私の脳裏に強い印象を残している。
 
 安彦良和には他にも『麗島夢譚(うるわしじま ゆめものがたり)』という作品がある。尻切れトンぽに終わってしまい、失敗作なのは残念だが、着眼点はとても良かったと思う。私が東アジア史で強い関心を寄せているのは、第一に1930~40年代であり、それは『虹色のトロツキー』であるが、第二に、16世紀後半から17世紀にかけての海洋アジア世界である。いずれも、民族的背景の様々な人物が動き回り、ぶつかり合う活劇の恰好な舞台として面白い。台湾史に関心を持つ者としても、実はこの二つの時代は極めて重要な意義を持つと考えている。そこに注目した安彦良和の着眼点にはやはりうならされた(結果的に期待外れだったとはしても)。
 
 『虹色のトロツキー』はいま、中央公論社から文庫版や愛蔵版も出ているようだが、私が買ったのは最初に出た潮出版社版だった。いま手元にないので、書影は割愛する。

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2020年5月26日 (火)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】 上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】
上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』
 
 人物群像劇の形で、ある時代相を描くという作品が私は大好きで、例えば、スチュワート・ヒューズ『意識と社会 ヨーロッパ社会思想1890~1930』とか、ピーター・ゲイ『ワイマール文化』、あるいは山口昌男の著作などを思い浮かべているのだが、一番印象に残っているのはやはり上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』である。学術書なのに、読み物としてめっぽう面白かった。
 
 著者は本来、西洋法制史を専門としているが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのいわゆる「世紀末」と言われた時代状況に分け入って、そもそも社会科学が成立した知的基盤を捉え返そうとする。いま手元に本書がないので詳細を確認できないのだが、きっかけは確か、バハオーフェンの母権論をめぐる探究から始まっていたのではなかったか。学術だけを切り離して考えるのではなく、文学や芸術も含めたトータルな時代性の中で、そこに底流する思潮が描き出されている。それだけでなく、当時のビッグネーム、例えばウェーバー、フロイト、ユング、バハオーフェン、ニーチェ、ベンヤミン、トマス・マン、ゲオルゲ、ヘッセ…等々、記憶に頼っているので書き漏らしもあるだろうが、こういった人々について博引傍証、豊富なエピソードを紹介しながら生き生きと論じているのが面白かった。個々の人物の名前はもちろん知っているし、ものによっては読んだこともあるが、こうした人々の同時代性を有機的に理解できたのは大きな収穫だった。とにかく専門分野を超えて時代性をたくみに描き出していく筆致に引き込まれた。
 
 つまり、本書を読んで私が感心したのは、第一に、分野を超えて複数の人物を同時に論じながら、それらの人々が共通して関わっていた時代思潮を浮き彫りにしていくという描き方。第二に、かたい学術書であるにもかかわらず、エピソードが豊富で読み物としても面白かったこと。もし可能であるならば、別の題材でこういうものを書いてみたいという憧れを抱いた。上山とはテーマは全く異なるが、私は『民俗台湾』や台北帝国大学(とりわけ土俗人種学教室)などを題材として日本統治時代→留用→戦後への学知的継承というテーマに以前から関心があって、そこに関わった日本人、台湾人、中国人の人物群像をいずれ描いてみたいという希望があり、あのような形で学術の歴史を描くことができればいいなあと思う。
 
 いま本書は手元にないので、書影は割愛する。

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2020年5月25日 (月)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】 寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】
寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』
 
 東京の本郷界隈、現在の文京区にかつて南天堂という書店があった。今でも南天堂書房というのがあるが、何らかの関係があるのだろう。大正から昭和初期にかけて、この南天堂の二階にはカフェがあり、本書はそこに集った詩人や文士、活動家に主義者たちの群像を描き出している。私は20代後半の頃、大正期の思想史に関心を持っており、関連する論文を書いたこともある。そうした中で、最初は資料調査の手がかり程度の気持ちで本書をめくり始めたのだが、なかなか面白くてそのまま読み込んでしまった。
 
 著者自身が詩人で、本書には自ら関わりのあった人々も登場しており、この南天堂のカフェで繰り広げられていた数々のファルスに強い思い入れを抱いていたであろうことはよく分かる。アナ・ボルの対立。理論派と詩人肌の食い違い。中には右翼だって紛れ込んでくる。あのような騒々しさというのが、大正期思潮の一つの特徴であり、また魅力であると私は思っている。しかしながら、本書での筆致は意外なほど抑制的である。それぞれに一癖も二癖もある面々について、こまかに資料を引きながら淡々と描写していく。その引いた姿勢が良いと思った。
 
 ロジックとしての思想と、実際の人間模様とは必ずしも一致するとは限らない。同じ党派やグループに所属していても、ささいな喧嘩で袂を分かち、それが結果的に政治的分裂に至るということはよくある。逆に、思想的には相反する立場なのに、個人的関係としては意外と仲が良かった人々もいる。喧嘩しつつ仲が良いという関係だってあり得る。群像劇として思想史を捉え返そうとするとき、このような生身の人間模様も実は見逃すわけにはいかない。そうした部分まで含めて描こうとするなら、特定の個人に注目するのではなく、視点を「場」に据えて人間関係そのものを全体的に俯瞰していくのも一つの方法であろう。
 
 本書では、南天堂書房及び二階に併設されたカフェという特定の空間を媒介として多種多様な人々が行きかった様子が活写されている。言い換えると、カフェという一つの「場」そのものが主人公である。サブタイトルにある松岡虎王麿というのは南天堂の経営者だが、実は彼についての言及は驚くほど少ない。また、南天堂の客のすべてを松岡が認識していたかどうかも分からない。本書の中では南天堂の常連客が機会に応じて紹介されていくが、その描き方は並列的で、特定の個人に注目するよりも、南天堂という「場」を媒介として関係し合った人々を俯瞰しているところに特徴がある。そうすることで、カオティックな人間模様の中から、それこそバフチン的な意味でのポリフォニックな群像劇が見えてくる。騒々しい多声的な様相こそ、大正・昭和初期のある場面で確かに現出していた時代思潮だと私は考えている。著者自身は自覚していなかったかもしれないが、淡々とした筆致だからこそ、そうした側面の描写にむしろ成功しているのが面白い。
 
 「場」を媒介とした人間模様を描いた作品としては、中島岳志『中村屋のボース』も面白かったが、これはあくまでもボースの評伝であって、中村屋というサロンを主に描いたものではなかった。
 
 私が一番好きな作家を挙げろと言われたら、いつも辻潤の名前を出すのだが、辻潤も南天堂の常連客だった。ダダやアナキズムの人たちってやっぱり面白いんだが、その魅力をうまく描き出せる人は実は多くない。最近で言うと、栗原康みたいな描き方は臭すぎて好きじゃない。
 
※本書は大学図書館に所蔵されていたので、書影はそれを利用した。
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2020年5月24日 (日)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】 井筒俊彦『ロシア的人間』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:三日目】
井筒俊彦『ロシア的人間』
 
 井筒俊彦といえば、イスラム研究の大家として世間では知られている。だから、なぜ井筒がロシア文学を論じているのか不思議に思う人もいるかもしれない。しかしながら、井筒の視野は実に壮大であった。意識のゼロポイントを探る彼の存在論的探究は、ある場面ではギリシア神秘思想の形をとり、またある場面ではイスラム神秘思想の形をとり、またある場面では仏教哲学の形をとるなど、様々な相貌を見せる。井筒はイスラムの研究者なのではなく、彼が思惟構造の共時的把握を目指して探究を進める様々なフィールドの、あくまでも一つとしてイスラムが選ばれたに過ぎない。『ギルガメシュ叙事詩』を訳した矢島文夫は、原典を入手できず困惑していたある日、たまたま井筒の書斎を訪ねたところ、無造作に積み上げられた書物の中に『ギルガメシュ叙事詩』の原典版を見つけ、事情を話して借り受けた、ということを記していた。井筒の思索の対象ははるか古代神話にまでさかのぼり、文字通り世界史的規模のものであったと言えよう。
 
 『ロシア的人間』は、戦後間もなく、若き日の井筒が大学でロシア文学を講じたときの草稿をもとにまとめられている。後年、彼が思索をめぐらした東洋思想や言語哲学は極めて晦渋で、なかなか近づきがたい。ところが、本書は、そうした井筒のとっつきにくい印象とは裏腹に、驚くほど情熱的で鮮烈な文章が次々と繰り出されてくる。良い意味で若書きである。それと同時に、ロシア文学という題材を通しながらも、実はそこかしこから後年の彼の思索の萌芽も垣間見えてくるのが面白い。その意味で、本書は単なるロシア文学史ではなく、井筒の思想を知るための入門書として読むこともできる。
 
 井筒はイスラム研究の碩学として高名ではあるが、近年、彼のイスラム理解には彼自身の過剰な読み込みがあるという指摘がされている。さもありなんと思う。彼の哲学的探究、例えば『意識と本質』などで分け入ろうとしている深淵を私はなかなか理解できないが、ある根源的なテーマを追求するにあたって、これほどまでに多様な素材を自らの問題関心に引きつけながら語ってしまおうという態度にこそ、むしろ心底驚嘆している。
 
 最近、井筒俊彦著作集が慶應義塾大学出版会から刊行され、『ロシア的人間』も収録されている。私が持っているのは中公文庫版だが、このカバーの絵も好きだった。カンディンスキー「風景の中のロシアの美女」という作品。井筒の情熱的なロシア文学論というのはそのギャップが面白いが、カンディンスキーがこういう絵を描いていたというのも意外であった。
 
※いま手元に本書はないので、フェイスブックではアマゾンの書影を借用したが、このブログでは書影を割愛する。

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2020年5月23日 (土)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】 橋川文三『昭和維新試論』

【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】
橋川文三『昭和維新試論』

  渥美勝という名前を見て、ピンと来る人は少ないだろう。大正期の「思想家」と言ってもいいのかどうか。高学歴ながらもすべてをなげうって放浪生活、「桃太郎主義」を掲げ、「真の維新を断行して、地上に高天原を実現せよ」と辻説法していた、国粋主義的な風来坊──現代の価値観からすれば単に奇矯な人物である。他方で、その風貌にはアッシジのフランチェスコを思わせる穏やかな気品がただよっていたという。橋川の『昭和維新試論』では、例えば石川啄木、高山樗牛、柳田國男、上杉慎吉、平沼騏一郎、北一輝など様々な人物が取り上げられているが、そうした中でも私にとって一番印象深いのが、この渥美勝であった。

  橋川の代表作とされるのは『日本浪漫派批判序説』であろう。若き日の橋川自身が、戦時下の思潮にコミットしていた過去への反省──いや、反省という言い方では言葉が浅い、彼を否応なく引き込んでいった吸引力のようなもの、それを何とか剔抉し、文章化しようとするひたむきな努力が、彼の政治思想史的研究の動機として伏流していた。

  とりわけ橋川による渥美勝の描写が私の心をつかんだのは、どうしたわけだろうか。『昭和維新試論』は後にちくま学芸文庫版や講談社学術文庫版も出たが、私が最初に読んだのは大学一年生のときに購入した朝日選書版である。その頃に読んだ時点では、橋川の存在感が気になってはいても、では自分はなぜ橋川を気にしているのか、それがうまく整理できていなかった。たぶんこういうことなんだろう。橋川は人物の内奥に迫ってその葛藤を描き出しつつ、そこから時代の諸相をみつめる視点を引き出し、そうであるがゆえに政治思想史としても成立している。その筆力に驚嘆すべきものを感じた。それは、他ならぬ橋川自身の内在経験が一つの触媒となって、対象とする人物の心象風景を引き出してくることができたからであろう。

  私自身、その頃からずっと、できるかできないかは別として、人物を描くことに興味があったのだと思う。ある人物を通して時代を描き、その人物が時代の中で格闘している姿を通して、思想的に語り得る何がしかを形にしてみたい。そうした一つの模範として、今に至るまで橋川文三のことがずっと気にかかっている。

  大学生の頃、テーマ的に近い方向性として松本健一の作品も割と読み込んでいたのだが、松本は多作がたたったのか、一つ一つの作品において対象とする人物への迫り方が橋川に比べて軽い(大変失礼だが…)と感じていた。

 


※いま本書は手元にないので、フェイスブックではアマゾンの書影を借用して投稿したが、このブログでは書影を割愛する。

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2020年5月22日 (金)

【七日間ブックカバー・チャレンジ:一日目】井上靖『敦煌』

 SNS上にて「七日間ブックカバー・チャレンジ」というタイトルの連続投稿を見かける。日本でコロナウィルスの蔓延により外出自粛となっている状況下、この機会に読書文化普及のため、一週間で一日一冊を紹介するという趣旨である。一冊紹介するごとに一人、もしくは七冊紹介した後に一人、誰かにバトンタッチすることになっているが、私もバトンを受け取ったので、やってみることにした。
 
 本来はブックカバーをSNSにアップするだけでいいらしい。ただ、見ていると、皆さん色々とコメントを加えているようなので、私も規則違反かもしれにが、何がしかの思い入れも書き込んでおいた。思い入れがあると、やはり長々と書き込んでしまうし、書き始めると色々なことも思い出す。多忙な中ではあるが、こういうのを書くこと自体がいい気晴らしになった。私はフェイスブックに書き込んでいたが、備忘録的にこちらにも書き写しておく。
 
 七冊を選書した基準については、自分もこういう作品を書くことができたらいいなあ、という憧れや敬意を抱いた本という形にした。初心を思い出す気持ちで書き込んだ。私は現在、台湾研究をしているが、そんな私が台湾関係の本を紹介するのは当たり前すぎるので、そっち方面はない。ただし、私が今後、台湾について何かを書こうとするとき、その書く姿勢としてこれらの七冊を意識しているということは言える。
 
 書影は自身の蔵書を使うのが筋なんだと思うが、現在は台南に仮住まい中で、蔵書の大半は東京の実家にあるので、フェイスブックではネット上で拾った画像や在籍している大学図書館の所蔵本で代用した。このブログでは、成功大学図書館所蔵本の書影のみ載せることにする。
 
~ ~ ~ ~ ~
 
【七日間ブックカバー・チャレンジ:一日目】
井上靖『敦煌』
 
 井上靖といえば、『しろばんば』『夏草冬濤』といった伊豆を舞台とした自伝的作品も捨てがたいのだが、私が最初に読んだのは『敦煌』である。中学生の頃、佐藤純彌監督によって映画化されたのを見たのがきっかけ。続けて、井上の同系列の作品集『楼蘭』も読んだし、岩村忍との共著『西域』も印象に残っている。映画上映に合わせて、どこかの美術館(百貨店系だったように思う)で「西夏王国展」も開催されていたのだが、親にせがんで連れて行ってもらい、その時に購入した図録は今でも実家に残っている。
 
 いずれにせよ、井上靖の作品をきっかけとして色々と読み漁りながら、シルクロードや中央アジアへロマンをはせる気持ちを高めていった。そのように濫読した中には、例えば司馬遼太郎『草原の記』も含まれる。砂漠と草原──いずれも日本では見ることのできない、無限の空間の広がりに憧れを抱いていた。そうした中央アジアへの関心は大学に入ってからも続き、史学科の民族学考古学専攻に所属して、卒業論文はタクラマカン砂漠に埋もれたオアシス都市・ニヤについて書いた。
 
 『敦煌』執筆時、井上はまだ現地へ行ったことがなかったという。それにもかかわらず、あれだけ読み手を刺激する描写ができたというのは改めて感心する。その背景として、日本では西域研究の蓄積があり、井上はそれらを参照できたという点に注意しておく必要があろう。桑原隲蔵、白鳥庫吉、羽田亨といった人々も含め、いわゆる「東洋学」の碩学たちの名前を私が最初に知ったのも、井上靖や司馬遼太郎たちが西域について書いた文章を通してであった。私の中で広義の「東洋学」への関心はその頃から一貫して続いており、台湾研究をしている現在でもそうした意識は変わっていない。
 
 書影は成功大学図書館所蔵のものを使った(上)。調べたら中国語訳も色々と出ており、石榴紅文字工作坊訳、劉慕沙訳、柯順隆訳、劉興堯訳、龔益善訳などがある(下の写真はその一部)。石榴紅文字工作坊訳の花田文化版(1995年)には鍾肇政が導読を書いている。鍾肇政は日本統治時代に生まれた台湾の作家で、戦後も文筆活動を継続、つい先週、95歳で亡くなられたばかりであった。
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