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2020年4月23日 (木)

岡本隆司(陳彦含・中国語訳)『朝鮮的困境 : 在日清之間追求獨立自主的歷史』(『世界のなかの日清韓関係史:交隣と属国、自主と独立』)

岡本隆司(陳彦含・訳)『朝鮮的困境 : 在日清之間追求獨立自主的歷史』(台北:八旗文化、2017年)
(原書:『世界のなかの日清韓関係史:交隣と属国、自主と独立』講談社選書メチエ、2008年)
 
 岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史:交隣と属国、自主と独立』はだいぶ以前に読んでいたが(→参照)、こちら(台湾)の大学院の授業で本書の中国語版『朝鮮的困境 : 在日清之間追求獨立自主的歷史』が課題図書となったので再読した。ざっくり言うと、朝鮮・清朝・日本という三国を中心に17世紀から19世紀にかけての東アジアにおける外交秩序の変容を描き出している。
 
 17~18世紀にかけての時期、朝鮮は清朝と宗属関係を結んでいた一方、日本の江戸幕府は清朝と直接の外交関係はなく(中国商人が長崎へ来るだけ)、いわゆる冊封体制から外れていたため、朝鮮と日本との関係は交隣関係とされた。冊封体制は国同士の儀礼的序列が重要な意味を持っていたが、日本はそこから外れていたがゆえに、朝鮮は清朝・日本のそれぞれと異なる原則で関係を維持し、結果的に二つの異なる外交体系が安定的に両立する形になっていた。ところが、19世紀に入り、西洋列強のプレッシャーが高まると、こうした安定的秩序は変化を迫られる。とりわけいち早く西洋的国際法の概念を受け入れた日本は、国際法のロジックに基づき西洋的な条約体制による外交秩序を朝鮮や清朝に対して迫っていく。同時に、伝統的な冊封体制には国際法のロジックでは割り切れない曖昧な部分があるわけだが、清朝もまた従来の宗属関係を読み替えて朝鮮を保護国に位置づけようとし始めたことで、旧来の外交秩序が動揺し始める。こうした外交関係転換の矛盾が最も明瞭に現れたのが朝鮮であったため、本書では朝鮮の外交問題を中心に東アジア国際秩序が変容する様子を描き出していく。
 
 各国それぞれの外交当事者の視点を交錯させながら、一種の人物群像劇のような形で外交関係の変容を描いているところが本書の面白いところである。それぞれが異なる価値観や思惑を背景とした世界認識の枠組みを持っているわけで、そうした視野がぶつかり合い、互いに変化させられながら外交関係が動いていく様子が見えてくる。現代の国際関係理論では、第一にリアリズム(外交アクターの力の均衡を中心とする視点)、第二にリベラリズム(理性的な外交アクターが協調する側面を中心とする視点)、第三にコンストラクティビズム(構築主義、歴史的に形成された規範や認識枠組みが国際関係に与える影響を中心とする視点)の三つの見方があるが、本書はコンストラクティビズムから19世紀東アジアにおける国際関係秩序の変容過程を解析していると言えよう。
 
 日本語原書と中国語版とでタイトルが異なるのが気にかかった。本書は清朝・朝鮮・日本の三国を中心に東アジア国際秩序の変容過程を分析し、その矛盾が最も強く表れたのが朝鮮だったことから朝鮮の外交問題を中心に据えてストーリーが構成されている。朝鮮が向き合わざるを得なかった矛盾に焦点が合わされているという点では、中国語版の『朝鮮的困境』というタイトルは必ずしも間違いとは言えない。ただし、サブタイトルで「在日清之間追求獨立自主的歷史」となっているので、読者にミスリードの可能性を残してしまっている。
 
 と言うのも、本書の一番の眼目は東アジア国際関係史にあり、それは日本語原書のタイトルでもしっかり示されているのだが、授業での台湾人同学たちの発言を聞いていたら、彼らの関心は朝鮮の自主性の問題に集中してしまっていた。やはりタイトルに引きずられてしまっている。自主独立や自力の近代化というテーマを考えるなら、朝鮮内部における思想史的背景も考慮する必要もあるが、本書ではそうした部分にはあまり触れられていない(あくまでも東アジア国際関係史が論点だからやむを得ない)。「朝鮮に自主的な近代化の努力はなかったのか?」「清朝の洋務運動のようなものが朝鮮にはなかったのか?」といった疑問が出され、私からは「本書のポイントはあくまでも外交史であって、そうした問題を本書だけで議論するのは不適切だから、興味があるなら別の本や論文を読みましょう」とコメントしたのだが、分かってもらえたかどうだか。実は、レジュメ担当の同学の発表が終わった後、私から最初のコメントとして「日本語原書と中国語版のタイトルの違いをどう思いますか?」と問題提起してあったのだが、結果的にスルーされて、危惧していた方向に議論が向かってしまった。
 
 日本では朝鮮近代史の研究蓄積が積み上げられているのは知る人ぞ知ることである。私自身も二十年くらい前には、例えば姜在彦の著作をだいぶ読み込んだこともあったので、朝鮮は受動的だったという単純な感想にはちょっと首をかしげてしまった。日本と比べると、台湾では朝鮮史関係の研究は多くないので、歴史を学んでいる同学であっても基礎知識が欠如しているのではないかという印象を受けた。

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