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2020年4月26日 (日)

速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』

速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006年)
 
 著者は周知のとおり歴史人口学の大御所であるが、『大正デモグラフィー──歴史人口学でみた狭間の時代』(速水融・小嶋美代子、文春新書、2004年)を執筆する中で、いわゆる「スペイン風邪」(本書では「スペイン・インフルエンザ」と表記)の重大さに気づいたという。当時のスペイン風邪については内務省衛生局が編纂した『流行性感冒』(『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』[平凡社・東洋文庫、2008年]として復刻)もあるが、それだけでは不十分であり、そこで著者は当時の新聞記事を集める作業から着手した。有力紙ばかりでなく、各県・外地の地方紙まで網羅的に調べ上げてスペイン・インフルエンの流行状況に関する統計データを示し、当時においてこの流行病が猖獗を極めた状況を描き出している。
 
 いわゆる「スペイン風邪」が最初に確認されたのは1918年3月、アメリカ東部においてであった(中国起源説もある)。当時は第一次世界大戦の終盤にさしかかっており、派遣された軍隊を通してヨーロッパ戦線に伝播し、さらに世界中に拡大したものと考えられる。戦時下であったため、各国は情報統制を敷いており、伝染状況の詳細は分からなかったが、中立国のスペインで最初に大々的な報道がなされたことから「スペイン風邪」という名称が定着した。「スペイン風邪」は全世界で膨大な死者を出したが、ちょうど第一次世界大戦と重なっていたため、その衝撃が若干薄くなり、そのため記憶もすたれていったと言われる。
 
 本書では台湾にも紙幅が割かれているので、その部分についてメモしておく。本書によると、台湾では1918年6月に基隆でインフルエンザが発生し、同年12月にはいったん収束へと向かった。これが「前流行」とされる。次に、1919年12月から軍隊を起点として「後流行」が始まったが、翌年3月に入ると関係する新聞記事は見られなくなるという。日本と比べると、台湾でのインフルエンザは短期間の流行で終わっており、死者数は合計118922人で、死亡率に関しては内地人よりも本島人の方が若干高い。なお、1918年には日本から台湾へ来て巡業中の力士が原因不明の熱病で倒れて何人か亡くなっており、これもインフルエンザだったのではないかと指摘されている。
 
 「前流行」が基隆で始まった頃、香港でもインフルエンザが流行していたことから、船舶経由で基隆へと伝播し、さらに台湾各地に広がったものと考えられる。他方、「後流行」は軍隊への新入営兵から始まっている。歴史的に見て感染症の拡大において船と軍隊というのが重要な要因であり、今も昔も密閉集団でクラスター感染が起こっていた点は同じである。現代ならば、日本でも深刻な問題となったクルーズ船があろうし、グローバルな交通手段としての飛行機、さらにクラスター感染を引き起こす通勤電車が考えられるし、また軍隊同様の「強制性」を持つ組織集団としては一部の会社も同様の条件を備えていると言えよう。台湾では今年4月下旬、海軍の訓練艦から感染者が広がったことが衝撃を与えた。また、スペイン・インフルエンザの当時も興行自粛の要請が行われていたことも現在の状況と二重写しになり、現在と100年前を比べると、未知の感染症が拡大しつつあるときの基本的条件は今も昔もほとんど変わらないということに改めて感じ入る。

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