石光真人編著『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』
石光真清『城下の人』を読んだついでに、石光真人編著『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(中公新書、1971年)にも目を通した。編者の石光真人は石光真清の息子で、東京日日新聞(毎日新聞)記者。石光真人は父真清の関係で往来のあった柴五郎から紙面にしたためられた回想録を託され、それを校訂・整理した上で刊行されたもの。
熊本人の石光家と会津人の柴五郎との間にどのような関係があったかと言うと、石光真清の伯父にあたる野田豁通の家で柴五郎は書生をしていたことがある。戊辰戦争で敗れた会津藩士の一部は青森の斗南藩へ移されたが、柴が青森県庁に給仕として働いていたとき、知事として赴任してきた野田に認められ、その縁で東京へ出て、陸軍幼年学校、士官学校を卒業した。後に石光真清が野田を頼って東京へ出てきたときに、野田の指示で柴五郎の家へ預けられ、それ以来、石光真清と柴五郎とは親しい関係にあった。
本書の第一部は柴五郎の回想録である。回想録と言っても、柴の全生涯にわたるものではなく、会津落城から苦節をなめた青少年期の記憶である。会津落城以来の薩長への反抗心は骨身にしみており、西郷隆盛・大久保利通が仆れたことに関しても心から喜んだと記している。第二部は編者・石光真人によって「柴五郎翁とその時代」と題して記された略伝である。
柴五郎は第一に中国通であり、第二に台湾軍司令官を務めていたことがあるので(1919~21年)、台湾に関しても何がしかの記述があるのかと期待していたのだが、ほとんど何も言及されていなかった。台湾軍司令官に任命されたのも、中国通として買われたというより、閑職に回された側面が強いらしい。
ただ、以下の記述があったので、これだけメモしておく。
「明治六年、皇城炎上。西郷隆盛等、征韓論に破れて参議を辞し、薩摩に帰り不穏なり。明治七年江藤新平の佐賀の乱あり。台湾蕃族討伐、日清談判等の事件ありて、第二次の騒乱近きを思わしむるものあり。山川大蔵、根津の邸を出て急ぎ九州に赴く。このころ台湾の蕃族の少女捕われて銀座に見せ物となり、余もこれを見物せり。」(108頁)
おそらく、台湾出兵で捕らわれたパイワン族の少女なのであろう。詳細を知らないので、時間を見つけて調べてみたい。
柴五郎については義和団事件の時の北京籠城でも有名だが、そちらに関しては柴五郎の講演録「北京籠城」が、服部宇之吉の手記「北京籠城日記」「北京籠城回顧録」と共に東洋文庫で刊行されている(大山梓編『北京籠城・北京籠城日記』平凡社・東洋文庫、1975年)。
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