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2019年2月 1日 (金)

桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす──混血する古代、創発される中世』

桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす──混血する古代、創発される中世』(ちくま新書、2018年)
 
 「武士」の起源について、従来の学説ではきちんと説明されてこなかった、というのは驚いた。本書では「武士」の成立過程について、官職にあぶれて地方の所領に利権を求めた王臣子孫と、現地社会における有力古代氏族との融合という視点から説明を試みている。既存の見解に対する挑戦的な筆致が面白い。 
 
・新参者の王臣子孫が坂東の社会に溶け込んだ→「本来なら排除されるべきよそ者が、その既成の社会に受け入れられ、溶け込み、同化させてもらえたのは、彼らが持つ唯一の価値ある財産=貴姓を手土産にしたからだ。地方豪族の婿になり、彼らの孫を貴姓にする形で、王臣家は自分の貴姓を彼らに与え、ギブ・アンド・テイクの関係で融合し、しかもそうした融合は何世代もかけて何重にも結ばれた。八分の七も現地豪族の血が流れる藤原秀郷は、その最も典型的な成功例だ。」「その結果完成したのが、看板だけ藤原氏で実質的に現地豪族である“藤原秀郷”という作品だった。」(236頁)
 
・「国造の時代から何世紀もかけて形成された、古代の郡司富豪層の地方社会に対する支配的地位と、彼らの濃密なネットワークに、血筋だけ貴い王臣子孫が飛び込み、血統的に結合して、互いに不足するもの(競合者を出し抜くための貴さと地方支配の力)を補い合った。そして秀郷流藤原氏は蝦夷と密着した生活から、源平両氏は伝統的な武人輩出氏族(将種)の血を女系から得て、傑出した武人の資質を獲得した。武士とは、こうして【貴姓の王臣子孫×卑姓の伝統的現地豪族×準貴姓の伝統的武人輩出氏族(か蝦夷)】の融合が、主に婚姻関係に媒介されて果された成果だ。武士は複合的存在なのである。」(269頁)
 
・「武士の内実は地方で、制度を蹂躙しながら成立・成長したが、京・天皇が群盗に脅かされた時、それを「武士」と名づけて制度の中に回収し、形を与えたのが京の宇多朝であり、その背後には「文人」と「武士」を両立させる宇多朝特有の《礼》思想的な構想があった。武士は、王臣家の無法や群盗の横行という形で分裂を極めた中央と地方に、再び結合する回路を与えた。滝口経験者として坂東の覇者となった将門は、まさにその体現者だ。」「武士は、京でない場所(地方)だからこそ生まれた。しかし、地方の土地や有力豪族の社会だけからは、「武士」という創発に結実する統合は起らなかった。そこに、王臣子孫という貴姓の血が投入されて、初めてその統合・創発は始まるのである。」(318頁) 
 
 中世において地方では土地の収奪競争が激化し、混乱を極めていた。国司襲撃も頻発しており、位階を持つ王臣子孫はそうした事件を起こしても大した罪には問われなかった。地方豪族と王臣子孫との融合として成立した「武士」は、むしろ地方社会での紛争裁定者としての役割が期待されていた。平将門の場合は、紛争裁定のつもりで武力を行使し、当事者の片方に肩入れし過ぎ、やり過ぎたことで規模が拡大したが、「新皇」を名乗ったという特殊性を除けば、必ずしも例外的ではなかったという。「武士」は地方と中央との融合的存在として扮装調停者の役割を果たそうとしていたからこそ、後になって「幕府」として統治を志向するようになったのではないかと本書では指摘されている。

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