D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判「神話」の解体──パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』
D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判「神話」の解体──パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』(ちくま新書、2018年)
東京裁判をめぐっては玉石混淆を問わずおびただしい研究成果が生み出されてきた。現時点で代表的なものと言えば、歴史学としての粟屋憲太郎『東京裁判への道』(上下、講談社選書メチエ、2006年)、国際関係史の枠組みから論じられた日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書、2008年)といったあたりが挙げられるだろうか。ただ、いずれもタテ・ヨコの相違はあっても、広義の政治史の範疇に属する。これらに対して、本書は純粋に法理学の立場から東京裁判の判決書を分析しているところに特色がある。
東京裁判では戦勝国から11人の判事が選任されており、判決では多数派判決の他、パル、レーリンク、ウェブ裁判長などがそれぞれ反対意見や個別意見を提出したことはよく知られている。本書は多数派判決、パル判決、レーリンク判決、そしてウェブの判決書草稿のそれぞれが分析されている。
多数派判決は共同謀議の枠組み作りにこだわるあまり、個々の被告の罪状認定がおろそかにされていたという欠点がある。では、反対意見はどうであったか。例えば、パル判決は東京裁判の成立根拠を根本的に否定していたため、日本で人気が高い。しかしながら、法理学の立場から分析する本書によると、彼の判決書は政治的主張ばかり押しだされて法的根拠に乏しく、裁判官としての資質に問題があると酷評されている。また、レーリンク判事は政治的配慮に流されてしまい、便宜主義的な矛盾が見られるという。
意外なことに、本書が最も高く評価するのはウェブ裁判長によって執筆された判決書草稿である(なぜ意外かと言えば、ウェブ裁判長は短気で強引な性格のため、当時の裁判関係者から判事としての資質に疑問が投げかけられていたからである)。ウェブは最終的には多数派判決に従ったが、必ずしも全面的に同意していたわけではなく、個別意見を付していた。彼はその個別意見とは別に、完結した判決書草稿を用意してあったが、結局、裁判所には提出されなかった。本書ではその草稿を掘り起こして分析が進められているが、ウェブはまず適用されるべき法的基準を明示し、個々の被告が有罪になった法的結論について一貫した説明を行っている点で、法的観点からすると他の判決書よりも優れた内容になっているという(もちろん、個々の事実認定においては問題もあるにせよ)。
本書でなぜ東京国際裁判(及びニュルンベルク国際裁判)における個人責任追及の法的論理が重視されているかというと、旧ユーゴ国際刑事裁判やルワンダ国際刑事裁判など現代の国際戦争犯罪法廷を成立させる判例として認められているからである。戦争犯罪の個人責任追及は東京裁判やニュルンベルク裁判で初めて定式化されたという判例上の意義は、実は国際法や平和構築といった分野では常識的な論点なのだが、現代史に偏重した論者にはこうした東京裁判の現代的意義はしばしば見過ごされている。新書版という入手しやすい形式で本書が刊行されたことは、東京裁判をめぐる歴史的認識と国際法的認識とのギャップを埋め、現代的意義につなげていく上で有益と言えよう。
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