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2019年1月25日 (金)

藤原辰史『給食の歴史』

藤原辰史『給食の歴史』(岩波新書、2018年)
 給食は単なる食事ではない。学校は様々な出身背景の子供たちが一箇所に集まって一定期間、共同生活を営む空間である。例えば、弁当持参とした場合、貧困家庭の子供たちは弁当を用意できなかったりすることもあり、昼食の時間は均一の生活空間の中で、家庭背景に由来する相違が顕著に可視化される機会ともなり得る。そのため、給食は子供たちにもたらされかねない貧困のスティグマを回避するという原則が重要となる。また、教育を受けている期間は健康な身体を形作る上で重要な時期であり、給食は社会的インフラとして基本的な役割を果たしていると言えよう。
 見方を換えれば、給食には様々な社会的要因が凝縮されている。本書は、福祉政策、教育政策、農業政策、災害対策など様々な側面から学校給食の歴史的背景を検討しており、論点は政治や対外関係などにも及ぶ。例えば、占領期において脱脂粉乳や小麦粉食が奨励された一因として、アメリカの余剰農産物の消化という政治力学も働いており、日米間の権力関係が間違いなく作用していた。また、給食の平等主義的側面に対して反共主義との関わりから批判を受けたりしたのも冷戦期の時代状況が垣間見える。
 行政側で財政状況が悪化すれば、食は人にとって根源的な要請であるにもかかわらず、新自由主義的な風潮の中で給食関係予算の削減が争点化しやすい。また、食を家庭に戻そうという、耳障りは良いが復古的なイデオロギーからの批判にもさらされている。もちろん、全体的に言って給食の問題は改善されてきた。本書では、保護者、教職員、学校栄養職員、調理師など現場の関係者の運動によって改善されてきた経緯に注目しており、その意味で給食制度の歴史ではなく、こうした人々の運動史として構成されている。
 本書で紹介されている「すずらん給食」の事例では、かつては飢饉に苦しんだ地方と中央との格差が給食の必要性の論点となっていたが、現在でも格差的構図は「子どもの貧困」という問題領域の中で見て取れる。自助努力を強調する極端な自由主義的思想はそもそも出発点における不公正を無視する傾向があるが、貧困は子供自身の責任には由来しない家庭要因によるというだけでなく、子供時代における食生活は将来的な健康にも影響するという意味で取り返しのつかない問題であり、そうした意味で給食は根源的な意義を有する。本書で整理された給食をめぐる歴史的考察は、食と社会的公正との関わりを考えていく上で有用な論点を提示してくれる。

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