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2019年1月

2019年1月31日 (木)

【映画】「ナチス第三の男」

【映画】「ナチス第三の男」


 ナチス親衛隊のナンバーツーであったラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Tristan Eugen Heydrich、1904-1942)。親衛隊やゲシュタポのトップであったヒムラーの右腕として辣腕を振るい、ヴァンゼー会議を主宰していわゆる「ユダヤ人問題の最終的解決」を策定したことでも知られる。この映画は1942年に起こったハイドリヒ暗殺事件を焦点として、前半ではハイドリヒが冷酷な手段でのし上がっていく様子が、後半ではチェコスロヴァキア亡命兵による暗殺成功までのプロセスとナチスによる凄惨な報復のあり様が描かれている。

 ハイドリヒはもともとエリート海軍士官であったが、女性関係のスキャンダルから不名誉除隊。失意の中、ナチスへ入党した。ヒムラーに見出されて親衛隊の諜報部門を任され、レーム粛清を主導し、ナチス内部で瞬く間に出世していく様子が映画前半で描かれる。国防軍将軍を脅してユダヤ人処理に協力させるシーンがあるのは、ならず者がドイツを乗っ取ったという捉え方を踏襲しているように見えるが、その是非については私はよく分からない。ベーメン・メーレン保護領(チェコ)副総督としてプラハへ赴任、暗殺の瞬間でいったん画面が止まり、次にイギリスから送り込まれたチェコスロヴァキア亡命兵の潜伏生活シーンへと切り替わる。

 ヒムラーとレームを除くと、ヒトラーをはじめとしたナチス要人は映画中に登場せず、暗殺される者、暗殺する者、双方の人間模様にしぼってストーリーが構成されている。映画中の設定では、ハイドリヒは妻の勧めでナチスへ入党したことになっており、当初は妻が主導していたにもかかわらず、彼が出世するにつれてモンスターへと変貌していく様に妻は戸惑う。チェコスロヴァキア亡命兵は、潜伏生活の中で、支援者女性と当初は偽装の関係から本物の恋人関係へ発展していくが、暗殺が成功すれば、生きて帰ることはほぼあり得ない。それどころか、関係者には死の報復が待っている。人間性を失っていくハイドリヒ。関係者すべての死を覚悟した暗殺実行者の行動。それぞれ質は異なれど、ヒューマニティーが磨滅していく姿に、暗澹とした気持ちになってきた。原題は「The Man with the Iron Heart」(鉄の心を持つ男)となっており、これはヒトラーがハイドリヒを評した言葉とされるが、この映画では友や恋人の死までも覚悟して暗殺を実行した亡命兵たちもその対象に含めているのだろう。

 原作はローラン・ビネ(高橋啓訳)『HHhHプラハ、1942年』(東京創元社、2013年)。タイトルは「Himmlers Hirn heißt Heydrich」(ヒムラーの頭脳、すなわちハイドリヒ)という表現に由来する。なお、監督はフランス人で、映画中での台詞は英語である。

【データ】
監督:セドリック・ヒメネス
2017年/フランス・イギリス・ベルギー/120分
(2019年1月31日、TOHOシネマズ・シャンテにて)

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2019年1月29日 (火)

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』

フィリップ・ロス(柴田元幸訳)『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』(集英社、2014年)
 
 1940年、もしもアメリカ大統領選挙でリンドバーグがフランクリン・ローズヴェルトを破って大統領に当選していたら──?
 
 チャールズ・リンドバーグ(1902-1974)は大西洋単独無着陸横断飛行や北太平洋横断飛行を成功させた空の英雄として有名であり、その著書『翼よ!あれがパリの灯だ』は映画化もされた。他方で、彼がドイツへ渡ってゲーリングから勲章を授与され、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツ支持の論陣を張っていたことも、現代史に関心のある人々にはよく知られた事実である。
 
 フィリップ・ロスは、自分自身の幼年時代と思しき主人公の視点を通して、リンドバーグが共和党候補として出馬して当選した仮想世界を舞台に、アメリカのユダヤ人社会が動揺する様子を描き出している。アメリカにはもともと、外交的には孤立主義を選ぶ傾向が強かった。前年の1939年にはナチス・ドイツがポーランドを侵攻して第二次世界大戦が始まっており、戦争に引きずり込まれかねないという不安に対して、リンドバーグは「自分ならヒトラーと話をつけられる」と主張して国民から圧倒的な支持を受け、ローズヴェルトの三選を阻止した。
 
 フィリップ・ディック『高い城の男』は、アメリカが第二次世界大戦に敗れて、ナチス・ドイツと大日本帝国によって分割占領、傀儡国家が樹立されたディストピアを設定していたが、本書『プロット・アゲンスト・アメリカ』は戦争中におけるリンドバーグの当選によってファッショ化するアメリカを描いている。タイトルは、アメリカに対する陰謀(plot)とも読めるし、現実のアメリカとは異なる筋書き(plot)が進んだとも解釈できる。この作品での仮想世界は1942年で終わっているが、回想の形を取っており、表現の端々から戦争末期にはローズヴェルト政権が復活し、戦後のロバート・ケネディ暗殺のエピソードにも触れられているので、リンドバーグ政権は歴史の一時的ねじれとされており、再び現実の歴史に戻っていくことがうかがわれる。
 
 アメリカがファッショ化するという設定は、実際にあり得ないことでもなかっただろう。例えば、当時の共和党陣営にはリンドバーグを担ぎ出そうとする動きもあったらしい。あるいは、三宅昭良『アメリカン・ファシズム』(講談社選書メチエ、1997年)で論じられているように、ルイジアナ州知事ヒューイ・ロングはポピュリスティックな政治手法で台頭し、ローズヴェルトを脅かす勢いを示していた(ただし、暗殺された)。ロングは映画「オール・ザ・キングスメン」のモデルとしても知られる。リンドバーグの副大統領候補には元民主党左派出身のウィーナーを設定しているあたりにも、例えば労働党出身でイギリス・ファシストの指導者となったモーズリーや、フランス社会党出身でヴィシー政権首相となったピエール・ラヴァルといった左派出身者がいたことを想起させ、ディテールの設定もよく練られているように思った。
 
 訳者解説によると、ロス自身は1940年代という時代への関心から執筆したのであって、こうした政治シミュレーションそのものを目的としているわけではないらしい。ただ、2016年にトランプが大統領に当選してしまったという、それこそ小説的な展開が実際に起こってしまったことを考え合わせると、荒唐無稽とは言えない不思議なリアリティーすら感じられてくる。

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2019年1月25日 (金)

藤原辰史『給食の歴史』

藤原辰史『給食の歴史』(岩波新書、2018年)
 給食は単なる食事ではない。学校は様々な出身背景の子供たちが一箇所に集まって一定期間、共同生活を営む空間である。例えば、弁当持参とした場合、貧困家庭の子供たちは弁当を用意できなかったりすることもあり、昼食の時間は均一の生活空間の中で、家庭背景に由来する相違が顕著に可視化される機会ともなり得る。そのため、給食は子供たちにもたらされかねない貧困のスティグマを回避するという原則が重要となる。また、教育を受けている期間は健康な身体を形作る上で重要な時期であり、給食は社会的インフラとして基本的な役割を果たしていると言えよう。
 見方を換えれば、給食には様々な社会的要因が凝縮されている。本書は、福祉政策、教育政策、農業政策、災害対策など様々な側面から学校給食の歴史的背景を検討しており、論点は政治や対外関係などにも及ぶ。例えば、占領期において脱脂粉乳や小麦粉食が奨励された一因として、アメリカの余剰農産物の消化という政治力学も働いており、日米間の権力関係が間違いなく作用していた。また、給食の平等主義的側面に対して反共主義との関わりから批判を受けたりしたのも冷戦期の時代状況が垣間見える。
 行政側で財政状況が悪化すれば、食は人にとって根源的な要請であるにもかかわらず、新自由主義的な風潮の中で給食関係予算の削減が争点化しやすい。また、食を家庭に戻そうという、耳障りは良いが復古的なイデオロギーからの批判にもさらされている。もちろん、全体的に言って給食の問題は改善されてきた。本書では、保護者、教職員、学校栄養職員、調理師など現場の関係者の運動によって改善されてきた経緯に注目しており、その意味で給食制度の歴史ではなく、こうした人々の運動史として構成されている。
 本書で紹介されている「すずらん給食」の事例では、かつては飢饉に苦しんだ地方と中央との格差が給食の必要性の論点となっていたが、現在でも格差的構図は「子どもの貧困」という問題領域の中で見て取れる。自助努力を強調する極端な自由主義的思想はそもそも出発点における不公正を無視する傾向があるが、貧困は子供自身の責任には由来しない家庭要因によるというだけでなく、子供時代における食生活は将来的な健康にも影響するという意味で取り返しのつかない問題であり、そうした意味で給食は根源的な意義を有する。本書で整理された給食をめぐる歴史的考察は、食と社会的公正との関わりを考えていく上で有用な論点を提示してくれる。

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