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2018年5月28日 (月)

平川信『戦国日本と大航海時代──秀吉・家康・政宗の外交戦略』

平川信『戦国日本と大航海時代──秀吉・家康・政宗の外交戦略』(中公新書、2018年) 
 16世紀に渡来したポルトガル人やスペイン人を通して日本は初めて西洋文明と邂逅したが、他方で来日した宣教師の間で日本征服をめぐる議論が交わされていたこともすでに知られている。中には日本のキリシタン大名を動員して明を征服しようとする意見まで出ていたという。ポルトガルとスペインはトルデシリャス条約(1494年)によって世界二分割をすでに取り決めていたが、こうした世界情勢への対応として豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗たちの外交戦略を捉えようとするのが本書の趣旨である。 
 第一に、秀吉の朝鮮出兵は、ポルトガル・スペインによる世界征服計画への対抗策であったと主張される。両国が明を征服し、日本にまで手を伸ばそうとする前に先手を打とうという発想があったと考えられ、スペインのフィリピン総督やポルトガルのインド副王にまで服属要求の使者を派遣したのはそうした発想の表れであったと解釈される。 
 第二に、朝鮮出兵という大規模な軍事行動を秀吉が実施したことは、ポルトガルやスペインにとっては衝撃的であり、両国に日本の武力征服を断念させ、かわって布教による間接的征服へと方針転換をさせたとされる。実際にスペインのフィリピン総督は秀吉からの服属要求を受けた際に危機感を抱き、マニラで厳戒体制を敷いた。戦国時代に各地で割拠した大名が軍拡競争を行っていたことにより当時の日本には世界でも有数の軍事力が蓄積されており、それは豊臣政権、徳川政権を通して一元化された。ヨーロッパ列強にもたらされた軍事大国日本というイメージは江戸時代にも持続し、そうであるがゆえにイギリス・オランダもいわゆる「鎖国」という管理貿易体制の中に組み込むことができた。言い換えると、豊臣政権・徳川政権期に形成された軍事大国イメージによって日本はヨーロッパ列強による植民地化を免れたのだと本書では主張されている。 
 第三に、本書では伊達政宗の慶長遣欧使節についても紙幅を割いているが、戦国大名型外交から徳川政権の一元外交への転換点として位置付けている。 
 秀吉の朝鮮出兵をポルトガル・スペインの世界戦略への対抗として捉える議論は十分にあり得るように思うが、この分野について私は専門知識を有していないので判断はなかなか難しい。いずれにせよ、当時の世界情勢の中で日本の対外政策を論じる際には検討すべき論点だろう。

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