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2018年2月11日 (日)

橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』

橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ、2017年)
 
 本書では丸山眞男『日本政治思想史研究』と山本七平『現人神の創作者たち』とを詳細に読み解きながら、二人の比較論という形式を通して主に丸山理論への批判が展開される。丸山が江戸時代の政治思想史研究を通して、日本における近代的思惟の萌芽として荻生徂徠の「作為の思想」を見出したことはよく知られている。ところが、著者は徂徠の「作為」は「近代」の指標とはなり得ず、明治維新との思想的連関も認められないと疑問を呈する。そもそも、「近代」という概念が曖昧である。
 
 そこで、著者は、日本における「近代」的なナショナリズムを準備した尊王思想へと議論の焦点を移し、その源流としての山崎闇斎及び闇斎学派について丸山と山本がそれぞれどのように論じていたのかを検討する。実は丸山『日本政治思想史研究』には闇斎学派に関する議論が欠落しており、そのため丸山が晩年になって書いた論文「山崎闇斎と闇斎学派」と、山本七平がほぼ同時期に発表した『現人神の創作者たち』との比較論へと進む。そして、丸山の闇斎学派理解は混乱しているのに対して、山本の議論は闇斎学派の思想史的位置づけを適確に見抜いていたと評価される。
 
 江戸期において朱子学は「普遍的理論」とみなされており、朱子学者たる山崎闇斎も朱子学のロジックに基づいて日本の政治システムを記述しようとした。闇斎学派の議論には三つの特徴があり、第一に「湯武放伐」が否定される。王朝の交代が肯定されると「忠」の対象が混乱してしまうからである。対して、第二に、「万世一系の天皇」が存在する日本の政治システムの方が中国よりも優れていると主張された。このように天皇の伝統が、朱子学の「普遍的理論」により合理化・正統化され、本来は非政治的であった神道が天皇を中心とする正統性の政治哲学に書き換えられた。いわば、神道の朱子学化である。第三に、忠孝一如が主張された。中国では、政治的領域における「忠」と親族等の領域における「孝」とで忠誠の次元が異なり、前者は条件的忠誠、後者は絶対的忠誠を意味する。ところが、イエ社会たる日本では両者が重なり合っており、「忠」が絶対化された。こうして、「湯武放伐」の否定と「忠孝一如」により尊王思想が準備された。
 江戸時代の朱子学は武士階層による統治を正当化するイデオロギーとして作用していたが、闇斎学派は神道と結びつき、神道には本来的に身分がなかったので、身分の垣根を越えて天皇のもとに参集するというロジックが用意され、「われわれ日本人」意識の形成に寄与する。こうした闇斎学派の思想(とりわけ、浅見絅斎が重要)は、歴史や文化の共有意識をもとに運命共同体を形成し、集権的な政治秩序を成立させるという意味で国民国家という近代的政治事象へとつながり得る契機を秘めていた。
 
 著者によると、山本七平はこうした勘所を押さえていたが、丸山眞男は分かっていなかった、いや、むしろ、皇国史観の源流たる闇斎学派については敢えて触れたくなかったのかもしれない。丸山は皇国史観に対する逆張りとして荻生徂徠に注目し、それがそのまま戦後の市民主義的思潮に受け入れられたが、丸山自身は徂徠から「作為の思想」を見出そうとしたかつての自らの議論が成り立たないことに薄々気づきながらも、取り下げられなかったのではないかとも推測している。

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