【映画】「花咲くころ」
【映画】「花咲くころ」
1992年、ジョージア(グルジア)の首都・トビリシ。中学校に通う二人の少女、ニカとナティアは無二の親友。大人へと背伸びしたい年ごろ。悪ガキどもからちょっかいを出されたりもするが、権威主義的な教師に退席を命じられると、彼らも含めクラスメートも一緒に外へ飛び出したり、意外と連帯感がある。
トビリシの歴史を感じさせる古びた石造りの街並み。坂の多い街で、年代もののロープウェイも現役だ。郊外に出れば、木々の豊かな緑と小川のせせらぎが、気分をホッとさせる。アパート群は旧ソ連時代のものか。これらを背景に少女たちが闊歩し、にわか雨に見舞われたら、土砂降りの中を駆けていく姿は絵になる。配給の行列に並ぶ喧噪も、少女たちにかかれば楽しそうだ。大人びたナティア、どこか生真面目なニカ、二人ともそれぞれに凛々しく、美しい。
しかしながら、二人とも複雑な家庭事情を抱えていた。ニカの家には父の姿がない。ナティアの父は飲んだくれて、母に暴力を振るっている。そう言えば、街中を歩いているのも女性、子供、老人ばかりで、男性が少ないように見える。いるとしても、チンピラか、銃を抱えた物騒な奴らばかり。人々の会話やラジオから聞こえてくるツヒンヴァリ(南オセチアの首都)、アブハジアといった地名は内戦を暗示している。どこか殺伐とした空気。ナティアは恋人から護身用にとピストルを渡された。
映画の中盤で、ナティアがそれまで付きまとわれていた男に誘拐される。その場にいたニカが止めようとしても力が及ばない。周囲の人は傍観するばかり。略奪婚の風習がいまだに残っていた。内戦、男性優位の伝統──穏やかなように見えた街の中に暴力が日常的に浸透している現実に、ハッと気づかされる。
ナティアは略奪婚の現実をやむを得ず受け入れようとする。彼女は誕生日に実家へ戻り、おばあちゃんがバルコニーにしつらえてくれた食卓で親友のニカと二人向き合い、ワインで乾杯。「ほら、ちゃんと飲めたよ」「私もよ!」──大人になるには、過酷な現実と向き合わなければならない宿命と表裏一体だ。この直後に起こった悲劇はナティアを絶望に陥れる。
映画の終盤、ニカは二つの決断をした。まず、ナティアの持っていたピストルを取り上げ、湖の中に投げ捨てた。ナティアが復讐のため引き金を引くのを恐れたからだ。そして、父が服役している刑務所まで面会に行く。ニカの父は、いつも彼女にちょっかいを出す悪ガキの父親を殺害していた。暴力の連鎖を断ち切るためには、過去を直視しなければならないと思い定めたのだろう。
この映画では、少女たちの青春のきらめきを切り取った映像的美しさと、そこからうっすらと内戦の傷跡が浮かび上がってくるコントラストが見事に描き出されている。
岩波ホールには久し振りに来たが、創立50周年記念らしい。ロビーにこれまで上映されて来た作品のポスターが貼り出されているが、見ているとなつかしくなってくる。私が初めて来館したのは確か1995年で、インドネシア映画「青空がぼくの家」、タイ映画「ムアンとリット」、それからグルジア映画祭として上映された3本のうち「若き作曲家の旅」と「青い山」を観た。そう、グルジア映画と出会ったのは岩波ホールだった。他にもテンギズ・アブラゼ監督「懺悔」もここで観た。
DVDやネットでも映画は観られるが、映画館で観ると、その時どきの自分自身の境遇と結び付いて思い出されてくるので、なつかしさもひとしおに感じられる。
2013年/ジョージア・ドイツ・フランス/102分
(2018年2月15日、岩波ホールにて)
(2018年2月15日、岩波ホールにて)
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