松村介石について
ちょっと必要があって松村介石(1859-1937)について調べている。とりあえず、松村介石『信仰五十年』(道会事務所、1926年/伝記叢書213、大空社、1996年)と加藤正夫『宗教改革者・松村介石の思想──東西思想の融合を図る』(近代文芸社、1996年)を参照した。後者は前者を祖述している感じの内容。
松村介石は1859年に明石藩士・松村如屏の次男として生まれた。幼少期から漢学に親しみ、父からは学問をするよう励まされていた。1875年、神戸に出て英学を修め、さらに1876年に上京。入学した玉藻学校が閉校したため、ヘボン塾に入る。彼は英学を学ぶのを目的としており、キリスト教を受け入れるつもりはなかったが、横浜で宣教師ジョン・バラの影響を受けて1876年にキリスト教に入信した。横浜バンド出身の初期キリスト者と言える。高等師範学校の入試に失敗した後、バラの勧めで小学校教師や聖書講義の英語通訳をしながら苦学した。築地大学の舎監として働きながら一致神学校に入るが、宣教師の態度に疑問を感じ、喧嘩して退学した。
新聞記者になろうと考え、紹介を受けて大坂で島田三郎が経営する立憲新聞社を訪ねるが、関西のキリスト者から説得され、1882年に岡山県の高梁教会の牧師となった。1885年、組合協会の機関誌『福音新報』主筆として大阪へ出る。さらに、土居香国、伴直之助らと共に日刊紙『太平新報』を発刊するが、3か月で廃刊となった。1887年には浮田和民と交代する形で『基督教新聞』主筆となる。同年冬には押川方義の勧めにより山形英学校へ赴任した。この頃から特定の宗教には偏らない精神講話を始めている。さらに北越学館教頭として赴任するが、1891年の大晦日に辞職して東京へ来た。東京ではキリスト教青年会講師として講演活動を行うほか、1893年には戸川残花と共に雑誌『三籟』を創刊、1900年には雑誌『警世』を刊行した。
松村介石は内村鑑三、植村正久と共に「三村」と並び称されるほど明治期キリスト教では注目されていた。彼の論説は人格的修養に重きを置く形で信仰を説き、キリスト教に限らず古今東西の偉人たちを取り上げて説教するところに特徴がある。例えば、彼はキリスト者にも意外と俗物が多いとした上で次のように記している。「ソコで之れは亦た怎したものであらうかと考へたが、之れは今日の基督者があまりに、保羅やルーテルの主張したる他力的信仰に重を置て、基督や、ヤコブの称へたる人格修養、即ち自力的方面に其力を用ゆることが尠いからであると、気が着いた。ソコで予は修養を云ふことを高唱して、爾来陽明学を基督教に入れて、大に神魂の鍛錬を奨励したものであった」(『信仰五十年』50頁)。こうした考え方から特定の宗教にはこだわらない精神講話を行い、それを基にした『立志之礎』(警醒社、1889年)や『阿伯拉罕・倫古龍(アブラハム・リンカーン)傳』(警醒社、1890年)といった書籍は当時としてはベストセラーになった。
1907年には「日本教会」を設立する。当初は日本的キリスト教の枠内のつもりであったが、1912年に「道会」と改称してからはキリスト教とは一線を画すようになる。松村介石は自由基督教の集まりに出席したとき、「我等はすでに基督を孔子やソクラテスと同一のような聖人としている。それ故にわが教会では基督が居なくても存在することができるが、これでも矢張り基督教会といえるであろうか」と発言している。海老名弾正など出席者から、それはキリスト教会ではない、と異口同音に言われ、そのまま退席したという(『信仰五十年』188-189頁)。「道会」には四つの綱領があり、「一、信仰。二、修徳。三、愛隣。四、永生。信仰とは宇宙の神を信ずるを謂ふ。修徳とは、自己一身の修養を謂ふ。愛隣とは、人と国家の為に尽すを謂ふ。永生とは、人格の不死を謂ふ。」(『宗教改革者・松村介石の思想』)
松村は1914-15年にかけてヨーロッパ・中国へ視察旅行に赴き、帰朝後は日本回帰が顕著になる。1916年に拝天堂を建立。若き日の大川周明も1910年に日本教会へ入会し、毎号のように機関誌『道』に寄稿して、「道会」で大きな存在感を示していた。松村は押川方義や大川周明の影響もあり、文化的亜細亜主義へと傾倒し、日本民族は東洋の指導者となって全世界に王道を布くべきと主張するようになった(『宗教改革者・松村介石の思想』205頁)。政治家とも関りを持ち、政治的に保守化していく。
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