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2018年2月13日 (火)

清水真人『平成デモクラシー史』

清水真人『平成デモクラシー史』(ちくま新書、2018年)
 
 宮澤喜一政権末期における政治改革騒動から細川連立内閣までの政権交代劇は、ちょうど私が高校から大学にかけての時期のことだった。それ以来、政局ウォッチを続けていた私としては、本書を通読してまず、懐かしい思いがした。
 
 本書は第一章で現在進行形の政局についてコメントした上で、第二章「政治改革と小沢一郎」で自民党政権末期の政治改革から非自民連立政権までを振り返り、以降、第三章「構造改革の光と影」(自社さ政権から橋本・小渕政権)、第四章「小泉純一郎の革命」、第五章「ポスト小泉三代の迷走」(第一次安倍、福田、麻生)、第六章「民主党政権の実験と挫折」(鳩山、菅、野田)、そして第七章「再登板、安倍晋三の執念」という流れで平成政治史を描写している。
 
 かつての自民党長期政権における政官業一体の分配システムは、国対政治を通して雇うまで取り込み、「コンセンサス型デモクラシー」を形成していた。経済的資源の再分配を基調としてこのシステムは、右肩上がりの経済成長を前提として何とか機能していた。ところが、再配分できるリソースが限界に達すると、政策順位によってメリハリをつける必要がある。コンセンサスではなく、リーダーシップによる裁定で不満を抑えねばならない局面も出てくる。そこで、政治的リーダーシップを確立するため、政権選択と首相主導をセットにした統治構造の改革が模索され、政権選択選挙をテコに期間限定で多数派による統治の権限と責任を明確にする「多数決型デモクラシー」へと移行しつつあるというのが、本書の基本的な認識である。
 
 政権選択を前提とするなら、裏返すと、政権交代の可能性も常に意識しなければならない。だからこそ、政権運営の緊張感も生まれる。そうした「反転可能性」意識をもとに、対立政党とも共通の基盤があってこそ、政権競争のフェアなルールが醸成されるはずだが、現状はそうなっているだろうか? 野党の力量の問題もあるにせよ、現安倍政権が繰り返す小刻みな解散は、野党の態勢が整う前に奇襲攻撃を仕掛けているようなもので、有権者に政権選択の余地を敢えて与えようとしていない。そうした意味で政権維持のためのリアリズムとして首相の解散権が濫用されているように受け止められる。ルール形成による長期的な展望ではなく、その場限りの勝利を目指す短期志向は、本書で引用されるように「つぎつぎになりゆくいきほひ」(丸山眞男「歴史意識の『古層』」)の感覚そのもので、責任政治とは言い難い。

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