筒井清忠『戦前日本のポピュリズム──日米戦争への道』
筒井清忠『戦前日本のポピュリズム──日米戦争への道』(中公新書、2018年)
近年、ポピュリズムという概念が注目を集めているが、これを大衆人気に左右される政治と解するなら、日本もかつて手痛い失敗を経験していたではないか。そうした問題意識から、本書は1905年の日比谷焼き討ち事件から1925年の普通選挙法成立をはさみ、1941年の対米開戦に至る歴史的経緯を通して戦前期日本の政党政治がポピュリズムによって崩壊していく過程を解き明かす。
日本におけるポピュリズム的政治の始まりは、「大衆」の登場とそれを動かす新聞の存在が重要な要素であり、日露戦争講和後の日比谷焼き討ち事件で顕在化する。次に、本書では若槻礼次郎内閣が「朴烈怪写真事件」で動揺した様子を分析しているが、「朴烈問題で「天皇」の政治シンボルとしての絶大な有効性を悟った一部の政党人が、以後これをたびたび駆使し、「劇場型政治」を意図的に展開」し、こうした傾向はさらに統帥権干犯問題や天皇機関説事件という形で繰り返されることになる(91頁)。
朴烈事件を倒閣運動に利用できると洞察したのは北一輝であったが、「彼ら超国家主義者こそむしろ、大衆デモクラシー状況=ポピュリズム的状況に対する明敏な洞察からネイティヴ大衆の広範な感情・意識を拾い上げ、それを政治的に動員することに以後成功していくのである」(92頁)。天皇機関説問題では、「まず二大政党の腐敗と地方農村の窮状を訴え、弱者=庶民の側から「貴族院議員美濃部達吉東京帝国大学名誉教授」を攻撃する、という手法は見事なまでの大衆動員上の成功を収めたのだった。朴烈怪写真事件以来の天皇シンボルのポピュリズム的追求はここに頂点を迎え、それは平等主義に支えられつつ天皇周辺の国際協調主義的「重臣層」の窮迫化・弱体化につながっていったのだった」(237頁)。
戦争やテロの報道そのものが「劇場型大衆動員政治」の格好の素材となった。マスメディアはこうした状況を後押ししただけでない。普通選挙は本来、大衆の政治参与を促がしたはずであるが、政党政治はそのもたらした弊害のゆえに嫌悪されるようになり、マスメディアによる既成政党政治批判は代わって清新な代替勢力として「無産政党」、「軍部」、「近衛新体制」などをもてはやすようになる。
このように見てくると、戦前期日本においては天皇シンボルとマスメディアの扇動とが結合したところにポピュリズム的政治現象が立ち現れていた状況が分かる。
清沢冽がポーツマス会議における桂太郎・小村寿太郎とジュネーブ会議における斎藤実・内田康哉とを比較した分析を紹介している。第一に、前者は断固として講和をまとめる意志があったが、後者は輿論の動向に責任転嫁しようとした。第二に、前者は国際的孤立を避けようとしたが、後者は進んで孤立しようとした。第三に、日清・日露戦争中には「衆論に抗して毅然と立つ少数有力者」がいたが、後者の時点ではそうした者が見当たらなかった(207-209頁)。
大衆政治時代において外交の独立性が保たれ得るのかどうかは国際政治学で常に問題となるところではある。少なくとも、日本自身がかつて戦争へ突入するという国策上の大失敗を呈した背景にポピュリズム政治状況があった点は念頭に置いておく必要があろう。
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