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2017年7月

2017年7月 5日 (水)

深井智朗『プロテスタンティズム──宗教改革から現代政治まで』

深井智朗『プロテスタンティズム──宗教改革から現代政治まで』(中公新書、2017年)
 
 私自身の感覚からすると、ローマ・カトリックや東方正教会については、教義の詳細はよく分からないにせよ、何となくイメージはつかみやすい。対して、プロテスタントの場合は、一言で「プロテスタント」と括ってもその内実は実に多種多様で、少々戸惑ってしまうというのが正直なところだ。本書を通読してから、むしろそうした多様性を許容するところにプロテスタントの特徴の一つがあるのかもしれないと思った。本書はプロテスタントそのものの歴史というよりも、ドイツ社会思想史の文脈の中でプロテスタントが論じられている(第七章ではアメリカ事情にも言及される)。
 
 1517年、マルティン・ルターは贖宥状などバチカンの腐敗に抗議するため、ヴィッテンベルク城の教会の扉に「95ヶ条の提題」を貼りだした。これが宗教改革の始まりとされ、信仰の自由を求める動きは近代思想にもつながっていくと論じられることもあるが、ルターが実際にこの張り紙を出した事実があったかどうかも含め、事情は単純ではないようだ。ルター自身は教会改革の希望を抱いていたものの、新しい宗派を自ら立ち上げる意図は全くなかった。ところが、事態は彼の意図を越えて動き出していく。自覚的な信仰を重視する洗礼主義などよりラディカルな動向に対してルターはむしろ批判的であった。
 
 いずれにせよ、ルターによってもたらされた宗教対立は1555年のアウグスブルクの宗教和議で一つの転換点を迎える。宗教対立の激化が憂慮される中、プロテスタンティズムにも法的な地位がとりあえず認められた。ただし、それは近代的な政教分離の原則とは異なる。領邦ごとに領主が選んだ宗教が公認されるという形で並存が図られた。言い換えると、プロテスタンティズムは領主や領土と結びつくことで社会道徳を提供する役割が期待されるようになり、このように政治体制とつながったルター派を本書では「古プロテスタンティズム」もしくは「保守主義としてのプロテスタンティズム」と呼んでいる。対して、信仰の自由を徹底しようと試みる人々は、古プロテスタンティズムからむしろ迫害され、そうした勢力については「新プロテスタンティズム」もしくは「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」とされる。
 
 保守主義としてのプロテスタンティズムはナショナリズムと結びつく。1871年、プロイセンが普仏戦争に勝利し、オーストリア抜きでドイツ帝国を形成するにあたり、「ルター派は、いくつもの領邦国家を統一して誕生した帝国を精神的にも統一するためのナショナル・アイデンティティの設計とこの統一の政治的道徳性を証明するための政治神学の構築を任された。」「さらには、普仏戦争の勝利の後に成立した帝国の道徳的正当性を説明するためにルター派の神学者は次のようなプログラムを提示したのである。すなわち『ドイツ的なもの』の淵源は、一六世紀にカトリックに対して戦い、近代的な自由の基礎を作り上げたマルティン・ルターとその宗教改革に遡る。」「さらにヴィルヘルム期ドイツで皇帝の正枢密顧問官であったハルナックは『一七世紀のピューリタン革命より、一八世紀のフランス革命よりも早く近代的な自由を主張したマルティン・ルターの宗教改革』という近代史の見方も提供した。人々はこのような歴史観に特別な違和感を持つこともなく、むしろその中に政治的妥当性を見出すようになっていた。つまりこの時代、マルティン・ルターとその宗教改革の精神は神学的にというよりは、政治的に再発見されるのである。そしてルター派の神学は、政治的な利用を裏づけるために、宗教改革とマルティン・ルターの研究に力を入れ、その研究を政治的な言語に再構築したのである。」(本書、131-132頁)
 
 リベラリズムとしてのプロテスタンティズムが逃げ延びた先のアメリカではどうか。例えば、国家の制約から自由な立場から、既存の勢力では解決し得なかった社会問題に積極的な発言をする宗派もある。他方で、大統領の就任演説でしばしば「神」に言及されるように、「アメリカの意識されざる国教」(ロバート・ベラ―)も垣間見える。この意識されざる国教は必ずしも直接的にキリスト教とイコールで結ばれるわけではないが、本書では新プロテスタンティズムの古プロテスタンティズム化と表現されている。
 
 本書ではプロテスタンティズムとナショナリズムとの結びつきが論じられる一方で、戦後ドイツにおいて進行する社会的多元化に保守的プロテスタンティズムも歩調を合わせてきたことも指摘される。「戦後ドイツのプロテスタンティズムは、単なる宗派の独善的な優位性の主張ではなく、多宗派共存のためのシステム構築の努力を続けた。プロテスタントとは、カトリシズムとの戦いを続け、その独自性を排他的に主張してきた宗派であるだけではなく、複数化した宗派の中で、共存の可能性を絶えず考え続けてきた宗派であり、むしろ後者が私たちの今後の生き方だと主張するようになった。」(本書、158頁)
 
 本書の終章では次のように指摘される。「ルターの出来事からはじまった、価値の多元化、異なった宗派の並存状態、それゆえに起こる対立や紛争の中で、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなったのである。どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であり、現代社会における貢献なのではないだろうか。」(206頁)

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