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2014年9月14日 - 2014年9月20日

2014年9月20日 (土)

吉川凪『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』

吉川凪『京城のダダ、東京のダダ──高漢容(コ・ハニョン)と仲間たち』(平凡社、2014年)

 1926年、東京。雑誌『虚無思想』を創刊したばかりの辻潤のもとを訪れた夜のことをアナキスト詩人・秋山清が「三国同盟」と題してつづっている。

 白く霧のかかった街中を千鳥足で歩いていた三人。ふと見つけた呑み屋に入ったところ、辻潤はお店の女の子にふざけて「俺は日本人のふりをしているだけで、本当は支那人なんだ」とうそぶき、秋山は朝鮮人にされてしまう。一緒にいた朝鮮人ダダイスト・高漢容は日本人として紹介されたが、そう言われても違和感がないほど彼の日本語は自然だった。辻はデタラメな中国語で奇妙な歌をうたう。高漢容から「朝鮮の歌をききたいよ」とせがまれた秋山は困ってしまって「日本暮らしが長くて忘れた」と逃げる一方、高漢容は日本語の歌を美しくうたい上げたという。屈託なく「民族」を交換してしまうのも一種のダダか。これは高漢容が旅立つ別れの日のこと。春の夜霧につつまれた悪ふざけは、哀愁を帯びたファンタジーのようにも見えてくる。

 あらゆる外的な理解を絶した地平で確かな皮膚感覚にフィットした何かを表現しようとしたダダ。本来的に事分けには馴染まないこのダダについて起源を問うのは思いっきりナンセンスな話かもしれないが、韓国文学史におけるダダは高漢容(ペンネーム、高ダダ)が雑誌『開闢』1924年9月号に「ダダイスム」を発表した時に始まり、26年末にはほぼ終わってしまったという。

 辻潤と高橋新吉は1924年に高漢容の招きで京城(ソウル)を訪問している。高漢容がダダを知ったのも彼らを通してである。「彼は一時期、辻、高橋、秋山といった日本のダダイスト、アナキストたちと同じ時代の空気と思想を共有する仲間であった。植民地時代に青少年期を過ごし、基礎的教養のかなりの部分を日本語書籍によって培った朝鮮の文学青年と、日本の文学青年との間にあった心理的距離感は、おそらく今のわれわれが想像するより、はるかに近い」(本書、11~12ページ)。もちろん、高漢容の日本語が流暢だったのは植民地支配という負の歴史的背景によるものだが、ダダという共通項を持っていた彼らは、民族的垣根を越えて語り合える関係になっていた。

 他方で、韓国ではダダへの関心が低かったこともあり、高漢容の存在はほぼ忘れ去られたに等しかったようだ。本書では「高漢容も含め、韓国のダダイストたちもまた、ダダの資質にはあまり恵まれない、「ムリしたダダ」であったように見える」(153ページ)とも指摘されている。「ムリしたダダ」という言い方は何となく納得できる。ダダの資質とは何か?と考え始めると袋小路に陥りそうだが、奇抜な表現を焦りすぎたり、権威への反抗という自意識が過剰だったりして不自然になってしまう自称ダダイストは結構いる(例えば、辻潤の評伝を書いた玉川信明を私は思い浮かべている)。いずれにせよ、ダダは韓国の文学的気質に合わなかったのかもしれない。

 本書は高漢容という忘れられた文学者を主人公に据えてダダをめぐる人物群像を描き出している。ダダという限定的な切り口ながらも、そこから日本と韓国の双方に関わる様々なエピソードが掘り起こされているのが興味深い。例えば、「半島の舞姫」こと崔承喜の兄・崔承一は作家であり、この崔承一と高漢容、辻潤にも接点があったことは初めて知った。辻は京城を訪問した折にデビュー前の崔承喜に会っていたらしい。また、雑誌『モダン日本』をヒットさせた馬海松、韓国で「近代農業の父」といわれる禹長春(閔妃暗殺事件に関与した禹善範の息子)などとも交流があったという。

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2014年9月19日 (金)

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス、2014年)

  紛争が膠着状態に陥りつつあるウクライナ情勢。親ロシア派が多数を占めるクリミア半島はクリミア共和国として独立宣言をした後にロシアへ併合され、同様に東部ではドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が独立を宣言し上でノヴォロシア人民共和国連邦を結成した。それぞれ「共和国」を名乗ってはいても、国家として認知したのはロシアだけ。このように自ら主権国家と宣言しながらも国際的な承認を受けていない自称「国家」を「未(非)承認国家」という。

  ウクライナ情勢のケースからもうかがわれるように、多民族状況において不満を感じたマイノリティーが自前の国家を持つことを求める(もしくは隣の同族との統合を求める)際に「未承認国家」がしばしば現れる。民族紛争が収まらない現代の国際情勢を見渡す上で必須のキーワードと思われるが、なかなか適切な解説書が見当たらなかった。

  そもそも「国家とは何か?」という問いに一言で答えるのは困難だが、一般的にはモンテヴィデオ宣言で示された領土、国民、主権という3要件が必要とされる。こうした要件を備え、外交的な働きかけをしながらも国家承認を受けられない状態の「国家」が「未承認国家」となる。「未承認国家」は民族自決の原則を踏まえて自らの権利を主張する。他方で、国際社会は現行のシステムの変更に伴う混乱を避けるため、むしろ領土保全の原則の方を優先させる傾向がある(ただし、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、冷戦終結後の時期は逆に民族自決の原則を優先させる風潮があった)。

  他方で、コソヴォが欧米から国家承認を受けたケースは「パンドラの箱をあけてしまった」と本書では指摘されている。欧米は領土保全の原則を堅持して基本的には「未承認国家」の国家承認には消極的だが、コソヴォに関しては例外として認めてしまった。こうしたダブルスタンダードは、その後、ロシアが自らの戦略上の事情からグルジア内部のアブハジアと南オセチアを国家承認した際に自己正当化の理由にも使われてしまう。

  かつてはパトロン国家の傀儡政権(例えば、旧「大日本帝国」が作り上げた「満洲国」)となる場合も多かったが、近年はパトロン国家の意向にかかわらず独自の主張で動くケースも増えている。「未承認国家」では権威主義的支配が敷かれ、闇経済が跋扈するなど多くの問題が見られる一方で、住民からの支持を調達し、対外的に正統性をアピールする必要から民主化・自由化に向けて努力するケースもあるというのが興味深い。具体例としてはコソヴォと台湾が挙げられている。

 「未承認国家」の生成原因や内実はケース・バイ・ケースで一般論はなかなか難しいし、解決方法も模索状態だ。「共同国家」という提案もあるようだが、極端な話、現状維持が最も現実的という悲観的な考え方もあり得る。

  著者はコーカサスをはじめ旧ソ連地域の研究者であり、この地域には「未承認国家」が多数出現している。本書は主に旧ユーゴのコソヴォ、旧ソ連モルドヴァの沿ドニエストル共和国、アルメニア・アゼルバイジャン紛争の焦点となっているナゴルノ・カラバフ共和国、グルジア紛争といった具体的な事例の経過を検討しながら、この問題の複雑な難しさをヴィヴィッドに描き出し、より広いコンテクストで把握するためのたたき台となる議論を提示してくれている。

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2014年9月17日 (水)

鈴木健太・百瀬亮司・亀田真澄・山崎信一『アイラブユーゴ1 ユーゴスラヴィア・ノスタルジー大人編』

鈴木健太・百瀬亮司・亀田真澄・山崎信一『自主管理社会趣味Vol.1 アイラブユーゴ1 ユーゴスラヴィア・ノスタルジー大人編』(社会評論社、2014年)

  ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国が崩壊してからもう20年以上経つ。クロアチア、スロヴェニア両共和国の独立、さらにボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争と文字通り血で血を洗う凄惨な民族紛争が続いたため、今ではユーゴといえば偏狭なナショナリズムがもたらした悲劇の地というイメージが強い。社会主義体制の崩壊とそこから湧き出た民族紛争。20世紀の悲劇がこのユーゴでまさに縮図となって現れ出たと見ることもできるだろう。

  しかしながら、本書の立場はあくまでも「共産趣味」。と言ってもピンとこない人もいるかもしれないが、どんな政治体制の中でも人々の日常生活は連綿と続いている。ありし日の社会主義体制下におけるそうした生活光景からレトロでノスタルジックな感覚を見出し、ある種の愛おしみをもって振り返ってみようというのが基本的な趣旨。渋面作って政治的に生真面目な問題を語るわけではないが、かといって決して不真面目ではない。執筆陣はユーゴ崩壊後に研究を始めた若手世代であり、距離をおいて見られるからこそ、特定の政治的イシューには偏らない等身大のユーゴスラヴィアを描き出すことができる。

  「大人編」と題したこの第1巻では、「政治」「ティトー」「社会」「対外関係」という4つのテーマでまとめられている。項目ごとに読み切りのエッセイが並べられており、豊富なカラー写真がいっそう興味を掻き立てる。ユーゴは1948年にソ連と対立してコミンフォルムから追放されて以来、西側とも一定の関係を持ち、国内体制的にも社会主義体制の割には比較的に自由で豊かという一面も持っていた。ミニスカートの女性が闊歩する写真も収録されているが、そうした社会背景からみれば不思議ではない。ティトーの奔放な女性関係とか、取り違えられた労働英雄といったゴシップネタもたっぷり。晩餐会で昭和天皇と対面するティトーの写真も紹介されるなど、日本との関係にも言及されている。

  一つ一つの項目を読んでいくと、多民族状況を反映した事情もあちこちから垣間見られる。真面目に現代史を勉強したい人にとっても、読みやすくかつ有用な参考書となるだろう。ユーゴスラヴィア現代史という、日本人にとってあまり馴染みがなく地味なテーマであるにもかかわらず、このように人目を引く形に仕立て上げた手腕には感心する。

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一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』

一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』(新潮社、2014年)

  台湾に来た日本人がまず訪れる都市は台北であろう。台北では再開発が進んで高層ビルが林立し、ショッピング・モールなど歩けば自分がいま台北にいるのか、東京にいるのか、ふと分からなくなるほどだ。街並みはきれいになったし、便利にもなった。だが、それに伴って台湾らしい風情を感じる機会も少なくなってきている。

  1970年代に幼少期を台北で過ごした著者もこうした変貌に少なからず戸惑いを感じているようだ。幼き日々の記憶に刻み込まれていたあの懐かしい光景はどこへ行ったのだろう? そうした思いを抱えていた時にたどり着いた街──それが台南だった。

  そもそも歴史をひもとけば、台南にいた先住民族であるシラヤ族の言葉で「タイアン」といったのが「台湾」の語源とされている。オランダ東インド会社が城塞を築き、それを奪取した鄭成功が拠点を置き、清代末期に行政の中心が台北へ移動するまで、ここ台南こそが台湾の首都であった。開発が遅れていることもあって、台南の街中では古いたたずまいがそこかしこに残っている。台湾の歴史が、それこそ地層のように積み重なっている様子を見出せるのが台南という都市の大きな特色である。台南を見に来なければ台湾の歴史は理解できないと言っても決して過言ではない。

  実はいま台湾人の間でも台南ブームが巻き起こっている。台南をテーマとした本が次々と刊行されて話題となり、多くの観光客が訪れ、台北など大都市で働いていた台南出身者のUターンも増えているらしい。せわしない都市生活に疲れた人々がある種のノスタルジーにぬくもりを求めているのかもしれないし、あるいは台湾人アイデンティティーの確立が歴史的ルーツとしての台南への関心を高めていることも考えられる。いずれにせよ、日本での本書の刊行もこうした背景を踏まえれば実にタイムリーだ。

  観光客なら見逃せない台南グルメ。台南を通して見えてくる台湾の歴史や文化。そして台南と関わりのあった日本人。様々な話題がやわらかい筆致で描き出されている。観光ガイドのようにきれいごとではなく、時に素直な感想をつづっているところが面白い。例えば、台南人のソウルフード、サバヒー(虱目魚)のこと。サバヒー粥は台南人の朝食の定番だが、実は私自身もサバヒーはちょっと苦手。観光ガイドブックならそんなこと書かずに適当にお茶を濁すところだが、味覚に合わないものは仕方がない。ただ、それはけなすということではない。むしろ、「なぜ台南人はサバヒーが好きなんだろう?」と相手の好みを理解したいと努力する姿勢に好感が持てる。

  台南の魅力を再発見するため通い続ける中で著者は様々な人々と出会っている。例えば、一見強面だが親身に世話を焼いてくれるビンロウ売りの楊さん。カラスミ職人の阿祥のこだわりも印象的だ。そうしたエピソードの一つ一つが織り込まれることで、あたかも台南を舞台とした人情こまやかな物語が紡ぎだされているかのようだ。

※「ふぉるもさん・ぷろむなあど」より転載。

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