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2014年10月13日 (月)

将基面貴巳『言論抑圧──矢内原事件の構図』

将基面貴巳『言論抑圧──矢内原事件の構図』(中公新書、2014年)

 日中戦争が勃発して日本国内でも世情が騒がしくなりつつあった1937年の12月1日、東京帝国大学教授・矢内原忠雄が辞表を提出した。彼が『中央公論』に掲載した論文「国家の理想」などの言論活動が反戦的で「国体」に反するという非難を受けて政治問題化したため、辞職へと追い込まれた、いわゆる矢内原事件である。滝川事件や美濃部達吉の天皇機関説事件、あるいは矢内原事件後の平賀粛学による河合栄治郎の休職処分、津田左右吉の早大教授辞職──時系列に沿って並べると、一連の言論抑圧事件の中のあくまでも一コマに過ぎないが、本書では敢えてその一コマを詳細に描き出すマイクロヒストリーの手法が念頭に置かれている。

 私自身はもともと、例えば竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像』(中公文庫)や立花隆『天皇と東大』(文春文庫)などで描かれている当時の東大教授たちの生々しい抗争劇に興味があって、その関連で本書を手に取った。事件当時の当事者それぞれの思惑が複雑に絡まり合っている様子を複眼的に描き出しているのが本書の特色であるが、とりわけ事件の収拾にあたった当時の東大総長・長与又郎の視点を取り込んでいるあたりが面白かった。

 東京帝国大学経済学部教授同士の紛争では国家主義的経済学者・土方成美学部長の策動で矢内原は追い出されたという印象を持っていたのだが、実際のプロセスはなかなか複雑だ。長与総長はやたらと騒ぎ立てる土方学部長の態度に困惑しており、「大学の自治」という観点から少なくとも当初は矢内原を守るつもりだったらしい。ところが、もともと矢内原の言動を苦々しく思っていた文部省教学局から圧力を受け、木戸幸一文部大臣の進退問題にも発展しかねないと言われるに及び、長与総長は態度を一変させ、矢内原に辞職を求めることに決めた(土方は矢内原の辞職までは想定していなかったので、逆に寝耳に水だったという)。

 ここで興味深い論点が提示される。「大学の自治」とは言うは易く、行うは難し。実際には大学教授たちの合議制は常に派閥抗争の繰り返しで有効な意思決定などできず、結局のところ、学長・総長というリーダーの個人的資質にすべてがかかっていた。ところが、矢内原事件当時の長与総長は医学者として名声は高く、人柄から見てもむしろ善人だったが、性格的に弱かったため容易く文部省に屈してしまった。このように「大学の自治」が本来的にはらむ脆弱性が矢内原事件では先鋭的に露呈してしまったのだと指摘される。

 思想史的には「愛国心」をめぐり、理想と現実との緊張関係から現在の問題を批判することこそ国家に資すると考える矢内原の「愛国心」と、あるがままの日本への心情的コミットメントを重視する土方や蓑田胸喜の「愛国心」とが対比される。

 矢内原事件は、現在の「歴史の後知恵」的視点からすればもちろん言論抑圧であり、看過しがたい出来事である。しなしながら、言論抑圧という事態は、単に辞職を迫られたり摘発されたりというだけでなく、意見発表の機会を奪われることでもあるという当たり前のことを想起してみたとき、事件の同時代人にとって「言論抑圧」は可視化され得る性格のものでは決してなかった。そう考えてみると、「どのような言論人が表舞台から消えていったか、どのような見解をメディアでは目にすることがなくなったかについて、把握する」ことが重要だという本書の指摘はやはり頭に留めておく必要があろう。

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