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2014年2月15日 (土)

赤江達也『「紙上の教会」と日本近代──無教会キリスト教の歴史社会学』

赤江達也『「紙上の教会」と日本近代──無教会キリスト教の歴史社会学』(岩波書店、2013年)

 教会という制度から離れて信仰の在り方を模索した無教会キリスト教は内村鑑三の名前とセットになって記憶されている。教会組織を介入させず、直接に神の言葉=聖書の内容に迫ろうとする模索は、内面性・純粋性を重んずる信仰態度とも捉えられる。他方で、無教会主義の社会運動としての次元に着目するなら、雑誌メディアによって独立の信者=読者を横につなぐネットワークでもあった。本書はそうした「紙上の教会」における内村や弟子たちの言説を検証しながら近代日本の一側面を浮かび上がらせようとしている。

 無教会は内村を中心とした雑誌メディアを通した信仰活動であり、従って「読む」という知的行為に重きが置かれる。内村という人物の迫力もあって多くの知識青年を集め、キリスト教と教養主義とが密接に関わっていったことは容易に首肯される。

 雑誌メディアであり、語り手も社会的使命感を持った人々である以上、その語り口にもパブリックな側面が濃厚に表れる。とりわけ私が興味深く思ったのは、キリスト教とナショナリズムとの関係というテーマである。内村鑑三が愛国的キリスト信徒であったことはよく知られているが、いわゆる不敬事件において彼が示したためらい。戦時下における矢内原忠雄の「日本的キリスト教」の主張。戦後、無教会に集う知識人が皇室のキリスト教化に期待を寄せた「重臣リベラリズム」的な保守性。近代日本の思想史を考える上で外せない問題提起を本書は示している。

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