« 2013年2月10日 - 2013年2月16日 | トップページ | 2013年2月24日 - 2013年3月2日 »

2013年2月17日 - 2013年2月23日

2013年2月21日 (木)

『日本人、台湾を拓く。──許文龍氏と胸像の物語』

『日本人、台湾を拓く。──許文龍氏と胸像の物語』(まどか出版、2013年)

 自ら創業した奇美実業を町工場からABS樹脂生産では世界的な規模を誇る大企業にまで育て上げ、台湾における高度経済成長を支えた一人とも言うべき許文龍。日本の植民地統治を肯定的に評価していることでも知られているが(ただし、本書に寄せた序文では、植民地時代の差別的な待遇をあげて、必ずしも良い時代ではなかった、とも言っている)、台湾の発展に貢献した日本人の胸像を自ら製作して、ゆかりの地に寄贈しているという。本書は、有名無名を問わず、そのように顕彰された人々を列伝風に取り上げている。

 台湾におけるインフラ整備や産業開発の基本路線をまとめた後藤新平。糖業振興の方向性を立案した新渡戸稲造(海外視察から戻ったばかりで台湾の実情を調べる前に後藤から意見書を出すよう求められたというエピソードが面白い。実態を知ってしまうと視点が低くなってしまう。学者には理想論を出させ、それを現実に合わせる方法は後藤たち政治家や行政官が考える、という役割分担を意図していたようだ)。スコットランド人の専門家バルトンと共に近代的な上下水道事業を担い、公衆衛生の向上に貢献した浜野弥四郎。生態系バランスを考えた先進的な環境型ダム、二峰圳を整備した鳥居信平。烏山頭を建設し、嘉南大圳を整備、水利環境を飛躍的に向上させた八田與一(生前に彼の銅像は建てられていたが、その後の運命をめぐるエピソードが興味深い)。蓬莱米を開発した磯永吉と末永仁。台湾電力社長として電力事業を手がけた松木幹一郎。台湾紅茶を育てた新井耕吉郎。戦争中、日本人最後の台南市長として台南の文化財を守った羽鳥又男。

 台湾における人物伝を軸とした産業開発史として興味深く読んだ。私のような文系人間には、工学・農学などの知識をそのまま説明されてもなかなか飲み込めないが、ある意味、「プロジェクトX」的にその事業に取り組んだ人物の情熱を絡めて描かれるとヴィヴィッドな関心が喚起されてくる。

 日本の植民地統治期にこうした人々の努力によって台湾の産業基盤が整備されたのは確かである。他方で、それはあくまでも植民地統治を効果的に進めるためにやったことで、台湾人のためにやったわけではない、と言われたらやはり否定はできず、日本人として安易な認識は禁物であろう。むしろ、こうした両側面が絡まり合っているところに台湾史の重層的な性格の一端が浮かび上がっている。

 ただ言えることは、現場で自らの事業に取り組んだ人々のひたむきな努力には民族や国籍の相違は関係ない。今ではすでに時代遅れになってしまったかもしれないが、職人的、「ものづくり」的な使命感や情熱を、本書の行間から読み取れるかもしれない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月20日 (水)

沢木耕太郎『キャパの十字架』

沢木耕太郎『キャパの十字架』(文藝春秋、2013年)

 まだ無名だった一人の青年がスペイン内戦で撮影したといわれる一枚の写真──「崩れ落ちる兵士」。あまたのカメラマンが戦場へと入り、不条理な惨状を様々に伝えてきたが、人がまさに死ぬ瞬間をこれほどヴィヴィッドにつかみ取った写真は皆無であった。

 ファシズムの台頭が世界中に不安感をみなぎらせていた時代、フランコ将軍率いる反乱軍によって追い詰められていた共和国政府への同情から、この写真はピカソの「ゲルニカ」と共に反ファシズムのシンボルとなった。そして、撮影した青年、ロバート・キャパは新進の戦場カメラマンとして一躍脚光を浴びることになる。

 だが、この写真はあまりにもできすぎていないか? そもそも、どのような経緯から撮影されたのか分かっておらず、キャパ自身も黙して多くを語らないまま、1954年、ヴェトナムで地雷を踏んでこの世を去った。この写真の真偽をめぐっては昔から議論があった。しかしながら、「伝説のカメラマン」として多くのファンを引き付けてきた彼のそもそもの出発点を暴き立てることにはどうしても自己規制が働いてしまう。

 著者自身も若き日からキャパの写真に魅了されてきた一人だが、敢えてそうしたタブーに踏み込んだ。写真そのものに隠れていた細かな矛盾点を手がかりに問題の核心へと切り込み、スペインの現地に赴いて取材を進めながら、少しずつ「真実」があぶり出されていくプロセスは実にスリリングだ。

 謎解きの詳細は本書をじかに手に取って堪能してもらいたい。結論を先取りすると、「崩れ落ちる兵士」で撃たれてのけぞっているかのように見える兵士は、実際には撃たれていなかった。それは、演習中に撮影されたものであった。ただし、意図的にポーズを取ったわけではない。斜面を駆け下りていく途中に足を滑らせた瞬間を偶然にファインダーが捉えたのである。

 さらに衝撃的な事実が推論される。撮影者はキャパではない──実際に撮ったのは、彼とチームを組んで行動を共にしていた恋人、ゲルダ・タローだったのではあるまいか。

 「崩れ落ちる兵士」は『ライフ』誌に掲載されるやいなや世界中で大きな反響を巻き起こしたが、タローがそのことを知ることはなかった。1937年、戦車に押しつぶされて彼女はすでにこの世を去っていたのである。この写真は反ファシズムのシンボルとして評価が定着し、もはや取り消しはきかなくなっていく。

 キャパの「伝説」はただの虚構に過ぎなかったのか? 華々しくデビューした写真が戦場で撮ったものではなく、しかも死んだ恋人からの盗作であったという負い目の意識は、彼のその後の人生を決定付けた。つまり、「崩れ落ちる兵士」以上の写真を撮らねばならない宿命に直面したと言える。彼は命を賭けて正真正銘の戦場へと赴く。ノルマンディー上陸作戦では銃弾の降り注ぐオマハ・ビーチで「波の中の兵士」を撮り、そしてインドシナ戦争で地雷を踏んで落命した。彼は「十字架」を背負わねばならなかったからこそ、「伝説」を自らの手で本物にするしかなかったのである。

 「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎を解き進めながらも、それを単なるスキャンダルには終わらせない。むしろ、だからこそ見えてくる彼の人間性を描き出していく筆致は、やはり沢木さんらしくて胸を打つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月18日 (月)

ヤコヴ・M・ラブキン『イスラエルとは何か』

ヤコヴ・M・ラブキン(菅野賢治訳)『イスラエルとは何か』平凡社新書、2012年

 著者は旧ソ連のレニングラード出身で科学史、ロシア史、ユダヤ史を専攻。後にカナダへ移住して、現在はモントリール大学教授。すでに邦訳されている『トーラーの名において──シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010年)の内容を圧縮した上で加筆し、一般向け普及版として刊行されたの本書である。

 著者自身もユダヤ人であるが、軍事大国化した現在のイスラエル国家に対して極めて批判的だ。イスラエル建国の起動力となったシオニズムの暴力性はユダヤ教の本来の姿から大きく逸脱していると説くのが本書の趣旨である。シオニズムの思想的来歴をたどりながら、それは正統的なユダヤ教解釈に基づくものではなく、むしろ近代ヨーロッパの国民国家思想に起源を持つことを明らかにする。そして、脱ユダヤ教化したイデオロギーを世俗的民族主義に代替させる形でパレスチナの植民地化を推進しているとして、現在のイスラエルのあり方に対して厳しい懐疑の眼差しを投げかけている。それは、彼自身がユダヤ教徒であるからこそ、その価値が捻じ曲げられているのは許せないという憤りによるものであろう。

 西欧のリベラリズムは国家への自己同一化のプロセスにユダヤ系住民も巻き込んでいく中でユダヤ・アイデンティティーは希薄化・弱体化し、民族的にではなく宗教的なアイデンティティーとして存続し、非ユダヤ系の隣人達と共通の国民的アイデンティティーの受容が可能となった。他方、ユダヤ人への迫害の激しかった中・東欧ではそうした〈解放〉が実現せず、また人種観念による反ユダヤ主義が跋扈したこともあり、「非宗教的ユダヤ人」としてのアイデンティティーが形成されることになった。シオニズムへと引き寄せられる度合いは、居住地での反ユダヤ主義や経済的困窮に比例する傾向があり、イギリス・アメリカ・フランスなどではイスラエルへの移住を希望する人は比較的少なかったという。逆に言うと、多文化主義的な社会は、シオニストからすればユダヤ民族意識の昂揚にあたって障害となるという逆説も指摘される。

 シオニズムに付着した「ヨーロッパ」性が、中東においてその植民地主義的性格を露わにしたというのも本書の論点の一つとなる。東欧出身者は自らのヨーロッパ的性格を誇示する一方、アラビア語圏やペルシア語圏出身のユダヤ教徒移民はそれぞれの生活背景を切り捨ててイスラエル社会に同化を迫られた。一部の人々は諜報活動のためアラブ性を維持したが、それが近隣諸国とのポジティブな関係構築に活用されることはなかった。

 シオニズムの暴力性・差別性がユダヤ人の中でも一部のリベラル派から批判されていることはそれなりに知られているが、正統派ユダヤ教徒からも拒絶されていたのはあまり知られていないだろう。イスラエル建国の根拠が聖書にあることからシオニズムは宗教的情熱に基づくかのように受け止められがちだが、逆に脱宗教化したナショナリズムが宗教を政治利用している逆説を明らかにしているところが本書の勘所である(あくまでも私個人の連想に過ぎないが、イランのシーア派聖職者の間でも宗教の政治化は教義に反するとしてイスラム革命を批判する見解も有力であったことを想起した)。

 伝統主義的なユダヤ教徒(「ハレーディ」:神を畏れる者。メディア等では「超=正統派」とも呼ばれる)はイスラエル国という呼称すら拒否しているという。ハレーディ系の国会議員、アヴラハム・ラヴィツは2004年に次のように発言している。

「シオニストたちは間違っている。〈イスラエルの地〉に対する愛を育むためなら、その全土にわたって政治、軍事的支配を打ち立てる必要などまったくないはずなのだ。人は、テル=アヴィヴにいながらにしてヘブロンの町を愛することができる。(…)ヘブロンの町は、それがたとえパレスティナ側の支配下に置かれたとしても十分愛され得るだろう。イスラエル国自体は一つの価値ではない。価値の範疇に属するのは、もっぱら精神に関わる事象のみである。」(本書、60ページ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年2月10日 - 2013年2月16日 | トップページ | 2013年2月24日 - 2013年3月2日 »