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2013年12月22日 - 2013年12月28日

2013年12月25日 (水)

森常治『台湾の森於菟』

森常治『台湾の森於菟』(ミヤオビパブリッシング、2013年)

 森鷗外の長男・森於菟(1890~1967)は解剖学者。1936年に台北帝国大学で医学部が新設された折、当時、東京帝国大学医学部で助教授だった於菟は解剖学第一講座教授として赴任する。後に医学部長にも選ばれた。日本敗戦後も留用されて中華民国における新制台湾大学医学院で教鞭をとり、1947年に日本へ帰国。父・鷗外についてなど随筆でも知られている。

 著者は於菟の息子で、台北で育った。父から聞いた話や、台北帝国大学医学部出身者を中心とした同窓会組織・東寧会の会報誌に掲載された当事者の回想録が引用され、それを踏まえて描き出された於菟をめぐる人物群像が興味深い。於菟の専攻した解剖学は形質人類学とつながり、さらには広義の人類学・民族学への好奇心が触発される。父・鷗外の影響で文化的な関心も強く、こうしたあたりは同僚の解剖学者でやはり博物学的なディレッタント・金関丈夫ともウマが合ったようだ。

 植民地統治は支配者(日本人)と被支配者(台湾人)との構造的差別を否応なく生み出してしまい、さらには戦時色が強まるにつれて軍部は大学にもさかんに横車を押してくる。そうした難しい環境の中でもアカデミズムの中立性を保ちつつ、学問上の師弟もしくは同志として協力関係をとれるものだろうか? 森於菟をはじめとした日本人教官たちが学問・教育で示した真摯な熱意は、感情的にもつれやすい壁をしっかり乗り越えていた。それはもちろん、台湾人の学生たちも教官が求める能力水準を見事にクリアしていたからある。また、於菟が医学部長に推挙されたのは、陸軍軍医総監(中将相当)森林太郎の息子という「親の七光り」が陸軍の圧力に対して都合が良いと考えられていたふしがある。

 台北帝国大学医学部におけるこうした師弟の信頼関係は二つの点で文化史的な意義を持つ。第一に、森鷗外の遺品・資料が守られたこと。於菟は台湾へ赴任するにあたり、長男として父の遺品を守らなければいけないという思いからこれらを帯同した。その後、東京の家が火災・戦災に見舞われたことを考えると、台湾へ持ち出したのは賢明な選択であったと言える。ただし、戦後の混乱期、引き揚げにあたって無事に持ち帰れる保証はなかった。そもそも、台湾人にとって森鴎外などどうでもいい。於菟への個人的な信頼感があったからこそ遺品の保管・搬送に協力してくれたわけである。

 第二に、日本の植民地支配から中華民国へと体制が転換されるに際して大学の学知的資産をスムーズに引き継がせたこと。ここでは、唯一の台湾人教授であった杜聡明(新制台湾大学で初代医学院長)との協力関係が不可欠であった。植民地の大学という、異なる民族的背景を抱える学生たちが集まった特殊な環境において、アカデミックな協力関係がいかに成り立つのか。そうしたテーマを考える一つの参照例として、本書は単に台湾史というだけでなくより広いコンテクストでも有益であろう。

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2013年12月22日 (日)

【映画】「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」

「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」

 1969年12月12日、ミラノのフォンターナ広場に面した全国農業銀行が爆破され、死者17名、重傷者多数を出す大惨事となった。折りしもイタリアでは学生運動や労働運動が高潮してテロも頻発、いわゆる「鉛の時代」を迎えており、フォンターナ広場の爆破事件でもアナキスト・グループのメンバーが容疑者として逮捕された。しかし、事件の経過には不自然な点が目に付く。そもそも、これほどの大惨事であったにもかかわらず、その後に有罪判決を受けた者がいない。

 冷戦は国際社会の色分けを規定しただけでなく、各国内で左右の対立を引き起こしており、イタリアの隣国ギリシアではクーデターで反共軍事政権が成立したばかり。イタリア国内の極右組織やタカ派政治家の中には、社会不安を煽り立てることで政府に非常事態宣言を出させ、それに乗じたクーデターを画策する者もいた。左翼グループには極右からの偽装転向者が潜り込み、彼らが爆破事件を主導した可能性が高い。

 政府首脳、軍諜報部、警察、検察、極右グループ、極左グループ、マスコミ――様々な背景の当事者が織り成すこの映画のストーリー構成は分かりづらいかもしれない。犯人探しよりも、むしろ事件の迷宮構造そのものを描くところに監督の意図があったと言える。

 諜報部が事件のもみ消しに動いているところから、例の特定秘密保護法をめぐる問題と結びつけて捉える向きもあるだろう。ただ、そうした問題以上に、異なる思惑が複雑に絡まり合ったとき、個々の当事者ではコントロールできない形で事件そのものが一人歩きするようにのしかかってくる、そうした得も言われぬ非人格的な凄みの方が強く印象付けられた。誰かが起こした事件であったのは間違いない。しかし、それを国家なるものの単独の意志として単純化した陰謀論に収斂させてしまうわけにはいかない。

 事件の容疑者として尋問される鉄道員のピネッリは下層労働者として日々感じる社会的矛盾への憤りを動機として左翼活動に身を投じていたが、非暴力主義を信念としている。彼を取り調べるカラブレージ警視は職務に忠実に動いているが、他方で内偵活動で知り合っていたピネッリの人格は尊敬しており、彼がこんな無差別テロをやるはずはないと内心では考えている。左翼活動家と警察、そうした対立関係にありながらも、互いの信念や職務的忠実さは理解しているという現場ではあり得た人間関係が、仲間の背信や組織の論理によってつぶされていく。そして、二人とも不慮の死を遂げることになってしまう。こうした人間ドラマが織り込まれているからこそ、事件の陰惨さがいっそう際立ってくる。

 キリスト教民主党のアルド・モーロ外相(後に首相)は、非常事態宣言を主張する内相に反対して、クーデターの目論見を未然に抑え込んだ良心派政治家として描かれている。そのモーロもまた1978年に極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。モーロは共産圏に対して融和的な態度を取っていたため、誘拐事件当時の首相で政敵であったアンドレオッティは釈放交渉の条件を意図的に拒んだと言われている。モーロ誘拐殺害事件についてはマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」で描かれている。

【データ】
原題:Romanzo di una strage
監督・原案・脚本:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
2012年/イタリア・フランス/129分

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