« 2013年6月30日 - 2013年7月6日 | トップページ | 2013年7月14日 - 2013年7月20日 »

2013年7月7日 - 2013年7月13日

2013年7月12日 (金)

清水真木『忘れられた哲学者──土田杏村と文化への問い』

清水真木『忘れられた哲学者──土田杏村と文化への問い』(中公新書、2013年)

 土田杏村という名前を知っているのは、①日本画家・土田麦僊の弟として記憶のある絵画史に詳しい人、②よほどの高齢者、③社会思想史や教育学史に関心がある人のいずれかだろうと本書は言うが、私の場合は③に該当して、ある程度の認知はしていた。佐渡へ行った折には土田の出身地の郷土資料館で彼にまつわる展示を見たこともある。ただし、どんな思想家だったのか、と改まって考えてみると、文化主義というキーワードは確かに思い浮かんだものの、茫漠として印象が薄い。

 社会と文化を表裏一体のものと考え、一人ひとりが個別の価値実現のため努力すべきという基本的な発想は、当時の教養主義的なコンテクストから考えると、別に珍しいものとは思わない。ただし、そうした彼の考え方の背景に、新カント主義やフッサールの現象学をはじめドイツ哲学を基にした周到な哲学的考察があったことを解き明かしていくところが、ドイツ哲学を専門としている著者ならではの着眼点である。

 主著『象徴の哲学』が読み解かれていくが、実はこの本、杏村の全集には収録されていない。編者となった友人の務台理作が杏村の思索にまったく無理解で、外されてしまったのだという。それは単に務台の凡庸というにとどまらず、杏村が示そうとしたパースペクティヴについての当時の一般的な無理解が反映されているのだろうという思いが「忘れられた哲学者」というタイトルに込められている。

 博覧強記のジャーナリスティックな文明評論家と思われていた彼は、時事的なものも含めて膨大な著作を残している。単に具体的な事例を集めていたのではなく、大きな哲学的な「物語」へと収束させていく。そうした意味で哲学的な視野を基本に据えつつ文明の姿を総体として捉えようととしていたところに杏村の志向性があった。

 そんな彼がなぜ忘れられてしまったのか、著者も少々考えあぐねているようだ。当時は大流行した新カント主義もハルトマンもシェストフも、現在ではほとんど忘れられていることを考えると、杏村一人が忘れられたからといってそんなに不思議なこととも思わないが、むしろなぜ彼があんなに読まれていたのか、そこを考えていく方が大正・昭和初期の時代思潮を考える上で色々な論点が出てきそうだ、などと思いながら本書を読み終えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月 7日 (日)

李学俊(澤田克己訳)『天国の国境を越える──命懸けで脱北者を追い続けた1700日』

李学俊(澤田克己訳)『天国の国境を越える──命懸けで脱北者を追い続けた1700日』(東洋経済新報社、2013年)

 警備兵の監視の目をかいくぐって中朝国境を渡り、公安の摘発におびえながら中国に潜伏、何とか東南アジアなど第三国に脱出して韓国大使館に駆け込んでも、外交問題への懸念から必ずしも受け入れられるわけではない──いくつもの関門をくぐり抜けたとしても成功の見通しは覚束ない過酷な脱出行。そうした文字通り命懸けの脱北者支援活動に同行取材した記録である。

 そもそもが非合法な活動であるため、欲得や裏切り、身を切られるような悲しい別れ、人間の様々な姿も見せつけられる。タフな精神力と決意がなければ、やっていけるものではない。そうした中、二つのタイプの人物が目に付く。第一に、キリスト教の伝道師。本人もギリギリの生活をしている上に借金を重ね、すべてを持ち出しながら命懸けの活動に従事する使命感。第二に、現地のブローカー。麻薬密売など非合法ビジネスで荒稼ぎをしていたが、国境越えのルートを熟知しているため脱北者を連れて行くよう依頼された。当初はもちろん報酬目当てだったが、脱北者の苦境をじかに聞き知り、脱北に成功した時の彼らの晴れやかな表情を見たときの達成感から、いつしか利害を度外視して協力するようになったという。

 中国潜伏中に生れた脱北者の子供たちには国籍がない。そこで、欧米の理解ある家庭へ養子に出す活動も行われているが、倫理面も含めて色々と問題はある。また、各国大使館・領事館へ脱北者を集団駆け込みさせ、その様子を撮影して配信するなど、いわゆる企画脱北には政治的パフォーマンスだという批判もある。しかしながら、打てる手が限られている中、毀誉褒貶を度外視してなりふり構わずやれることをやるしかない、そうした苦境は無視できない。

 脱北者が何とか韓国にたどり着けたとしても、安住の地にはならない。政治的判断としての受け入れと、実際に社会的に受け入れられるかどうかは別問題であり、脱北者が韓国社会で味わう疎外感が問題化している。同胞から余計者扱いされるくらいなら第三国で差別されるほうがまだマシだと欧米へ渡ったり、北朝鮮側の工作に応じて戻ってしまうケースすらあるのだという。国境を渡っても、その先には別の形で不条理が待っている──北朝鮮というブルータルな体制の闇は深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年6月30日 - 2013年7月6日 | トップページ | 2013年7月14日 - 2013年7月20日 »