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2013年4月14日 - 2013年4月20日

2013年4月19日 (金)

高橋和夫『イランとアメリカ──歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』

高橋和夫『イランとアメリカ──歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』(朝日新書、2013年)

 イラクのフセイン政権崩壊、「アラブの春」といった激動の中、シリアの内戦が膠着状態にあることに顕著なように先行きがますます不透明になりつつある中東情勢。敵/味方の関係が複雑に入り組んだパズルを読み解くのはなかなか容易ではない。核開発疑惑、イスラエルとの一触即発の対立、こうした問題からアメリカの対中東政策で最もナーバスなのが地域大国イランの存在である。実はイラクやアフガニスタンの安定化を図る上でイランとアメリカが協力できる余地もあったのだが、実際にはすれ違ったままだ。イランの政治外交が持つ複雑な性格を踏まえておかないと、中東情勢の理解は表面的なもので終わってしまう。本書は、そうしたイランの「複雑さ」を歴史的な背景から捉えなおそうとしており、格好な入門書である。

 1979年以降のイラン・イスラム革命自体のプロセスも複雑だ。そもそもシーア派宗教指導者の主流派は政治への関与を否定するのが伝統的考えで、宗教指導者による統治を打ち出したホメイニの方針は独特だった(主流派は政治から一歩引いているからこそ積極的な政治勢力とはなり得ない)。彼は政治への嗅覚が実に鋭かった。宗教者からリベラル派、左派までシャーの抑圧的体制に反対するあらゆる勢力を結集させるシンボルとなる。宗教指導者が革命の実権を握る上でアメリカ大使館人質事件が大きな転換点となった。リベラル派も参画した新政権は対米関係の悪化を望んでおらず、穏便な解決を模索していたが、ホメイニは学生たちにゴーサインを出した。人質事件による対米関係の悪化は、外敵による脅威を演出することになり、さらに隣国イラクのフセイン大統領がイランの混乱に目をつけて侵攻してくると、国民の団結意識がむしろ高まった。こうした過程でリベラル派や左派は追い落とされ、宗教指導者のヘゲモニーが確立する。大使館人質事件は外交的には非理性的だったが、国内での権力掌握という点では政治的に合理性を持っていたとも言える。

 なお、ホメイニが国外追放されるきっかけになった1963年暴動における彼の演説を聞いた革命第一世代(ハメネイ、ラフサンジャニ、ハタミ、ムサビなど)と、イラン・イラク戦争の高揚感の中で育った革命第二世代(アフマディネジャド)との肌合いの相違が、その後の政争の背景にあるという指摘に関心を持った。

 テヘランのアメリカ大使館人質事件はアメリカ世論の心象を極めて悪くした。他方、イラン側としても1953年のモサデク首相失脚のクーデターの背後にCIAがいた。シャーの抑圧体制をアメリカが支えていたことに対する不信感が根強く、アメリカの行動を「邪推する」傾向が定着してしまった。しかしながら、イギリスとロシア(ソ連)とのグレート・ゲームに翻弄される中、アメリカと友好関係を持とうとした時期もあり、イランの人々の対米感情は複雑である。

 いくつか気になったこと。イランはシーア派である。アリーをムハンマドの正統な後継者と考えるシーア派の成り立ちの経緯からして、アブー・バクル、オマル、オスマンは忌避される。これらの名前をシーア派の人がつけることはあり得ない。ところが、中世ペルシアで『ルバイヤート』を書いたのはオマル・ハイヤームはシーア派ではなかった。アラブという多数派に抗する民族主義感情からペルシア人はシーア派を選んだという考え方がトインビー以来、定着していたが、実際にはトルコ系シーア派のサファヴィー朝の時代に改宗したの直接の原因だった。

 シャーのご学友として最側近だった秘密警察シャヴァック長官のファルドゥースト将軍は、イスラム革命後の新政権でも秘密警察シャヴァマ長官として生き残ったらしい(アメリカのフーバーFBI長官を想起させる)。

 それから、日本との関わりでは、イランと国交を結んだ1929年、テヘランに公使館を開設した土地はモサデク家から借り上げたものだった。戦後、モサデク首相が石油会社国有化を宣言する中で日本の商社が石油を求めてイランへ渡ったのは、日本が国交を回復しようとしていたた時期だが、モサデク首相は「テナントの復帰を歓迎する」と冗談を言ったそうだ。

 イラン情勢については以前に下記の本を取り上げたことがあるので、ご参考までに。
吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』
・レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』
・レイ・タキー『革命の守護者:アヤトラたちの時代のイランと世界』
・ジョン・W・リンバート『イランとの交渉:歴史の亡霊に取り組む』
・スティーヴン・キンザー『すべてシャーの臣:アメリカによるクーデターと中東テロの起源』
・スティーヴン・キンザー『リセット:イラン・トルコ・アメリカの将来』
ヴァーリ・ナスル『ザ・シーア・リヴァイバル:イスラム内部の衝突がいかに未来を決めるか』

 また、イラン・イスラム革命においてイスラム信仰とマルクス主義を融合させた思想に熱狂した若者たちの活動が一つの駆動力となっていたが、その思想的指導者だったアリー・シャリーアティー(ただし、イスラム革命前に亡命先で暗殺された)の『イスラーム再構築の思想──新たな社会へのまなざし』も取り上げた。

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2013年4月17日 (水)

永井均『フィリピンBC級戦犯裁判』

永井均『フィリピンBC級戦犯裁判』(講談社選書メチエ、2013年)

 フィリピンは1946年7月4日に独立し、日本軍将兵に対する戦犯裁判を実施した。起訴された151名のうち52%にあたる79名に死刑宣告が下された。他の地域では平均して22%であったのと比べると極刑宣告の比率の高さが際立ち、日本側はフィリピンの裁判は厳しすぎるという印象を抱いた。その一方で、実際に死刑が執行されたのは2割に留まり、他の連合国での執行率が8割だったのとは対照的である。こうした数字の差の背景には、独立国家フィリピンの難しい立場が反映されていた。

 1945年2月のマニラ市街戦ではアメリカ軍の掃討によって日本軍のほとんどが全滅、死者は1万6千人を超えた。だが、この市街戦で巻き添えになった無辜の民間人の犠牲者は10万人にものぼり、その中には追い詰められた日本兵によって殺害されたケースも数多く含まれていた。フィリピン戦線に動員された日本兵61万3600人のうち約80%にあたる50万人近くが落命したが、その大半は餓死であった。こうした苦境から生き残った者たちは、敗戦の悔しさに打ちひしがれ、そこにフィリピン人から罵声を浴びせられ(まさに自分たちが使っていた「バカヤロー」という日本語で)、反感を募らせる。他方で、家族を無残に殺されたフィリピン市民の憎しみは根深い。対日憎悪の世論は極めて険しく、日本人とフィリピン人とではその受け止め方に大きなギャップがあった。

 新たな独立国家として面目を保つため、公正な裁判を心がけねばならない。対日憎悪の世論が盛り上がる一方で、司法当局者は誠実に日本人戦犯と向き合おうとした。そうした真摯な態度は、日本の戦犯の心にも響いたようだ。

 さらに大きな問題がある。冷戦対立が深刻化する中、安全保障の面から日本との外交関係回復がアメリカから求められ、国家再建のためにも日本との経済関係は必要となった。しかしながら、フィリピン国民は戦争の惨禍を忘れていない。そうした政治的要請と国内世論との板ばさみとなった葛藤が、本書ではキリノ大統領に焦点を合わせて描かれる。実は、他ならぬキリノ自身、妻と子供たちをマニラの市街戦で失い、血みどろになった娘の死体をこの手で抱き上げた記憶はいつまでも消し去ることはできない。怒りと赦し、その葛藤は単に公人としての責務というだけでなく、キリスト教信仰によって何とか克服しようとしていた。

 戦犯裁判の規定で死刑については大統領の最終決定を要するとされており、当初から高度な政治判断の余地が残されていた。最終的に対日関係回復のため死刑囚の恩赦が行われた。ただしそれは、冷戦の論理に基づく政治判断であって、一般国民の感情的問題は置き去りにされたままという矛盾は残った。赦すにしても、日本側が自らの責任を認めることが大前提だというフィリピン側の願いはどこまで通ったのだろうか。

 本書は日本軍による残虐行為の状況、戦犯裁判の過程、モンテンルパの刑務所に収容された戦犯たちへのフィリピン司法当局者の態度と日本での戦犯支援運動、そして恩赦に至る政治過程でのキリノ大統領の葛藤を描き出している。マルチアーカイヴァルな手法を駆使した成果だが、それは単に欠落した史料を補うというだけでなく、各国ごとに異なる当事者それぞれの思惑の多元的な様相が浮かび上がってくる。憎しみばかりでなく、心を通わせる信頼関係もあったからこそ物事が動いた側面もあった。そうした政治の論理だけではオミットされかねない当事者の様々な心情の揺れが垣間見える。そこからは同時に、怨念と赦しとが現実政治のロジックによって架橋された「和解」をいかに本物にしていくか、そうした難しく重いテーマを問いかけてくる。

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2013年4月16日 (火)

石弘之・石紀美子『鉄条網の歴史──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』

石弘之・石紀美子『鉄条網の歴史──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』洋泉社、2013年

 花壇が荒らされて困るから何とかして欲しい──そんなありふれた要望が鉄条網発明のきっかけだった。普通のワイヤーとトゲ付きのワイヤーとを組み合わせて安定化させるというちょっとした工夫から19世紀後半のアメリカで実用化されたグリッデン型鉄条網はあっという間に世界中へと普及していく。

 基本的な原理はシンプルで、その後も特段の技術的発展をするわけではない。だが、このローテクは、様々な場面で要請される応用力を持っていた。本来何もないところに人為的な障壁を作るのが鉄条網の目的である。それが力による排除という意図と結びつくと非常に効果的な作用を示す。本書は、鉄条網に視点を据えて人類の負の歴史を描き出していく。

 アメリカの西部開拓において土地の囲い込みに鉄条網は活用された。しかしながら、鉄条網を境として作り上げられた植生の変化によって生態系が乱されて土壌の悪化をもたらし、土地が荒廃する一因ともなってしまった。また、先住民を排除する上でも鉄条網は使われた。

 戦争でも鉄条網は活躍する。防御に効果的というだけでなく、例えば要塞戦において機関銃と組み合わせると絶大的な威力を発揮した。捕虜を捕獲すれば強制収容所で鉄条網が使われる。さらにはジェノサイドといった人類的犯罪で鉄条網は必須なアイテムとなった。

 陸続きの国境線に鉄条網を張り巡らせると、国境という抽象観念の指標となる。隣り合う国の間で経済的水準の差が大きければ、貧富の格差が浮かび上がってくる。

 このように積み上げられた鉄条網の「実績」は、敵と味方、支配と従属、富者と貧者といった軋轢を可視化させ、そうしたシンボルとして人々の脳裏に刻み込まれていく。例えば、ボスニア紛争において、鉄条網を背景にした人々の映像はジェノサイドを想起させて国際世論の喚起に大きな力を発揮した(PR会社のシンボル操作によってボスニア・ヘルツェゴビナ政府が優位に立った経緯については高木徹『戦争広告代理店』[講談社文庫、2005年]を参照のこと→こちら。ただし、本書『鉄条網の歴史』の著者自身もボスニア紛争の現場を実見しており、ボスニア側が被った被害を過小評価はできないと指摘している)。

 他方で、鉄条網による隔離が思わぬ副産物を作り出したケースも見られる。例えば、南北朝鮮を隔てる軍事境界線の内側には人の立ち入りが禁じられているため、豊かな生態系が出現しているという。「外敵」を排除するために用いられた鉄条網、その「外敵」を他ならぬ人間自身に措定したとき自然環境保護につながり得るというのは皮肉なことではある。道具は使いよう、ということか。

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2013年4月15日 (月)

土屋大洋『サイバー・テロ 日米VS.中国』

土屋大洋『サイバー・テロ 日米VS.中国』文春新書、2012年

 タイトルはやや扇情的だが、別に中国を仮想敵とみなした論陣を張っているわけではない。一般論としてサイバー攻撃のあり得る問題点について一通り見渡すには手頃な内容となっている。以下はメモ。

・国民で電子マネーが普通に行き渡るなど世界でも有数の電子立国を進めているエストニア。大量のアクセスによってサーバーをダウンさせる分散型サービス拒否攻撃(大量迷惑兵器)をロシアから受けた。先進的であればあるほお、情報通信の根幹がやられると社会生活が止まってしまう恐れ。

・サイバー攻撃は人間を直接殺すわけではない。本当に脅威となるのは、通信システムに対するサイバー攻撃と通常兵器による攻撃とが組み合わされた場合である。例えば、イスラエル軍がシリアの核疑惑施設を攻撃した際には、サイバー攻撃で防空監視システムをダウンさせた上で実施されたと言われる。また、イランの核施設を狙ったスタックスネットの例も挙げられる。人工衛星を動かすにも、軍隊を動員するにも通信機能は欠かせない。その意味で現代の戦争は通信システムなしに行うことは不可能だが、それが一つの弱点にもなり得る。例えば、アメリカのステルス無人偵察機がイランに捕獲されたケースでは、遠隔通信で動いているので通信環境からのっとられたる可能性がある。

・サイバー攻撃がこれまでの攻撃と本質的に異なるのは、攻撃があったことすら相手に感づかれないまま被害を与えられること。攻撃主体が匿名の非対称的存在。また、サイバー・パワーは知識と技能さえあれば大国政府のサーバーを攻撃できる。その点でパワーの分散という特徴をジョゼフ・ナイは指摘している。

・冷戦時代の核抑止論は合理的計算のできる政治主体としての米ソ双方の共通理解のもとで成り立っていた。ところが、サイバー戦争では、互いの手の内をひたすら隠し続ける。

・中国人民解放軍にもサイバー軍があり、アメリカにある法輪功関係のサーバーへの攻撃を実演した番組が放映された。中国でサイバー攻撃を行うのは誰か? ①愛国無罪を唱える若者たち。②商業的な利害から機密情報を取得しようとする者。③国家安全保障・軍事的な意図を持つ場合。軍事系でサイバーセキュリティに関係するのは人民解放軍総参謀部第三部。「網軍」は「藍軍」とも言われる。中国の党国体制が長期的に目指す社会的秩序の維持と順調な経済発展という二つの目標を維持できるかぎりは検閲を続けながらもインターネット利用を許可するだろう。逆に言えば、前者の目的を維持するため検閲は今後も精緻化されるだろう。

・調達部品に偽者が紛れ込み、そこにリモートコントロールできる仕掛けがある可能性。また、重要インフラストラクチャーへの攻撃の懸念、海底ケーブルのセキュリティなどにも注意する必要がある。

・サイバー攻撃について国際法上の合意はできていない。ITをめぐる法制度は各国バラバラで、法管轄の壁があるため国際協力の可能性は低い。

・高度な技術はビジネスで稼げるので、政府や軍隊にそうした人材は少なく、どこの国でもサイバー攻撃を仕掛けるのは民兵・傭兵。ギークをいかに政府の味方につけるか。

・専守防衛の日本では、サイバー防衛としてどこまでできるのか。陸上自衛隊のシステム防護隊、海上自衛隊の保全監査隊、航空自衛隊のシステム監査隊のいずれも、国民の生命や財産、国土の安全を守るのではなく、自衛隊の指揮通信などのシステムを守る任務しか与えられていない。

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