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2013年3月10日 - 2013年3月16日

2013年3月12日 (火)

川田稔『戦前日本の安全保障』

川田稔『戦前日本の安全保障』(講談社現代新書、2013年)

 日清・日露戦争を勝ち抜いた日本は中国大陸での特殊権益を確保、アジアにおける大国として国際的な地位を向上させた一方、中国への急速な進出は列強からの警戒心をも招いた。とりわけ国際的な大国として突出した影響力を発揮し始めていたアメリカとの関係が大きな課題となる。本書では、山県有朋、原敬、濱口雄幸、永田鉄山という4人のキーパーソンが抱懐していた国際認識と外交・安全保障構想について検討することを通して、当時の日本が直面した政策的対立軸が整理される。それは、対中関係・対米関係をにらみながら、国際協調路線を取るのか、それとも自主国防路線でいくのか、という選択肢に集約されるだろう。

 現在の視点からその是非はともかくとして、中国大陸における権益を維持しつつさらなる進出を図るのが当時の日本が国策を決める前提であった。パワーポリティクスの観点を持つ元老の山県有朋は、ロシアとの同盟関係によって満蒙へ進出し、英米による介入を抑止できるだけのパワーバランスの創出を図っていた。ところが、ロシア革命によって帝政は崩壊、第4次日露協商に含まれていた秘密協定も暴露されてしまい、山県の構想は頓挫する。

 代わって登場した政友会の原敬は、今後の国際社会でアメリカが大きな発言力を持つのは間違いなく、対米関係の安定化が日本の安全保障にとって重要だと考えていた。原もまた山県と同様にパワーポリティクスの観点を持っていたが、日本が力で威嚇しながら中国進出を強行すると、アメリカが敏感に反応する。むしろ、対中・対米関係を好転させ、軍事ではなく経済競争によって平和裏に中国進出を図る方が良い。つまり、アメリカとの軋轢を回避しながら平和的な交易型産業国家を目指したのが原の構想であったとされる。

 ただし、対米関係を軸とした外交を進めようとすると、国力の差が格段に違うアメリカの思惑によって日本は振り回されてしまうのではないか? こうした原の懸念を補いながら国際協調路線を継承したのが、民政党の濱口雄幸内閣だったと著者は言う。日本一国だけではアメリカの圧倒的な国力に刃向かうことはできない。しかし、日米双方が共に組み込まれた国際的安全保障システムの構築によってアメリカ単独の行動を抑え込むことは可能であろう。そうした思惑から濱口内閣は海軍軍縮条約、九カ国条約、国際連盟による多層的な協調システムに期待をかけたのだと指摘される。国際環境が安定化すれば、経済競争で海外、とりわけ中国への進出を考えればいい。こうしたコンテクストの中、経済的競争力を強化するため産業合理化政策や金解禁など一連の財政政策が実施されており、その意味で、幣原外交と井上財政は直結していた。

 しかしながら、国際連盟に果たして実効性はあるのか? 国際連盟には軍事力の裏づけがない以上、何らかの違反行為を行なった国家に対して制裁を加えることはできない(実際に、イタリアのエチオピア侵略や日本の中国侵略を抑止できなかった)。陸軍の永田鉄山は、国際連盟を全否定はしないまでも、過度な期待を寄せることはできない以上、自主独立の国防力を達成することが絶対条件だと考えた。そうした国際認識に基づいて国家総動員の高度国防国家を構想するが、軍事力の強化に必要な資源が確保できなければどうにもならない。そこで、資源の自給自足圏を形成すべく中国大陸への進出を図り、後の満洲事変につながっていく。

 アメリカと中国を両にらみしながらどのように政策構想を策定するのか。脅威と認識した大国に対して自主路線をとるのか、共通の安全保障システムを組み立てていくのか。こうした大まかな思考軸で意外と現在とも通底するところも見えてくる。そこから現在の外交政策への示唆を汲み取れるのかどうかはよく分からない。それよりも、第二次世界大戦を境に戦前・戦後と分けるのではなく連続した外交史として考える上で一つの座標軸となりそうな点に関心を持った。

 なお、著者は本書の主人公となっている4人についてこれまでにいくつか著作を発表している。『原敬と山県有朋──国家構想をめぐる外交と内政』(中公新書、1998年→こちら)、『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ、2009年→こちら)、『満州事変と政党政治──軍部と政党の激闘』(講談社選書メチエ、2010年→こちら)を以前にそれぞれ取り上げた。

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