【映画】「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」
「フォンターナ広場――イタリアの陰謀」
1969年12月12日、ミラノのフォンターナ広場に面した全国農業銀行が爆破され、死者17名、重傷者多数を出す大惨事となった。折りしもイタリアでは学生運動や労働運動が高潮してテロも頻発、いわゆる「鉛の時代」を迎えており、フォンターナ広場の爆破事件でもアナキスト・グループのメンバーが容疑者として逮捕された。しかし、事件の経過には不自然な点が目に付く。そもそも、これほどの大惨事であったにもかかわらず、その後に有罪判決を受けた者がいない。
冷戦は国際社会の色分けを規定しただけでなく、各国内で左右の対立を引き起こしており、イタリアの隣国ギリシアではクーデターで反共軍事政権が成立したばかり。イタリア国内の極右組織やタカ派政治家の中には、社会不安を煽り立てることで政府に非常事態宣言を出させ、それに乗じたクーデターを画策する者もいた。左翼グループには極右からの偽装転向者が潜り込み、彼らが爆破事件を主導した可能性が高い。
政府首脳、軍諜報部、警察、検察、極右グループ、極左グループ、マスコミ――様々な背景の当事者が織り成すこの映画のストーリー構成は分かりづらいかもしれない。犯人探しよりも、むしろ事件の迷宮構造そのものを描くところに監督の意図があったと言える。
諜報部が事件のもみ消しに動いているところから、例の特定秘密保護法をめぐる問題と結びつけて捉える向きもあるだろう。ただ、そうした問題以上に、異なる思惑が複雑に絡まり合ったとき、個々の当事者ではコントロールできない形で事件そのものが一人歩きするようにのしかかってくる、そうした得も言われぬ非人格的な凄みの方が強く印象付けられた。誰かが起こした事件であったのは間違いない。しかし、それを国家なるものの単独の意志として単純化した陰謀論に収斂させてしまうわけにはいかない。
事件の容疑者として尋問される鉄道員のピネッリは下層労働者として日々感じる社会的矛盾への憤りを動機として左翼活動に身を投じていたが、非暴力主義を信念としている。彼を取り調べるカラブレージ警視は職務に忠実に動いているが、他方で内偵活動で知り合っていたピネッリの人格は尊敬しており、彼がこんな無差別テロをやるはずはないと内心では考えている。左翼活動家と警察、そうした対立関係にありながらも、互いの信念や職務的忠実さは理解しているという現場ではあり得た人間関係が、仲間の背信や組織の論理によってつぶされていく。そして、二人とも不慮の死を遂げることになってしまう。こうした人間ドラマが織り込まれているからこそ、事件の陰惨さがいっそう際立ってくる。
キリスト教民主党のアルド・モーロ外相(後に首相)は、非常事態宣言を主張する内相に反対して、クーデターの目論見を未然に抑え込んだ良心派政治家として描かれている。そのモーロもまた1978年に極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。モーロは共産圏に対して融和的な態度を取っていたため、誘拐事件当時の首相で政敵であったアンドレオッティは釈放交渉の条件を意図的に拒んだと言われている。モーロ誘拐殺害事件についてはマルコ・ベロッキオ監督「夜よ、こんにちは」で描かれている。
【データ】
原題:Romanzo di una strage
監督・原案・脚本:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
2012年/イタリア・フランス/129分
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