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2013年10月17日 (木)

【雑記】雲崗石窟の江文也と崔承喜

 一九四一年のある日、江文也が山西省大同にある雲崗石窟の上にたたずんでいる写真がある。彼は目の当たりにした雄大な光景に触発され、ものぐるおしい感動に胸を打ちふるわせていた。彼にとって石仏は単なる宗教的なモニュメントなのではない。茫漠と果てしなく広がる大地のただ中に屹立する山並みに穿たれた大仏群、そこから浮かび上がる歴史の年輪を見て取った彼の眼差しは、目前の石仏を超え、はるかかなたの悠久へとまっすぐに向けられている。

 一九三七年から始まった日中戦争で大同も含めて華北一帯は日本軍によって占領されており、一九四一年十二月には間もなく太平洋戦争が始まろうという時代状況である。そんな硝煙の臭いが立ち込めた時期に、台湾出身の江文也がなぜ雲崗にいたのか。

 一九三八年に二十八歳の若さで北京師範大学教授に招聘されていた彼は東京と北京の両方に自宅を構えていた。知人の映画プロデューサーである松崎啓次から雲崗石窟をテーマとした記録映画の音楽を依頼され、その撮影旅行に同行していたのである。松崎はプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)出身の映画人で、その後、東宝を経て、当時は川喜多長政が設立した中華電影で制作部長をしていた。結局、映画企画そのものは頓挫してしまったようだが、雲崗石窟をじかに目の当たりにした体験が江文也の胸奥に激しい芸術的インスピレーションを巻き起こすことになったのは確かである。

 これより約一五〇〇年前の四六〇年頃、僧・曇曜が北魏の文成帝に上奏して雲崗石窟の造営が始まった。いわゆる三武一宗の法難の第一発目である北魏・太武帝による仏教弾圧がようやく終わったばかりで、仏教復興へ向けた情熱がこの一大事業に込められていた。ガンダーラ様式やグプタ様式の影響も色濃い造型からは、西域伝来の様々な文化要素を吸収し、昇華させながらこの巨大モニュメントが成立した歴史的背景がうかがえる。

 中国における雄大な風景と悠久な歴史とを具象化させた存在として雲崗石窟を見立て、そうしたイマジネーションから言語を絶した印象を受け止めた江文也は、その時の感動を『大同石佛頌』という詩集につづっている。

だが、石佛よ/自分は 単なる芸術の一求道者に過ぎず/汝を作つたひとびとの宗教とは/凡そ 縁もゆかりもない/一異教徒である/それでも/いま 自分は何か少し解つたやうな気がするのだ/それは/無限の可能状態である/表現である/有にして無の世界である/おゝ!/石佛よ/汝を通じて自分は感ずる/これはもはや芸術だけではない/これはもはや宗教だけではない/そのいづれであり/そのいづれでもない/もはや/これは芸術を越えて居り/遥かに越えて/そのいづれもが/ひとつの点に帰した極みであるのだ/寂であり/寥であり/すべて久遠なるものの/一切の原因となり得たものである/これは もはや彫られたものではない/彫刻工の手先きの遊戯でもなければ/快楽でもない/さらに 創造されたものでさへない/それは/生れるべくして生れたものだ/天がある如く/石佛もすでにそこにあつた/宇宙が微笑むやうに/石も微笑み出したまでである
(江文也『大同石佛頌』青梧堂、一九四二年、三七~四一頁)

 石仏は、彫刻家たちが刻み込んだいう点では確かに人為的な構成物に過ぎないのかもしれない。しかし、それらが膨大に集積され、そこに歴史の厚みを感じさせるようになったとき、一人ひとりの技巧は宇宙的広がりの中へと収斂される。人の手になる表現であっても、人智を超えた何かへと接続しうる可能性。雲崗石窟の壮大な仏像群を前にして、それこそ歴史を超越した美そのものへと憧れを羽ばたかせていく感動を胸中にたぎらせた江文也が、自らの音楽的表現をもまさにこうした永遠へとつなげていこうと気負っていたことが、この詩文から読み取れるだろう。

 雲崗の石仏群の雄大な光景から圧倒的な感動を受けた芸術家は他にもいる。例えば、「半島の舞姫」と謳われた、朝鮮半島出身の崔承喜である。彼女は華北に駐屯する日本軍の慰問のため、一九四二年に北京、天津などの都市を回って公演を行い、最後に大同まで行った。大同に近い雲崗石窟を訪れ、その時に感じたことを彼女は次のように記している。

 私はその(筆者注・公演の終わった)翌日○○(筆者注・原文伏せ字)部隊の方たちに案内され雲崗鎮までの一時間足らずの道をトラックで石仏参観に出かけました。
 東西半里にもわたると思われるカバ色の石崖の数十万体の巨大な彫刻の雄大なる群像を眺めた時に私は人間の創造力の如何に雄大であるかを、いまさらながら強く感じたのであります。
 私は欧米公演の節、ロダンの彫刻を始め欧米文化の残した芸術的遺産を見回り印象深いものがありましたが、この雲崗の石窟を見て、はるかに強い感銘に打たれたのであります。千五百年の昔、北魏時代。幾万人もの彫刻家がこの偉大な芸術作品の創造に心血を注ぎ、北魏の都には国中の佳人が集まり、彫刻の参考に供されたと伝えられているが、私はここの歴史は変わろうとも、芸術の限りなき生命を感じたのであり、幾十年もの間、その一生を唯この芸術創造の為に、こつこつと石を刻んだであろうところの、多くの名も伝えられていない芸術家をしのび、尊敬の念を禁じえなかったのであります。
 それと共に、今日の私たち芸術家が如何に『現実』のみの追求に追われていることか、如何にその仕事がその場限りの、生命の短いものであるかを嘆かざるを得ませんでした。
(崔承喜「興亡一千年の神秘」、金賛汀『炎は闇の彼方に──伝説の舞姫・崔承喜』日本放送出版協会、二〇〇二年、二〇二~二〇三頁)

 崔承喜にとって、日本軍の慰問に行くのは気が進まないことだったかもしれない。だが、あまたの有名無名の人々が孜々として築き上げてきた石仏群の歴史性という高みに立った視点を通して、彼女は不本意な戦争に巻き込まれている自分の惨めさを捉え返そうとした。戦争という「現実」に翻弄される小さな自分に拘泥するのではなく、そうした一切をひっくるめた悠久の「歴史」の中にこそ芸術を生み出していく生命力を見出したいという方向に発想を切り替えようとした。

 そうした努力が必ずしもうまくいくわけではない。しかしながら、植民地出身の自分が戦時下の異国で聖戦鼓舞をしなければならないという矛盾した立場を思ったとき、そのように考えなければこの「現実」を精神的に乗り切っていくのは難しかったのであろう。

 江文也と崔承喜との間に直接の交流があったかどうかは確認していない。ただ、雲崗石窟から永遠の何かへとつながる手ごたえを感じ取り、そうした超越的な視点から自らの表現を、そして自らの存在をも捉え返そうとした感受性では、二人に相通ずるところがあったように思われる。

 なお、伊福部昭も、旧満洲国・新京音楽院の招きで大陸に渡った際、雲崗ではないが熱河の寺院で目の当たりにした石窟から受けたインスピレーションをもとに「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」を作曲している(ただし、曲ができたのは戦後のこと)。リトミカ・オスティナータというのは執拗な反復律動という意味で、まさにミニマリズムの美学と言うべきだろう。石窟寺院で見かけた一つ一つの仏像は貧相なものだが、その大量に充満している様子に圧倒され、反復律動のイメージにつながったのだという。

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コメント

お久しぶりにブログを汚しに参りました。


相変わらずの潮目の読みに、台湾バナナの逆襲を企てる方だけあるなぁと。(悪い冗談ではなく)

さて、少し前から、岩波書店が出している月刊の小冊子「図書」が気になって読み始めました。初めは、金時鐘氏「済州島四・三事件」の記憶に関する連載が目当てだったのですが、赤川次郎氏の連載もなかなか。ジョルダン・サンド氏の「式年遷宮」の文化政治学も拾いもの。で、今月号に掲載された李成市氏の「二一世紀の日本史研究へ」を読みながら、トゥルバドゥールさんの江文也・道行を想い浮かべ、どう海を渡られるんだろうかと“投げ銭”ならぬ“ブログ汚し”に参った次第です。〈李成市氏…【気鋭の東洋史研究者 古代史から現代を分析】http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2007/post_518.php〉

これからの展開、本当に期待しております。

で、やっぱり海を渡られる時は“新内流し”で?。江文也、新内なんて耳にしたのでしょうか。

新内流れる遊里を、エドゥアール・グリッサンが読み解いたフォークナーのミシシッピに重ねてる訳ではないですが。
でも、そんな音も聞こえてくるかもしれない道行でもありましょう。


ところで、最近出版された丸川哲史(著)「魯迅出門」(インスクリプト)は気になっております。


がっつりと好きなようにやっちゃって下さい。

失礼しました。

投稿: 山猫 | 2014年2月11日 (火) 04時14分

ご無沙汰しております。
コメントをありがとうございました。
いつもながら、からめ手からの攻め込みは、やはり「山猫」節ですね(笑)
潮目を読んだ、というよりも、先の見えない道行ですが、どうなるものですやら。
丸川哲史といえば、戒厳令下台湾の民主化活動をした作家の作品を翻訳されていますが、合わせて読むとどんな感じか、そういう点でも気になりますね。

投稿: トゥルバドゥール | 2014年2月12日 (水) 00時39分

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