平瀬礼太『彫刻と戦争の近代』
平瀬礼太『彫刻と戦争の近代』(吉川弘文館、2013年)
戦時下とはすなわち国民生活のすべてが戦争という国家目的に向けて動員された時代であり、個性の発露に価値を置く近代的な芸術観からすれば、確かに不毛の時代であったとも言えるのかもしれない──それこそ、かつては「緑色の太陽」を描いても構わないと個性尊重を謳い上げた高村光太郎が、戦争の興奮状態の中で個人主義を捨てて戦争協力を唱えたように──。
しかし、作品が制作されていなかったならともかく、この時代にも当時なりの制作活動があった以上、価値観的にどう評価するかは別として、美術史的に空白のままにしておくわけにはいかない。そうした問題意識から本書は戦時下における彫刻家たちの動向をたどっているが、明治以降の時代的流れの中から捉えているので、そもそも彫刻の歴史に疎い私にとっては勉強になった。
戦時色が濃厚となるにつれ、展覧会で展示するような芸術作品としての彫刻よりも、軍神を称揚するようなモニュメンタルな銅像が制作されるようになった(ただし、1943年以降、銅像を供出する方針が示される)。抽象的な美よりもメッセージの目的を明確にした具体性が重要になっていくわけだが、見方を変えれば、戦意高揚を意図した銅像作品は闘争的政治意識を打ち出したプロレタリア芸術の写実性と、少なくとも表現技法の面では同一地平にあったと言える。実際、大正教養主義の風潮の中で賞賛されたベルギーの彫刻家・ムーニエが1940年代に労働礼賛のシンボルとして復活するなど奇妙な共鳴現象が見られる。
健民彫塑展示会というのを大政翼賛会が後押ししていた(本書、83ページ~)。男は良い兵士に、女は健康な子供を生むように奨励され、健康の美徳を説く趣旨で行われたものだが、北村西望が男性美の表現だけでは淋しいと女性美も加えようとしたところ、翼賛会から全裸女性だけは遠慮してくれとクレームがついたらしい。当時のナチス・ドイツでも同様に健康という美徳から肉体美が称揚されており(例えば、田野大輔『愛と欲望のナチズム』講談社選書メチエ、2012年)、ナチスほど「先進的」ではなかったにせよ、似たような発想が日本にもあったのが興味深い(なお、日本では1920年代でも男性裸体像はタブーで、検閲で「局部切断」なんてこともあったらしい)。
日本の敗戦後、「軍国主義」的な銅像は当然ながら撤去の対象となった。しかし、あらゆる芸術作品につきものの問題だが、基準はどうしても曖昧なものとなってしまう。日名子実三の「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)は1946年に「平和の塔」と改名された上でそのまま残され、しかも1965年には「八紘一宇」の文字が復元されている。このように戦意高揚のモニュメントが、平和のシンボルにすり替わってそのまま残存している例は少なくないらしい。そもそも、長崎の「平和祈念像」で有名な北村西望はかつて戦争協力に積極的な彫刻家の一人であったという。私としてはこうした点を断罪するつもりはないが、様々な意味合いで歴史的な連続性を確認できるところに興味が引かれる。
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