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2013年7月14日 (日)

駒村吉重『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』

駒村吉重『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』(山川出版社、2013年)

 私は必ずしも辻まことの文章やイラストを好んで読んだり見たりしてきたわけではない。ただ、話術も豊かで誰とでも気軽に付き合い、洒脱でスマートな雰囲気を彼は醸し出していた一方、どことなく暗さも感じさせるのはなぜだろう、そんな不思議な印象も漠然とながら感じていた。

 「彼は辻潤と伊藤野枝のあいだに生まれた。だが彼は自分で自分になったのだ。辻まことは辻まことの独創である」とまことの友人であった矢内原伊作は記している。血筋にからめてお手軽な批評を戒めるという意味では異論はない。だが、ことさらな決め台詞に「なんだか乱暴だなあ…」と著者は違和感をおぼえたというが、私も同感である。

 このブログのタイトル「ものろぎや・そりてえる」とは、まことの父・辻潤の文章から拝借しており、私自身、以前から辻潤という人物に関心を抱いていた。まことは父について語るのを嫌がっていた。ただ、残されたいくつかの回想を読む限り、辻潤のことを誰よりも深く理解していたのは、他ならぬまことだったと思う(以前にこちらで触れた)。逆に言えば、辻まことのことを考えるにしても、辻潤の思想──すなわち彼の人生そのものともまた切り離せない。本書を読みながら、改めてそう実感した。

 辻潤のあまりにも不器用な人生と比べると、まことのスマートさは一見したところ対極的である。ところが、著者がまことをじかに知る人々へ重ねたインタビューでこういう話があったのが目を引く。まことの社交性、言い換えると「世渡り上手」なところに若干の嫌悪感をもらしたところ、「ありゃ、子どものころに身についちゃった『居候』の智恵なんです…」と返ってきた。なるほどと思った。表面的には周囲へ適応しつつ、余人にはなかなかうかがい知れない孤独を抱えていたのも辻まことという人の一つの姿であった。彼の器用に見える社交性は、逆にそこには収まりきれない何かをうっすらと浮かび上がらせてくる。

 辻まことが記した次の一文は、辻潤という人物を見事に的確に表わしていると私は考えている。

「自分自身を生命の一個の材料として最も忠実に観察し、そこに起る運動をありのままに表現する作業、つまり、客体としての自己を透して存在の主観を記述したのが辻潤の作品なのだ。最も確実な個性を、個性的な忠実さで個性的に追求したために、ついに個性などというものを突抜け、人間をつきぬけ、生物一般にまでとどこうとしてしまった存在なのだということができるかも知れない。」(辻まこと「辻潤の作品」『辻まことセレクション2 芸術と人』平凡社ライブラリー、1999年)

 一人の人間が生きるというのは思えば大変なことで、誰一人として同じ人生を生きることはあり得ない。善悪是非の問題とは次元が異なり、一切の前例があり得ない中で、自分の人生をひたむきに生き抜くしかない。社会的な価値判断からすれば「だらしない」とマイナスのレッテルを貼られてしまうような人生であっても、それもまた自らに与えられた必然的な生であると自覚的に捉えなおす。その意味で、存在論的な懊悩をそのままのものとして自らの人生を全うしようとしたところに辻潤という一つの現象の不思議さがあった(そうした生き方を山本夏彦は愛おしさを込めて「ダメの人」と表現している)。辻まことはそうした父の苦しさをよく見ていた。

 辻潤は発狂した。精神病院まで身柄を引き受けに行った辻まことは難儀したことだろう。しかし、その時に父から次のように言葉をかけられたことに衝撃を受けたという。

 「──お互いに誠実に生きよう。
 異常に高揚した精神につきあって私も不眠が続いていて、こっちもすこしはオカシクなりかけていたのだが、この言葉とそのときの冷静な辻潤の面持ちのなかには一片の狂気のカケラもなかった。そして、この言葉は私の心に深く刺さりこんだ。
 直観的に、この言葉が、お互いの関係の誠実という意味ではないことを悟った。彼は私に「自分の人生を誠実に生きる勇気をもて」といっていたのだ。そして自分は「誠実に生きようとしているのだ」といっていたのだ。
 一寸まいったのである。」(辻まこと「父親と息子」同上)

 辻潤と辻まこと──もちろん、パーソナリティーは全く違うし、山と絵を愛したまことの描くものは父親の趣向とは異なる。ただ、まことは時折、「辻潤ならどんなふうに考えたろう」と自問していたという。社会的破綻者であった辻潤に具体的な行動指針を求めることなどできるわけがない。しかし、自分の人生を誠実に生き抜くということ、一般論のあり得ない難しさを引き受けて生きること──「自由」という概念にまとめてしまうとスカスカになりかねない苦しさに迷ったとき、まことは父・辻潤の存在を意識していた。少なくとも私はそのように考えている。

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