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2013年7月 7日 (日)

李学俊(澤田克己訳)『天国の国境を越える──命懸けで脱北者を追い続けた1700日』

李学俊(澤田克己訳)『天国の国境を越える──命懸けで脱北者を追い続けた1700日』(東洋経済新報社、2013年)

 警備兵の監視の目をかいくぐって中朝国境を渡り、公安の摘発におびえながら中国に潜伏、何とか東南アジアなど第三国に脱出して韓国大使館に駆け込んでも、外交問題への懸念から必ずしも受け入れられるわけではない──いくつもの関門をくぐり抜けたとしても成功の見通しは覚束ない過酷な脱出行。そうした文字通り命懸けの脱北者支援活動に同行取材した記録である。

 そもそもが非合法な活動であるため、欲得や裏切り、身を切られるような悲しい別れ、人間の様々な姿も見せつけられる。タフな精神力と決意がなければ、やっていけるものではない。そうした中、二つのタイプの人物が目に付く。第一に、キリスト教の伝道師。本人もギリギリの生活をしている上に借金を重ね、すべてを持ち出しながら命懸けの活動に従事する使命感。第二に、現地のブローカー。麻薬密売など非合法ビジネスで荒稼ぎをしていたが、国境越えのルートを熟知しているため脱北者を連れて行くよう依頼された。当初はもちろん報酬目当てだったが、脱北者の苦境をじかに聞き知り、脱北に成功した時の彼らの晴れやかな表情を見たときの達成感から、いつしか利害を度外視して協力するようになったという。

 中国潜伏中に生れた脱北者の子供たちには国籍がない。そこで、欧米の理解ある家庭へ養子に出す活動も行われているが、倫理面も含めて色々と問題はある。また、各国大使館・領事館へ脱北者を集団駆け込みさせ、その様子を撮影して配信するなど、いわゆる企画脱北には政治的パフォーマンスだという批判もある。しかしながら、打てる手が限られている中、毀誉褒貶を度外視してなりふり構わずやれることをやるしかない、そうした苦境は無視できない。

 脱北者が何とか韓国にたどり着けたとしても、安住の地にはならない。政治的判断としての受け入れと、実際に社会的に受け入れられるかどうかは別問題であり、脱北者が韓国社会で味わう疎外感が問題化している。同胞から余計者扱いされるくらいなら第三国で差別されるほうがまだマシだと欧米へ渡ったり、北朝鮮側の工作に応じて戻ってしまうケースすらあるのだという。国境を渡っても、その先には別の形で不条理が待っている──北朝鮮というブルータルな体制の闇は深い。

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