リ・ハナ『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』
リ・ハナ『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』(アジアプレス出版部、2013年)
日本で暮らす「脱北者」の話──となると、何か重そうで身構えてしまうかもしれない。ところが、本書でつづられているのは、異国の環境、気負い立った大学生活に馴染めない女子大生の悩み。もともとはブログを書籍化したものである。「脱北者」の問題はどうしても北朝鮮の政治体制における負の側面の象徴として政治的言説に絡め取られやすい。しかし、友達に相談するような自然体は、こうした次元とは関係なく、彼女も自分も身近なところで一緒に暮らしている者同士なんだという気持ちにさせてくれる。
著者は中朝国境の町、新義州に生まれた。両親は日本生まれ、祖父母は韓国・済州島の出身。帰国事業もそろそろ下火になりつつあった1970年代の後半に一家は北朝鮮へ移住した。日本での学生生活を謳歌していた父は嫌がったが、両親に押し切られ、やむなく同行したのだという。医科大学を卒業して医者となった父だが、北朝鮮での生活には早くから幻滅しており、体をこわして40歳代の若さで亡くなった。その後、親戚が罪を犯したため農村への強制移住が決定(北朝鮮には前近代的な連座制がある)、絶望した母は子どもたちを連れて中国へと向け命がけで国境の川を渡る。脱北に成功はしたものの、公安に見つかったら北朝鮮へ強制送還されかねない。中国東北地方で転々と生活するうちに家族ともはぐれてしまった。不安におびえ、生活に追われ、将来も見えない日々。やがて来日し、関西の大学に通うことになった。なお、来日の経緯は公にすると差しさわりがあるようで、詳細は語られていない。
折に触れて様々な人々の助けがあった一方、やはり個人レベルでは解決のできない問題も大きい。彼女の場合、幸いにしてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の奨学支援プログラムによって大学に進学できたが、難民として異国にある人が自前で生活できるよう環境整備を進める上で公的な支援が望まれる。
「私は脱北者です」とカミングアウトするのもなかなか難しい。韓国籍を取得したものの、胸を張って「韓国人です」とも言いづらい。自分は一体、どこの国の人間なんだろう?──戸惑いがいつも脳裏から離れない。北朝鮮の過酷な抑圧体制は確かに悲惨である。他方、そうした中でも日々の生活には喜びや悲しみがあり、甘く切ない思い出があった。生まれ育ち、気持ちに馴染んだ故郷はやはり忘れがたいものだろう。いつの日か、彼女が大手を振って故郷へ戻れる日が来るのだろうか? その可能性は少なくとも近い将来には見込めないだけに、なおさらのこと、この日本で一生懸命に生きて欲しいと思う。
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