【映画】「セデック・バレ 太陽旗編/虹の橋編」
「セデック・バレ 太陽旗編/虹の橋編」
台湾における日本の植民地支配が安定しつつあるように思われていた1930年10月、原住民族セデック族の頭目、モーナ・ルダオが率いる約300人が台湾中部の霧社で武装蜂起した。駐在所を襲撃した後、その日に開催されていた運動会の会場に乱入、集まっていた日本人を次々と殺害し、首をはねていった。犠牲者は約140人に及ぶ。驚愕した日本側はただちに警官隊や軍隊を動員して反撃に出たが、山地を駆け回るセデック族の戦士たちは神出鬼没、ゲリラ戦では彼らの方が圧倒的に強い。攻めあぐねた日本軍は当時としては最新鋭の機関銃や大砲、飛行機、さらには毒ガスまで投入し、またモーナ・ルダオと反目するセデックの別の部族も動員して同年12月までにほぼ鎮圧した。蜂起したセデック族の多くが戦死したばかりか、残された家族も自殺して果てた。いわゆる霧社事件である。
日本軍の圧倒的な戦力を前にして勝ち目のないことは最初から分かっていた。それにもかかわらず、なぜモーナ・ルダオは日本人襲撃を決意したのか? 直接的には、息子の婚礼の席で無礼な態度をとった日本人警官が部族の人々から暴行を受け、態度を硬化させた彼からの報復を覚悟したことがきっかけになっている。さらには、建設工事の木材運びなどに駆り出された苦役の大きな負担、日本人からの蔑視、伝統的な生活への侵食、領台以来の日本軍による平定作戦で親族や仲間が殺害されていたことなど、様々に鬱積していた不満を抑え切れなくなっていた。日本化を強制されて自分たちの習俗が否定される中、このままではセデック族として生きていくことはできない──プライドをかけた戦いが始まる。
魏徳聖監督は霧社事件をテーマとした映画のアイデアを長年温めていたが、「海角七号」の大ヒットで企画の目途が立ち、ようやく実現したのがこの映画「セデック・バレ」(賽德克・巴萊/Seediq Bale)である。セデック・バレとは「真の人」という意味。第一部「太陽旗」、第二部「虹の橋」に分かれ、それぞれが二時間を超える大作だ。太陽旗は日本の来台を、虹の橋はセデック族の信仰世界で祖霊の住む地へ渡ることを表している。なお、セデック族はかつてタイヤル族に含められていたが、現在では独立した民族として認定されている。
劇映画として盛り上げるためかなり脚色されており、もちろん史実そのものが忠実に再現されているわけではい。キレの良いアクションで日本兵がバッタバッタとなぎ倒されていくが、実際にやられたのは20数名で、あれほど多くはない。日本軍が国際法上禁止された毒ガスを使用したかどうかについては研究者の間でもまだ一致した結論が出ておらず(周婉窈『図説 台湾の歴史 増補版』平凡社、2013年)、毒性の強い催涙ガスを使用したと考えるのが妥当なようだ(春山明哲『近代日本と台湾』藤原書店、2008年)。また、翌年の1931年、投降した者たちが隔離された収容所を、日本人警官によって煽動されたセデック族の別部族が襲撃し、多数の犠牲者を出したが(第二次霧社事件)、こうした残忍な報復については映画の最後にテロップで説明するにとどめられている。あまりに陰惨な事件なのでストーリーに織り込むのが難しかったのだろう。
日台関係を好意的に考えるとき、日本の植民地統治の良好な部分を強調する傾向も見られるが、領台以降、統治が安定化するまでは抵抗運動に対して苛烈な弾圧政策が進められていた。また、無理な統治政策のひずみも重なっており、そうした日本の植民地統治の負の側面は映画の前史の部分で概観される。
ジャレド・ダイアモンドの近著『昨日までの世界──文明の源流と人類の未来』(日本経済新聞出版社)の表現を借りるなら、セデック族社会はまさに「昨日までの世界」であった。蜂起前、飲んだくれている原住民の姿も映画では描き込まれている。急速な近代化で無力感にとらわれ、原住民社会でアルコール中毒や自殺の割合が高まる現象は世界各地で観察されている。セデック族が抱いた不満は、日本の植民地統治に対するものであると同時に、そこに重ねられている「近代」がもたらした矛盾として考えることもできる。
「昨日までの世界」は、自らを文明的とみなす「近代人」からは「野蛮人」として軽蔑の対象でしかなかった。もしくは、別世界のユートピアとして夢想の対象でしかなかった。台湾においては日本の植民地統治期にせよ、戦後の国民党政権期にせよ、原住民文化の自律性を認めず、指導を受けるべき後進民族とみなす期間が長きにわたっていた。人類文化の多様にあり得るヴァリエーションの一つとして彼らの社会を価値観的に対等に扱う視点が広まるのは、文化人類学や多文化主義の考え方が定着して以降のことである。
映画「セデック・バレ」は単なる抵抗の物語ではない。セデック族自身が抱いていた自律的な世界観を踏まえ、そこから一つのストーリーを紡ぎあげているのがこの映画の特徴である(もちろん、脚色されているにしても)。
そこには様々な葛藤があった。映画では、日本の警官になった花岡一郎(ダッキス・ノビン)が「「文明人」になって日本人から見下されないようになりたい。それにはもっと辛抱が必要だ」という趣旨のことを語るが、それは同時にセデック族として生きることの自己否定につながる。「出草」(首狩り)の風習は、我々の観点からすれば獰猛な前近代性として受け入れがたい。しかし、彼ら自身の精神世界においては、勇者として一人前になる証しでもある。勇気を示さなければ「虹の橋」を渡ることはできない。結果は自滅しかないのが明白で、我々からすれば不可解な行動であっても、これは尊厳を賭けた戦いに他ならなかった(見ようによっては、ハリウッド映画「ラスト・サムライ」と同様の構図かもしれない)。「昨日までの世界」が近代社会と不幸な邂逅をしたときに繰り広げられた様々な悲劇の要素がこの映画からも見出せる。
戦いが終わった後、日本側の指揮官であった鎌田弥彦が「彼らの勇猛果敢な精神には、我々日本人がすでに失った武士道精神を見出せるのかもしれない」という意味のことをつぶやく。ある意味、陳腐な発言ではあるが、彼らの精神文化の自律性を認めてやりたいという現代の製作者の意図がこのセリフに込められているのかもしれない。
同時に、次のことにも注意しておかねばならない。霧社事件でセデック族が示した勇猛さは日本人に大きな印象を残し、戦時下、台湾原住民の尚武の気風は日本の武士道精神と似ているという言説が、高砂義勇隊として彼らを集める際にも語られていた。霧社事件の生き残りにも高砂義勇隊に参加した人がいる(林えいだい『証言 台湾高砂義勇隊』草風館、1998年)。また、霧社事件の抗日という側面は戦後における国民党政権の歴史観に一つの位置付けが与えられた(例えば、台北の忠烈祠に莫那魯道=モーナ・ルダオが祀られているのを見たことがある)。いずれも原住民蔑視の発想を残して同化政策を進めながら、都合の良い部分だけ利用したわけである。霧社事件はそれだけで完結しているのではなく、歴史の前後の脈絡の中で考えていく必要がある。
台湾において原住民文化の自律性が認められるようになったのはようやく二十世紀も終わり近くになってからのこと。そうした風潮が定着してようやく、娯楽性を備えた歴史大作映画として「セデック・バレ」が大ヒットをとばすことになったのである。それが可能になった社会一般における歴史観の変遷という観点からこの映画の位置付けを考えてみてもいいのかもしれない。
公式サイト→http://www.u-picc.com/seediqbale/index.html
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