石剛 編著・監訳『「牛鬼蛇神を一掃せよ」と文化大革命──制度・文化・宗教・知識人』
石剛 編著・監訳『「牛鬼蛇神を一掃せよ」と文化大革命──制度・文化・宗教・知識人』(三元社、2012年)
文化大革命そのものよりも、これを現出させることとなった中国社会の内在的要因の解明を目指し、社会制度的・思想構造的な観点からアプローチした論文が集められている。目次は以下の通り。
・王毅(浜田ゆみ訳)「「牛鬼蛇神を一掃せよ」が「文革」の綱領となる過程及びその文化的根源」:文化大革命のスローガンの後景に、打倒相手を妖魔化する原始的・深層意識的なレトリックを指摘。
・印紅標(光田剛訳)「紅衛兵「破四旧」の文化と政治」
・楊麗君「文革期における集団的暴力行為の制度的要因」:私的領域と公的領域を分けるのが近代社会の特徴とするなら、中国では私的領域がなく、公的領域が生活を覆い尽くしている→退出する道がないためあらゆる場面で闘争が拡大したことを指摘。
・王力雄(渡辺祐子訳)「チベット問題に対する文化的懸検証」「チベット仏教の社会的機能とその崩壊」
・張博樹(藤井久美子訳)「中国現代「党化教育」制度化の過程」
・謝泳(浜田ゆみ訳)「思想改造運動の起源及び中国知識人への影響」
・呉廸(浜田ゆみ訳)「ユートピアの実験──毛沢東の「新人と新世界」」
・干春松(光田剛訳)「1973年の梁漱溟と馮友蘭」
・単世聯(桑島久美子訳)「1949年以後の朱光潜──自由主義からマルクス主義へ」
私は梁漱溟にちょっと関心があるので、干春松論文の概要を以下にメモしておく。梁漱溟については、Guy S. Alitto, The Last Confucian: Liang Shu-ming and the Chinese Dilemma of Modernity, 2nd edition, University of California Press, 1986(ガイ・S・アリット『最後の儒者:梁漱溟と近代をめぐる中国のジレンマ』)を読んだときのメモをこちらにアップしてある。
・儒学研究の大家として知られた梁漱溟と馮友蘭。批林批孔運動にあたって、節度を曲げなかった梁と政治的風潮に迎合して孔子批判を行った馮、この二人を崇高さ/卑小さといった個人的な節度の問題として捉えるだけで良いのだろうか?
・梁漱溟は学問に退避していたのではなく、むしろ政治・社会の問題に強い関心を持っていた。晩年に彼の話を聞きにいった景海峰によると、彼は自らの文化的著述への執着はあまりなかったが、むしろ国共両党の間を取り持とうと奔走した時期の筆墨文章は後世に残したいと念を押していたという。
・知識分子について、独立的な立場からの批評者としての役割という啓蒙的な基準から評価する考え方だけでは、中国の知識階層のイメージをつかむのは難しい。伝統的な中国の知識階層の考え方は、自分の考え方の実現を聖明な君主への期待に寄託するというもの。儒家の立場と現実政治とのあいだの関連を調整しようとした立場で馮を考えてもいいだろう。梁と馮の二人とも、順応的な時もあれば抗争的な時もあった。
・梁漱溟は1949年以前から民主人士として知られ、毛沢東から何度も政府に参加するよう求められたのに対して、彼は「政府の外側にとどまる」ことを希望した経緯がある。対して馮友蘭は、国民党代表大会の代表に加わっていたことがある→過去の過ち→1949年に毛沢東に改悛の手紙を送り、「誠実であれ」という返信→以後の政治活動の基調を決定。
・毛沢東というカリスマの位置→知識分子に新しい秩序を受け入れさせた要素。
・1949年以後の新政権は、過去の社会との断絶を強調した新たな権力体系で、これが中国社会を近代化へと推し進めていると認識したとき、従来から持っていた考え方の無力感→旧説を捨て、新しい権威の要求に一致するような解釈を構成していく。
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