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2013年4月19日 (金)

高橋和夫『イランとアメリカ──歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』

高橋和夫『イランとアメリカ──歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』(朝日新書、2013年)

 イラクのフセイン政権崩壊、「アラブの春」といった激動の中、シリアの内戦が膠着状態にあることに顕著なように先行きがますます不透明になりつつある中東情勢。敵/味方の関係が複雑に入り組んだパズルを読み解くのはなかなか容易ではない。核開発疑惑、イスラエルとの一触即発の対立、こうした問題からアメリカの対中東政策で最もナーバスなのが地域大国イランの存在である。実はイラクやアフガニスタンの安定化を図る上でイランとアメリカが協力できる余地もあったのだが、実際にはすれ違ったままだ。イランの政治外交が持つ複雑な性格を踏まえておかないと、中東情勢の理解は表面的なもので終わってしまう。本書は、そうしたイランの「複雑さ」を歴史的な背景から捉えなおそうとしており、格好な入門書である。

 1979年以降のイラン・イスラム革命自体のプロセスも複雑だ。そもそもシーア派宗教指導者の主流派は政治への関与を否定するのが伝統的考えで、宗教指導者による統治を打ち出したホメイニの方針は独特だった(主流派は政治から一歩引いているからこそ積極的な政治勢力とはなり得ない)。彼は政治への嗅覚が実に鋭かった。宗教者からリベラル派、左派までシャーの抑圧的体制に反対するあらゆる勢力を結集させるシンボルとなる。宗教指導者が革命の実権を握る上でアメリカ大使館人質事件が大きな転換点となった。リベラル派も参画した新政権は対米関係の悪化を望んでおらず、穏便な解決を模索していたが、ホメイニは学生たちにゴーサインを出した。人質事件による対米関係の悪化は、外敵による脅威を演出することになり、さらに隣国イラクのフセイン大統領がイランの混乱に目をつけて侵攻してくると、国民の団結意識がむしろ高まった。こうした過程でリベラル派や左派は追い落とされ、宗教指導者のヘゲモニーが確立する。大使館人質事件は外交的には非理性的だったが、国内での権力掌握という点では政治的に合理性を持っていたとも言える。

 なお、ホメイニが国外追放されるきっかけになった1963年暴動における彼の演説を聞いた革命第一世代(ハメネイ、ラフサンジャニ、ハタミ、ムサビなど)と、イラン・イラク戦争の高揚感の中で育った革命第二世代(アフマディネジャド)との肌合いの相違が、その後の政争の背景にあるという指摘に関心を持った。

 テヘランのアメリカ大使館人質事件はアメリカ世論の心象を極めて悪くした。他方、イラン側としても1953年のモサデク首相失脚のクーデターの背後にCIAがいた。シャーの抑圧体制をアメリカが支えていたことに対する不信感が根強く、アメリカの行動を「邪推する」傾向が定着してしまった。しかしながら、イギリスとロシア(ソ連)とのグレート・ゲームに翻弄される中、アメリカと友好関係を持とうとした時期もあり、イランの人々の対米感情は複雑である。

 いくつか気になったこと。イランはシーア派である。アリーをムハンマドの正統な後継者と考えるシーア派の成り立ちの経緯からして、アブー・バクル、オマル、オスマンは忌避される。これらの名前をシーア派の人がつけることはあり得ない。ところが、中世ペルシアで『ルバイヤート』を書いたのはオマル・ハイヤームはシーア派ではなかった。アラブという多数派に抗する民族主義感情からペルシア人はシーア派を選んだという考え方がトインビー以来、定着していたが、実際にはトルコ系シーア派のサファヴィー朝の時代に改宗したの直接の原因だった。

 シャーのご学友として最側近だった秘密警察シャヴァック長官のファルドゥースト将軍は、イスラム革命後の新政権でも秘密警察シャヴァマ長官として生き残ったらしい(アメリカのフーバーFBI長官を想起させる)。

 それから、日本との関わりでは、イランと国交を結んだ1929年、テヘランに公使館を開設した土地はモサデク家から借り上げたものだった。戦後、モサデク首相が石油会社国有化を宣言する中で日本の商社が石油を求めてイランへ渡ったのは、日本が国交を回復しようとしていたた時期だが、モサデク首相は「テナントの復帰を歓迎する」と冗談を言ったそうだ。

 イラン情勢については以前に下記の本を取り上げたことがあるので、ご参考までに。
吉村慎太郎『イラン・イスラーム体制とは何か』
・レイ・タケイ『隠されたイラン──イスラーム共和国のパラドックスと権力』
・レイ・タキー『革命の守護者:アヤトラたちの時代のイランと世界』
・ジョン・W・リンバート『イランとの交渉:歴史の亡霊に取り組む』
・スティーヴン・キンザー『すべてシャーの臣:アメリカによるクーデターと中東テロの起源』
・スティーヴン・キンザー『リセット:イラン・トルコ・アメリカの将来』
ヴァーリ・ナスル『ザ・シーア・リヴァイバル:イスラム内部の衝突がいかに未来を決めるか』

 また、イラン・イスラム革命においてイスラム信仰とマルクス主義を融合させた思想に熱狂した若者たちの活動が一つの駆動力となっていたが、その思想的指導者だったアリー・シャリーアティー(ただし、イスラム革命前に亡命先で暗殺された)の『イスラーム再構築の思想──新たな社会へのまなざし』も取り上げた。

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コメント

船戸与一の「風のクロニクル」にもサバック職員が革命後も政府内に残り続けたという描写がありましたが、これほどの高官が体制を超えて生きながらえたというのはちょっとした驚きですね。
ところでファルドゥーストの役職が長官となっていますが、これは副長官兼"daftar-dar" の長では?
(ウィキペディアの受け売りです)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hossein_Fardoust

投稿: nil | 2013年4月29日 (月) 22時55分

ご指摘、ありがとうございました。ファルドゥーストの経歴は、いろいろと背景事情が気になってきますよね。

投稿: トゥルバドゥール | 2013年4月30日 (火) 18時00分

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