江文也試論(未定稿)
小津安二郎生誕百周年に合わせ、台湾ニューシネマの旗手、侯孝賢が監督した映画「珈琲時光」(二〇〇四年)の主な舞台は東京である。さり気ない所作を重視する侯孝賢らしく過剰な演出を排し、東アジアを股にかけて活躍するカメラマン、李屏賓が東京の街並を撮影した映像は穏やかな叙情を湛えている。
そこにピアノの軽やかなメロディーがかぶさる──江文也が東京で暮らしていた頃に作曲した作品である。
一青窈が演じるフリーライターは東京での江文也の足跡をたどっている。かつて彼が暮らしていた家の近くにあって彼もよく散歩したという洗足池。そのほとりのテラスで江乃ぶ夫人にインタビューしているシーンも映し出された。
近親者の記憶には江文也の姿は色あせずに残っている。しかし、東京の変貌は著しい。神保町で古書店を営む知人(浅野忠信)に協力を仰ぎ、あちこち聞き込んで歩くが、目ぼしい情報は得られない。一九三〇年代、江文也・乃ぶ夫婦が足繁く通い、クラシック音楽に耳を傾けながら友人たちと文学や芸術について語り合った銀座の名曲喫茶DATはすでにない。
それにしても、なぜ江文也だったのか? 侯孝賢が東京を舞台として映画を撮る企画を提案されて、モチーフの一つとして江文也を取り上げたことから分かるように、彼は東京とも縁が深い。彼にまつわる記憶が台湾で蘇ったのは一九八〇年代以降のことである。これほどモダンな感性を持った作曲家が忘却の淵に沈んでいた──そのことの印象がよほど新鮮だったのだろう。大都会・東京で失われた何かを探すというコンセプトを設定するなら、まさにうってつけの題材と考えたのかもしれない。
植民地支配下の台湾に生まれた江文也は日本へ留学、東京では九年間を過ごした。バリトン歌手として名をあげた後、作曲家へと転身、既存の楽壇に叛旗を翻す若手作曲家の一人として頭角を示した。一九三六年のベルリン・オリンピック音楽部門で「台湾舞曲」が選外佳作(実質的に四位)となり、「日本人」として国際舞台にデビューを果たす。他方、植民地・台湾出身という属性によるエキゾティシズムを売り物にしているという印象を周囲には抱かれていた。日中戦争が始まった後、二十八歳の若さで北京師範大学教授として中国大陸へ渡り、しばらく北京と東京を往復する生活を過ごすようになる。日本の敗戦後も引き続き北京に留まったが、日本の植民地放棄によって彼は「日本人」ではなくなり、「中国人」として祖国へ戻ったとみなされた。冷戦状況によって中国との関係が断絶された中、日本において江文也の名前は忘れられていく。
江文也の出身地・台湾ではどのように受け止められていたか。植民地支配の中で台湾人は同化を求められていた一方、たとえ能力があっても日本人と対等以上のポジションに上ることは困難であった。江文也が日本音楽コンクールで六回連続入選しながらもついに一位になれなかったことは、植民地差別という疑惑を招くに十分だったろう。それゆえにこそ、彼が日本人の先輩作曲家たちを抑えてベルリン・オリンピック音楽部門で選外佳作となり、ひと足跳びに国際舞台へのデビューを果たしたことは、「二等国民」扱いへの不満を鬱積させていた故郷・台湾の人々から見ると実に快挙であった。日本の敗戦でようやく自分たちのプライドを取り戻したと思ったのも束の間、国共内戦に敗れて台湾へ逃げ込んできた国民党政権が戒厳令を敷く。そうした中、共産党治下の中国に残った人物について語ることはタブーとなり、故郷・台湾においても江文也の名前は忘れられていった。
江文也は日中戦争の始まった翌年の一九三八年、北京師範大学教授として日本軍政下の北京に渡った。その背景として中国に対して文化工作を進める日本の国策があったのは確かであろう。だが、中国文化をテーマに新しい音楽的表現の可能性を切り開きたいと熱望していた彼は、純粋に芸術的な動機からこのチャンスを利用した。台湾を含めた中華意識から自他ともに「中国人」としての自覚を深めつつあったが、日本の敗戦後、対日協力の経歴のため彼は「漢奸」として投獄されてしまう。ただし、彼の音楽家としての評価は極めて高かった。当時の中国にオーケストラ作品を書ける作曲家はほとんどいなかった一方で、江文也はすでにシンフォニストとして十分な実績を積んでいた。そうした意味で中国音楽史における彼の位置づけは独特であり、釈放された後、中央音楽院教授として活躍の足場を得る。しかしながら、「台湾人」であり、「日本人」であったという彼の過去は政治的にはナーバスであり、音楽という「ブルジョワ趣味」は「右派」として指弾される理由になった。反右派闘争、文化大革命と相次ぐ迫害で心身ともに打ちのめされ、やはり中国においても江文也の名前はタブーとなってしまった。
日本、台湾、中国、ゆかりのあったそれぞれの国で忘れられていた江文也──その名前が再び蘇ったのは一九七八年に中国で名誉回復されて以降のことである。一九八一年には台湾で江文也にまつわる文章が相次いで発表されたのをきっかけに江文也ブームが巻き起こった。ただし、すでに病床にあって、一九八三年に亡くなってしまった彼がどこまで認識できていたのかは分からないが。一九八七年に台湾で戒厳令が解除されて表現の自由が認められると、彼の作品を収めたCDも出回るようになる。
他方で、中台関係の焦点が国共対立から台湾独立の是非へと変化していくのに伴い、江文也についても、「中国人」なのか、それとも「台湾人」なのか、という政治的アイデンティティーをめぐる議論が大きく浮上してきた。純粋に音楽家として生きていたくても許されない──そうした政治的桎梏は形を変えながら続いている。
野性的で生命力に満ち溢れた個性の持ち主であった江文也は、体を打ち震わせるように湧きあがってくる激しいインスピレーションを常に探し求めていた。それは一面において想像的なロマンティシズムを羽ばたかせつつ、もう一面において古代的、土俗的なモチーフへの関心を深めていった。彼は台湾か、中国かといった具体的な民族意識そのものに意義を見出していたのではない。自らの音楽的表現を生み出していく触媒として台湾、中国、日本それぞれの民族の文化に関心を寄せていたのである。
そうした江文也の情熱を後押ししたのが、亡命ロシア貴族の作曲家、アレクサンドル・チェレプニンであった。西欧近代による文化の均質化傾向が世界規模で拡大することによって各民族固有の音楽文化の豊かさが押しつぶされかねないと懸念していたチェレプニンは、はるか東アジアにまでやって来て中国と日本で若手作曲家の発掘に努めていた。彼の基本的な音楽観は様々な色彩を帯びた音色が豊かに響きあう多文化共生的な発想であって、リゴリスティックで政治的な民族主義とは明らかに異なる。それは弟子の江文也についても同様であった。
純粋に芸術的な情熱が時代状況の中で政治に絡め取られてしまった悲劇──台湾・日本・中国、複雑な関係が交錯する江文也の生涯は、東アジア現代史を読み解く一つの視点となり得るだろう。
※続きはこちら→ http://docs.com/SC75
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