石弘之・石紀美子『鉄条網の歴史──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』
石弘之・石紀美子『鉄条網の歴史──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』洋泉社、2013年
花壇が荒らされて困るから何とかして欲しい──そんなありふれた要望が鉄条網発明のきっかけだった。普通のワイヤーとトゲ付きのワイヤーとを組み合わせて安定化させるというちょっとした工夫から19世紀後半のアメリカで実用化されたグリッデン型鉄条網はあっという間に世界中へと普及していく。
基本的な原理はシンプルで、その後も特段の技術的発展をするわけではない。だが、このローテクは、様々な場面で要請される応用力を持っていた。本来何もないところに人為的な障壁を作るのが鉄条網の目的である。それが力による排除という意図と結びつくと非常に効果的な作用を示す。本書は、鉄条網に視点を据えて人類の負の歴史を描き出していく。
アメリカの西部開拓において土地の囲い込みに鉄条網は活用された。しかしながら、鉄条網を境として作り上げられた植生の変化によって生態系が乱されて土壌の悪化をもたらし、土地が荒廃する一因ともなってしまった。また、先住民を排除する上でも鉄条網は使われた。
戦争でも鉄条網は活躍する。防御に効果的というだけでなく、例えば要塞戦において機関銃と組み合わせると絶大的な威力を発揮した。捕虜を捕獲すれば強制収容所で鉄条網が使われる。さらにはジェノサイドといった人類的犯罪で鉄条網は必須なアイテムとなった。
陸続きの国境線に鉄条網を張り巡らせると、国境という抽象観念の指標となる。隣り合う国の間で経済的水準の差が大きければ、貧富の格差が浮かび上がってくる。
このように積み上げられた鉄条網の「実績」は、敵と味方、支配と従属、富者と貧者といった軋轢を可視化させ、そうしたシンボルとして人々の脳裏に刻み込まれていく。例えば、ボスニア紛争において、鉄条網を背景にした人々の映像はジェノサイドを想起させて国際世論の喚起に大きな力を発揮した(PR会社のシンボル操作によってボスニア・ヘルツェゴビナ政府が優位に立った経緯については高木徹『戦争広告代理店』[講談社文庫、2005年]を参照のこと→こちら。ただし、本書『鉄条網の歴史』の著者自身もボスニア紛争の現場を実見しており、ボスニア側が被った被害を過小評価はできないと指摘している)。
他方で、鉄条網による隔離が思わぬ副産物を作り出したケースも見られる。例えば、南北朝鮮を隔てる軍事境界線の内側には人の立ち入りが禁じられているため、豊かな生態系が出現しているという。「外敵」を排除するために用いられた鉄条網、その「外敵」を他ならぬ人間自身に措定したとき自然環境保護につながり得るというのは皮肉なことではある。道具は使いよう、ということか。
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