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2013年4月17日 (水)

永井均『フィリピンBC級戦犯裁判』

永井均『フィリピンBC級戦犯裁判』(講談社選書メチエ、2013年)

 フィリピンは1946年7月4日に独立し、日本軍将兵に対する戦犯裁判を実施した。起訴された151名のうち52%にあたる79名に死刑宣告が下された。他の地域では平均して22%であったのと比べると極刑宣告の比率の高さが際立ち、日本側はフィリピンの裁判は厳しすぎるという印象を抱いた。その一方で、実際に死刑が執行されたのは2割に留まり、他の連合国での執行率が8割だったのとは対照的である。こうした数字の差の背景には、独立国家フィリピンの難しい立場が反映されていた。

 1945年2月のマニラ市街戦ではアメリカ軍の掃討によって日本軍のほとんどが全滅、死者は1万6千人を超えた。だが、この市街戦で巻き添えになった無辜の民間人の犠牲者は10万人にものぼり、その中には追い詰められた日本兵によって殺害されたケースも数多く含まれていた。フィリピン戦線に動員された日本兵61万3600人のうち約80%にあたる50万人近くが落命したが、その大半は餓死であった。こうした苦境から生き残った者たちは、敗戦の悔しさに打ちひしがれ、そこにフィリピン人から罵声を浴びせられ(まさに自分たちが使っていた「バカヤロー」という日本語で)、反感を募らせる。他方で、家族を無残に殺されたフィリピン市民の憎しみは根深い。対日憎悪の世論は極めて険しく、日本人とフィリピン人とではその受け止め方に大きなギャップがあった。

 新たな独立国家として面目を保つため、公正な裁判を心がけねばならない。対日憎悪の世論が盛り上がる一方で、司法当局者は誠実に日本人戦犯と向き合おうとした。そうした真摯な態度は、日本の戦犯の心にも響いたようだ。

 さらに大きな問題がある。冷戦対立が深刻化する中、安全保障の面から日本との外交関係回復がアメリカから求められ、国家再建のためにも日本との経済関係は必要となった。しかしながら、フィリピン国民は戦争の惨禍を忘れていない。そうした政治的要請と国内世論との板ばさみとなった葛藤が、本書ではキリノ大統領に焦点を合わせて描かれる。実は、他ならぬキリノ自身、妻と子供たちをマニラの市街戦で失い、血みどろになった娘の死体をこの手で抱き上げた記憶はいつまでも消し去ることはできない。怒りと赦し、その葛藤は単に公人としての責務というだけでなく、キリスト教信仰によって何とか克服しようとしていた。

 戦犯裁判の規定で死刑については大統領の最終決定を要するとされており、当初から高度な政治判断の余地が残されていた。最終的に対日関係回復のため死刑囚の恩赦が行われた。ただしそれは、冷戦の論理に基づく政治判断であって、一般国民の感情的問題は置き去りにされたままという矛盾は残った。赦すにしても、日本側が自らの責任を認めることが大前提だというフィリピン側の願いはどこまで通ったのだろうか。

 本書は日本軍による残虐行為の状況、戦犯裁判の過程、モンテンルパの刑務所に収容された戦犯たちへのフィリピン司法当局者の態度と日本での戦犯支援運動、そして恩赦に至る政治過程でのキリノ大統領の葛藤を描き出している。マルチアーカイヴァルな手法を駆使した成果だが、それは単に欠落した史料を補うというだけでなく、各国ごとに異なる当事者それぞれの思惑の多元的な様相が浮かび上がってくる。憎しみばかりでなく、心を通わせる信頼関係もあったからこそ物事が動いた側面もあった。そうした政治の論理だけではオミットされかねない当事者の様々な心情の揺れが垣間見える。そこからは同時に、怨念と赦しとが現実政治のロジックによって架橋された「和解」をいかに本物にしていくか、そうした難しく重いテーマを問いかけてくる。

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コメント

NHKの「憎しみとゆるし」(2014.8.29放送)を観て、キリノ大統領の「ゆるし」について少しは理解できたと思っていました。が彼が与えた恩赦については一般ではそのように評価されているのか判りませんでした。ネットの辞書では彼の恩赦については記述は有りません。朝日新聞の2015.8.5「南方からの視線戦後70年」でマニラ市街戦での市民の犠牲の記述から日本との互恵関係をも取り上げているが、「キリノ」の一言もありません。NHKのこの番組はほんとうなのか疑っていたところでした。もっと学習しなけれがと思っています。ありがとうございました。

投稿: 田中三千夫 | 2015年8月16日 (日) 16時37分

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