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2013年3月 5日 (火)

舟越美夏『人はなぜ人を殺したのか──ポル・ポト派、語る』

舟越美夏『人はなぜ人を殺したのか──ポル・ポト派、語る』(毎日新聞社、2013年)

 水と太陽の光に恵まれ、本来ならば豊穣であったはずのカンボジアの大地。フランスから独立を得たものの、深刻な政治腐敗、相次ぐ政争や内戦、さらには泥沼化したベトナム戦争の戦火が飛び火して猛烈な爆撃に見舞われ、人々はあらゆる政治に倦んでいた。そうした中、「理想」を掲げて勢力を拡大、1975年に親米のロン・ノル政権を倒したポル・ポト派の出現は、一時なりとも人心を引きつけた。ようやく、戦乱が終わる──そう思ったのも束の間、ポル・ポト政権時代の3年余りは飢餓と殺戮でこの豊穣な大地をさらなる地獄絵図に変えてしまった。

 なぜ、このような悲劇が起こったのか? 著者は共同通信記者で、本書は存命中のポル・ポト派最高幹部にインタビューを重ねた記録である。もちろん、彼らの多くが自己弁明に終始する以上、悲劇の真相に迫るのはなかなか難しい。むしろ、取材のセッティングに奔走した共同通信プノンペン支局の現地スタッフ、チャン・クリスナーの「真相を知りたい」という情熱が本書の軸となる──彼はポル・ポト政権時代に両親を殺され、キリング・フィールドを生き抜いた一人であった。

 ポル・ポトの義弟にあたり、外交担当副首相として海外を飛び回ったイエン・サリは仲違いしたポル・ポトを厳しく批判する一方、2万人近くが拷問・殺害された政治犯強制収容所(通称、S21)について自分は海外にいたから知らなかったと言う。ポル・ポト政権で国家元首にあたる国家幹部会議長の地位にあったキュー・サムファンは「私のような知識人としては」という口癖を織り交ぜながら、自分には何も権限はなかったと言い訳を繰り返す。外務省幹部だったスオン・シクーン、かつてポル・ポトのクラスメートだったピン・ソイ、ポル・ポトの秘書を務めたテプ・クナルはそれぞれの見た政権の内幕を語る。

 こうした中、ポル・ポトと共に政権の実力者であったヌオン・チアは「祖国に人生を捧げた」ことへの正しさを疑わないながらも、率直に語る。また、彼に寄り添ってきた妻のリー・キム・セインが、昔のポル・ポトたちの穏やかを思い浮かべる一方、イエン・サリの妻であるイエン・チリト(姉のキュー・ポナリーはポル・ポトの妻で二人ともポト派の最高幹部)が、完全平等な社会を目指していたにもかかわらず、自らの教養を鼻にかけて農民出身の自分を軽蔑していた、と怒っているのも印象的だった。

 ポル・ポト派においてオンカー(組織)の命令は絶対であった。他方で、徹底した秘密主義は組織内部に疑心暗鬼を生じさせ、内紛の種は早い段階から萌していた。ポル・ポト派を離脱したヘン・サムリンたちはベトナム軍と共にプノンペンを制圧、ポル・ポト派はタイ国境近くのジャングルへ根拠地を置く。最初にカンボジア政府軍へと投降したのはイエン・サリである。国防相として軍事面の実力者であったソン・センはカンボジア政府との連絡が「裏切り」とみなされてポル・ポトの指示により一家皆殺し。自らも粛清されるのを恐れたタ・モク参謀総長はポル・ポトを逮捕、人民裁判にかけて軟禁した上で最高実力者を自称。1998年4月にポル・ポトが死ぬと(死因は謎のまま)、ヌオン・チアとキュー・サムファンが投降。翌年にはタ・モクが拘束されて、ポル・ポト派は消滅する。

 チャン・クリスナーは自らの両親がポル・ポト派に殺害されたにもかかわらず、何くれとなくヌオン・チア夫妻の面倒を見るのは不思議な光景だ。実は、クリスナーの父親はロン・ノル政権軍の司令官、母方の祖父はシアヌーク政権で首相を務めており、二人とも左派に対して過酷な弾圧を指揮する当事者であった。彼はそうしたことを包み隠さずヌオン・チアに話し、父と祖父のことを謝罪した上で、家族が殺された恨みをも語る。ヌオン・チアもまた彼の率直さを信じたようだ(ポル・ポト派では徹底した秘密主義を敷くためにこそ、嘘偽りを見抜くのに敏感だったという)。

 殺す者、殺される者が複雑な因果をなしている。人間はどの側にいようとも、心の奥底に残酷さを秘めている、とクリスナーはつぶやく。「あまりにも多くの人がかかわっていて、どの人を憎めばいいのか分からない」。そうした因果を断ち切り、将来に繰り返さないためにこそ、彼は真相を知りたいと願っている。「真実はあるが、正義はない」というヌオン・チアの発言も気にかかる。もちろん、彼の場合には自らの「信念」を正当化する意図があるのは確かだが、他方で、当時の国際政治的な力学がポル・ポト政権を成立させた側面も否定はできず、彼らのみに責任を帰して問題が解決するわけではない。

 2003年、ポル・ポト派幹部を裁く特別法廷は国際法廷ではなく、国内法廷(つまり、カンボジア政府の影響力を行使できる状態)を支援する形で成立したが、これにはカンボジア国内の政局も関わっているようだ。2007年に上述のヌオン・チア、イエン・サリ、キュー・サムファン、イエン・チリトを含む最高幹部が逮捕されたが、体調の問題で判決の見通しは立っていない。

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